どうしても理解できないのが、何故こうの急いで消費税を増税しなければならないのか、ということである。マスコミ・ジャーナリズムが伝えるように、民主党政権は消費税を上げる前に、東日本大震災関連の「復興・復旧」や「フクシマ」の処理、等々、まだまだやるべき事がたくさんあるはずなのに、前のめりとしか思えない野田首相の姿勢がどうしても理解できないのである。もちろん、収入よりも支出が多い現在の財政のことを考えれば、「財政再建」が急務であることは誰もが招致していることだが、しかし、本当に今急いで消費税を増税することが(日本国民、日本国にとって)必要かということになれば、それは違うのではないか、と思わざるを得ない。
野田首相にしてみれば、経済官僚や財界からの後押しがあってのことなのかも知れないが、しかし震災の被害者やフクシマの被害者が、未だに何千人、何万人もの人が避難生活(仮設住宅に入っている人も含めて)をしているこの時期に、繰り返すが、何故「増税」なのか? 個のような野田首相(政権)の「前のめり」の姿勢は、「原発再稼働」についても見られ、泥棒が泥棒を捕まえる(取り締まる)ような経産省原子力安全委員会・保安院の認めたストレステストの結果を、これまた同じ穴のムジナである原子力ムラの住人である原子力安全委員会が認める、その結果を持って野田首相を初めとする関係閣僚が「政治判断」をし、地元の理解を得てであるが(原発が落とすカネに目がくらんだ地元の多くが賛成するだろうということを見切って)、その結果「再稼働」に踏み切りたい野田政権(首相)、本当にあの「ドジョウ」は何を考えているか、よく分からない。
ただ、一つだけ分かっていることがある。それは、市井の中にいたことを誇っている野田首相であるが、消費税増税にしろ原発再稼働にしろ、彼(の政権)が全く国民の方を向いておらず、もっぱら官僚や財界の方しか向いていないということである。だからといって、消費増税にに反対している小沢委徒労やその「お仲間」の方が「正しい」かということになれば、またそれは違って、小沢一郎の振る舞いは、単に「政局」好きとしか思えないもので、彼らの本音がこれまた見えてこない。
こんな体たらくだから、橋下徹のようなファシストが人気を博し、彼の政治思想(理念=ファシズム的なもの)を問わずに、みんなの党を初め民主党も自民党の政治家たちがこぞって身をすり寄せる、という何とも痛ましい(危険な)光景が出現したのだろう。
「どんずまり」とは、まさに現在のような政治状況を言うのかも知れないが、何とも重苦しく、このような状況に「閉塞感」を感じるのは僕だけではないだろう。
というような状況下にあって、この10日間、僕が何をしていたかといえば、原稿を二つ半(一つは、週刊読書人から頼まれた書評、二つめは辻井喬著『抒情と闘争――辻井喬+堤清二回顧録』の中公文庫版の解説、残りの半分というのは、「青森県文学大辞典」に大震災に関する項目と夏堀正元という作家について書かなければならないのだが、それが途中になっているからである)書き、それらに関連する小説を読みまくっていたのである。作品の数にして30は超えていただろうと思うが、久し振りの「文学漬け」の日々、充実した時間を持つことができた。
そんな文学三昧の間に、時期を逸してしまうことを恐れながら、「じゃがいも」の植え付けと春野菜(夏野菜)の種まき(その前の土作り、畑を耕耘機で耕し、落ち葉などの有機肥料を入れ、畦を作り、といった一連の作業を行った)、文字通り「晴耕雨読」の日々を過ごし、そして大阪に1泊2日で出掛けたりしていたのである。
しかし、この10日間は、僕にとっては総体として「何とも面妖な」としか言いようがない状況にあった。だから、どうもすっきりしないのである。
野田首相にしてみれば、経済官僚や財界からの後押しがあってのことなのかも知れないが、しかし震災の被害者やフクシマの被害者が、未だに何千人、何万人もの人が避難生活(仮設住宅に入っている人も含めて)をしているこの時期に、繰り返すが、何故「増税」なのか? 個のような野田首相(政権)の「前のめり」の姿勢は、「原発再稼働」についても見られ、泥棒が泥棒を捕まえる(取り締まる)ような経産省原子力安全委員会・保安院の認めたストレステストの結果を、これまた同じ穴のムジナである原子力ムラの住人である原子力安全委員会が認める、その結果を持って野田首相を初めとする関係閣僚が「政治判断」をし、地元の理解を得てであるが(原発が落とすカネに目がくらんだ地元の多くが賛成するだろうということを見切って)、その結果「再稼働」に踏み切りたい野田政権(首相)、本当にあの「ドジョウ」は何を考えているか、よく分からない。
ただ、一つだけ分かっていることがある。それは、市井の中にいたことを誇っている野田首相であるが、消費税増税にしろ原発再稼働にしろ、彼(の政権)が全く国民の方を向いておらず、もっぱら官僚や財界の方しか向いていないということである。だからといって、消費増税にに反対している小沢委徒労やその「お仲間」の方が「正しい」かということになれば、またそれは違って、小沢一郎の振る舞いは、単に「政局」好きとしか思えないもので、彼らの本音がこれまた見えてこない。
こんな体たらくだから、橋下徹のようなファシストが人気を博し、彼の政治思想(理念=ファシズム的なもの)を問わずに、みんなの党を初め民主党も自民党の政治家たちがこぞって身をすり寄せる、という何とも痛ましい(危険な)光景が出現したのだろう。
「どんずまり」とは、まさに現在のような政治状況を言うのかも知れないが、何とも重苦しく、このような状況に「閉塞感」を感じるのは僕だけではないだろう。
というような状況下にあって、この10日間、僕が何をしていたかといえば、原稿を二つ半(一つは、週刊読書人から頼まれた書評、二つめは辻井喬著『抒情と闘争――辻井喬+堤清二回顧録』の中公文庫版の解説、残りの半分というのは、「青森県文学大辞典」に大震災に関する項目と夏堀正元という作家について書かなければならないのだが、それが途中になっているからである)書き、それらに関連する小説を読みまくっていたのである。作品の数にして30は超えていただろうと思うが、久し振りの「文学漬け」の日々、充実した時間を持つことができた。
そんな文学三昧の間に、時期を逸してしまうことを恐れながら、「じゃがいも」の植え付けと春野菜(夏野菜)の種まき(その前の土作り、畑を耕耘機で耕し、落ち葉などの有機肥料を入れ、畦を作り、といった一連の作業を行った)、文字通り「晴耕雨読」の日々を過ごし、そして大阪に1泊2日で出掛けたりしていたのである。
しかし、この10日間は、僕にとっては総体として「何とも面妖な」としか言いようがない状況にあった。だから、どうもすっきりしないのである。
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