黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

一連の「盗作」疑惑問題について

2008-09-08 11:06:05 | 文学
 一昨日、昨日と2000,1000を超えるアクセス(IP)数を見て、「盗作」問題に対して世間の関心が異様に高いことを知り、本心からびっくりしている。「コメント」も、僕の「盗作」に関する考え方を批判するものから内容に疑義を呈するもの、あるいは賛意を表してくれるものまで、大変多岐にわたっており、その意味でも大変興味深かったのだが、ここで少し「整理」しておく必要があるのではないか、と今は思っている。
 まず、前提に関して、僕が栗原裕一郎氏の「<盗作>の文学史」について感想を書いたのは、公開されているとは言え「黒古一夫のブログ(日記)」においてです。ですから、結果的に栗原氏の「盗作」問題に対して批判する形になりましたが、あくまでも僕が言及したのは栗原氏の本の一部、つまり僕も「関係者」の一人としてその盗作問題に関わった経験に基づき、栗原氏の方法に僕の立場から疑義を挟み批判したのであって、僕の関与しない、例えば山崎豊子のことなどには「噂・伝聞」としていろいろ聞いていましたが、そのことについてはあえて触れませんでした。これが、まず確認していただきたい前提です。
 つまり、僕はどこかのメディアに頼まれて「書評」とか「エッセイ」、あるいは「評論」という形で栗原氏の著作を批判したのではなく、あくまでも「心覚え」のようなつもりで「ブログ=日記」に書いたのです。僕がこの僕のブログで時々新刊本や僕が気になっていた本について「感想」の類を書いていたことは、このブログにずっと付き合ってきてくれた人は知っているのではないかと思います。ですから、今回も僕が関係していた部分について栗原氏に「疑義」を呈し、「批判」したのです。
 そしたら、栗原氏の友人で栗原氏の今度の著作を出版社(新曜社)に紹介したという小谷野敦氏から、様々な角度からの僕に対する「疑義」が提出され、「批判」もされました。その中には、僕が言葉足らずだったために意が通じなかったことや、「文学」に対する基本的な考え方の違いが明らかになるというようなこともありました――僕は小谷野氏の「文学」は「科学」であるという考え方に、そう簡単に組みすることはできないと考えています。小谷野氏の言う「文学」は、学問としての「文学」という意味に限定されるべきもので、僕らが普通に「文学」と言っているのは、この社会にあって日々生み出される創作(小説や詩、短歌、俳句など)をはじめとして批評、エッセイ、評論、戯曲など、所謂「言葉の芸術」といわれるもの全てを指すのではないか、という立場に僕は立ちたいと考えています――。このようなことを書くと、また小谷野氏から僕の「文学観」について何か言われそうですが、昔から「文学観」に関する論議は水掛け論に終わってしまうので、今から「予防」的に言っておけば、この種の論議をこの欄でするつもりはありません。
 なお、小谷野氏の僕への批判に関して、1,2お答えしておきます。
 まず、小谷野氏は僕が栗原氏は「盗作」疑惑を掛けられた人に「直接取材」すべきだったのではないかと言ったことに対して、そのように言う黒古は何故「栗原氏に取材しなかったのか」と批判しているが、「前提」のところでも書いたように、僕の疑問は、公開されているとは言え、「ブログ=日記」に書いた「心覚え」のようなものです。そのような文章まで「取材してから書け」というのは、酷というものです。
 また、小谷野氏は栗原氏が「黒い雨」問題に対して、発端となった豊田清史の言説について批判していると言っていて、もちろんそのことは僕も承知していたが、その上で僕は「『重松日記』の刊行を境に論争は尻すぼみに終息へと向かった」(要約 P305)などと、その後の方が広島を中心に「論争」は激化し、また豊田の言説に対する検証も進んだことについて全く等閑視する栗原氏の態度に「疑問」を呈したのである。なお、猪瀬直樹、谷沢永一の井伏鱒二批判が基本的には豊田清史の「デタラメ」かつ「捏造した」資料に基づいていること、そのことに栗原氏は気が付かなかったのか、という根本的な疑問が僕にはあったのです。なお、盗作疑惑に関する「論争」において、豊田清史が「所持している」と長い間主張してきた「重松日記」なるものが、「黒い雨」を基にして豊田が「捏造=創作」したもので、そうであるが故に(豊田が所持していると称していた)「重松日記」(つまり、偽物)と「黒い雨」は酷似していたのである。その点について、果たして栗原氏は「検証」した上で、猪瀬や谷沢の言説(=豊田の言説)を取り上げたのか、ということがある。
 ついでに、誤解を恐れずに言っておけば、僕は埴谷雄高が一貫して主張していた「文学の党派性」という考え方に組みしたいと考え、これまで(「学問=科学」賭しての文学ではなく)批評活動をしてきた。これからも、その信念は曲がること無いだろうと思う。
 なお、最後に小檜山博に「盗作」問題について、僕は問題が発覚したとき「自殺」を考えたから、彼は「盗作・盗用」していないなどと一言も言っていません。ただ、彼も「弁明」しているように、メモ書きに基づいて作品を書いたら、主婦のエッセイと酷似したものになってしまったという「事実」にかんして、そのようなうかつさについては十分に批判されなければなりませんが、彼が「自殺」を考えたというのは、それまでずっと小説家として生きてきた自分が「盗作・盗用」の一言でガラガラと崩れる感覚を味わい、自分が全く「無意識」で行ってしまったことに対して「自責の念」を強くし、その結果の思いだった、と僕が考えたということです。言葉足らずだったかも知れませんが、「自殺」を考えたから全てが許されるなどと僕は考えていません。現に札幌で小檜山氏にあったとき、「苦言」を呈しましたが、そのようなものとして僕らの「党派性」はある、と考えてくださっても結構です。
 最後に、僕を擁護してくれた人、ありがとうございました(もうこの件については少々「うんざり」しています)。また、今「国文学 解釈と鑑賞」(12月用原稿)に「光の雨」事件と立松和平との関係に触れた「立松和平と仏教」(仮題)という原稿を書いています。興味のある人は、あと3ヶ月後になりますが、お読み下さい。そこで僕の考えを明らかにしています。
 長くなりましたが……。