マキペディア(発行人・牧野紀之)

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イデオロギー

2006年11月15日 | ア行
 1、イデオロギーという言葉は「フランス革命につづいて現れた観念学(ideologie 、その代表者はデステュット・ド・トラシ)に由来する」(哲学辞典、青木書店)。

 2、意味と使い方は人によって大きく異なります。第1は最も広い意味です。

 「人間の考え方は、日常生活をはじめ、政治、法律、芸術など領域はそれぞれ違っても、その違いの奥に考え方の筋、つまり思想体系が通っている」と考えることが出来ます。この「基本的な考え方の筋」(哲学・論理学用語辞典、三一書房)のこと。要するに、スケールに大小の差はあれ、又本人の意識性に差はあれ、社会思想のことと思っておけばよいでしょう。

 3、この考え方は自分の考え方でも他人の考え方でも時代の経済生活などに依存しない独立的なものだと考えている人がいます。そう考えている人達の「考え方」のことを唯物論的な歴史観に立つ人が「イデオロギー」と呼びます。つまり観念論的な歴史観に立った思想観のことです。これが第2の定義です。マルクスとエンゲルスのイデオロギー概念はこれです。

 4、社会思想は時代の経済生活、物質的生活に依存していると考え、階級社会では階級的な制約を受けると考える人達は、この階級的な制約を含めてイデオロギーと呼びます。これが第3の定義です。この用語法を認めた上で、「イデオロギーの終焉」といったことを言う人もいます。

 5、これと同じ考え方ではあるが、社会思想の階級的制約までいかなくても、価値判断を含んだ考えをすべて「イデオロギー」と呼ぶ人も少なくありません。議論をする場合でも、少しでも政治とか価値判断的な話になると「イデオロギーが入ってきた」といって拒絶反応を起こします。この場合は「価値判断は主観的であって客観性がない」という考えと結びついていることが多いです。これが第4の定義です。

   参考

 (1) 或る時代を支配している思想とは、つねに、支配している階級の思想にすぎなかった。(マルクス『共産党宣言』)

 (2) 実際、世界体系のどのような思想像も、客観的には歴史的状態によって、主観的にはその思想像の創造者の肉体的、精神的機構によって制限された。(エンゲルス『反デューリング論』)

 (3) イデオローグ〔観念論的な思想家〕が何と言い抜けようと、彼が戸口から締め出した歴史的実在は再び窓から入り込んでくる。彼が或る道徳的法的教説をすべての世界すべての時代のために設計したと思い込んでいる時でも、実際には彼はその時代の保守的潮流か革命的潮流かの模写像を作り出しているのであり、現実的地盤から切り離されたがために、凹面鏡に映ったように逆立ちして歪んだ模写像を作り出しているのである。
 (エンゲルス『反デューリング論』)

 (4) 世界の研究の一般的な結論というものは、この研究の終わりに出てくるものである。従ってそれは「原理」や出発点ではなくて結果であり帰結である。〔それなのにこのようには考え振る舞わないで〕このような結果〔としてしか得られないもの〕を頭の中から構成し、それを基礎としてそこから出発し、更に進んでその基礎から世界を頭の中で再構成すること、これがイデオロギーである。

 そしてこれまでは唯物論でもみなそれに取りつかれていた。なぜなら、唯物論はたしかに自然界での思考と存在の関係についてはいくらか明確に知ってはいたが、歴史における思考と存在の関係については知らず、一切の思考が歴史的物質的諸条件に依存していることは見抜いていなかったからである。
 (エンゲルス『反デューリング論』)

 (5) 現代の社会主義思想は、たしかにその内容面から見ると、一方では今日の社会の核心は有産階級と無産階級の階級対立にあり、資本家と賃金労働者の階級対立にあることを見抜き、他方では生産が無政府状態になっていることに気づいた結果として生まれたものではある。

 しかしその理論としての形式面から言うと、それはまず最初は、18世紀フランスの偉大な啓蒙思想家たちの打ち立てた原則を一層押し進め、一層徹底させた(つもりの)ものとして現れたのである。

 新しい理論は皆そうであるように、現代の社会主義思想もその根がどんなに深く物質生活上の事実、つまり経済的事実にあるとはいえ、〔理論としての形を得るためには〕まずは目の前にある思想的な材料に結びつかなければならなかったのである。
 (エンゲルス『空想から科学へ』)

 (6) しかしイデオロギーというものはどれも、一度存在するや否や、与えられた観念的な素材と結びついて、その素材を一層加工するものである。そうでなかったらそれはイデオロギーではないであろう。

 というのは、イデオロギーとは観念をば自立し独立的に発展するものとみなすものであり、観念をば自分自身の法則にしか依存しないものとして取り扱うものだからである。

 思考の過程は人間の頭のなかで進行するのだが、その人間の物質的諸条件が結局はこの思考過程をも条件づけているということは、これらの人達〔イデオローグたち〕には意識されないのである。なぜなら、それを意識してしまったらイデオロギーは完全にお終いだからである。(エンゲルス『フォイエルバッハ論』第4章)

 (7) イデオロギー的身分--政府、僧侶、法学者、軍人。
 (マルクス『資本論』)

 (8) 人間の行動を決定する根本的な物の考え方の体系。(狭義では、階級的に規定を受けるとされる政治思想・社会思想を指す)。
 (新明解国語辞典)