黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

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遊んでいたわけではないのですが……

2014-08-29 15:21:35 | 仕事
 前の記事を見ると「8月15日」の日付になっている。ちょうど今日で2週間、特に遊んでいたわけではにのですが、秋に出ることになっている2年間の中国生活のあれこれを綴った「体験記」というか「紀行文」というか、僕には初めてと言っていい種類の本の原稿を、ひたすら清書していたのです
 新著のタイトルは、仮題ですが『中国 体感・大観――大学教授、葦の隋から中国を覗く』にしようかな、と思っている。内容は、「序」の見出し「見ると聞くとは大違い」が象徴していると思うのだが、武漢の華中師範大学外国語学院日本語科大学院で2年間教鞭を執り、そこで「生活」した僕が体験したこと、それに基づいて考えたことを、「生活者の目線」で縷々綴ったものである。
 僕が中国で見聞したこと、それについて私見を述べたものは、すでに「図書新聞」(1回2枚弱で10回連載)、「部落解放」、「大法輪」(1回16枚で4回連載)があり、新著はそれらの文章を基に5倍ぐらいの長さにしたもので、全体に細かい「小見出し」を入れたので現在のところ「408枚」になった。版元の編集者とビジュアルな本にしたいね、ということで合意しているので、何枚になるか分からないが、僕が撮った写真が何十枚か入ることになっている。
 書き下ろしの、論文でも評論でもない本を書くという経験は初めてだったので、「私的」な体験を「公」的=普遍性を持った考えに昇華させることの難しさを、嫌と言うほど味わった
 ただ、本文中に何度か書いたのだが、知る限り、僕のような近現代文学の研究者として、また批評家としてそれなりの実績のある人間が2年間も中国の1大学の大学院で教鞭をとるということは、これまでにほとんど無かったことなので、そのような「体験」を通して見えてきた現代中国の「真の姿」が少しでも読者に伝わればいいな、と今は思っているfont>。
 書き上げた今、僕としてはテレビや新聞が伝える中国の姿とは違った姿をいくらかは伝えられたかな、と思っているのだが、また少し「細かいこと」にこだわりすぎたかな、と思っている。
 ただ、「私的」過ぎると言われるかも知れないが、「私の体験・経験」にこだわったので、その限りでは一切「虚偽=嘘」のない本になったと思っている。結果、中国の「悪いところ」「良いところ」が、僕の視線を通して明らかになったのではないか、とも思っている

 11月には本になる予定です。たくさんの人に読んでもらいたいと思っています

 2週間(実はその前から)、ずっと「清書」していたのだが、その間ルーティンのように読んでいた新聞、食事時のテレビのニュースから見えてきたのは、安倍政権の相変わらずの「暴走」ぶりと、「9条を守る運動」などに対する地方自治体の対応に見られるような「草の根保守(と言うより右傾化)」の広がり、僕らは滋賀知事選に続いて何が何でも沖縄知事選、福島知事選で、「自公候補」=安倍政権を敗北に追いつめないといけないのではないか、と痛感した。
 広島に甚大な土砂災害が起こったと知っても、ゴルフをし、そして別荘生活を続けた安倍首相の人間性を、僕らは今こそ糾弾しなければならないのではないか、とも思う。今気分転換に読んでいる本の中で、小出裕章さんと佐高信が「騙される側の罪」ということに言及していた。今こそ、僕らは「騙される側の罪」を自覚し、二度と「騙されない」と決意して日々の生活を送る必要があるのではないか、と思った。
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今日は「8月15日」――戦争における「加害」責任について

2014-08-15 17:33:37 | 仕事
 8月13日の「迎え盆」に墓参りができなかったので、今日が「敗戦記念日」だということもあって、2度兵士としてあのアジア太平洋戦争に参加した父親(と、母親、祖父母)が祀ってあるお墓に線香を上げてきた。帰路、施設にいる認知症の義母を見舞い1時間ほど過ごして帰宅したのだが、テレビの「全国戦没者慰霊式典」のニュースが伝える安倍首相による「挨拶」を知って、「ああ、やっぱりな」と思わざるを得なかった。
 日本人の戦死者310万人、アジア諸国の犠牲者2000万人を生み出したアジア太平洋戦争が、例え「欧米列強の植民地主義からのアジア解放」などといったお題目を掲げようが、現実に起こったことは明治維新直後から始まった朝鮮半島・中国大陸への「野望」(侵略)の本格化であり、中国・朝鮮をはじめアジア太平洋地域への日本の「加害責任」は、どう考えて消すことができないものである
 にもかかわらず、「戦後レジュームからの脱却」とか「日本を取り戻す」などという、抽象的なレベルにある言辞であることを超えて、「ワケの分からない」言辞で国民の目をくらまし、2度目の政権の座に着いた安倍晋三氏は、アジア太平洋戦争の「加害責任」に言及すると、東京裁判で「A級戦犯」の罪に問われた「尊敬」する(?)祖父岸信介の「加害責任」を問うことになると思ってのことなのか、昨年に引き続きアジア太平洋地域の人々に多大な犠牲を強いた戦争の「加害責任」に全く言及しなかった
 僕も含めて何故多くの人が「戦争反対」を叫び、「戦争への道」を安易に開いてしまった「集団的自衛権行使容認」の閣議決定に対して、未だに多くの人が反対しているのも、一端戦争になれば、当然「被害」を被る人が出てくると同時に、戦争は「敵は殺せ!」が最大の倫理として要求されるからに他ならない。つまり、戦争は必然的に誰をも「加害者」にしてしまうということなのだが、そのことについて安倍首相らは知らない振りをしているということである。
 この戦争の論理と倫理について、安倍首相は全く理解していない。だから、僕は「こんな理解力に乏しい首相を選んでしまった国民の不幸」を言い続けているのである。
 そんなテレビのニュースを見た後、ネットでこの安倍首相のことをどう報じているのかを見てみようとして、読売新聞や日本テレビが「首相、今年も「加害責任」に触れず」を読み、ついでにこの報道に対して「ツイート」は怒鳴っているかを見て、予想通りとは言え、今や日本が「不気味な」ぐらい戦争前夜状態になっているのではないか、と思わざるを得なかった。
 「ツイート」は、そのほとんどが「加害責任」について安倍首相が触れなかったことを肯定し、戦後生まれの安倍首相が先のアジア太平洋戦争(侵略戦争)に対して「加害責任」を言うのはおかしい、といった論調で埋められており、今更ながら「ネトウヨ」と言われる人たちの組織的な対応(それは、ヘイトスピーチなどにも発現している)に驚かされた。つまり、安倍首相の「極右」的な言動は、この「ツイート」に参加している人たちによって支えられている、ということである。彼らが、歴史(事実)から何も学ばず、他者への想像力も欠如させて平然としていられるのも、「日本のやることは何でも正しい」と考えるような一部のナショナリストたちの言動からしか学んでこなかったからに他ならない
 僕らは、こんな「ツイート」が以下にデタラメであるかを指摘し、きちんと「事実」を根拠とする自分の歴史観を提示する必要があるだろう。

 折しも、新聞を読んでいたら、普天間基地の辺野古沖への移転を「既成事実化」しようとする動きが急でfont>、安倍政権がいかに「アメリカ追随=対米従属」を強め、しかも「戦争への道」をひた走る内閣であるか、菅官房長官の安倍晋三氏と変わらぬ強権ぶりが象徴している、との記事に出くわした。安倍ー菅コンビの暴走をどう止めるか。僕らは祥根羽を迎えているのかも知れない。



 
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「誠意」の欠片もない安倍首相のスピーチ

2014-08-10 10:07:20 | 仕事
 昨日、「長崎平和式典」における安倍首相の挨拶(スピーチ)が、冒頭部分(全文の3分の一程度)を昨年のものの「コピペ」で済ませてしまった広島でのしピーチに酷似していた、この人のスピーチは「空疎」で被爆者やフクシマに象徴される「核」存在の危険性に対して、全く想像力を働かせることなく、また「感性」も鈍い、といった主旨のことを書いたが、今日の新聞に載った「長崎平和式典」でのスピーチ全文と広島でのそれを比べて、犠牲者の数の違いなどを除いて、7~8割方「そっくり同じ」であることを知り、あきれるより、猛烈に腹が立った。 
 しかも、式典のあとの被爆者との懇談会でも、広島での時と同じように、被爆者が必死になって「集団的自衛権行使容認が戦争への道を開いてしまったのではないか? 撤回して欲しい」、安倍首相の唱える「積極的平和主義」は、「日本国憲法の平和主義と真逆な思想であるから改めて欲しい」と要望しても(訴えても)、木で鼻をくくったように、「日本を取り巻く安全保障状況の変化に適応したものだ」と突っぱね続けたという。
 このような「コピペ」文章を平然と被爆者をはじめ広島・長崎の市民及び国民、そして各国の平和式典に参列した人たちの前で読み上げる「能面」のような表情の安倍首相、この人の頭の中はどうなっているのか、と再度問いたい思いでいっぱいであるが、こんな「誠意」のない首相が、この9月には長期政権を狙ってな内閣改造をするという。もうあきれるしかないが、国民の「良識」を馬鹿にしたら、いつかはしっぺ返しを食らうぞ、とだけ言っておきたい。

 と書いてきて、昨日も今日も忘れるところだったのは、アメリカ大統領オバマが、「アメリカ人保護」と「クルド人への支援」を目的に、「イスラム国」(マスコミはこぞって「イスラム過激派」と言っているが、本当に「テロ集団」なのかどうか、真実は「闇」の中である。僕らは、アメリカの価値観でイスラム圏に起こっている出来事を判断しない方がいいのではないか、と思っている)が支配しているイラク北部への爆撃を開始したことを思い出した。まだ、単発的な爆撃に終始しているようだが、この爆撃行動がエスカレートして、あの「理由無きイラク戦争」と同じような状態になったとしたら、中東で集団的自衛権を行使したくて仕方がない安倍首相は、どうするのか。「邦人救出」「米軍の要請」というお題目を掲げて、じえいたいをいらくにはけんするのではないか、。
 先の集団的自衛権を巡る記者会見で、安倍首相は「決してイラク戦争やアフガン戦争のような戦争には参加しない」と言っていたが、アメリカの要請があれば、どんなことでもするというのが、これまでの自民党政権であった。そんな自民党政権の「暴走」を止めていたのが、日本国憲法の「平和主義」(第9条)であったことを思うと、その「平和主義」のたがをはずしてしまった安倍自公政権が、今後イラクの状況が変化したとき、どう対応するか、ここは僕らにとっても正念場かも知れない。
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今日は「8月9日」――安倍首相がいよいよ馬脚を現す

2014-08-09 17:33:19 | 仕事
 3日前の「広島平和記念式典」における安倍首相の「空疎」な挨拶にあきれていたところ、「東京新聞」その他のメディアに「首相スピーチ『コピペ』――平和式典『昨年と冒頭酷似』指摘』(「東京新聞」8月8日)なる記事が載った。
 8月6日のどこか「上の空」のようなスピーチを聴き、「あれっ、どこかで聞いたような言葉だな」と思い、「内容空疎」な「他人事」のような挨拶だなと思っていた矢先に、「東京新聞」記事の指摘。彼の記事はご丁寧に2年分のスピーチを起こしていて、それに拠れば冒頭の3段落(字数にして約370字余り)が、昨年にあった「蝉時雨が今もしじまを破る」の一文が今年はないだけで、その他は一字一句違わない、一国を代表する首相にはあるまじき行為を世界各国の代表が集う「平和式典」で行う、という何とも情けない振る舞い(スピーチ)。
 あきれてものが言えないとはこのことだが、そんなこともあって、今日(9日)の長崎における式典での挨拶はどうか、と注視していたところ、実際はテープ起こしをしていないので詳細については断言できないのだが、今度は「広島の式典」とほぼ同じ内容のものだったのではないか、という印象を持った。
 田上長崎市長や被爆者代表が安倍内閣が閣議決定した「集団的自衛権行使容認」について、それは「戦争への道」であり、「核廃絶」や「平和」への志向と真逆な思想であり、日本国憲法の「平和思想」を裏切るものだから「撤回すべき」と強調しているのに、そのスピーチを他人事のように目をつぶって「聞いているのかいないのか」分からないような態度でやり過ごしたあとの、前にも書いたが「集団的自衛権」の「じ」も言わない「空疎」な安倍首相のスピーチ。これは、被爆者代表や田上長崎市長が、フクシマや原発再稼働・原発輸出の危険性について触れているのに、そのことに何も答えない態度と通底している。
 この人の感覚は、どうなっているのか。集団的自衛権行使容認を主張する記者会見などでは、「国民の命と暮らしを守る」などと言って、アメリカの艦船が幼子を抱いた母を載せて戦場から非難させているのに、日本の自衛官(軍隊)は何もしなくていいのか、などとあたかも「人命尊重」を前面に押し出して、何が何でもアメリカ(軍)の言いなりになる――アメリカの始めた戦争に日本国民と自衛隊(軍隊)も巻き込まれる――ことを主張していたのに、広島と長崎の「平和式典」では全く「心のこもらない」ありきたりの演説をして終わりにしてしまった。本当にこの人は被爆者の「痛み」や「辛さ」を分かっているのか、と思わざるを得なかった。「日本の核武装」を密かに目論む石破茂自民党幹事長や石原慎太郎といった軍国主義者(極右政治家」に支持されて安倍首相の政治姿勢の反映で、何故僕らが「反戦・反核」を願うのか、彼の理解の範疇を超えているのだろう
 たぶん、この人の頭の中には、「被爆者」はもちろん「日本国民=庶民」の姿などなく、あるのはアメリカと財界のお偉方、あるいは自分の権力を守ってくれる自民党(公明党)の議員たちの顔だけなのだろうと思う。腹立たしいことだが、何とも情けない首相を僕らは持ったものである。
 もちろん、安倍首相の広島・長崎の「記念式典」における挨拶文は、安倍晋三本人が書いたものではなく、官僚(スピーチ担当の秘書官)が書いたものなのだろうが、昨年と今年のスピーチが同じで、広島と長崎でも同じ挨拶文を「使い回す」、この日本が「モラル・ハザード」の様相を呈しているのも、仕方がないのかも知れない。
 ">早く、この「鈍感」な極右首相には退陣してもらわなければならない。今日は、本気でそう思った/font>。
 それにしても、何とも「イヤーな」気持にさせられそうな「暑い8月」である。

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今日は「8月6日」――安倍首相の「誠意」の感じられない挨拶

2014-08-06 09:19:04 | 仕事
 今日は「8月6日」、今年もまた、広島平和記念式典で広島市長や列席した内閣総理大臣などが「核」についてどんな発言をするのか注視してきたが、今年ほど腹が立ったことはない。
 あれほど強引に「数の論理」を前面に押し出し、特定秘密保護法を制定し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定した安倍首相なのだから、彼の持論とされる「積極的平和主義」といういかさま考えを振りかざして、「非核三原則を厳守して」などと言わず、戦争抑止のためには核兵器は必要だ、ぐらいのことは言うのではないかと期待(?)していたのだが、単に被爆者や原爆犠牲者に対して「哀悼の誠を捧げる」などと、ありきたりのことしか言わず、集団的自衛権の「じ」の字も言わない、姑息な「誠意」の全く感じられない挨拶で終わってしまった。
 この人の言葉は、前々から言ってきているように「軽く」、しかも「詭弁」に満ちたものが多いのだが、今日の「挨拶」はその典型で、彼は彼の本音である「戦前回帰=日本を取り戻す」、つまり安倍晋三の「ナショナリズム」がいかに浅薄な歴史から何も学ばない、単なる過去の礼賛に過ぎないものであるかを明らかにするものでしかなかった
 何故なら、フクシマから3年、そして何度目になるか分からないイスラエルのガザ(パレスチナ)への攻撃で中東がまた「きな臭い」状況になっており、相変わらず日中・日韓関係が「厳しい」状況が続いていること等々を考え、また原発の再稼働に政権党(自公政権)が躍起となり、原発輸出も財界(経済最優先主義)に推されて着々と進行している状況、などを考え合わせれば、今日のような日こそ「核」については真摯に対応しなければならないはずなのに、あの何とも「心のこもらない」挨拶を平然とやってのける安倍首相という人間の人格はどうなっているのか、一刻も早く、彼には退陣してもらって、「核と人類は共存できない」という思想を実践する政権になってもらいたい、と切に思う。
 それにしても、そんな安倍首相率いる内閣に対して、僕の知る限りの直近の世論調査で「50%」近い支持率を与える国民というのは、どのような存在(化け物)なのか、とも思う。原発の再稼働反対60%以上、集団的自衛権行使容認60%、という数字と内閣支持率50%というのは、おそらく「アベノミクス」なるまやかしの経済政策に騙されている結果なのだろうが、本質的には矛盾している数字である。原発再稼働反対や集団的自衛権行使容認反対の数字と内閣支持率とが連動したとき、安倍内閣は終焉を迎えるのだろうが、ともかくあの国民の方を向かず財界(経済)とアメリカの方ばかり向いている顔がテレビを初めとするメディアから早く消えてくれないかな、と思っているのは僕だけだろうか?

 上記のことに連動して、埼玉県でも兵権を批判した川柳が市民広報誌への掲載を拒否され、僕が住む群馬県でも県立公園の片隅に建つ「朝鮮人強制連行の碑」が県知事の命令で撤去されようとしている。しばらく前に、「草の根保守」という言葉が流行ったことがあるが、現在埼玉県や群馬県で起こっている事態は、1地域を越えた「偏狭なナショナリズム」の進行で、これこそ安倍首相の唱える「日本を取り戻す=戦前回帰」の地方における現れであって、戦前の「鬼畜米英」と同じメンタリティ(精神性)であること、このことを僕らはもう一度考える必要があるのではないか、と思う。
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少々気恥ずかしいのですが……拙著への感想

2014-08-02 14:34:17 | 仕事
 拙著が刊行されて2週間、この間友人・知人たちへの献本や購入者への対応で忙しくしながら、6日締め切りの原稿(武田泰淳と三浦綾子の「文学と宗教」について)を書いていたが、今朝メールを開いたら、旧知の元北海道新聞記者島田昭吉氏より、以下のような拙著の感想が届いていた。僕の言いたかったことを、十全でないとは言え、僕の執筆意図を的確に汲み取っていただいているので、少々気恥ずかしく、また長い文章なのだが、以下に紹介したいと思う。このような形で著書が読まれること、著者としてはこれに勝る喜びはない。



読み始めたら、グングン惹きつけられて、朝から就寝のベッドにまで持ち込んで、読みふけり、読み終えました、黒古一夫「井伏鱒ニと戦争―――――『花の街』から『黒い雨』まで」(彩流社(彩流社、2014年7月31日、2400円+税)。

黒古一夫さんは北海道新聞「本」欄で長く書評を担当、作家・小檜山博さんの友人でもあります。

戦時下の作家・井伏鱒ニの生き方(作家たちの戦争責任)を描いていますが、黒古さんは執筆の動機の一つとして、以下のように記しています。

「特に、民主党の失政に乗じて衆参両院で多数派となった安倍晋三政権の、特定秘密保護法の制定、集団的自街権行使容認といった前のめりの「戦争への道」が露骨に主張されるようになった現在、このままではまた戦前のように「国家のため」「家族のため」という名目で、「生命」を粗末にする思想が大手を揮うのではないか、と懸念される。そんな「危倶」も、本書の刊行を責務と考えた大きな要因になっていた。この現在における「危倶」は、文学に関わる人間も、「芸術」という観念・幻想の中に埋没してはいけないのではないか、もう一度「人間と社会」の関係を軸にした文学・芸術の在り様を追求する必要があるのではないか、という思いを強くさせるものでもあった。言い方を換えれば、一人の批評家として絶対に「戦前」への回帰を許すわけにはいかない、今こそ「ペン」を持ってこの右傾化傾向の激しい状況と対峙すべきだ、と思ったのである。」(序)


作品内容・作者紹介を、「彩流社」HPから抜粋します。


【今なぜ「井伏鱒二と戦争・原爆」なのか

―――――「井伏鱒ニと戦争 『花の街』から『黒い雨』まで」】

clip_image002 被爆者の悲しみを静かに訴えかける名作『黒い雨』…。占領下(シンガポール)の庶民の日常を描いた『花の街』…。心ない文学者によるの「盗作」騒ぎに巻き込まれ、井伏鱒二は、いまだに一部の人々に誤解されたままである。彼の戦争に対する身の処し方を、『黒い雨』などの作品を通して、その深い文学の営みを論ず。「庶民」の思想によって「戦争」に対峙した井伏鱒二という文学者の生き方は、「戦争をする国」が蔓延しだした現代にこそ、多くのことを示唆してくれるのではないだろうか。

【黒古一夫】

文芸評論家、筑波大学名誉教授、華中師範大学外国語学院大学院特別招聘教授。

『北村透谷論―天空への渇望』(79年 冬樹社)、『祝祭と修羅―全共闘文学論(85年 彩流社)、『大江健三郎論―森の思想と生き方の原理』(89年 同)、『原爆文学論―核時代と想像力』(93年 同)、『立松和平伝説』(02年 河出書房新社)、『作家はこのようにして生まれ、大きくなった―大江健三郎伝説』(03年 同)、『林京子論―「ナガサキ」・上海・アメリカ』、(07年 日本図書センター)、『村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ』、(08年 勉誠出版)、『増補 三浦綾子論―「愛」と「生きること」の意味』(09年 柏艪社)、『「1Q84」批判と現代作家論』(11年 アーツアンドクラフツ)、『辻井喬論―修羅を生きる』(同 論創社)、『文学者の「核・フクシマ論」―吉本隆明・大江健三郎・村上春樹』(13年 彩流社)他多数。編著書に『日本の原爆文学』(全15巻 83年 ほるぷ出版)、『日本の原爆記録』(全20巻91年 日本図書センター)、他。現在『立松和平全小説』(全31巻 11年~勉誠出版)に「全巻解説」を執筆中。

(この部分に、僕のの7月5日のブログが前文引用されている)

―――――以上が「彩流社」HPや著者(黒古一夫)の作品紹介です。同書の冒頭で文芸評論家・小林秀雄の「戦争協力」が指摘されています。作品紹介の本筋からちょっと外れますが、極めて鋭く、的確な見方なので、サワリを抜粋しておきます。

小林秀雄(1902~1983)「様々なる意匠」。「ゴッホの手紙」(読売文学賞)。「本居宣長」(日本文学大賞)。明大教授。芸術院会員。文化勲章。

小林秀雄と「生活者」

 遡れば「日清戦争」(一八九四~九五年)から、実質的には第一次世界大戦(一九一四~一八年)を経て、「満州事変」(一九二一年)に始まる「十五年戦争(アジア太平洋戦争)」の間に着々と進行した中国大陸侵略に対して文学者はどのように対処したのか。とりわけ、「日中戦争」を期に本格化した文学者の「戦争協力」はどのようなものであったのか。この文学者の「戦争協力」を象徴する「ペン部隊」については、菊池寛の果たした役割と共に後に(第五章)詳しく紹介しているのでそちらに譲るとして、新進気鋭の批評家として当時の文壇で活躍していた小林秀雄の場合はどうであったのか。
 周知のように、東大を卒業した翌年「様々なる意匠」(一九二九年)を書いて批評家としての位置を確立した小林秀雄は、戦時下においても途切れることなく多くの文章を発表してきたが、敗戦の翌年、創刊して間もない「近代文学」(二号、一九四六年二月号)の「小林秀雄を囲んで」という座談会の中で、戦争中のことについて、次のような発言を行っていた。

  僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もして ゐない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったらう、事変はこんな風 にはならなかったらうという議論が起る。必然といふものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。こ の大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさへなければ起らなかったか。どうも僕には そんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性といふものをもっと恐ろしいものと考へてゐ る。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいぢゃないか。(傍点黒古)

 開き直りにも聞こえるこの「(事変に対して)黙って処した」という言葉が、小林秀雄の戦時下における言説と行動に照らして、果たして真実であったかどうか。例えば、小林秀雄は二度にわたって二回目は、日中戦争勃発直後の一九三七年九月「文塾春秋」の特派員として。二回目は翌年の一九三八年三月、『糞尿課」で第六回芥川賞を受賞した火野葦平に副賞の懐中時計を届けるため、菊池寛の意向を受けて火野が日本軍の兵士として駐屯していた杭州へ、中国を旅しているが、これもまた「政治的に無智な一国民として事変に処した」ということになるのだろうか。特に、「政治的に無智な」という言い方には、プロレタリア文学(マルクス・レーニン主義)運動における教条主義的批評方法を批判するところに主眼をおいた『様々なる意匠」を書いた「知識人」に相応しくない、詐術のようなものを感じる。確かに、当時の文壇・ジャーナリズムの世界で強大な力を誇っていた菊池寛から「文藝春秋」の特派員を、あるいは火野葦平への芥川賞受賞報告と記念品授与を要請されれば、断れなかったかも知れない。

 しかし、「十五年戦争」と呼ばれているアジア太平洋戦争への文学者の協力を総体的として見たとき、「近代文学」とほぼ同時に創刊された「新日本文学」(四六年三月創刊)の六月号や、それより少し前(四六年一月)に荒正人と小田切秀雄、佐々木基一を同人として創刊された「文学時標」が、小林秀雄を「戦争責任」を負う文学者の一人として名指ししていたことには、それなりの根拠があってのことだと思われる。つまり、小林秀雄の「戦争協力」は自らの意思とは関係なく、菊池寛や彼の経営する「文藝春秋」との関係から「やむを得ず」行なわれたものと考えるのは早計なのではないか、ということである。

 何故なら、小林秀雄の「(事変に対して)黙って処した」は、一回目の中国旅行後に書かれた『蘇州」において、「生活といふものの他何も目指さず、ただひたすら生活する生活、目的などといふものを全く仮定しない生活、最後にそういふものにぶっかって、どんな観念も壊れて了ふのだ」を意味し、「文学と自分」と題する「文芸銃後運動」のために行われた講演(四〇年十一月)で、小林は次のように語っていたからに他ならない。

 今日は非常時であるから、いろいろ非常時政策というものが行なわれるわけですが、政策というものと 思想というものは、おのずから異なるものであって、非常時の政策はなければならぬだろうが、非常時 の思想というようなものがあるはずはないと考えます。
  なるほど、政治家が思想とはすなわち政策だと一言ってもいちおうもっともなことである。(中略)た とえば、戦争ということでも、これは非常時に大きな政策であるが、けっして巧い政策とは言えない。 しかし、この拙い政策でも、招来実際の平和を実現するために行なわねばならぬとあれば、行なわねば ならぬ。(中略)
  ところが、文学者には、思想というものについて、そういうふうな考え方は、どうしてもできない・ 政治家が極端に言えば、将来の実際の効果を狙って誤らぬとすれば、思いつきの思想であろうが、借り ものの思想であろうが、これを行なうのに遅疑してはならぬとさえ言えるであろうが、文学者は、そう いうわけにはいかぬ。自分の身についた思想は、これを身につけるにも時日を要し・これから脱却する にも時日を要する。借りものの思想を必要に応じて抱いて、どうあがこうが、物の役には立たぬ。(角川 文庫『無常といふ事』所収)

 政治家は、その時その時の要請に応じて「政策=思想」を実施することができるが、文学者の場合は「思想」を身につけるのに時日を要しているから、そう簡単に自分の思想を変えるわけにはいかないのだ、と言いながら、小林秀雄は「しかし、この拙い政策でも、将来の実際の平和を実現するために行なわねばならぬとあれば、行なわねばならぬ」と、中国への侵略戦争を肯定する。このあくまでも「現状を肯定する」論理から導き出されるのは、つぎのような戦後の「(事変に対して)黙って処した」発言と同じ思想である。同じ「文学と自分」に、次のような言葉がある。

  戦いが始まった以上、いつ銃を取らねばならぬかわからぬ、その時が来たら自分は喜んで祖国のため に銃を取るだろう、しかも文学はあくまでも平和の仕事ならば、文学者として銃を取るとは無意味なこ とである。戦うのは兵隊の身分として戦うのだ。銃を取る時が来たらさっさと文学など廃業してしまえ ばよいではないか。簡単明瞭な物の道理である。(中略)
  さて、一文学者としては、あくまでも文学は平和の仕事であることを信じている、一方、時到れば喜 んで一兵卒として戦う。これがぼくらの置かれている現実の状態であります。何を思いわずらうことが あるか。戦いに処する文学者の覚悟などという質問自体が意味をなさぬ。そう言う質問が出るというこ とが、そもそも物を突きつめてふだん考えておらぬ証拠だと思います。(傍点黒古)

 この時、小林秀雄は三十八歳、時代の先端を行く批評家として明治大学で教鞭を執る身であったこと、あるいは先にも記したように菊池寛などと親しい関係にあったことなどを考慮すれば、ほとんど「兵隊として銃を取る」可能性はなかったと言っていいだろう。だとすれば、「文学と自分」の中で再三再四「文学者は口舌の徒」と半ば自虐的な言い方をしながらも、「戦いが始まった以上、いつ銃を取らねばならぬかわからぬ、その時が来たら自分は喜んで祖国のために銃を取るだろう」と言っているのは、「兵隊にとられる虞れのない」場所から人々に「(召集令状が来て兵士になったら一銃を取れ」といっていることになり、「扇動家」のそれに近いものがあると言っていいだろう。つまり、小林秀雄は戦時下における「人材育成」を担っていた大学教師という「安全地帯」から、戦場に赴かなければならない庶民に「黙って」命令に従え、と言っていたということである。
 たぶん、小林秀雄は、これが「政治家」ならぬ「生活者」である「文学者」の論理であると主張したかったのであろうが、ここには肝心なことが抜けている。それは、小林秀雄の言う「生活者」という言葉の暖昧さを払拭して、「生活者」=庶民・民衆と規定して論を進めれば、戦時下い非常時における本当の意味での「生活者」の多くは、「祖国のために銃を取」るか、銃後にあって耐乏生活を余儀なくされていたという「事実」があった、ということである。つまり、日本帝国の兵士として、あるいは「銃後の守り」として、多くの「生活者」はおのれの「生命」を危険に曝しながら、毎日を生きていたという「事実」を小林秀雄は論理から捨象していたのである。別な言い方をすれば、小林秀雄の「(事変に対して)黙って処した」というのは、本来ならその全体を見通す想像力と知力を発揮することによってアイデンティティーを確保し、併せて「体制=強権」を相対視する=批判する「文学者=知識人」としての役割を放棄して、「ただひたすら生活する生活、目的などといふものを全く仮定しない生活」を行うことしかできない庶民・民衆におのれを仮託したということだったのである。
 その意味では、小林秀雄は「文学者=知識人」であることによって「黙る」ことなく、多くの言葉を費やして「戦争協力」を行ったとも言えるのである。

―――――以上が、黒古氏の小林秀雄「戦争協力」論(「井伏鱒ニと戦争」)です。小林秀雄は当時から文学界の大権威扱いをされてきました。人を食ったような威嚇的な啖呵論法に恐れをなしたのか、作家・評論家は「触らぬ神に祟りなし」とばかりに、敬して遠ざかってきました。小林秀雄の弟子筋にあたる作家・大岡昇平は「人生の師」(「昭和文学への証言」文藝春秋社、昭和44年に収録)の中で「小林(秀雄)が戦争中、菊池寛らの銃後運動に加わって、かなり活発な活動をしたことは広く知られている」としながらも「そして太平洋戦争がはじまる少し前から、それらの運動、あるいは文学報国会の活動に積極的な参加を拒み、自分の世界に閉じこもってしまったこともまた知られている。戦争下の便乗的文士や情報部関係の軍人に愛想をつかしたせいもあるが、戦争と政治から離れ、孤独の中に生きることを自已に要請したのである」と救っています。

黒古さんは(文学界のタブーを恐れず)よくぞ、指摘してくれました。

―――――さて、おしまいは不肖シマダによる井伏鱒ニ「徴用中のこと」(講談社、1996年)紹介です。ご笑覧まで。
(上記のように、以下は井伏鱒二の『徴用中のこと』についての島田さんの感想が続くので省略)


 この他にも、やはり「小林秀雄批判」について、「よくぞ書いてくれた」という葉書が届き、今更ながら現代文学の世界(文壇)で小林秀雄批判がタブーになっていることを知りました。僕の中では当たり前のことなのだが、現代文学が「衰弱」し大政翼賛快適な様相を呈しているのも、こんなことがタブーになっていることと関係しているのかも知れないと思うと、改めて「ゾッとした」。
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