黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

やっぱり、な。――本当の「意図」は?

2012-05-31 08:35:19 | 仕事
 予想通り、と言ってしまえば身も蓋もないが、大飯原発3号機・4号機の「再稼働」がいよいよ決まりそうである。原子力規制庁設置法案が国会審議入りし、昨日細野剛志原発事故担当相が列席した「関西広域連合」がこれまで主張してきた「再稼働反対」の看板を下ろし、「(再稼働が)暫定的であることを前提に認める」という方向に転じたことから、野田首相が近々「再稼働」にGOサインを出すだろうということであるが、よく分からないのは、何故野田首相はこれほどまでに「原発再稼働」に執心しているのか(こだわるのか)、ということである。
 消費増税に関しても同じなのだが、国民の多く(過半数を超える)が「反対」しているにもかかわらず、この「ドジョウ」を自称する総理大臣は、何が何でも消費税増税と同じように、原発を再稼働させたいらしい。「ドジョウ」と言えば、今ではある種の高級料理の材料であるが、昔はウナギに対抗した庶民の食べ物として遇されてきたものである。ところが、平成の「ドジョウ」は、どうも庶民の味方ではなく、経済界(大企業)の力強い応援団のようで、経済界の要請には何でも「ハイハイ」と聞く、経済界にとっては最も好ましい首相に成り下がっているようで、何とも気色が悪い。
 特に原発再稼働に関して言えば、「フクシマ」の原因究明も十分ではなく、福嶋第1原発の廃炉はどのようなタイム・テーブルで行うのか、避難民を今後どうするのか、放射能汚染(除洗)は果たして可能なのか、農産物・海産物の放射能汚染についてどう処置するのか、等々、全てが未解決状態にあるというのに、「盛夏の電力不足」という本当か嘘か分からない理由を金科玉条の如く持ち出して、何故原発の再稼働を急ぐのか。ましてや、「フクシマ」によって白日の下に晒されることになった「高濃度廃棄物の処理」問題についても、全くどのような将来像を描けばいいのか分からない状態、つまり刹那主義的にしか原発に対応していない状況下で、何故原発の再稼働を認めようとするのか。ワケが分からないというのは、野田政権の現在のような原発政策について言うのだろうが、それにしても野田民主党政権のやり方は「ひどい」の一言に尽きる。
 今日(31日)の東京新聞は、1面に「大飯再稼働 政府、最終決定へ」「関西連合が事実上容認」の大見出しで野田政権の原発再稼働への動きを伝えながら、2面のトップで「ドイツ 太陽光、過去最高2200万キロワット 瞬間で原発20基分発電」の記事を載せていた。周知のように、ドイツのメルケル政権は「フクシマ」の後、いち早く「脱原発」を宣言し、再生可能(自然)エネルギーによる電力確保に国を挙げて舵を切ったが、この記事を見て分かることは、「やろうと思えばできる」ということである。大企業(電力会社)の言いなりに「再生可能エネルギーは不安定だ」という理由で、電力会社の既得権を守り、再生可能エネルギーの開発と増進を阻む民主党政権(野党第1党の自民党だって同じ穴のムジナでしかないだろう)、例えば原発を稼働させる経費だけを考えても、あるいは原発事故が起こった時の保障などを考えた場合、どう考えたって再生可能エネルギーの開発や増進錦を注ぎ込んだ方が得策だと思うのに、どうして再生可能エネルギーに対して十分に配慮しないのか。これも、ワケが分からない。
 このワケの分からなさは、関西広域連合の原発再稼働容認にも通じる。関西広域連合の「反原発」姿勢は、周知のように橋下徹率いる大阪維新の会がリードしてきたものであるが、何故ここに来て「大飯原発3・4号機再稼働」を容認したのか、「安全管理」や「事故対応」などについては、これまでと全く変わっていないのに、今度の再稼働は「暫定的な安全基準の下で暫定的に運転するもの」という、子供だましのような(言葉遊びのような)、「暫定的運転」と「本格的運転」にはどのような違いがあるのかも問わず、再稼働を容認してしまう。
 このような一連の大飯原発3・4号機の再稼働問題を眺めていて気付くのは、如何にこの国の経済はもちろん、政治や文化(暮らし方)、社会の在り方が、原発という「魔物」に掣肘されているか、ということである。そうであるが故に、「脱原発」「反原発」に「正義」があると思うのだが、俳優の山本太郎が反原発を叫び運動にのめり込んだ途端仕事が激減したというこの社会の在り方、あるいは「事実(歴史認識)」に基づいた僕の「南京大虐殺」に対する考えに対して、「差別用語」という認識もないままに「キチガイ左翼撲滅」などとコメントを寄せる、いわゆる「ネット右翼」と思われる輩が跋扈する社会、だんだん息苦しくなっているような気がしてならない。
 「武漢・南京」については、もう1回「都市と農村」という内容で書くつもりでいたのですが、それはまた明日以降にしたいと思っています。
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武漢・南京(2)

2012-05-29 16:25:20 | 仕事
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(1)は、南京城内にある門の一つ (2)歩ける広さの城壁 (3)中華門の正面の一部、ハーケンのようなものが見える 


京へは土日を利用して2泊3日の小旅行を行ったのだが、南京旅行の目的は、先にも書いたように何よりも1937年に起こった「南京大虐殺」の現場を自分の足で歩き、目で見ることであった。結果は、百聞は一見にしかず、ではないが、来て良かったと痛感した。写真や映像で何度も見、また多くの「手記」や「記録」、あるいは文学作品で「知識」としては十分に身に付けてきたと思っていたのだが、例えば、南京市内を囲む城壁の上は、万里の長城と同じように、3メートルほどの幅を持った回廊と言って良く、日本の城とは全く異なる構造をしていて、日中戦争時における都市の攻防だけでなく、南京の場合「明」の時代における遺跡も数多く残っているのだが、彼の時代における「国盗り合戦」についても思いを馳せると、「城」の役割が日本と中国とでは全く異なっていることを知らされた。
 ともかく、南京城は「堅牢」なのである。城内から場外へ出るには10数個の門を通らなければならず、この門さえ守れば城内への侵入を防ぐことができる、ということが自分の足で歩き、一目見ただけで理解できた。南京攻略戦において日本軍が、それらの門のうち、4重の構造を持つ最も堅牢と思われていた「中華門」を何日も掛けて攻め落とし、一挙に城内になだれ込み、その後に中国兵を含む市民を「虐殺」したのも、案内をしてくれた南京工業大学外国語学院(日語系)の陳先生のいう「中華門は、明の時代から南京城防御の象徴だったから」の言葉の通りなのだろうと納得させられた。「中華門」の外側には、垂直の壁にいくつもの登山で使うハーケンのようなものが打ち付けられていて、そこをよじ登って城内に入ろうとした日本軍兵士はどのような思いであったのか、たぶん多くの犠牲を払ったのだと思うと、そのような「労苦」を経たが故に、城内に入ってからの「暴虐」を止めることができなかったのではないか、そこには「鬼気迫る」ものがあり、そのような「狂気を生み出すものこそ「戦争」であることを、改めて認識させられた。
 自民党も民主党も、また石原慎太郎も橋下徹も「日本国憲法第9条」の改正を政見に盛り込んでいるが、戦争がどんなことをもたらすか、僕らはもう一度謙虚になって「侵略(領土拡張・市場獲得・資源確保)」目的で行われたアジア太平洋戦争について見直し、「戦争」によって「幸福」になる者は絶対にいないことを確認し、「反戦」の意思を強く持たなければならないのではないか、と思った。75年前、緑に覆われたこの南京市で数十万とも数万(虐殺記念館では「30万人」と明記している)とも言われる無辜の民が僕と同じ民族の血を持つ日本軍兵士によって、殺され、焼かれたことを思うと、何とも言えない「嫌な気持」になった。
 僕らは、金曜日(18日)に虐殺記念館に行ったのだが、各地から来た中国人でにぎわっていた記念館で日本人に出会ったのは1組(3人連れの若者)だけで、他の場所では何組も日本人観光客に会っているにもかかわらず、この落差は何なのだ、と思わざるを得なかった。歴史に目を背ける者は、いつか歴史によって復習されざるを得ない、というのは、いつも肝に銘じていることだが、「経済」ばかりではなく、「歴史」をきちんと共有することが必要なのではないか、と痛感した。
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武漢・南京(1)

2012-05-28 16:32:47 | 仕事
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(1)は、華中師範大学の正門 (2)はキャンパス内道路 (3)は僕が滞在した外国人教師宿舎(新築)

帰ってきた直後は、久し振りの海外で疲れたのかなと思っていたのだが、どうも連日30度を超す中国(武漢・南京)と朝になると10度代になる日本との気温の差に体が対応できず、風邪を引いてしまったようで、体はだるく鼻水は垂れ、のどは痛いはで、中国へ行っている間に届いていたゲラ(こぶし書房の「場」の原稿、及び解放文学賞(小説部門)の選評)を見るのが精一杯で、帰国後はこの前に書いた「帰国報告」だけで、今日(28日)の午後になって、ようやく華中師範大学のことや南京のことを書いておこうという気持になった。
 まず、華中師範大学だが、中国の他の比較的古い大学と同じように、広いキャンパスと多くの建物(教室や研究室、等の他、学生寮や留学生会館、職員宿舎、など)を持ち、いつものことだが、僕が歩いたのはその4分の1ぐらいで、僕は結果として1日12000歩前後歩いたのだが、果たしてキャンパス全部を回ったらどのくらいの時間が掛かるのか、学生に聞いても答えられる人はいなかった(そんなことに興味のある学生がいなかったということでもあるが)。先にも書いたように1週間近くいるうちに、講義(講演)は3回(院生相手に2回、学部3年生相手に1回)、その他修士論文中間発表会に出て、発表ごとに意見を求められ、総評までやらされる、ということがあり、久し振りに「教師」の仕事をこなし、充実した時間を過ごすことができた。
 とは言え、短いつきあいでその真の姿は分からないで言うのだが、院生たちの近現代文学の「知識」や「論考」に関して言えば、そんなに高いレベルにあるとは思えず(高いレベルを求めても、それに十分に応えられる体勢になっておらず、僕が求められたのも、そのことに関係あるのだろうと思っている)、熱心であり真剣に取り組んでいるのだが、「資料」不足や指導者不足ということもあって、「日本語」能力(会話や読解、作文の能力)がやはり他の大学と同じように非常に高いことに比べて、文学に関しては「貧弱」という印象を免れないものであった。それだけに、もし本気になってやれば、「熱意」は高く、日本語の読解力もあるので、論文の書き方さえ身に付ければ、相当高いレベルのものが実現するのではないか、とも思った。
 契約書に基づけば、とりあえず3年間は続けて欲しいということなので(詳細については、差し障りがあるので省く)、3年間で何ができるかよく考えて、やってみようと思った。僕を受け入れてくれた李俄憲先生は「中島敦」で新潟大学から博士号を授与された先生で、学生たちの評判ではかなり「厳しい」(は、たぶん「優しさ」の裏返し。その証拠に「嫌いだ」という院生には一人も会わなかった)ということであったが、外国語学院の副院長であり学科長である彼は、政府や省の研究プロジェクトの主査をやったりしていて、とにかく忙しく、じっくり一人一人の学生の面倒を見ていられない状態にあり、そのことも僕が招かれた理由の一つなのではないか、と思っている。
 講義(講演)で、質疑応答の時間になると、時間が足らなくなるほど「質問」や「意見」が出て、これは久しく日本の大学では(僕の経験では)見られなくなった光景で、9月からの授業が楽しみになった理由でもある。
 なお、日本にいるときから伝えられていたのだが、李先生には「日本近代文学史」の教科書(専門家が読んでも面白い)を日本語で出版する計画があり、その具体的展開を僕のアドバイスを受けて行いたい、ということで、夜は夕食をかねてその相談などを連日行い、来年夏の刊行を目指して走り出すことを決め、僕が武漢でラフ・スケッチしたものを下敷きに、早急に「執筆要項」などを決めるということにした。どうも、どこかへ行くとかなら逗子事を増やすのが僕の癖のようで、この「日本近代文学史」が成功したら、その他にも出版計画がある、などと言われ、ゆっくりしている暇はないな、という気持にさせられた。

<武漢みやげ1>
 16日に武漢空港に着いたのは3時30分、長い着陸態勢の間に、地上の風景を眺めていたら、あっというものが目に入ってきた。あの世界共通とも言っていい巨大な「鼓型の円筒」が4基、微かに白煙を上げていたが、1000万人都市武漢からどのくらい離れているのだろうか、その光景を見てからおよそ30分間飛行機は飛んでいたから、「郊外」なのだろうが、都市に非常に近い場所に存在する原発、同じような建造物を武漢から南京へ行く途中の駅近くでも見たから、中国では「過疎地」にではなく、都市近郊に原発が存在するというのが当たり前になっているということか? 何とも複雑な気持ちになった。果たして中国人に「フクシマ」は伝わるのだろうか。僕は、講義で取り上げようと思っているのだが、9月からが楽しみである。
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帰ってきました。

2012-05-26 05:36:09 | 仕事
 16日から23日までの、たった8日間という武漢(南京)への短い「旅」でしたが、無事帰ってきました。
 帰ってきたら、自分はこんなにも忙しい毎日を送っていたのかと思えるほどに、メールやら手紙やらが届いていて、それの処理に1日(実はまだすべてが終わったわけではない)、また武漢(南京)で依頼されたことの処理(コピーを取ったり、資料を探したり)に、また1日、何だか疲れてしまい、時間だけがだらだらと過ぎていった。
 というのも、帰国日の23日は朝の7時に大学の宿舎を出て9時20分発の飛行機に乗り、北京で乗り換え、成田に18:00に着き、そこから高速バスで自宅に10時に着くという強行軍だったからではないか、と思っている(それとも、歳なのかも知れない。若いときと違って、少し無理をすると疲れが溜まり、体が「仕事」をするな、とブレーキを掛ける、そんな歳になっているんだな、と実感させられた)。あるいは、武漢(南京)にいる間は、携帯の万歩計で測ったら、連日12000歩から15000歩を歩いていて、普段の2,3倍も歩いていて、また連日夜遅くまで講演(講義)やら会食やらで、体に疲労が溜まっていたのかも知れない。
 というわけで、今朝になりようやく「武漢便り」が書けるようになったのだが(本来は、武漢から少しずつ書いて送るつもりでPCを持参したのだが、PCに不具合ができ、「日記」風なものは書けたのだが、残念ながらこの欄では送信できなかったのである)、武漢(南京)での日々は、一言で言って、全てが「新しい経験」で、結果として今年の9月から(最長で3ヶ月間+α)武漢にある華中師範大学外国語学院(日本語科)で「楚天学者(特別招待教授、話を聞くと相当偉いということである)」として大学院生を対象に週3コマ(他に卒論ゼミ)ほど「日本近代文学」について教えることが正式に決まった。とりあえず3年間ということで、毎年9月から武漢で暮らすことになるのだが、この8日間に接した華中師範大学の学生たち(院生と学部3年生)の姿を見る限り、(本当の姿はまだ分かりませんが)教え甲斐があるのではないか、と思った。院生たちに2回講義(講演)をして、学部3年生に1回、他に修論の中間発表会にさんか下経験だけで言うならば、僕の話を乾いた砂に水が染み込むように聞いてくれ、いろいろな意味で「可能性」を感じられ、ここでもう一度頑張るのもいいかな、と思わされた。
 アメリカの州立大学(シアトルのワシントン大学など)よりも広い印象のキャンパスは、緑にあふれ、背院生や学生たちの話しでは「夏と冬しかない」そうで、それでも食事は朝食などで何度か利用した学生食堂(もちろん教職員が利用してもOK)のメニューを見る限り、日本人(僕)の舌にあっているようで、何よりも「安く」、1食に100円も出せば、結構満足のいく食事ができることもわかった。ただ、コーヒーをのむところが無く、学外にスターバックスが1軒あり、そこを利用するしかないのが玉に瑕かも知れない。
 南京には、武漢からの手配で南京工業大学の「陳」さんという日本語科の助教授が案内してくださり、南京大虐殺記念館をはじめ、いろいろ「南京攻略戦」の戦跡をを見て回った。これについては、また別の日に写真なども整理して紹介したいと思うが、現地に来て記念館で「資料」を見て、戦跡をいくつか巡ってみれば、「南京大虐殺はなかった」というのは「妄言・妄想」の類であり、現実に起こった人類史に稀な出来事だったと納得させられるのではないか、と思った。河村名古屋市長も石原慎太郎東京都知事も、その他諸々も、謙虚になって一度南京に来て見学してみればいいのである。百聞は一見にしかず、である。南京城内(南京旧市内)の広さ、城のすぐ近くを流れる揚子江の大きさを知れば、南京を陥落させたとは言え、そこを支配することの難しさ(それは、中国大陸で戦争を始めた軍部の無謀さに通じる)を痛感したはずである。つまり、南京城内の広さとそこに住んでいた市民の数を考えれば、敗残兵狩りと称して、老若男女を問わず南京市民を大量虐殺した「日本軍」の心理が想像できる、ということである。「戦争は狂気をもたらす」という言い方があるが、石川達三の『生きてゐる兵隊』やその他の戦争小説及び南京攻略戦に参加した将兵の『証言』や「手記』を読むと、なるほどその通りだと思う。
 南京での経験もいずれ写真付きで紹介するつもりだが、ともかく疲れたが充実した8日間の武漢(南京)への旅であった。
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「反戦」・「反核」を言い続ける理由(続き)

2012-05-07 09:03:27 | 仕事
 昨日は、このブログを書いている途中で長電話が入ったため、中途半端な形で終わってしまい、尻切れトンボの印象を与えたのではないかと思い、「続き」を書くことにする。
 昨日の記事で僕が言いたかったことは、この20日間余り、『井伏鱒二と「戦争」』(仮題)で出版を計画している原稿の見直し(修正・加筆)を行い、同時に「夏野菜」の種を蒔き、苗を植える日々を過ごしている内に、気付いたこと(確信したこと)があり、それは僕の批評は「反戦・反核」の思想を根っこに持ったものである、ということを改めて確認する必要があると思った、ということである。
 理由は、吉本隆明が最期の最後まで「科学神話=原発安全神話」を手放すことがなかったことのは何故か、そして、そのような吉本の「科学神話=原発安全神話」の影響下で自らの思想を形成した者が、「団塊の世代」を中心にして予想通り数多く存在していることを知り、改めて僕らが受けた「戦後民主主義教育」(反戦思想と民主主義思想を軸とした)とは何であったのかを、井伏鱒二の「戦争観」や「反核論」を整理しながら考えたからである。あわせて、野菜の芽吹きや成長を日々見守りながら「生命(いのち)とは何ぞや」などということを考え、「生命」を育むことの難しさを改めて痛感したからに他ならない。
 つまり、「反戦・反核」もその根っこには「生命(人間)尊重主義」(大江健三郎流に言えば「ユマニズム」ということになるが、一般的には「ヒューマニズム」)の重要性を改めて考え続けけていた、ということである。この「ヒューマニズム」に「エコロジー」を加味すれば、ずっと前から僕が言い続けている「緑の党」的な国家像の構築ということにもなるのだが、とりあえず、わかりやすく言えば、戦後民主主義及び70年前後の「政治の季節」で叫ばれた「殺すな!」の論理と倫理をいかに日常化するか、ということになるのではないだろうか。
 そのような考え方から、現在進行しつつある「原発再稼働」の動きや、中国や北朝鮮を「仮想敵国」とするようなネオ・ナショナリズム(ネオ・ファシズム)の動き、橋下徹大阪市長(大阪維新の会)が推し進めている「教育改革」という名のファシズム的教育の推進(「競争原理」の導入と権力の教育への介入、これは実は石原慎太郎が東京都知事になってから「教育委員会」名で推し進められてきた東京都の教育政策とほとんど同じものである)、等々、世の中の「不穏」な動きに警戒心を持つ必要があるのではないか、と言い続けてきたのである。
 そして、先走ってこの国の状況について言っておけば、もう「競争原理」(これを資本主義体制との関係で言えば、金権主義(金儲け主義)ということになる)で何とかなるような状態にはなく、オルタナティブ(もう一つの生き方、例えば「スローライフ」)のことをみんなで真剣に考えなければいけないのではないか、と思う。昨日で「原発0(ゼロ)」になったが、僕らがこの「原発0」状況を如何にきちんと過ごすか、「フクシマ」を受けての最初の「試練」になるのではないか、と思う。「無駄な電気は使わない」、そのことから始めるしかないだろう、と思う。「原発0」になったって、「廃炉」までに何十年もかかるし、高濃度汚染核廃棄物(プルトニウム、など)に至っては、何十万という単位で「処理(埋設)」しなければならないことを考えれば、原発立地の自治体の首長たちが「原発マネーが予算の70パーセントだから、原発が再稼働しなければやっていけない」という、何とも「哀れな」悲鳴こそ原発がもたらした非人間的所業の極致の現れだ、と思う冷厳な態度こそ、いま僕らに求められているのではないだろうか。
 僕は、今後も「生命」より大事なものはない、という立場を堅持していきたいと思っている。予定されている『井伏鱒二と「戦争」』もそのような思想で書かれたものである。
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「反戦」・「反核」を言い続ける理由

2012-05-06 10:10:52 | 仕事
 前回記事を書いたのが4月17日だから、もう20日余り経つ。いつもの台詞だが、決してサボっていたわけではなく、この間やっていたことを書いておくと、次の本として予定している『井伏鱒二と「戦争」』(仮題)の原稿整理に、思いがけず時間を取られ、いくつかの資料や井伏の作品を読み返し、かつ原稿の修正を行うという作業に没頭していたのである。
 この本に関して、この10年くらいの間に依頼されて書いた「井伏論」――『黒い雨』論はもちろん、井伏が徴用中(1942年)に書いた『花の町』や戦後の『遙拝隊長』についての他、『徴用中のこと』などについての作品論をはじめ、戦中の過ごし方、等について書いたもの7本と新たに書き下ろした「井伏鱒二と原発」論(これに関しては、川村湊が同じような「材料」を使って「原発と日本の文学者」(『いまこそ私は原発に反対します』日本ペンクラブ編 平凡社刊所収)というタイトルで一文をものにしているが、内容は全く別で、川村は急いで書いたようで、川村文にはいくつか基本的な誤りがある。また、ここで書いておくが、川村文に刺激されて拙論を書いたのではない。)、併せて370枚ほど、それに関連する戦中―戦後の文学者の在り方について論じた過去の4つの論文約100枚を併せて、約480枚ほど、各論の重複を消去し、足らない部分を加筆する。一番古い文章は11年前の2000年に書いたものなので、基本的なことは変わらないとしても、年号やその時々の文学状況などは変わっており、その「調整」に思わぬ時間を取られる、ということがあった。
 知る限り、『黒い雨』論や『遙拝隊長』論などはこれまでにも「定番」的に論じられてきたが、井伏鱒二を「戦争」というテーマで論じるというのは、これまでなかったのではないか。故に、僕は面白い本になるのではないか、と思っているのだが、「文学評論」や「作家論」の類が驚くべき状態で読まれなくなっている現在、果たしてこの本が日の目を見るかどうか、近日中に前から読みたいと言ってきている出版社に原稿を送り、結果を待とうと思っている。
 また、その合間にある作家(決まったら、明らかにします)の「全集」の企画を立て、「卷立て」(全巻構成)に時間を取られると言うこともあった。全作品にざっと目を通し、主題別、刊行順で全巻の構成を考えるのは、全作品を一度は読んだことがあってもなかなか大変な作業で、これにも時間が取られてしまった。
 他に、大学を退職した後、望みとしては「晴耕雨読だ」と言ったということもあり、夏野菜の種まきや苗植えは待ったなしでその季節がやってきて、自分で食するものぐらい「無農薬・有機栽培」で行いたいということもあり、そうなると野菜のケアとは別に雑草との闘いが続き、毎日毎日、取っても取っても生えてくる雑草を引き抜くために畑に出なければならず、これにも時間が取られてしまう。そして、つくづく思う。「晴耕雨読」は「悠々自適・のんびり」の代名詞ではなく、自然との闘いであり、労働の原点(肉体労働)を教えてくれるものだということを。そんなわけで、小さな吾が家庭菜園に植わっている野菜を列挙しておくと、ジャガイモを筆頭に、タマネギ、長ネギ(2種類)、にんじん、ゴボウ、空豆、絹さやエンドウ、モロヘイヤ、キャベツ、ラディッシュ(2種類)、ナス、カボチャ、キュウリ、ミニトマト、ピーマン、里芋、こんにゃく、ごま、ショウガ、瓜、セロリ、サニーレタスの24種類、畑が少し広くなったからと言っても、手入れが大変である。
 ただ、「畑仕事」にもちゃんと効用があって、野田民主党政権の「原発再稼働」への目論見や石原慎太郎の「尖閣諸島買収問題」、橋下徹大阪市長(大阪維新の会)の計り知れない「野望」などで苛ついた気持や焦りを、無心に野菜のことばかりを考える畑仕事は鎮めてくれる、ということがある。とは言え、野田首相の何も具体性のない「日米同盟の高み」発言ほど、今日の「空洞」的な状況を表しているものはなく、絶望的に成らざるを得ない。
 心身共に「元気」になりたいのだが、状況がそれを許さないとしたら、ではどうしたらいいのだろうか。
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何とも面妖な……

2012-03-31 11:11:58 | 仕事
 どうしても理解できないのが、何故こうの急いで消費税を増税しなければならないのか、ということである。マスコミ・ジャーナリズムが伝えるように、民主党政権は消費税を上げる前に、東日本大震災関連の「復興・復旧」や「フクシマ」の処理、等々、まだまだやるべき事がたくさんあるはずなのに、前のめりとしか思えない野田首相の姿勢がどうしても理解できないのである。もちろん、収入よりも支出が多い現在の財政のことを考えれば、「財政再建」が急務であることは誰もが招致していることだが、しかし、本当に今急いで消費税を増税することが(日本国民、日本国にとって)必要かということになれば、それは違うのではないか、と思わざるを得ない。
 野田首相にしてみれば、経済官僚や財界からの後押しがあってのことなのかも知れないが、しかし震災の被害者やフクシマの被害者が、未だに何千人、何万人もの人が避難生活(仮設住宅に入っている人も含めて)をしているこの時期に、繰り返すが、何故「増税」なのか? 個のような野田首相(政権)の「前のめり」の姿勢は、「原発再稼働」についても見られ、泥棒が泥棒を捕まえる(取り締まる)ような経産省原子力安全委員会・保安院の認めたストレステストの結果を、これまた同じ穴のムジナである原子力ムラの住人である原子力安全委員会が認める、その結果を持って野田首相を初めとする関係閣僚が「政治判断」をし、地元の理解を得てであるが(原発が落とすカネに目がくらんだ地元の多くが賛成するだろうということを見切って)、その結果「再稼働」に踏み切りたい野田政権(首相)、本当にあの「ドジョウ」は何を考えているか、よく分からない。
 ただ、一つだけ分かっていることがある。それは、市井の中にいたことを誇っている野田首相であるが、消費税増税にしろ原発再稼働にしろ、彼(の政権)が全く国民の方を向いておらず、もっぱら官僚や財界の方しか向いていないということである。だからといって、消費増税にに反対している小沢委徒労やその「お仲間」の方が「正しい」かということになれば、またそれは違って、小沢一郎の振る舞いは、単に「政局」好きとしか思えないもので、彼らの本音がこれまた見えてこない。
 こんな体たらくだから、橋下徹のようなファシストが人気を博し、彼の政治思想(理念=ファシズム的なもの)を問わずに、みんなの党を初め民主党も自民党の政治家たちがこぞって身をすり寄せる、という何とも痛ましい(危険な)光景が出現したのだろう。
 「どんずまり」とは、まさに現在のような政治状況を言うのかも知れないが、何とも重苦しく、このような状況に「閉塞感」を感じるのは僕だけではないだろう。

 というような状況下にあって、この10日間、僕が何をしていたかといえば、原稿を二つ半(一つは、週刊読書人から頼まれた書評、二つめは辻井喬著『抒情と闘争――辻井喬+堤清二回顧録』の中公文庫版の解説、残りの半分というのは、「青森県文学大辞典」に大震災に関する項目と夏堀正元という作家について書かなければならないのだが、それが途中になっているからである)書き、それらに関連する小説を読みまくっていたのである。作品の数にして30は超えていただろうと思うが、久し振りの「文学漬け」の日々、充実した時間を持つことができた。
 そんな文学三昧の間に、時期を逸してしまうことを恐れながら、「じゃがいも」の植え付けと春野菜(夏野菜)の種まき(その前の土作り、畑を耕耘機で耕し、落ち葉などの有機肥料を入れ、畦を作り、といった一連の作業を行った)、文字通り「晴耕雨読」の日々を過ごし、そして大阪に1泊2日で出掛けたりしていたのである。

 しかし、この10日間は、僕にとっては総体として「何とも面妖な」としか言いようがない状況にあった。だから、どうもすっきりしないのである。
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硬直化する思考

2012-03-14 08:36:01 | 仕事
 野田政権による「原発再稼働ありき」の姿勢や橋下徹大阪市長(大阪維新の会)の「君が代対応」などを見ていると、野田首相と橋下大阪市長の政治手法は真逆のように思えるが、その「硬直化」した思考の在り方はうり二つのように思え、もしこの国の根本がどこか狂っているとしたら、その原因は思考の「硬直化」が蔓延しているからではないか、と最近思うようになった。
 野田首相(政権)の思考の「硬直化」は、もちろん「原発再稼働」の動きにだけ現れているのではない。それは、多くの人が指摘しているように、「無駄の洗い出し」や「公務員削減」「国会議員の削減」などの「改革」を後回しにして、何よりも「消費税増税」を最優先させているように見える政権(野田首相)の有り様を見ていれば、そこに「原発再稼働ありき」の姿勢と共通なものを感じるのではないか、と思うが、何故に「拙速」としか思えない方法で「増税」を急ぐのか。確かに、「赤字国債」を乱発しなければこの国の財政が立ちゆかない状態になっているのは、よく分かる。しかし、これまでも何回か取り上げたことだが、「壮大な無駄」としか思えない「八ツ場ダム」建設問題が象徴するように、戦後の保守政治(自民党単独政権・自公連立政権)から引き続く公共事業優先の政策を転換することなく(「政権交代」時に、民主党が「公共事業の在り方を見直す」と言っていたことが懐かしい)、官僚の描いた図式通りに相変わらず「改革」を放置したまま、東日本大震災やフクシマの「復旧・復興」を隠れ蓑に、ひたすら「増税」路線を突っ走る野田首相、この人の頭の中はどうなっているのか、ただ「カネ」のことしか頭にはないのではないかと思えるほどに、皆目分からない。
 野田首相には、放射能に汚染された食物を日々口にしなければならない幼子を抱えた母親や、長い間生まれ故郷や仕事場から離れて暮らさなければならない避難民、あるいは「内部被曝」に脅える国民の「反原発」「脱原発」の叫びが聞こえないのか、と思うが、若いときから「政治家」(総理大臣)になることしか考えてこなかったという野田首相には、僕らのような「庶民」の切なる願いとは無縁の世界に生きているのかも知れない。彼は一国の首相として、果たして国民の方に顔を向けているのだろうか。それとも、自民・自公政権時代と同じように「財界」にしか顔を向けていないのか。「自分はドジョウだ」などといかにも庶民派を気取っていたが、最近の野田首相の言動を見ていれば、彼が決して「庶民の味方」ではないことが、よくわかる。
 原子力安全委員会(委員長は、かの有名な原発推進派の斑目氏)さえまだ「OK」を出していない段階にもかかわらず、原発の再稼働を率先して推し進めていく(自分が先頭になって地元を説得する)と公言した野田首相、これでは原発を容認・推進し原発の増設を次々と認可してきた自公時代と何ら変わることなく、僕らは「これではどうしようもないな」、と嘆く以外に何もできない。庶民(国民)の側に立って政治を行うと言ってきた民主党の政治家たちの「倫理(モラル)」はどうなっているのか。
 野田民主党政権がこんな体たらくだから、卒業式で教師が「君が代」を歌ったかどうかを口元の動きで確認し校長に報告させ、口を動かさなかった教員の処分をちらつけせる橋下徹大阪市長(大阪維新の会)の、ファシズムそのもののやり方に、大阪市民・府民が一定の支持を与えるという「ポピュリズム(大衆先導主義)」を許すような風潮が蔓延するのだろう。まだ50歳に手が届かない若い橋下徹が何故そこまで「君が代」「日の丸」にこだわるのか、僕には今ひとつ理解できないのだが、彼の思考ややり方が「硬直」していることだけは、よく分かる。橋下徹の、謙虚さなど一欠片もない強圧的な言動は、おそらく彼の思考の「脆弱性・硬直化」を表しているのだと思うが、思考(思想)の「柔軟性」を基底におく民主主義について、もう一度僕らは根本から考え直さなければならないのではないか、とつくづく思う。
 前にも書いたが、現在戦時下の文学者の在り方について調べているのだが、目を通した「資料」かが僕に伝えている「思考の硬直化=ファシズムへの道」のことを思うと、表裏の関係にあるように思えて仕方がない野田首相と橋下徹大阪市長の動き、僕らは注視し続けなければならないのではないか、と思う。
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あの日から1年、何か変わったか?

2012-03-11 15:21:08 | 仕事
 死者1万5000人余り、行方不明者4000人弱を出し、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の沿岸部に計り知れない大被害をもたらした東日本大震災から、今日でちょうど1年。大津波に襲われた東北地方の沿岸部とは別に、大地震と大津波によって破壊され、水素爆発やメルトダウン・メルトスルーを引き起こした福島第1原発の大事故(フクシマ)。
 この1年を振り返ってみると、僕が編集した『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ』の中で対談してくれた辻井喬をはじめ何人かの論客が指摘していることだが、どうも僕らを取り巻く環境が劇的に変化(変換)せざるを得ない状況になっていることを、改めて思い知らされるような日々の連続だった、ということになりそうである。つまり、この1年の政治の世界や経済界、思想界、文化、などの在り様を見ていると、僕らを取り巻くあらゆる環境が、近代=戦後社会の在り方を象徴する「成長(拡大)」路線の限界を示すようになり、これまでの価値基準とは異なる「新たな基準」、例えばそれは「共生」を基底とする「緑の党」的な未来を僕らが選択するかどうかといったことに繋がらざるを得ないようなことなのだが、そのような「基準」を作ることからまず始めなければならない状況に、現在はあるということである。
 このことを具体的に言えば、フクシマが起こってから政府や東電(財界)、あるいは一部の文化人・マスコミが見せた人間の「命」より「経済」を優先させるような政治や経済、思想などの在り方を根源から組み替え、人間の社会が「命」を基に成り立っていることをもう一度認識し直す、つまり「ヒューマニズム」の価値と意味を、社会の各階層・各組織においてもう一度捉え返す仕組みを作るということである。例えばそれは、学校の卒業式や入学式で「日の丸」に礼をせず、「君が代」を謳わなかったから、そのような教員は処分する、などといった「思想・信条の自由」を否定するようなアナクロニズムとしか思えない「ファシズム」的な矮小化では絶対になく、もう一度「命(人間)の大切さ」を基にした社会を構築する、というようなことである。
 それはまた、「3・11」が起こった後に流行った、というか流行語になった、僕には何とも「嫌らしい」「まやかし・お為ごかし」としか思えなかった「頑張ろう日本」とか「絆」とかとは全く別な質を持つものでなければならない。「絆」とか「頑張ろう日本」がいかに上っ面の、行政の不備や責任を糊塗する言葉であったか、フクシマの避難民を「放射能がうつる」といってヒバクシャ差別を平然と行った人々、汚染は基準値以下なのに福島産の米や野菜、魚を買わない人々、あるいは放射能汚染の程度が低い岩手や宮城の「瓦礫」を処理することを拒否し続ける全国の自治体(そこの住民)の在り方を知れば、すぐに理解できるだろう。「絆」は、どこにあるのだろう。
 もちろん、今日もまた黙々とヴォランティア活動に精を出している人々に対しては、彼ら・彼女らの存在と活動が如何に「尊い」ものであるか、それ故に彼ら・彼女らには「ご苦労様、頑張ってください」としか言えないわけだが、このあらゆる意味でも「転換期」である現在にあって、「言葉」に関わる仕事をしている僕に何ができるのかを考えると、詩人の谷川俊太郎が「いろいろなものが壊れたが言葉だけは壊れなかった」と言ったことに対して、作家の阿部和重が「言葉も壊れたのではないか、新たに言葉の有効性を問い直し、構築し直さなければならないのではないか」といった主旨の発言をしていたが(「朝日新聞」3月10日)、壊れていようが壊れていないだろうが、僕らは「言葉」でしか自分の思い(考え方)を伝えられない以上、「言葉」を発し続けなければいけないのではないか、と思っている。「沈黙」が美になりうるときもあるが、今は批評家としてなりふり構わず、自分の思いを伝えることに意を注ぐべきだ、と思っている。
 フクシマが全く「収束」していない状況にあることを知りながら、吉本隆明のように相変わらず「原発容認」の立場を主張し続けたり、村上春樹のように外国の人の前では「日本人は書くに対して『NO』と叫び続けるべきであった」などと、いかにも自分はずっと前から「反核』を考えていた作家であったかのように振る舞いながら、その後日本ではヒロシマ・ナガサキについてはもとより「核」や「フクシマ」について全く発言しないのは、無責任の極みであり、僕はどのようなことがあっても彼らと与しない姿勢だけは貫いていきたい、と思っている。
 そういう意味も含めて、「3・11」から、今日で1年、結論的に言えば、極端に思われるかも知れないが、社会の在り方、国家の在り方がどのように「転換」の兆しを見せているのか、という観点から言えば、国会が消費税増税と小沢問題を軸に「政争」の場と化していることが象徴しているように、残念ながら「何も変わっていない」のではないか、と僕は思っている。
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「右派」の台頭――「大阪維新の会」と安倍元首相の「連合」の意味するものは?

2012-02-29 09:02:46 | 仕事
 いよいよ「独裁政治」も辞さないと豪語してきた橋下徹大阪市長(大阪維新の会)の本音が見えてきたように思う。先頃発表した「船中(維新)八策」にも垣間見えていたが、「首相公選制」「教育基本条例の制定」などの大阪維新の会が掲げる「政策」(それが、ファシズム的なものであることは再三指摘してきた)に賛意を表明した安倍晋三元首相の対応を見ていると、その実態(実像)がより鮮明になってきたと言える。折しも、自民党が「改憲草案」なるものを発表し、そこでは「日本国憲法」を支える根本原理である「主権在民」や「平和主義」を否定する「天皇を元首とする」「自衛隊を自衛軍とする。自衛権(交戦権ということだろう)を認める」などといった、旧憲法(大日本帝国憲法)を思わせるような条文が目白押しで、これが自民党という保守党の「本音」なのかと思うと、「殺すな!」という論理と倫理の下で育ってきた僕など、ぞっとしてしまったが、安部元首相がそのような自民党改憲派を代表する政治家の一人だと思うと、橋下氏ら「大阪維新の会」との連携を強めるという安倍氏の発言(それを橋下氏らが否定したという情報は今のところ入っていない)は、これまで「大阪都構想」の実現(行政改革)ということだけがはっきりしていて、「国政」に出て行って何を実現したいのかが今ひとつ不明確だった大阪維新の会(橋下氏)の「目的」が、戦前型の(軍隊=自衛隊)に守られた天皇を中心とした政治(独裁的な)形態であるように思われ、やはり彼らの思惑については「NO」を言い続けていかなければならないのではないか、と改めて思った。
 例え、そのような僕の考えが「情緒的」――「匿名」の陰に隠れて他者を攻撃(非難)するのは「卑怯」なやり方だから、もし「論争」を望むなら「匿名」であることをやめてからにすべきだ、「匿名」であり続けたら「応接」しない(論争に加わらない)といった途端、そのような提言(ルール)に対する見解を明らかにすることなく、また僕の「回答」に対する反論もせず、僕のことを「論理的」でなく「情緒的」と決めつけ、揚げ句の果て「逃亡者」まがいの言葉を投げつけて、それこそ「逃げる」ことしかできなかった「淀川」を名乗る卑怯者が言った言葉です――であったとしても、僕は感覚的な部分で「危険」だと察知したことについては、自分の直感を信じて発言していこうと思っている。
 それで思い出すのが、昔バブル経済に対して「現在の経済状態は、第三世界からの収奪によって成り立っている、文字通り「バブル」でしかない」とあるところで書いたら、彼の(現在のではありません)吉本隆明にその著『超資本主義』(九五年 徳間書店刊)の中で「経済バカの黒古」などと揶揄されたことである。吉本は、その当時(今もそのようだが)「好景気(バブル経済)」が永遠に続くかのように思っていたのか、「そのうち労働者は週休3日制を獲得する」とか「中卒や高卒の女子工員が何十万円もする毛皮やブランド品で身を包むようになる」などと言って、バブル経済が第三世界の犠牲の上で成り立つものであり、かつ人間をスポイルするものだといっていた者を、みな「バカだ」(この言い方は、吉本が年下の論争相手を批判するときの常套句だったが、何故か、年上の人にはそのような対応をしなかった)と言って切り捨てていた。そんなことを思い出すと、吉本が原発発言に関して娘のよしもとばななに「年寄りなのだから、そんなにいじめないで」といった、それこそ娘だから許されるような「侮蔑的」な憐れみを受けたこと、歴史は繰り返すとは言いながら、自戒しなければと思う。
 閑話休題。
 「憲法改正」「自衛軍の創設」「日の丸・君が代の強制」「教育への自治体首長の支配」「反対派の排除・抹殺」、このような言葉が如実に示しているファシズム政治への道、どんな小さな声でもいいから、そのような「いつか来た道」への動きに対しては「異議あり」と言い続ける必要があるのではないか。名前を出すのも気分悪いが「淀川」のように、「法に則っているのだから」、つまり「選挙で勝利して民意が示されたのだから」というような理由で事の本質を見誤ってしまうことだけは、例え自分が少数派になっても避けなければならない、と肝に銘じるべきだ、ということである。
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