6月30日午後9時10分。昨日は朝から孔子の生まれた曲阜という世界遺産に登録された都市(孔子廟や孔子林などの遺跡・建物が広大な土地に広がる地域)に行き、今日は同じく世界遺産に登録された中国五大名山の一つ「泰山」に行ってきた。思いがけず1泊2日の「観光小旅行」になったのは、当初村上春樹の翻訳者として有名な林少華教授が勤める中国海洋大学を訪れ、林教授と村上春樹について王ハイランを交えて意見交換・情報交換をする予定でいたのに、突然林教授に急用ができてあえなくなったと連絡が入ったためである。昔から国内外どこへ行っても、自分から観光旅行をするという習慣のない僕としては、珍しい決断に属するが、それは出発の直前、1ヶ月ほど中国に滞在していた立松和平から電話があって、「父親が一番最初に中国で住んでいた済南に行ってきた、曲阜へも行き、泰山に登ってきた、黒古さん是非行ってきなさい」と言われたことも大いに影響し他のではないか、と思う。
両方とも比較的近くにあるのだが、それぞれ中国人の思想・宗教観に大きな影響を与えた場所(遺産)として、行ってよかったと思っている。孔子やその後継者が「儒教」という中国独特な思想=道徳を説いた場所や建物には独特な雰囲気があり、古い建物とともに現代人の私たちにも何かしらのものをもたらしてくれるのではないか、ということを実感した。もっとも、どこでも同じだなと思うったのは、客引きや観光馬車への勧誘が激しく、それへの対応で疲れると言うこともあった。それに料金が高い(ほとんど日本の文化遺産見学の観覧料と変わらない)というのも、気になった。ただし、60歳以上と学生は半額なので、どこでも僕はその恩恵に浴し、良かったのやら悪かったのやら、複雑の気持ちであった。
そして今日、名峰と言っていい泰山だが、域は昨日の疲れもあったのでケーブルカーで途中まで登り、そこから歩いて頂上(1800メートル近い)を目指した。しかし、頂上の伽藍までは登っていく勇気がなく、帰りを徒歩で、と思ったのが不幸の始まりで、急峻な坂道につけられた1600段以上の階段を下りると言うことの大変さを味あった。200メートルほど降りたところで、膝が笑い出し、泣き言を言うこともできないので、ゆっくりゆっくり降りたのだが、途中何度も休んだので2時間ほどかかってしまった。中国人曰く、泰山は「登りは徒歩で、帰りはケーブルカーで」が常識とのこと。しかし途中から引き返すことなど恐ろしくて考えられず、そのまま降りた。充実感と爽快感はあるのだが、体の方がガタガタ。
南阜と泰山、この2カ所の訪問で、中国4000年の文化・習慣・宗教心の一端に触れたような気がした。仏教あり、儒教あり、道教あり、の「混沌」とした精神世界、何でも飲み込んで自分たち独自な世界観を作り上げてしまう。それに、このような大地を治める権力の強大さも痛感した。特に泰山には頂上近く、大きな伽藍がいくつも建設されているのだが、その材料をどうやって運んだのか?急峻な坂道を一歩一歩持ち運ぶ以外に方法がないのではないかと思ったのは、下り坂で登ってくる「強力(ごうりき)」に何人もあったのだが、流れる汗をものともせず登っていくその姿に何千年か前の寺院建設に従事した民衆の姿を重ね、何とも不思議な気持ちがした。
明日は北京、清華大学の先生と会い、再び中国社会科学院の許先生と会い、それですべてのスケジュールが終わる。どのような成果があったか、帰ってからじっくり考えなければならないが、それなりに充実した今回の中国体験だったと思う。
明日は忙しいので、このブログが書けるか、どうか。
では、、また。
両方とも比較的近くにあるのだが、それぞれ中国人の思想・宗教観に大きな影響を与えた場所(遺産)として、行ってよかったと思っている。孔子やその後継者が「儒教」という中国独特な思想=道徳を説いた場所や建物には独特な雰囲気があり、古い建物とともに現代人の私たちにも何かしらのものをもたらしてくれるのではないか、ということを実感した。もっとも、どこでも同じだなと思うったのは、客引きや観光馬車への勧誘が激しく、それへの対応で疲れると言うこともあった。それに料金が高い(ほとんど日本の文化遺産見学の観覧料と変わらない)というのも、気になった。ただし、60歳以上と学生は半額なので、どこでも僕はその恩恵に浴し、良かったのやら悪かったのやら、複雑の気持ちであった。
そして今日、名峰と言っていい泰山だが、域は昨日の疲れもあったのでケーブルカーで途中まで登り、そこから歩いて頂上(1800メートル近い)を目指した。しかし、頂上の伽藍までは登っていく勇気がなく、帰りを徒歩で、と思ったのが不幸の始まりで、急峻な坂道につけられた1600段以上の階段を下りると言うことの大変さを味あった。200メートルほど降りたところで、膝が笑い出し、泣き言を言うこともできないので、ゆっくりゆっくり降りたのだが、途中何度も休んだので2時間ほどかかってしまった。中国人曰く、泰山は「登りは徒歩で、帰りはケーブルカーで」が常識とのこと。しかし途中から引き返すことなど恐ろしくて考えられず、そのまま降りた。充実感と爽快感はあるのだが、体の方がガタガタ。
南阜と泰山、この2カ所の訪問で、中国4000年の文化・習慣・宗教心の一端に触れたような気がした。仏教あり、儒教あり、道教あり、の「混沌」とした精神世界、何でも飲み込んで自分たち独自な世界観を作り上げてしまう。それに、このような大地を治める権力の強大さも痛感した。特に泰山には頂上近く、大きな伽藍がいくつも建設されているのだが、その材料をどうやって運んだのか?急峻な坂道を一歩一歩持ち運ぶ以外に方法がないのではないかと思ったのは、下り坂で登ってくる「強力(ごうりき)」に何人もあったのだが、流れる汗をものともせず登っていくその姿に何千年か前の寺院建設に従事した民衆の姿を重ね、何とも不思議な気持ちがした。
明日は北京、清華大学の先生と会い、再び中国社会科学院の許先生と会い、それですべてのスケジュールが終わる。どのような成果があったか、帰ってからじっくり考えなければならないが、それなりに充実した今回の中国体験だったと思う。
明日は忙しいので、このブログが書けるか、どうか。
では、、また。