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9条安全保障論(連載第12回)

2016-08-19 | 〆9条安全保障論

Ⅳ 過渡的安保体制

六 自衛武器の許容範囲

 前回まで、9条の下で認められる過渡的自衛力の組織的な側面について見てきたが、過渡的自衛力の内実は組織論にとどまるのではなく、究極的には物理的な力、すなわち武器によって決定づけられる。
 この点、政府は9条の下で保持が許されない「戦力」の意味として、「近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を具えるもの」と解釈してきたが、このような歴史主義的な解釈基準はあいまいに過ぎ、現在の自衛隊装備は優に諸国の軍隊のそれに匹敵するものとなっており、政府解釈は形骸化している。
 そこで、このあたりで、9条の下でも許容される過渡的自衛力の物理的な要件、すなわち保有できる武器の範囲についても改めて検証し直す必要が出てきている。

 そもそも「戦力」不保持を宣言する9条の下では、戦力の物理的な手段となる「兵器」の保有は許されない。このことは現在でも比較的よく認識されているらしく、防衛省・自衛隊では「兵器」の用語を避けて「防衛装備品」と呼び、その研究開発・調達等に当たる官庁を「防衛装備庁」と称している。
 ただ、これらは多分にして用語上の婉曲的な言い換えと化してきており、防衛装備品という名の兵器、防衛装備庁という名の兵器庁(または軍需庁)となっているだろう。その傾向は、改憲を通じた再軍備に向け、今後ますます強まると予測される。
 だが、本来9条の下では「兵器」に該当しない「自衛武器」とは何かを、言葉遊びでなく、実質的に検証することが政府に課せられているのである。

 その点、大まかな基準として、専ら攻撃的な武器―攻撃専用武器―は「自衛武器」には当たらないと解される。典型的には、核兵器に代表される大量破壊兵器である。今日の大量破壊兵器は「抑止」の名において保有されるのが一般だが、ひとたび発動すれば大量虐殺を免れない兵器は自衛武器に該当し得ない。
 このような大量破壊兵器の保有禁止は当然、大量破壊兵器保有国との共同運用のような形態を採ることの禁止にも及ぶ。ただし、「核の傘」のように、外国の大量破壊兵器の抑止力を間接的に借りることは必ずしも9条に違反しないが、核使用による大量破壊効果を享受することは許されない。従って、9条の下では「核の傘」は抑止のみ、使用については明確に拒否するという国家意思を正式に表明しなければならない。

 一方、兵器分類上は通常兵器に含まれるも、大量破壊兵器に準じた広範囲にわたる破壊効果を持つ非人道的兵器も自衛武器には該当しない。現在、この種の兵器については特定通常兵器使用禁止制限条約によって国際間でも規制がなされているが、技術開発によって未規制の新型兵器が続々と登場すると予想されることから、9条安保論では条約の形式的な規制対象には拘泥せず、実質的な基準から攻撃専用武器かどうかを判断するべきである。

 議論となり得るのは、攻撃型潜水艦や戦闘爆撃機のような攻撃的可動兵器の保有である。これらは防衛上も必要とみなされることがあるが、厳密に言えばこれらの兵器は自衛武器の範疇には含まれない。自衛武器の範疇に含まれる可動兵器は哨戒型艦船や防空警戒機などにとどまり、そうした自衛目的を超えて攻撃的に使用できる可動兵器の保有は9条に違反するのである。

 もっとも、現代戦争ではミサイルの使用が想定されており、好戦的な諸国は皆、弾道ミサイルを配備するようになっている。このようなミサイルは当然にも攻撃専用武器として9条の下では保有が許されないが、外国からのミサイル攻撃に対する迎撃的な防衛については別途考えなくてはならなくなっている。
 ただ、真に効果的なミサイル防衛のあり方については多々議論があり、安易なミサイル防衛システムの配備推進は許されず、9条と整合する自衛目的を逸脱しないミサイル防衛のあり方についての技術的な研究が必要である。
 それ以前に、大量破壊兵器ともリンクしている弾道ミサイルのような攻撃的武器の廃絶を国際社会においてリードすることも、9条によって日本国政府に課せられた責務であることが想起されなければならない。


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