マキペディア(発行人・牧野紀之)

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普遍、die Allgemeinheit

2011年12月26日 | ハ行
  参考

 01、普遍の様々な規定は『論理学』(「小論理学」第118-126節)の中で述べてあります。
 表象にとってすぐにも思い浮かぶのは抽象的普遍、外面的普遍です。しかし、本節[法の哲学の第24節]で論じている絶対的な普遍は、反省の普遍[本質論での普遍]、即ち共通性ないし全性でもなければ、個別の外に立っている抽象的普遍、悟性の抽象的な同一性でもありません。

 それは自己内で具体的で自立している普遍であり、実体であり、内在的な類であり、自己意識に内在する理念です。……それは一般的に言うならばいわゆる理性的なものであり、思弁的な方法でしか理解できないものです。(「小論理学」第24節への注釈)

 02、自己との相等性としての概念が普遍である。しかし、この同一性[相等性]は否定性という規定をも含んでいる。この同一性は自己関係する否定性ないし規定性であり、従って概念は個別である。(大論理学第2巻219頁)

 03、媒介された普遍、即ち抽象的で、特殊及び個別と対立する普遍(大論理学第2巻241頁)

 04、普遍は自己の諸規定の実体である。(大論理学第2巻242頁)

 05、抽象的普遍とは確かに概念ではあるが没概念的なものであり、概念として定立されていない概念である。(大論理学第2巻249頁)

 06、概念の普遍は特殊や個別より外延が広いのだが、その広さを特殊や個別より量的に多いという風に理解するのは誤解である。(大論理学第2巻258-9頁)

 07、真の普遍とは方法ないし規則のことである。(大論理学第2巻290頁)

 08、概念の普遍は「到達された彼岸」である。(大論理学第2巻291頁)

 感想・「理念」というとそこで初めてようやく真理が展開されると思うかもしれないが、そうではなく、理念とはこれまでの展開の中に内在しているものである。だから、最後に述べるのは「方法」でしかない、と言うのと同じ考えです。

 09、共通性というのは1つの普遍性ではあるが、普遍性の外面的な形式である。(小論理学第20節への注釈)

 10、このような普遍は外面的に普遍として現存してはいない。類そのものは知覚されない。天体の運動法則は天に書かれていない。(小論理学第21節への付録)

 11、単に共通であるものを真の普遍と混同しない事は認識にとっても行動にとっても極めて重要である。(小論理学第163節への付録1)

 12、概念の普遍は単なる共通性(これに対しては特殊が独立して立っている)ではなく、自分で特殊化するものであり、他者の中で曇りなく自己の許に留まる。(小論理学第163節への付録1)

 13、普遍、特殊、個別は、抽象的に見れば、それぞれ、同一性、区別、根拠である。(小論理学第164節への注釈)

 感想・一般的に言うと、ヘーゲル論理学の概念では、より後の概念は以前の概念の高い段階での姿です。ですから、「この概念は前に出て来たどの概念を今の段階で捉え直したものかな」と考えると分かりやすいと思います。

 14、判断が前進的に規定されてゆく道を述べるならば、それは最初は抽象的で感性的な普遍が全称性、類及び種へと規定され、更に展開されて概念の普遍へと規定されてゆく過程である。(小論理学第171節)

 15、全称性とは、反省がさしあたって思いつく普遍の形式である。そこでは個別が根底に置かれ、人間の主観的な行為がそれらの個別をまとめ、全称性として規定するのである。(小論理学第175節への付録)

 16、普遍性は取り出されて定立される事で同時に個別化される。(歴史における理性93頁)

 17、真の普遍は「2」である、つまり普遍自身と特殊との共通性である。(ズ全集第18巻93頁)

 18、もともと、「概念」の3つのモメントである普遍、特殊、個別という規定は、類、種、個体という有機体論的用語法にもとづいているであろう。(許萬元『ヘーゲル弁証法の本質』青木書店第2編第3章)

 19、ドイツ語、スカンジナビア語、古代スカンジナビア語で普遍的なもの(das Allgemeine)とは共有地を意味し、特殊なもの(das Sundere, das Besondere)とは、共有地から区別された私有地を意味するものである。(エンゲルスからマルクス宛ての手紙1868年3月25日)

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