尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大木毅『独ソ戦』『「砂漠の狐」ロンメル』を読む

2019年09月13日 23時15分49秒 |  〃 (歴史・地理)
 岩波新書の『独ソ戦』が売れてるらしい。そう言えば独ソ戦にしぼった新書って見たことがない。著者は大木毅(おおき・たけし、1961~)という人で、僕は知らなかった。紹介を見ると、春に刊行されて評判になった角川新書の『「砂漠の狐」ロンメル』の著者だった。両方読んでみたので、新書2冊の紹介。そして著者の大木毅氏に関して最後に。
(『独ソ戦』)
 独ソ戦、つまりナチス・ドイツソヴィエト連邦の戦争は、この本で詳しく描かれるように、「戦闘のみらず、ジェノサイド、収奪、捕虜虐殺が繰り広げられた」「人類史上最大の惨戦」である。それがこの本の基本的な視点で、ソ連崩壊後の新資料などを使った新研究を生かしている。かつてはソ連の犠牲者は約2000万人とされていたが、ソ連崩壊後に上方修正され、約2700万人が犠牲になったという。

 第一節冒頭に、ゾルゲ事件で知られるリヒャルト・ゾルゲが在東京のドイツ大使オットーから得た、6月下旬にドイツがソ連に侵攻するという情報が出てくる。ソ連共産党書記長のスターリンが読んだ印があるという。実はゾルゲだけでなく、ドイツ侵攻が近いという幾つもの情報があった。しかし、スターリンはそれらの情報を一切信用しなかった。イギリスへの不信が強く、対英戦争が続くドイツが独ソ不可侵条約を捨て去るわけがないと信じたかった。それにスターリンの大粛清で、ソ連軍は将校の多数が失われガタガタになっていた。その実態は驚くべきレベル。

 ソ連軍の惨状から、開戦直後のドイツ軍は「快進撃」を続けた。しかし、作戦策定から実戦までを丹念に検討し、決してドイツ軍が圧勝していたわけではないことを示してゆく。作戦や戦闘のいちいちを紹介する必要はないだろう。僕もロシアやウクライナの地勢にそんなに詳しいわけではない。何となく大平原が続くように思っていても、実際はいくつもの大河が流れ、鉄道や道路も使いづらい。鉄道はドイツと違ってソ連は広軌だった。道は整備されてなくて、秋になって雪が降ると溶けて泥道となる。また首都モスクワを制圧するか、カフカスやバクーの油田確保を優先するかで争いがあった。

 独ソ戦には「三つの戦争」があると著者は指摘している。一つは純軍事的な通常戦争。そしてそれにとどまらない「収奪戦争」。西部戦線での戦争は、比較的にではあるが「通常戦争」的で、捕虜は一応保護し国際法を守る姿勢を示した。それに対し、戦線が広すぎて補給が間に合わないという理由もあって、ソ連や東欧では大々的な「収奪」が行われた。休暇で戻るドイツ兵は、食料を持ち帰る指令が出されていた。ウクライナだけで、1700万頭の牛、2000万頭の豚、2700万頭の羊、1億羽のニワトリが徴発されたとある。その数の多さが衝撃的だ。

 それに続き「絶滅戦争」という側面があった。「世界観戦争」でもあった。ナチスの考えでは、スラブ人は劣等民族であり、共産主義は絶滅すべき思想だった。そのためソ連軍の「政治委員」は基本的に捕虜とはしない方針がとられた。つまり、その場で虐殺するのである。しかし、その結果ソ連軍が降伏しないで徹底抗戦するようになり、軍事的には逆効果だった。それでもナチスの「世界観」に基づくものだから、変わりようがない。そして東部の占領地域から「絶滅収容所」が作られてゆく。

 一方、ソ連軍は「大祖国戦争」と呼んで、ナショナリズムに訴えて反撃に移る。だがソ連軍にも残虐行為が多かった。2万2千人に及ぶポーランド軍の将校がソ連軍に虐殺された「カティンの森事件」は有名だ。他にも捕虜の虐待、ドイツ軍に協力しかねないと考えられた少数民族の大移動など、ソ連の行為もひどい。それにしても、ヒトラースターリンも、リーダーとしての資質が完全に欠けている。こんな人物が独裁者だったのかと改めて衝撃を受ける。

 『独ソ戦』だけで長くなってしまったので、『「砂漠の狐」ロンメル』は簡単に。名前だけは有名だけど、細かいことは知らなかったロンメルの実像を生き生きと描き出している。ロンメルが有名になったのは、北アフリカ戦線である。同盟国のイタリアが支配していたリビアが、エジプトにいた英国軍の侵攻で危機に陥る。そこから地中海、バルカン半島、そしてイタリアへと連合軍が進攻する可能性を阻止するために、ドイツ軍が救援に行った。ロンメルの急襲戦術でリビアを奪還し、一時はエジプトをうかがい、ロンメルはスエズ運河まで進撃すると豪語した。

 ロンメルはそのことで世界に知られたが、僕はこの本で初めて詳しいことを知った。元々はドイツ南西部のヴュルテンベルク王国(中心都市はシュツットガルト)のプチブル出身で、軍内ではアウトサイダーだった。ドイツ軍ではプロイセン出身で、軍事教育を受けた軍人が出世できたのである。日本で言えば、長州閥に属さず東北地方出身だったというようなものだ。それが出世できたのは、第一次大戦で奮闘し勲章を貰ったから。その戦闘指導を見ると、精神主義で突進を命じる日本軍みたいだ。後にその経過を「歩兵は攻撃する」という本にまとめ、ベストセラーになりヒトラーの目にも止まる。

 アフリカ戦線の様子を見ると、兵とともに前線に出撃するロンメル流が、軍事指揮官としては不適切だった。補給無視で突出するロンメルが、ナチスの宣伝で英雄視されたのである。そして無理な命令を出し続けるヒトラーに最後は幻滅し、反ヒトラーになってゆく。『独ソ戦』には出てこないアフリカ戦線や西部戦線(フランス)の実情が判るので、この両書は合わせ鏡のようになっている。軍事用語や作戦の詳細がけっこう面倒だけど、近現代史に関心がある人には有益だ。
(大木毅氏)
 著者の大木毅氏は、立教大学で博士課程まで終えたあと、千葉大や防衛省防衛研究所などの講師と本に出ている。ウィキペディアを見ると、そもそも「大木毅」ではなく、「赤城毅」(あかぎ・つよし)なる頁に飛ぶ。赤城毅というのは、著者が戦記小説や冒険小説を書くときのペンネームらしい。ものすごくたくさんの著書がある。代表作に上がっているのは、『帝都探偵物語』『ノルマルク戦史』『紳士遊戯』などだという。一方でドイツ軍事史を中心に多くの著書や論文を持つ研究者でもある。今後はドイツを中心にして、軍事史に関する一般書をもっと期待したい。
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