お仕事のブログ「ラピス・・」をしてて思うのは・・
「今度生まれ変わったら男性、女性どちらを選択する?」と思うことが増えたこと
若いときは圧倒的に
「女性に生まれて~女性としてきちんと働いて、またいろんなことをして、お洋服とかお化粧とか・・みんなでわいわいしたり、そして楽しんで年を重ねたい」とか思っていました。
男性のお客様と話していたり、お寺の方やお坊様とのお話をしていると・・
「男の中の男って腹が据わっているんだ」と思って。
そういう人と話しをしていると“かっこいい”と思って。
(安易な入り口ですみません・・)
若いときの人に向けての尊敬は
「あ~いいな、こんな人とお話できたら、こんな人になれたら」と思っていました。
今、この年齢になっての尊敬は
「この人のおそばで一生尽くしたい」
なんか女性としてではなくて、男性としての体力と気力をもってこの“お方”を守って行きたい風なボディーガード的なものまで感じてくるように。
つまり直結“命”みたいな。
先日、男性同士の会話をされていたのを少し離れて聞いておりまして、
決して女性が近づけない気迫みたいな会話でして。
あ・・会社って凄いわ、と。
真剣な会話でした。
それも理知的でしてね。
互いを尊重すべく、そして成長性のある会話。
女性の入る隙間なし、みたいな
(ちなみに男性と女性では話しをするときに脳の使い方が違うそうです)
ひさしぶりに男性の会話を聞いたとき、
次回生まれてきた時は男性でもいいかな、と。
そして尊敬する人にびっしりついて歩きたいと
肉体が動く限り、とか。
女性なら・・なかなかそうはいかない。
家があるとか子供がいるとか・・何かしらの制限と、
あと・・体がついていかない。
修行をしていて本当にそう思ったのよ。
と・・・どうしても宗教を学んでいく上で“あること”が出てくる。
それも・・~~~も違う。
もちろん圧倒的に筋肉量が違う
ふるらんの年齢よりも10才以上、上の男性の方が重いものを持てるのをみて、
う~~~と思った
う~・・やっぱりもし選択権があるならば・・
もし、修行や仏道を選んだなら・・
男子かな?とか思いました。
筋肉をつけるために歩いていますが、男性のお尻をみていると
やっぱり違うわ~
あら~高校生のお尻、違うわ~と。
すっかりお尻を見て歩いております。
若いって良いわ、と当然のごとく女性のお尻も見ております。
ただ・・やっぱり男性にはかなわない
自分がいつまで役に立てるか、
いやそれ以前に自分の肉体や精神を高年齢になっても維持できるか・・
そう考えると、男性を選ぶのかな?と思うふるらんでした