ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

送別会

2013-07-31 | ほとほと日記
今日、職場の送別会があります。

若い介護スタッフが一人別のホームに異動するからです。

とても多くの職員が参加すると知って何だか嬉しくなりました。

でも、場の空気に呑まれて、私は酒が弱いのに飲みすぎてしまう傾向があるので、気をつけなければなりません。

明日も明後日も大事な仕事があるのだから。

私はしばしば自分の「小ささ」に慄然とします。

54年間、何と無価値にみっともなく生きて来たのだろう…と居たたまれなくなる。

特に職場の人が大勢集まる場ではそうなりやすいので、お酒のピッチが早くなるのだと思います。

どんなに小さくとも、自分は自分なりに必死に生きて来たんだ。

今日の送別会ではそう思いながら、若い同僚の門出を祈りたいと思います。


神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが無事に仕事を終えますように。
お祈り致します。

会食の奇跡

2013-07-30 | 喜び
今日は月に一度の母と姉が私の家に来る日。

掃除が終わってから、いつものように三人で駅近くのレストランに入って昼食を採った。
食べながら、色んなことを話し合った。

私たちのとなりの席で、小さな女の子二人とママと食事をしていた。
妹の方がしきりにお姉ちゃんに話しかけている。
ママは小さい食器に料理を取り分けたりしている。
とても幸せそうだった。

夏休みのためか、店内には親子連れがけっこういた。
そうかと思えば、平均年齢七〇を越えると思われる五人組の女性チームもいた。
皆、肉も野菜もたっぷりと盛られた料理を美味しそうに食べている。

つくづく、家族や親しい友人と一緒に食事をすることこそ人生の最高の幸せなのではないか…と思った。

ついこの間まで、私はそれを認めたくなかった。
そもそも私の家は、家族揃って食事をする…ということがほとんどなかった。
そのまま思春期に入り、色んな面で斜に構えて二十代、三十代、四十代…と後悔だらけの人生を送ってきた。
自分の家族を持つことが出来ないできたのも、「楽しい会食」という光景に屈折した感情を生んだかも知れない。

でも、今、ようやく素直になれた。

去年、ああいうことがあって、それから中々立ち直れなかった。
それが今、屈託なく家族との会食を楽しめるようにまでなったのだ。その喜び。

そして、職場で多く方の亡くなる場に立ち会って来たのもとても大きい。

どんなに食べるのが好きな人でも、最後は必ず食べられなくなる。
それは地位にも資産にも関係がない。
「食べること」と「生きること」はまさしく同義なのだ。
普通に食事出来ることの幸福を教えられた。

まして家族や親しい友人と一緒に食事が出来るというのは、いくつもの幸運が重なって初めて可能なことである。
この真理に気づくことが出来たのも、つくづく幸せなことだと思う。

一日ずつ

2013-07-29 | ほとほと日記
私の職場は、休みがカレンダーと連動しておらず、それぞれの職員がバラバラに取る、シフト制である。

普通に勤めている人は、月曜は「今日から一週間が始まる」という思いで憂鬱になるだろう。

でも私は、今日一日働けば休み。

一日勤務というのはほとんどないけれど、ストレスが少なくてなかなか良いものです。

明日は、母と姉が私の家に来る月に一度の定例日。

このひと月、何とか無事に暮らせたことは、とてもありがたいことだ。

とにかく、自分の微力を振り絞って、一日ずつ愚直に生き延びて行くより、私には途はないのだから。


神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが無事に仕事を終えますように。
お祈り致します。

初めての合同ミサ

2013-07-28 | 信仰
今日は仕事が休みだったこともあり、教会のミサに与りました。

私の所属する教会は、東京のカトリック教会の中でも有数の信徒が多い教会です。

このたび、最寄りの教会が故あって閉めることになり、その教会の信徒さんは私の教会に所属することになりました。

今日は、その初めての正式合同ミサなのでした。

カトリック教会は、原則的に自分が住んでいるところから一番近いところに所属する、居住地所属制をとっています。

そして、産まれたばかりの赤ちゃんでも洗礼を受けることが出来る「幼児洗礼」がある点が、多くのプロテスタント系と違うところです。

その二つの特長から、カトリック教会には、物心が付く前から地元の教会のミサに与っている…という人も多く、教会活動の中枢を担っている場合も少なくありません。

そういう人にとっては、心の拠り所に教していた教会が、事実上他の教会に吸収されてしまうのはとても悲しいことに違いないでしょう。

私は今の教会に所属して約五年半になりますが、日曜の休みが少ないこともあり、あまりミサに与っていません。また、色んな行事にも参加していません。だから、ほとんど知り合いもいないのです。

今朝、自転車で教会に着くと、いかにもベテラン信徒…という風情の中年男性から笑顔で「こんにちは」と声を掛けられました。

挨拶を返しながら、ふだんそういうことはほとんどないので、(はて?)と内心で思っていました。

ミサが始まって、先唱(ミサ進行役の信徒)や神父さんがいつもより詳しく易しく解説しているのをみて、合点が行きました。

私はきっと新しく移った信徒と思われたに違いありません。

でも、信仰共同体に新しく加わった人々に優しくするのは、何であれ善いことです。

私の前列にいた老夫婦は初めてのミサのように色々戸惑っていましたが、隣にいたご婦人が、聖歌集のページなど、いちいち親切に教えていました。

それは中々善い光景でした。



ある事件

2013-07-27 | ほとほと日記
山口県の山間部の村で、陰惨な事件が起きた。

五名を殺害した容疑の男性は63歳だという。

伝えられる断片的な情報では、彼は中学卒で上京して左官などをやり、10年ほど前に両親の介護のために帰郷した。

そして両親が亡くなってから、周辺の住民たちとトラブルが目立ち始め、このところは完全に孤立していたらしい。

私にはああいった小さな集落での生活がどういったものか、想像がつかない。

仮に疎外されたら、都会の孤独よりももっとつらいものがあるのだろうなあ…とは感じる。

今年に入って、親族間や近隣との殺人事件が多いような気がする。

そういう報道があると、私は容疑者の年齢と性別を確認する。

そして私に近い場合、家庭をもっているかが気になる。

予断に目が歪んでいるかも知れないが、そういった事件の容疑者には、配偶者がいない場合が多い気がする。


とにかく、繋がること。

今の私にはそれしか思いつかない。


神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが実りある休日を過ごせますように。
お祈り致します。