今日で8月も終わる。明日からは筑波大学は2学期が始まる。また、「研究」と「教育」の生活に突入することになるが、意識の中では「切れ目」がなく、夏から9月へダラダラと続く感じがする。
そんなことを昨夜から今朝にかけて考えていたのだが、それではまずいと思い、文章に書く(公にする)ということで、「切れ目」を入れることを考えた。
今現在分かっている仕事は次の通り。
9月:15日までに懸案の「さいころの空」(野間宏)論を30枚。
月末までに「村上春樹論」と「大江健三郎論」の中国語訳用に「中国人の読 者へ」といった内容の「序」を書く。
*月末に『村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ』(294ページ 勉誠出版)を刊行。
10月~:今決まっているのは、半年ぐらいをかけて「村上龍論」を1冊分(だい たい400~450枚)書く。読み直さなければならない本があといくつか あるので、ちょっと忙しい。
もう一つ、「少年倶楽部」の「総目次」が刊行されるに当たって、「解説」 を依頼されているが、それがいつになるか?
10月か11月:昨年「全集」を出した小檜山博が北海道文化功労賞を受賞するこ とが決まったので、その文学について書くことを要請されている。
あとは全く不明だが、僕のような仕事は、いつ「依頼」が来るか分からない。先に単行本にまとめた『魂の救済を求めて』(佼正出版社)の続編として「大法輪」に執筆を約束している「生きる原理を求めて」(仮題)の断続連載もそろそろ始めなければ、と思っている。他に、先日電話があって、2年ほど前に企画された俵万智のエッセイ集や対談集をまとめる仕事が「復活」したので、相談したいと言ってきた。結果はどうなるか分からないが、自分の仕事の範囲を広げるためにはいいことなのではないか、と思っている。
このように書くと、やはり「忙しさ」は秋になっても解消されないのではないか、と思わざるを得ない。そうなると長短7編の原稿を書いた「夏休み」は、つかの間の休息だったと思うより仕方がないのかも知れない。
しかし、恩師の小田切秀雄がそうであったように、文学の徒としては「前のめり」で日々を過ごすしか今後の生き方はないのかも知れない。それで倒れれば本望、ということになればいいのだが……。
そんなことを昨夜から今朝にかけて考えていたのだが、それではまずいと思い、文章に書く(公にする)ということで、「切れ目」を入れることを考えた。
今現在分かっている仕事は次の通り。
9月:15日までに懸案の「さいころの空」(野間宏)論を30枚。
月末までに「村上春樹論」と「大江健三郎論」の中国語訳用に「中国人の読 者へ」といった内容の「序」を書く。
*月末に『村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ』(294ページ 勉誠出版)を刊行。
10月~:今決まっているのは、半年ぐらいをかけて「村上龍論」を1冊分(だい たい400~450枚)書く。読み直さなければならない本があといくつか あるので、ちょっと忙しい。
もう一つ、「少年倶楽部」の「総目次」が刊行されるに当たって、「解説」 を依頼されているが、それがいつになるか?
10月か11月:昨年「全集」を出した小檜山博が北海道文化功労賞を受賞するこ とが決まったので、その文学について書くことを要請されている。
あとは全く不明だが、僕のような仕事は、いつ「依頼」が来るか分からない。先に単行本にまとめた『魂の救済を求めて』(佼正出版社)の続編として「大法輪」に執筆を約束している「生きる原理を求めて」(仮題)の断続連載もそろそろ始めなければ、と思っている。他に、先日電話があって、2年ほど前に企画された俵万智のエッセイ集や対談集をまとめる仕事が「復活」したので、相談したいと言ってきた。結果はどうなるか分からないが、自分の仕事の範囲を広げるためにはいいことなのではないか、と思っている。
このように書くと、やはり「忙しさ」は秋になっても解消されないのではないか、と思わざるを得ない。そうなると長短7編の原稿を書いた「夏休み」は、つかの間の休息だったと思うより仕方がないのかも知れない。
しかし、恩師の小田切秀雄がそうであったように、文学の徒としては「前のめり」で日々を過ごすしか今後の生き方はないのかも知れない。それで倒れれば本望、ということになればいいのだが……。