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9条安全保障論(連載第1回)

2016-07-07 | 〆9条安全保障論

序論

 昨年における集団的自衛権の「限定的な」解禁により、憲法9条の規範性はいよいよ損なわれ、憲法規定と政治的現実との乖離が現行憲法史上最大化した。その結果、9条は世界の憲法の中でも最も欺瞞的な条項と化することとなった。言わば「憲法詐欺」である。
 このような状況にまで立ち至ったのは、9条の意義を日本国民が深く究明することなく、片や連合国占領軍に強要された屈辱の完全武装解除条項にすぎないとして敵視し、片や9条をいかなる武装も武力行使も許容しない絶対平和主義条項として改憲策動に対抗するというともに教条主義的な護憲vs改憲の綱引きに終始してきたことによる。
 この綱引きは近年、右から引いていた改憲チームが優勢となって、勝利を収めつつある。集団的自衛権の解禁はその最初の勝利であり、次なる最終勝利は9条そのものの廃止ないし廃止に等しい全面改訂である。
 このような流れはもはや既定的と言える情勢にあるが、土俵際で護憲チームが逆転勝利する可能性が残されていないわけではない。そのためにも、護憲論は自己改革を遂げなくてはならない。この小連載は、そのような護憲論の自己改革の手がかりを探ることを目的とする。

 その基本的な視座をはじめに述べておくと、それは9条の重層的な解釈ということに尽きる。とりわけ時間的に重層的な解釈である。すなわち、9条は現時点で国が為すべきことを固定的に指示しているのではなく、過去の軍国主義体制を否定する一方で、未来における常備軍の廃止=完全非武装を展望しつつ、それへ向けての漸進的な軍縮を指示しているという解釈である。
 しかも、軍縮の過程では、その時々の国際情勢を考慮した合憲的な安全保障政策の経過的な定立を排除するものではなく、外国との安全保障同盟や非常的な場合における外国軍との共同武力行使の可能性も排除しないという柔軟な解釈である。
 この軍縮の中間的な過渡的段階における安全保障政策を、9条に基づく安全保障論という趣旨で、「9条安全保障論」(略して「9条安保論」)と名づける。これが本連載のタイトルであるが、それは9条の規範内容の一部を取り出したものにすぎない。あえてそのように一部を表題的に取り出したのは、この「9条安保論」こそが、9条を安保政策の桎梏とみなしてこれを除去しようとする9条廃止論への唯一の有効な対抗軸となると考えるからである。

 このように9条を現在・過去・未来の時間軸に応じて重層的に解釈していくという方法は、所与の法文の意味を現時点における固定的な規範内容に集約しなければならないとする法解釈の学術的な常道には反するであろう。さらに、人集め・オルグをしやすい平和のキャッチフレーズ化にもなじみにくい。そのため、憲法学者からも平和運動家からも白眼視されるかもしれない。
 しかし、実際のところ、教条的な9条護持論をいくら掲げても改憲の流れを押しとどめることはもはやできないであろう。とりわけ、議会政治の枠内で9条廃止へ向けた改憲を有効に阻止したい勢力は、「9条安保論」を一度は考慮する価値があると考えるものである。本連載はそのような意図を込めて送り出される。
 折りしも、本年7月の参議院選挙の結果、史上初めて、与野党に及ぶ改憲勢力が憲法上衆参両院で改憲発議が可能な三分の二に達することとなった。これにより、いよいよ「改憲ロケット」が発射台に置かれる準備が整うことになる。そういう微妙な情勢下で開始される当連載には、一定の意義があるかと思われる。


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