BCLとベリカードの楽しみ

海外短波放送や国内放送を聴き、放送局からいただけるベリカードなどを紹介。近頃は、自分が楽しいと思える事柄も書いています。

プラハの風景写真 ヴィシェフラット丘陵

2021-09-12 | エトセトラ
チェコ・プラハに住む友人から送られてきた「プラハの風景写真」で、ヴルタヴァ川の右岸の丘陵地区、「ヴィシェフラット」(Vyšehrad) の写真です。

旧市街広場から南に1.5kmほどのところにある、ヴィシェフラットとは「高い城」を意味し、10世紀後半には、標高約230mの丘に城が築かれるようになり、1070年頃には、ボヘミア公・ヴラチスラフ2世がプラハ城からここに居城を移して、聖ペテロ・パウロの教会を建立した、とのことです。

その後の1420年、プラハのフス派とカトリック教皇派の対立「フス戦争」では、フス派はカトリックの根拠地だったヴィシェフラット城や教会を襲い、破壊しました。

1640年頃からは、石積みのヴィシェラド要塞の建設が始まりました。18世紀には、バロック様式の要塞になったりしたようですが、次第に使われなくなり、1883年にはプラハ市街とは独立していたヴィシェフラットの街は、市域に統合されました。

「レオポルドの門」と呼ばれている、入り口です。



「聖マルチン円形聖堂 (ロタンダ)」で、1092年の建立と言われています。



丘の上からの、右岸の街の眺めです。



南の方角で、「水道博物館」の白い建物や、ヴルタヴァ川上流にあたります。



北の方角は、川にかかる「鉄道橋」で、左へ渡るとプラハ・スミーホフ駅です。



広い公園には、チェコの神話を元にした、「リブシェ (建国神話に登場するプラハの女性英雄) とプシェミスル (夫となった元農夫) 像」など、4つの像が置かれています。





これらは元々、パラツケーホ橋の両側に置かれていましたが、1945年2月にアメリカ軍の爆撃で損傷を受け、修復の後、ここに設置されました。



古い写真は、パラツケーホ橋とその撤去前の彫像で、被害の様子を見る人々です。



「聖ペテロ・パウロ教会」は、1070年頃から初期ロマネスク様式で建てられ、その後の再建再建で、2つの塔がある大聖堂は、ゴシック様式、18世紀初頭はバロック様式、今日の外観は19世紀末からのネオゴシック様式、とのことです。



大聖堂の表玄関の左右にあるドアの上の、「ティンパナム (半円形や三角形の装飾的壁面)」は、きらびやかなモザイクで飾られています。これは右側ので、ギリシャ文字のオメガを表しているそうで、1993年に設置されました。



教会の横には、「聖女ルドミラ像」が置かれている小礼拝堂があり、歴代の修道女が眠る墓地があります。また、奥は、スラヴィン国立墓地になっています。






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