黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

普天間基地移設問題

2009-12-29 08:51:18 | 仕事
 今問題になっている普天間基地移設問題に関して、元北海道新聞記者の島田昭吉さんから以下のようなメールが来たのでが、「転載」する。

 国際情勢解説者・田中宇(たなか・さかい、元共同通信)がホームページ「田中宇国際ニュース解説」で『米国は沖縄海兵隊のほとんどすべてを2014年までにグアム島に移転する計画を実施している(中略)普天間基地の代替施設を、名護市辺野古など沖縄(日本国内)に作る必要はない。辺野古移転をめぐる、この数年の大騒ぎは、最初からまったく不必要だった』との見方を紹介しています。外務省にとって都合のよい「対米従属の構図」維持のため、ウソをついている、との見方です。以下、「解説」のコピーをどうぞ。

【官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転】

 この記事は「日中防衛協調と沖縄米軍基地」の続きです。前回の記事を書いた後、読者からの連絡を受け、沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長が11月末から、在日米軍に関する常識を覆す非常に重要な指摘をしていることを知った。

 沖縄の海兵隊は米国のグアム島に移転する計画を進めている。日本のマスコミや国会では「沖縄からグアムに移転するのは、海兵隊の司令部が中心であり、ヘリコプター部隊や地上戦闘部隊などの実戦部隊は沖縄に残る」という説明がなされてきた。しかし伊波市長ら宜野湾市役所の人々が調べたところ、司令部だけでなく、実戦部隊の大半や補給部隊など兵站部門まで、沖縄海兵隊のほとんどすべてを2014年までにグアム島に移転する計画を米軍がすでに実施していることがわかった。普天間基地を抱える宜野湾市役所は、以前から米軍に関する情報をよく収集し、分析力がある。
 ヘリ部隊や地上戦闘部隊(歩兵部隊)のほとんどがグアムに移転するなら、普天間基地の代替施設を、名護市辺野古など沖縄(日本国内)に作る必要はない。辺野古移転をめぐる、この数年の大騒ぎは、最初からまったく不必要だったことになる。米軍が沖縄海兵隊をグアムに全移転する計画を開始したのは2006年である。日本政府は米軍のグアム移転に巨額の金を出しており、外務省など政府の事務方は米軍のグアム移転計画の詳細を知っていたはずだが、知らないふりをして「グアムに移る海兵隊は司令部などで、沖縄に残るヘリ部隊のために辺野古の新基地が必要だ」と言い続けてきた。

宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」

 伊波市長は11月26日に上京し、この件について与党の国会議員に対して説明した。同市長は12月9日には外務省を訪れ、普天間基地に駐留する海兵隊はすべてグアムに移転することになっているはずだと主張したが、外務省側は「我々の理解ではそうなっていない」と反論し、話は平行線に終わった。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/091126_mayor_4.pdf

伊波市長が与党議員に説明した時に配布した資料

http://www.qab.co.jp/news/2009120913727.html

伊波宜野湾市長 政府にグアム移転を要請

▼司令部は移転する8千人中3千人だけ
「米国は、沖縄海兵隊の大半をグアムに移そうとしている」と伊波市長が主張する根拠の一つは、米当局が11月20日に発表した、沖縄海兵隊グアム移転(グアム島とテニアン島への移転)に関する環境影響評価の報告書草案の中に、沖縄海兵隊のほとんどの部門がグアムに移転すると書いてあることだ。環境影響評価は、軍のどの部門が移転するかをふまえないと、移転が環境にどんな影響を与えるか評価できないので、米軍が出したがらない移転の詳細を報告書に載せている。

http://www.guambuildupeis.us/documents

Guam and CNMI Military Relocation Draft EIS/OEIS

 8100ページ、9巻から成る環境影響評価の報告書草案の2巻や3巻に、沖縄からの海兵隊移転の詳細が書かれている。そこには、海兵隊のヘリ部隊だけでなく、地上戦闘部隊や迫撃砲部隊、補給部隊までグアムに行くことが書いてある。第3海兵遠征軍(MEF)の司令部要素(3046人)だけでなく、第3海兵師団部隊の地上戦闘要素(GCE、1100人)、第1海兵航空団と付随部隊の航空戦闘要素(ACE、1856人)、第3海兵兵站グループ(MLG)の兵站戦闘要素(LCE、2550人)が、沖縄からグアムに移転する。4組織合計の移転人数は8552人であり「沖縄からグアムに8000人が移転する」という公式発表と大体同じ人数である。「グアムに移転する8000人は司令部中心」という外務省などの説明は明らかに間違いで、司令部は3046人で、残りは実戦部隊と兵站部隊である。

http://www.guambuildupeis.us/documents_store/volume_2/Volume%202%20Chapter%202.pdf

VOLUME 2: MARINE CORPS - GUAM

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html

宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」
 米国側が、沖縄の海兵隊の大半がグアムに移る計画内容を発表したのは、これが初めてではない。2006年9月に米軍が発表した「グアム統合軍事開発計画」に、海兵隊航空部隊とともにグアムに移転してくる最大67機の回転翼機(ヘリコプター)などのための格納庫、駐機場、離着陸地(ヘリパッド)を建設すると書いてある。普天間に駐留する海兵隊の回転翼機は56機だから、それを超える数がグアムに移転する。普天間の分は全部含まれている可能性が高い(残りは米本土からの前方展開かもしれない)。

http://www.docstoc.com/docs/5646080/Guam-Integrated-Military-Development-Plan

Guam Integrated Military Development Plan

 この「グアム統合軍事開発計画」は、グアムを世界でも有数の総合的な軍事拠点として開発する戦略だ。米国は「ユーラシア包囲網」を作っていた冷戦時代には、日本や韓国、フィリピンなどの諸国での米軍駐留を望んだが、冷戦後、各国に駐留する必要はなくなり、日本、韓国、台湾、フィリピン、インドネシアなどから2000海里以下のほぼ等距離にあるグアム島を新たな拠点にして、日韓などから撤退しようと考えてきた。

http://posts.same.org/JEETCE2007/presentations/2.3Bice.pdf

グアムの戦略地図
 その具体策として、海兵隊の全構成要素を沖縄から移すだけでなく、海軍と空軍の大拠点としてグアムを開発し、米軍の全部門が連携できる体制を作る計画を打ち出している。沖縄の海兵隊は、小さな出先機能が残存する程度で、残りはすべてグアムに移る方向と考えるのが自然だ。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/siryo_6_2.pdf

「グアム統合軍事開発計画」より抜粋

▼一週間で消された詳細なグアム計画
 米軍の「グアム統合軍事開発計画」は、06年7月に策定され、9月に発表された。策定の2カ月前の06年5月には、米軍再編(グアム移転)を実施するための「日米ロードマップ」が日米間で合意され、この時初めて、日本政府が沖縄海兵隊グアム移転の費用の大半(総額103億ドルのうち61億ドル)を払うことが決まった。米軍は、日本が建設費を負担してくれるので、グアムに世界有数の総合的な軍事拠点を新設することにしたと考えられる。

http://www.mofa.go.jp/mofaJ/kaidan/g_aso/ubl_06/2plus2_map.html

再編実施のための日米のロードマップ
 とはいえ、米軍の「グアム統合軍事開発計画」は、国防総省のウェブサイトで公開されて1週間後に、サイトから削除されてしまった。「日米ロードマップ」にも、沖縄からグアムへの海兵隊移転は「部隊の一体性を維持するような形で」行うと書いてあり、司令部だけではなく実戦部隊も移転することがうかがえるが、同時に「沖縄に残る米海兵隊の兵力は、司令部、陸上、航空、戦闘支援及び基地支援能力といった海兵空地任務部隊の要素から構成される」とも書いてある。「海兵空地任務部隊」とは、海兵隊の主要機能全体をさす言葉で、曖昧である。

http://en.wikipedia.org/wiki/Marine_Air-Ground_Task_Force

Marine Air-Ground Task Force From Wikipedia

 日米は、沖縄海兵隊のうち何がグアムに移転し、何が沖縄に残るかを意図的に曖昧にしておくことで、海兵隊が今後もずっと沖縄に駐留し続け、日本政府は「思いやり予算」などの支出を米軍に出し、財政難の米軍はその金をグアム基地の運用費に流用し、日本政府は1日でも長く続けたかった対米従属の構図を残せるという談合をした疑いがある。「グアム統合軍事開発計画」は、具体的に書きすぎており、沖縄海兵隊が全部グアムに移ることがバレてしまう心配が出てきたので、1週間で削除したのだろう。

http://tanakanews.com/091115okinawa.htm

日本の官僚支配と沖縄米軍
 その後、宜野湾市関係者が、グアム統合軍事開発計画を根拠に、米国沖縄総領事に「普天間基地の海兵隊ヘリ部隊がグアムに移転する計画ではないか」と尋ねたところ、総領事は「あれは紙切れにすぎない」「正式な決定ではない」と返答し、沖縄海兵隊でグアムに移るのは司令部機能だけだと主張した。だが、その3年後の今年11月20日の環境影響評価の報告書草案でも、グアム統合軍事開発計画の内容は踏襲されており、米軍は沖縄海兵隊の大半をグアムに移す計画を粛々と進めている。伊波市長は先日、グアム統合軍事開発計画について「この3年間、この計画に沿ってすべてが進行している」と指摘した。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html

宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」
 宜野湾市は、周辺市町村も誘って、2007年8月にグアム島の米軍基地を視察し、米軍やグアム政府からの聞き取りや資料集めを行った。その結果、以下のことがわかった。(1)グアムのアンダーセン空軍基地の副司令官に、沖縄の海兵隊航空部隊の施設建設予定地を案内され「65機から70機の海兵隊航空機が来る」と説明を受けた。普天間の常駐機は71機。ほぼ全数がグアムに移る。(2)グアムのアプラ海軍基地に、今は佐世保に配備されている、強襲揚陸艦エセックス、ドック型揚陸艦ジュノー、ドック型揚陸艦ジャーマンタウン、ドック型揚陸艦フォートマックヘンリーのために、停泊施設が新設される。海兵隊の軍艦は、佐世保からグアムに配置換えになる。有事に備え、揚陸艦の近くに駐留する海兵隊の戦闘部隊や兵站部隊もグアムに移ることは、ほぼ確実である。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/071030_0708013_mayor_2comment.pdf

グァム米軍基地視察報告(2007年8月13日)
 08年9月には、米国防総省の海軍長官から米議会下院軍事委員会に、グアム軍事計画の報告書「グアムにおける米軍計画の現状」が提出された。その中に、沖縄からグアムに移転する海兵隊の部隊名が示されており、沖縄のほとんどの実戦部隊と、ヘリ部隊など普天間基地の大多数の部隊がグアムに行くことが明らかになった。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html

宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」
▼外務省が捏造した1万人の幽霊隊員
 外務省発表や大手マスコミ報道によると、沖縄には1万8000人の海兵隊員がおり、グアムに移るのはそのうち8000人だけで、グアム移転後も沖縄に1万人残る話になっている。私もその線で記事を書いてきた。しかし、在日米軍の司令部によると、1万8000人というのは「定数」であり、実際にいる数(実数)は1万2500人である。しかも、沖縄タイムスの06年5月17日の記事「グアム移転人数の『怪』」によると、沖縄にいる海兵隊の家族の人数は8000人で、発表どおり9000人の家族がグアムに移るとなると、残る人数が「マイナス」になってしまう。

http://www.awcjapan.org/data/okinawa/okinawa090223.htm

「在沖縄海兵隊のグアム移転に係る協定」の署名に抗議する
 沖縄海兵隊の「実数」は、軍人1万2500人、家族8000人の計2万0500人だ。これに対してグアムが受け入れる人数は軍人8000人、家族9000人の計1万7000人である。家族数の「マイナス」に目をつぶり、総数として引き算すると、沖縄に残るのは3500人のみだ。米軍再編の一環としての「省力化」を考えれば、米本土に戻される要員も多いだろうから、沖縄残存人数はもっと減る。今回の宜野湾市の資料は「沖縄に残るとされる海兵隊員定数は、今のところ空(から)定数であり、実働部隊ではない」としている。空定数とは、実際はいないのに、いることになっている人数(幽霊隊員)のことだろう。

http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/37840/37844.html

宜野湾市「普天間基地のグァム移転の可能性について」
 外務省などは、1万人の幽霊部員を捏造し、1万人の海兵隊員がずっと沖縄に駐留し続けるのだと、日本の国民や政治家に信じ込ませることに、まんまと成功してきた。沖縄の海兵隊駐留は、日本が対米従属している象徴であり、外務省は「米国に逆らうと大変なことになりますよ」と政治家や産業界を脅し、その一方で、この「1万人継続駐留」を活用して思いやり予算などを政府に継続支出させて米軍を買収し「米国」が何を考えているかという「解釈権」を持ち続けることで、日本の権力構造を掌握してきた。

http://tanakanews.com/091115okinawa.htm

日本の官僚支配と沖縄米軍
 この捏造された構図の中では、普天間基地は今後もずっと返還されない。辺野古では、すでにキャンプ・シュワブの海兵隊基地内に、海兵隊員用のきれいな宿舎や娯楽施設が何棟も建設されている。海兵隊員は2014年までにグアムに移るのだから、これらは短期間しか使われない。外務省らの詐欺行為によって、巨額の税金が無駄遣いされてしまった。これは、自分らの権力を増強するため公金を無駄使いする犯罪行為である。伊波市長は今年4月、参考人として国会に出たときに「幽霊定数が重視されるのなら(海兵隊グアム移転費として日本が出す)60・9億ドルは無駄金になりかねません」と言っている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/171/0005/17104080005007a.html

○伊波参考人 2009年4月8日
(最終的に、海兵隊が沖縄から出ていった後、キャンプ・シュワブは自衛隊の基地となり、辺野古の宿舎は自衛隊が使うことになるのかもしれない)
▼歓迎されない橋下関空容認発言
 沖縄海兵隊は、1万人の幽霊定員を残し、日本から巨額の金をもらいつつ、着々と沖縄からグアムに移転している。しかし表向きは、1万人残存を前提に、辺野古に新しい基地を作る話が続いており、沖縄の人々は反対の声を強めている。反対の声を聞いて、大阪の橋下徹知事が11月30日に「海兵隊が関西空港に移ってくることを容認する」という趣旨の発言をしたが、実は橋下知事はその2週間前にも記者団に同様のことを言っており、その発言は国会でも問題になったが、マスコミはこれらの出来事をまったく無視した。11月30日の会見はフリーのジャーナリストが会見の一部始終をユーチューブで公開し、それが人々の話題になったので、仕方なくマスコミも橋下の発言を報道したのだという。

http://www.j-cast.com/2009/12/07055624.html

大手マスコミ黙殺した橋下発言 「普天間関西へ」浮上の舞台裏
 マスコミを、外務省など官僚機構が操作するプロパガンダ機能としてとらえると、マスコミが橋下発言を無視する理由が見えてくる。米軍は沖縄海兵隊のほとんどをグアムに移転するのだから、普天間基地の代替施設は日本に必要ない。「普天間の移転先を探さねば」という話は、具体化してはならない。橋下がよけいな気を回し、本当に海兵隊を関西空港に移す話が具体化してしまうと、詐欺構造が暴露しかねない。だから、橋下の発言は歓迎されず、無視されたのだろう。
 海兵隊の移転先として硫黄島の名前が挙がったり、嘉手納基地と統合する構想が出たりしているが、同様の理由から、いずれも話として出るだけで、それ以上のものにはなりそうもない。(橋下知事は大阪府民に向かって「みんなで沖縄のことを考えよう」と呼びかけており、これは以前に書いた「沖縄から覚醒する日本」と「民主党の隠れ多極主義」で指摘した、沖縄基地問題と地方分権をつないだ日本覚醒の流れに見える)

http://tanakanews.com/091104okinawa.htm

沖縄から覚醒する日本

http://tanakanews.com/091106DPJ.php

民主党の隠れ多極主義
▼日本の将来を決する天王山に
「海兵隊はグアムに全移転しようとしている」という、宜野湾市長の指摘も、マスコミでは報じられなかった。だが、11月末に伊波市長がその件を与党議員に説明した後、12月に入って鳩山首相が「そろそろ普天間問題に日本としての決着をつけねばならない」「グアムへの全移転も検討対象だ」と発言し、事態が一気に流動化した。鳩山がグアム全移転を言い出したことが、伊波市長の指摘と関係あるのかどうかわからないが、議論の落としどころは「グアム全移転」で、それに対する反対意見を一つずつガス抜きしていくような展開が始まっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091204-00000058-yom-pol

普天間移設「新しい場所を」首相が指示
 そもそも「グアム全移転」は、日本側が提案することではなく、すでに米国がやっていることなのだが、世の中はマスコミ報道を「事実」と考えて動いており、海兵隊1万人沖縄残留という捏造話が、国民の頭の中で「事実」になっている。マスコミがプロパガンダ機能だと国民に気づかせることが首相にもできないほど、この機能が持つ力が強い以上、鳩山はグアム全移転を「米国に提案する」という形式をとらざるを得ない。
 鳩山は「(普天間移設に関する)政府の考え方をまとめるのが最初で、必要、機会があれば(米大統領と会談したい)」と言っているが、まさに必要なのは、米国と再交渉することではなく、政府の考え方をまとめ、海兵隊員水増しの捏造をやめることである。外務省など官僚機構が了承すれば、日本は「海兵隊は2014年までにグアムに全移転してほしい」という方針で一致し、米軍がすでに進めている移転計画を、ようやく日本も共有することになる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00001214-yom-pol

日米首脳会談、要請もできず…米側も消極的
 海兵隊グアム全移転が政府方針になると、海兵隊1万人沖縄残留という捏造話に基づく対米従属の構造が崩れ、外務省など官僚機構は力を失っていく。だから外務省とその傘下の勢力は、全力で抵抗している。事態は、日本の将来を決する「天王山」的な戦いとなってきた。自民党は、民主党政権を批判すべく、今こそとばかり党内に大号令をかけた。自民党は、官僚依存・対米従属の旧方針を捨て、保守党としての新たな方向をめざすべきなのだが、依然として官僚の下僕役しか演じないのは愚かである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091209-00001155-yom-pol

自民が民主批判の大号令、問題指摘のメモ作成
 政権内では、北沢防衛大臣がグアムを訪問した。海兵隊のグアム全移転が可能かどうかを視察しに行ったのだろうが、向こうの米軍などに恫喝されたらしく、グアムにいる間に「グアム全移転はダメだ。日米合意からはずれる」と表明した。これに対して社民党の議員が「ちょっと行って、ちょろっと見て『ダメ』って結論が出るのか」と非難するなど、連立与党内も乱闘になっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091210-00000554-san-pol

社民・重野氏「ちょろっと見て結論出るのか」 グアム移設で防衛相に不快感

 日本政府が「グアム全移転」でまとまった場合、日本が米軍の移転費用を2014年以降も出し続けるかどうかが、日米の問題となる。米軍がグアムを大軍事基地に仕立てる計画について、米軍は当初、総額107億ドルで完成できる(うち60・9億ドルを日本が出す)と言っていたが、これにはグアムで軍関係の人員や車両が増えることによる道路や上下水道、電力網などの補強工事にかかる61億ドルが含まれていない。米政府の会計検査院(GAO)は今年7月、この件で米軍を批判する報告書を発表した(基地移設により、島内人口は14%増となる見込み)。

http://www.stripes.com/article.asp?section=104&article=63628

GAO says cost of Guam move will exceed estimate

 米軍は予算オーバーの常習犯で、事業が予算を大幅に超過するのは30年前からの常態だ。米軍は、超過分は日本に出させようと考えていただろうが、鳩山政権は対米従属からの自立を掲げており、財政難を理由に、金を出し渋るだろう。今回の北沢防衛相のグアム訪問時に、グアムの知事が沖縄からの海兵隊移転に初めて反対を表明したが、この反対表明の裏には、日本にグアムのインフラ整備費も出してほしいという要求があるのだろう。
 米政府も財政難なので、海兵隊グアム移転にかかる費用の増加分を日本が出さない場合、海兵隊がグアムに移らず、普天間に居座る可能性もある。だが、そうなると海兵隊の居座りに対する沖縄県民の反対も強くなり、鳩山政権は、金を出さないで海兵隊に撤退を要求するという、フィリピンなど世界各国の政府がやってきた「ふつうの国」の要求をするかもしれない。最終的に、米軍は日本らか追加の金をもらえずに出て行かざるを得ず、この場合はグアム移転の要員数が縮小され、米本土に戻る人数を増やすことで対応すると思われる。
「政府や議会が一度決議するだけで米軍を出て行かせられる」という、日本人が「そんなことできるわけない」と思い込まされてきた世界の常識が、ようやく日本でも実行されることになる。


休みのない冬休みが……

2009-12-26 09:53:12 | 仕事
 昨日(25日)で今年の授業が終わり、大学の方は一応「冬休み」に入った(1月5日まで、11日間)。普通なら(例年なら)ここで一服ということになるなのだが、今年は新春早々「週刊読書人」の『立松和平全小説』に関わる巻頭対談の準備、及び「上毛新聞」に依頼された司修さんの『戦争と美術と人間』(白水社刊)の書評、『立松和平全小説』第6巻の「解説」執筆、『月光』の「特集 全共闘と文学」に関する論考1本、「文芸時評」(大江健三郎の新作『水死』を中心に最近の女性作家の作品の特徴について書く予定)1本を書かなければならない状況になっており、ほとんど休んでいる時間がない。
 別に先送りしたからこのような状態になったということではなく、たまたまそのような「めぐりあわせ」になったののだろうと思うが、正直「しんどい」。
 家人には「今年は忙しいから、年末年始、余り手伝えないよ」と言っているのだが、家の周りの掃除や後片付けはたぶん僕の仕事になるだろうし、31日の大晦日は5軒分の「年越しそば」を打つ(そばつゆ造りも)という避けられない仕事もある。5軒分のそばというのは、「10割そば」なのでおよそ3キロのそば粉を使い、1キロのそばを打つのに約40分ぐらいかかるから(僕のそばは、「裁ち蕎麦」方式なので、フリーハンドでできるだけ細く切るのに時間がかかる)、途中に休みを入れて約3時間近くかかる(この時間がたくさんかかるというのが、素人の悲しさかも知れない)。それに、そばつゆ造りにも、1週間ほど前に作った「返し」を基に鰹だしをベースにして「企業秘密」のダシを使うので、結構時間がかかるので、31日に批評の仕事をする時間はほとんど無い、と思われる。
 となると、先に記した「予定」は、今から「未定」ということになってしまう。しかし、世の中みなそんなものなのではないか、そのぐらいの「余裕=寛大さ」をもって他者の在り方・考え方を見ていかないと、昨今のマスコミ・ジャーナリズムのように、民主党鳩山政権に対して、財源がないままに来年度予算を組まなければならなかった現実など無視して、「公約=マニフェスト違反だ」「詐欺行為だ」だと批判して、いつも「我は正義なり」というような顔をしなければならなくなるのではないか、と思う。どう考えても、昨今のマスコミ・ジャーナリズムが展開している民主党(鳩山政権)の「マニフェスト違反」批判も、その元を正せば、前の自公政権の「負の遺産」、例えば官僚主導の政治、をどのように改革していくのかという点に発するものであって、以前は自公政権を批判していたのに、現在は同じ論法で民主党・鳩山政権を批判する、マキュアベリズム(政治主義)と言ってしまえばそれまでであるが、「100か0か」ではなく、70で合格、あるいは60で合格、というような緩やかさがないと、ぎすぎすした世の中になり、結果として秋葉原事件や土浦事件のように「生命の尊さ」を蔑ろにした事件が日常化するような社会になってしまうのではないか、と思う。
 もう少し、何もかもスローでいいのではないか。忙しい年末を迎え、そのことを痛感している。

予定は未定

2009-12-22 08:38:39 | 仕事
 民主党が「マニフェスト」として掲げた「所得制限なしの子供手当て」やガソリン価格に大きな比重を占める(1リットル当たり25円ほど)「暫定税率」などをめぐり、鳩山首相の決断力の無さや小沢一郎幹事長の「豪腕ぶり=民主党支配・鳩山政権の実質的支配者」などがマスコミ・ジャーナリズムを騒がしているが、全体の論調を支配している「完全無欠主義」や「正義の味方」的な考え方に、どうも馴染めないでいる。
 理由は、国民が望んだ=総選挙で民意を明らかにしたところの「政権交代」について、その結果はどうなるのか、という2,3ヶ月では結果を出しようがない事柄については等閑視しながら、元々自公政権がくみ上げた「予算」の組み替えで四苦八苦している現状を知りながら、些末な部分で「黒白を付ける」ことに異常な意欲を見せているマスコミ・ジャーナリズムに、どうも僕らは踊らされているのではないか、と思われて仕方がないからである。例えば、予算の事業仕分けを行うに際して「予定=希望」として掲げた目標額(3兆円)が、結果として下回ったからと言って鳩山政権の決断力の無さを云々し、どの政党が予算を組んでもこの不況下では税収入が減るのが分かっていながら、鳩山政権が「44兆円」の赤字国債発行を行ったからといって批難する、そんな民主党政権に「色目」を使って「地方に金を回せ」と陳情するかつては自民党総裁を夢みた(冗談だったのだろうが)どこかの県の知事、等々を見ていると、何故もう少し長いスパンで物事を考えられないのか、「改革(革命)は一日にしてならず」という言葉の意味が分かっているのか、と思うのである。
 物事が「予定=希望」通りいったら、それほど幸せなことはない。誰もが「希望=予定」通りいかないから、悩んだり苦しんだり、悲しんだりするのである。そして、私たちの生きるこの社会はそのような「予定不調和」があることを前提に、「共同・協働」(「友愛」「共愛」とまでは言わないが)という関係性を獲得し、それを基底に「想像力」を最大限発揮することで、自分たちの生きる現場=生活を「豊か」にしてきたのではなかったか。
 そのようなことを考え、自分たちの在り方、例えば「1年の計は元旦にあり」ということで念頭に考えた「今年の予定=計画=希望」をどれだけ実現できたか、を考えれば、他の人も僕と同じなのではないかと思うが、たぶん「半分」も実現できていれば御の字ということになるのではないか、と思う。
 というのも、先頃出版ニュース社から恒例の「今年(2010年)の執筆予定」なる葉書アンケートが送られてきてそれに応えたのだが、因みに今年(2009年)予定していたことと実現したことを大雑把に比較したところ、予定外の仕事が入ったり、予定していた本の執筆に関して未だに1枚も書いていないという現実があることに、改めて気付かされたからである。「予定=希望」など半分実現できればいいなどと考え、毎年「今年の執筆予定」のアンケートに応え続けてきたのだが、昨今の鳩山政権に対するマスコミ・ジャーナリズムのバッシングを見るにつけ、もう少し長いスパンで考えべきだ、と思った方に他ならない。
 そして更に思ったのは、僕らは二大政党制の代表例であるアメリカやイギリスの「政権交代」と同列に今回の民主党による「政権交代」を見るべきではない、ということである。例えば何度も何度も共和党と民主党の「政権交代」を行ってきたアメリカと、政権交代経験3ヶ月の日本と同じようなレベルで見るのは早計なのではないか、もう少し「ゆっくり」考えるべきなのではないか、ということである。
 もちろん、僕の中に民主党・鳩山政権に対する「不満」がないわけではない。一番の不満は、何度もこの欄で書いたように「普天間基地移設問題」、あるいはその問題に連動する「思いやり予算」などに対する姿勢である。沖縄の現実、あるいは基地周辺の住民の現実を知れば、アメリカ軍基地を国外に移転して欲しいというのは、紛れもなく「国民の声」だと思うのに、「国民の声」をバックに国会で安定多数を獲得したはずの民主党が、相変わらず自公政権時代と同じ対応をしているのは、どういうことか。国民は、日米安保体制の根本から見直せ、といっているのに、「日米合意こそ大事」と金科玉条の如く喋っている連中(自民党議員も民主党議員も)の頭はどうなっているのか、と思わざるを得ない。
 全て「予定は未定」と思えば、いくらでも「やり直し」は可能なはずである。政治(外交・軍事)の世界だけが例外などということはあり得ない。そのことを肝に銘じて、スロー・ライフ礼讃ではないが、もう少しゆっくり考えることを身につける必要があるのではないか。

三度、普天間基地移設問題について

2009-12-16 08:44:05 | 近況
 ようやく鳩山政権が「とりあえず」の三党合意として、アメリカ側が強く求めていた普天間基地移設問題の「年内決着」に対して、県外・国外移設なのか、自公政権下における「日米合意」に基づく辺野古沖への移設なのかの結論を出さず、マスコミ・ジャーナリズム的な言い方をすれば、結論は来年の5月頃までに出すという「先送り」的なものが昨日明らかにされた。
 僕は、本土=ヤマトのマスコミ・ジャーナリズムの論調とは全く異なる沖縄現地の大勢が「県外・国外移設」を望んでいる状況に鑑みれば、この「結論」は妥当なものと思える。ちょっと前に、普天間基地を抱える宜野湾市の市長が政府に「移設問題」に関して実情説明(陳情)に上京した折に、「アメリカ側の文章でも、普天間基地(沖縄の海兵隊)はグアムに移転することを決めており、普天間基地はそんなに重要視されていない」と語っていたが、あのような危険な基地を沖縄住民の反対を押し切ってまで存続させる理由は全くない、というのが実情なのではないか。
 そもそも、普天間基地を辺野古沖に移設するということは、「冷戦構造」=中国・北朝鮮・ロシア(旧ソ連)を仮想敵国とする世界戦略を信奉している一部の保守政治家たち(自民党だけとは限らない、民主党にも自民党と同じような思考をする人がいる)によって計画されたものと言ってよく、アメリカ軍にしてみれば巨額の「思いやり予算」に加えて、米軍の極東戦略(太平洋戦略)に期すること大である「新飛行場」が建設されれば、それだけアメリカ側の負担が軽減されるという問題に過ぎない、ということがあるのではないか。あるいは、「戦争オタク」と言われる石破もと防衛大臣が(たぶん)考えているのではないかと思われる、将来的に米軍が去った後に自衛隊(航空隊)が使うというような構想があって、「日米合意の遵守」が叫ばれているのではないか。
 最近になって、普天間基地移設問題は「日米安保問題だ」とマスコミ・ジャーナリズムも指摘するようになったが、この問題の本質は紛れもなく「日米安保」に関わることで、単なる「基地移設問題」ではないことは前から僕が言っているとおりである。
 少し前の「コメント欄」で「WAKE」さんが、村上龍のメール・マガジンの記事が僕と同じようなことを言っていると知らせてくれたが、昨今のこの論議に関する議論で欠如しているのは、まさにこの時代「日本にアメリカ軍基地は必要なのか」、「日米安保は必要なのか」、「核の傘に入っていることは世界の軍縮傾向を考えた場合、果たして有効なのか」といったような根源的な問題に関することである。特に、「日米合意に反するのは国益に反する」といった類の議論を展開しているマスコミ・ジャーナリズムは、罪深い。今朝(16日)の東京新聞「こちら特報部」は、アメリカはこれまでにも何度となく「政権交代」によって重大な「国際的約束」を破ってきた(例えば、今問題になっている地球温暖化に関してクリントンは「京都議定書」を批准すると言っていたのに、ブッシュ政権になった途端その国際的約束を反故にして未だに批准していない、等)ことを報告している。そのことを踏まえれば、日本にだけ「日米合意」を迫るアメリカは、あの「知日派」というアミテージ元国防次官補の言動に明らかなように、未だ日本(沖縄)をパートナーとしてではなく、何でも「大国」アメリカの言うことをきく「植民地」的な国と見ている、ということなのではないか。
 もしそうだとしたら、僕は自分のことを決して「ナショナリスト(国粋主義者)」とは思っていないが、この国の有り様を根本から考え直さなければならないのではないか、と思う。

再び「立松和平全小説」について

2009-12-14 10:15:18 | 文学
 何度か予告してきた「立松和平全小説」(全30巻)の第1巻がいよいよ刊行を始めました。画像を見ていただければ分かりますが、なかなか良い出来になっていると思います。30巻が揃ったら、さぞかし壮観なのではないか、と今から楽しみです。
 特に、立松自身が巻末に書いている「振り返れば私がいる1 ゆっくりした出発」は回想記=自叙伝と言っていいもので、それぞれの巻に収録した作品のまつわるエピソードや執筆当時のことなど回想していて、読ませる。
 この「立松和平全小説」は立松との会話の中から生まれてきた企画で、還暦を過ぎた団塊の世代ど真ん中の立松の文学をまとめることは、確実に意義のあることだということから実現したものである。幸いこの企画は勉誠出版の社長池嶋洋次氏に話したところ、刊行を快諾していただき、今回の第1巻刊行ということになったのだが、その意味ではこの出版状況の下で池嶋氏の存在なくしては実現しなかった大型企画ということになる。
 第1巻は「青春の輝き」という総題の下、立松和平文学では一番初期になる短編集「途方にくれて」の他、中編の「ブリキの北回帰線」、短編集「つつしみ深く未来へ」が収められているが、改めて読み直してみたが、なかなか読み応えのある硬質な短編が収められているな、とおもった。
 1巻4500円+税、と高い定価が付いているが、是非文学愛好者の人たちには書棚に並べて欲しい「全集」だと思う。もし経済的な余裕がない場合は、是非お近くの公立図書館にリクエストしていただき読んでいただきたいと思う。決して損はしないのではないか、と責任編集した者としては思っている。
 よろしくお願いします。
 また、読んだ方には、ご感想・ご意見をお寄せいただければ、と思っています。こちらの方もよろしくお願いします。

「戦争」と「平和」

2009-12-12 08:53:59 | 近況
 1昨日のオスロ(ノルウェイ)におけるオバマ・アメリカ大統領のノーベル平和賞受賞記念講演をきっかけに、ノーベル平和賞の意味や同賞をオバマへ授与したことの是非、あるいはイラク戦争やアフガン戦争に対して議論が再燃した感があるが、改めてオバマの講演内容を見てみると、アメリカ合衆国を盟主とする世界がまさに「転換期」にあるのではないか、という思いを禁じることができない。
 具体的に言えば、プラハでのオバマの「核軍縮(核廃絶)」の提言も、また現在デッドロックに乗り上げているように見える普天間基地移設問題(本当は全く簡単なことで、米軍再編=海兵隊のグアム移転に従って普天間基地を閉鎖し日本に返せばいいのである)も、あるいは昨年の「リーマン・ショック」以来の世界同時不況、(と言ったって中国やインドの経済は相変わらず高度成長を続けているようで、世界同時不況というのはアメリカ、ヨーロッパ、日本といったかつての「先進工業国」を中心に考えたときの言い方ではないのか)も、みな世界の構造が「転換」しつつあることの証なのではないか、と思えてならない。
 何よりも象徴的であったのは、オバマのノーベル平和賞受賞記念講演であった。確かジョージ・オーエルの「1984」(村上春樹の「1Q84]ではありません)に、「戦争は平和」という何とも皮肉な一節があったように記憶しているのだが、オバマの演説はまさに「戦争は平和」を地でいく内容で、好意的に見れば「苦渋の果て」とも「現実主義」ということになるのだろうが、イラクに12万人余りの兵士を残し、アフガンに更に3万人の兵士を送り込み、どちらの戦争も「泥沼化」しつつある現在、その戦争の仕掛人であり最高責任者であるアメリカ大統領がノーベル平和賞を受賞するという、まさに現代を象徴するパラドクス、このようなことが生じたのも現代が「転換期」だからなのではないか。片手に「武器」を片手に「平和賞」を載せて一人寂しく立っているオバマの姿を想像すると、何とも遣り切れない気がする。
 では、こんな「異常」としか思えない現状はどうしたら打開できるのか。おそらく本質的には実に簡単なことで、相当な混乱が起こるだろうが、そのことには目をつぶって速やかにアメリカはイラクやアフガンなど紛争地域から撤退することであり、世界に展開しているアメリカ軍を縮小して本国に引き揚げることである。さらにまた「核廃絶」に関しては、アメリカがロシアをはじめとする核保有国に働きかけて(自ら率先して)核廃絶を実行すればいいのである。もちろんその時にはおそらく混乱が起こるであろうから、「国連」(あるいは「国連」に似た機関)がきちんと対応できるような仕組みを作る必要があるが……。
 そのようなことを夢想し、もしかしたら、と思うのも、不手巻き地移設問題に関して沖縄県民の7割近くが県外移転を望み、それと同じくらいの人が「琉球独立論」に賛成している、という現実があるからに他ならない。この普天間基地移設問題に関して、日本のマスコミは「鳩山政権の迷走が日米関係を悪化させている」などとほとんどアメリカの側に立った論評を加えているが、アメリカの太平洋戦略・極東戦略を考えれば、沖縄に普天間基地が存在する理由など全くなく、あるのは日本に金を使わせて(「思いやり予算」などと言う巨額な金をもらっていながら)、司bんたちの地位保全を図る、といった「小狡い」考えでしかない。証拠に、アミテージなどというブッシュ政権時代の武断政治を推進してきた「知日派」と言われる人物などの、「普天間基地移設問題に関して辺野古案を撤回すれば、日米関係に重大な支障が生じる」といった発言ほど、日本(沖縄)をバカにした(植民地と見なすような)発言はない。
 そういった諸々を考え、オバマの演説とリンクさせれば、普天間基地をただちに「閉鎖」し日本=沖縄に返すことほど「平和」に貢献することはない。
 第一、沖縄から米軍の全てが撤退したとして、核兵器を持った中国が日本に攻めてくるだろうか。あるいは世界第7位に武力を持った自衛隊を擁する日本に「北朝鮮」は軍事侵攻するなどということがあるだろうか。どうも僕らは「核抑止力」とか「安保体制」といった「砂上の楼閣」に振り回されすぎているのではないだろうか。言葉足らずだが、僕が現代は「転換期」なのではないかと思う、以上が所以である。

68年目の「12月8日」

2009-12-08 14:00:30 | 文学
 今朝もテレビで言っていたが、今日12月8日がどんな日であるかを知らない人が増えてきているという。「嘆かわしい」という言い方も、また「当たり前だ」という言い方も、それはこの国の「歴史」をどのように捉えるかという問題に照らして考えれば、メダルの表裏だと僕などは思うのだが、先に記した「鈴木基司君の保健文化賞受賞を祝う会」に列席していた鈴木君と医学部入学(学卒入学)が同期の「団塊の世代」に属する精神科医に言わせると、なんだかんだ言っても自分たちも含め「戦後民主主義教育」を受けた者は、「戦争」や「平和」について自らの「生き方」に関わって思考する癖がついていて、その意味ではどのしても「体制派」になれない、というようなことをしきりに話していたことと照らし合わせると、「12月8日」がどんな日であるかを知らない人が増えているというのは、実は「歴史」を蔑ろにする人が多くなったということでもあり、由々しきことと言っていいのかもしれない。
 1945年8月15日←8月9日・6日(ヒロシマ・ナガサキ)←6月24日(沖縄戦終結)←1941年12月8日(太平洋戦争開戦日)←1937年7月7日(日中戦争勃発)←1831年(満州事変)、というように「昭和」戦前を遡っていくと、この国が「破滅」へ向かって突き進んでいった、つまりアジア・太平洋戦争において「敗北」への道をひたすら歩み続けた足跡をたどることができるが、毎年「12月8日」が来る度に、一介の批評家に過ぎない僕が思い出すのは、日中戦争時に発案され多くの文学者がそこへの参加を要請された菊池寛が音頭を取った「ペン部隊」のこと、及びその流れを汲む「徴用作家」や報道班員として文学者の従軍、更には戦費調達を目的として編まれた「文学報国会」主導による「辻小説集」「辻詩集」「辻歌集」などによる文学者の「戦争協力」のことである。
 そして、自ら問うのである。お前はあのアジア・太平洋戦争時のような状況になってもなお「反戦」の意思を貫き、例え「非国民」と言われようと、軍部や権力の圧迫に屈せず、戦争への協力を拒絶することができるか、と。このように毎年自ら問うのは、昨今の状況が先に記した長崎原爆資料館見学者の「日本も原爆を作ればいいんだ」発言に象徴されるような、あるいは自衛隊が堂々と海外に出て行く状況を鑑みて、どのような状況になろうが「戦争」だけは阻止しなければ、という決意を固めるためでもある。
 僕の父は二度召集され生きて帰還したが、僕の同級生の中には生きている父親の顔を見たことがないという者が何人もいた。また、僕の母方の叔父は自分が戦地に行っている間に防空壕への直撃弾で妻子を亡くしている。もう一人の叔父は、中国で「三光作戦(焼き・殺し・奪う日本軍の中国大陸における作戦)」を自ら行ったと言っていた。日本人の犠牲者310万人、中国・アジア各地で推定2000万人の死者を生み出したアジア・太平洋戦争、それに「協力」した日本の文学者、ネオ・ナショナリストの石原慎太郎なら「良くやった、日本人として当たり前のことだ」と言うかも知れないが、僕はもし戦前と同じような状況になったら決然と「非国民」であることを選ぼうと思っている。
 なお、毎年「12月8日」に先のアジア・太平洋戦争のことを思い出し、あのような状況になったときお前はどうするのか、と問うのも、ややもすれば「平和」な今日において決意が鈍らないか、点検するためでもある。
 それにしても、普天間基地移設問題などに対して、昨今の文学者からどのように考えているのかの声が聞こえてこない。これは一体どういうことなのか。「危ないな」と思うのは、僕だけだろうか。

オバマの戦争?!

2009-12-07 11:19:23 | 近況
 大統領就任時における「公約」を果たした形になったが、ついにノーベル平和賞を受賞したアメリカ大統領オバマは、「平和」とどのように結びつくのか皆目見当が付かないアフガニスタン戦争への「30000人増兵」を決断した。
 アフガニスタン戦争の「ベトナム化」を避けるために2011年秋からアフガニスタンから撤兵を始めるという、もう既に泥沼化しているアフガニスタン戦争の「行く末=将来」が全く見通すことができない現在において、2年後の「撤兵」が画餅にすぎないことは軍事評論家、政治学者ならずとも誰もが分かっていることだと思うのだが、内外の情勢を踏まえ「平和主義者=ノーベル平和賞受賞者」として今回のような「決断」を表明せざるを得ないオバマには気の毒だが、経済の世界だけでなく「国際政治=平和」の問題に関しても、アメリカが冷戦終結後に世界を一極支配していた時代は終焉し、世界の全体が間違いなく「チェンジ」しつつあるという認識に立てば、イラク戦争からの撤退もままならぬ現在(現在でもイラクには12万余りの兵士が駐留=進駐しており、毎日のように自爆テロなどによって死傷者を生み出している)、アフガンへアメリカ兵を3万人増派するという計画がいかに「愚か」で「平和」に反する行為であるかが分かるというものである。
 いくら「9・11」によってアメリカの威信が傷つけられショックを受けたとしても、これではオバマも国際テロ組織アルカイダの「亡霊」に脅え、イラクからアフガン(パキスタン)へ戦線拡大し続けてきたブッシュと何ら変わりない、ノーベル平和賞受賞を裏切ることになるのではないか、と思わざるを得ない。アフガンへの3万人増派によって、これからどのくらいのアメリカ軍兵士やタリバン、そしてアフガンとパキスタンの住民たちが死に傷付いていくか。そのことを思うと、どんな「大義名分」も僕の中では全く無意味なものに化してしまうが、結論的に言えば、アメリカにおける最高権力者であるオバマがイラク・アフガンから完全撤退すると宣言し、実行するならば、まさに文字通り世界は「チェンジ」するのではないか、と思う。
 このことは、普天間基地移転問題にも通底することで、開発途上国との関係では通用しても「大国=核保有国」との関係ではもはや通用しなくなった「核抑止力」(大陸間弾道弾の役割が小さくなり、代わって潜水艦からの発射や戦略爆撃による攻撃能力の向上が図られている現実を考慮すれば)意味が無くなり、このことから対北朝鮮・対中国との関係において「核戦略」の最前線に位置していた沖縄の役割をあわせ考えれば、その意味はは格段に変質・低くなるはずで――だから、何年か後にはアメリカ海兵隊の沖縄からグアムへの完全移転が計画されているのだろうし、鳩山首相が真剣に普天間基地のグアム移転を模索しているのも、その意味では可能性のあることだと僕は思っている――、普天間基地問題は、一見すると日米安保体制(日米関係)の問題として論議されているようであるが、実は「植民地対宗主国」という古い体質を戦後64年間(沖縄復帰後からであれば37年間)続けてきた日米両政府の問題、と考えるべきなのでである。
 以前、沖縄においては「琉球独立論」が根強く、大きな支持を得ていると書いたことがあるが、その根底には「琉球王国」と「ヤマト=日本」との関係という歴史的な問題もあるが、それ以上に「植民地」的状態からの解放、ということがあることを、ぼくら本土=ヤマトの人間は考えるべきなのではないか、と思う。
 なお、何日か前、池澤夏樹の『カデナ』の感想を書いたが、この小説は嘉手納基地に「核弾頭保管庫」が存在しているという前提で全体が展開していることを言い添えておく。本土=ヤマトで「非核三原則」の遵守が叫ばれているとき、「植民地・沖縄」では、当たり前のように核兵器が実戦配備され、いつでも使用可能な状態にあったこと、これも忘れるわけにはいかない。来年の1月には日米間の「密約」問題が明らかにされるそうだが、果たして本当に「真相」は明らかにされるのだろうか。
 アフガンへの3万人増派、沖縄の普天間基地問題、これらはすべてアメリカの世界戦略(核戦略)で繋がっていることである。このことの意味を考えること、それこそ「現在(いま)を生きる」ぼくらの責務なのではないか、と思う。

団塊の世代、そのパワー

2009-12-06 05:50:13 | 近況
 昨夜、「鈴木基治君の〝保健文化賞〟受賞を祝う会」というのが開かれ、夜の繁華街というのは近頃ほとんど出歩くことがなかったのだが、久しぶりに前橋の夜の街を歩いた。地方の繁華街は閑古鳥が鳴いている、とはよく言われることであるが、「祝う会」が終わって帰る際に駅まで10分ほど知人と二人で歩いたのだが、こちらが余程不景気面だったからなのか(そんなことはなく、電車の中で行き会った知人から「顔が赤いですね」と言われた。久しぶりに気持ちよく酒を飲むことができた結果である)、普段なら呼び込みの声が絶えない通りを歩いていたにもかかわらず、全く声がかからなかった。これも景気の冷え込みを反映した現象なのかも知れない。
 そんな地方都市(前橋)の何だか寂しくなるような光景とは別に「祝う会」の方は盛況で、何十年ぶりかにあった知人・友人たちをはじめ、よく知った顔の人たちと歓談でき、楽しい夜を過ごした。そもそも鈴木基司君が受賞した「保健文化賞」(賞金100万円が出たという)というのは、地域医療に貢献した人に送られる賞で、今年で61回を数える伝統ある賞ということである。鈴木君は、1947年生まれの「団塊の世代」に属する小児科医、彼は特に最近顕著になった「不登校」や「引きこもり」という形で問題になっている子供の精神疾患に関して、普通の小児科医として診療する傍らボランティア的に教育現場や保護者の所に出掛け(相談を受け)、親や教師をサポートし続けてきたのだが、それが評価されて今回の受賞ということになったのである。
 このように書くと、鈴木君はいかにも立派な小児科医のようだが、彼は早稲田大学の政経学部を6年掛けて卒業した(ご多分に漏れず、彼は1970年前後の「政治の季節」のど真ん中で学生時代を過ごし、あの「熱い時代」を経験している)後に、27歳で群馬大学の医学部に入り直し医者になった「変わり種」である。彼と僕が知り合ったのは、立松和平の講演会が開かれたときにその「打ち上げ」に、彼が「立松の同級生で、医者です」と自己紹介して参加したことから、である。その席では「何で立松歯医者と知り合いなのか」ぐらいにしか思わなかったのだが、後で立松に聞いたら、早稲田の時の「同志」で彼らが尊敬する伝説的な先輩であり、リーダーであった故彦由常宏氏の下で共に研鑽を積んだ間柄とのことであった。
 以来、鈴木君とは医療に関する相談や立松絡みのことで付き合いが続いてきたのである。そんなことからも(たぶん)垣間見えるのではないかと思うが、「祝う会」に集まった面々は、高校時代の仲間や医学部時代の仲間、そして僕のようにその後に何らかの形で関わりを持つようになった者、男も女もほとんどが「団塊の世代」で、既に退職した者も居たが、大方が現役で、今更ながら「団塊の世代」のパワーを感じた。「祝う会」の進行をになった長い付き合いの友人たちは手際の良さは「さすが」と唸らせるものがあり、歓談・飲食の間はやはり友人たちのバンドが懐かしい70年代ポップスを演奏し続けるという演出で、みな気持ちよく飲み食い話をしていた。
 何よりも良かったのは、鈴木君が医者になるのを小学校教師として支えてきた奥方に対して格段の配慮が為されていたことであった。僕のとなりに座った医学部時代の同級生(彼も学卒入学)も奥さんの働きがあったから医学部をを卒業することができたのだ、と言っていたが、我が身を振り返り(また、立松が作家として自立するまでの「修行時代」を考えると)、ぼくらの世代の女性たちがいかに「パワー」を持っていたか、ジェンダーとかフェミニズムなどということが言われる前に、実戦的に自立しパワーを発揮していたこと(今では当たり前になっているが)、「祝う会」で改めてこのことを認識させられた。男も女も「団塊の世代」はみな元気、彼ら(ぼくら)が健在なうちは、まだまだ「大丈夫」なのではないか、と実感させられた。
 この日は、ビールを小グラスに3杯、他に白ワインをグラスに3杯、僕にしては異例の飲みっぷりであったが、悪酔いもせず、無事帰宅することができた。このことからも「祝う会」がいかにリラックスした友好的な会であったか、がわかるというものである。

「カデナ」(池澤夏樹著)を読む

2009-12-05 09:17:02 | 文学
 普天間基地の移転問題があれこれ論議されているからということではなく、同世代の作家として、またこれまでにも何度か論究したことのある作家として、いつも気になっていたということもあって、先の長崎行きにも持参して読み継いできたのだが、一昨日読み終わったので、「感想」をしたためておくことにした。いつか本格的に「沖縄文学」の範疇から論じるか、あるいは池澤夏樹文学の一部として論じるかは別にして、昨今徒然に目を通している現代文学の「軟弱さ」(メッセージ性の弱さ)に比して、格段に噛み応えのある(骨太の)作品になっており、いくつか中央紙にも書評が出たにもかかわらず、このような小説があまり読者から歓迎されていない文学状況に対して、どこかおかしいのではないか、という思いを強く持ったということもある。
 時は60年代末のベトナム戦争が激しさを増していた68年から69年にかけて、舞台はタイトルが示すように「沖縄」(嘉手納基地を中心とした各地)、主な登場人物はロックバンドのドラマーとその姉の大学生(及びその生成と学生たち)、嘉手納基地勤務のアメリカ人とフィリピン人のハーフである美人曹長とその恋人であるB52戦略爆撃機のパイロット、先のアジア・太平洋戦争中サイパンで家族を全て失った嘉手納在住の男とその妻、そしてベトナム人の貿易商。物語は、激しさを増す「北爆」(米軍機による北ベトナム爆撃)に対抗して、ハーフのアメリカ人女性とドラマー、ベトナム人、サイパン戦の生き残りが、危険を冒しながらB52の出撃をベトナム側に伝える「スパイ」として活動する様と、複線としてドラマーとその姉が関わる沖縄における「米軍兵士の脱走」計画(いわゆるべ平連による「ジャテック」の活動)を軸に展開する。
 物語の詳細については読んでもらうしかないが、この小説の良さは、まず現在の普天間基地問題などを含む「沖縄」の諸問題に向き合うためには、明治の「琉球処分」から始まり沖縄戦からアメリカによる沖縄占領を経て現在における「歴史」的な視点が必要なのだ、と訴えている点にある。物語は60年代末のベトナム反戦に集中しているように見えるが、あの時代から既に40年過ぎた現在においてこのような作品を発表した意味(意図)を考えれば、作者の内部で「沖縄問題」は歴史的視点抜きでは解決できない、という確固たる信念があると考えざるを得ない。
 このことは、次のこの作品が持っている根源的な「反戦(意識)」にも通底しているのではないか、と考える。これは、いま何故「ベトナム反戦」なのか、ということにも通じる。ベトナム反戦運動を象徴してきた小田実が亡くなり、「ベトナム」と言えば今やアジア観光の目玉になっている感があるのも関わらず、40年前の反戦運動を描く意図、それはおそらくイラク戦争からアフガン戦争に深く関わっている現在の日本の在り様がここには反映されている、と考えられる。僕が池澤夏樹という作家に対して、処女作の『夏の成層圏』以来「骨太」と思い続けてきたのも、彼が例え『静かな大地』のような明治初期の北海道を舞台にした作品を書こうが、常に「現在」を意識して作品を構想してきたからに他ならない。
 そして何よりも彼の作品が魅力的なのは、この『カデナ』でもいかんなく発揮されているのだが、作品内部に通奏低音のように「いかに生きるべきか」(あるいは「生きるとはどういうことか」)という問い掛けが響いていることである。今ある「生」に自足し、その在り様を描くことに専念しているように見える凡百の現代文学の中にあって、『カデナ』が光って見えるのも、近現代文学の根幹を支える先のような問いがダイレクトにぼくら読者に届くからではないか、と思う。
 このような「骨太さ」は、今僕が編集している『立松和平全小説』に示されている立松の作品、あるいは立松が今もライバル視している中上健次の作品に通底する物でもある。

 立松の名前が出たので、この場を借りてお礼を申し上げたいのは、もう少しで刊行が始まる(12月10日~)『立松和平全小説』を早々と注文してくださった方々、本当にありがとうございました。近日中に第1巻が届くと思います。
 お陰さまで前評判は上々です。これから2年半~3年という長丁場になりますが、今後ともよろしくお願いいたします。
 なお、ご購入を希望しながら未だ注文していらっしゃらない方々、お早めにお願いできれば、と思っております。