黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

どこかがおかしい

2007-11-30 09:42:50 | 近況
 昨日、近所に住む退職してから百姓に復帰したおじさんから声をかけられ、野菜をもらいに行った。ほうれん草、白菜、大根、にんじん、ネギを、それこそ段ボール箱に入りきれないほど頂いてきたのだが、その時、ネギの出荷準備をしていたおじさんと少し話をした。
 今はネギが高値で取引されているので、朝から晩まで毎日数十キロのネギを出荷するため、その準備作業に追われているということであったが、その作業を見ていて、おじさんも言っていたことだが、青い部分を3枚残し、太さもある一定の基準があるために、それ以外の部分を全部はぎ取り、また長さも決まっているので、おいしそうな青い部分を惜しげもなく切り落とさなければならない、というのは「おかしい」、と思わざるを得なかった。僕ら消費者の側からすれば、少し手間がかかるが、泥付きのネギの方が丸ごと味わえて歓迎したいのに、どこでどう誰が考えたのか、皮をむき、太さと長さもそろえないと「商品」として扱って貰えない、という不思議な現象(もちろん、泥付きのネギも八百屋さんでは売っているが、皮をむいた「白いネギ」の何分のいくつかの値段で売られ、余程でないと消費者が買わないという)、僕らの感覚がどこかでマヒしているのではないか、そのような感覚を育てたこの社会そのものも、深いところで「病」に冒されているのではないかと思わざるを得ない。
 この「病」は、昨日逮捕された元防衛省事務次官夫婦が、出入りの業者から十数回のゴルフ旅行の接待を受けて、それをおかしいと感じなかったという感覚に通底しているのではないか、と思わざるを得ない。出入り業者からの接待というものが、「無償」などということは絶対になく、必ず「利権」がらみ、「利益供与」がらみであることを、何故理解できなかったのか。否、たぶんそのことは十分に承知していながら、権力の頂点に立つと「何でもできる」と錯覚してしまい、自分の立場も収入(給料)も国民の税金によって保証されていることを忘れてしまい、その結果平然と業者からの「接待=賄賂」を受けることを当たり前と思ってしまったのだろう。
 このことは、安倍前首相がマスコミが騒ぎ立てた「国民的人気」を頼りに、ネオ・ファシスト(ネオ・ナショナリスト)の本領を発揮して、教育基本法を改悪し、憲法も改悪しようとしながら、そのような「過激」を好まない国民=庶民(タダの人)の反撃にあって、ついには政権を投げ出さざるを得なかった構図と、実は相似形であるということを僕らはよくよく認識しなければ行けないのではないか、と思う。「権力」というものの恐ろしさ、そのことへの畏れを持たない者は、本来「権力」を持ってはいけないのである。そのことを、みんな忘れている。
 もう一つ防衛小問題に通底していると思われる話がある。2日前、久し振りに古くからの知り合いである県立図書館長(民間出身)と昼飯を食べながら話をしたのだが、彼は仕事柄よく講演を頼まれて図書館のことや本のこと、「情報」について話すことがあるのだが、先日ある私立大学の「情報」系の学生の前で「図書館と情報」という大で話をし、本を読むことの大切さを強調したが、全く反応が鈍かった、後で感想を聞くと「情報」系の学生なのに、全く本を読まない学生が多いとのこと、それらに彼はびっくりしていて、「黒古さんなど、大学でどうなの?」と聞いてきたのである。僕も「基本的には同じだよ」と答えたのだが、「情報」を技術の側面でしか考えていない人たちが急増しているのではないか、つまり「情報」を手に入れることには(技術的に)長けていても、「情報を読む」ことができない若者たち、彼らは「情報を読む」ことができないから、香川の事件や防衛省問題についても、「ふうん、自分には関係ないわ」と言って済ませてしまうのである。
 「おかしい」ことを「おかしい」と感じる感受性が鈍くなっているのか、ともかく「怒り」を忘れた若者たち、これからこの国はどうなっていくのだろうか?
 

希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず(2)

2007-11-29 06:45:48 | 文学
 今から30年近く前、「アンガージュマンの文学」から「「虚無(ニヒリズム)の文学」への軌跡を見事に辿った開高健が、かつてサルトルが世界の文学者に向かって発した「飢えた子供の前で文学は可能か?」という問いと同じような問いを、高度経済成長に酔いしれていた日本の文学者に向けて発したことがあった。日本で「飢えた子供」がなくなりつつあった時代に、敢えてそのような問いを発した開高健の意図、つまり文学と社会や時代との関係を忘れつつあった日本の文学者(小説家、詩人、批評家たち)たちに対して、もう一度文学の「原点」に立ち返って考えなくてはいけないのではないか、をどれだけ当時の文学者が理解したかは不明だが、昨日の「東京新聞」の大江健三郎の発言(「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」)を読んで、今こそ開高健(サルトル)の問いについて真剣に考えるべきではないか、と思った。それは、現代が「希望」も「絶望」も輪郭をはっきりさせない「のっぺらぼう」な時代で、それ故の不気味さを懐胎してると思われるからに他ならない。
 そして誰からか今そのような問いが僕に発せられたとしたら、どのように答えるだろうか、と考えた。その答えは、「文学の社会的有用性については確信しているが、現在の文学状況は必ずしも有効にその機能を発揮していない。その意味では、飢えた子供の前で文学は可能というわけではない」という風に考えるしかないのではないか、であった。しかし、それでも何故文学に固執しているのかといえば、それはやはり「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」をささやかではあるが実践してきたからではないか、とも思った。具体的にいえば、数は定かではないが(2000~3000人ぐらいかな?)、少なくとも僕の書いた本や文章を読んでくださる、あるいは歓迎してくださる「読者」に向けて、少数派であることを承知で、僕なりのメッセージを出し続けていく、そのことの大切さを忘れることなく仕事を続けてきた、ということである。
 とは言え、例えば、香川県で起きた祖母と二人の幼女が殺害された事件、昨日このブログにコメントを寄せてくれた人は「たいしたことない」という考えを披露してくれたが、借金が理由で募らせた「恨み」が殺人にまでエスカレートしてしまうその現代人のメンタリティーには、正直言って参ってしまう。特に、幼女二人を何故巻き込んでしまったのか、追い詰められ容疑者は「絶望」的・自暴自棄になってしまって、あのような凶行に及んだのだろうが、僕には「たいしたことない」とは到底言えない。7年前、アメリカで半年ほど生活することが決まったとき、友人・知人たちが口をそろえてアドバイスしてくれたのは、「アメリカは10ドルでも人を殺す国だから、気を付けろ」というものであった。それが現代の日本では、数百万円のお金で殺人を決意するような社会になってしまったこと、このことの意味を僕らは真剣に考えなければいけないのではないか、と思っている。
 またその一方で、防衛省問題、守谷某に関わる贈収賄も問題だが、この問題から派生してわかった、米軍への2000億円を超える「思いやり予算」やアメリカでは80億円ぐらいで買える戦闘ヘリコプターを、国内でライセンス生産すると218億円もかかるという、いかにもアメリカ様々の防衛省予算(約2兆円)の使い方、「戦争はしない」と憲法に書いてある国であるにもかかわらず、機密ということで税金を湯水の如く使う軍隊、それを容認(後押し)する政治家たち(先般の福田首相のたった1時間の会見をするためであった渡米は、何だったのか)、「アメリカ追随」とはよく言われることだが、もはや「追随」どころではなく、アメリカの軍需産業(死の商人)の「お得意さん」と化した日本とは、いかなる国なのか。また、そのような「利権」に群がる官僚と軍需産業(死の商人:日本の)、「絶望するな」と言う方が無理かも知れないが、「絶望もしすぎず」このような状況に対して何とか反撃できないものか、当面はそのことについて考え続けるしかないのかも知れない。最近は、そんなことばかり考えている。

希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず

2007-11-28 10:18:31 | 文学
 昨日(27日)と今日(28日)の「東京新聞」の文化欄に新作『たしアナベル・リィ 総毛立ちつ身まかりつ』(新潮社)を刊行した大江健三郎のインタビュー記事が載っている。「生と老いを見つめて」と題した記事なのだが、その中で大江は、東大時代の恩師渡辺一夫の教えであった「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」をこれまで自分の標語としてきて、それは70歳を超えた現在でも有効な言葉である、といった主旨の発言をしている。
 周知のように、「絶望の虚妄なるは、希望の虚妄なると同じ」と言ったのは、中国の誇る作家魯迅であるが、渡辺一夫の「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」は、大江はそのことには触れていないが、明らかに魯迅の言葉からヒントを得た(示唆された)ものに他ならない。魯迅の場合は、乱れきった清朝末期から国民党支配にいたる中国の社会に対して、無闇に「絶望」したり実現の可能性が少ない「希望」を持ったりすることを戒め、「リアル」に対応をしなければならないことを人々に諭した言葉だと、僕は解釈しているが、渡辺一夫(大江健三郎)の件の言葉は、「人間は生きていると、希望を持ったり絶望したりするが、(魯迅のように)徹底してそのことを否定するのではなく、希望についても、また絶望についても「中庸」であることが肝心である。それこそ「リアル」に生きることである」といったような意味なのではないか、と思う。
 この「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」の言葉を見て、正直に言って僕自身ずいぶんと大江健三郎(渡辺一夫)の生き方から学んだな、と思わざるを得なかった。遙か昔、学生時代に手酷い「敗北感」を抱いて「デスペレート=絶望」的になっていたとき、それでも「向こう側」へ行かなかった理由として、まず第一に先の魯迅の言葉があり、そして大江の『ヒロシマ・ノート』(1965年刊 岩波新書)の中に書かれていた「被爆者たち」の存在があったことを想い出す。「希望」を粉々に砕いた「敗北」(感)、そこからどう立ち上がるか、その第一歩が最初の著書『北村透谷論』であった。それから今日まで、僕の軌跡は、見方を変えれば大江健三郎(渡辺一夫)の「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」を実践してきた結果であった、と言っていいかも知れない。
 以前にも書いたことだが、僕のこの欄の文章(発言)は「暗い」と指摘されるが、僕がこの欄で日頃考えていることを書いていこうと思ったのは、「ブログ」というインターネット時代らしい発言形態を利用して、やたらと「希望」を持ったり、「絶望」したりせず、リアルに生きることの大切さを主張しようと思ったからに他ならない(正直に言うと、このブログを開設した当初は、自著や自分が書いた文章の「宣伝」になればいいなぐらいにしか考えていなかった)。「現実」は「暗い」という認識を持っている。ささやかな「幸せ」もすぐに吹っ飛ばされるような「暗い話」(例えば、香川の祖母と幼女二人が殺害された事件、その原因が「借金問題」であること、など)ばかりである。防衛省の守谷元次官に関連した政界を巻き込んだ贈収賄事件、どんな「希望」を語ればいいのか?
 この前のブログで日本中が「荒れた光景」になっている、と書いたが、「荒れ」ているのは、実は人間の「精神=こころ」であること、このことを僕らは忘れてはならないのではないか。その上で、大江(渡辺一夫)の「希望を持ちすぎず、絶望もしすぎず」の毎日を実践していくしかないのかも知れない。

荒れた光景

2007-11-27 06:14:13 | 文学
 昨日書き終わった「小檜山博の文学」のために全集(全8巻)のあちこちを読み直していて、先日所用があって走った赤城山の中腹で目撃したことと併せて、改めて考えさせられたことがある。
 それは、我が国の「食糧自給率」が40パーセントを割り込み(主食の米を抜かすと29パーセント)、先進国(サミット参加国)では異例の低さになっている現実についてである。アメリカ・フランス=98パーセント、ドイツ・ロシア=89パーセント、日本を除いては最も低いイギリスでも78パーセント、このことは何を意味しているのか。
 おそらく、医療技術の発達や生活の近代化などによって、世界の人口はこれからも増え続けていくだろうと予測される。その時、世界の食糧事情はどうなるか。かつては食料の輸出国であった中国が小麦の輸入を余儀なくされたということに象徴されるが、世界の食糧は私たちが考えるほど潤沢ではない。現にユネスコの発表に拠れば、毎年2億人近い人が飢餓のために死んでいるという。「ミシェラン・ガイド」などに狂奔している(つまり、一人3万円もする寿司を食うことで自分は高級であると、思っている人々の存在は、ワーキングプアーのことなどを考えれば、「異常」としか言いようがない)現実とのギャップ、僕らはこのようなことにもっと敏感になるべきである。
 もちろん、当面は、経済力に任せて日本は食料を輸入し続け、それで「豊かさ」と「安定」を演出することができ、その意味では「食糧自給率40パーセント云々」というのは、危惧に過ぎないという考え方もあるだろう。しかし、食糧自給率の低下がこの国のあちこちに「荒れた光景」を現出させているとしたら、それはゆゆしき問題なのではないか、と思わざるを得ない。
 そんなことを思ったのも、先日のドライブで赤城山に戦後入植した集落の側を通ったとき、数年前まできれいな畑だったところが、放置されたため(減反政策のため)か、雑草や灌木が生える「荒れ地」になっていて、見る影もなかった、という経験をしたからである。食糧確保のためにせっかく開墾して立派な畑地にしたにもかかわらず、持ち主が離村した途端に「自然」の復元力に負けて、元の山地になってしまったという現実、何とも悲しいことではないか。
 このような「荒れた光景」が群馬県だけの問題ではなく、日本全国どこでも広がっているのは、先日紅葉狩りに行った福島県でも、また先年訪れた北陸地方でも確認しているので、事実と言っていいだろう。
 そう言えば、僕が唯一「批判しようと思って」書いた作家論である『灰谷健次郎ーその「優しさ」と「文学」の陥穽』(2002年 河出書房新社)を書こうとしたきっかけの一つも、この「荒れた光景」と関係している。灰谷はエッセイで自分は自給自足の生活をしているなどと何度も書き、また農村地区に広がる緑を守らなくてはいけない、などということも繰り返し主張し、作品にも取り入れていたが、本当に「日本の農業」や「環境問題」について知って書いているのか、疑問に思ったのである。例えば、灰谷は「無農薬・有機農法」で野菜を育て、それによって自給自足の生活をしている、と公言してきたが、実際にキャベツやその他の野菜などを「無農薬・有機農法」で育てるとなると、いかに大変であるか、忙しく飛び回っている灰谷には絶対無理だ、と自分の経験に照らして思ったのである。たかだか10株ほどのキャベツを家庭菜園で作っていても、春先には毎朝数十匹の青虫を対峙しなければならない。その日課を怠ると、1週間でキャベツは穴だらけになり、食料にはならなくなってしまう。ネギなど、梅雨時に放っておいたら、たちまち雑草に負けて溶けてしまう。そんな初歩的なことも知らずに、灰谷は自給自足を公言していたのである。それに、確か『砂場の少年』だったと思うが、都会の小学生たちが田園地帯に行って「青々と繁る田んぼ」を見て安心する場面が出てくるが、農村に住んでいればすぐ分かることであるが、その「青々」こそ曲者で、減反政策で何も耕作していない田んぼにも、雑草は生え、「青々」とした風景を僕らに提供してくれるのである。
 そんな現実の裏側に全く想像力を働かせなかった灰谷対して、北海道の「農」に拘り続けている小檜山博の周到な「自給率云々」は、現実から発せられた言葉として耳を傾けなければならない、と思う。文学が社会や時代と切り結ばざるを得ないという現実を忘れている現代作家たちの有り様を見ていると、小檜山や立松和平の「真摯さ」が際だって感じられてならない。近頃、そんなことばかり考えている。

どこまで続くぬかるみぞ

2007-11-26 09:30:52 | 文学
 昨日は一日中、北海道文化功労賞を受賞した小檜山博の文学について書き続けた。前にも書いたように、もう1週間以上前から取りかかっていたのだが、新たに読み直ししなければならない作品などが出てきて、意外と時間がかかってしまったのである。幸い、これから「見直し」をして送付できるような状態になったので喜んでいるのだが、読み直せば読み直すほど、「北海道」に深く根ざした文学者である小檜山博に関して新たな興味がわいた、ということがある。
 冬には、朝起きると布団の上に雪が積もっているような「炭焼き小屋」で生まれ育った小檜山博の文学的特徴は、「私小説」の体裁を採りながら、おのれの体験や経験に固執することなく、「私」の問題が「公」の問題に直結していることを、作品を通して証明しているところにある。小檜山博の具体に即して言えば、「貧乏」や「苦難」の体験を北海道に渡ってきた開拓農民や流民に共通なものとして捉え、北海道開拓の歴史や文化の在り方につなげて問題視しているところに、その文学的特徴があるということである。中でも、北海道新聞文学賞と泉鏡花文学賞をダブル受賞した『光る女』(82年)は、秀逸な長編である。「野人」を思わせる北海道の開拓農民(青年)が、いかにも「都会」の文化を象徴するような雑誌の編集者を虜にして、最終的には「農家の嫁」にしてしまうという話は、「自然と都会=近代文明」という見やすい構図を使いながら、都市文明の脆弱さを告発したものに他ならなかった。そこでは、人間の生きる「原点」のようなものが示されている、と言ったら一番分かりやすいか。
 その他にも、農家の後継者問題=嫁とり問題を基底に物語が展開する『パラオ・レノン』(93年)や『スコール』(98年)という作品はこの国の社会構造が抱え込んでしまった問題を私たちに突きつけてくる長編で、一般的にはあまり知られていないとは言え、小檜山博が並々ならぬ書き手であることの証になっている。
 小檜山博とは僕の最初の本『北村透谷論』を出してくれた冬樹社の編集者だった伊藤さんと立松和平を通して知り合い、札幌へ行くたびに会って歓談する仲であったが、昨年秋に刊行された『小檜山博全集』(全8巻 柏櫓社刊)に「解説」を3巻分頼まれたことから、今回の事態になったと考えている。
 興味のある人は、『全集』もよく売れたと言うことなので図書館などで借りられると思うし、『スコール』は大地康夫主演で映画にもなったので、文庫版もまだあるのではないかと思うので、是非読んでみて欲しい。お奨めな作家の一人です。
 小檜山は、そのエッセイ『北海道に文学の普遍を見る」の中で、沖縄と関西と北海道には独特な文学風土があって、それぞれ固有のテーマを抱えて書き継がれている、といった主旨の発言を行っているが、関西は除くとして、沖縄と北海道に独自な文学が存在するというのは、僕の持論でもあり、いつまでも元気で書き続けて欲しい作家の一人である。
 ということを書いている途中で新聞を見たら、防衛省のどうしようもない軍需産業との癒着ぶりが暴かれていて、僕らが惰眠をむさぼっている間に産軍官の癒着構造はますます進み、この道は1930年代のアジア(中国)侵略へ至る過程と同じなのではないかと思い、思わず背中に戦慄が走った。軍部が産業界と癒着したら、いいことなどあるはずがない。「軍事秘密」ということで産業界は軍部に阿り多額の利益を求め、いつしか軍部の暴走を許すことになる。
 ああ、恐ろしや。ああ、恐ろしや。

これも異常気象のせい?

2007-11-24 08:28:08 | 近況
 昨日の「勤労感謝の日」、孫の通う幼稚園で開かれたバザーに行ってきた。伝統的にお母さんたちが作った面白い飾りや袋物があるので知られたバザーなのだが、旧家の広い敷地を幼稚園にしただけあって、園の庭には巨木が何本かあり(そのうちの1本には痴情から3メートルほどのところに「ツリーハウス」が作られていて、梯子とロープで上れるようになっている)、そのうちの10メートルほどの大木に育った柚の木には、黄色い柚がたわわに実っていた。同行した妻と「今年は柚の良くできた家が多いね」と話したのも、つい先日、友人が50個ほど柚を「庭の木で取れたから」と持ってきてくれたのを想い出したからであった。帰りに車からの見ると、どの家の柚もたくさん黄色く色づいていた。
 そう言えば、我が家の「百匁柿」も今年は「異常な」ほど実り、知り合いに何度もお裾分けするということがあった。今も窓から見える木には数十個の実が熟れて鳥についばまれるのを待っている。例年は、古木だということもあり、今年の5分の1も実らず、しかも「渋柿」と「甘柿」が半々という状態が続いていたのに、今年は99パーセント「甘柿」、安心して知り合いにお裾分けすることができたのである。
 そんなことを近所の人と話をすると、決まって「今年の夏は猛暑だったからね」との結論になる。果樹の実りと「猛暑」との厳密な関係はわからないが、9月の初旬に発芽した家庭菜園の漬物用大根が、双葉から本葉になった途端、黒い小さな芋虫に食われはじめ、たちまち3分の1ほどがなくなってしまった現象も、もしかしたら「猛暑」=異常気象のせいかもしれないと思った。
 マスコミなどでも取り上げられているように、最近の気象は、どこかおかしい。何かが狂ってきているとしか思えない。そう言えば、今年のノーベル平和賞は、世界的な規模で地球温暖化問題に取り組んでいるグループに与えられたが、そのような危機感に対して敏感に対応する人々がいるかと思うと、もう一方でアメリカのように二酸化炭素(炭酸ガス)の排出問題などどこ吹く風とばかりに、相変わらず「利益追求」のために奔走し続ける人々をたくさん抱えた国もある(もっとも、アメリカの名誉のために付け加えておけば、僕がかつて教えたことのある学生が教師をしているケンタッキー州立大学で、来年3月20~21日の2日間、「環境問題と文学」というシンポジウム(学会)が開かれ、そこに立松和平と僕が招かれ、全米から集まったその問題に関心を持つ学者たちと討議することになっている)。
 先日もアイスランドの氷河がものすごい勢いで溶け出しているということがテレビで報じられていた。これまでにも何度か同じような映像が流されてきたが、僕らは一人一人が本気で「地球の温暖化=環境問題」について考えなけれいけないのではないか。他人事、と思っているうちは、どんどん悪化するばかりで、何十年か後には、陸地が半減するという羽目になっているという事態を迎えることになるかも知れない。嫌な時代に遭遇したものである。
 その意味では、値上がり続けるガソリンも、どこかも偉い人が「地球環境」のために、貧乏人はやたらと車に乗らないようにするための「深慮遠謀」なのではないか、と思ってしまう(もちろん、そんなことは絶対ない!ガソリンの値上げは、産油国とアメリカの石油資本がもくろんだ陰謀である。あるいは、マネー・ゲームと言っていいかもしれない。何しろ、アメリカ石油資本や投資家たちは、己の利益のためには戦争さえ辞さないのだから)。
 ガソリンと言えば、その価格の大半を占める「道路税」、この税金が車の走らない高速道路(これを人は「政治道路」と呼ぶ)を作るために使われることを考えると、やはり僕らは現在の政治はおかしい、と言い続けなければならないのではないか、と思う。それにしても「庶民の味方」である公明党から大臣になった冬柴国交省大臣、あなたはこんな庶民泣かせの税金の使われ方についておかしいとは思わないのでしょうか。

忙中に忙あり

2007-11-23 09:42:33 | 仕事
 3日前、久し振りに元同僚(現在も筑波大学教授、部署が変わった)と夕食を共にし、長時間話す機会を持った。肝胆相照らす仲なので、好き勝手なことを言い合ったのだが、10時半を過ぎた頃、彼が急速に眠気を訴え、「お開き」にすることになった。聞くところによれば、授業も含めてめちゃくちゃ忙しくて、現在はそれでもいくらか緩和されたとのことだが、夏休みの頃は余りの忙しさに神経がおかしくなり、当人曰く「鬱病の一歩手前だった」とのこと。
 確かに、法人化を境に、国立大学は目に見える形で忙しくなった。そもそも「法人化」という発想が「行政改革=効率化」を元に出てきた構想であることを思えば、事務官を減らして「行政改革=人減らし」の実績を上げるということは、それまで事務官が行っていた仕事を教員の側が肩代わりするということを意味し、また「効率化」とか「社会還元」という美名の下に、大学教員はあまり意味があるとは思えない書類の作成を強いられ、上意下達の会議への参加を繰り返し要請される。それでいて、「研究しろ」「外部資金を導入しろ」「授業も頑張れ」とつねに尻をひっぱたかれる。真面目に対応しようとすればするほど、自縄自縛に陥り、先の友人のように「鬱病」一歩前の状態に追いやられる。どこかおかしいのではないか。割と親しく口をきく同僚は、教育課程担当のため、連日会議・会議である。身が持たないのではないかと心配になるが、仕方がないとあきらめている様子。はやり、おかしい。だから、みんな「研究」などできない状態になり、できたとしても「形を整える」だけの形式主義(実質が伴わない、書いても意味のない論文)に陥っている、残るは「出世」のみ(管理者手当を狙って)ということでは、余りに悲しいではないか。
 だから、このままでは日本の高等教育(大学・大学院)は沈没していくのではないか、と思わざるを得ない。教員たちが忙しさの中で四苦八苦していれば(あるいは、従順に管理者の言いなりになっていれば)、必然的に学生たちに「批評精神=自由な精神」はなくなり、活動は不活発になる。「暗く」にもなる。先のこの欄で、指導教官の仕事(研究成果・著作など)に関心を示さないゼミ生が増えた、と書いたが、考えてみれば、教師の方が疲労し疲弊してしまっているのに、学生ばかりに「お前たちが悪い」と言えないのではないか、とも思った。
 その意味では、あまり怒らず、自分の抱えた仕事をやり遂げるまで、しっかりと足下を見つめて進むしかない、と思うしか当面の苦境を乗り越える道はないのかも知れない。残念ながら。
 そして突然、何故僕は例のボクシングの亀田兄弟(親は論外)が嫌いなのか、わかった。僕も若い頃は「反権威」を標榜していたぐらいだから、相当「乱暴」だったけれど、親のしつけだったのか、時代がそうだったからなのか、「礼儀」だけはそれなりに(自分なりに)守っていたつもりである。しかし、最近の学生たちの言動(特に行動)を見ていると、「丁寧」ではあるが、どうも肝心なところで「ジコチュウ」になっているのではないか、と思わざるを得ず、そのことに対する嫌悪感が亀田兄弟に対する否定に繋がっているのではないか、と思う。教師にごちそうになるのは当たり前、コンパで何倍もの会費(寸志)をだすのも当たり前、しかし教師が自著を割引で紹介しても、僕が強制しないのを知っているから、知らんぷり。自分のためには本の何倍ものお金をかけて髪を染めたり、カラオケボックスへ行ったりするのに(それも必要なら、別に悪くないが、僕は学生たちの役に立つからと思って自著を紹介しているのだ)、指導教師の本は「直接関係ないから、買わない」、どうなっちゃっているのでしょうね。

文学青年・文学少女は何処に?

2007-11-22 09:58:22 | 文学
 大学の教師として学生たち(院生も含む)と日常的に接していて、この頃痛切に思うのは、文学青年・文学少女がこの世から消えてしまったのではないか、ということである。
 もちろん、僕の研究室で文学研究を希望する学生(院生)の数が減ったわけでもなく(否、むしろ増えているような気すらする)、現在非常勤で出講している二松学舎大学の大学院の学生たちも、「近代文学」を専攻している学生ばかりなので、その意味では「文学衰微説」などと無縁な状況にあるように思えるかも知れない。現に僕も一時はそのように思っていたこともある。
 しかし、ここ何年かの傾向なのか、学生たちを見ていると「文学にのめりこむ(僕の言葉で言うと「文学に淫する」)学生が極端に減少したとしか思えない。確かに、学生たちは僕の研究室を訪れて、「近・現代文学で卒業研究をしたい。修士論文を書きたい」とは言う。そして、自分が愛読してきた作家や関心のある作家などの名前を挙げる。しかし、その作家が文学史的にどのような位置にあるのか、周辺にはどのよう安作家がいるのか、参考文献(例えば、作家論など)を読んだことがあるのか、と問うと、ほとんどの学生が「いえ、知りません」と答える。そして、「それではだめだな」というと、すぐあきらめて「文学」とは関係ないテーマで卒論を書くことに切り替えてしまう。
 第一、僕のところで卒論を書きたいといいながら、僕の仕事(著書など)全く知らず、調べてこようともしない。どうなっているのか、と思わざるを得ない。また、院生たちにレポートを書かせると、いろいろと良く調べてきて(インターネット時代を反映して、ネットを通じて資料は簡単に手に入る)、その意味では感心するのであるが、では自分はその作品からどのようなテーマを読み取ったのか(自分を感動させた、あるいは考えさせた理由は何か)、という段になると、ほんの4,5行で「感想」を書き、それで終わり。
 要するに「批評精神」(北村透谷の言葉を使えば、「精神の自由」に基づく文明批評・社会批判・文学批評)が欠如しているのである。「文学に淫した」学生がめっきり減少したというのも、「自由な精神」に基づいてこの世のあり方や文学状況、あるいは特定の作家や批評家(研究者)を批判する人間が少なくなっているのではないか、と実感しているからである。ただ就職のため(単位のため)にだけ卒論を書く、言い換えれば「文学」なら実験や調査だという面倒くさいことをしなくてもすむから、「安易」に文学が選ばれる。それが現状というのだから、本当に悲しい。
 だから、指導教師(僕のこと)が新著を刊行したと言っても、そんなことはどこ吹く風、決して購入して読もうなどとは考えない。僕など自分の先生が本を出したといえば、食事を何回か抜いても急いで購入し「粗を探そう」としたものである。ところが、僕を選んで研究室に所属することになった院生でさえ、いくら紹介しても買う素振りを見せない(因みに僕は学生からは儲けない主義だから、2割引で売っている)。そんなことだから、このブログさえ見ない。それで平気なのである。
 そんなことを書くのも、3年前に卒業した学生が「『村上春樹』を呼んだ」といって長い感想文を書いてきたり、東京に勤めながら友達がつくばにいるので大学の近くに住む卒業生が「買うから、サインして」といって研究室を訪れたりした、ということがあり、現役のゼミ生とのこの落差は何なんだ、と思ったからに他ならない。
 ともあれ、文学青年・文学少女は何処へ行ってしまったのか?これでは、この国の「文化」は廃れるばかりなのではないか、と嘆くのは、年をとったせいか?

文学研究・批評について思うこと

2007-11-21 09:06:13 | 文学
 かつて、と言っても戦後からしばらく経ったときのことであるが、文学研究の一方法=流派として「歴史社会学派」というのがあった。小林秀雄を頂点とする「印象批評」に対抗する、プロレタリア文学理論の流れを汲む「進歩史観」に基づく「科学的」な研究(分析・批評)を標榜して一時代を築いた研究方法だったのだが、作品だけを自立したものとして論じる「作品論」(東大教授三好行雄を代表とする)やその後の「テクスト論」、あるいは「構造主義批評」などの流行によって、今や過去の方法=「前世紀の遺物」視されてしまっている。
 しかし、学部生の卒論、あるいは院生の修士論文や博士論文、さらには学会誌や文芸誌の掲載されている論文や批評をつらつら眺め、そのあまりの「社会」や「歴史」、「時代」、「世界」、思想」、「哲学」といったものに無縁な=考慮しない方法を見せられると(それは、結果として「未来」を見据えない現状追随主義としか言い様がないものになっている)、ノスタルジックな意味も込めて「歴史社会学派」の復権を望みたくなる。今回、このブログで簡単ではあるが、文学研究(批評)について、考えていることの一端を披瀝したいと思ったのも、余りに現状が惨憺たる状況にあるのではないか、と思ったからに他ならない。
 鑑みて自分自身の研究・批評方法はどうかと考えたとき、敢えて流行している方法は追わずに、作品=小説や詩などを読んで「心を動かされたか」を唯一の基準として、その理由を探ることを研究・批評の原点とし、あとはそれがこの自分が生きる社会や世界でどのような意味を持つのかを考えながら、目線は常に小田実流に言うならば「タダの人=庶民・人々」のそれと同じになるように心がけてきたこと、これはもしかしたら「純正」とは言わないが、「歴史社会学派」のそれを踏襲しているのではないか、と思わざるを得なかった。
 また考えてみれば、自らの学生運動体験を総括する意図を底意に潜めて書いた修士論文(それは結果的に、最初の本『北村透谷論-天空への渇望』<79年 冬樹社刊>になった)の余りのペダンチズム(衒学的)を指摘され、それから脱却するのに7、8年かかったこと(その間に2冊の本を出している)や、その後も試行錯誤を繰り返し、最初の本から10年経って書き下ろした『大江健三郎論-森の思想と生き方の原理』(89年 彩流社刊)について、人伝てに大江さんが「黒古の本は、政治的すぎるのではないか」と言っているということを聞き、それはそれで間違っていなかったのではないかと思いながら、それでも今は作品と「社会」や「時代」との関わりに着目して、誰にも媚びず研究・批評をし続けてきたこと、それが自著21冊という結果につながっているのではないか、と思っている。
 ところで、何でこんなことを今さら言うのかということだが、一つ理由がある。それは、来年の1月初旬に中国で翻訳刊行される予定になっている『村上春樹-「喪失」の物語から「転換」の物語へ』を読んだ中国人の研究者(村上春樹研究者)の感想が2、3寄せられ、最近の村上春樹を批判した部分に共感する、よくぞ書いてくれた、オマージュ(讃歌)ばかりの村上春樹本はもういらない、と言われたということに起因する。村上春樹に関して『ノルウエイの森』が140万部も売れ、1冊を除きすべての著作が翻訳されているという大ブームを引き起こした中国で、翻訳から研究・批評へと移り行く過程で、それなりに評価された拙著『村上春樹』、韓国で翻訳されるかどうかはまだ決定していないが、もし翻訳刊行されるならば、その理由はやはり僕の批評方法が間違っていなかった証になるのではないか、と密かに考えている。
 今日のように、どの世界においても「未来」の指針が示されていない時代にあっては、文学研究や批評も例外ではなく、根本的なところから考え直さなければならない時期に来ているのではないか。切実にそう思う。

利権構造

2007-11-20 09:26:28 | 近況
 先週の初め頃から、今年度の北海道文化功労賞を受賞した札幌在住の作家・小檜山博の文学について取り組んでいるのだが、北海道庁からの依頼で20枚に小檜山博についてまとめるため、読んでいなかった作品(少なかったのだが)やエッセイを読んだり、前に読んだ作品を読み返したりしている。
 元々、小檜山博とは20年ほど前に北海道新聞の文化部記者に紹介され、立松和平という共通の友人がいたということもあって、札幌に行ったときは必ず会って文学談義やら札幌ラーメン談義やらをする仲だったのだが、『全集』(全8巻 2006年9月 柏櫓社刊)に「解説」を3巻分書き、北海道新聞と週刊読書人に「小檜山博の文学」を書いたことから白羽の矢が立ったのだと思うが、今書いている原稿が立派な箱入りクロス装の本(冊子)になるということを考えたとき、文化(文学)がこのように厚遇されることには全く異議ないとして、突然今マスコミが大騒ぎしている「防衛省スキャンダル」(就中、額賀財務大臣(元防衛庁長官)の接待・賄賂問題)に関わって、明治以来の近代社会が内在させてきた官(国家)と産業界との癒着=賄賂・利権構造のどうしょうもない在り方について考えてしまった。
 何故、政治家や高級官僚は「利=カネ」をそんなにほしがるのか。また、何故彼らは国家と一帯になることを、それほどまでにして望むのか。それが「権力」の魔力だと言ってしまえばそれまでであるが、やたらと勲章をほしがる人が多いということや、今朝の朝日新聞に載った大江健三郎の月1回のエッセイの中で、大江が指摘している「沖縄集団自決裁判」(大江が「沖縄ノート」の中で触れた慶良間島などにおける日本軍による「集団自決」の強制について、「そんな事実はない」として大江や版元の岩波書店が訴えられた裁判)に関する原告側の主張が、「誤読」を元にした曾野綾子の大江批判に大部分が拠っていること、及び曾野綾子の文中に「集団自決」を強制したとする側の元将校(後に自衛隊の幹部となる)の「彼ら島民はお国のために喜んで死んでいったのだ。(大江たちが)お国のために死んだ人を冒涜する意味が分からない」(主旨)という発言などのことを考えると、「国家=権力」に擦り寄り、何らかの「利」を得ようとする人たちが後を絶たない、というのは残念ながら近代国家の根本的な欠陥なのかも知れないと思わざるを得ない。
 額賀氏が仮に防衛省と癒着していて、何らかの「利権」と結びついていたとしたら、そのような政治家を「選良」として選んだ国民(僕ら)の心の中にも、そのような「利権」を容認=肯定する要素がいくらかでもあるからではないか、とも思う。例えば、アメリカのブッシュ大統領が、何故アフガン戦争を起こし、イラク戦争を起こしたのか、僕らは「テロとの戦い」という建前を信じ込まされているが、イラク戦争開始時の「大量破壊兵器の存在」が架空のでっち上げであったことを知った今、ブッシュもまた「国際石油資本」と深く結びついた利権政治家なのではないか、と思わざるを得ない。そして、そんなブッシュに尻尾を振り続けている日本の保守政治、何をか言わんや、である。
 僕らの内部に巣くう「利権構造(容認)」意識、恐ろしいなと思う。