黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

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(第三)武漢便り(5)――この居心地の悪さは何だ?

2014-04-08 09:09:32 | 仕事
 五日(土)から昨日(七日)まで、中国は清明節、言うなれば日本の「お盆」と同じで、この日には先祖の墓参りをする習慣がある。特に過去一年間に家族・親戚に「死者」が出た場合は、必ずどんなことがあっても墓参りをする習慣があるので、当然大学も休み。キャンパスも学食も閑散としていて、静かだが何だかものたらなさや寂しさを感じた。
 僕は、三年生の修論中間発表会を来週土曜日に控えているということもあり、またこれまで提出してもらった修論(下書き)6本を読んで、どうやら共通した欠点があることに気付いたので、清明節で帰郷した者、就活で大学に来られない者、サボった者、合計3名を除き、午後研究室に集まってもらった。すでに就職の決まった者は余裕で参加したが、就活中の大半の学生は、論文執筆と就活との両立をどのように実現させるか、これは日本でも同じだが、結構大変な状態にあることが察せられた。
 特に修論に関しては、初めて日本語で長い文章を書かなければならないというプレッシャーの中で、みな悪戦苦闘しているというのが実情だが、何故そのような状態になっているのか、僕が見たところ、もしかしたら根っこはもっと深いところにあるのかも知れないが、「記憶力」に関してはこちらが舌を巻くほどの力を発揮しながら、「思考力」と言うことになると空っきしダメで、沿い分の頭と心で考え感じたことを素直に表現できない、というのが現実である。
 だから、参考文献(先行研究)についてはよく調べ、そこに書いてあることは翌「記憶」しているのだが、それを「実証(論証)」にどのように使えばいいのかということになると、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。あるいは、先行研究と自分の考え(意見・鑑賞したもの)とを混同してしまい、先人の意見をあたかも自分の意見のごとく使って平気な顔をしている、ということもある。これらの欠点については、1年間の指導でいくらかは良くなったと思っていたのだが、修論になると元に戻ってしまったようで、添削するのが辛くなるなることもしばしば。
 現任は、研究(大学院の授業)においても、「上意下達」が当たり前で、論文に「新規性(創新性)」を求めながら、自分の理解できないことについては論文の「内容」よりも「形式」が大事とばかりに古色蒼然とした「形式」を押しつけて指導者としての「権威」を守ろうとする、そんな試走車(研究者)の在り方が、現在の中国における研究(とりあえず、「日本文学」に限定しておく)の「停滞」をもたらしているのではないか、と思えてならない。
 官僚制というのは、とかく「形式」を尊ぶものであるが、どうやら中国の研究世界では上から下まで「形式」が重要視されているようで、だからなのか、学生たちの論文を見ていると、その内容を十分に理解しないまま「○○理論」とか「××理論」にもとづいて「分析する」という言葉が頻出する。ともかく「分析」が好きであり、「分析」したら、当然「考察」が伴うことを知らないかのように振る舞っている。
 理論=形式に従えば、何でも「分析」できると思っているのかも知れない。教師たちもどうやら同じような閑雅を持っているようで、僕のような文学を社会や歴史との関係で考える「古いタイプ」の研究者・批評家にとっては何とも居心地の悪いこと、悪いこと。
 さらに言えば、外国語(日本語)で論文を書くことの難しさを改めて思い知らされている。今日本のマスコミは、「STAP細胞」とやらを発見したとされる小保方晴子さんの「論文捏造・改ざん」問題で騒いでいるが、彼女の早稲田大学理工学部に提出した博士論文の「コピペ」問題が象徴しているように、日本人がたとえ科学論文であっても「英語=外国語」で論文を書くことの難しさについて、もうすこし考えるべきなのではないだろうか。
 中国(武漢)に来て、日本語で修論を書くことの指導をしてきた僕が今感じているのは、まさにその「外国語」で論文を書く(書かせる)ことの難しさであり、どうもうまく行かないということから来る「居心地の悪さ」でもある。「形式主義」を打ち破って、どうしたら生き生きした面白い日本語の論文を書かせることができるか、課題は山積している。
 少々疲れ気味だけど……。
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第三・武漢便り(4)――1ヶ月経ってしまいました。

2014-04-06 09:50:39 | 仕事
 気が付いたら、この欄に記事を書かなくなって1ヶ月が経ってしまった、というのが実情です。
 生涯にこのような忙しい日々を送ったことがない、と思えるほど多忙を極めるこの1ヶ月でした。3月の初めに武漢に戻って、待っていたのは3月24日(月)に行われた修士2年生7人(残りの8人は留学中で、9月に実施)の「修論着手発表会」の準備(研究の構想からレジュメ作り、など)、学部時代論文らしい論文を書いたことのない彼らに対してどのようなテーマ(作家)を選び、さらにその作家のどこに焦点を絞って研究するか、昨年の9月から指導続けてきたのだが、資料不足や彼らのポテンシャル不足などもあって、日本から持ってきた参考文献を貸し与えたりして、ともかくレジュメだけは作って今後の研究方針を決めさせるという作業の毎日。
 基本的には学生の「自主性」(という名目の放任主義)に任せるという中国の習慣、及び「形式主義」としかいいようがない伝統に縛られた中国式指導とは別な筑波大学でやっていた方法で学生を指導しようとすると、そのような経験のない学生は戸惑い、自分の決めた研究方針に自信のない学生は「ふらつき」、それへの対応もあって、土日もなく研究室に出向く毎日であった。
 そして、それが終わった途端(というより、終わる前から平行して)3年生15名の「中間発表会」(4月19日)、5月5日の「最終修論提出日」のための準備、1昨年僕が武漢に来てから決まった修論字数の増加(30000字→60000字)に伴う研究の重厚化で、「下書き」を読む作業が格段に大変となり、今日まで6名が提出したのだが、いずれもページが真っ赤になるほど赤を入れざるを得ないという状況で、今後のことを思うと絶望的にならざるを得ない状況にある。
 聞くところに夜と、中国の場合、修論に関してほとんど教師の指導は「形式」に留まっていて、論文の内容にまで踏み込まないということだが、だからなのか、確かにネット上に氾濫している修士論文の質は日本に比べて格段に低い。教師の内容にまで踏み込んだ指導がないのだから仕方がないといえば仕方がないのだが、それを当たり前と思っている学生や教師に抗うように指導するというのも、それが「無償の行為=ボランティア的行為」(契約書によれば、僕は修士を1名ないし2名指導すればいいことになっていて、2年生15名、3年生15名の指導は、明らかにサービスでしかない)としてしか受け取られない現実を前に、苛立ちと悲しさがない交ぜになった気持にさせられる。疲労度も増すというものである。
 おまけに、今年は「匿名外部審査」(修士論文の質を高めようと、しかるべき力を持った大学教員が省をまたいで匿名で審査に当たる。もし、不合格の論文が出れば、その大学の指導の質が問われることになる)に2名の学生が選ばれ、その指導も重なるということが起こった。本来なら僕の仕事ではないのだが、「指導者」として論文の表紙を飾る教師が多忙ということで、何となく僕にその仕事が回ってきているという状態で、これまでに1名は3回書き直させて「まあまあ」の論文になり、当初は絶望的だったもう一人の学生の論文も2回目の書き直しをさせている段階で、締め切りが3日後に迫っているのに、どうなることやらというのが本音だが、論文の表紙に指導教員として名を記す教師が超多忙のためほとんど僕が指導に専念している現在の状態、これが僕の忙しさに拍車を掛けている。
 そもそも僕の「契約書」の1条項に「修士の指導は1名ないしは2名」と明記してあるのだが、それが現実的には2年生15名、3年生15名の指導を行っている状態で、どう考えても「異常」としか言いようがない。
 さらに忙しかった理由を書けば、昨年から要請されていた山東省の3大学(中国海洋大学日本語科・曲阜師範大学翻訳学院日本語科・山東農業大学日本語科)に講演しに行ったからである。学生たちは「骨休みをしてきてください」などと洒落たことを言ってくれたが、それぞれの大学で「デタッチメントからコミットメントへ―村上春樹の文学を考える」(中国海洋大学)、「日本の現代文学―大江健三郎から村上春樹まで」(曲阜師範大学)、「日本の若者群像」(山東農業大学)というテーマで話をし、僕のような日本人の講演を聴くのは珍しかったようで、おおむね好評で、僕としても一安心、といったところであった。
 そして、この「山東省講演旅行」で嬉しかったのは、兼ねてから訪れたいと思っていた青島博物館、青島旧市街を十分な時間を掛けて見学し、曲阜師範大学のある日照市では「五蓮山」を見学知ることができ、また2度目となる曲阜市の「孔子廟」も訪れ、改めて「儒教」について考えることができ、また山東農業大学のある泰安では、中国5霊山の一つ泰山(一度登ったことがある)の外宮とも言うべき「泰廟」を訪れることができ、中国4千年の歴史を嫌と言うほど思い知らされるという収穫があった。
 山東省への旅は、その意味で有意義であったが、何よりも嬉しかったのは、武漢では絶対に食べられない「海の産物」がこれでもかこれでもかというように食べられたことである。生きているシャコやホタテ、牡蠣の塩ゆで、烏賊の甘煮、名前の知らない魚の唐揚げ、煮付け、どれも新鮮でおいしく、堪能させられた。
 そんな超多忙な日々の間に気になっていたのは、「集団的自衛権の行使」問題や「STAP細胞」に関する論文捏造疑惑などに象徴される「モラル・ハザード」状況の進行、どうやら高度経済成長が永遠に続くと思っているような節のある中国と同じような程度で、日本の現状も「危うい」のではないか、僕にはそう思えてならない。
 明日からまた忙しくなる。9名の学生が修論の下書きを提出して僕の添削を待つからである。こんな時は、早く日本に帰りたいという気持が仕方なく募る。
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