尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「涙するまで、生きる」

2015年07月01日 21時54分36秒 |  〃  (新作外国映画)
 アルベール・カミュの短編を映画化した「涙するまで、生きる」が公開されている。東京ではシアター・イメージフォーラムで7月3日までと終了間近になってしまった。やはり見ておこうと思って出かけてきたが、これは素晴らしい作品だった。アルジェリア戦争を描く作品で、中味は重くて深い。荒涼たる砂漠の風景、夜明けや大雨、廃村などの撮影が厳しい美しさをたたえていて忘れがたい。(アルジェリアでの撮影は難しいだろうから、やはりモロッコかなと思って見ていたのだが、その通りだった。)主演のヴィゴ・モーテンセンは「約束の地」という作品も公開されていて、こっちはパタゴニアである。
 
 1954年のアルジェリア。冒頭で荒涼たる風景の中、丘の上に学校がある。ここで教えている教師ダリュ(ヴィゴ・モーテンセン)は、独り身の中年男である(らしい)。学校は小麦の配給なんかも兼ねている。彼はフランス語でフランスの川の名前なんかも教えている。そこに憲兵が一人のアラブ人を連行してくる。名前はモハメド(レダ・カデブ)と言い、いとこを殺した殺人犯だという。だが、治安が悪化していて(つまり独立運動が始まっていて)、憲兵は手が離せないのでダリュに裁判所のある町まで連行してくれというのである。2日ほどで行けるという。彼は気が乗らないが、憲兵は強引に犯人を置いて帰ってしまう。翌朝になると、地元のアラブ人が引き渡せと押しかけてきたり、家畜が殺されたフランス人入植者が襲撃してくる。仕方なくダリュはモハメドを連れて遠い旅路に出ることになる。

 こうして、何が何だかよく判らないまま、とにかく砂漠の旅に出かけることになるわけだが、映画はカミュの原作を大幅に書き足して、この不思議な二人旅をふくらましているそうである。そして、この二人の現在と過去もだんだん明らかとなり、アルジェリアをめぐる複雑な構図が浮き彫りにされてくる。ダリュはモハメドがどうして逃げないのか、生への執着がないのかが判らない。逃げる機会を与えているようなものなのだが、むしろ一緒に裁判に向っていく。行けば死刑が確実なのに。しかし、それは「アラブ人の掟」が絡んでいて、彼の一家は貧しく、親族の争いからいとこを殺してしまい掟により自分は殺されなければならないが、そうすると今度はまだ幼い弟が将来自分の復讐をしなければならない。弟をそういう運命から逃れさせるために、「フランス人に殺される」という方法を取りたいのである。

 翌日になると、今度は独立運動のゲリラ部隊につかまるが、そこでは第二次大戦中にイタリアでともに戦ったアラブ人がリーダーをしている。虐殺事件のあとで、軍内のアラブ人は皆独立運動に身を投じたらしい。ダリュは「少佐」と呼ばれ、待遇がよくなる。しかし、「どっちに付くのか」と問い詰められて、彼は独立は支持するが、自分もアルジェリア生まれだという。だが独立支持か、反対かのどっちかしかないと問われ、ダリュは教育が大切だという。そんなやり取りの後で、今度はフランス軍に遭遇する。フランス軍の装備は圧倒的で、ゲリラ部隊はどんどん追いつめられる。ついに残ったゲリラは武器を捨て投降するが、フランス軍はそこを銃撃して殺す。ダリュはこれは戦争犯罪だと詰め寄るが、フランス軍は「テロリストは捕虜にしない」と言い放つ。こうして、彼ら二人はさまざまなものを見てしまう。

 ある夜、モハメドが女を知らないで死ぬのかと嘆く。結婚できなかったのである。(多分、貧しくて持参金が用意できない境遇だったのだと思う。)ダリュも人生を語るようになっていくが、かつて結婚していた妻は先に死んでしまったのである。そして実は彼はスペイン人移民の子で、フランス人からはアラブ人扱い、アラブ人からはフランス人扱いされて育った人物だった。そんなダリュが町へ行ったときに、モハメドの人生に何を与えたか。そして、あくまでも生きることを願い、ダリュが取った「選択の道」はどんなものだったか。それは映画でぜひ見て欲しい。

 非常に複雑な、よく出来た構成の映画である。ダリュは魅力的な人物で「良い人」だと言えるが、彼がフランス語でフランスの川の名前をアラブ人に教えることは、何か意味があるんだろうか。またモハメドに「与えたプレゼント」は正しいものなのだろうか。そういう思いもするけれど、自国の軍隊の戦争犯罪を許さずに追求するのはなかなかできないことだ。アラビア語を話し、フランスにもアラブにも属さずに孤独を貫いている。しかし、子どもたちには慕われていることが最後に伝わる。このような人物を主人公に、素晴らしく美しく、思いが深く沈潜していく映画が誕生した。あきらかに、カミュの精神を現代に生かそうと作られた映画である。そこが感動的。

 作ったのは、脚本・監督のダヴィド・オールホッフェン(1964~)というフランスの新進監督。短編からスタートし、3本目の長編映画だが、今まで日本で正式公開された映画はない。(映画祭で公開された短編はある。)だから、どういう監督かよく知らないが、「西部劇」をイメージしているという。複雑な過去を持つ正義派と事情を抱えた「悪漢」が、旅をともする中で理解を深めていく「バディ・ムーヴィー」が、荒涼たる砂漠の風景の中で展開される。そういう風に言えば確かに西部劇的構成。だが、もっと複雑な意味を込めた作品だし、ロングショットで砂漠の中の人物を捉える映像の詩的な喚起力は見事。見応えがあった。
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