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非常事態改憲という幻想

2012-05-03 | 時評

3・11後の改憲論として、憲法上災害に備えた非常事態条項を追加すべきとする議論が活発化し、先ごろ自民党が公表した改憲草案でも「緊急事態」の章が設けられている。

伝統的な改憲論にあっては交戦権放棄を定めた9条が標的であったところ、国民の間では依然、9条尊重論が多い状況にかんがみ、3・11当時の政府対応の拙劣さへの国民的批判を利用しつつ、非常事態条項追加という論点から言わば迂回的に改憲論を喚起しようという新たな改憲戦略が、この非常事態改憲論であろう。

こうした議論に対しては、護憲派・識者の間から、非常事態下で国民保護を名目とする権力集中体制―とりわけ自衛隊・警察の権力増強―が作り出されることで、かえって市民的自由が広範囲に侵害されるという懸念が出されている。筆者もこうした懸念を共有するが、ここでは少し別の角度から議論してみたい。

それは、憲法に非常事態条項を置くことで、本当に災害対応がより迅速的確に行われるようになるのかということである。

非常事態下では中央政府への権力集中がなされるわけだが、災害直後の混乱の中で中央政府が被災地の状況を的確に把握して指示を下すことは不可能であり、災害直後の現場を一番よく知るのは被災者自身とかれらに最も近い位置にある市町村自治体である。

ならば、災害時にはむしろ市町村自治体に権限を大幅に委譲してしまうほうが有益である。この場合、中央政府は自治体のニーズを汲みつつ、連絡・調整に当たるコーディネーターに徹することになる。そういう「非常事態」制度ならば、憲法改正によらずとも、法律レベルで規定できる。

非常事態制度により中央省庁の縦割り行政を廃する効用を強調する論者もいるが、そうした官僚制特有のセクショナリズムは非常事態下でも変わりない。

なお、災害復旧過程でしばしば重大問題となる財産権の制限は、非常事態制度ではなく、現行憲法29条でも規定されている公用収用の問題である。

歴史的には、1923年の関東大震災時にも当時の明治憲法に明記されていた最も強力な非常事態制度である戒厳令が発動されたが、そのおかげで犠牲者(死者・行方不明者10万人)が大幅に減ったわけでも、災害復旧が迅速に進んだわけでもなく、かえって治安維持を名目とする社会主義者・無政府主義者らへの超法規的処刑や朝鮮人虐殺という副産物を産んだだけであった。

非常事態改憲論は大いなる幻想というほかない。


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