a vacant mind

虚無と音楽

2007-07-31 | Diary
取り立てて何もない海岸線
ただ水平線が続いているだけ
砂浜の海岸線も今や護岸なしには
侵食を食い止めることができなくなった
時に荒波に抉りとられることも多く
造っては壊されまた造るということを繰り返す
世界の海岸線の侵食も深刻ではあるが
子どもの頃見ていた海岸線とは明らかに
趣も雰囲気も違っているのは仕方のないことなのだろう
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言葉集め

2007-07-30 | Diary
何にも言葉が見つからないことがある
頭の中が真っ白になって言葉が漏れていくような感覚
無理に集めて言葉にしてみると凝り固まったものになる
自然に待っていても真っ白だったりもするけれど
使い慣れぬ言葉も不思議と浮かんできたりもする
まあ浮かんできたのだから思考のどこかで語っていたりもするのだろう
どこかで聞いたような言葉どこかで見たような文脈
似たような響きでいくらでも引用してもいいのが言葉だろうが
言葉だけで中味がないのでは何を伝えたいのかということにもなる
いつしか自分もそういうことをやっていたのかと感慨深くなりながらも
何も伝えようとしていなかったのだと過去を振り返る
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国民審判

2007-07-30 | Diary
国民が審判を下せるのは選挙くらいだろう。
その場しのぎの国の運営には限界が見えているし、何よりも何をしたいのかさっぱりわからないというのが本当のところだ。世界の中において日本の政治はやはり独特なものがある。
議員の顔が見えていると思ったら、それはただの広告塔でしかなくて顔を持たない集団が自らのテリトリーを死守しようとして必死だ。
馴れ合い的な要素が日本には個々に染み付いてしまっている、議員を選んでしまったのは国民に他ならない。責任を口にしながら全く責任をとろうとはしないのは別に政治だけではない、蜥蜴のしっぽ切りを続けている限り何もよくはならない。
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エコとエゴ

2007-07-29 | Diary
ただ何となく似ている言葉の響き
しかし時に似ていなくもないときもある
エコといいながらエゴ丸出しのことをよく目にするからだ
エコは別に特別なことでもなんでもない
エコに気遣っているとかではないのだと思う
エコライフはそのまま私たちの生活に反映されるもの
大量消費のつけを支払わなくてはならなくなっただけ
人類が賢い生き物であるのならばこんな矛盾に満ちたものになるまい
エコとエゴを別のものと思っている限りただの言葉遊びでしかない
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ありのまま

2007-07-28 | Diary
ありのままでいいのだとしても
それは頭でわかっているだけ
ありのままであることは時に危険だったりもする
純粋無垢でいられるときは決して長くはない
見えてくるものが余りに現実的だったりするから
ありのままを受け止めてくれるものがいなくては
それは絶壁から飛び込むようなもの
ひとりでありのままでいることは
とても危ういこと
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