マキペディア(発行人・牧野紀之)

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大槻玄沢

2010年12月26日 | ア行
(おおつき・げんたく。1757~1827)

事業はみだりに興すことあるべからず。思いさだめて
興すことあらば遂げずばやまじの精神なかるべからず。


 語学を学んだ者なら誰しも感じることだが言語は広大な海。異国の言葉をものにするのは大変だ。ましてや十分な辞書や語学書もなく一から未知の言語に挑むのは、ひとりぼっちで海図のない大海にこぎ出すようなものだ。

 大槻玄沢。この男が出るまで日本人が西洋学を学ぶのはまさにそんな途方もない道であった。しかし彼が『蘭学階梯』(らんがくかいてい)という簡潔かつ適切な蘭学入門書を刊行。1788年のことだ。

 以後、寒村・山奥・津々浦々からも蘭学者が湧いた。西洋列強に襲われるはるか前に、近代の科学技術を取り入れる素地を完成したこの国は植民地化をまぬがれた。

 先日、神田神保町の古本街で「洋学始末(底本)」をみつけた。これは珍本。「たしか広辞苑を編んだ新村(しんむら)出博士が大事にしていた本だが、写本があったか」。そう思ってめくると、大槻玄沢の生涯などが詳述されていた。

 玄沢は一関(宮城県)の医家の生まれ。他の子と遊ばず、日夜、伯父から故事(昔のこと)を学ぶ変わった子。江戸のオランダ医学のうわさをきき、杉田玄白に入門。驚くほどねばり強い男で、わかるまであきらめない。しつこく質問する。最初、前野良沢(りょうたく)は仮病をつかって追い返したが根負けして全部教えた。

 仕事は引き受けない。しかし一度引き受けたら絶対にやり遂げた。それで著した著作は300冊とも。

 事業はみだりに手掛けるな、手がけたら完成するまでやめない精神が必要といった。

 辞書『言海』の著者で孫の大槻文彦がこの言葉を記録している。玄沢は江戸に居ること50年、ずっと同じ郷里の安たばこを吸い続けたという。

  (朝日、2010年12月25日。磯田道史。歴史学者・茨城大准教授)