黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

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「閉塞状況」に異議あり!(3)――フクシマを忘れたのか?!

2015-02-26 09:05:23 | 仕事
 安倍首相の言葉が「空疎」で「観念的」であり、そのような言葉を貫いているのは「自分を偉く見せたい」というような子供染みた欲求でしかないというのは、再三この欄で言ってきたことだが、昨日の新聞やテレビが一斉に報じた「汚染水 外洋に垂れ流し」という記事は、まさにフクシマや原発再稼働・輸出に関する安倍「極右」内閣の政策(言葉)が、いかに「欺瞞的」なものである(あった)か、私たちの目の前に引き出すものであった。
 思い出して欲しいのだが、安倍首相は東京オリンピック招致を決めるリオデジャネイロでのプレゼンテーション(2013年)で、「フクシマは完全にコントロールされており、放射能汚染はこれまた完全にブロックされている」と世界に向けて公言した。このときも、このスピーチは「大言壮語」とか「オリンピック向けのパフォーマンス」といった批判が続出したが、その後の汚染水問題に対しては「原発敷地内の問題」「原発専用港ないのでブロックしている」として洞ヶ峠を決め込んでいた感のある安倍首相であるが、今回の「汚染水を外洋に垂れ流し」という問題に関して、またこの事実を1年以上隠蔽し続けてきた東電のやり方(隠蔽体質)に対する態度を含めて、安倍首相はどのように対応するのだろうか。東電によって汚染水を「外洋に垂れ流し」された漁業組合の人たちが「怒り」、「東電は信用できない」と言うのを、安倍首相たちはどのように受け止めるのか。避難問題や重大事故の危険性に関して様々な問題のある川内原発の再稼働を「経済効果=金儲け」優先思想によって乗り切った政府(経産省)は、今度も漁業関係者へ多額の賠償金を支払うことで切り抜けようとしているのだろうか。
 またまた、知らんぷりして済まそうとするように思えるが、しかし、>高濃度放射性廃棄物(原発から輩出される「死の灰」や使用済み核燃料、廃炉に伴う汚染物質、等々)の最終処分場も決まらないまま、原発再稼働や原発輸出を急ぐ安倍内閣(経産省・電力業界)、それと「中立」であるはずの原子力規制委員会(田中委員長)、彼らは人類・地球の「未来」をどう考えているのか
 何度でも言うが、「核と人類は共存できない」のである。
 そのことを前提として考えるならば、原発頼りのエネルギー政策を早急に改め、ドイツのように自然(再生)エネルギーを中心にしたエネルギー政策に転換すべきなのに、フクシマが起こった直後の官民におけるそのような共通認識も、いつの間にかうやむやにされそうである。それを象徴するのが、原発再稼働こそ「金儲け」の早道と考える電力業界やかつて「原子力ムラ」と言われた経産省(の官僚)や学者たちの後押しによって、太陽光発電の「買値」が少しずつ下げられていることである人々の自然(再生)エネルギーへの関心や情熱を削ごうとしているとしか思えない太陽光発電の「値下げ」、僕らはフクシマによって汚染され「帰宅困難」地区に指定された人々のうち、「将来の帰還」を希望する人たちが「1~2割」という現実について、何度でも考えなければならないのではないか。
 安倍首相は、今年の7月にも出されるという戦後70年という節目の「安倍談話」について、「未来志向」を重視すると言っているが、「積極的平和主義」(この言葉も、空疎で、観念的である)などという「戦争のできる国」をめざす何とも危険な方針よりも、フクシマの現実と真摯に向き合い、この地球上で「二度とフクシマを起こさない」との決意を世界に向かって発信し、そのための施策を表明する方が、中国や韓国を中心とするアジア諸国がどれほど「安心」することか、それこそが本物の「積極的平和主義」だと思うが、安倍さんには通じないか?!
 
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「閉塞状況」に異議あり!(2)――「生命」より「面子」ですか?

2015-02-23 09:14:22 | 仕事
 時事通信文化部配信の連載「戦争文学を語る」と、併せて中国の若き友人から頼まれた原稿(4月に訪中を予定しているが、その際に行われる講演用の原稿)「文学を通して日中関係を考える―15年戦争下の文学を中心に」のために、今は様々な戦争文学作品を読み直しているのだが、そのような戦争文学作品を読みながらも頭に浮かんでくるのは、「何故、安倍首相はこのような<危険な選択>に前のめりになっているのか?」という疑問である。
 「テロは絶対許さない!」という決意については、中東の複雑な政治状況や宗教対立を考慮しない浅薄な威勢のいい言い方だとは思うが、それは100歩譲って「仕方がないな」としても、自分の「有志連合」への2億ドルの援助という形の参加表明(人道支援と言っているが、そのやり方をい見れば明らかにアメリカに追随したイスラム国への敵対行為である)を棚に上げて、「(後藤さんたちの生命を譲ったイスラム国については、必ずその罪を償わせる」という、これまた威勢のいい言い方については、「殺すな!」が戦後社会のコンセンサスであったと考える僕としては、決して認めることのできない言葉である。第一、どのような方法で「償わせる」のか? アメリカやそれに追随する有志連合のように、軍隊(航空自衛隊)を派遣して、イスラム国の支配地区を爆撃するのだろうか。
 この「償わせる」という言葉からは、後藤さんや湯川さんの死を悼む国民感情に「悪のり」して、集団的自衛権を実質的に行使しようとする安倍「極右」政権の意図が丸見えである。そこには、前回も書いたことだが、有志連合(アメリカ)の空爆によって、その爆弾の下で何千人もの無辜の民が生命を落としていることも、またもし集団的自衛権行使によって自衛隊が有志連合の一員とさなかするようになったら、必ず自衛隊員の中から「戦死者」が出るだろうし、日本をこれまで以上に「敵国」として認識するようになったイスラム国(及び、同調するイスラム過激組織)が日本をテロ攻撃の対象とするようになり、その結果多くの犠牲者が出るであろうということに、安倍首相やそれを取り巻く政治家たちは、全く想像力を働かせなていないのである
 戦前の戦争文学作品を読んでいると、日本の指導者たち(政府、軍部)が国民の生命をまさに「1銭5厘」(召集令状の郵便代金)としてしか考えていなかったことが分かるが、A級戦犯に問われた祖父岸信介(元首相)のDNAを色濃く引き継ぐといわれ、彼を尊敬しているという安倍首相のこのところの言動を見ると、お祖父さんと同じように、国民の「生命」よりも「何としても、世界(アメリカ)に認められたい」「欧米の大国と肩を並べたい」という自分の「面子」としか思われない「欲求=欲望」に支配されているようで、本当に怖い、と思う。 そんな安倍政権に対して国民は未だに「45~50%」の支持を与えているのだから、これまた非難を覚悟でいえば、「愚妹な国民と言わねばならない。つまり、安倍首相が唱える「戦後レジュームからの脱却」が、戦後社会の基底を形成してきた「ヒューマニズム(人間=生命尊重主義)」の発露である「平和と民主主義」を唾棄して、戦前のようなナショナリズム(国粋主義・天皇主権)を基調とした「全体主義(ファシズム)的国家」を形成することだということ、そのことが何をもたらすか、僕らはもっともっと警戒すべきなのに、国民の多くが「アベノミクス」なる格差社会の増大、金儲け主義を(しぶしぶだと思いたいが)承認しているということである。
 人間にとって一番大切なのは「生命」です。「面子」などではありません。そのことを僕らはもう一度よく考えるべきです。そう思いませんか
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「閉塞状況」に異議あり!(1)

2015-02-20 09:21:38 | 仕事
 現在、前回お知らせした時事通信社の全国配信連載記事「戦争文学は語る」(全18回予定、1回2枚強)が始まっていて、これまでに『野火』(大岡昇平)、『遙拝隊長』(井伏鱒二)、『生きてゐる兵隊』(石川達三)、『審判』(武田泰淳)、『人間の條件』(五味川純平)、『シベリア物語』(長谷川四郎)+『旭光のかげに』(高杉一郎)の6回分を送ったのだが(すでに2回分、配信)、関連する資料などを含めて、このところ「戦争文学」や「戦争」について集中して考えることが多くなった。
 それに拍車を掛けているのが、安倍「極右」政権の「戦争への道」政策とそれを巡る論議であり、折しも発生した「イスラム国」による日本人人質事件に関する政府やマスコミの対応である。
 その結果得られた結論は、実は多岐にわたるので、これからその一つ一つについて私見を述べていこうと思っているのだが、まずは大きな枠組みで、最近の「戦争」論議及び日本人人質事件に関しては、意図的なのか無意識なのか分からないが、一つ重大なことが抜け落ちている、と僕は思っている。
 では、それは何か。
 それは、僕が読んだ戦争文学作品の大部分には書かれていることなのだが、戦争が起こって被害を受けるのは、決まって「無辜の民」であるということである。例えば、イスラム国による人質殺害は、確かに「非道極まりない行為」であるが、そのような「残虐行為」をイスラム国が行った背景には、アメリカを中心とする(アメリカの同調者・アメリカからの要請を拒めない国)「有志連合」による2000回以上の空爆によって、「6000人」以上の戦闘員(当然、戦闘員以外の民衆も犠牲になっているだろう)が殺されているという事実がある、ということについて、安倍晋三首相はもちろん、マスコミもほとんど触れないということがある。
 つまり、安倍首相は、日本のシリアやイラクからの避難民への援助を中心とする中東地区への2億ドルの援助は「人道目的だ」と強調するが、イスラム国と日本も加わっている有志連合とは現在「戦争状態」にあるということ、このことを前提としない限り、人質殺害時嫌悪本質は見えてこないということである。湯川さんや後藤さんは、イスラム国にとっては「敵国」の人質であり、自国(イスラム国)の戦闘員や民衆が何千人も有志連合(日本も含む)の空爆で殺されているという認識に基づいたイスラム国の言動だということを考えれば、安倍さんやマスコミがいくらイスラム国は「極悪非道だ」だと言っても、それは相手に通じないのではないか。
 だから、そのことを考えれば、安倍首相は、中東訪問において、イスラエルやエジプトといったイスラム国と敵対する国で、「2億ドルの援助」などと軽々に発言すべきではなかったのである。
 おそらく、日本人人質事件を中東訪問のはるか前から知っていた安倍首相は、集団的自衛権に関わる「安保法制」の整備をスムーズに進めるために(戦争への道を固めるために)、「2億ドルの援助」発言を行ってイスラム国を「挑発」したのだろう。日頃の、安倍首相の「人命軽視」の発言を見ていると、祖のようにしか思われない。安倍首相の盟友である菅官房長官の「木で鼻をくくった」ような人質事件に関する発言と併せて考えると、余計にそのように思えてならない。
 安倍首相は、アメリカに追随して、一刻も早く自衛隊を海外に派遣したいのだろうが、イラク戦争の際に「非戦闘地区」に派遣されたはずの自衛隊員500人の中で、帰国後に「自殺した者」が20人を超えるという事実を、果たして安倍首相や菅官房長官らは考えたことがあるのだろうか。
 戦争は、間違いなく「無辜の民=民衆・国民」に多大な犠牲(死)を強いるものである。そのことを僕らはもう一度確認する必要がある。そして、安倍政権が進める「戦争への道」へ、確かな「ノー」を突きつけるべきなのである
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1ヶ月余りが経ってしまいました(追加)

2015-02-08 08:45:08 | 仕事
 昨日の記事の前半に関して、「忙しかった」理由のうち彩ダイナモのを忘れていました。余りにそのことに時間を取られていたので、そのことが「日常化」してしまい、特別な理由ではないかのように思ってしまったのだと思います。
 で、そのこととは? それは、3月か4月かまだ決定していないのだが、次の著書として、
 >『村上春樹批判
 というのを用意していて、それは村上春樹の最新作『女のいない男たち』(14年)に関する書き下ろしを含め、これまでにバラバラな形で書いてきた「村上春樹批判」の文章を1冊にまとめたものなのだが、その作業を今年の正月明けから、時間が許す限り行っていて、1月末にようやく版元に手渡すことができた、ということでした。
 この次の自著に関する詳細については、また次の機会に詳細をお知らせするつもりだが、実はこの自著は今月末に中国語版が先行して刊行されることになっていて、訳者からの問い合わせに答えるのに、いろいろ調べなおしたりして、それにも時間を取られたということがある。
 中国(武漢・華中師範大学)で働いているとき、頼まれて「村上春樹は何故ノーベル文学賞を受賞できないか」というタイトルで、主に『1Q84』批判を手がかりに講演したことがあり、それが中国では有名な『訳林』という雑誌に載り、また中国第2位の発行部数を誇る「光明新報」やそれと関係のあるネット網に転載され、華中師範大学のホームページのトップ記事になるというようなことがあって、中国語版の『村上春樹批判』が先行して刊行されることになったのである。
 現在、中国では、一時の「村上春樹熱」という村上春樹ブームが去り、村上春樹の文学を客観的に研究する(分析・検討する)時期に入っていて(気運が高まっていて)、僕の本の刊行がその「研究」を促進するきっかけになればいいなと思って、刊行の申し出に同意したのだが、はてさて日本での刊行がどのように受け取られるか、楽しみでもある。
 以上が、昨日の「追加」である。
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1ヶ月余りが経ってしまいました――遊んでいたわけではないのですが。

2015-02-07 15:41:10 | 仕事
 この前の更新が、1月4日。1ヶ月以上経ってしまいました。
 表題に書いたように、この間は遊んでいたわけではありません。もちろん、体調を崩していたわけでもありません。単に忙しかった、ということに加えて、現今の安倍政権にによる「図に乗った」というか「強引」な政権運営に「あきれ」、何か言う元気が萎えていたというのが最大の理由です。
 そこで、忙しさの方が一段落した今日、久し振りにこの欄を開きました。まだ、気持の萎えたところはあるのですが、年頭に「絶望している暇はない」というようなことを宣言した手前、また頑張って書いていこうと思いました。
 まずは、例年になく忙しかった今年の正月からの1ヶ月について、記憶簿的に記しておけば、昨年の11月25日に刊行した中国体験記『葦の隋より中国を覗く―「反日感情」見ると聞くとは大違い』(アーツアンドクラフツ刊 1500円+税)が身近なところで評判になり、そのことの対応で思わぬ時間を取られたこと。
 次は、1昨年、昨年と続き、昨年まで勤めていた中国(武漢)の華中師範大学の新潟大学留学組(院生)のために、約束していたということもあって、1月4日から7日まで3泊4日の「合宿』を行ったことと、その後始末(合宿中で終わらなかった質問などに対する対応)で思いの外時間が取られたこと。
 3番目は、2009年12月から始まった『立松和平全小説』(全30巻・別巻1)の最期の別巻が今年の初め(見本刷りが僕のところに届いたのが昨年の12月27日)に刊行され、そのことの「お知らせ」を版元の編集者と協力してマスコミ宛てに送り、その結果として読売新聞(夕刊1月24日)に「完結に寄せて」を書き、また明日(8日)に立松の故郷宇都宮市(南図書館)で開かれる「完結記念講演会」の準備(「立松和平が遺したもの」と題して午後1時~3時まで講演)と、マスコミからの取材に応じるということがあった。
 さらに、今月半ばから「時事通信社」(全国配信記事)で戦後70年を記念する「戦争文学は語る」という18回の連載を行うことになり(1回2枚強)、その構想を準備し、担当の文化部記者と打ち合わせを行い、「見本原稿」を書いたりして、これが結構時間が掛かった。「忙しかった」理由の大半は、この連載の準備で、取り上げる18の作品(作家)は何度も読んだことのあるものだほとんどだったのだが、あらためて原稿を書くとなると「うろ覚え」の部分が案外あって、もう一度(斜め読みの部分もあったが)読むというのは、かなりしんどい作業だった。
 安倍第二次「極右」内閣になってから加速度的に進行する「戦争への道」を危惧しつつ、「戦争文学」を読み直したのだが、それらのほとんどが先人文学者たちの「戦争への反省」に基づいて書かれたものであることがわかり、この国の「戦後70年」という時間は何であったのか、改めて考えざるを得なかった。 「二度と戦争はしない」という決意が社会の隅々まで行き渡っていたからこそ、その「決意」を象徴していた戦争文学は、多くの人に読まれたのだろうし、本当は「戦争の記憶」が薄れてきている今日こそ戦争文学は繰り返し読まれるべきなのだ、と改めて思った。
 
 そんな先のアジア太平洋戦争の「現実=事実」に正対し続けていたときに持ち上がった「イスラム国」による「人質殺害事件」、「殺すな!(殺されたくない!)」を生き方の基本においてきた僕としては、いくら自分たちの要求が通らなかったからと言って、「無辜の民」であるジャーナリストを無惨に殺していい訳はないと思っているが、この「人質事件」に関して僕は「不思議なこと・おかしなこと」が3つある、と思っている。
 一つは、「イスラム国」が「人質」にした欧米や日本のジャーナリスト、ヴォランティアを「殺害」するようになったのは、「イスラム国」によるイラクやシリアにおける勢力拡大を阻止するために、アメ襟か手動の「空爆」を行ったことが発端だと思うが、そのことについてマスコミや論壇人たちは「ほとんど触れていない」のは何故か。日本人ジャーナリストたちの「人質」が問題になる(1月20日)の前に、「イスラム国」への空爆を指揮してきたアメリカの司令官(報道官)は、誇らしげに「イスラム国の戦闘員を6000人殺した。半数は、指揮官である」と言っていたが、世界の警察官を任じているアメリカの「敵対者を殲滅する」という論理は、先の大戦中も、また朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、等々においても貫徹するもので、それはまさに「強者の論理」で敷かなく、ベトナム戦争時の「北爆」でもそうであったが、爆撃された街に住む「無辜の民~弱者」への配慮は全くない。
 2つめは、そんな「強者」が行っている空爆を支持し、その理不尽な空爆から逃げてきた「難民=無辜の民・弱者」を受け入れた周辺国に対して「に援助を行う」と公言した安倍首相(日本国及び日本人)、「イスラム国」が敵」とみなし、「敵の人質」を殺したのは、誤解を恐れずに言えば「戦争の論理」としては、当然である。安倍首相はじめ多くのマスコミは安倍政権の「イスラム国」への敵対行為を「人道支援」だと強調するが、日本政府がやろうとしていることは、明らかにアメリカ中心の「有志連合」への「後方支援」でありアメリカへの加担である。そのことに対して、何故みんなは「おかしい」との声を上げないのか? また、「異議申し立て」をしないのか?
 3番目は、この「人質事件」をこれ幸いとばかりに、安倍政権が「戦争への道」をひた走ろうとしていることに対して、やはり多くのマスコミが「毅然」とした態度で反意を示ささないのは何故か、ということである。しかめ面をして「遺憾に思う」と言いながら、「テロは断固として許さない」(これはこれでいいとして)、「この罪を償わせる」とか「邦人救出のために自衛隊の派遣を!」などとファシストらしい勇ましい言葉を連発して「勇士」を気取る安倍首相、もう顔を見るのも反吐が出るという感じだが、誰も彼の「暴走」を止めようとしない昨今の「政界」、度し難いな、としか思えない。
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