黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

怖れていたことが……(2)

2011-03-31 09:02:06 | 近況
 この度の東北関東大震災に関して、「天罰だ」などと宣ったどこかの知事とは違って、被災した人たちの大変さを思うと同時に、献身的に救援・救助に尽力した人たちの姿を尊いものだと思う反面、「風評」に惑わされる人々や「パニック」を怖れてなのだろうが「科学(神話)」を前面に押し出してデマゴギーとしか思えない「現状では全く放射能は問題ない」というような宣言や「原子炉は安全に保たれている」などの発言を連発し続けてきた学者(研究者)の存在、及び被害総額1億円にも及ぶという被災地における窃盗団の存在、等を考えると、人間の「醜さ」もまた今度の震災で顕わとなり、「救い」はあるのか、などと暗澹たる思いになる。
 中でも、福島第1原発の事故は、今後どのように推移していくのか全く不明ということもあって、頭上を覆った憂鬱な雲は、全く切れ間を見せない。特に、いくつかの点で、怖れていたことが起こりつつあるのではないか、という思いを払拭することができないことに、苛立ちが募る。「心配事」のいくつかとは、以下のことである。
(1)まず第1は、少しずつ(何故、もっと早くから本当のことを言わなかったのか)明らかにな りつつある原子炉本体(核燃料)の溶融(メルト・ダウン)と、それに伴って発生した高濃度放 射能汚染のことである。タービン室に貯まっているとされる高濃度に汚染された水をどう処理す るのか。これまでは、1000ミリシーベルト/h以上というような高濃度に汚染された原発から 廃棄物は、処理場(捨て場)がないからドラム缶に保存するしかなかったのだが、こんどの汚染 水はどうするのか(ここで思い出すのが、東電を盟主とする電気時事業界が渡瀬恒彦とか岡江久 美子などタレントを使って「高濃度放射能汚染廃棄物の処理場」探しをやっていたことである。 これまでも核廃棄物の最終処分場が見つからなかった現実を考えただけでも、現在及び今後の原 発政策は大転換を迫られるのではないか)。
(2)原子炉内のおける炉心溶融(メルト・ダウン)、あるいは核燃料の溶融によって漏れだした 放射能の中に、「プルトニウム」が混じっていたこと(例によって、東電や政府は「人体にただ ちに影響はない」と言っているが)について、現在プルトニウムが核兵器の原料になっているこ とは多くの人の知るところだが、核兵器と原発が「爆発」した場合同じ結果を生むものであると いうことが、今度のプルトニウムの発見(?)によって明らかになったが、このことの重大性に ついて当事者はもちろん学者たちが口を固く結んでいるのは何故か。プルトニウムの恐ろしさ  は、要素131やセシウム137の比ではない。
(3)また、プルトニウムについて言えば、3号機が「プルサーマル燃料(MOX燃料=ウランとプル トニウムの混合体)」を使った原子炉であることを隠すような東電(政府・原子力保安員)、あ るいは一部のマスコミの態度は、何故なのか。青森県の六ヶ所村に「核廃棄物処理場(原発から 出る廃棄物=死の灰からプルトニウムを取り出し、保管する施設)」を作り、「次代の核燃料」 としてMOX燃料を使用しなければならないことになり、その結果の福島第1原発3号機他で使用し 始め、その揚げ句の今回の事故、オカルト的な言い方になるが、「人間の傲りを戒める天の神様 の怒り」が今回の事故をもたらした、と言ったら、非難した人たちや出荷停止を命じられた野菜 農家・畜産農家の怒りを買うかも知れない。それでも、原発は危険な存在であり、人間と共存で きない「魔物」なのではないか、と言わざるを得ない。
  このことに関して、さらに言えば、MOX燃料の「有効性」や「経済性」を言い募ったり、原発の 安全性を強調してきた「原発推進派」、とりわけ「科学」の名において、原発推進に手を介して きた学者(研究者)の責任は大きいのではないか。人間(地球)の未来を考えたとき、彼らがこ の「フクシマ」以後、原発についてどのように言うのか、注視していきたいと思う。
(4)最後に言いたいのは、何故「フクシマ」と「ヒロシマ・ナガサキ」と結びつけた言説が少な いのか、ということである。同じ「核」被害であり、共通点がたくさんあるにもかかわらず、ほ とんどの人が「ヒロシマ・ナガサキ」(核兵器の被害)と「フクシマ」(原発の被害)との関係 について言及しない。どうしてなのか。あまりにも「共通点」がありすぎるからか、それとも  「被爆国・日本」が世界第3位の原発大国(54基設置、さらに拡大する方針であった)である ことの「矛盾」を衝かれるのを「恥じて」であろうか。いずれにしろ、日本の原子力艦系の研究 者(学者)たちの頭から、「ヒロシマ・ナガサキ」は過去の出来事として、残念ながらすっぽり 抜け落ちているとしか思えない。
 以上であるが、細かいことを言えば、まだまだたくさんある。

 なお、本日(3月31日)を持って、僕は筑波大学を定年退職となりました。今後は、批評家としての仕事を、思いのままにやっていくつもりです。努々、どなたが心配してくれたように「元筑波大学教授」の肩書きを使って仕事をするようなことはしないつもりです(もちろん、編集者や記者が「勝手に」使うことはあるかも知れませんが、それは僕の責任ではありません)。
 このブログの読者の皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。

つくばからの引っ越し。

2011-03-28 15:47:43 | 近況
 26日、ようやくガソリンのめどもついたので、懸案だったつくばからの引っ越しを行った。東北・関東大震災とそれに引き続く福島第1原発の事故がなければ、1週間前の19日に予定していた引っ越しだったのだが、周知のガソリン不足で、群馬(前橋)からつくばまで乗用車とトラック2台の往復を考えると、ガソリンの補給が不安であった先週の引っ越しは見送らざるを得なかったのである。
 そのため、母国の家族からの要請で帰国せざるを得なかった大学院留学生の宿舎の引っ越しも、指導教員の「責任」ということで、手伝い(大学院の同級生・既卒者)の都合で同日にやらなければならないことになり、午前中は自分の宿舎の片づけや掃除は家人たちに任せ、もっぱらそちらの方に専念した、幸い、トラックを持って行ったので、留学生にしては多い荷物をトラックに載せ、午前中に片づけたが、震災・津波・原発事故というトリプル災害によって、思わぬ事態になってしまった。
 それにしても、留学生たちの今度の災害に対する対応は素早かった。母国の家族からの督促はもちろん、大使館を通じた本国政府からの要請(要望)に応じて、1週間もしないうちに、留学生の大半は取るものも取らずにという状態で母国へ逃げ帰ってしまった。聞いたところによると、地震が発生し、原発から放射能が漏れたことが報じられた直後の成田-北京の飛行機代は、最高で27万円になり、それでもキャンセル待ちが続出したという。完全にパニックになってしまったのだろうが、何故そのような「恐怖心」を留学生が抱くようになったのか、一考に値する問題なのではないか、と思う。日本人の危機意識と外国人のそれとの違い、興味深かったのは、僕のゼミにウズベキスタンからの留学生がいたのだが、彼女のパニックぶりは僕には全く信じられなかった。旧ソ連時代の「チェルノブイリ」をどのように教わって育ったのかは知らないが、放射能に対する本能的な拒絶感・恐怖心、僕ら日本人は「ヒロシマ・ナガサキ」を経験している割には、外国人に比べて案外「鈍」なのかも知れない。
 そして午後、家人が早起きしてつくった握り飯といなり寿司+卵焼きと鶏の唐揚げ+お新香の昼飯を食べ、本格的に荷物の積み込みをやったのだが、家具など冷蔵庫の他に大きなものがなかったにもかかわらず、やはり本が多かったせいか、意外と大きな荷物になった(因みに、たくさんの人が心配してくれた研究室の本に関しては、地震が起きる2週間前から院生たちに手伝ってもらって大方は片づいていたので、同僚たちのように初段の本が全て飛び出して、足の踏み場がなくなるような事態にはならなかった)。
 夕方の5時過ぎにつくばを出発して、途中で食事をしたが、前橋に着いたのは9時半を回ってしまった。「疲れた」の一言で、風呂に入って早々に寝た。

 しかし、翌朝(昨日)目を覚まし、TVのニュースを見ると、どうも福島原発の事故は僕が予想したとおり「悪い方」へ「悪い方」へと進んでいるようで、今後どう推移していくのか、気になって仕方がなく、つくばからの引っ越しで少しは落ち着くのではないかと思っていたのは、甘い見通しだったのではないか、と今更ながら反省している。実は、こんな大災害が起きなければ、僕の退職記念と40年となる結婚記念をかねて、温泉でも行こうと思っていたのだが、今はそんな「浮かれた」気持ちは全くなく、原発事故の推移を見守り続けていこうと思っている。
 だが、政府・原子力保安院・東電、そして学者たちのの相変わらずの対応(隠蔽・間違い・無反省、等)を見ていると、逆に今度の原発事故がいかに「大事故」であるかがわかる。あれほどの「安全」と言っていたのだから「何とかなるだろう」という楽観論と、いやいや「相当まずい事態になるのではないか」という恐怖心が綯い交ぜになった今の心境(本音)、いつになったら「日常」を取り戻すことができるのか、我ながら「記念すべき時」に退職したものだ、とつくづく感じ入っている今日この頃である。

未曾有の大災害を目の前にして(3)-いくつかの疑問

2011-03-22 09:34:47 | 仕事
 東北関東大震災も発生から10日以上が過ぎ、その被害の甚大さが徐々に明らかになり、「自然の猛威」について改めてその恐ろしさを感得しつつあるが、一方でそんなだ委細額に負けず「復興・復旧」に向けて動き出した被災者や関係者の存在を知り、これもまた改めて「人間」の力の偉大さを痛感している(もちろん、被災者の一人がTVの「今何が一番問題ですか」の質問に答えて「泥棒が横行し始めたことです。お金の管理に気を遣います」と言っていたことの現実を知ると、これまた「人間の卑小さ・いやらしさ」を感じざるを得ない)。
 ともあれ、そんなマスコミ報道に接すると、棚のものが落ち、茶だんすから茶碗や皿が落ち砕け散ったこと、書斎や書棚の本が飛び出したことなど、どうってことない被害」だと思う反面、一昨日あたりから報じられた「群馬産のほうれん草が放射能汚染」などの報に接すると、「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆について、文献や体験談から詳しいその実態を知らされてきたということもあって、心配な気持ちになる。野菜類などはなるべく「地産地消を」と心がけてきたり、小さな家庭菜園で「無農薬・有機栽培」を目指して、まさにほうれん草やネギ、キャベツ、白菜などをつくってきた者としては、さらに心配が重なる心境にある(幸い、先にも記したように、この連休中にジャガイモの種植えをしたのだが、そのために畑に残っていたほうれん草は全て収穫した後だった)。
 だが、この野菜類の放射能汚染の報道に際してもわからない(疑問に思う)ことがあるのだが、福島原発が事故を起こしてからずっと疑問だったことの一つに、水素爆発を起こしたり(その爆発力のすごさについては、1メートル余りのコンクリートの壁をあれほど吹き飛ばしてしまったところに見ることができる)、建屋内で火災が起こったりして、「飛び散った」という瓦礫が何故「400ミリシーベルト」とか「100ミリシーベルト」とかの高濃度に放射能汚染しているのか、ということがある。普通ののブルトーザーなどでは処理しきれず、自衛隊の放射能対応の戦車で処理しなければならない高濃度汚染瓦礫が、何故できてしまったのか。「素人」考えかも知れないが、水素爆発が起こる前に、地震と津波によって原発施設全体が破壊され、建屋内に放射能が充満していて、建屋のコンクリートやその他の破壊物が高度の放射能汚染されていたのではないか。だからこそ、建屋付近や瓦礫から高濃度の放射線が検出された現場で、東電社員(報道では「協力会社の社員」などと言っているが、要するに「現場」に一番詳しい「下請け会社」の社員と言うことだろう)はもちろん、自衛隊員や消防庁職員、警察官たちが、放射能汚染との「戦い」という危険な作業を強いられることになったのではないか。(昨夜の東電の発表に拠れば、海中に放出された海水から「異常」に高濃度の要素131やその他の放射の物質が検出されたということだが、これも福島第一原発の1~4号機全体が高濃度の放射能に汚染されていることの証拠なのではないか、と思う)。群馬などの福島原発から100キロ以上離れている地まで放射能が飛来しているのも、「水素爆発や原発火災が、単なる水素爆発や火災ではなく、放射能の固まりである「使用済み核燃料棒」や、もしかしたら高濃度に放射能汚染されている圧力容器が破損したからではないか、と思えてならないが、どうだろうか。
 さらに、このことに関して疑問を呈しておけば、TVや新聞に登場する「原子力学者」や「放射能研究者」たちは、口をそろえて「原子炉は破壊されていない」「原子炉は安全」と言い、誰一人「原子炉は破壊されているのではないか」とは言わない。そして、燃料棒の「損傷」の可能性については、小さな声で「その可能性はある」と言いながら、「炉心溶融」の可能性については言及しないのは、何故か。
 もう一つ、元に戻って、野菜の放射能汚染について、「危険かも知れないから、出荷停止」の処置(命令)を行いながら、「直ちに人体に危険はない」という政府(マスコミ)の対応、何故こんな矛盾したことが罷り通るのか。「風評被害」の怖さや危険性を警告しながら、「危険性があるから出荷停止」と言い、「しかし、人体には直ちに影響はない」と公表する政府(マスコミ)の在り方、この狭い日本では何処にも逃げ場がないから、そのような矛盾したことを平気で言うのかも知れないが、こんな政府の態度が国民の「風評」をさらに加速させるのではないか。それにしても笑ってしまったのは、某国立大学の准教授が「現在の汚染程度なら300年毎日ほうれん草を食べ続けていても何ら人体に影響が出ない」と何度も何度も言っていたことである。「科学的」には、その某准教授の言うとおりなのかも知れないが、「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者が、この65年間どんな思いで過ごしてきたのかを想像すれば、吉本隆明の「理論的には核廃棄物の宇宙廃棄は可能だ」というのと同じぐらい、全くリアリティに欠ける発言だと言わなければならない。
 また、

未曾有の大災害に直面して(2)

2011-03-20 17:24:09 | 近況
 今日(20日)の午後のニュースで、福島原発の事故処理が一応(報道を信じる限りにおいて)「良い」方向に向かっているのではないか、ということで、ちょっとだけ安心感を得た。しかし、一方で、福島産の牛乳(原乳)や茨城産のほうれん草が基準値の数倍の放射能に汚染されていることが発表され、あまつさえ僕が暮らしている前橋市の水道水からもセシウムなどの放射能が感知されたという報道に接すると、長いスパンで考えて、本当に東北や関東の放射能汚染は、TVのコメンテーター(急遽呼び出された原子力科学者や放射能研究者、等)が言うように「人体に影響がない程度」なのか、気になって仕方がない。
 ヒロシマ・ナガサキの「被爆者」の中に、「入市被爆者」というのが存在する。原爆によって直接放射能を浴びた人たちではなく、「救援隊」や「関係者捜し」などによって、被爆後の広島市や長崎市に入っていった人たちのことで、当時は厳密な意味での放射能測定が行われていなかったから、どの程度の放射能が広島市や長崎市に残っていたのか不明だが、後に「被爆者」として「原爆病」(別名「ぶらぶら病」:体がだるく、何をするにも気力が沸かず、体力もなくなって、ただぶらぶらしているしかできなくなってしまう病気)に患ったり、年をとって白血病や癌死する割合が高い状態になる「入市被爆者」たちの存在を考えると、今度の福島原発の事故によって、どのような「被曝者」が出てくるのか、全く予断を許さないのではないか、と思う。
 僕は、この種の「危険」に関して過剰に反応し過ぎではないか、とも思うが、もう一方で将来に禍根を残さないためにも「過剰反応」は必要なのではないか、と思っている。僕のように「過剰反応」する人間が多くなればなるほど、原発推進派の跳梁を牽制し、将来の「危険」に対してそれだけ減少化への力になるのではないか、とも思っている。
 それとは別に、今度の福島原発の事故に際して思ったのは、資本制社会の中においては、どのような「公共性」を備えた企業(東電のような)でも、当たり前のことかも知れないが、「利潤=儲け」を最優先するものだ、と思い知らされたということがある。原発の事故が報道され始めた頃、あれほど「何重もの安全装置」を備えて、絶対に「暴走しない=大事故にならない」と言っていた東電が、東北・関東大地震に伴う大津波によって「緊急冷却装置」を稼働させるはずのディーゼル・エンジン(ポンプ)」が流され、使い物にならなくなっていたことを、何故公表しなかったのか。また、何故原子炉や使用済み核燃料保管プールの発熱(結果的に「水素爆発」を誘発した)について、最初から「海水」を使おうとしなかったのか(「真水」を使用する前提のポンプが壊れていたのも関わらず、である)。「海水」を使えば、二度と福島第一原発は二度と使えず、「廃炉」にするしかなくなるからなのだろうが、それではあまりに「人間」(周辺住民を中心に)の存在を軽視することになりはしないか。
 生まれなかった子供の年を数えても仕方がないのかも知れないが、一企業(東電)の「営利」を最優先させる初期意識(行動)が、今度の原発事故の原因・遠因になっているとしたら、それは人間存在に対する「裏切り」であり、二度と起こってはならないことなのではないか、インモラルとは、このようなことを言うのだ、ときちんと言っていっておいた方がいいのではないか、と思う。
というのも、「東北・関東大震災」や福島原発のレベル5」という大事故という未曾有の大災害の被害の最中であるが故に、「こんな時に……」という批判があるのを承知で、和知れないためにも「利潤追求」一辺倒の「企業論理・倫理」について批判しておかなければならないのではないか、と思うからである。
 それは、資本制社会に生きる僕らは、何らかの形でその「資本制」の在り方に荷担していて、その現実から逃げる訳にはいかないからでもある。国立大学の教師としても、また批評家として(相当少ない原稿量や印税)としても、この資本制社会の元で「お金」をもらって生活している現実から免れるわけにはいかず、そうであるが故にまたそのような社会の在り方に対して「批判」をしていかなければならないのである。

 しかし、このような「危機的状況」を淡々と受け入れるのは、相当難しいことも今日感じた。「ジャガイモの種植えはお彼岸前後」というこの地の言い伝え通り、ガソリン不足のため外出のままならないので恒例のジャガイモの種植えを、「土作り」が住んでいた家庭菜園で(放射能のことを気にしながら)行ったのだが、終わった後、やはり放射能のことが気になって仕方がなかった。そして、正直に言って、官房長官や原子力学者たちの「人体に影響がない」という言葉をその時ばかりは信じたい、という気持ちになった。これが、一庶民の偽らざる感情なのかも知れないが、悲しい現実でもあることも思い知った。そのようにアンビバレンスな(引き裂かれた)状態を生きるのが僕らだとしたら、それはあまりにも悲しいが、……。

未曾有の大災害に直面して

2011-03-18 15:59:49 | 近況
 今、僕らが目の前にしていることは、人類が「近代」を迎えて以来の未曾有の出来事である、と言っていいかもしれない。未だ災害の全貌、犠牲の全体がわかっていない状態の中で即断することはできないが、マグニチュード9.0の大地震に加えて、10メートルを超す大津波が沿岸各所を遅い、それに伴って、「核」に関心を寄せる多くの学者や人々からその危険性を指摘されていた原発で大事故(「事象」などと言うレベルではない)が起こったという事実。まさにこの出来事は、かつて「阪神淡路大震災」を経験した作家の小田実が「思想的問題」だと言い、あの村上春樹さえ自分の作風を「デタッチメント(社会的無関心)」から「コミットメント(関わり)」へと転換せざるを得ない、と公言した同じ「大震災」以上の経験を僕らに強いているのではないか、と思わざるを得ない。
 前にも書いたように、この事態を目の前にして、僕は一人の知識人(批評家・大学教師)として、その持つ意味について、もとより地震学者でも津波学者でもないが、「核」や原爆文学についてこれまでにも繰り返し発言してきた者であると同時に「体験している者」として、考えなければいけないのではないか、と思っている。
 そんな僕が、当事者ではないが、傍観者であり続けることはある種の「罪」なのではないか、と考えるのも、この間まったく「無責任」な言動が、罷り通っているように思えてならないからに他ならない。まず、その筆頭は、前言を翻して都知事選に出馬すると言明した(性懲りもなく懇願されたからと言う形を整えて最終の「後出しじゃんけん」という手法を使ったその姑息なやり方も、文学者とは思えないずるいものであるが……)石原慎太郎の「天罰」発言である。東北関東大震災が起こったのは「我欲」ばかり考えてきた日本人に「天罰」が当たったのだ、という趣旨の発言、これが首都を預かる人間の発言なのか、と思えるような暴論であるが、「自然災害」「天災」に対して「天罰が当たったのだ」というように考える人間の精神構造は、「唯我独尊」「傲慢」としか思えない。東京新聞か朝日新聞の「声」欄に、「石原氏こそ<我欲>の固まりだ」という趣旨の文章が寄せられていたが、全くその通りだとしか思われない。目立ちたがり屋で、弱者に対する「思いやり」など全く考えず、差別主義者としかいえない「権力」亡者の石原慎太郎も、78歳という年齢を考えれば、そろそろ引退だろうと思っていたのに「都知事選に再出馬する」と言い、そのあげくの「天罰」発言、もしこのような「我欲」に固まった人間がもう一度都知事選になるというようなことがあったら、よほど東京都民は「おかしい」のではないか、と思う。
 石原慎太郎は、福島原発の事故についても「天罰」(こちらの事故の方が僕は科学を信じ「安全神話を信じた(ふりをした者も多い)人間に対して、「天罰」という言葉がふさわしいのではないか、と思っている)と言うのだろうか。
 それともう一つ、プロ野球を牛耳っている(のではないか、と傍目には思える)読売新聞会長(?)であり読売ジャイアンツのオーナー的存在である渡辺恒雄が、プロ野球セリーグの開幕を25日に決めた(しかも、この電力事情なのに全試合ナイターで行うという、馬鹿か!)ことについて、「当たり前だ」「関係ない」というようなことを言っていたこと、ここまで来ると渡辺氏に対しては「老害」としか言えないが、プロ野球を楽しんできた庶民が「計画停電」で、勤務先からの帰宅もままならない状態にあり、家に帰っても「停電」のため寒い夜を過ごさなければならない状態について、どれだけ考えているのか。
 石原慎太郎にしても渡辺恒雄にしても、人間にとって最も大切な「想像力」が欠如していることに変わりない。そのような人間が、斯界のトップにいるという日本、本当にどうなっているのか、と思わざるを得ない。

核の暴威の前に、僕らは何もできないのか?

2011-03-17 10:00:31 | 近況
 ここ2,3日、最後の教え子となる外国人留学生や研究者(中国、トルコ、ウズベキスタン)のことに関する対応で、てんてこ舞いであった。
 彼らは、福島原発の事故を知った母国の家族や大使館からいち早く「危険な日本から、すぐに帰国しなさい」との連絡を受け、急遽大使館や大学に連絡して(中には大学に連絡する暇もない人もいた)、借りていた宿舎などはそのままにとりあえず帰国することになったということで、僕の方にも連絡があり、大学の担当に確認したり通知したり、ということで大変だったのである。
 彼らからの連絡によると、僕らが国内で思っているより、情報量が少ないということもあって、福島原発の事故は大々的に報じられているようで、今にも命の危険にさらされるような論調が主で、それによって心配を増幅した家族が帰国を促す(強いる)という事情があったように思われる。もっとも、ウズベキスタンにしろトルコにしろ、家族の者たちは1986年に起こった世界最大のチェルノブイリ原発事故を覚えている人が多く、それだけ日本人より切実感があるのかも知れない。
 それにしても、福島原発の事故に対する政府・東電・学者たち(マスコミ登場の)による言説には、辟易させられる。果たして「情報操作」が行われているのかどうかはわからないが、相変わらず「この数値では、安全だ」とか、「今度の事故はチェルノブイリとは原発の構造が違うから、チェルノブイリのようにはならない」とか、「今のような手だてをしていれば、大丈夫だ」とか、いろいろ「原発安全神話」を守ろうとするような言説ばかりを垂れ流していて、核の暴走(制御不能になった時、何が起こるかわからない」がもたらす危険性について、何も言わないというのは、あまりにもおかしなこと、と言わなければならない。
 そんなマスコミ報道の状況の中にあって、僕が最も「真実」なのではないかと思ったのは、事故の初期の段階(第1号炉が水素爆発し、第3号炉が同じような状況になったとき)で、東電社員が「全員待避」を考えたということである。現場で日々原発の危険性に直面している東電社員が「待避」しようとしたのは、よほど今度の事故が大変なものになると思ったからではないか。菅首相は、「覚悟して、対処せよ」と言ったということだが、「覚悟した対処」しても、その後第2号炉、第4号炉と次々と爆発したり火事を起こしたりして、「未曾有の大事故」になりつつあることを思うと、「覚悟」して現場で必死に働いている東電社員(下請けも入っているのだろう)、自衛隊員、警察官の心中は如何なるものであるか、胸が痛む。彼らの「危険」を察知する能力こそ、最も信頼できる「情報」なのではないか。このブログにコメントを寄せてくれた「Max Weber」氏のように、過去や現在の言説を批判するより、自分たちに何ができるかを考えるべきだ、と言えるような心理には、とうていならない。原発事故に関してだけではなく、地震や津波被害に対して何ができるのだろうか、と考え、とりあえず被災地(者)に「義捐金」を送る以外に僕らができることは、ヴォランティアとして被災地に入っていくことも考えられるが、関係者に電話で無事を確認し合うことぐらいなのではないか。無力感をつくづく思い知らされているばかりである。
 だからこそ、一介の文筆家として、あるいは大学教師として、自分のできる範囲で(僕は、原爆文学や核に対して発言してきた批評家としての責任を思い)、政府やマスコミの「いい加減さ」(彼らなりに真剣なのだろうが)や「嘘」を僕の視点から明らかにする必要があるのではないか、と思っている。例えば、現在は明らかになっているが、原発が「暴走」し始めた当初、僕は原発の「安全神話」の要になっている「緊急冷却装置」(ディーゼル・エンジンによって作動する)がなぜ働かないのか、疑問に思っていたのだが、動力源の重油が津波によって流され、エンジンも破損した、とは誰も言っていなかったのは、何故か。「原子力学者なら、真っ先にそのことに触れるべきなのに、「大丈夫・安全だ」とばかり言って、何故「緊急冷却装置」が稼働しなかったのか、誰も言及しなかったのは、それらが津波によって流された(破損させられ使えなくなった)という「情報」が隠蔽されていたからではなかったか。
 同じようなことが、一部のマスコミでは言及されていたが、第3号炉が「MOX燃料」(ウランと放射能物質のうち最も危険な物質と言われているプルトニュウムとを複合したもの)を使った原子炉であることにも、TVに登場する原子力関係の学者たちは誰一人言及しない、ということがある。もし、プルトニュウムが外に漏れだしたら、チェルノブイリどころの話しではなくなる。パニックを怖れて、そのような「事実・真実」を明らかにしないのであれば、僕らはとんでもない管理社会に生きていることになるのではないか。そのことを思うと、どんな小さなことでも伝え合うことが大切なのではないか、と痛切に思う。
 因みに、「Max Weber」氏は、どのような形で、今度の「未曾有の災害」に関わろうとしているのか、いい知恵があったら、教えて欲しいと思う。

怖れていたことが……

2011-03-15 09:57:25 | 文学
 「東北・関東大地震」が起こって5日目、その被害の大きさが次第に明らかになりつつあり、いかに現代文明の下で生きる人間の生活が「自然の猛威」に対して無力であるか、を思い知らされつつあるが、大地震が起こったときから懸念していた(怖れていた)「福島第1原子力発電所」(第2も)で稼働していた3基の原発が<暴走>(という言葉をマスコミや関係者は使っていないが、報道を見た限りでも明らかに<暴走>過程に入っているのではないか、と僕は思っている)し始めた。
 今後どうなるのか。マスコミは盛んにチェルノブイリのようにはならない、と言っているが、果たしてその通りになるか(僕もチェルノブイリ化しないことを願っているが)。1979年にアメリカのスリーマイル島で起こった程度(炉心溶融は起こったが、原発爆発には至らず、犠牲者は少なかった)で収まればいいなと思っているが、どうなることだか。
 ただ、確実に言えることは、改めて「原発は危険なものであり、人間存在と敵対するものである」ことを私たちは認識させられたということである。言い方を換えれば、電力会社や政府、あるいは体制的な学者たち(総じて言えば、「原発推進派」)が言い募ってきた「原発の安全神話」は、この福島原発の事故によって、もろくも崩れ去ったということである。つまり、チェルノブイリ原発の事故が起こった時、原発推進派は口をそろえて「日本の原発は、チェルノブイリと方式が違う」とか、「安全意識や装置が異なる」とか言っていたが、それらがいかに「嘘」であったか、が明らかになったということである。
 それについても思い出されるのが、ある学会でで同席していた公害学者の故宇井純さんが「技術に100パーセントということはない。科学者(技術者)は技術的な面において95パーセント以上達成されていれば、それを100パーセントと言って、製品化=工業化する」が言っていたことである。宇井さんは、その学会では水俣病に関して発言したのであるが、この「技術100パーセント」論は原発を例にして話されたことである。「技術=科学に100パーセント完全」と言うことがない限り、「原発の安全神話」は成り立たない、という趣旨であった。このどの事故が起こって、冷却水の注入などができない、と言うような報道に接すると、宇井さんの言葉の正しさが証明されたという思いがすると同時に、僕らが易々と「原発の安全神話」と乗ってしまって生活してきたことの恐ろしさを、またまた思わないわけにはいかない。
 もう一つ、これは宇井さんとは逆の意味であるが、1980年代の初めに「文学の反核運動」というものが始まったとき、吉本隆明(若い人たちのために注を入れておけば、「よしもとばなな」の父親である)が反核派(僕もその一人)を批判する際に使った言葉を思い出す。それは、いかに吉本が「科学万能主義(科学神話)」に囚われた愚論・珍論を展開していたかの証言でもあるので、「古証文」になるかも知れないが、その愚論・珍論の一端を書き記しておく。
その1:「『反原発』という場合の『核』は核エネルギーの利用開発の問題を本質とする。かりに  『政治』がからんでくる場合でも、あくまでも取り扱い手段をめぐる政治的な闘争で、核エネ  ルギーそのものにたいする闘争ではない。核責任論の問題は、石油、石炭からは次元のすすん  だ物質エネルギーを科学が解放したことを問題の本質とする」
その2:「自然科学的な『本質』からいえば、科学が『核』エネルギーを解放したということは、  即時的に『核』エネルギーの統御(可能性9を獲得したと同義である。また物質の起源であ   る宇宙の構造の解明に一歩進めたことを意味する。これが『核』エネルギーに対する『本質』  的な認識である。
その3:「宇宙はあらゆる種類と段階の放射能物質と、物質構成の素粒子である放射線とに充ち満  ちている。半衰期がどんな長かろうと短かろうと、放射性物質の宇宙廃棄(還元)は、原理的  にはまったく自在なのだ。
 書き写していて、今更ながら愚論・珍論だと思わないわけにはいかないが、このような「原発容認理論」を展開した吉本隆明は、今日の事態をどのように見ているのか、是非とも意見を聞きたいものである。
 
 ともかく、最悪の事態にならないよう祈るばかりである。そして、今回の事態を教訓として、原発に頼らないければならない現代文明の在り方をもう一度考え直すいい機会にすべきである。
 今は、パラドクスにしかならないが、原発技術者(科学者)たちの技術を頼りにするしかない、そんな心境である。

無事でした。

2011-03-12 16:43:18 | 近況
 もう、びっくりでした。でも、僕たちは無事で、元気にしています。
 今度の地震は、これまでに一度も経験したことのない揺れで、茶だんすからは皿や茶碗が落下し、花瓶は倒れ、額は落ち、書斎と書庫の本棚から本が飛び出し、足の踏み場もない状態になりました。近所の家では瓦が落ち、大変な状態になっているとのことでした。夕方近く消防自動車が2台来たので、どうしたのか聞いたら、「黒古さんの家の近くでつぶれた家がある」というので出動したとのこと、瓦の落ちた家の人が心配して電話したようで、大騒ぎでした。
 地震直後から停電になり、電話(固定も携帯も)は不通になり、昼間は良かったのですが、夜は深々と寒さがつのり、つらい時間を過ごしました。ただ、幸いガスと水道は無事だったので、簡単な食事はでき、コーヒーも飲めました。
 午前3時過ぎに電気が通るようになり、ようやく寒さから解放されました。しかし、TVからのニュースでこの地震がかつて無い大きなものだったことがわかり、関係者(次女の相手の実家)が盛岡にいるので、夜中ではあったが連絡し、無事を確かめ、朝から片づけを始めたのだが、次々と兄弟や知り合いから電話が入り、と同時にこちらからもつくばに住む学生や院生(留学生)に電話するのだが、なかなか通じないでイライラが募り、という状態になった(メールは夜中の12時頃から通じるようになり、東京にいる次女や家人の知り合いにはメールで無事を確認しあったのだが、学生や院生のメール・アドレスを知らず、難儀した。因みに、書斎のPCは書類や本に埋もれていて、机に行き着くまでに相当時間がかかると予想されたので、PCを起動する考えには至らなかった)。
 ともかく、本を書棚に戻すことをまず考え作業したのだが、散乱しているのでどれを何処に戻せばいいのか、面倒くさいので手当たり次第とりあえず近くの書棚に戻すことにした。だが、考えてみると、これからのことを考えると、何が何処にあるかまた覚えなければならず、そのことを思うと絶望的にもなったのだが、ともかく整理しないと切羽詰まった仕事もあるので困ることになると思い、必死だった。
 ということで、ようやく書斎を片づけてPCを動かしたら、何人もの人から無事を問うメールが入っていたので、もしかしたら僕が考えているより多くの人が心配してくれているのではないかと思い、これを書いている次第です。
 大学や研究室の方はどうなっているのかわかりませんが、ようやく連絡が取れた院生の報告では壁にひびが入っているとか、停電でエレベーターも動かず、書棚の本が散乱しているとか、という状態になっている、ということです。宿舎の部屋もどうなっているのか心配なので、すぐにつくばに行かなければならないのですが、こちらも心配な状況は変わらず、まだまだ点検・整理しなければならない状況で、2,3日は動きが取れないかも知れない。
 と、ここまで書いて居間のTVを見たら福島第1・第2原発が大変なことになっている、と報道していた。原発の危険性については、「原爆文学」との関係で繰り返し僕も言ってきたことだがそれが現実になるとは、恐ろしいこと(炉心溶融、など)が起きなければいいのだが……。
 ともかく、無事ですから、心配しないでください。

引っ越し中です。

2011-03-11 05:45:40 | 仕事
 最終講義が終わって、その後最後の学生になる院生の「博士論文最終審査委員会」があり、少しばかりほっとして送られてきた本を読んでいたら、何やら尻に火がついた感じで、借りていた宿舎の明け渡しの手続き、及び研究室の掃除(引き払い)と月末まで慌ただしい日々が続くことがわかり、先週からあたふたしている。
 特に、研究室の引き払いは、まず研究費で購入した書籍(図書館から借りている形になっている)や器具(PC等)などの返還(廃棄)とゼミ生や院生のために持ち込んだ自分の本とを別ける作業から始まり、保管していた書類(その時は必要だと思ったのに、大半は必要ないものになっていた)を廃棄・溶解するものとゴミとして処理するものに別け、という具合に進んだのだが、その量が思いの外多く、院生二人に手伝ってもらって、4日間かかってしまった(まだ全部が終わっていない)。結果、図書館に返還した書籍とは別に自分の本が段ボール箱に10個+?個となり、使えなくなったもの(故障したものが大半)を含めて全ての機器は「廃棄処分」の手続きをして、まだ使わなければならない研究室のPC1台を除き、全て処分する作業を行った。
 授業も学期末試験も終わり、ふんだんとは違って静かな研究棟で埃にまみれながら黙々と作業していると、この18年間が思い出され、それはそれで感慨深いものもあったのだが、古い書類などからは、この18年間が必ずしも楽しいばかりでなかったことも思い知らされた。特に、150人を超えるゼミ生(現在は、最大6人という制限があるが、5,6年前まで無制限で、僕のところは毎年5~10人ゼミ生がいた)が書いた卒論をひっくり返していた時には、もうすっかり名前も忘れていたような学生も含めて一人一人のことが思い出され、今どうしているのだろうか、と思わざるを得なかった。単に不足で卒業が危ぶまれた学生や、嘘ばかりついてゼミをサボり続けた学生、全く他のゼミ生とうち解けなかった学生、精神的に追いつめられて「大嫌いだ」と叫んで卒業していった学生、等々、卒論を見ていると思い出は尽きなかったのだが、概して言えることは、大学という「知」の装置は、結局多くの者にとって「通過地点」でしかなく、大学教師もその通過地点で出会った一人の「大人」でしかなかったのではないか、ということである。
 そこで考えさせられたことは、僕が批評活動において考え続けてきたテーマの一つでもある「関係」に他ならなかった。いずれこのことについて書くこともあると思うが、最近マスコミで騒がれている「無縁社会」ということの一端を見せられた、とだけ言っておきたい。
 しかし、疲れた。
 なお、このブログを読んでいる卒業生(元ゼミ生)で、もし僕(研究室)から本を借りたままになっている人がいたら、何らかの形で返してもらいたいのですが(全集などの一部が欠けていたり、明らかに返してもらっていないと記憶にある本、等が何冊かある。その中には貴重なものをあるので、忘れていたら早急に返してください)、よろしくお願いしたい。僕の管理能力不足がそのような事態を引き起こしたのだが、ちょっとつらい思い出につながっているものも多いので、是非よろしく。