110月28日の「群馬県民の日」を利用して、恒例となっていた福島県南会津地方への「紅葉狩り」に行ってきた。久し振りの「骨休め」を兼ね、放射能汚染が他の福島県地方(浜通り、中通り)に比べて少ないとされる会津地方がどうなっているのか、南会津町に暮らす昔からの知り合いを(勝手に)励ましたいという思いもあって出掛けたのだが、肝心の「紅葉」の方は、例年に比べて色の鮮やかさが劣っていて、その限りでは残念であった。行く先々で出会った人の話では、やはり今夏の異常気象(酷暑や長雨)がそのような「薄汚れた感じ」の紅葉を作り出したようであり、その意味では「3・11」から始まった今年の春ー夏ー秋は、最後まで「異常」のまま終わるのではないか、と思わせた。
毎年、南会津地方(旧舘岩村・檜枝岐村)へ、紅葉狩りをかねて「新蕎麦」を食べに行くのは、そこが立松和平に教えられた「日本の原風景」を残している地域ということもあるが、もう一つ「赤蕪漬け」と「リンゴ」がやけにおいしいからに他ならない。今年も途中の「道の駅たじま」で目的の二つを購入しておいしくいただいたのだが、例年だと山のように積まれている「生の赤蕪」(例年はこれを購入して、自分の家で「赤蕪漬け」を作っていた)が、今年はほとんどなく、理由を聞いたらやはり「異常気象」のせいだとのこと、紅葉といい、赤蕪といい、「異常気象」の影響がここまで及んでいるのかと思うと、何とも複雑な気持ちにさせられた。
また、例年だとこの時期の土曜日となると「道の駅」など駐車場に入り切れない車でいっぱいなのだが、今年は何故か空いた駐車スペースがたくさんあり、知り合いに聞いたらやはり「フクシマ」の影響で紅葉狩りの客は半分以下に減っているとのことであった。そう言えば、知り合いの家がある「会津曲り家」で有名な旧舘岩村前沢地区(茅葺き屋根を持つ「曲り家」が19軒集中している地区)では、折しも無料でその「曲り家」を見学できる「前沢祭り」を行っていたのだが、観光客の数はそれほど多くはなかった。聞くところによると、「フクシマ」のために店を閉めているレストランや食堂が何軒もあるという。珍しい「曲り家」を見ることのできるお祭りにも人が来ない、福島県(だけでなく、高濃度の放射能汚染が報じられた地方)というだけで、実際は放射能汚染の度合いはそんなに高くないのに、人も物流も滞ってしまう現状は、文字通り「風評被害」としか言えないが、このような現実を政府や電力会社、経済界は本当に分かっているのか、と憤りを込めて思ってしまう。
というのも、今朝の新聞を見たら、前々から報道されていたインドへの「原発輸出」に政府(野田政権)は本腰を入れた、という記事があり、1週間ほど前のベトナムへの原発輸出が本格化したという報道を思い起こしながら、「フクシマの収束を第一に考える」という野田政権の見解がいかに矛盾に満ちた虚しいものであるかを思い知らされた。
それに追い打ちをかけるように、「(フクシマの)原子炉廃炉に30年以上かかる」「福島県に汚染物質を30年保管する中間貯蔵施設を、その後最終処分場へ」という報道があり、フクシマで大きな被害を受けている福島県に更なる精神的・物質的な負担を強いる、かといって最終処分場さえ決まっていない(存在しない)にもかかわらず、54基もの原発を建設してしまったこの国の在り方の「いい加減さ」(主な責任は、自民党単独政権とその後の自公政権にある。もちろん、それらに荷担してきた民主党(旧自民党員)にも責任はある)に対して、どのように怒りの矛先を向ければいいのか。それにしても、「廃炉に30年以上」「30年間の放射能汚染物質の中間貯蔵施設」という時の、「30年」にはどのような意味があるのか、あるいは意味がないのか。まさか「人の噂も75日」を狙ったわけではないだろうが、大事なことは、僕らがフクシマによって様々な「被害」を受けていること、このことについて「怒り」を忘れず、なお「フクシマ」だけでなく「核」と人間との関係について考え続け、政府や電力会社の在り方をずっと監視続けることだろう、と思う。
「舐めたら、いかんぜよー」という言葉が昔流行ったが、一人一人が政府(政治家)や電力会社、営利(カネのこと)しか頭にない財界に「舐められない」ことが、今いちばん僕らに突きつけられている問題なのではないか、と思う。「ごまめの歯ぎしり」かも知れないが、ごまめだって数が集まれば「脅威」になることを、彼らに思い知らせることが今一番求められている、と僕は思っている。
それに加えて、お互い「風評被害」に負けないようにしましょう。
毎年、南会津地方(旧舘岩村・檜枝岐村)へ、紅葉狩りをかねて「新蕎麦」を食べに行くのは、そこが立松和平に教えられた「日本の原風景」を残している地域ということもあるが、もう一つ「赤蕪漬け」と「リンゴ」がやけにおいしいからに他ならない。今年も途中の「道の駅たじま」で目的の二つを購入しておいしくいただいたのだが、例年だと山のように積まれている「生の赤蕪」(例年はこれを購入して、自分の家で「赤蕪漬け」を作っていた)が、今年はほとんどなく、理由を聞いたらやはり「異常気象」のせいだとのこと、紅葉といい、赤蕪といい、「異常気象」の影響がここまで及んでいるのかと思うと、何とも複雑な気持ちにさせられた。
また、例年だとこの時期の土曜日となると「道の駅」など駐車場に入り切れない車でいっぱいなのだが、今年は何故か空いた駐車スペースがたくさんあり、知り合いに聞いたらやはり「フクシマ」の影響で紅葉狩りの客は半分以下に減っているとのことであった。そう言えば、知り合いの家がある「会津曲り家」で有名な旧舘岩村前沢地区(茅葺き屋根を持つ「曲り家」が19軒集中している地区)では、折しも無料でその「曲り家」を見学できる「前沢祭り」を行っていたのだが、観光客の数はそれほど多くはなかった。聞くところによると、「フクシマ」のために店を閉めているレストランや食堂が何軒もあるという。珍しい「曲り家」を見ることのできるお祭りにも人が来ない、福島県(だけでなく、高濃度の放射能汚染が報じられた地方)というだけで、実際は放射能汚染の度合いはそんなに高くないのに、人も物流も滞ってしまう現状は、文字通り「風評被害」としか言えないが、このような現実を政府や電力会社、経済界は本当に分かっているのか、と憤りを込めて思ってしまう。
というのも、今朝の新聞を見たら、前々から報道されていたインドへの「原発輸出」に政府(野田政権)は本腰を入れた、という記事があり、1週間ほど前のベトナムへの原発輸出が本格化したという報道を思い起こしながら、「フクシマの収束を第一に考える」という野田政権の見解がいかに矛盾に満ちた虚しいものであるかを思い知らされた。
それに追い打ちをかけるように、「(フクシマの)原子炉廃炉に30年以上かかる」「福島県に汚染物質を30年保管する中間貯蔵施設を、その後最終処分場へ」という報道があり、フクシマで大きな被害を受けている福島県に更なる精神的・物質的な負担を強いる、かといって最終処分場さえ決まっていない(存在しない)にもかかわらず、54基もの原発を建設してしまったこの国の在り方の「いい加減さ」(主な責任は、自民党単独政権とその後の自公政権にある。もちろん、それらに荷担してきた民主党(旧自民党員)にも責任はある)に対して、どのように怒りの矛先を向ければいいのか。それにしても、「廃炉に30年以上」「30年間の放射能汚染物質の中間貯蔵施設」という時の、「30年」にはどのような意味があるのか、あるいは意味がないのか。まさか「人の噂も75日」を狙ったわけではないだろうが、大事なことは、僕らがフクシマによって様々な「被害」を受けていること、このことについて「怒り」を忘れず、なお「フクシマ」だけでなく「核」と人間との関係について考え続け、政府や電力会社の在り方をずっと監視続けることだろう、と思う。
「舐めたら、いかんぜよー」という言葉が昔流行ったが、一人一人が政府(政治家)や電力会社、営利(カネのこと)しか頭にない財界に「舐められない」ことが、今いちばん僕らに突きつけられている問題なのではないか、と思う。「ごまめの歯ぎしり」かも知れないが、ごまめだって数が集まれば「脅威」になることを、彼らに思い知らせることが今一番求められている、と僕は思っている。
それに加えて、お互い「風評被害」に負けないようにしましょう。