黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

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岐路に立つ日本(11)――歴史=現実を直視しない「情緒的」な安倍スピーチ

2016-12-29 10:09:43 | 仕事
 昨日の朝7時に始まった真珠湾訪問中の安倍首相のスピーチ、その「空々しさ」については、昨日のこの欄で指摘しておいたが、あの記事を書いて以降、今朝の新聞報道やテレビ報道まで時間の許す限りこの件に関する報道を見ていて気付いたのは、この国のテレビ報道は、第二次安倍政権が発足子弟らの「締め付け=だ夏」によって、例えばNHKの会長の「政権が右と言えば右」というような発言や、比較的政権に批判的だったテレビ朝日のキャスター(古館伊知郎)とTBS「ニュース23」のコメンテーターが番組の降板を余儀なくされたことに象徴されていると言っていいのだが、ジャーナリズムとしては「死に体になっているのではないか、と思わざるを得なかった。
 特に、TBSの「ひるおび」という番組の常連である時事通信社の特別顧問とか政治ジャーナリスト問い悪人たちのコメントは、酷かった。ジャーナリストの使命である「権力批判」などどこ吹く風とばかりに、先の大戦における中国やアジア諸国への「加害責任」、あるいは辺野古沖の新基地建設やヘリパッド建設などが象徴する沖縄の米軍基地強化などに全く触れなかった安倍首相のスピーチを「歴史的」であり「和解を象徴する」これまでにないものだ、と持ち上げる態度は、恐らくんほんこくみんの歴史認識のレベルを体現するものなのだろうが、正直言って、腹が立って仕方がなかった。 このことは、安倍首相の真珠湾訪問に関するニュースを伝える新聞のうち、「安倍政権支持」を事ある事に公言してきた「右派」の読売新聞や産経新聞の姿勢も同断で、「日米外交の到達点―戦後処理の集大成」(読売新聞)とか「戦後の決着」(産経新聞)とか安倍首相のスピーチを最大限に持ち上げている。両紙には、沖縄問題や中国やアジア諸国に対する「加害責任」についての言及は全くない。先のアジア太平洋戦争はもっぱらアメリカとだけ戦争していたかの如くで、太平洋戦争に限っても真珠湾への奇襲攻撃の少し前に、とうじイギリスが植民地にしていたシンガポールを占領するために「宣戦布告なきままに」マレー半島に陸軍部隊を上陸させたことなど、そんな事実=歴史はどこにあるのだ、とばかりである。
 加害責任についての真摯な思考がないところで発せられる「不戦の誓い」など、誰が信じるのか。
 それは、中国や朝鮮(韓国・北朝鮮)、アジア諸国に対しても同じで、昨日も書いたがアジア太平洋戦争における「2000万人超」の中国・アジア諸国の犠牲者への「謝罪」や心からの「哀悼」がない限り、中国や朝鮮、アジア諸国との「真の和解」はないのではないか。安倍首相の真珠湾でのスピーチで一番の問題は、1941年12月8日の真珠湾攻撃に対する「和解」(を求める心)はあったかも知れないが、真珠湾攻撃(太平洋戦争開始)に至るまでの「満州事変」(1931年)から始まって日中戦争(1937年)を経て太平洋戦争へという15年戦争(アジア太平洋戦争)全体に対する言及(思考・目配り)がないことである。集団的自衛権行使容認が象徴する日本軍(自衛隊)の世界・アジアへの進出が、アジア諸国にとっていかに「脅威」になっているか。このことについては、安倍首相もオバマ大統領も全く理解していない(ように見える)。
 まさに、福沢諭吉以来の「西洋崇拝・アジア蔑視」の世界観の体現、としか言えないが、この「西洋崇拝・アジア蔑視」は深いところで安倍首相(安倍政権)の「沖縄対応」に現れていると言っていいだろう。安倍首相は、真珠湾訪問を「(日本とアメリカの)和解の象徴」などと言ったが、沖縄県民の大多数が「ノー」を突きつけた辺野古沖の米軍新基地建設やヤンバル地区(高江)のヘリパッド建設を、なぜ警察権力を使って強行しようとするのか。自国民(沖縄県民のみならず僕たち国民全体)に対しては「強権」を揮い、アメリカの「寛容な心」には感謝する、これはまさに「対米従属」を絵に描いたような安倍首相の態度としか言えないが、なんともおぞましい。 安倍首相としては、アメリカ(オバマ大統領)と「対等・平等のつもりで、「いい気」になって真珠湾でスピーチを行ったと思うが、日本が「戦後」一貫して異常としか思えない世界に類を見ない対米従属」関係を続けてきたこと、読売新聞や産経新聞はあたかも「日米は対等」という幻想を振りまきながら安倍首相のスピーチを最大限ほめあげているが、安倍首相のスピーチを「高く評価する」ジャーナリストや国民は、矢部宏治の2冊の本『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないか』(集英社インターナショナル 2014年10月)と『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか」(同 2016年5月)を読むべきである。
 アメリカと日本の公開された戦後の日米関係に関わる公文書や戦後における政治家や宮内省関係者の『証言』や『記録』を下に、如何に戦後71年、日本がアメリカの「属国」「植民地」であり続けてきたかを明らかにしたこの矢部の2著、僕は多くの人が読むべきだと思っている。そして、自らの戦後史観を鍛え直す必要があるのではないか、と思う。
 目から鱗が何枚も落ちること、請け合いである

<追記>
 「朝日新聞」、「毎日新聞」、「東京新聞」には、安倍首相のスピーチに中国やアジア諸国に対する「加害責任」への言及がないこと、及び沖縄への対応との余りの隔たり(不整合さ)に言及した記事があったことを書き添えておく。これらの新聞が「読売新聞」や「産経新聞」とは異なって、未だにジャーナリズムとしての矜持をかろうじて保っていること、このことは戦中の「翼賛体制」への反省から宇亜mれたもの出あることを僕らは深く受け止める必要があるだろう。
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岐路に立つ日本(10)――空々しいとはこのことか

2016-12-28 10:00:08 | 仕事
 朝7時、朝の一仕事を終え、たまたま点けたテレビに映る安倍首相のいかにも「心から戦死した兵士・市民に哀悼の意を捧げます」といった体のスピーチを聴いたが、その余りのパフォーマンスぶりに、この人は本当に「心のない人だ」と思わざるを得なかった。スピーチを聴いていて、辟易した、というのが本音である。
 何故か?
 安倍首相は、冒頭部分で「あの日(1941年12月8日のことだろう)爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、乗り組んでいた兵士たちが紅蓮の炎の中で死んでいった」と言い、耳を澄ますと「最後の瞬間、愛する人の根を叫ぶ声、生まれてくる子の幸せを祈る声」が聞こえてくる、故に「その厳粛な事実をかみしめる時、私は言葉を失います」と、神妙な顔つきで言葉を発していたが、3000人近いアメリカ軍兵士や市民が「紅蓮の炎の中で死んでいった」のは、「日本軍の奇襲攻撃」によってである事実については、何故か一言も触れない。つまり「謝罪」はしない。厚顔無恥とはこのような姿勢・考え方のことを言うのだろうが、安倍首相という人間はどういう神経の持ち主なのか、とも思わざるを得ない。 「過去の罪業=過ち」に触れないで、何で「未来」を志向できるのか? 恐らく首相に付き従う「スピーチ・ライター」が苦心して作文した結果なのだろうが、安倍首相が如何に先の世界大戦(アジア太平洋戦争)について「過ち」を認めないかは、「わたしは日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった数知れぬ無辜の民の魂に、永劫の哀悼の誠を捧げます」などと言いいながら、その「無辜の民」の中に中国やアジアの人々は入っているのか、その中身を曖昧にすることでアジア太平洋戦争における「日本の戦争責任」については言及しないという、巧妙な論法、書き写していてうんざりしてしまったのは、僕だけか
 こんな「実のない」演説で、いかにも真珠湾の奇襲攻撃で犠牲になった人々へ「哀悼の誠を捧ぐ」と言われ、かつ多くの人に戦争法案と言われているアメリカ軍の支援を目的とした集団的自衛権行使を中心とした安保関連法案を強行採決しながら、「(私たちは)不戦の誓いを貫いてきました」と言われても、衣の袖から鎧が見えている状態でしかなく、多くの人が「不信感」を持ったのではないだろうか。
 しかも、就任前のトランプ次期アメリカ大統領に「忠犬ポチ」よろしく「これからの日米関係を心配して」私邸にまで馳せ参じ、「日本は永久にアメリカの従属国です」と世界に向けて発信しながら、もうすでに「死に体」になっているオバマに向かって「アメリカ人の寛容な態度に感謝する」とか「日米同盟は希望の同盟です」、と言い、さらには「私がオバマ大統領と共に世界に訴えたいのは、和解の力です」などと、世界各地で戦争や紛争を起こし、勝手に振る舞ってきたアメリカに対して「臆面もなく」言える、その神経、恐れ入ったとしか言えない。こんなことを、沖縄の人たちが聞いたらどう思うだろうか。アメリカの強い要請で辺野古沖に新基地を造り、ヤンバルの森の自然を破壊してヘリパッドをつくる、本当にこの人の神経はどうなっているのか、と思わざるを得ない。 「戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない」とは、あきれるしかない。第二次世界大戦が終結してから今日まで71年、世界各地で起こった朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争、何次にもわたる中東戦争、アフリカや南米での民族紛争、そのどれもアメリカが関係しない戦争はなかった。そんなアメリカにいつも追随してきたのは、残念ながら日本である。その事実をあたかも「泣きがごとき」とばかりに、「寛容の力、和解の力を世界は今こそ必要としています」と白地らしく言明する安倍首相。繰り返すが、この人の神経はどうなっているのか、僕にはとうてい理解できない。 本当に、「寛容の力、和解の力を世界は今こそ必要としています」と思っているのであれば、真珠湾(アメリカ)を訪問してアメリカにゴマをするようなスピーチをする前に、「15年戦争=アジア太平洋戦争」下で2000万人を超える犠牲者を出した中国やアジア諸国・地域に対して、まず「謝罪」し、その上で改めて「不戦の誓い」を子なうべきである。
 そこから全てが始まると僕などは思うが、安倍首相の頭の中には「戦前回帰」を目指しての「改憲」しかなかく、そのためには何でもする。
 もう、彼には鉄槌を加えるしかないのかも知れない
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岐路に立つ日本(9)――「日ロ」外交について(ご紹介)

2016-12-22 10:15:32 | 仕事
 今日、札幌市在住の畏友(元北海道新聞社会部記者)島田昭吉氏から、以下のような「紹介記事」が送られてきた。
 多くの人が耳を傾けるべき(考えるべき)記事だと思うので、「再紹介」する。高い支持率を誇る安倍内閣であるが、その中身が如何に「薄っぺら」なものかがよく分かるだろう。


【安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債】

=水島朝穂・早大教授12月22日(2016年)

 安倍首相を見ていると、その高揚感、自己満足感、「自己効力感」は並みではない。その専制的手法も進化(深化)しているように思われる。国会では自分と意見が違う者を蹴散らし、信じられない速度で法案(特に「カジノ賭博解禁法案」)を成立させる一方で、中国に対して強硬姿勢をとりつつ、米ロに対しては目を背けたくなるような「媚態外交」を展開している。その意味で、12月15日のロシア・プーチン大統領との会談は、外交の汚点として記録されるだろう。(中略)

 領土問題でまったく進展がなかっただけではない。平和条約交渉は事実上行われず、声明にも文書にもならなかった一方で、4島での「特別な制度のもとでの共同経済活動」に合意してしまった。「特別の制度」という曖昧な表現のもと、すでにロシアでは「ロシアの法律のもとで」という「解釈」がメディアを通じて流されている。安倍首相が「手応えを感じた」として前のめりになったのは、プーチン側から、1956年の日ソ共同宣言で明記された歯舞、色丹の2島返還と引き換えに、国後、択捉への経済援助を日本が行うという流れがほのめかされclip_image004ていたからである。安倍首相はこれに一方的な期待をかけて突っ走った。その結果、領土問題ではまったく進展がなかったどころか、1956年日ソ共同宣言の線よりも実質的には後退させてしまった上に、8項目の経済協力まで約束させられてしまった。

 そのあたりをロシアTVは「日本の官僚やメディアのヒートアップ」と茶化して、プーチンが「間には領土問題は存在しない。領土問題があると考えているのは日本側だ」という来日直前のインタビュー発言を「冷水」と表現したのである。

トランプ当選を読みきれなかった外務官僚は、ここでもロシアに完全にやられてしまった。加えて、首相側近の筋の悪さは、歴代政権にも例がない。今回、ロシアとの交渉を安倍首相は外務省を超えて、特命大臣にやらせた。ぶらさがり記者会見の時に、背後霊のように控える世耕弘成である。ネット支配のプロジェクトを仕切った官房副長官から、出世して経済産業大臣となり、ロシア経済分野協力担当大臣を兼務している。今回の外交の失策の「戦犯」の一人である。ロシアTVは、「結果が出せず」に憮然とする世耕の姿を映し出していた。

 北海道大学の木村汎氏は「日本完敗 合意は負の遺産」というコメントを寄せている(『東京新聞』12月17日付)。平和条約についてまったく成果がないのに、4島での「共同経済活動」の協議開始に合意してしまったことは、むしろマイナス効果を及ぼすと木村氏はいう。「主権の所在はどうでもよいという気分が醸成され、ロシアの実効支配が強化されるからだ」。そして、ロシア側にとっての大きな成果は、この訪日により、「G7による包囲網を突破した事実を全世界に喧伝できた」ことである。「安倍首相が前のめりの姿勢を示した結果として、プーチン氏は、ロシアが得意とする焦らしや恫喝、まず高値を吹っかける「バザール商法」などの交渉戦術を縦横に駆使し、最高首脳間の「信頼」関係の存在だけにすがる日本側を子供のように翻弄した」と。

「首脳間の信頼関係」というが、安倍の薄っぺらさはプーチンに最初から見透かされていた。プーチンとの会談についてオバマ米大統領の「許可」を得るために、TPPの国会承認を急いだ。途中でTPP反対のトランプが大統領に当選したのは大誤算だった。そして、「カジノ賭博解禁法案」を無理筋で成立させて、来年1月のトランプ新大統領との会談の「手土産」にしようとした。場当たり的、甘い認識、右顧左眄、無節操に彩色された「媚態外交」以外のなにものでもないだろう。

 EU首脳会議は14日、ロシアのクリミア併合に対する制裁措置を来年半ばまで延長することを決めた(Frankfurter Rundschau vom 16.12.2016)。まさにその日に、プーチンと「仲良し」を演出する安倍首相は、まったく国際社会の「空気」が読めていない。「空気が読めない」(KY)のではなく、そもそも空気が見えていない(KM)のかもしれない。会談が行われている12月15日、「シリア白ヘルメット」と国際人権団体が、国連に対して、ロシア軍機によるシリア爆撃によって市民1207人(子ども380人を含む)が死亡したことを報告していた(ロイター、FR vom 16.12)。欧米では「シリアにおけるロシアの戦争犯罪」について非難の声があがっている。そうしたなか、安倍首相は功をあせって、大局を見誤り、「プーチンとの蜜月」を全世界にアピールしてしまった。安倍政権下の日本が、EU諸国から見て、「価値観を共有する国」として懸念をもたれてしまったわけである。

 他方、安倍首相がトランプタワー58階に「駆け込み」、そこで日本でのカジノ解禁を「密約」した疑いがある。あれから「カジノ賭博解禁法案」の国会での優先順位は一気にあがった。女性蔑視やイスラム排斥、移民排除のトランプを、国際社会に向けて、「信頼できる人物」と太鼓判を押してしまったことのマイナスも計り知れない。日本は金をむしりとられ、信用まで失うだろう。

 屁理屈はまだ理屈のなかに入るが、安倍首相には理屈がない。無理屈である一方で、情緒的に熱く語る。今回も唯一、元島民の墓参など自由往来を改善することで合意した。それを引き出すため、安倍は島民の手紙をプーチンに渡した。まさに泣き落としである。本来そうした手法は、大局的な問題解決への動きのなかで行われるべきものである。それを、安倍首相は「大きな成果」として胸をはるわけである。昨年、安倍首相は、集団的自衛権の行使を合憲という「論理」の説明に、「友だちのアソウ君」とともに不良三人組とケンカするという仰天の例え話を持ち出したことは記憶に新しい(その写真は「直言」参照)。「地球儀を俯瞰する外交」ならぬ「地球儀を弄(もてあそ)ぶ外交」の破綻は、今回の日露首脳会談で一段と明確になったといえるだろう。(以下、略)


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岐路に立つ日本(8)――「強権政治」をいつまで続けるのか?

2016-12-15 10:10:42 | 仕事
 今日15日、安倍ス章のお膝元山口県長門市で何回目かの「日ロ首脳会談」が行われる。
 何故、東京ではなく山口県なのか、恐らく「おごり高ぶっている」安倍首相にしてみれば、自分の「権勢」が如何なるものなのかを選挙民(のみならず日本国民)に見せつけようとしての会場設定だったのだろうが、当初「今度の会談で北方領土問題に決着(糸口)を付ける」とか「日ロ平和条約締結へ一歩もニホも前身を」とか、「北方領土問題は私たち世代で決着を付ける」などと大見得を切り、国民の歓心(関心)を買うことに腐心していたが、プーチン大統領側の「現在の日ロ関係に領土問題はない」との一言で、安倍首相の目論見(軽口)は、見事に裏切られてしまった。
 それでも安倍首相らは、マスコミや御用学者を動員して「(今回の日ロ首脳会談は)日ロ関係改善への第一歩となるだろう」都の予想をばらまいている。本音は、もうほとんど壊滅状態にある成長経済施策(アベノミクス)を延命させる為に、首脳会談が終わったあとの「日ロ経済人会議」でどれほど日本の資本がロシア極東地区の「開発」に関われるか、つまりクリミア問題をきっかけに世界から「経済制裁」を受けているロシアに対して経済的に「ウイン・ウイン」の関係(経済協力関係)を築けるか、にあると思うのだが、果たしてうまくいくかどうか。
 軍事的には、対米・対日戦略の最前線の一部を形成する北方4島を、対ヨーロッパ・対中国関係に置いて厳しい経験を積んできたロシアが、そう簡単に帰すと僕に思えないのは、昨日に起こった沖縄でのオスプレイ墜落事故(安倍官邸や稲田防衛相は、躍起になって「墜落」ではなく、「不時着」などと言いつくろっているが、これは「内戦状態」にある南スーダンへ自衛隊のPKO部隊を派遣したときの「戦闘状態」ではなく「紛争状態」だから問題ない、と言い募ったのと同じ論理に他ならない)と合わせ鏡のようにして考えると、よくわかる。 あの残骸が海岸近くの岩礁に散らばっている写真を見れば、誰だって「不時着」ではなく「墜落」だと分かると思うが、翁長知事をはじめとする沖縄県民の「怒り」に比して、在沖米軍の責任者が事故に対して「謝る必要はない。三代住宅地に墜落させ名kったぱいろっと二感謝すべきだ」と言い放ったこと、及びその「信じられない」米軍の発言に対して、「徹底した事故原因の究明を」とは言ったが、棄権極まりないオスプレイの沖縄(普天間基地)への配備や横田基地への配備及び全国各地の自衛隊への導入について、何も言及しない安倍首相や稲田防衛相の政治姿勢(感覚)をこそ、僕らは問題にしなければならないのではないか。
 つまり、米軍基地内なならともかく、日本(沖縄)の国土に墜落した軍用機にかんして、日本警察はアメリカ軍による墜落機体の収容、捜索を見守るだけで、何の手出しもできない状態は、まさに「日米地位協定」の下での日米(軍事)関係を如実に反映したもので、いかに日本がアメリカの「属国」(51番目の州)状態にあるかを証すものでもある。 沖縄では2004年に普天間基地に隣接する沖縄国際大学のキャンパスに戦闘ヘリ(通称アパッチ)が墜落したときにも同じ光景が出現したのだが、考えてみたら、「戦後レジュームからの脱却」を叫び国民から支持を得てきた安倍首相らが、在日米軍について何も言えないことがよく表しているが、日本国憲法よりの上位概念として存在するような「日米安保体制」という「戦後レジューム」に、もっとも縛られている(隷属している)ように見えるのは、僕だけだろうか。
 そう言えば、先に紹介した『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(矢部宏治著 集英社刊)に教えられたことだが、安保条約下の日本では「どこにも米軍基地を置くことでき」「戦争や紛争がが起こったとき、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入る」(集団的自衛権の容認などという生やさしいものでなく、自衛隊はアメリカ軍の一部隊でしかない)というような、同じ第二次世界大戦の敗戦国でありながらドイツとはまるで違った戦後処理の仕方を甘受してきた日本、歴代の総理大臣が自分の首相就任直後にアメリカ大統領に会いに行く(安倍首相は、就任前にトランプ氏に会いに行ったが)、それはまさに日本がアメリカの「属国」であることの証なのだろうが、何とも嫌な気持がしている
 (このように書いている拙宅の上空をまた自衛隊12師団(相馬が原)のヘリコプターが飛んできた。この頃やけに飛行回数が多くなっているが、おそらくオスプレイの訓練基地のとして地元自治体(及び群馬県)が引き受けたが故に、自衛隊のヘリがその予行演習でをしているのだろう)「軍靴の音」が確実に近づいてきていることを実感する。
 それにしても、ウルトラ・ナショナリストたち(極右・極端な国粋主義者)の集団である「日本会議」の影響を大いに受けている安倍首相や稲田防衛相が、アメリカの「属国化」を強力に推し進めている、という「矛盾」、僕らはそのような「日和見主義」の極右政治家に引き回されているのかと思うと、何ともやり切れない思いを禁じ得ない
 それでも「絶望」だけはするまい、と今日もまた思うのだが……。
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岐路に立つ日本(7)――「巧言令色」とはこのことか!

2016-12-06 10:52:28 | 仕事
 今朝(6日)の新聞やテレビは、トップニュースとして今月26日・27日に安倍首相がオバマ大統領と共に「ハワイ(真珠湾)を訪問、慰霊する」ということををだ大々的に報じている。
 先にトランプが次期アメリカ大統領に当選した際に、「日本が見捨てられるのではないか」という恐怖心から、現職の大統領であるオバマを差し置いて、他の同盟国のどこもやらないような>「アメリカ大統領詣で」strong>を行った安倍首相の「対米姿勢=対米従属」の在り方を考えると、今回の「真珠湾での慰霊」はどんな魂胆があってのことなのか、全く不明だが、真珠湾訪問を決めたという記者会見(発言)において、次のような言葉を発したということを知り、あきれるより他なかった。
 安倍首相の発言の中心は、<(オバマ大統領との)ハワイでの会談はこの4年間を総括し、そして未来に向けて、さらなる同盟の強化の意義を世界に発信する機会にしたい。(中略)犠牲者の慰霊のための訪問だ。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。その未来に向けた決意を示したいと思う。同時に、まさに日米の和解、この和解の価値を発信する機会にもしたいと考えている。今や日米同盟は世界の中の日米同盟として、日米共に力を合わせて、世界のさまざまな課題に取り組む希望の同盟となった>と言うものだが、書き写していて気恥ずかしくなった。この発言には、つっこみどころが満載だからである。この発言によると、日本とアメリカは「まだ和解していない」ことになるし、オバマはもう「死に体」で、トランプ次期大統領が日本に対してどのようなことを要求してきていない段階で、脳天気に「日米同盟は希望の同盟だ」などと言ってしまうオポチュニズム(楽天主義)、「バカに付ける薬はない」とはこのことか、と思ってしまう。
 つまり、これまで何かあると「忠犬ハチ公」のごとくしっぽを振ってアメリカの意向を伺い、アメリカの意向のままに従い続けてきた安倍首相(安倍内閣)が「日米同盟は希望の同盟だ」という茶番。よくもまあ、恥ずかしくもなくこんなことが言えるな、と思うが、それにも増して、この人の「未来志向」というのが如何にいい加減なものであるかそれは自衛隊の海外での武器使用を認めた「安保法制=戦争法案」(集団的自衛権行使容認)を強行採決しながら、「二度と戦争の惨禍を許してはならない」と言う厚顔無恥ぶりにそれはよく現れているが、それよりは、太平洋戦争の開始を告げた「真珠湾(奇襲)攻撃」で犠牲となった約3000人のアメリカ人への「慰霊」は行うが、日清・日露の両戦争に始まるアジア太平洋地域への「日本の侵略」によって犠牲となった人々への「慰霊」は行わないのか?
 とりわけ、1910年に植民地化し、その終わりの方では「名前」もまた「母語」も奪った朝鮮(韓国・北朝鮮)への「謝罪」や戦争で犠牲となった朝鮮人への「慰霊」、あるいあhお案じ区植民地化した台湾人への「謝罪」と「慰霊、更には満州事変以降顕著になった中国への日本の「侵略」によって犠牲となった中国人への「謝罪」と「慰霊」は行わないのか。
 かつて「侵略の定義は様々だ」と言って朝鮮半島の植民地化や中国大陸への侵略を認めようとしなかった安倍首相、そんな安倍氏に「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」などという資格があるのか

 この人の発言は、いつでも誰かに操られているように実のない(=軽口)もの」だが、今回の「真珠湾での慰霊」「未来志向」「希望の同盟」などという言葉ほど、心に響かないものはない。
 そんな安倍首相が率いる内閣に「支持率60パーセント」(TBSテレビの世論調査、ここの世論調査は何故かいつも、他のメディアのものより高い数字を出す)をあたえる国民と日本という国、これこそ「ポピュリズム(大衆迎合主義)」そのものだと思うが、メディアも感覚が鈍っているのか、トランプが大統領選に勝利したことに象徴される欧米のポピュリズムには「警鐘」めいたものを発する日本のメディアも、足下(日本)で進行中のポピュリズムについて、もっともっと「警鐘」を慣らすべきなのではないか
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岐路に立つ日本(6)――「知」の頽廃に抗して

2016-12-04 10:03:06 | 仕事
 昨日は書ききれなかった「最近読んだ本」について、「続き」のような形で書いておけば、安倍自公政権を陰で支える(最近では公然と)「日本会議」に関する3冊の本の他、「蒙を啓かれる」ような本を2冊、読んだ。
 1冊は、前から気に掛かっていたのだが、中国(武漢)での教え子(現在「国費留学生」として博士号取得を目指して研究生活を送っている)が、学会で石川達三の『生きてゐる兵隊』に関わる研究発表するということで、アドバイスを求めてきたことを機に、これまた「積ん読」状態にあった『「南京事件」を調査せよ』(清水潔著 文藝春秋 8月刊)で、もう1冊は「日本会議」との関係でこれまた「積ん読」状態になっていた『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(矢部宏治著 集英社 5月刊)である。
 両書とも>、「緻密な調査」と「事実の発掘」という点で似たような特徴を持ち、大いに僕らの「蒙を啓く」内容に充ち満ちた本である。近頃、これほど多くの人に読んでもらいたいと思った本はない(もちろん、昨日紹介した3冊の「日本会議」に関する本も是非読んでもらいたい問いと思っている)。
 まず、1冊目の『「南京事件」を調査せよ」であるが、これは日本テレビの報道記者(ディレクター)である著者の、自分が中心になって制作し2015年10月4日に放映した「南京事件 兵士たちの遺言」の放映できなかった部分を含めて、『南京大虐殺事件」の真相について、「兵士たちの日記」や「残された写真」「当時の新聞・雑誌記事」などを基にその詳細を追求したルポルタージュ(ドキュメンタリー)である。
 おのれの思想的立場をできるだけ「無」にして、「事実」によって語らせるという手法、それは「南京大虐殺事件」を「南京事件」として、「虐殺」があったかなかったかは「事実」が証明するという著者の態度によく表れているのだが、中国側が現在南京市の記念博物館に大書きしている「犠牲者数:30万人」という数字が事実かどうかは別にして、1937(昭和12)年12月13日前後の「南京攻略戦」――南京城占領作戦において、数万人から数十万人の国民党軍将兵及び(老若男女の)南京市民を「虐殺した」という「事実」が存在することを明らかにした功績は、大きい。 
 この清水の『「南京事件」を調査せよ』を読めば、桜井よし子や山本七平やらの右派の論客および安倍晋三をはじめとする自民党の政治家たちが「幻」と言ってきたことが、それこそ「幻」であり「妄想」、あるいは「為にする議論」であることが編然とする 
 すでに僕は、「南京大虐殺事件」が「事実」として存在したことについて、前記した石川達三の『生きてゐる兵隊』(1938年)や火野葦平の『麦と兵隊』(同)や『土と兵隊』(同)などの中国大陸を舞台とした様々な「戦争文学」の描写を取り上げて指摘してきたが、清水のこの本は南京攻略戦に参加した兵士たちの「日記」や「証言」などから「南京大逆津」は存在した、と証明して説得力のある本になっている。
 「中立」を装い、あったかなかったかを「曖昧」にしているヴィキペディアなどの記述に頼らず、清水の記述に従って多くの人が「素直」に「事実」確認をして欲しいと思う。
 2冊目の『日本はなぜ、「戦争のできる国」になったのか』は、実を言えば、僕の知らなかった戦後史の「事実」、つまり「対米従属」の度を深める安倍自公政権の「大本」が、占領時代から「サンフランシスコ講和条約」と「(第一次)安保条約』が結ばれた1952年前後におけるアメリカの対極東(日本)対策にあるということを、アメリカ(在日米軍)と日本政府(保守政権・安倍晋三氏が敬愛して止まない祖父・岸信介などをリーダーとする自民党政権)の間で交わされた「密約」――著者は、それを(在日米軍に対する)「基地権密約」と「指揮権密約」に別けている――を基に、白日の下に暴き出している。
*「アメリカは安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに、『極東における平和と安全の維持に貢献するため』という理由で米軍を使うことができる」→在日米軍は、まったく「自由」に日本政府に「断る」ことなく、日本の存在する基地から出撃することができる、という意味。
*「平和条約および安保条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍、海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は許与し、アメリカ合衆国はこれを受諾する」→アメリカは、在日米軍基地を日本の「どこにでも」自由につくることができる。沖縄における辺野古沖の新基地、ヤンバル地区の「ヘリパッド」建設を想起せよ。
*「戦争または差し迫った戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は、沿岸警備隊を含めて、アメリカ政府によって任命された最高指揮官の統一指揮権の下に置かれる」→自衛隊の指揮権が内閣総理大臣ではなく、アメリカ政府(アメリカ軍最高司令官)にあること、最近頻度を増してきた太平洋上における「日米合同訓練」、黄海における「日米韓合同訓練」が、アメリカ軍主導で行われていることの理由がここにある。
 これらの条項を読んで、「空恐ろしくなった」のは、僕だけか。日本が戦後一貫してアメリカ(軍)に従属してきたという「事実」、このことの意味を僕らはもう一度考え直さなければならないのではないだろうか
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岐路に立つ日本(5)――何故?

2016-12-03 10:10:31 | 仕事
 このところ、ずっと前回書いた「何故日本国民は安倍政権に50%モノ支持率を与え続けているのか」の理由を探るべく、本を読みあさってきた。
 安倍首相ら政権幹部に大きな影響を与えていると言われる「日本会議」に関する調査報告・検証と言うべき菅野完の『日本会議の研究』(扶桑社新書 5月刊)、青木理の『日本会議の正体』(平凡社新書 7月刊)、山崎雅弘の『日本会議――戦前回帰への情念』(集英社新書 同月刊)、これらの3冊は「この頃日本会議という<右翼の妖怪>が巷を歩き回っている』と言うことで、買いおいた本だったのだが、何故自公政権(日本維新の会が側面援助した)は、多くの憲法学者が「違憲」とする安保法制=戦争法案を「強行採決」しなければならなかったのか、今ひとつ納得できなかったので、その思想的背景を探るべく、一挙に3冊同時並行的に読んだのである。
 その結果、判明したのは、これまでにも何度か触れてきたが、安倍自公政権(とりわけ自民党)は、先のアジア太平洋戦争への反省から手に入れた戦後的価値、つまり日本国憲法に象徴される「平和と民主主義」に基づく社会を否定し、あの「日本国民を塗炭の苦しみに落とした」絶対主義天皇制下の「戦前の日本」に回帰することを望んでおり、特定秘密保護法をはじめ安保補遺案の制定も、みなその「戦前回帰」への布石だということである。
 このことは、次に列記する「日本会議の目指すもの」と、安倍首相がおりある事に発してきた言葉との整合を見れば、すぐ理解できることである。
 1.美しい伝統の国柄を明日の日本へ→安倍首相の「美しい日本」と「日本を取り戻す」との類似
 2.新しい時代にふさわしい新憲法を→自公政権の「改憲」への動き
 3.国の名誉と国民の命を守る政治を→自民党の「改憲草案」における国権主義を想起
 4.日本の感性をはぐくむ教育の創造を→「道徳教育」の点数化(教育勅語の復活)
 5.国の安全を高め世界への平和貢献を→自衛隊の海外進出・近い将来は「徴兵制」を
 6.共生共栄の心でむすぶ世界との友好を→「大東亜共栄圏」建設の夢をもう一度

 これらの項目を実現するために、安倍自公政権が行ってきたことは、「治安維持法」下の戦前がそうであったような国民から「知る権利」を奪うのを目的としてマスコミ・ジャーナリズムにおける「批判勢力」を一掃したこと――自民党に批判的なテレビのキャスターに対する圧力を強め、その結果テレビ朝日から古館伊知郎が、TBSのニュース23から岸井氏が消えた――であった。誰かが「軍靴の足音が聞こえてくる」と言っていたが、このままではいよいよ僕らは「息苦しい・恐ろしい」時代を生きていくことになる。
 総じて、「日本会議」の思想を実現しようとしている安倍自公政権は、その「戦前回帰」が象徴するように、「ナショナリズム(国粋主義)」と「ファシズム」の合体したものだと思うが、ここでやっかいな問題は、先の大戦の敗北によって日本が連合軍(アメリカ軍)に占領されたことを紀元とする「日米安保体制」のくびきから、自公政権は逃れられないという「宿命」を背負っているということである。つまり、安倍自公政権に対して、単純に「戦前回帰」とは言えず、「日米同盟」という名の「対米従属」という現実と理念としての「戦前回帰」との間に「ねじれ」が生じているということである。
 本来は、日本だけで支配したい南方(沖縄・奄美地方)において、アメリカ軍の言いなりになって沖縄の辺野古沖に「新基地」を建設し、また世界遺産(自然保護遺産)に登録されようかというヤンバル地区の原生林を切り開いてにオスプレイ訓練用の「ヘリパッド」の建設を強引に推し進めていることに対して、たぶん、本質的にナショナリスト(国粋主義者)である「日本会議」の面々や安倍首相は苦々しく思っているのではないだろうか。
 もっとも、「戦前のような天皇制国家を望むこと」と就任前のアメリカ大統領(都欄宇)に押っ取り刀で駆け付けるという「対米従属」主義の「矛盾」に、あのいかにも頭の悪そうな安倍晋三氏は気付かないかも知れないが、自分の理解が及ばないこと(批判されること)に対して居丈高になって大声を上げるしか能のない首相を支持する日本国民も、また「愚か」と言わねばならないのかも知れない 
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