黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

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新規まき直し、元気です(6)――「自閉」する感性、何故?

2016-09-29 09:50:20 | 仕事
 昨日(28日)に行われた小池東京都知事の「所信表明」及び国会における民進党蓮舫代表と安倍首相との質疑応答(討論)、また前日の臨時国会冒頭における安倍首相の所信表明に対する自民党議員たちの対応を見て、更にはマスコミの反応やTVのワイドショウなどのキャスターやコメンテーターの発言を聞いて思ったのは、この国の「政治」(政治家たち)のレベルが――それは、論理力(批判精神)とモラル意識に集約されると言っていいと思う――、相当「劣化」しつつあるのではないか、ということであった。
 例えば、小池知事の「所信表明」の目玉である「都政大改革」という言葉、中身はこの間ずっとマスコミ・ジャーナリズムが騒いできた「築地市場」の豊洲移転をめぐる問題と、膨大にふくれあがったオリンピック予算に対して改めて「検証」するというもので、僕はこの二つの案件に関して、結論を先に言ってしまえば、都民が望むような「決着」にはならないだろう、と思っている。つまり、故意事務元総理や安倍現首相と似た体質――劇場型政治、「敵」をつくって「敵」を悪者にして、実は事の本質を隠蔽して、外見だけを整える。例えば、小泉元首相の「郵政改革」、これなどアメリカからの要請により溜まりに溜まった郵政の「金」を市場にはき出させるための「改革」でしかなく、困ったのは近所の郵便局がなくなったために、電気料金や水道料金の振り込みが利用できなくなった、「資金運用」などとは無関係な庶民だった、ということがあった――。
 たぶん、小池知事が言う「都政大改革」も同じで、「検証したけれど、いろいろがもうここまで進んでしまったのだから、仕方がない。これでいくらか「都政の闇」が暴かれ、無駄遣いも少しは減ったのだから、いいだろう」で終わるのではないかと思っている。築地市場の豊洲移転に関して、これまでの報道を見れば、「巨悪」は週に1,2度しか登庁しなかった長きにわたって都知事を務めた石原慎太郎なのに、その石原に対する「追求」をうやむやにしている小池知事をはじめ安倍首相を含めた自民党議員たちの在り方を見れば、「検証」が不徹底に終わり、責任追及もせいぜい現場の責任者(市場長、等)の首を取ってお茶を濁して終わりにするのではないか、と思う。誰も石原慎太郎の「責任」を追求しない「なあなあ主義」、そして指導者への盲目的追随、自民党はもう「腐っている」と思うのに、目先の利益(権威や身分、お金)にばかり目を奪われ、世界の全体や「将来」について何も考えない「精神の衰え」。本当にこれでいいのか、この国の「未来」に誰が責任を取るのか、懸念は尽きない。
 オリンピック・パラリンピックの「予算」についても、早くも当初の「7800億円」から今ではその何倍かに当たる「3兆円(1説には4兆円)に跳ね上がっているのに、誰もそのことに疑問を呈しない(あるいは、そのようなフリをしている)、これは由々しき事態だと思うが、今の日本は「物言えば唇寒し」状態に陥っているのではないか、と思えてならない。「2020年東京オリンピック」に関する「闇」は、その招致の際に「軽口・軽薄」な安倍首相が「フクシマは完全にコントロールされている」と公言した時から始まっているので、今更何を言うか、と言うことになるが、考えてみれば、このような一国の指導者(安倍晋三)の「軽口・軽薄さ」が、すべての事柄に蔓延しているのではないか、と思えてならない。
 そのいい証拠が、臨時国会冒頭の安倍首相の「所信表明」と昨日の蓮舫との質疑応答である。誰も自公の積極的支持者以外の誰もが「失敗」と認めている安倍政権の経済政策「アベノミクス」に対して、「道半ば」と言い繕い、増えたのは非正規労働だけで、労働者の実質賃金は下がっているのに「雇用を増やした」、「アベノミクスは順調に伸展している」と何の根拠もなく言い募りその態度は、まさに「自信過剰」の鎧を着ているようで、もういい加減うんざり、である。そして、この「軽口・自信過剰」名政治家の常套手段は、「失政」には一切口を閉ざすことである。例えば、「もんじゅの廃炉」に象徴される原子力政策、あるいは「民意」からかけ離れた沖縄・普天間基地の辺野古沖への移転(新基地建設)について、何故今国会で言及しないのか。「ご都合主義」もいいところである。
 それなのに、「権力亡者」と化した自公の政治家たちは、自民党の規約を改正してまで安倍首相(自民党総裁)の「総裁任期」を画策している。異議を挟む者は、次期総裁を狙うために下野した石破元地方創生大臣ぐらいで、他からはほとんど聞こえてこない。こんなに「批判勢力=批判精神」が廃れてしまって、この国の将来は本当に大丈夫なのか。
 何とか、「異議あり」を言い続けなければならない

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 拙著立松和平の文学』(A5版360ページ 3500円+税 アーツアンドクラフツ刊)、いよいよ発刊されました。
 是非読んで欲しいと思います。
 ご購入を希望なさる方は、版元(電話03-6272-5207)へ直接ご連絡頂ければ、「3500円+税」が「3000円(送料込み)」となります。
 よろしくお願い致します。
 
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新規まき直し、元気です(5)――拙著の「あとがき」

2016-09-20 11:12:40 | 仕事
 昨日紹介した『立松和平の文学』、どのような経緯から書くようになったのか、その一端を「あとがき」に書いたので、刊行前だが、一人でも多くの人に「立松和平」という作家がどのような人であったのか、僕との関わりはどのようなモノだったのかを知ってもらい、そして拙著を読んでもらいたいという思いから、この欄に掲載することにした。

あとがき(『立松和平の文学』)

 同世代の作家として秘かにその作品を読んでいた立松和平と親しくなったのは、私の最初の本『北村透谷論―天空への渇望』(七九年四月 冬樹社刊)の担当編集者伊藤秋夫さんが、また立松の三冊目の単行本『ブリキの北回帰線』(七八年八月刊)の担当でもあったことによる。五年半務めた小学校の教員を辞めて入学した法政大学大学院(人文科学研究科日本文学専攻)の修士論文が本になるということで、伊藤さんとは何度も何度もお会いし、改稿や手直しを要請されたが、それらの合間に伊藤さんからは立松のそれまでの著作一覧とか、私が読んでいなかった作品のコピーを頂くということがあった。私より一歳年下で立松より一歳年上の伊藤さんとの会話によって、私はあらためて立松と同じ時代を生きているという実感を持つようになった。
 その過程を経て、拙著も刊行され、私は伊藤さんと会話に何度か登場した立松の学生運動(全共闘運動)体験を基にした『光匂い満ちてよ』(七九年)を読み、あの一九七〇年前後の「政治の季節」を共有する同世代作家の三田誠広の『僕って何』(七七年)や星野光徳の『おれたちの熱い季節』(同)、兵藤正俊の『死閒山』(七七年)や『霙の降る光景』(七九年)などの「全共闘記」(一~八)、高城修三の『闇を抱いて戦士たちよ』(七九年)らの作品を集中して読み、私は「全共闘小説の可能性と現実」という四〇枚余りの文章を師の小田切秀雄らが出し始めた「文学的立場」創刊号(一九八〇年夏号)に載せた。そして、翌年には「日常の<修羅>を生きて―立松和平論」(「流動」一九八一年六月号)という初めての「立松和平論」を書き、駆け出しの批評家として少しずつ批評の仕事をするようになった――この拙文は「流動」誌掲載と同時に立松の知るところとなり、「仕事場訪問」という企画で立松に会うことになったとき、立松から開口一番「『流動』の文章、ありがとう」との言葉を貰った――。
 爾来、立松に関わる仕事は、「『青春の輪郭』をえがき続ける」と題して『太陽の王』と『野のはずれの神様』を併せて書評した(「週刊読書人」八二年一〇月二五日号)のを皮切りに、書評を二三本、「序」にも書いたように単行本を『立松和平―疾走する「境界」』(九一年九月 六興出版刊 <増補版>副題を「疾走する文学精神」に代え、九七年一二月 随想舎刊)と、『立松和平伝説』(二〇〇二年六月 河出書房新社刊)の二冊を書き下ろし、その他『人魚の骨―初期作品集1』(九〇年一月 「作品集2」は『つつしみ深く未来へ』は二月 六興出版刊)を編集し、その1に「二十年前に立松和平を語る」という対談を、その2に「疾走する文学精神」と題して解説を書く)や合冊『遠雷』四部作(二〇〇〇年一二月 河出書房新社刊)に「時代の目撃者」と題する解説を書いたりした。さらには文庫の解説も『楽しい貧乏―無頼派作家の青春記』(廣済堂文庫)をはじめ『卵洗い』(講談社文芸文庫)、『光の雨』(新潮文庫)と書き、紀行文集『立松和平 日本を歩く』(全七巻 二〇〇六年四月 勉誠出版刊 各巻に「解説」を執筆)や『立松和平 仏教対談集』(二〇一〇年一二月 アーツアンドクラフツ刊)を編集するなど多岐にわたって行ってきた。
 その意味では、『北村透谷論』から始まり今日に至る四〇年近い私の批評家、近現代文学研究者としての仕事は、まさに作家・立松和平とともにあった、と言っても過言ではない。それ故、立松が逝って五年余り、今でも「文学的盟友」を亡くしたという思いが消えない。というのも、振り返ってみると、私は立松の仕事を「鏡」として自分の文学に関わる諸々(思想や方法)を鍛えてきたと思っているからにほかならない。その意味で、今は立松の新作が読めなくなった現実に私は非常な「寂しさ」を感じているが、その「寂しさ」の裏側には、私自身の文学観(批評眼)を鍛えてくれる立松の新しい作品が読めないからではないか、と時々思うことがある。
思い起こせば、立松も私もあの一九七〇年前後の「政治の季節」を文学的原点(発語の根拠)としてきた作家であり批評家であった。本文にも引いたが、立松は最期まで「僕の精神形成の多くは、七〇年前後の学園闘争におうところが大きい」(「鬱屈と激情」七九年)という気持を手放さない「文学の徒」であった。そうであったが故に、『光の雨』事件(盗作・盗用事件)を起こしながら、青山葬儀場で行われた立松の「お別れ会」には一〇〇〇人を超える友人・知人・関係者が集まったのだろう。これは、立松という作家及びその作品がいかに人々に愛されていたかの証明でもある。そんな立松と出会ってから亡くなるまで、私が一人の批評家として変わらず「作家と批評家」の関係を続けてこられたことを、今では誇りに思っている。
 本書は、「序」にも書いたように、立松が亡くなる直前に第一巻が刊行され、昨年(二〇一五年)の一月に最後の「別巻」が刊行された『立松和平全小説』(全三〇巻+別巻一 勉誠出版刊)の全巻に付した「解説・改題」を書き直したものである。この『全小説』は、生前の立松と何度かその「構成案」を練った末に刊行が始まった小説全集で、立松が生きて小説を書き継ぐ限り「続刊」を出し続ける、全巻の「解説」は私が担当する、という版元との約束の下で刊行が決まったものである。残念ながら刊行が始まってすぐ立松が「死病」に斃れたため、「続刊」は遺作と単行本未収録作品を集めた「別巻」一冊で終わってしまったが、『全小説』の刊行に期待し、第一巻の刊行を喜んでいた立松の顔を思い出すと、六二歳という若さで亡くなった立松の無念を今更ながらに思わないわけにはいかない。
『全小説』の「解説・解題」は、結果的に約一二〇〇枚になったが、本書はその「解説」を約八〇〇枚余に短縮し書き直したものである。一二〇〇枚を八〇〇枚に短縮するというのは、正直大変な作業であった。『全小説』の刊行が終わった直後から、立松の小説やエッセイは元より関係する作家の作品を読み直し、まとまった「作家論」として書き直す作業を始めたのだが、始めた当初はこれほど時間を要するとは思ってもいなかった。もちろん、この一年半という長い時間、本書の執筆に専念していたわけではなく、この間にここ一〇年ほどその在り様や作品内容に不満を持っていた村上春樹を批判した著『村上春樹批判』(二〇一五年四月 アーツアンドクラフツ刊)を上梓するということもあり、また二〇一二年九月から足かけ三年籍を置いた中国(武漢)の華中師範大学外国語学院日本語科大学院の教え子たちに、インターネットを利用して引き続き「論文指導」を行うということなどもあって、結構忙しい日々が送っていた。
 しかし、今は「まとまった立松和平論」としては最後になると思われる本書が、前著や『『1Q84』批判と現代作家論』(二〇一一年)、そして私の初めての紀行見聞集である『葦の髄より中国を覗く―「反日感情」見ると聞くとは大違い』(二〇一四年)を出してくれたアーツアンドクラフツの小島雄社長の尽力で刊行されることに、私としてはほっとし、また大変感謝している。出版不況と言うより「純文学」、とりわけ作家論などの「評論」が極端に売れなくなっている出版情況の下、拙著の刊行を喜んで引き受けてくれた小島社長の英断に、あらためて深甚の感謝の念を捧げたいと思う。
 そして今は、何よりも多くの人が本書を手に取ってくれ、立松文学の「楽しさ」「すばらしさ」「偉大さ」について思いを新たにしてくれることを願うばかりである。
 なお最後に、『北村透谷論』を刊行してから三七年間、幾度となく襲ってきた私の心身共の「危機」をいつも温かく見守ってきてくれた妻に「ありがとう」の言葉を寄せ、この「あとがき」を終わりにしたいと思う。
                                  猛暑の赤城山麓にて   著者
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新規まき直し、元気です(4)――拙著の概要紹介

2016-09-19 10:10:07 | 仕事


 これが、新しい本の装幀です。
 (10月5日刊行 A5版 約350ページ 定価3500円+税 アーツアンドクラフツ刊)
 内容は、以下の通りです。

『立松和平の文学』
<序> 「書くことは生きること」                 15枚
第1章 青春の軌跡――「書くこと」の始まり」            82枚
 <1> 「放浪」から始まる
 <2> 「作家」へ
 <3> 試みの日々――修業時代、そして恋愛・結婚。就職
 <4> 市役所の職員(公務員)の日々
 <5> 「非日常=越境」への渇望
 <6>「日常」からの脱出――異境・与那国島へ
第2章 「脱出」・「旅」への憧憬                  52枚
<1> 「冒険」――「修羅」を内在させつつ
 <2> 何故「ボクシング」なのか。
 <3>再生へ――もう一度「旅・彷徨」へ
 <4>もう一つの「再生」物語
第3章 今ある「私」はどこから来たか――「歴史」への眼差し      47枚
 <1> 「団塊の世代」として
 <2> 「戦後」へ
 <3> 「戊辰戦争」へ――「敗れし者」の鎮魂
 <4>見果てぬ夢
第4章 「足尾」に至り、「足尾」へ                 51枚
 <1> 「鎮魂」から始まる――「足尾」へ
 <2> 父祖の物語
 <3> 近代曙期における「光」
 <4>「田中正造」へのこだわり
 <5>「反権力」という生き方
第5章「境界」を生きる                       90枚
 <1> 「境界」の発見
 <2> 「共同体」の解体から「家族」の解体へ
 <3> 「家族」の解体から「個」の解体へ
 <4>「救済」は可能か
 <5>破壊される農――時代の目撃者として(1)
 <6>「希望」そして「絶望」――時代の目撃者として(二)
第6章 ここより他の場所――「ユートピア」を求めて          95枚
 <1> 「自然」への憧憬
 <2> 越境者たち(1)――「解体」する日常
 <3> 越境者たち(2)――散在する「境界」
 <4>越境者たち(3)――「物語」が生まれる場「周縁」へ
 <5>試みの「ディストピア」――『沈黙都市』の特異性
第7章 学生運動体験を問う――世代の「責任」、そして「再生」     75枚
 <1> あの時代を描く
 <2> 闘いの総括――『今も時だ』から始まる
 <3> 『光の雨』事件・その意味とその後
第8章 「母」・「庶民」・「性」への思い               70枚
 <1>「母」への憧憬――父のいる風景
 <2>「タダの人=庶民」に寄り添う
 <3> 「性=生」の追求
第9章 「もう一つ」の生き方                     58枚
 <1> 都会の中で――『白い空』の世界
 <2> 再度、「日常」を問う
 <3> 「反戦」の可能性――『軍曹かく戦わず』の意味
第10章 「生命」を凝視めて                     72枚
 <1>「自然」の前で「生命」は……――『日高』・『浅間』の世界
<2>「死」と再生――『日光』(『二荒』)論 
<3> 「恋」の行方
<4>「人生のいちばん美しい場所」とは?
<5>「晩年」を意識して
第11章 「救世」と「求道」――「聖徳太子」から『道元禅師』へ     73枚
 <1> 「法隆寺」(金堂修正会(しゅうしょうえ))・「知床」から始まる
 <2> 「救世」――何故、聖徳太子なのか
 <3> 聖徳太子へ、法華経へ
 <4> 求道(求法)
 <5>「救い」
 <6>道元へ
終章 遺されたもの                           25枚
 <1>遺されたもの(一)
 <2>遺されたもの(二)
<あとがき>

 ちょっと高額ですが、版元へ直接「黒古のブログを見た」と言って注文してくだされば、「3000円(郵送料込み)で送ってくれますので、よろしくおねがいいたします
 なお、もしお時間がありましたら、お近くの公共図書館にリクエストして頂ければ幸いです。
 未曾有の「出版不況」の中、僕のような批評家の本が出しにくくなっています。ご協力頂ければ大変嬉しく思います。
                        
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新規まき直し、元気です(3)――いよいよ、ファシズムの足音が……

2016-09-17 09:10:23 | 仕事
 自ら「新規まき直し」と言っておきながら、何故かこのところずっと、この欄の文章を書く気持ちが萎えていた。特別な事情があったわけではない。強いて理由を挙げれば、1年越しの立松和平の文学――書くことは生きることの書き直しが済み、いよいよ出版の目途がついたということがあって、その間ずっと立松和平の文学や生き方をある種の「鏡」として、自分の文学観やこれまでの過ごし方を点検(再検討)する作業に集中してきた結果、「外部」より「内部」に自分の目を注ぐ習慣ができ、そのために「外部」の出来事がどのような意味(本質)を持っているのかを関知する能力が劣化していたのではないか、ということになるだろう。 あるいは、本欄の副題にした「ファシズムの足音」が本当に近づいてきているのではないか、という実感もあり、ではそのような社旗の動向に対して何をすればいいのか、と考え続けてきた、ということもある。
 ただ、弁解じみたことを言わせてもらえれば、『立松和平の文学」の著者校(ゲラ)を見た後、その間に先にも記したように自分の文学観や生き方を見直したということもあって、「3・11フクシマ」が起こってからずっと考えてきた「原発」と「文学表現」との関係――今は、それを次著として「原発文学論」というタイトルで書き下ろそうと考えている――について執筆し始め、現時点では「約150枚」ほど書き(「序章」「第1章 大江健三郎と原発」、第2章「井上光晴の先駆性」が終わり)今も書き続けており、それなりに「充実」した毎日を過ごしてきたということもある。
 もちろん、その間、家庭菜園の方も、雑草の老いすげるままになっていた一画の草を刈り、耕し、昨年秋に二集めておいた落ち葉を20袋ほど蒔き、堆肥を入れ、再び耕し、そこに「大根」2種(たくわん用、おでん用)、ニンジン、レタス、カブ、赤カブ、水菜の種を蒔くというかなりの重労働も行ってきた――最近つくづく思うことは、農業がいかに季節(気温や雨)に左右されるかということと、「種まき」の時期が少しでもずれると収穫量が極端に減少する、ということである――。農業には長年の経験がいかに大切か、今秋の臨時国会でTPPの承認を、と言っている国会議員たち、日本農業の「難しさ」をどれだけ分かっているのか?また、かつて純農村だった我が家が経つ地域、あと4,5年すれば、後継者不足で農地は荒れ放題になるのではないかと言われているが、そのような農業の現実をTPPの締結急ぐ人たちは本当に分かっているのか、そのことについても大いなる疑問がある。
 そんな「我が日常」だが、昨日の沖縄・辺野古沖の新基地建設をめぐる訴訟の判決(九州高等裁判所那覇支部)を聞いて、戦後民主主義(日本国憲法)を支えてきた「三権分立」の構造(思想)が崩壊し、権力(行政府・内閣総理大臣及び与党)が「司法」の独立性を破壊し、現在に日本はまたぞろ「戦前」のような「自由」と「平等」思想が大幅に制限されたファシズム国家になろうとしているのではないか、と危惧の念を強くせざるを得なかった
 自公政権(安倍首相)はどこまで「強圧」的な政治を続けようとしているのか、この国をどこに向かわせようとしているのか。 
 そんな「棄権」名情況にあるというのに、「民進党」の代表選、代表に選ばれたレンホウ氏の「国籍」問題を未だに云々しているのは、どうしたことか。国際化のご時世、この国を少しでもよくしようと言うのであれば、どのような国籍を持っていたっていいではないか。狭量なナショナリズムほど「国の将来」を危うくするものはない。こんな体たらくを見ていると、本気で自公政権と「対決」する気があるのか、心許ないばかりである。
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