マキペディア(発行人・牧野紀之)

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プロレタリアート、das Proletariat

2011年12月31日 | ハ行
 階級として考えた賃金労働者(階級)のことで、プロレタリア(個々の賃金労働者)とは区別した方が好いでしょう。皆がそう使っているわけではありませんが、そうした方が学問的には正しいと思います。一般には「プロレタリアート」は集合名詞と考えられています。

 語源的な考察としては、メモ11を参照。

 マルクス・エンゲルス・レーニンの言葉にあるプロレタリアートに対する賛辞はマルクス主義の社会主義思想が人間観としてはフランス社会主義の性善説(ルソーを想起せよ)を受け継いでいる事を証明しています。

 マルクス主義の社会主義思想はイギリス経済学とドイツ観念論とフランス社会主義の3つを受け継ぎまとめて出来た物とされていますが、ドイツ観念論はキリスト教の性悪説を受け継いでいますから、フランス社会主義の性善説とは矛盾します。この矛盾に気づかず、従って解決策を考えないで、そのまま突っ走ってしまった所にその社会主義思想の「理論上での」根本欠陥がありました。

 ヘーゲルは性悪説の方が理論的に深いと言っています。

 実際、性善説などというおめでたい考えに惑わされることなく、性悪説の俗流的解釈で党の官僚と軍隊を掌握したニセモノが実権を握る事になりました。

  参考

 01、この社会の解体を1つの特殊な身分として体現しているのがプロレタリアートである。……プロレタリアートが哲学の物質的な武器であるように、哲学はプロレタリアートの精神的な武器である。(マルエン全集第1巻390-1頁)

 02、プロレタリアートと富とは対立している2側面である。私有財産は対立の肯定的な側面であり、プロレタリアートは否定的な側面である。有産階級とプロレタリアートは同じ人間疎外を表しているが、前者はこの疎外の内に人間的なあり方の仮象を持ち、後者は非人間的なあり方の現実を持っている。

 かくして後者は保守派であり、前者は破壊派である。プロレタリアートは私有財産を止揚するが、それは自己に下された判決を執行するだけであり、プロレタリアートの勝利はそれが社会の絶対的な側面になることではなく、自己と他者との止揚である。(マルエン全集第2巻37-8頁要旨)

 03、大衆運動の人間としての高貴さを少しでも知るためにはイギリスとフランスの労働者たちの勉強、知識欲、道徳的エネルギー、休むことなき前進衝動を知っておかなくてはならない。(マルエン全集第2巻89頁)

 04、プロレタリアートという語の意味は、自分自身の生産手段を持たないが故に生き得るためには自分の労働力を売るように定められている近代賃金労働者階級のことである。(マルエン全集第4巻462頁、「宣言」)

 05、労働者は祖国を持たない。(マルエン全集第4巻479頁、「宣言」)

 06、(プロレタリア国際主義)何よりも大切な事は、いかなる愛国的排外主義の台頭をも許さず、どの国から出たものでもプロレタリアートの運動における新しい一歩は全て喜びをもって迎えるところの真に国際的な感覚を堅持する事である。(マルエン全集第7巻542頁)

 07、ドイツの理論的感覚を損なうことなく受け継いでいるのはただプロレタリアートだけである。ここではこの感覚は決して滅ぼされない。なぜならここには出世や金儲けや上からの温情的な保護を受けようと気を使うことが行われていないからである。

 その反対に、学問が囚われず遠慮せず進めば進むほど学問は労働者の利益や願望と一致することになる。社会の全歴史を理解する鍵を労働の発展史の中に求めた新しい流派[唯物史観]は、かねてから特に労働者階級に目を向け、ここで公の学問からは求めも期待もしなかった歓迎を受けた。ドイツの労働運動はドイツ古典哲学の相続者なのである。(マルエン全集第21巻307頁)

 08、目下の者のために配慮をして下さる紳士諸君よ、プロレタリアートは組織と規律を恐れない。プロレタリアートは、組織に入りたがらない教授諸君やギムナジウムの生徒を、組織の統制の下で活動しているからと言って党員と認めさせようとは配慮しない。

 プロレタリアートはその全生活によって多くのインテリ先生よりもはるかに徹底的に組織に服するように訓練されている。我々の綱領と戦術をいくらかでも理解したプロレタリアートは、組織上の立ち遅れを「形式は内容ほど重要ではない」と言って正当化したりしない。

 組織と規律との精神での自己教育、無政府主義的空文句に対する敵意と軽蔑との精神での自己教育に欠けているのは、プロレタリアートではなくて我が党内の若干のインテリゲンチアである。(レーニン全集第8巻376-7頁)

 感想・「形式は内容ほど重要ではない」という主張は確かに正しくありません。しかし、これを理解し実行するためには「単なる形式」と「内容を生みだす形式」の区別を知らなければなりません。

 09、プロレタリアートは権力獲得のための闘争において組織のほかにはどんな武器をも持たない。ブルジョア世界における無政府主義的競争の支配により分離させられ、資本のための強制労働によって押しひしがれ、貧困と野蛮化と退化のどん底に投げ落とされているプロレタリアートでも、マルクス主義の諸原則による思想的統合が幾百万の勤労者の物質的統一で打ち固められた場合には不敗の勢力と成る事が出来るし、又必ずそうなるであろう。(レーニン全集第8巻403-4頁)

 10、自覚した労働者はインテリゲンチアそのものを避けていた幼年時代をとっくに卒業している。自覚した労働者は、社会主義的インテリ以上の知識を持っており、政治的視野の広さを評価することが出来る。

 だが、我々の間に真の党が結成されるにつれて、自覚した労働者はプロレタリア軍の戦士の心理と無政府主義的空文句をひけらかすブルジョア的インテリの心理とを区別する事を学ばなければならない。

 平党員だけでなく上層幹部にも党員としての義務の履行を要求する事を学ばなければならない。かつて戦術問題で追随主義と闘った時と同じ侮蔑の念を以て組織問題での追随主義とも戦わなければならない。(レーニン全集第8巻424頁)

 感想・レーニンはヘーゲルの論理学を読んだのに「単なる当為の無力」とか「単なる当為に止まっている」という言葉とその意味は学ばなかったようです。共産党ほど追随主義のひどい所は少ないです。

 11、(語源)プロレタリア(水呑百姓、子負い虫)という言葉はラテン語のproletariusから出た言葉である。ただ子孫を、子供等を所有し、繁殖するに過ぎないものという事を意味する。

 最初、プロレタリアはローマの住民中の最も貧困たな階級であり、軍務及び納税の義務を免除されていた。後には軍隊に入ることを許され、国家から軍事上の支給を受けていた。ローマの農民が既に零落してしまっていた内乱時代及びその後のローマ帝国の建設時代には軍隊の核心をなしたものはこれであった。平和の時にあっては、国家の費用によつて養われ、穀物の食扶持を受けている。

 ローマのプロレタリアとヨーロッパのプロレタリア、無宿者、宿なしの水呑百姓との間には、その名称を除いては何等の共通的なものもない。マルクスが次の様に云ったのを忘れてはならない。

 「古代ローマにおいては階級闘争は特権を有する少数者の間だけで、即ち自由な富裕人(オブチマト、貴族)と自由な貧民(平民、プロレタリア)との間だけで行われた。そして、その場合住民中の生産を行う厖大な大衆、即ち奴隷は闘争者達にとっては単に受動的な踏台たるに過ぎなかった。人々はシスモンディ-の的にあたった評釈を忘れている。ローマのプロレタリアートは社会のおかげで暮していた。しかるに、近代社会はプロレタリアートのおかげで暮している」。(リアザノフ著早川二郎訳「共産党宣言評註」ナウカ社86-7頁)

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