黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

知床に行ってきました

2010-06-30 09:32:29 | 仕事
 先週の土曜日(26日)から今週の月曜日(28日)にかけて、知床に立松和平の記念碑が建立され除幕式が行わるというので、行ってきました(記念碑建立実行委員会の呼びかけ人の一人だったので)。26日には「知床・立松和平を偲ぶ会」が開かれ、27日には記念碑除幕式と同時に立松が肝入りの一人として建立に尽力した3堂(毘沙門堂・太子堂・観音堂)の「例祭」も行われるというので、晩年の立松がその傾斜を深めていった「仏教」とどのように関係があるのか、興味があり、本土より5~6度高い知床晴れの炎天下で付き合ってきたが、疲れた。
 疲れたのは、寝不足のまま炎天下で行事に参加していたということもあったのだが、それよりも土曜日の夕方から行われた「偲ぶ会」でも3堂の「例祭」でも立松の「文学」について全くと言っていいほど発言がなく、記念碑除幕式でかろうじて導師の一人上野(下谷)法相寺の住職で歌人の福島泰樹氏が、碑文の説明をして「立松文学」について説明しただけであったという事実に、どうなっているのだ、という思いを強くしたからであった。知床について何冊もの本を書き、知床を舞台にした長編小説『月光のさざ波』もあるというのに、この長編を読んだと思われる人は、知床の地元民はもとより関係者でも皆無に近く、どうなっているのだ、と思わざるを得なかったのである。
 「例祭」(「偲ぶ会」も)は、法隆寺管長。大野玄妙氏、京都仏教会理事長(金閣寺・銀閣寺住職)有馬頼悌氏、中宮寺住職をはじめ僧侶が15名ほど参加し盛大に行われたのだが、そこで発せられる立松に関する言葉に「文学」の一切がなく、かろうじて記念碑除幕式で福島泰樹さんが立松の文学に言及した、という現実に、正直言ってがっかりしてしまった。あれほど立松が愛した知床で立松の文学が受け入れられていない現実、このアンビバレンスな有り様は、なんとも不思議なことであった。後で知ったのだが、版元に他ので配布するように依頼した『立松和平全小説』(全30巻)のパンフレットと関係資料、「偲ぶ会」でも結果的に配布されなかったようである。知床に「有名人・立松和平」はいても、「作家・立松和平」がいないという現実、おそらく僕の知床息もこれで最後になるだろうと思うが、非常に残念な気持ちである。
 ただ、救いは、立松がこよなく愛した知床の番屋(船頭大瀬さん)は健在で、月曜日の朝早く船でその番屋に行き、前の海で取れたウニとタコの刺身などをごちそうになり、また海岸に降りてきた2頭の小熊を連れたヒグマと、ごちそうのおすそ分けを貰おうと周りをうろうろしていたキタキツネに会えたのは、知床の自然が健在であることの証であると思い、ほっとすることができた。
 ともかく強行軍で疲れたが、昨日(29日)は先週下書きをしておいた朝日新聞アスパラクラブ「黒古一夫が選ぶ現代文学の旗手たち」の第3回(村上春樹)、第4回(井上ひさし)を清書し、また同じく下書きしておいた『良寛』(大法輪閣刊)の書評4枚(「週刊読書人」)を清書し、送稿した。

梅雨空の下で……

2010-06-18 17:38:47 | 近況
 梅雨に入ったからというわけではないが、この頃は「政界」と同じようにスカッと晴れた心地がするようなことがない。仕事は、大学の授業や卒論・修論・博論指導のほかに、もはやルーチン・ワークになったと言っていい『立松和平全小説』(全30巻)の解説・解題に加えて、朝日新聞の購読者サービス「アスパラクラブ」に連載される月2回の「黒古一夫が選ぶ現代文学の旗手たち」があり、その他には今月末までに書評が1本と新たに企画が実現しそうな単行本の用意、と結構忙しく、「梅雨空と同じように……」などと甘えている暇などないのだが、それでも何となくすっきりしない日々が続いている。
 何故なのか? よくわからない、としか言いようがないのだが、家人がよく言うのだが、何か事があっても最近は「相手を許容せず、感情の赴くままに対応し」、しかしそのことを外に出さないから「不平・不満」が蓄積し、しかも「憂さ晴らし」(遊び)もできない性格ということもあって、スカッとしないのかもしれない。
 本来なら、来年3月で定年となることがあって、「書き下ろし」ではなく、これまでの仕事をまとめる「作家論集」のような本を出しませんか、と誘われたことをもっと喜ぶべきなのかもしれないが――このような本を作りたいというのは、ここ何年かずっと考えてきたことである――、何故か心弾まない。まさか「不定愁訴」というわけではないだろうが、公私ともに忙しいから、生活や心に余裕が生まれず、そのために落ち込んだ暗欝な気分なのかもしれない。
 何もかもが「浮薄」に思えて仕方がないのである。例えば、鳩山政権に代わって菅内閣が発足したが、同じ民主党政権なのに(いくら鳩山さんの失政が目立ったとはいえ)、内閣支持率が20パーセントから60パーセントに急上昇するというのはどういうことか? 何もまだ起きていないのに、このような支持率をもたらしてしまう国民(人々)の軽佻ぶりが気になって仕方がない。このことは、菅内閣(民主党政権)を軽々に「左翼政権」などと呼んで批判したつもりになっている自民党や、それに同調する「みんなの党」をはじめとする野党勢力の「勉強不足」と裏表の関係にあるのではないかと思い、暗澹たる気持ちになる。さらに言えば、そのような自民党やそこから派生した「みんなの党」などの野党の勉強不足を批判しない「左翼政党」の日本共産党や社民党(旧社会党勢力)の在り様を見ると、言葉が軽いのは鳩山由紀夫氏だけではなく、政治家全部が「ことば」の重さに鈍感になっていることがわかり、暗澹たる気持ちに拍車がかかってしまう。
 サッカーのワールドカップだってそうだ。カメルーンに勝ったからって、マスコミ上げてあれほど大騒ぎしなければならないのか。そもそも、カメルーンの何倍も強化費用を使ってワールドカップに臨んでいるのだから、FIFAの格付けなどとは関係なく、勝利する可能性があったのに、こぞって「岡田ジャパン」を称賛するのは、どういうことなのか? そんなマスコミ・ジャーナリズムだから、南ア社会が未だに抱えている「貧困問題」「白人と黒人の格差・差別」問題などに全く切り込むことができず、「日本人カメラマンが強盗に襲われました」といった類の報道しかできない状態になっている。
 とこんなことを書くと、すぐさまサッカーファンの人からのお叱りを受けるかもしれないが、日本―カメルーン戦をテレビ観戦していた僕だって、本多がゴールした時には「おっ、やった」と思い、日本が勝ってほしい、と思ったものである。しかし、それはエンゼルスの松井がホームランを打った時と同じ気持ちであり、それ以下でも以上でもない。ましてやスポーツが「国家(日本)」を背負うことに違和感を持っているので、岡田ジャパンの初勝利についてマスコミ・ジャーナリズムに同調するわけにはいかない。暗欝な気持ちにさせられているのも、このようなことと関係しているかもしれない。
 早く暗雲を払って、気持ちよく仕事がしたいものである。

お知らせ3つ

2010-06-12 07:05:25 | 仕事
①「朝日新聞・アスパラクラブ」の連載「黒古一夫が選ぶ現代文学の旗手たち」が昨日(6月11日)から始まりました。月に2回(次回は6月25日)の連載だが、登録者数が100万人を超えるこのウエブサイトで、とりあえず6ヶ月間という約束で始まった大それたタイトルの連載。第1回目は、これまでの交情に感謝するとともに、文壇(文芸誌)が無視したことに対する抗議の意味も込めて、立松和平の遺作『白い河―風聞・田中正造』(東京書籍刊)を取り上げた。ウエブ上で僕も見たが、カラフルな画面で、レイアウトもこちらが照れてしまうほどになかなか洒落ており(僕の近影も載り、少々恥ずかしい気持ちもしている)、手軽に読めるのでどうぞのぞいてみてください。
 なお、第2回目は大江健三郎の『水死』です(こちらも、大変きれいに仕上がっています)。
②「大法輪」に「立松和平・晩年の仕事(レイト・ワーク)」15枚を書きました。来月号に掲載される予定です。立松が亡くなる前後の仕事を、亡くなる以前の佳作『人生のいちばん美しい場所で』と、遺作の一つ『良寛』(6月10日刊)を中心に取り上げたものです。仏教(ブッダ)が究極的に目指した「全肯定の思想」と立松が求めてやまなかった「遊行=求道」について、作品から読み取れることを書きました。
 なお、その間に「解放」(「解放文学賞・臨時特集号」)に書いた立松の「追悼文」のゲラが送られてきて、それを校正してすぐに返却する、というようなこともあった。
③畏友(先輩)である司修氏から大著『蕪村へのタイムトンネル』(朝日新聞出版刊)が送られてきた。菊版478ページ、定価3800円+税、まだ読み始めたばかりであるが、久しぶりの司さんの小説、楽しみである。17,8歳頃の司さんと与謝蕪村がどのように絡むのか、いずれ「現代文学の旗手」でも採り上げようと思うので、僕の批評はそれまで待ってほしいのだが、司さん自身が装丁したこの本、面白いと思うので、ぜひ読んでください。
 以上です。

移ろいやすきものは

2010-06-06 17:42:08 | 文学
 立松和平が逝ってはや4カ月が過ぎようとしているが、一向に彼との関係に「休憩」が訪れない。自分で招き寄せたということもあるのだが、朝日新聞の「アスパラクラブ」に月2回でとりあえず6ヶ月間連載することになった「現代文学の旗手たち」の第1回に立松和平の遺作の一つ『白い河 風聞・田中正造」(東京書籍刊)を取り上げ、以前から『良寛』(「大法輪」に連載されていた)が単行本になった際に書いてくれと言われていた「立松和平―晩年の仕事(レイト・ワーク)」15枚を書き、はたまた立松が急逝したので一人で先行しなければならなくなった「解放文学賞」の「選評」(再校ゲラ)に手を入れ、そしてまた「現代文学の旗手たち」の第2回の原稿(大江健三郎の『水死』を取り上げた。因みに第3回は「村上春樹」の予定)を書き、合間に6月27日に北海道知床に建立される「立松和平記念碑」に刻む「略歴」と表の文章(俳句「短夜を沈めて青しオホーツク」)を選定し、等々、この2週間ほど「立松漬け」になっていた。
 『白い河』(「田中正造伝第二部」と言っていいもの)も『良寛」も、立松最後の小説と思うと、何だか不思議な思いとともに読了したのだが(身の引き締まる思いもした)、随所に「遺言」と解釈できるようなフレーズがちりばめられており、その都度、立ち止まって彼との関係に思いをはせるということがあった。いずれにしろ、この2作は亡くなる前に刊行された『寒紅の色』(北国新聞社刊)と『人生のいちばん美しい場所で』(東京書籍刊)とともに、立松の晩年を飾るにふさわしい傑作である。立松が「ブッダ」(仏教)への傾斜を深める過程で覚醒した「全肯定の思想」(他者のすべてを認め・許し、共に生きていこうとする考え)が作品の中に、丸ごと活かされている。
 それにしても、今思い起こしても腹立たしいのは(立松から、「無駄なことを、そんなに怒るなよ」とい言われそうだが)、そのような混迷する「現代」にあって優れた指針を提示する小説を書き続けてきた立松について、いくら「盗作・盗用問題」を引き起こした作家だからと言って、文芸誌が1誌も「追悼特集」を組まなかったということである。文芸誌(文壇)のご都合主義と言ってしまえばそれまでであるが、それだけでなく「酷薄さ」を感じたのは僕だけだろうか。
 そんな「立松漬け」の日々にあって、とうとう鳩山政権が倒れ、新たに菅首相が誕生した。マスコミ・ジャーナリズムは、「市民派宰相」と例によって持ち上げているが、「普天間基地移設問題」で馬脚を現したが、「権力」を志向する者はだれもが同じようで、またしても「日米合意」に基づいて、辺野古沖への移設を進める、という。なんじゃこりゃ、である。新政権が発足したのを機会に、日米安保を根底から見直し、在日米軍問題も根源的に考える、というように何故ならないのか? まあ、当分はお手並み拝見、と行きたいが、難問山積の今日、明日のことさえよくわからないのに、そんなには悠長に構えているわけにはいかない。しかし、菅首相への期待が60パーセント近く、民主党支持が一夜にして36パーセント(朝日新聞)というのはどういうわけか。「宇宙人宰相」によほど困惑していたということか。付和雷同としか言えない国民の「支持率」に見られる「いい加減さ」、もしかしたらこれこそ「健全」な民意ということかもしれないが、不気味であることに変わりはない。
 この日本、どうなっていくのか。