マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

危険はらむ武道必修化

2011年09月12日 | ハ行
                     赤川次郎

 黒澤明の監督第一作「姿三四郎」を見たのはずっと大人になってからだが、子供のころ「イガグリくん」という柔道漫画があった。そこでは正義の味方の柔道家が悪い奴を豪快に投げ飛ばしていたものだ。

 しかし現実の柔道がいかに大きな危険をはらんでいるかを、6月6日に放送されたNNNドキュメント「畳の上の警告」は教えていた。

 2009年度までの27年間で、中学高校の部活動と授業中、柔道での死亡110人。障害を負った生徒275人(名大内田良准教授調査)。主因は「急性硬膜下血腫」。頭を打ちつけたり、急激に振り回されたりすることで、脳を包む硬膜と脳の間の静脈が切れる。ろくに受け身もできない子供に、指導者が危険な技をかけたことによるものだ。

 柔道は今世界中に広まっているが、こんな状況は日本だけだという。日本の3倍の柔道人口がいるフランスでは、高等教育の後、2年かけて医学知識も身につけた上で国家資格を取らなければ柔道を教えることはできない。発祥の地日本が手本を示さなければならないのに、これまで死亡事故のデータさえ文部科学省は調べなかった。

 今、これが大問題なのは2012年度から全国の中学校で武道が必修化され、大半の学校が柔道を選ぶ予定だからである。以前、文科省は音楽教育にいきなり邦楽の授業を義務づけた。三味線や琴のひける教師などほとんどいないのに。

 しかし、今回は生徒の命にかかわる問題である。まず充分な数の指導者を育てて、その上での必修化(これだって必要とは思えないが)が常識だろう。文科省はただちに12年度からの武道必修化を中止すべきである。急ぐ理由など一つもない。

 町道場の指導者に投げられて生涯にわたる障害を負った子の両親が指導者を告訴。3月16日、長野地裁松本支部は指導者には医学的知識が必要だったという当然の判決を下した。これが「柔道界に大きな衝撃を与えた」というから、いかに柔道界の認識が乏しかったか、その方がよほど衝撃的である。この判決の後、全日本柔道連盟はあわてて「資格制度」を2年後に採り入れると決めたが、それまで「硬膜下血腫」という病名すら知らなかった柔道家に2年間で何が学べるのか。形だけの資格が乱発されるのは目に見えている。

 これはすべての子を持つ親が係わる問題だ。元気に登校して行った我が子が、学校での「事故」で二度と帰らぬ身になる。そのときの親の悔しさと悲しさを誰もが想像すべきである。TVに出た医師は、「根性やしごき」といった日本特有の文化が原因と言った。私は「根性」という言葉が嫌いだ。そこには個性の否定、力の論理、竹やりでB29に立ち向かえと言った軍国主義の臭いがする。

 文科省の役人も、我が子が被害者になるかもしれない、と思えば当然考え直すだろう。もし必修化を強行するなら、「日本の文科省は子供の命より面子が大事だ」と世界に発信することになる。

 10年度、さらに4人の子供が柔道で命を落とした。世界に誇る柔道なら、それにふさわしい人格を求められる。「姿三四郎」は遠い……。

  (朝日、2011年08月19日)

   感想

 私は赤川さんの小説は読んだことがないのですが、このコラムは前から感心しつつ拝読しています。政治的な発言を避けることなく堂々と発言している所も立派だと思います。

 ここで指摘されていることは大問題だと思います。
コメント
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