切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

花山稲荷神社・・・神社としては異例の花々   京都市山科区     2022.10.23

2022-10-29 23:39:28 | 撮影
   

『花山稲荷神社
 社伝によれば、延喜三年(九〇三)醍醐天皇の勅命により国と民を護るために創建されたといわれ、祭神は、宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)、大土之御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ)の三神である。当社拝殿の右側には、「稲荷塚」と呼ばれる古墳がある。この塚は、平安時代の後期に、三条小鍛冶宗近が、稲荷大神の神徳により、名刀「子狐丸」を鍛えたところとも伝えられている。この故事に因み、毎年一一月の第二日曜日に催される火焚祭は「ふいご祭」とも呼ばれ、火焚串を独特の鞴の形に組む。なおこの祭りの際、火中に投げ入れたみかんを食べたり、皮を煎じて飲めば、年中風邪をひかないといわれている。
 また、江戸時代には、当社近くに隠棲していた大石蔵助良雄も当社を崇敬し、大願成就を祈願したといわれ、境内には、大石良雄献納の鳥居、断食石、血判石などが残っている。
   京都市』  (駒札より)

  

『三条小鍛冶宗近旧跡
大石内蔵助必勝祈願の社
 延喜3年(903)醍醐天皇の勅命により創建したと言われ、祭神は、宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)、大土之御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ)の三神を祀ります。特に宇迦之御魂大神の母神である神大市比売大神をも合わせ祀ることから「稲荷の元宮」としての信仰も篤い。
 主な行事
 2月 初午祭(釜鳴神事)
 6月 夏越大祓式(茅輪神事)
11月 火焚祭(火焚神事) 』  (説明書きより)

   

『三条小鍛冶宗近と大石内蔵助遺物
 当社は古くは西山稲荷、近世には大石稲荷と呼ばれた、とも伝わるが、現在では花山稲荷(いなり)と呼ばれ、拝殿の右側には、「稲荷塚」と呼ばれる古墳がある。この塚は、平安時代の後期に、三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が、稲荷大神の神徳により、名刀「小狐丸(こぎつねまる)」を鍛えたところとも伝えられている。また、境内には断食石・血判石・鳥居といった大石内蔵助に縁ある遺物も残されている。』
   (説明書きより)

   

 花山稲荷神社は、山科盆地を横切る国道1号線と東海道新幹線が並走する地域の南側、数百メートルのところに位置する。第一鳥居を潜り長い参道を経て境内に入るが、その横に駐車場がある。
 すでにこの時点で、神社としては結構賑やかな印象を受ける。おそらく神社本庁に属する神社であれば、このような雰囲気はない。神社本庁においては全国の配下にある各神社に対して、古くからの格式を神社側に求めており、鳥居や参道、拝殿、本殿あるいは周辺の木々の種類まで形式が決められていると言うことになる。ところが様々な神社を回っていると、そのような決まりきった形式のないような神社に遭遇することもよくある。
 全国の神社の中には、神社本庁による拘束を嫌って、単立神社として神社本庁から離れているところも結構存在する。そして京都においては、明治の神仏分離令から以降、神社が国家神道の象徴として扱われるようになり、国民を精神的に支配する道具として利用された経緯があった。
 そんな中、京都においては多くの神職の人々が独自に組織を作って活動を始めることになる。これが後の神社本教となる
 第二次世界対戦後、民主主義到来の嵐の中で、保守的な勢力による旧態依然たる神社の維持のために神社本庁が存在し、それとは別に戦前の反省から、神社本庁を離れ単立した神社が増えた結果、ここ京都においてはそういった神社が、戦前からあった組織を受け継ぎ、それが「神社本教」として設立されるに至った。
 京都において有名なところとしては、地主神社や六孫王神社等がその典型とも言われる。実際に訪れてみると、質素でなおかつ全体的に暗い雰囲気の神社とはまた違った、独自の華美な雰囲気を持つところが結構多いように思われる。
 そしてこの花山稲荷神社も、その神社本教に属する神社の一つなのだ。

  

  車を置いてさっそく撮影を始める。数多くの末社を抱え、随分派手な境内だ。敷地全体を有意義に使おうということで、本殿の裏側や側面にも数多くの小さな末社がぎっしりと並び、全体としてかなり雑な感じがする。しかしこれはこれで非常に賑やかで、訪れる人もあえて静かにひっそりと、という感じではなく、明るい気持ちで参拝できるのだろうと思われた。
 すぐ横にはグラウンドもあって、子供達がそのグラウンドや神社の境内で遊びまわっている。そして植栽も豊かで多くの花が咲いていた。格式高い神社においては、花などほとんど見ないが、ここはあちこちに花が咲いており、そういった意味では神社としては非常に珍しいということになる。
 本殿にお参りしてその後、全体をぐるりと回って写真を撮り続けると言うか、とても撮りがいがある。平日だったがお参りに来る人もポツポツといた。

   

 神社の創建は平安時代中期であり、もうすでに1000年を超える歴史を有する。今のような数多くの小さな末社が集まっているような状況になったのが、いつ頃なのかはわからないが、逆に言えばそれだけこちらの祭神に対して、厚い信仰がずっと続いてきたのだろう。そういったことから、今現在においても地域住民の、ある意味心の拠り所のような役割を果たしているのだと考えられる。
 なお、この神社の北の方には、折上稲荷神社があり、こちらもまたなかなか派手な境内だ。やはりその神社も神社本教に属する神社だ。女性の守り神としても極めて有名な神社だ。

   
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