マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

在日米軍

2010年12月21日 | サ行
       慶大教授、小熊(おぐま)英二

 沖縄の県知事選が終わり、12月17日には菅直人首相が訪問する。この間の経緯を「沖縄の戦後体制の終わり」という観点から再考してみたい。

 日米安保の負担を沖縄に集中させる構造は、本土の高度経済成長と軌を一にしてできあがった。1950年代後半から60年代初頭に、日本本土の米軍基地が約4分の1に縮小したのに対し、沖縄の米軍基地は約2倍に増えた。68年から74年に本土の基地はさらに約3分の1に減り、在日米軍基地の75%が沖縄に集中する。

 沖縄の基地負担の見返りとして、日本政府は経済成長で得た原資をもとに、公共投資を注ぎこんできた。また沖縄の基地地代や「思いやり予算」などの米軍駐留費も、やはり経済成長を原資に政府が負担した。これが「沖縄の戦後体制」、ひいては「日本の安全保障の戦後体制」だった。

 地方に公共投資を誘導できる政治家が、建設業界などを集票基盤に当選する政治体制も、高度成長期以後に定着した。だがこれを「政治の戦後体制」と考えるなら、それが終わったことば明らかだ。まず90年代以降の経済の低迷で公共投資の原資が減った。グローバル化によって公共事業の経済浮揚効果が低減し、事業を誘導しても地方の衰退が止まらなくなった。情報化が進み、個人主義化も激しくなった。

 そういった構造的変化の結果、地方の有力者や建設業者が組織票を集められなくなった。新人候補が地元の有力者を破って当選する事態は90年代から本土各地で起こりはじめ、ついには政権交代に至っている。

 今回の知事選では沖縄の建設業界が自主投票になった。名護市議選でも、建設業界をバックに盤石の基盤を誇っていた保守陣営が予想外の敗北を喫した。本土で起こった「政治の戦後体制の終わり」が沖縄でも起こりつつあることを意味する。もはや基地の見返りとして公共投資をちらつかせても、組織票を集められる時代ではない。これは、たまたま沖縄で基地反対の世論が盛り上がったとか、いずれ事態が変わるだろうといった次元ではない、構造的変化だ。

 「世界の戦後体制」といえる冷戦の終結後、在欧米軍は3分の1に、在韓米軍は4分の3に減った。だが、在日米軍は日本政府が駐留経費を負担しているため減少の傾向がみえない。米諮問委員会は歳出削減のため在外米軍をさらに3分の2に減らすよう提言している。実現すれば、在韓米軍はかつての3分の1以下になり、在日米軍は世界の在外米軍の約半分を占めることになる。私には、在日米軍は冷戦期の既得権にあぐらをかいているとしか思えない。

 「沖縄の戦後体制」が終わりつつある今、「日本の安全保障の戦後体制」も国民的な議論のもとで見直し、それを足場に政治と外交を行うべき時がきている。
 (朝日、2010年12月16日)

   感想

 事実の指摘はありがたいですが、提案がなぜ出せないのでしょうか。