黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

感度の鈍さ、脆弱な状況認識

2011-04-29 08:24:19 | 文学
 2,3日前、小泉政権から安部政権へと続いた保守化(偏狭なナショナリズムの称揚)の流れの中で起こった、いわゆる「沖縄訴訟」(沖縄戦において日本軍の命令による住民の集団自殺があった、とする立場から「オキナワ・ノート」を書いた大江健三郎と版元の岩波書店が、集団自殺のあった島の守備隊長の関係者と称する人から訴えられた裁判)に関する判決が最高裁から出た。「上告棄却」という最高裁の判決は、沖縄戦に関わる山のような文献の一部を読んだだけでも「当然な判決だ」と思われるが、それとは別に、「ヒロシマ・ノート」に次いで「オキナワ・ノート」を刊行して、小説とは異なるエッセイ・評論の形で時代(歴史)と人間の関係を世に問いかけてきた大江健三郎の在り方を思うと、大江たちの次の世代になる僕らの世代=全共闘世代(団塊の世代)の、時代(状況)に関する感度の鈍さ、それに伴う状況認識の甘さについて、自戒を込めて認識せざるを得なかったからに他ならない。
 というのも、昨日送られてきた朝日新聞出版のPR誌『1冊の本』(5月号)に掲載されている巻頭随筆「死に神に突き飛ばされる-フクシマ・ダイイチと私」(加藤典洋)を読み、感度の鈍さを痛感せざるを得なかったからである。加藤は、東日本大震災が起こったときアメリカのカリフォルニア州・サンタバーバラにいたと言い、帰国して福島にいる親戚や友人の安否を確認した後、原発事故について「根底的に考え抜く」ということで、その「考え抜く」内容を次のように列記する(正確を期するために、そっくりそのまま引用する)。
1.原発は、今後の日本社会の存続、また世界の未来にとって不可欠なのか。資源、環境、人口、 南北格差という地球の有限性の問題のなかで、ウランという地下資源に依存し、使用済み燃料の 廃棄について汚染の問題を解決できていない原子力エネルギーが、どこまで、どのように有効な 対策でありうるのか。
2.それが持続的には有効でない場合、では、代案はどう考えられるか。もし、原発と原子力エネ ルギーを今後、太陽エネルギーに代表される各種代替エネルギーへの転換に向け、順次縮小し、 やがて廃棄にもちこむ移行策が妥当と考えられる場合、その現実的な展望とは、どのようなもの か。そのために検討、考察されるべき項目とはどのようなものか。
3.これら、地球と社会の持続可能なありようを支える、今後我々が模索すべきあり方、考え方、 哲学とはどのようなものか。
 結論として、これらの項目を「すべて自分の頭で考える」以外に、この状況に対する方法はない、としている。
 加藤が提示したこの1~3の「フクシマ」の事態に対して考える「内容」を見ればわかることは、第1に「フクシマ」が起こる前に加藤は原発や原子力エネルギーに関して「全く」考えていなかった、ということであり、第2に加藤は「考え抜いて」結論が出るまで日本全国に現在54基ある原発は、とりあえず「仕方がないから容認する」という立場を表明し、第3に自分は当面「考え抜く」ことに専念し、原発問題・「フクシマ」問題に関して、行動も起こさないし、立場の表明しないということを、(暗黙)に表明している、ということである。
 加えて、加藤はかつて『アメリカの影』という書物で1945年8月6日・9日の「ヒロシマ・ナガサキ(つまり「原爆」)」について、日本の戦死者数との関係で論じたことがあるにもかかわらず、このエッセイで何故「ヒロシマ・ナガサキ」と「フクシマ」との関係について言及しないのか、ということがある。まさか、どこかの政党のように、原爆と原発は別なものだなどと思っているわけではないだろうが、あれほどいろいろ「考え抜く」と言明している割には、肝心要な部分が欠落している。この欠落が加藤の文学観や思想の欠落に通じていなければ幸いなのだが(僕が、最新刊自著『「1Q84」批判と現代作家論』で、加藤の『1Q84』論を批判している)。
 いずれにせよ、もう少し時間を見なければいけないのかも知れないが、「最後の戦後派」と言われる大江や小田実たちの次の世代である僕らの世代とそれより下の世代の、「時代(歴史)」意識の鈍さ、状況認識の甘さ、これは早急に何とかしなければいけないのではないか。
 チェルノブイリ原発からちょうど25年、未だ彼の地では原発から半径30キロが立ち入り禁止地域になっているという。「フクシマ」ではどうなるのだろうか。今生きている人間はおしなべて子孫に対して「責任」がある、と僕は思っているのだが……。

「政治」の醜さ

2011-04-26 17:35:14 | 近況
 久し振りに車で外出したが、点けていたラジオから突然飛び込んできた前首相鳩山由紀夫の声、何を言っているのか耳をそばだてていたら、何のことはない、最近跳梁跋扈するようになった民主党反主流派(小沢・鳩山派)の会合で、統一地方選における民主党の敗北を受けて、いよいよ「菅降ろし=内閣不信任案の提出」を本気でやるつもりらしく、派内の政治家たちにハッパをかけている演説の断片であった。
 しかし、鳩山由紀夫の言動は、「フクシマ」に関して、これまで何十年にもわたって原発推進を図ってきた自民党(公明党)の政治家たちが、現在は政権にいないからといって、自分たちの「責任」を棚に上げて、民主党の原発事故の対応についてあれこれ言っているのと似て、全く三関にきわまりないものとしか、僕には思えなかった。
 なぜなら、民主党の最近の国政選挙や地方選挙における凋落は、何も菅首相の「消費税増税」発言に見られるような「おっちょこちょい=軽はずみ」な言動だけが原因ではなく、まず民主党が国民から見放される原因となったことの第一に鳩山由紀夫の「普天間基地移転問題」に対する対応のまずさ(甘さ・いい加減さ)がある、のではないか。普天間基地の移転に関して、「国外がのぞましい。それが非可能なら最低でも県外」と言って、結局沖縄県民を置き去りにした形で普天間基地を「フリージング」状態にしてしまったことの「責任」を鳩山さんはどのような形でとったのか。されに言えば、月に何億という政治資金を母親からもらっていた金銭感覚に加えて、普天間基地問題を解決できなかった「責任」から、「政界からの引退」を公言しながら、すぐに撤回したその言動の「軽さ」、このような金銭感覚のない「軽い」人間を党首とする民主党に、国民は信をおけなくなったが故に、選挙で民主党に1票を投じなくなったのである。
 にもかかわらず、鳩山さんは、そのような状況を全く理解せず、極楽とんぼのように「もう一人の無責任男」小沢一郎と組んで、「菅降ろし」に精を出している。何ともおぞましい限りである。
 そして、極めつけは「権力亡者」の小沢一郎である。ずっと以前になるが、彼が書いたとされる(実際は、彼のブレーンたちが書いたのだろうと言われている)『日本改造論』を読んで、その中心に置かれた「普通の国」構想の危険性ーーその象徴が、アメリカと対等な関係を構築し、独自に戦争ができる国にするというものであったーーを感じたが、民主党が政権交代を果たす前後から現在までの言動を見ていると、例えば例の「5億円」問題に象徴されているが、どのようにしてそのような莫大な「カネ」を手に入れたのか、ついに説明せず、政治資金収支報告書の記載は間違っていないと言い募るばかりの態度が、どれほど民主党離れを加速させたか、彼は全く自覚していない。「裸の王様」よろしく、自派の政治家たちからの「情報」にしか耳を貸さなくなった小沢一郎の頭の中には、いかにして権力を握るか(陰の実力者になるか)という欲望しかないのではないか、と思えて仕方がない。未曾有の大震災や原発事故が起こっても、なお民主党が政権交代以前に掲げた「マニフェスト」を守れ、というような馬鹿げた言い方しかできない小沢グループの政治家たち、彼らには震災で苦しんでいる避難民や「フクシマ」の被害者たちの顔が見えないのだろう。
 今は、「菅降ろし=政局」にうつつを抜かして暇などないと思うのだが、何ともおぞましい気がしてならない。
 最近、とみに思うのは、この東日本大震災や「フクシマ」について、立松和平ならどのように思い、発言するだろうか、ということである。この連休中に、立松の単行本未収録エッセイを集めた3冊のエッセイ集『旅暮らし』『仏と自然』『いい人生』(3冊とも野草社刊、各巻1800円+税)の書評をしなければならず、少しずつ読み始めているという事情があるからなのかも知れないが、僕らはあまりにも「自然」から離れてしまった生活をし過ぎており、それは立松が否定しようとしていた生活だからに他ならない。
 福島第1原発から半径何十キロが「廃墟」(人が生活できない場所)になるのか。僕らは今、自覚がないままに、鳩山も小沢もその存在意義が吹っ飛んでしまうような、とんでもない現実に立ち会っているのかも知れない。

被曝者差別について考える

2011-04-22 09:31:35 | 文学
 伝えられることに拠れば、福島第1原発の避難区域から転校してきた子供に対して、「放射能がうつる」とか言って「いじめ=差別」が行われたとか、福島ナンバーの車に乗っている人に対して「出て行け」などという暴言を吐いた人がいたとか、極めつけは、3月まで僕が週の半分暮らしていた「つくば市」が福島からの転入者(避難者)に対して「放射能検査の証明書を提出せよ」という対応を行った、というような「被曝者差別」が横行しているという。
 日本人の最も「醜い」「下劣」な意識(モラル・社会観)がここには現れていると思うが、ここで思い出すのが、「フクシマ」が起こった直後にナガサキの被爆者である作家の林京子さんと電話で話をしたときのことである。彼女は、原発事故やその後の放射能に対する処置・対応について、「恐ろしい。危惧していたことが起こってしまった」とか「65年前と変わらない」というようなことを話してくれたのだが、その時はまさか今日の「被曝者差別」のことを予見して「65年前と変わらない」と言ったのではないと思いつつ、「ヒロシマ・ナガサキ」に関しても「無知」から来る差別が横行していたことについて、考えずにはいられない。
「被爆者差別」に関する原爆文学と言えば、多くの人が井伏鱒二の『黒い雨』(64年)を思い出すのではないかと思うが、その『黒い雨』に匹敵するとも劣らない原爆文学に井上光晴の『地の群れ』(63年)があり、林京子の『祭りの場』(75年)以降の原爆文学作品がある。特に、井上光晴の『地の群れ』は、「被爆者差別」と「差別」・「朝鮮人差別」などの日本における「差別」意識を絡ませて多重的に「差別」の問題について取り組んだものであり、余り知られていないが今読んでも心がふるえる作品である。また、林京子の作品は、「ヒロシマ・ナガサキ」が起こってから今日まで「被爆者」として生きてきた時間の中で経験せざるを得なかった様々な「被爆者差別」について、淡々としかも根源的に人間の在り方を問うもので、核兵器で武装すれば世界で「強国」になれると思ったり(錯覚したり)、「豊かさ」を保証するのは原発などと言って容認している石原慎太郎などの文学とは、真逆のものである。
 是非これらの原爆文学を読んで「被曝者差別」について考えてもらいたいが、それはそれとして、野菜や魚、牛乳などに関する「風評被害」がいとも簡単に起こる日本という国(あるいは日本人)の在り方について、「原発は存在するから仕方がない(容認する)」というのではなく、もう一度「原発は本当に必要なのか、それとも必要ないのか」という「原点」に戻って考える必要があるのではないか、と僕は思う。これは前から言われていたことだが、今問題になっている「フクシマ」の高濃度放射線汚染物(水や瓦礫など)と同じような「高濃度放射能汚染核廃棄物」の処理、青森県の六ヶ所村に建設されている「再処理工場」(死の灰<使用済みウラン燃料>からプルトニュウムを取り出す施設)は、未だ稼働しておらず、今日(22日)の東京新聞に拠れば、ドラム缶に詰められた処理することのできない「高濃度核廃棄物」が原発敷地内に山積みになっていて、その貯蔵スペースももう限界に近づいている、という。広大な国土を持つアメリカやロシア(旧ソ連)などは、深く掘り下げた地下に貯蔵しているようだが、国土の狭い日本は莫大な「アメ=交付金」をちらつかせても、今のところどの自治体も貯蔵所の建設を認めていない。
 どうするのだろうか。原発本体の存在そのものが危険であることは今度の「フクシマ」でよくわかったが、それと同じぐらい今もなお原発敷地内の「仮の貯蔵所」に置かれ続けている高濃度核廃棄物も相当やばいのではないか、と思う。
 ところで、もう一つ「被曝者差別」について言っておきたいのは、「情報」を小出しにする政府(原子力安全委員会・保安院)や東電もまた差別を助長する者であること、そしてこのような事態になってまで「政治」を「政局」的側面でしか考えない「権力亡者」たちもまた、無意識の(悪質な)「差別者」である、ということである。また、考えてみれば、政府や東電の対応を詰る(批判する)「フクシマ」からの避難民や自治体の首長たちも、かつては原発を「容認」し、原発からの「恩恵」(多額の交付金など。これが本当に「恩恵」かどうかはわからないが)を受けてきたことを考えると、このような「ねじれ」の中から「差別」意識が生じるのではないかと思い、複雑な気持ちになる。
 いずれにしろ、根底(根源)に「自己中心」的な思考=思想が存在すること、このことだけは忘れるわけにはいかない。「フクシマ」以降の日本は、この「自己中心」的な思考=思想をいかに克服することができるか、という大きな課題を背負ったことだけは間違いないのだから。

本当に原発は必要なのだろうか?

2011-04-20 14:22:43 | 仕事
 今日の東京新聞(特報部)の「各社世論調査 原発容認派が反対派を上回る」(主旨)という記事を見て、半ば「そうだろうな」と思いつつ、「何故なんだ」という強い怒りににた思いに囚われた。同じ記事を読んだ家人も、「何でなんでしょう? 私には理解できない」という感想を漏らしていたが、「占領期」だったために情報が正確に伝えられなかったというような様々な制約の下で、表層の情報としては伝えられることがあっても、「ヒロシマ・ナガサキ」に関する本質的な問題が日本人共通の意識となって、以後ずっと論議されるというようなことがなかったのと同じように、スリーマイル島(アメリカ)の原発事故もチェルノブイリ(ソ連・ウクライナ)の大事故があったにも関わらず、そして今回の「フクシマ」が想像を絶する被害をもたらしているというのに、何故マスコミ各社の世論調査で「原発反対派」が40パーセント前後にとどまり、「容認派」が50パーセントを超えているのだろうか。
 それほどまでに日本人は、幻想(見せかけ)としか思えない「物質的な豊かさ」に惑わされ、未来に対して責任を持たないような生き方を是とするような、どうしようもない人間になってしまったのだろうか。どうも「豊かさ」ということの、本当の意味を忘れてしまっているのではないか、と思えてならない。「豊かさ」=「便利さ」ということが何をもたらしたか。16年前に「阪神・淡路大震災」を経験し、そしてまた今回「東日本大震災」と「フクシマ」を経験し、「物質的な豊かさ」を求める人間の「卑しい心」によってもたらされた風評被害を含む「大きな被害」をこの日本列島に住んでいた全ての人間が経験した(しつつある)にもかかわらず、なぜ僕らはこの地上で一番危険な発電装置に頼るような生活を改めようとしないのか。
 このことは、原発を容認(推進)するだけでなく、核武装さえ必要だと声高に公言している人間を首都の知事に選ぶ東京都民の感覚と相似である。原発や核兵器についてずっと前からその危険性を、『東京に原発を』などの著書によって訴え続けてきた広瀬隆ではないが、石原慎太郎(及びその支持者たち)については「ならば、東京湾沿岸に原発をつくって、それで『豊かさ』を保持すればいいではないか」といってやりたくなるが、「天上天下唯我独尊=傲慢の極み・我欲の極み」の石原都知事(とその支持者たち)だから、「それは困る」「原発などは貧乏な地方の自治体が引き受ければいい。東京はそこから得られる電力だけを「豊かさ」のために享受する」とでも言うのだろう。「共同性=共生」を無視した「自己中心」的な人間が増えてきたことの具体的現れが、僕は認めたくないが、石原都知事を支持する人々の心性であり、原発容認派が依然として大半を占めている事実なのではないだろうか。
 閑話休題。
 原発容認派の問題に戻れば、「レベル7」の「フクシマ」が起こったにもかかわらず、50パーセント以上の人が未だに原発を容認しているのは、第1に「ヒロシマ・ナガサキ」の問題を世界で最初の被爆国として十分に継承してこなかったことが上げられるが、実感的に言うならば、それにも増して広島や長崎への修学旅行も「偏向教育」の恐れがあるといって禁止するような「教育」の在り方をはじめ、巨大スポンサーだからといって「原発建設推進」を宣伝する電力業界に頼ってきたテレビや新聞などのマスコミ、及び「原発建設」を推進してきた政財官、そして「豊かさ」幻想に群がってきた僕ら、これらが複合して今日の原発容認派を形成してきたのだろうが、今からでも遅くない。僕らのライフ・スタイルを見直すべきなのではないか。
 一人一人が何処までオルタナティヴな生き方をできるかわからないが、考え直す機会を持つことがまず大事、だと僕は思う(公言するほど大きなことではないが、太陽光発電の導入やクーラーを使わない生活方法、自家菜園での無農薬・有機農法による野菜の栽培、等、僕は僕なりにささやかであるがオルタナティヴな生き方を進めている)。
 西川きよしではないが、「小さなことから、こつこつと」なのではないか、と思う。

お読みください。

2011-04-17 09:08:01 | 仕事
 以下の文章は、僕の友人で元北海道新聞記者の島田昭吉さんが、メールで送ってきたものです。実は、前にこの欄で書いたことのある堀江邦夫の『原発ジプシー』という本について、いくつか確認したいことがあったので書棚を探したのだが、誰かに貸したのか、見つからず、困っていたところ、タイミング良く島田さんが、僕が紹介したかった部分の一部を抜粋して送ってくれたので、このブログの読者にも読んでもらいたいなと思い、転写する次第です。もちろん、島田さんにはその旨、ご報告してあります。
 今日も朝日新聞などが報じていたが、いかにこれまでのこの国の原発行政が「いい加減」なものであったか、逆説的な言い方をすれば、それはこの期に及んで「菅降ろし」=東日本大震災や「フクシマ」を政局化しようと画策する小沢一郎や自民党などの政治家の振る舞いによく現れていると言っていいが、僕らはことほど左様に「危うい」状況の下で生きていることを、今一度確認する必要があるのではないか、と思う。 


 フリーライターの堀江邦夫は、昭和53年(1978)9月から翌年の4月にかけ、原発の下請労働者として福島第1原発(東京電力)、美浜原発(関西電力)、敦賀原発(日本原子力発電)で就労して、日常的な事故隠し、被ばく隠蔽、下請け差別などを体験しました。「原発ジプシー」(現代書館、1979年初版)として出版された当時、随分と話題になりました。堀江の記述は、いまなお新鮮です。同書の「第2章 福島第一原子力発電所」から、若干、抜書きします。

《「安全神話」PR加担のマスコミ》

■ 原発の「安全対策」について、各地の原発(予定)地域に講師として招かれるほど豊富な知識を持った朝日新聞の大熊由紀子記者は、こう述べている。
《この格納機容器の外側には、鉄筋コンクリートの厚い“とりで”がさらに築かれている。
死の灰は、このように、念入りに、きびしく閉じ込められている。こういう仕組みを「多重防護」という。・・・(略)・・・これほど徹底した安全対策が、ほかの産業や、人間の命をあづかる病院で、果たしてとられているだろうか。》(「核燃料」朝日新聞社発行)
―――――どうやら、「念入りに、厳しく閉じ込められている」のは、“死の灰”ではなく、むしろ、電力会社のズサンな「放射線管理(安全対策)の実態」のようだ。

■ きのう(シマダ注記=1979年2月24日)付けの「福島民友」には「東京電力社員/休日は乗馬に熱中/手綱さばきも鮮やか」という見出しに、写真入り三段記事が添えてあった。
 なにも、マージャンと乗馬を比較しようというのではない。むしろ、私がこの記事を《おもしろい》と思ったのは、一民間企業の、それも社員がたかだか馬に跨ったくらいで、これだけの報道がされることだった。東電の存在が福島でどのようなものなのかを物語っているようで、じつに興味深い。

《日常的な事故隠し》

■ 二号機・タービン建屋一階。(中略)パイプを股ぐ。一歩、二歩進む。
 その瞬間―――――片足が空を泳いだ。続いて、みぞおちに劇痛、一瞬、気が遠くなった。痛みで意識が戻る。このとき、ようやく自分になにが起こったかを知った。《マンホールに落ちた!》(中略)森田さんが戻ってきた。いつも温和な彼が、ものすごい形相をしている。
「あのヤロー!所長や事務所の人間にケガのことわからんように、こっそり医者に連れていけだってよ。・・・・ふざけやがって!」(中略)
 ボーシン(この会社では「作業責任者」をこう呼んでいる)がやってきた。
「下に東電の社員が見まわりでウロウロしているから、ちょっと立って、仕事しているふりをしろよ」(中略)私のケガよりも、東電にこの事故がバレることの方を心配しているらしかった。(中略)
 森田さんと本田さんの二人に両脇からかかえられ、ようやくの思いで立ち上がった。(中略)安全責任者の石井さん(三二、三歳)の運転する会社のライト・バンで病院に向う。(中略)
「双葉厚生病院」―――――車イスに乗せられ、レントゲン室へ。
 「左肋骨骨折。左肋部・同側腹部打撲」。左脇の上から七本目の肋骨は骨折しているということだった。(中略)
安全責任者は「治療費の件だけど・・・」と、つぎのようなことを話しはじめた。
 「労災扱いにすると、労働基準監督署の立入り調査があるでしょ。そうすると東電に事故のあったことがバレてしまうんですよ。・・・・ちょっとマズイんだよ。それで、まあ、治療費は全額会社で負担するし、休養中の日当も面倒みます。・・・だから、それで勘弁してもらいたいんだけど、ねえ」

《日々の被ばく隠蔽》

■ 午後から待機となった木村さんが、「なぜか知らんが、最近、髪の毛が抜けて・・・放射能の影響かなあ」と、話しかけてきた。(中略)
 木村さんが「IHI」(石川島播磨重工)の下請労働者として福島原発で働いていたときのことだ。そこの労働者たちは、現場に着くとポケット線量計やアラーム・メーターなどをゴムの手袋に詰め、それをバリア(木製の箱)の下に隠してから作業にとりかかっていた。五〇ミリレムのアラーム・メーターが一〇分で“パンク”するような高線量エリアで一時間から二時間の作業。それでいてポケット線量計の報告は、二〇~五〇ミリレム程度にしておいたという。(中略)
 「みんな、平気でやっていたし・・・。それに、(作業を)早く終えちゃえば、あとが楽だもん。会社にしたって、予定より早く進めば、それだけ儲かるし・・・・」
 薄くなったという髪をしきりに撫でながら、彼はこう話してくれた。

■ 彼のポケット線計量の値は、一日の「許容線量」(一〇〇ミリレム)を越えてしまっていた。しかし彼は「一〇〇ミリ(レム)以上の値を書いたら、始末書を取られちゃう。面倒だから『八五』って報告しといたよ。」
もう一人も彼と同じ値を報告したということだった。

《下請け差別》

■ 数台設置されたそのモニターは、美浜原発で使用していたものと大部違っている。美浜の場合はボックス形をしていて、正式には「ゲート・モニター」と呼ぶらしい。全身(表面部分)の汚染状況が一回の測定で判かる。
 しかし福島原発のそれは、まさに名前の通り、手と足(正確には、手首から先と、足の裏)しか計測することができない。(中略)
 なに気なく、室内を見回す。《おや?》隅の方に、美浜原発と同じ機械が一台設置されているではないか。うかつだった。しかし、なぜか、その前にはだれも並んでいない。ガードマンの一人に尋ねた。
「あの機械は使えないの?」
「いや・・・・、別に故障しているわけじゃないんだけど、あれは正社員専用なんだよ」
「社員用?」
 「そう、東電の社員が使うために置いてあるんだ」
―――――こういうのを「差別」というのだろう。実に露骨な差別だ。

《黒人労働者もいた》

■ 一緒にストーブの“お守り”をしていた者たちのあいだで、「黒人労働者」の異常な仕
事ぶりが話題にのぼった。「保健安全センター」にホールボデイを受けに行った際、そこで外人の姿を見かけたと、私が皆の前で話したことが発端だった。(中略)
 私が見たのは、白人、イレズミもしていなかったとうだと答えると、仲間の一人は、「なんだ、黒人じゃないのか。また、やって来たのかと思ったよ」。
 七七年三月、福島一号機で給水ノズルと制御棒駆動水戻りノズルにヒビ割れ発見。この次期に、GE社のアメリカ人延べ一一八人、黒人労働者も延べ六〇人が動員されている(七八年二月県議会で松平勇雄県知事の答弁)。彼が「また、やって来た」と言ったのは、このときのことが頭にあったからだろう。
 黒人労働者は、福島原発だけでなく、敦賀原発でも働いている。六七年から六九年にかけて約一五〇人、七七年四月から五月に約六〇人―――七八年二月、衆議院予算委員会で草野威議員が明らかにした数字だ。これら黒人労働者は、いずれも高汚染エリアで劣悪な労働をしているという話を私は耳にしていた。この疑問を「また、来たか」といった男にぶつけてみた。
「わしは少し前まで、東芝の下請の『××工業』という会社で働いていた。そこでのおもな仕事は炉心部で、制御棒の調整や点検。線量が高いんで、働いている時間は、一日に一〇分から一五分。それでも一〇〇(ミリレム)ちかく浴びるんよ」
その彼の働いていた会社に、黒人労働者が「ちょくちょく顔を出した」という。


何とも腹立たしいこと

2011-04-14 17:56:54 | 近況
 今度の「東日本大震災」や「フクシマ」に関して、「フクシマ」の当事者である東電は別にして、僕は現政権や菅首相が万全の体制を築いて対応しているとは決して思わない。たぶん、未曾有の大災害と「想定外」の原発事故に戸惑い、冷静になって今何をすべきかがわからなくなったり、順番を間違ってしまったりということがあり、また特に「フクシマ」に関しては原発や放射能に関してほとんど専門的な知識のない政治家集団(その長である菅直人首相)が、これまで原発の「安全神話」を振りまいていた自分たちの責任を逃れようとする専門家の「知恵」や「提言」に振り回され、それは「レベル7」に関する「情報隠し」に象徴されてもいるが、右往左往しながら(迷走しながら)過ごしてきた1ヶ月だったのではないか、と思う。
 もちろん、だからといって「おっちょこちょい」の菅首相の責任が減免されるわけではない。首相になったとたんの「消費税アップ」発言を初め、菅直人は一国のリーダーとして不適切な、言うなれば総理大臣としてふさわしくない言動をこれまでも振りまいてきたことに対して、是認できないという思いを強くするのは当然である。
 しかし、先に参議院選挙や統一地方選の「敗北」も皆菅首相の責任として、今この時点で民主党の代表まで務めた小沢一郎や鳩山由紀夫が断罪・批判する姿は、醜いとしかいいようがない。特に、小沢一郎に関しては、これまでにも民主党の退勢を促した大きな要因が「カネと政治」に関して潔さを見せなかった自分にある、という姿勢(態度)を一度も見せてこなかったが、今回の「菅首相批判・菅内閣不信任」発言は、「権力亡者」の本領発揮と言えば言えるが、何とも腹立たしい思いをしたのは、僕だけだろうか。
 そもそも、原発建設を猛烈に推進してきたのは、小沢一郎が幹事長を務めたことのある自民党である。特に、何故「東京電力」の原発が福島県や新潟県にあるのか、それは原発を1基建設するのに建設費や交付金などを含めて莫大なカネが動く(一説には、どの程度かは不明だが「小さな戦争」を1ヶ月行うぐらいのお金(何百億円)が必要だと言われている)ために、「利権」に敏い東北(福島県)や信越(新潟県)の政治家たちが地元に誘致することで、彼らが何らかの利権を手にした結果、とも言われている。「利権」に敏いと言われている小沢一郎が東北(岩手県)の出身であること、あるいは小沢一郎の親分であった田中角栄が新潟県で絶大な力を発揮していたことを、僕らは想起すべきなのではないか。そのようなことを考えれば、今回の事故に関して、自民党や小沢一郎はこれまでの所業を反省した後に菅直人や現政権を批判すべきであって、そのことをせずに現政権が「迷走」しているからと言って、「政局」的な発言はするべきではないのではないか、と思う。
 僕が知る限りの新聞やテレビのから「情報」によれば、小沢一郎や自民党の「菅内閣批判」の多くは「現状批判」であって、「こうすべきである」、あるいは「自分だったらこのようにする」というような提言はない。特に小沢一郎や小沢支持の政治家たちの場合、例えば「子供手当26.000円支給」などの民主党マニフェストの遵守にこだわっていたが、そのような自分たちの主張を今回の大震災・「フクシマ」に対してどうするのか、菅内閣打倒というような威勢の良い声は聞こえてきても、一向に僕らには届いていない。
 そのような小沢一郎(小沢派の政治家たち)らの言動から透けて見えてくるのは、「権力欲」だけである。げに権力とは恐ろしいものだ、といわねばならないが、例えば小沢一郎が一国の総理になったら「フクシマ」は何とかなるのか。このことは、先の東京都知事選で4選を果たした石原慎太郎にも言えることだが、まさか彼らが「放射能よ、止まれ」と言ったら、「フクシマ」を発生源とする放射能汚染は止まる(終わる)のだろうか。
 ともあれ、「権力亡者」たちの跋扈、これほど腹立たしいことはない。

怖れていたことが……(4)

2011-04-12 08:19:20 | 近況
 東日本大震災(フクシマ第1原発の爆発事故)から1ヶ月、ついに政府(原子力安全・保安院)が今回の「フクシマ」に関して、実はその放射能の放出はチェルノブイリ原発の事故と同程度の「レベル7」だったと認める方向になった、という。事故の形態(運転中の原子炉爆発と地震・津波によって冷却装置が破壊され、それによって原子炉建屋から放射能が放出され、また水素爆発が起こった、)に違いはあれど、周辺地域に放射能をまき散らした程度から見れば、チェルノブイリと同じ「レベル7」になるのではないか、ということである。
 「フクシマ」が起こったとき、僕がその初めの時点で考えていたこと(心配していたこと)が現実になってしまったにもかかわらず、僕には何もすることができないというもう一つの現実に直面し、忸怩たる思いを禁じ得ないのであるが、それとは別に、事故当時の放射能放出に関して、1ヶ月も経たないと「正しい情報」が伝わってこないというのは、一体この国の原子力安全対策、あるいは「危機管理」はどういうことになっているのか、疑問に思わざるを得ない。たぶん、政府(原子力安全・保安院)や東電などは、「想定外だったので、正確なデータ分析が間に合わなかった(できなかった)」とか、「国民のパニックを防ぐため」などという言い訳を準備しているのだろうが、「情報公開」を原則としているはずの原子力行政(東電などの企業も)が、実は情報を秘匿し、また「情報操作」していたことが、この「レベル7」宣言で明らかになり、この国の原子力政策は根本から見直さなければならないのではないか、と思われる。
 その意味では、反発や怒りを書くことを覚悟でいうならば、今度の統一地方選において東京都民が原発推進派の石原慎太郎を選んだことに象徴されるように、「現状維持」を選択した国民も、この際「目を覚ます」必要があるのではないか。「現状維持」を選択したと言うのは、保守系(自民党や公明党、みんなの党、など)の議員たちは、これまでも率先して原発を推進・容認してきた政治家(屋)たちであり、その人たちを選んだということは、暗黙裏に原発によって支えられてきた現在の生活や文化を容認した、ということに他ならないからである。「現状維持」を選択しながら、放射能汚染に脅える、僕らの生活が現実的にはそのようなものであったとしても、ここでもう一度根本からそのような生活や文化の在り方を考え直すことも必要なのではないか、と思う。
 それにしても腹立たしいのは、「フクシマ」が起こった当初、原発事故の程度や放射能汚染に関して、テレビや新聞に出まくって「問題ない」「人体に影響ない。安全だ」との賜っていた原子力や原子炉、放射能汚染の「専門家」と称する学者・研究者の存在である。彼らは、この1ヶ月の間に発した自らの言説に対して、どのように「責任」をとるつもりなのだろうか。肩書きを見れば、大方の人たちがこれまで多くの報酬を得て様々な原子力に関わる委員会などに所属し、国の原子力政策を推し進めてきた人たちのように見受けられるが、彼らのオポチュニズム(ご都合主義)は自分の不都合には口を閉ざし、また機会があれば偉そうに発言しようとするのだろうが、嫌らしいとしか思えない--このような「御用学者」が跋扈していた状況の中で、京都大学原子力研究所の二人の助教(昔の言い方では助手)が「反原発」の立場で研究をしてきたことから、還暦を過ぎた今でも助教のままで業績はたっぷりあるのに「昇任」できなかった、という事実が明らかになったが、原子力研究に関してこのようなアカデミック・ハラスメントが存在していたこと、これもまたこの国の原子力行政がいかに「不健全」なものであるかをあかすものであった--。
 たぶん、このような原子力に関する「研究」状況が生じたのも、政官財に加えて「学(学問・研究)」の世界において、世界で最初の被爆国であるにもかかわらず、意図的に「ヒロシマ・ナガサキ」と「フクシマ(原発)」とを切り離してきたからだと思われる。僕がこれまでやってきたこと(主に「原爆文学研究」)との関係でいえば、これは戦後すぐの連合軍(アメリカ軍を中心とした占領軍・GHQ)の占領政策--「原爆」報道を禁止したプレス・コード--のこともあって、出版界・文学界で「原爆タブー」があり、正面から原爆文学などを研究することがさけられてきた、という事実がある。
 なお、ついでにいっておけば、1983年に『原爆とことば-原民喜から林京子まで』(三一書房刊)を出し、1993年に『原爆文学論-核時代と想像力』(彩流社刊)を、また2005年に『原爆は文学にどう描かれてきたか』(八朔社刊)を出し、かつ『日本の原爆文学』(全15巻 ほるぷ出版)、『日本の原爆記録』(全20巻 日本図書センター)、『ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成』(全6巻 同)などの編集に関わってきた僕であるが、そのような僕の「原爆文学」を中心とした批評・研究活動に対して、「反戦・平和主義者の研究者(批評家)」とレッテルを貼って済ませてしまう文学界・学会の在り方もまた、今回の「フクシマ」によって問われているのではないか、ということがある。
 また、政治の世界でも、戦後の冷戦構造の中でアメリカのパートナーであることを選んだ保守政治は、「被爆者援護法」の制定を遅らせるなど、アメリカの核政策を容認し追随するような選択を一貫して行ってきたことも、現在の原子力政策に関係している(原発容認派の石原慎太郎が東京都知事選で4選を果たしたのも、65年に及ぶ保守派の原子力政策の結果、ということもできる)。
 いずれにしろ、「怖れていたこと」が現実になりつつある現在、僕らに何ができるのか、ここは今あるところに踏み止まって、熟考するひつようがあるのではないか、と切に思う。

「春」なのに……

2011-04-11 08:21:48 | 近況
 庭に李(ボタンキュウ)の白い花が今を盛りと咲き誇り、二階の窓から見える土手に植えられた桜が満開の時期を迎え、いよいよ生きとし生けるもの全てが躍動し始める「春」となったのに、心は一向に晴れることがない。。特に今朝(11日)は、最悪な気分だった。すでに昨夜の8時から始まった選挙速報から今度の統一地方選のおよその結果は予測できていたのだが、5時半に起きて朝刊2紙を読み、予想通りだったのでますます気分が悪くなった。
 しかし、何故人々はかくも「変革」を望まないのか? 別な言い方をすれば、何故人々は「停滞」を承知で「現状維持」を選択したのか、ということである。投票日の昨日が、この日本列島に未曾有の被害をもたらした東日本大震災からちょうど1ヶ月になる、という日であり、この大震災をもたらした地震・大津波によって長い間「幻想」であったと言っていい原発の「安全神話」が崩壊したことを私たちは日々突きつけられている現実があるというのに、なぜ人々はいくらかでもこの現実を「変革」「改革」する方向を選択しなかったのか。
 理由は、たぶん、人々の生活スタイルが「現在」しか見ない(見えない)ものになっていて、「未来」についてどんな責任も持たないようなものになってしまっているから、である。別な言い方をすれば、この度「めでたく」4選を果たした石原慎太郎東京都知事ではないが(皮肉です。念のため)、人々があまりに「我欲」(エゴイスティック・ジコチュウ)に囚われて、村上龍が10数年前に警告した「この国には希望がない」(『希望の国のエクソダス』)状態を是認する人々があまりに肥大化した結果、ということである。福島第1原発の事故によって、計画停電とか、野菜や魚の放射能汚染で、あれほど痛めつけられながら、それでも「現状維持」を選択し、自分たちに痛苦をもたらした原発を容認・推進してきた人(あるいは政党)を今度の選挙で選んだということは、もしかしたら、この国の人々は歴史(特に近代史)が如実に語るように、本当に「自虐」(マゾイズム・忍従)的志向が強いのかも知れない。
 だが、今度の選挙結果が如実に語る選択をしたこの国の人々は、何処へ行こうとしているのだろうか。僕には、皆目わからない。伝えられている(伝えられず、秘密なものも相当あるのではないか、と思う)情報を総合しての僕の判断だが、東電福島第1原子力発電所は、1号機から6号機まで廃炉、そしてこれは放射能汚染の具合によって微妙な結果になるだろうと思うが、福島第2原発も相当長い間(たぶん、10年単位)稼働できず、もちろん東電だけでなく原発の新設はできず、その結果「電力不足」の状態が十年単位で続くのではないか、と思っている。そして、今後の放射能放出の度合いによって変わるが、福島第1原発から20キロ前後の地域が何十年かにわたって「立ち入り禁止」になるのではないか(まえに、僕が「フクシマ」は「チェルノブイリ化」するのではないか、と書いたら、黒古は風評被害をもたらす、などと訳知り顔でコメントを寄せた輩がいるが、かの輩氏は「フクシマ」の現状をどのように思っているのか、知りたいものである)。
 つまり、「フクシマ」はこの狭い国土の日本に「チェルノブイリ」を実現してしまうのではないか、そしてそれによる「損失」「被害」は該当する地区や人々にとって甚大なものになり、それこそ「想定外」の結果をもたらすのではないか、と思う。
 故に、本当は文字通りの「変革」「改革」が今こそ必要とされるはずなのだが、にもかかわらず、この国の人々は、原発推進を公言してきた石原慎太郎を東京都知事に選び、長い間原発を推進してきた自民党(ある時から公明党も)を、地方議会の第1党として選んだ。今後、この国が何処へ進むかわからないのに、である。果たしてこの度の結果が「正しい選択」であったか否か、いつかは歴史が証明してくれるだろうが、ここは魯迅の「絶望の虚妄なるは希望のそれと同じい」という言葉をかみしめながら、「前」を向いて歩いて行くしかないのかも知れない。

「英雄」は、必要ない!

2011-04-08 08:59:22 | 近況
 昨夜(7日の夜11時30分過ぎ)の「余震」には、改めて驚かされた。前橋は「震度4」であったが、「震度6強」であった仙台市などのことを思うと、改めて「自然の力」というものの恐ろしさと同時に、余震の直後に東電の発表としてフクシマ第1・第2原発に以上はなかったという報に接し、「科学の脆さ」を思わざるを得なかった。
 そんな状況の中にあって、今朝の東京新聞の報道によると、東京都知事選に関する世論調査で石原慎太郎候補が他の候補を押さえて現在のところ「大きくリード」している、という。おそらく政権与党が候補者擁立を見送った反動からこのような結果になったのだろう。そのことを考えれば、僕は東京都民ではないので、本来なら「へえ」と言って傍観していればいいのかも知れないが、なぜこんな調査結果になるのか、このことに関しては、21席の現代を生きる一人の批評家として考える必要があるのではないか、と思った。
 つまり、どうも僕ら(東京都民・日本国民)は東日本大震災や進行中の「フクシマ」のことがあったからなのか、最悪のポピュリズムと言われる「英雄待望」の雰囲気の中にあるのではないか、そしてそのような「英雄待望論」こそ今僕らが最も戒めなければならない感情・考え方なのではないか、ということである。別な言い方をすれば、これも東京新聞が「整理」した記事によるのであるが、「フクシマ」が進行中の現在でも、主な東京都知事選挙の候補者(石原慎太郎・東国原前宮崎県知事・渡辺「ワタミ」会長・小池前参議院議員・ドクター中松)のうち、「原発推進」を唱えているのは石原慎太郎だけで、他の候補は原発の在り方を再考する(あるいは、開発計画を見直す、凍結・縮小する)、といった立場を表明している、という。
 僕らは、原発に関する「安全神話」が崩れ、避難を強いられた原発の周辺住民だけでなく、放射能汚染と言うことで作物や採った魚を出荷できないとう農漁民が多くの被害を受け、その結果として自分たちの食生活が狂ってしまったこと、あるいは東京都民だって水道水が放射能で汚染され赤ちゃんに飲ませられない状態になったこと、等を知りながら、それでも「原発推進」の知事候補を支持するのか、僕にはどうもよく理解できない。
 原発のことだけではない。石原慎太郎が知事の時代に強力に推し進めてきた「築地」移転の門田だって、危険物質(薬品や廃棄物)を大量に埋め立てた移転候補地の豊洲が「液状化現象」を起こし、多くの識者が筑地の移転計画は見直すべきだと言っているにもかかわらず、何故東京都民は、自分たちの食生活の多くをになう築地をそんな危険な場所に移転させようとする候補者(知事)を支持するのか、僕には全く理解できない。
 その他にも、今回の地震に対して「我欲ばかり追求してきた日本人への天罰」といった趣旨の発言が象徴するように、石原慎太郎は多くの「差別」的な発言、「上から目線」の発言をしてきたという過去があるにもかかわらず、どうして支持が多いのか。僕には全くわからない。あるいは「日の丸・君が代」の強制(従わなかった教師たちに対して厳罰で臨んだ)に見られるような、およそ「自由」を尊重する表現者(小説家)とは思われないファッショ的な政策を行ってきたにもかかわらず、である。
 おそらく、「情報化社会(インターネット社会)」の中で、多くの国民が与えられた「情報」の処理に関しては卓越するようになったが、自分で「情報」を集め、それらが意味することを考えると言う作業を怠ってきたから、今回の東京都知事選挙(の予測)のような結果になったのではないか。これは、別な言い方をすれば、それだけ「指示待ち」症候群が広がってきているということであり、この「指示待ち」症候群というのは、裏返せば「協力」な指示を出す「英雄」にあこがれる心性に他ならない。しかし、村上龍の『会いと幻想のファシズム』ではないが、近代(現代)国家は一時的には「英雄」を欲しても、最終的には「英雄」によって救われることはない。僕らはこのことを肝に銘じて、東京都知事選の行く末を見守る必要があるのではないか、と思う。

 なお、「フクシマ」が徐々に「チェルノブイリ化」しつつあるのではないか、という懸念が政府や東電の否定にもかかわらず、多くの人たちの間で広がりつつある。福島第1原発の周囲、どのくらいの範囲で「立ち入り禁止」になるのか、原子炉を廃炉にするといっても、完全に放射能汚染から無縁になるには、何十年もかかるという。それほどに危険な存在である原発、「フクシマ」について考えるということは、僕らの未来を考えると言うことでもある。僕らは、いろいろなことに注視し続けなければならない。そんな時代に生きることを、僕らは強いられるようになったのである。

怖れていたことが……(3)

2011-04-06 10:33:04 | 仕事
 大学を定年退職して今日で6日目、もうルーティンな形で大学へ行かなくてもいいのだという思いは、今までに経験したことのない清々しさをもたらすものだな、と実感しつつある今日この頃なのだが(もっと時間が経つと、別な感慨を持つかも知れないが)、福島第1原発の事故(「フクシマ」)がもたらす「情報」によって、鬱々たる気持ちから解放されることがない。
 最大の理由は、政府や原子力保安院、東電などが流す「情報」について、どうしても信用できないという思いを禁じ得ないからである。特に、最大の責任者である東電の「報告」の杜撰さ、いい加減さ、というか「誤り」の多さ、に関しては、僕らはこのような「いい加減な」情報を垂れ流す電力会社に僕らの現在と未来を託していたのか、という思いが強く、苛立ちが募るのである。
 このような苛立ちが原因の鬱々たる気分は、どうも僕だけではないようで、今日(6日)の東京新聞を見ていたら、何カ所かの記事で僕と同じような理由を上げ「怒り」を表明していた。例えば、その「怒り」(苛立ち)の理由であるが、まず放射線量などの数字が1000万倍から10万倍に変更になったり、「本日の数字」が実は「2日前」のものだったり、報告された「安全である」という放射能の数値は、瞬間的なものとしての「安全宣言」なのか、それとも「積算値」としてのそれなのか、どうもはっきりしない(それに関しては、政府の報告も同じ)。
 また、ヨウ素131やセシウム137については、報告されているが、昔から放射能の代名詞といわれてきた半減期が長く人体に大きな影響を及ぼす「ストロンチュウム90」は汚染地区に存在しないのか、あるいは一時「人体に影響がない程度」といわれたプルトニウムはその後どうなったのか、これらのことについて、僕の知る限り全く報告されていない。
 また、放射能の海洋汚染について、あるいは汚染作物や避難地区の現在の放射能汚染(半径10キロ以内で放射能汚染された500友1000友言われる遺体の処理はどうなっているのか)、それらの処理も含めて今後どうなるのかについても、ほとんど言及されない。
 これでは、「不安」や「苛立ち」、「鬱々たる気分」は当分払拭できないのではないか。「情報化社会」という言葉が横行し始めてからずいぶんと時間が経つが、その「情報化社会」において必要な情報が「切断」される。このことに関しても、情報化社会を謳歌していた学者やその追随者から、何の「情報」も伝えられていない。この原発に関する「情報」に関して、チェルノブイリ化(一部の不都合な情報が遮断され、被害の拡散をもたらしたされる現象)がおこっているのではないか、と思うのは僕の危惧か。危惧であれば、それでいいのだが、どうもそうではないような気がしてならない。
 それにしても、一時各チャンネルのテレビに繰り返し出て「この程度の放射能汚染なら、栽培農家に感謝しながら毎日食べても平気だ」と豪語していた若手(准教授)の放射能学者は、今でも栽培農家の人に感謝しながらほうれん草を毎日大量に食べているのだろうか。(このことについては、彼を重用したテレビ局にも責任の大半はあるが、ことほど左様に、「情報」は危ういものだということを僕らは、肝に銘じなければならない。)
 それで、いつ僕の「鬱々たる気分」は晴れるのだろうか。