黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

何とも面妖な……

2012-03-31 11:11:58 | 仕事
 どうしても理解できないのが、何故こうの急いで消費税を増税しなければならないのか、ということである。マスコミ・ジャーナリズムが伝えるように、民主党政権は消費税を上げる前に、東日本大震災関連の「復興・復旧」や「フクシマ」の処理、等々、まだまだやるべき事がたくさんあるはずなのに、前のめりとしか思えない野田首相の姿勢がどうしても理解できないのである。もちろん、収入よりも支出が多い現在の財政のことを考えれば、「財政再建」が急務であることは誰もが招致していることだが、しかし、本当に今急いで消費税を増税することが(日本国民、日本国にとって)必要かということになれば、それは違うのではないか、と思わざるを得ない。
 野田首相にしてみれば、経済官僚や財界からの後押しがあってのことなのかも知れないが、しかし震災の被害者やフクシマの被害者が、未だに何千人、何万人もの人が避難生活(仮設住宅に入っている人も含めて)をしているこの時期に、繰り返すが、何故「増税」なのか? 個のような野田首相(政権)の「前のめり」の姿勢は、「原発再稼働」についても見られ、泥棒が泥棒を捕まえる(取り締まる)ような経産省原子力安全委員会・保安院の認めたストレステストの結果を、これまた同じ穴のムジナである原子力ムラの住人である原子力安全委員会が認める、その結果を持って野田首相を初めとする関係閣僚が「政治判断」をし、地元の理解を得てであるが(原発が落とすカネに目がくらんだ地元の多くが賛成するだろうということを見切って)、その結果「再稼働」に踏み切りたい野田政権(首相)、本当にあの「ドジョウ」は何を考えているか、よく分からない。
 ただ、一つだけ分かっていることがある。それは、市井の中にいたことを誇っている野田首相であるが、消費税増税にしろ原発再稼働にしろ、彼(の政権)が全く国民の方を向いておらず、もっぱら官僚や財界の方しか向いていないということである。だからといって、消費増税にに反対している小沢委徒労やその「お仲間」の方が「正しい」かということになれば、またそれは違って、小沢一郎の振る舞いは、単に「政局」好きとしか思えないもので、彼らの本音がこれまた見えてこない。
 こんな体たらくだから、橋下徹のようなファシストが人気を博し、彼の政治思想(理念=ファシズム的なもの)を問わずに、みんなの党を初め民主党も自民党の政治家たちがこぞって身をすり寄せる、という何とも痛ましい(危険な)光景が出現したのだろう。
 「どんずまり」とは、まさに現在のような政治状況を言うのかも知れないが、何とも重苦しく、このような状況に「閉塞感」を感じるのは僕だけではないだろう。

 というような状況下にあって、この10日間、僕が何をしていたかといえば、原稿を二つ半(一つは、週刊読書人から頼まれた書評、二つめは辻井喬著『抒情と闘争――辻井喬+堤清二回顧録』の中公文庫版の解説、残りの半分というのは、「青森県文学大辞典」に大震災に関する項目と夏堀正元という作家について書かなければならないのだが、それが途中になっているからである)書き、それらに関連する小説を読みまくっていたのである。作品の数にして30は超えていただろうと思うが、久し振りの「文学漬け」の日々、充実した時間を持つことができた。
 そんな文学三昧の間に、時期を逸してしまうことを恐れながら、「じゃがいも」の植え付けと春野菜(夏野菜)の種まき(その前の土作り、畑を耕耘機で耕し、落ち葉などの有機肥料を入れ、畦を作り、といった一連の作業を行った)、文字通り「晴耕雨読」の日々を過ごし、そして大阪に1泊2日で出掛けたりしていたのである。

 しかし、この10日間は、僕にとっては総体として「何とも面妖な」としか言いようがない状況にあった。だから、どうもすっきりしないのである。
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吉本隆明について、もう一言。

2012-03-21 16:55:12 | 文学
 吉本隆明が「戦後思想の巨人」とか「戦後を代表する知の巨人」と持ち上げられることについて、「核=原発」に対する対応や現代の資本主義に対するとらえ方に「おかしいところ」があり、この二つのことを考えただけでも「戦後思想の巨人」などとオマージュを捧げる(ほめあげる)ことは間違いなのではないか、と僕なりの疑問を呈してきたが、昨日(3月20日)の東京新聞に載った中沢新一の「跳躍を埋める忍耐強い思考」(この文章は、論証抜きで結論だけが一人歩きしているようで大変分かりづらかった)を読んでいる内に、「中沢新一」という名前からの連想でふと思い出したことがある。
 それは、先頃死刑が確定したオウム真理教の教祖・麻原彰晃に対して、吉本が「(流布された情報の範囲と断りながら)現代では稀な優れた宗教者」(大塚英志との対談『だいたいでいいじゃないか』2000年 文藝春秋刊の中では「こいつは相当すごい奴だと僕は思っています」と発言している)、と事ある事に持ち上げていたことである。もちろん、地下鉄サリン事件が起こったときには、さすがにまずいと思ったのか、自分が評価した(持ち上げた)麻原彰晃の思想とオウム真理教の信者が起こした地下鉄サリン事件という「無差別殺人」とは別なもので、これは批判しなければならないとは言っていたが、しかし、多くの思想化や宗教化、評論家、ジャーナリストがオウム真理教の「非宗教性」や「いかがわしさ」を指摘していたときに、先の中沢新一共々、オウム真理教を擁護する論陣を張ったという事実は、原発容認(擁護)発言と同じように、僕には「大勢」に逆らうことで「少数派」を気取る吉本の「いつものやり方=流儀」にしか思えず、当時はもうすでに吉本思想から離れていたから、どうということもなかったのだが、いやらしさを感じるだけであった。
 何故もっと素直に、「救い」を求めるはずの宗教が「空中浮遊」などの見せ物的アトラクションで信者を集めたり、選挙に出馬してお祭り騒ぎを起こしていたオウム真理教の「胡散臭さ」を告発し、後に「無差別殺人」を犯すようなオウムの異常性やおかしさに警告を発しなかったのか、「知の巨人」が虚名でしかないのに、どうも吉本はそんな虚名に溺れていたのではないか、僕にはそのようにしか思えなかった。
 ついでに言えば、フクシマが起こって「近代科学」に対して疑念が抱いたから「緑の党」を結成しようとしたはずの中沢新一が、原発擁護の論陣を亡くなるまで張り続けた吉本を全く批判することなく、吉本の思想に対して各紙でオマージュを捧げているのは、一体どういうことなのか。今こそ「脱原発」か「原発擁護」かの峻別が必要なのに、「反原発」であるはずの中沢が「原発擁護」の吉本思想を高く評価する、こんなデタラメが横行するようでは、中沢たちの「緑の党」も先が思いやられるのではないか。
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吉本隆明・村上春樹・反(?)原発

2012-03-19 14:10:32 | 文学


 昨日(3月18日)の朝日新聞・読書欄「本の舞台裏」に、昨年3月に僕の定年退職と同時に博士課程を修了した中国からの留学生(王海藍)の博士論文を基に単行本用に書き直した『村上春樹と中国』(アーツアンドクラフツ刊 2400円+税)の紹介が載っていた。著者が来日してから7年目の成果がこの本ということになるが、求められてこの本に「序に代えて」を書いたからというわけではないが、内容的には中国で「村上春樹熱」と言われるものの実態はどんなことであったのか、あるいは中国の現代文化(芸術)に村上春樹の文学はどのような影響を与えたのか、中国の11都市、22大学の学生・院生3000人を対象としたアンケート調査(著者が実際に出向き、調査票を配り、記入してもらい回収した)を基に分正規・考察したこの書は、村上春樹に関する研究のみならず、文学研究の一つの方法を明示するもので、日本の現代文学研究に一石を投じるようなものではないか、と思っている。
 少し、かつての僕の研究室の「自慢」めいたものになるが、僕の研究室に所属していた大学院生が本を出すのは彼女で4人目(留学生では2人目)となり、それもみな「自費出版」ではなく「商業出版」であること、これは珍しいのではないか、と思っている。大学院修士課程修了生や博士課程修了生の論文が本になるというのは、寡聞にして余り聞かないが、たぶん、テーマの選び方(関心の方向性)が本にしやすいということもあったのだろうが、本人の努力が並大抵のものではなく、それが「運」をもたらしたのではないか、と思っている。いい研究(論文)をしていれば本になる、といった風潮が僕の研究室にはあった、と言えるかも知れない。これは、僕が大学院時代の師・小田切秀雄先生から学んだもので、僕が修士論文を書き直して最初の本『北村透谷論―天空への渇望』(79年 冬樹社刊)を出したとき、小田切先生は大変喜んでくれ、「僕は、もし君の論文が本にならなかったら、知り合いの出版社に交渉して是が非でも本にするつもりだった。結果として君は僕の世話にならなかったが、いい本になって良かった」と言ってくれたことが原点になっている。
 
 それにしても、吉本隆明が亡くなったことを受けての新聞各紙(僕が見たのは、朝日新聞、東京新聞、産経新聞、毎日新聞)の「追悼記事」は、どれもが「翼賛」的で、鼻白む思いをしたのは僕だけだろうか。確かに、前回書いたように、僕も(僕らの世代と言っていいかも知れない)吉本から大いなる影響を受けた。その中には今日に至るまで残っているものと、自分とは考えが異なるからということで唾棄した吉本思想もある。残っているものは、やはり吉本思想(だけでなく、全ての思想行為)の根幹にあった「自立」という考え方は、大学とか前衛党とか外来思想といった「権威」に頼ることなく、研鑽の末に「自前」の思想を持つことの重要さを強調するもので、長じてからは「当たり前のことだ」と思ったが、若き(学生時代の)僕らに吉本はそのことを教えてくれた。その意味では、吉本(の思想)に出会わなかったら、現在の僕が存在したか、と思えるほどのものを吉本は僕に残してくれた。
 しかし、前回も書いたが、1982年に始まった「文学者の反核運動」に際してとった吉本の対応――それは、スターリニズム批判と「科学神話」が綯い交ぜになった「原発容認」思想に象徴されるものであった。東京新聞の「筆洗」コラム氏が「(吉本が)震災後湧き上がった反原発の潮流に批判的だったのは残念だった」と書いていたが、吉本が反原発に批判的な言辞を振りまくようになったのは1980年代からで、今に始まったことではない。「戦後思想の巨人」とか「知の巨人」とか言われる吉本思想が、実は「トンデモ」思想を内包しているものであることは、この原発容認論で明らかになっている――は、吉本思想の決定的な「弱点」を白日の下にさらけ出すものであったが、何故か各紙の「追悼記事」は、このことについて触れていない。若い記者が書いたのかも知れないが、「識者」という人の動員も吉本主義者(?)ばかりで、余りにも「知らなすぎる」という印象を受けた。
 また、吉本のもう一つの「欠点」である資本主義分析に関しても、先に反原発の「緑の党」的をものを組織したいと逝っていた中沢新一が、朝日新聞の読書欄で、「吉本隆明の経済学」ということで、吉本の経済思想について書いていたが、これも前に書いたように埴谷雄高との論争(『重層的な非決定へ』85年に収録)や『超資本主義』(95年)に明らかな、吉本の楽観主義的な(間違った)資本主義論、中沢新一は、本当に読んで「吉本隆明の経済学」などと書いたのだろうか、疑問に思う。
 いずれ吉本思想と対決するときが来るだろう、と思いつつ、少しずつ考えていきたいと思っている。

 時間がなくなったので、項目的にしか書かないが(また、いつか書くときがあるだろう)、大阪市(橋下徹・大阪維新の会)が、関西電力に対して来たる株主総会で「脱原発」を提案、主張するという。そのように「脱原発」を主張する橋下大阪市長(大阪維新の会)が、何故「脱原発の住民投票」を拒むのか。また、そのような「脱原発」と「日の丸・君が代」を巡るファシスト的なやり方、どのような整合性があるのか。橋下流ポピュリズムの逝く末に、さらに危険なものを感じているのは僕だけか、と今は思っている。
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吉本隆明逝く

2012-03-16 17:35:11 | 文学
 夕方いつものようにネットでニュースを読んでいたら、「吉本隆明氏逝く」というニュースと次女のよしもとばなながツイッターで1ヶ月以上続いた「危篤状態」の間つらかった、旨のことをつぶやいているということが飛び込んできた。
 途端に、頭の中に最初に吉本の著作を読んだときの衝撃が蘇り(確か『擬制の終焉』だったように思うが、その後立て続けに『芸樹的抵抗と挫折』や『抒情の論理』などを読んだので、どれが一番初めだったかは失念した)、それらの吉本の著作に現れた思想に励まされるように、文学書や思想・哲学書を読み漁り、その結果として学生運動(全共闘運動)に関わっていくようになった経緯を思い出し、同時に1980年代の初めに始まった「文学者の反核運動」に対する吉本の「とんちんかん=見当違い」な対応と僕への批判を経て、ようやく吉本から「離脱」し、その後も続いていた吉本の批評・思想活動を横目で身ながら(批判的に身ながら)、僕としては今日まで自立」した批評活動を展開してきたつもりだが、果たして本当にそうだったか、を確認するような作業が続いた。
 特に、僕と吉本が袂を分かったなと痛感させられたのは、1970年代の中頃からインドや東南アジアへ貧乏旅行をするようになって、日本の「新植民地主義」(アジア・アフリカ、中南米などの第三世界からの収奪)の実態を体感し、そのような体験を踏まえて吉本―埴谷雄高(大岡昇平)論争を眺め、かつ吉本が日本のバブル経済を「超資本主義」などと持ち上げ、資本主義を礼賛するような立場を取るようになってからであった。そのころから「吉本隆明よ、さらば」という思いを強く持つようになったのだが、そのような思いとは別に、僕は吉本が87歳とは知らず(吉本の年齢を意識せず)、「僕にとっての吉本隆明」というような主題で、いつかまとまった形で書くことを望み、もし可能ならば吉本自身に読んでもらいたいと思ってきた、ということがある。残念ながらその思いは実現しなくなってしまったが、もし僕が長らえたら、いつか別な形で「吉本隆明論」のようなものは書きたい、と思った。
 それにしても、フクシマが全く収束せず、原発問題が何ら解決していない「3・11」からちょうど1年を過ぎたこの時期に吉本が逝ったことを思うと、何とも歴史の皮肉を感じざるを得ないが、これから何ヶ月か新聞や雑誌は「追悼記事」で埋まるだろうが、それがどんなものになるか、見てみたいと思う。
 また、近いうちに吉本については書こうと思うが、今日はこれまで。
 合掌。
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硬直化する思考

2012-03-14 08:36:01 | 仕事
 野田政権による「原発再稼働ありき」の姿勢や橋下徹大阪市長(大阪維新の会)の「君が代対応」などを見ていると、野田首相と橋下大阪市長の政治手法は真逆のように思えるが、その「硬直化」した思考の在り方はうり二つのように思え、もしこの国の根本がどこか狂っているとしたら、その原因は思考の「硬直化」が蔓延しているからではないか、と最近思うようになった。
 野田首相(政権)の思考の「硬直化」は、もちろん「原発再稼働」の動きにだけ現れているのではない。それは、多くの人が指摘しているように、「無駄の洗い出し」や「公務員削減」「国会議員の削減」などの「改革」を後回しにして、何よりも「消費税増税」を最優先させているように見える政権(野田首相)の有り様を見ていれば、そこに「原発再稼働ありき」の姿勢と共通なものを感じるのではないか、と思うが、何故に「拙速」としか思えない方法で「増税」を急ぐのか。確かに、「赤字国債」を乱発しなければこの国の財政が立ちゆかない状態になっているのは、よく分かる。しかし、これまでも何回か取り上げたことだが、「壮大な無駄」としか思えない「八ツ場ダム」建設問題が象徴するように、戦後の保守政治(自民党単独政権・自公連立政権)から引き続く公共事業優先の政策を転換することなく(「政権交代」時に、民主党が「公共事業の在り方を見直す」と言っていたことが懐かしい)、官僚の描いた図式通りに相変わらず「改革」を放置したまま、東日本大震災やフクシマの「復旧・復興」を隠れ蓑に、ひたすら「増税」路線を突っ走る野田首相、この人の頭の中はどうなっているのか、ただ「カネ」のことしか頭にはないのではないかと思えるほどに、皆目分からない。
 野田首相には、放射能に汚染された食物を日々口にしなければならない幼子を抱えた母親や、長い間生まれ故郷や仕事場から離れて暮らさなければならない避難民、あるいは「内部被曝」に脅える国民の「反原発」「脱原発」の叫びが聞こえないのか、と思うが、若いときから「政治家」(総理大臣)になることしか考えてこなかったという野田首相には、僕らのような「庶民」の切なる願いとは無縁の世界に生きているのかも知れない。彼は一国の首相として、果たして国民の方に顔を向けているのだろうか。それとも、自民・自公政権時代と同じように「財界」にしか顔を向けていないのか。「自分はドジョウだ」などといかにも庶民派を気取っていたが、最近の野田首相の言動を見ていれば、彼が決して「庶民の味方」ではないことが、よくわかる。
 原子力安全委員会(委員長は、かの有名な原発推進派の斑目氏)さえまだ「OK」を出していない段階にもかかわらず、原発の再稼働を率先して推し進めていく(自分が先頭になって地元を説得する)と公言した野田首相、これでは原発を容認・推進し原発の増設を次々と認可してきた自公時代と何ら変わることなく、僕らは「これではどうしようもないな」、と嘆く以外に何もできない。庶民(国民)の側に立って政治を行うと言ってきた民主党の政治家たちの「倫理(モラル)」はどうなっているのか。
 野田民主党政権がこんな体たらくだから、卒業式で教師が「君が代」を歌ったかどうかを口元の動きで確認し校長に報告させ、口を動かさなかった教員の処分をちらつけせる橋下徹大阪市長(大阪維新の会)の、ファシズムそのもののやり方に、大阪市民・府民が一定の支持を与えるという「ポピュリズム(大衆先導主義)」を許すような風潮が蔓延するのだろう。まだ50歳に手が届かない若い橋下徹が何故そこまで「君が代」「日の丸」にこだわるのか、僕には今ひとつ理解できないのだが、彼の思考ややり方が「硬直」していることだけは、よく分かる。橋下徹の、謙虚さなど一欠片もない強圧的な言動は、おそらく彼の思考の「脆弱性・硬直化」を表しているのだと思うが、思考(思想)の「柔軟性」を基底におく民主主義について、もう一度僕らは根本から考え直さなければならないのではないか、とつくづく思う。
 前にも書いたが、現在戦時下の文学者の在り方について調べているのだが、目を通した「資料」かが僕に伝えている「思考の硬直化=ファシズムへの道」のことを思うと、表裏の関係にあるように思えて仕方がない野田首相と橋下徹大阪市長の動き、僕らは注視し続けなければならないのではないか、と思う。
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あの日から1年、何か変わったか?

2012-03-11 15:21:08 | 仕事
 死者1万5000人余り、行方不明者4000人弱を出し、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の沿岸部に計り知れない大被害をもたらした東日本大震災から、今日でちょうど1年。大津波に襲われた東北地方の沿岸部とは別に、大地震と大津波によって破壊され、水素爆発やメルトダウン・メルトスルーを引き起こした福島第1原発の大事故(フクシマ)。
 この1年を振り返ってみると、僕が編集した『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ』の中で対談してくれた辻井喬をはじめ何人かの論客が指摘していることだが、どうも僕らを取り巻く環境が劇的に変化(変換)せざるを得ない状況になっていることを、改めて思い知らされるような日々の連続だった、ということになりそうである。つまり、この1年の政治の世界や経済界、思想界、文化、などの在り様を見ていると、僕らを取り巻くあらゆる環境が、近代=戦後社会の在り方を象徴する「成長(拡大)」路線の限界を示すようになり、これまでの価値基準とは異なる「新たな基準」、例えばそれは「共生」を基底とする「緑の党」的な未来を僕らが選択するかどうかといったことに繋がらざるを得ないようなことなのだが、そのような「基準」を作ることからまず始めなければならない状況に、現在はあるということである。
 このことを具体的に言えば、フクシマが起こってから政府や東電(財界)、あるいは一部の文化人・マスコミが見せた人間の「命」より「経済」を優先させるような政治や経済、思想などの在り方を根源から組み替え、人間の社会が「命」を基に成り立っていることをもう一度認識し直す、つまり「ヒューマニズム」の価値と意味を、社会の各階層・各組織においてもう一度捉え返す仕組みを作るということである。例えばそれは、学校の卒業式や入学式で「日の丸」に礼をせず、「君が代」を謳わなかったから、そのような教員は処分する、などといった「思想・信条の自由」を否定するようなアナクロニズムとしか思えない「ファシズム」的な矮小化では絶対になく、もう一度「命(人間)の大切さ」を基にした社会を構築する、というようなことである。
 それはまた、「3・11」が起こった後に流行った、というか流行語になった、僕には何とも「嫌らしい」「まやかし・お為ごかし」としか思えなかった「頑張ろう日本」とか「絆」とかとは全く別な質を持つものでなければならない。「絆」とか「頑張ろう日本」がいかに上っ面の、行政の不備や責任を糊塗する言葉であったか、フクシマの避難民を「放射能がうつる」といってヒバクシャ差別を平然と行った人々、汚染は基準値以下なのに福島産の米や野菜、魚を買わない人々、あるいは放射能汚染の程度が低い岩手や宮城の「瓦礫」を処理することを拒否し続ける全国の自治体(そこの住民)の在り方を知れば、すぐに理解できるだろう。「絆」は、どこにあるのだろう。
 もちろん、今日もまた黙々とヴォランティア活動に精を出している人々に対しては、彼ら・彼女らの存在と活動が如何に「尊い」ものであるか、それ故に彼ら・彼女らには「ご苦労様、頑張ってください」としか言えないわけだが、このあらゆる意味でも「転換期」である現在にあって、「言葉」に関わる仕事をしている僕に何ができるのかを考えると、詩人の谷川俊太郎が「いろいろなものが壊れたが言葉だけは壊れなかった」と言ったことに対して、作家の阿部和重が「言葉も壊れたのではないか、新たに言葉の有効性を問い直し、構築し直さなければならないのではないか」といった主旨の発言をしていたが(「朝日新聞」3月10日)、壊れていようが壊れていないだろうが、僕らは「言葉」でしか自分の思い(考え方)を伝えられない以上、「言葉」を発し続けなければいけないのではないか、と思っている。「沈黙」が美になりうるときもあるが、今は批評家としてなりふり構わず、自分の思いを伝えることに意を注ぐべきだ、と思っている。
 フクシマが全く「収束」していない状況にあることを知りながら、吉本隆明のように相変わらず「原発容認」の立場を主張し続けたり、村上春樹のように外国の人の前では「日本人は書くに対して『NO』と叫び続けるべきであった」などと、いかにも自分はずっと前から「反核』を考えていた作家であったかのように振る舞いながら、その後日本ではヒロシマ・ナガサキについてはもとより「核」や「フクシマ」について全く発言しないのは、無責任の極みであり、僕はどのようなことがあっても彼らと与しない姿勢だけは貫いていきたい、と思っている。
 そういう意味も含めて、「3・11」から、今日で1年、結論的に言えば、極端に思われるかも知れないが、社会の在り方、国家の在り方がどのように「転換」の兆しを見せているのか、という観点から言えば、国会が消費税増税と小沢問題を軸に「政争」の場と化していることが象徴しているように、残念ながら「何も変わっていない」のではないか、と僕は思っている。
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あの日から1年、改めて「フクシマ」について考える

2012-03-09 08:24:14 | 近況
 あと2日で震災・フクシマから1年を迎えるということで、マスコミ(新聞やテレビ、雑誌)各社は精力的に「震災から1年」といった類の特集を組み始めたが、ここまでに目にした「報道」に限っていえば、3つほど気になることがある。
 その第1は、いよいよ避難した人たちが何十年も「帰れない」状態が続く地域が確定しつつあるように見えるのにもかかわらず、政府(原子力安全・保安院、あるいは原発担当大臣)や東電はその点について、十分に「説明」することを避け、除洗が済めば何とかなるのではないかというようなニュアンスの「あいまい」としか思えない答えを繰り返すのみで、「この地区は、(例えば)あと30年は住むこと=生活ができない」というように明言せず、そのことと裏表の関係にある「避難への保障」も不十分にしか提示できない状況にある、ということである。つまり、フクシマの事故は地域共同体を完全に破壊し、原発の周辺を人や動物が住めない地域にしてしまったという冷厳な認識に立って事の処理が行われていない、ということである。この現実(事実)は、「故郷」に愛着を持つ日本人にとってつらい認識を強いるものであると思うが、放射線障害(ヒロシマ・ナガサキでは、原爆病(症)と言った)の起こる可能性が高い地区に避難民を戻すということ、子々孫々のことを考えると、為政者は明確な方針をもって対処しなければならないと思うが、政府と事故を補償する責任がある東電、及び関係自治体の首長の対応は、素人が何を言うかと叱られそうだが、何故か「あいまい」としか僕に思えない。
 2つめは、フクシマから1年が経ち、「脱原発」について国民の関心が薄れてきていると判断しているのか、政府や電力会社・財界が一丸となって「電力不足」を合唱し始め、「喉元過ぎれば熱さを忘れ」の如く「原発再稼働」への道を歩み始めているのではないか、ということである。この1年、原発が如何に危険なものであるか、原発抜きで電力をまかなうにはどうしたらいいか、など原発に関する様々な論議が起こり、「民の総体」としては「脱原発」しか選択肢がないような状況になっているにもかかわらず、「金儲け=経済」のことしか念頭にないように見える財界に後押しされて、原発の「再稼働」が既定の路線であるかのように、物事が進んでいる不思議。原発の再稼働に必要な「ストレステスト」だって、客観的な第三者が判断するのではなく、沖縄の普天間基地の辺野古沖移設に伴うアセス評価で、移設を望む防衛省が「手前みそ」的な評価を提出したのと同じように、最初に再稼働ありき、とするストレステストの「評価」、僕がこのところずっと言い続けている「倫理的」であることの難しさ、を地で行くようなやり方は、「政治不信」というか、政府のガバナンスへの不信を増長するだけであること、このような状態だから橋下徹大阪市長や石原慎太郎東京都知事のような「独裁的=ファシスト的」な政治家が歓迎されるのだろう――この二人の独裁的な首長が、共に市民や都民が望む「脱原発の国民投票」に消極的(否定的)なのは、彼らが決して国民の側に立たない体質の政治家であることを物語っている――、と思うと、何としても原発再稼働は阻止して、再生可能エネルギーの開発へこの国のエネルギー政策を転換させる必要があるのではないか、という結論に達せざるを得ない。
 3つめは、実は二つめと連動しているのだが、原発立地の自治体(及び首長)が、頭のてっぺんまで「原発マネー」によって洗脳されており、その結果、今や原発の存在そのものがモラルハザード(「倫理的」であることの難しさ)を体現しているのではないか、と驚きを通り越して怒りを覚えざるを得ない事実に遭遇したということである。フクシマ以前なら「認識不足だ」と言って切り捨てることもできることだが、フクシマが起こって自分が統治する自治体から住民の全てを避難させざるを得なかったにもかかわらず、かの首長は、原発からの「交付金」がなければ自治体は存続できない、原発しか雇用先がない、などと言って、福島第2原発の存続(再稼働)を望み、あまつさえ「交付金が下りるのならば、放射能汚染物質の中間貯蔵施設を引き受ける」などとも発言していた。この首長には、「平和」で「安全」な自治体をどう構築するか、自分たちの未来をどのように考えるか、といった想像力が全くなく、ただ目先の原発がもたらす「交付金」にすがるという全くみっともない姿を、さも深刻そうにさらしていたが、この首長のような発想は僕ら全体の中にあるように思い、原発については、単にエネルギーや角の問題に限定するのではなく、私たちの生き方の問題として根源から考えていかなければならないのではないか、と思った。
 このことに関して、未だ稼働していない青森県六ヶ所村の「ウラン再処理工場(プルトニウム製造工場)」についてもまた、建設反対派を押さえるために、ある時の知事選から電力会社や動燃などから青森県下の全ての自治体に「寄付金」が配られ、その金を受け取るようになってから、建設反対派の勢力が弱まり、建設推進派が以後知事選では勝利し続けているという。こんな報道に接すると、モラルハザードの広がりと深化に愕然とせざるを得ないが、どうしたら、この状況を打破できるのか、僕らは真剣にこの問題について考えなければならないのではないか、と思う。
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あの日から1年、今を思う。

2012-03-04 08:32:51 | 近況
 今日は3月11日(訂正:「今日は3月4日、あと1週間で東日本大震災(フクシマ)からほぼ1年が過ぎた」というように冒頭部分を書こうとしたのだが、4日付の朝日新聞掲載の「3月11日に生まれた命」というような記事と写真を見た直後だったので、昨日が3月11日だとすっかり思いこんでしまって、今朝になるまで気付かなかった。僕のうっかkりを読者の皆様に謝りたい)、あのこれまでに経験したことのない大きな揺れに驚き、その後の大津波に襲われる三陸海岸地方のテレビ画像に釘付けになった日から1年、1年という月日が早いなと思う反面、遅々として進まない被災地の「復興・復旧」が私たちに教えてくれるのは、「政治」対応の遅さであり、この国の全体が金属疲労を起こしているのではないか、という絶望的な気持にさせられる現実である。
 思い起こせば、まだ在籍中であった筑波大学で、震災(原発事故)が起こった直後から始まった研究室所属の学生・院生への対応において、ガソリンがなく宿舎への行かれないまま、為す術になく右往左往していたことである。大学からは、そのまま自宅待機を命じられ、それでも何とか回復した携帯電話を使って学生の安否だけは確認したのだが、日本人学生の場合は状況把握(情報処理)が容易だったということもあって(4月からの就職に備えて、すでに「つくば市」を離れていた学生や院生が多かったということもあり)、安否確認は容易だったのだが、留学生の場合、校舎がひび割れ、研究室や図書館の本が全て飛び出すほどの、これまでに経験したことのない大地震におびえ、あまつさえ「情報」がとぎれたことによって増した不安の中で、通信(携帯電話、等の)が回復した後に伝えられた家族(国)からの「帰ってきなさい」の命令(当時、留学生は母国・家族からの情報の方が信じるに値すると思っていたようだ)に、大方の留学生は動揺し、飛行機の手配が済み次第(チケットが手に入り次第)続々と帰国していった現実があり、「帰国してからも連絡を絶やさないように」と伝えるだけが精一杯だったことを思い出す。
 そんなことを思い出しながらこの1年の「震災」や「フクシマ」への政府や経済界の対応を見ていると、この国の統治機能(ガバナンス)は壊れているのではないか、こんな体たらくだから橋下徹大阪市長(大阪維新の会)や石原慎太郎東京都知事への「期待(人気)」が増すファシズム前夜のような様相を呈しているのではないか、と思わざるを得ない、何とも歯がゆい、苛立ちしか生まれてこない現実の中で生きていくしかないのか、と諦念にも似た思いがして仕方がないのかも知れない。
 殊にひどい、と思うのは、税金を上げることしか念頭にないように思える野田政権(官僚)の足下を見透かすように、「政局」にばかり目を奪われている政治屋どもが、あれほど批判された政・官・財・学の「利権」目当ての「原子力ムラ」の策謀によって、「フクシマ」の未来がどうなるのか全く不明な現段階で(収束など全くできていないのに)、「電力不足」を前面に押し出して現在停止中の原発を「再稼働」させようと、必死になっていることである。何故、電力会社(財界)や政府は「脱原発」・「減原発」を言いながら、原発の再稼働を急ぐのか。全く理解できない。例えば、この1年「フクシマ」が起こってようやく多くの人に理解されるようになった「核廃棄物の最終処分」問題が全く解決していないにもかかわらず(先頃撮影が許可になった福島第一原発の航空写真によれば、高濃度に汚染された瓦礫や汚染水の保管で敷地内がいっぱいになっていて、今後どうするのか、全く解決方法が見つかっていないのに)、何故「再稼働」を急ぐのか。全く理解できない。政府や電力会社(財界)は、目先の「経済」しか考えていないのだろうが、これほど「命」を蔑ろにする愚策はない。
 僕は、科学に対しては、ずっと前によりもと隆明に揶揄されたように、全くの「素人」である。しかし、「フクシマ」以後、次々と明らかになってきた「原発はコスト的に安い」という神話(虚偽)のことを思うと、原発の維持・管理、及び「再稼働」に関わる費用、さらには高濃度核廃棄物の処分問題(この中には、未だ稼働していない青森県・六ヶ所村に建設されている「再処理工場」の問題もある)に係る費用のことを考えれば、その費用の難文のいくつかでも使って「再生可能エネルギー」(太陽光、風力、地熱、波力、など)の改善・開発に力を注げば、僕など「電力不足」はすぐにでも解決するのではないか、と思ってしまうのだが、何故政治屋や財界人はそのように思わないのだろうか。
 それとも、原発を導入した遙か昔、導入に熱心だった財界人や政治家たちの間で明確に意識されていたとされる「原発の存在は、核抑止力になる」(胃亜mでもそのように考える政治家たちは、民主党にも自民党にも存在する。その結果、今では非核保有国の中で、日本はダントツに核兵器の原料である「プルトニウム」の保有量を誇るまでになっているというのに、である)が、今でも有効に生き続けている結果なのか。「カネ」や「権力」のためなら、僕らの「未来」など関係ないと(たぶん、無意識なのだと思いたいが)考える輩が余りにも政治や経済の世界には跋扈し過ぎてはいないか。
 そのように考えると、「脱原発」を唱える橋下徹大阪市長(大阪維新の会)が唱える「教育改革」も、経済界(資本主義社会)の基本である「弱肉強食」「競争原理」思想を下敷きにしていることを考えると、「節電」以外に「脱原発」の具体的方策がよく分からないという点で、怪しいな、と思わざるを得ない。つまり、辻井喬ではないが、「脱原発」はどのような国家像を構想するかに深く関わっているはずである(少なくとも独裁的ではない、おそらく「共生」思想を基底とするものだろう)。
 そのようなことを、僕らは震災(フクシマ)から1年のこの日、もう一度考える必要があるのではないか、と思う。
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