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戦後ファシズム史(連載第1回)

2015-10-16 | 〆戦後ファシズム史

序説

 本連載が主題とする「戦後ファシズム」という用語は、正規には使われない。なぜなら、ファシズムは戦後は死滅したと考えられているからである。「戦後ファシズム」は歴史的には非常識である。しかし、ファシズムは戦後も死滅していない。国家を絶対化し、国家にすべてを収斂させようとするファシズムは国家の観念と制度が存在する限り、死滅することはないのである。
 ただ、ファシズムは体系的な教説を伴った思想ではなく、陰陽様々な形態を纏って発現してくる微生物的な思想であるので、いくつかの観点からこれを分類して検証する必要がある。ここでは、そうした分類視座として、真正ファシズム/不真正ファシズム/擬似ファシズムを区別する。

 真正ファシズムとは、まさしく正真正銘のファシズムであり、これはイタリアに発祥した国家ファシズムとドイツ版ファシズムとも言うべきナチズムを二大系統とするファシズムである。戦後死滅したと思われているのは、この系統のファシズムに基づく政治体制である。たしかに、イタリアとドイツの両ファシズム体制は第二次世界大戦の敗者として滅びた。
 しかし、実のところ、このような綱領上も明確にファシズムを掲げる政党を通じた真正ファシズムはファシズムの一部でしかなかった。ファシズムにはより気づかれにくい形態がある。それは綱領上はファシスト政党ではない政党を通じたファシズム―言わば隠れファシズム―であり、このようなファシズムを不真正ファシズムと呼ぶ。
 このような不真正ファシズムは真正ファシズムが滅亡した戦後にかえって隆盛になったと言え、戦後ファシズムのほとんどがこの不真正ファシズムである。真正ファシズムは議会制を否定するが、不真正ファシズムは必ずしも議会制を否定せず、少なくとも形式上は議会制を保持する場合も多く―議会制ファシズム―、ますますファシズムとは気づかれにくい性質を持つ。

 ところで、三つ目の形態である擬似ファシズムとは本来のファシズムではないが、ファシズム様の思想に基づく体制である。ファシズムは大衆運動を基盤とする政党政治の一種であるので、政党政治の外に構築される体制―君主制や軍事政権―の場合は、ファッショ的な思想を標榜していても、それは真のファシズムではない。そのような例として、戦前日本の戦時体制がある。
 この旧体制はイタリア、ドイツの真正ファシズム体制と国際同盟を組んだことから、しばしば「天皇制ファシズム」とも呼ばれるが、実際のところ、この体制はイタリアやドイツのようなファシスト政党を基盤としたものではなく、帝政の一種である天皇制の下での総動員体制として軍部が主導した擬似ファシズムであった。
 日本の擬似ファシズムは周知のように、第二次世界大戦で同盟相手であるイタリアとドイツの真正ファシズム体制と運命を共にしたが、戦後の擬似ファシズムは中南米の反共軍事政権などに発現している。

 以上のような分類のほかに、政権獲得によって体制化した体制ファシズムと大衆運動や野党にとどまる反体制ファシズムとを区別することができる。真正ファシズムは死滅したと言っても、それは体制ファシズムとしてのそれであって、イタリアやドイツでも反体制ファシズムとしては戦後も残存してきた。反ナチスが国是である戦後ドイツですら、反体制化したネオ・ナチズムの形でなお活動中である。
 真正ファシズムも当初は議会選挙に参加して議会に進出し、やがて巧みな選挙戦術で有権者の心をとらえ、政権を獲得したように、選挙議会制の下では反体制ファシズムはいつでも体制ファシズムに転化することが可能であり、その意味では体制ファシズムと反体制ファシズムは別種のものではなく、連続体である。

 さて、本連載ではこのような視座に立ちながら、あえて「戦後ファシズム」の動向を戦後史として概観することを目的とする。そのうえで、現在進行形でもある現代型ファシズムの特徴をとらえ、ファシズムをすでに過去のものとして等閑視する政治的通念に対する警鐘としたい。
 もっとも、個人のレベルでファシズムを信奉することは思想の自由であるので、ファシズムをことさらに貶めることは意図していないが、完全に中立的ではなく、筆者自身はファシズムを人間の自由と平等に対する最大級の脅威の一つとして拒否する立場を前提としている。


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