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9条安全保障論(連載第16回)

2016-09-02 | 〆9条安全保障論

Ⅴ 平和維持活動

 前回まで過渡的安保体制という観点から、9条の枠内で可能な安保体制のあり方について検討してきたが、冷戦終結後は、国際連合が憲章に明文を持たないまま慣習的に実施してきた平和維持活動(PKO)への自衛隊の参加をめぐって、安保問題とは別次元での憲法論争がくすぶってきた。
 政府はこれについても議論を曖昧にしたまま、得意とする「解釈改憲」的な手法をもって、1992年の自衛隊カンボジア派遣以来、国連PKOへの参加実績を積み重ねてきたところである。

 しかし、9条の下で組織化される自衛隊とは、その名のとおり国を防するの謂いであるから、自衛隊をPKOに転用するというやり方は便宜的な対応にすぎない。当然自衛隊の海外での武力行使につながり得るからこそ、この問題が憲法上の疑義を生じさせるのである。従って、「国際貢献」のような漠然とした理念を持ち出して、自衛隊をPKOにも転用してきた従来の便宜的方法は改める必要がある。

 その点、日本独自のPKOへの参加方法として、自衛隊とは別個に「国際平和維持待機団」のような特別部隊を常置し、平素から専従隊員の養成及び訓練を行なうことが最も簡明と思われる。「国際平和維持待機団」の原初部隊は、海防と防空に重点化した自衛隊の統合再編に伴う陸上自衛隊の削減によって生じる転官人員を核に編成し、以後は専門的な養成課程を備えた部隊として組織していく。
 その所管は内閣府と防衛省の共管とし、内閣総理大臣の指揮の下、派遣の可否や規模などの運用判断に関しては内閣府が実務を担当するが、訓練や装備については防衛省が自衛隊に準じて行なうこととする。

 このような別立て論は、従来から一部で提唱されていた考え方であるが、自衛隊の海外派遣実績を何としても既成事実化したい勢力からも、また9条を絶対化する立場からも受け入れ難い論であるため、今日ではすっかり下火になっている。
 既成事実化政略は論外として、9条絶対化論は傾聴に値するものではあるが、不十分ながらも国際連合を通じて諸国が地球規模で共同体化されている現状を直視し、紛争惹起でなく、紛争解決のために国連が組織する公式のPKOに自衛隊が従事する余地は認められてよいだろう。

 ただし当然、その場合も参加の可否や規模、派遣現地での部隊の活動方法等については憲法的な制約が及ぶのであり、9条に違反する派遣・活動は認められない。その点では、現地において紛争当事者間での停戦合意が明確に成立し、かつ実質上も戦闘行為が停止している状況下での派遣は最低条件となるであろう。
 そのうえで、武力行使に関しては、自衛隊員に限らず、他国兵士や民間人、住民など第三者の生命・身体を防護するために必要な最小限度の警察的な実力行使については許容してよいと思われる。


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