この度の東北関東大震災に関して、「天罰だ」などと宣ったどこかの知事とは違って、被災した人たちの大変さを思うと同時に、献身的に救援・救助に尽力した人たちの姿を尊いものだと思う反面、「風評」に惑わされる人々や「パニック」を怖れてなのだろうが「科学(神話)」を前面に押し出してデマゴギーとしか思えない「現状では全く放射能は問題ない」というような宣言や「原子炉は安全に保たれている」などの発言を連発し続けてきた学者(研究者)の存在、及び被害総額1億円にも及ぶという被災地における窃盗団の存在、等を考えると、人間の「醜さ」もまた今度の震災で顕わとなり、「救い」はあるのか、などと暗澹たる思いになる。
中でも、福島第1原発の事故は、今後どのように推移していくのか全く不明ということもあって、頭上を覆った憂鬱な雲は、全く切れ間を見せない。特に、いくつかの点で、怖れていたことが起こりつつあるのではないか、という思いを払拭することができないことに、苛立ちが募る。「心配事」のいくつかとは、以下のことである。
(1)まず第1は、少しずつ(何故、もっと早くから本当のことを言わなかったのか)明らかにな りつつある原子炉本体(核燃料)の溶融(メルト・ダウン)と、それに伴って発生した高濃度放 射能汚染のことである。タービン室に貯まっているとされる高濃度に汚染された水をどう処理す るのか。これまでは、1000ミリシーベルト/h以上というような高濃度に汚染された原発から 廃棄物は、処理場(捨て場)がないからドラム缶に保存するしかなかったのだが、こんどの汚染 水はどうするのか(ここで思い出すのが、東電を盟主とする電気時事業界が渡瀬恒彦とか岡江久 美子などタレントを使って「高濃度放射能汚染廃棄物の処理場」探しをやっていたことである。 これまでも核廃棄物の最終処分場が見つからなかった現実を考えただけでも、現在及び今後の原 発政策は大転換を迫られるのではないか)。
(2)原子炉内のおける炉心溶融(メルト・ダウン)、あるいは核燃料の溶融によって漏れだした 放射能の中に、「プルトニウム」が混じっていたこと(例によって、東電や政府は「人体にただ ちに影響はない」と言っているが)について、現在プルトニウムが核兵器の原料になっているこ とは多くの人の知るところだが、核兵器と原発が「爆発」した場合同じ結果を生むものであると いうことが、今度のプルトニウムの発見(?)によって明らかになったが、このことの重大性に ついて当事者はもちろん学者たちが口を固く結んでいるのは何故か。プルトニウムの恐ろしさ は、要素131やセシウム137の比ではない。
(3)また、プルトニウムについて言えば、3号機が「プルサーマル燃料(MOX燃料=ウランとプル トニウムの混合体)」を使った原子炉であることを隠すような東電(政府・原子力保安員)、あ るいは一部のマスコミの態度は、何故なのか。青森県の六ヶ所村に「核廃棄物処理場(原発から 出る廃棄物=死の灰からプルトニウムを取り出し、保管する施設)」を作り、「次代の核燃料」 としてMOX燃料を使用しなければならないことになり、その結果の福島第1原発3号機他で使用し 始め、その揚げ句の今回の事故、オカルト的な言い方になるが、「人間の傲りを戒める天の神様 の怒り」が今回の事故をもたらした、と言ったら、非難した人たちや出荷停止を命じられた野菜 農家・畜産農家の怒りを買うかも知れない。それでも、原発は危険な存在であり、人間と共存で きない「魔物」なのではないか、と言わざるを得ない。
このことに関して、さらに言えば、MOX燃料の「有効性」や「経済性」を言い募ったり、原発の 安全性を強調してきた「原発推進派」、とりわけ「科学」の名において、原発推進に手を介して きた学者(研究者)の責任は大きいのではないか。人間(地球)の未来を考えたとき、彼らがこ の「フクシマ」以後、原発についてどのように言うのか、注視していきたいと思う。
(4)最後に言いたいのは、何故「フクシマ」と「ヒロシマ・ナガサキ」と結びつけた言説が少な いのか、ということである。同じ「核」被害であり、共通点がたくさんあるにもかかわらず、ほ とんどの人が「ヒロシマ・ナガサキ」(核兵器の被害)と「フクシマ」(原発の被害)との関係 について言及しない。どうしてなのか。あまりにも「共通点」がありすぎるからか、それとも 「被爆国・日本」が世界第3位の原発大国(54基設置、さらに拡大する方針であった)である ことの「矛盾」を衝かれるのを「恥じて」であろうか。いずれにしろ、日本の原子力艦系の研究 者(学者)たちの頭から、「ヒロシマ・ナガサキ」は過去の出来事として、残念ながらすっぽり 抜け落ちているとしか思えない。
以上であるが、細かいことを言えば、まだまだたくさんある。
なお、本日(3月31日)を持って、僕は筑波大学を定年退職となりました。今後は、批評家としての仕事を、思いのままにやっていくつもりです。努々、どなたが心配してくれたように「元筑波大学教授」の肩書きを使って仕事をするようなことはしないつもりです(もちろん、編集者や記者が「勝手に」使うことはあるかも知れませんが、それは僕の責任ではありません)。
このブログの読者の皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。
中でも、福島第1原発の事故は、今後どのように推移していくのか全く不明ということもあって、頭上を覆った憂鬱な雲は、全く切れ間を見せない。特に、いくつかの点で、怖れていたことが起こりつつあるのではないか、という思いを払拭することができないことに、苛立ちが募る。「心配事」のいくつかとは、以下のことである。
(1)まず第1は、少しずつ(何故、もっと早くから本当のことを言わなかったのか)明らかにな りつつある原子炉本体(核燃料)の溶融(メルト・ダウン)と、それに伴って発生した高濃度放 射能汚染のことである。タービン室に貯まっているとされる高濃度に汚染された水をどう処理す るのか。これまでは、1000ミリシーベルト/h以上というような高濃度に汚染された原発から 廃棄物は、処理場(捨て場)がないからドラム缶に保存するしかなかったのだが、こんどの汚染 水はどうするのか(ここで思い出すのが、東電を盟主とする電気時事業界が渡瀬恒彦とか岡江久 美子などタレントを使って「高濃度放射能汚染廃棄物の処理場」探しをやっていたことである。 これまでも核廃棄物の最終処分場が見つからなかった現実を考えただけでも、現在及び今後の原 発政策は大転換を迫られるのではないか)。
(2)原子炉内のおける炉心溶融(メルト・ダウン)、あるいは核燃料の溶融によって漏れだした 放射能の中に、「プルトニウム」が混じっていたこと(例によって、東電や政府は「人体にただ ちに影響はない」と言っているが)について、現在プルトニウムが核兵器の原料になっているこ とは多くの人の知るところだが、核兵器と原発が「爆発」した場合同じ結果を生むものであると いうことが、今度のプルトニウムの発見(?)によって明らかになったが、このことの重大性に ついて当事者はもちろん学者たちが口を固く結んでいるのは何故か。プルトニウムの恐ろしさ は、要素131やセシウム137の比ではない。
(3)また、プルトニウムについて言えば、3号機が「プルサーマル燃料(MOX燃料=ウランとプル トニウムの混合体)」を使った原子炉であることを隠すような東電(政府・原子力保安員)、あ るいは一部のマスコミの態度は、何故なのか。青森県の六ヶ所村に「核廃棄物処理場(原発から 出る廃棄物=死の灰からプルトニウムを取り出し、保管する施設)」を作り、「次代の核燃料」 としてMOX燃料を使用しなければならないことになり、その結果の福島第1原発3号機他で使用し 始め、その揚げ句の今回の事故、オカルト的な言い方になるが、「人間の傲りを戒める天の神様 の怒り」が今回の事故をもたらした、と言ったら、非難した人たちや出荷停止を命じられた野菜 農家・畜産農家の怒りを買うかも知れない。それでも、原発は危険な存在であり、人間と共存で きない「魔物」なのではないか、と言わざるを得ない。
このことに関して、さらに言えば、MOX燃料の「有効性」や「経済性」を言い募ったり、原発の 安全性を強調してきた「原発推進派」、とりわけ「科学」の名において、原発推進に手を介して きた学者(研究者)の責任は大きいのではないか。人間(地球)の未来を考えたとき、彼らがこ の「フクシマ」以後、原発についてどのように言うのか、注視していきたいと思う。
(4)最後に言いたいのは、何故「フクシマ」と「ヒロシマ・ナガサキ」と結びつけた言説が少な いのか、ということである。同じ「核」被害であり、共通点がたくさんあるにもかかわらず、ほ とんどの人が「ヒロシマ・ナガサキ」(核兵器の被害)と「フクシマ」(原発の被害)との関係 について言及しない。どうしてなのか。あまりにも「共通点」がありすぎるからか、それとも 「被爆国・日本」が世界第3位の原発大国(54基設置、さらに拡大する方針であった)である ことの「矛盾」を衝かれるのを「恥じて」であろうか。いずれにしろ、日本の原子力艦系の研究 者(学者)たちの頭から、「ヒロシマ・ナガサキ」は過去の出来事として、残念ながらすっぽり 抜け落ちているとしか思えない。
以上であるが、細かいことを言えば、まだまだたくさんある。
なお、本日(3月31日)を持って、僕は筑波大学を定年退職となりました。今後は、批評家としての仕事を、思いのままにやっていくつもりです。努々、どなたが心配してくれたように「元筑波大学教授」の肩書きを使って仕事をするようなことはしないつもりです(もちろん、編集者や記者が「勝手に」使うことはあるかも知れませんが、それは僕の責任ではありません)。
このブログの読者の皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。