切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

京都府宇治市 宝蔵院・・・先人の執念の凄さ

2018-02-12 22:45:59 | 社会
 

『◆宝蔵院と重要文化財一切経版木
 黄檗山宝蔵院は、1669年一切経の開版を志した鉄眼禅師が、隠元から黄檗山内に寺地を授かり、蔵板、印刷所として建立したものです。
 全巻6,956巻、現在仏教各宗派で使われているお経は、いずれもこの一切経のうちに含まれています。
 6万枚の版木は、縦26cm、横82cm、厚さ1.8cmで3cmの縁がついています。版木材料はすべて吉野桜、版木の書体は明朝体であり、現在広く使用されている書体としての明朝体はこれから発したものです。

◆鉄眼道光禅師(1630-1682)
 肥後国益城郡守山村の人。13歳で出家。26歳のとき、長崎・興福寺にいた隠元に参謁し、禅に入り、その後福済寺の木庵にも参じました。
 寛文10年(1670)、難波・瑞龍寺中興開山に請われ、延宝4年(1676)には木庵の法を嗣いでいます。
 鉄眼禅師の最大の功績は、仏教典籍の集大成、一切経を開版したことです。仏教国日本に一切経版木の無いことを残念に思い、寛文4年(1664)頃からこの大願を抱き、同9年には隠元にその志を告げました。その際、隠元より明朝版大蔵経を授かりました。また、黄檗山内に寺地も授かり、
ここに蔵板・印刷所としての宝蔵院を建立、京都には印房を設け、本格的な事業を開始しました。
 黄檗僧をはじめ大名諸士などの支援や、鉄眼禅師自身の地道な募金活動などにより、延宝6年(1678)には完成、その初版が後水尾法皇に進上されました。あしかけ17年にもおよぶ大事業でした。
 鉄眼禅師は、その間2度の大洪水や天災飢饉に救済施行もし、活仏と仰がれつつ天和2年(1682) 3月22日53歳で入寂されました。

◆一切経とは
 仏教思想は三蔵に収まります。即ち釈尊が説かれた「経」と戒められた「律」及び釈尊とその弟子達が「経・律」を解説した「論」の3つで、つまり一切経6956巻をいい、精神面はもとより、天文・人文・医術・薬学・人道など社会全般のあらゆる面を説き明らかにしたもので、仏教百科辞典とも言うべきものです。古来インドで出来た経文は梵文であり、これをまとめて中国語に訳した高僧が玄奘三蔵法師達であり、日本に広めたのが鉄眼禅師です。』
 (宝蔵院パンフレットより)

 
 京都府宇治市の巨大寺院、黄檗山萬福寺。その塔頭の一つが宝蔵院。このお寺については上のパンフレットからの引用に記されている通り。
 少し補足をしておくと、ここに保管されている一切経の版木に掘られた書体が、今現在の明朝体の元になっているという説明があるが、さらにそれだけではなく、一枚の版木の両面に全て同じ形式で、文章が彫られている。その形式である文章の枠は、縦20文字、横10行。この枠が見開きになっていて、これが今現在の400字詰め原稿用紙の元となっている。
  表門をくぐりインターホンを押すが応答がないので、案内板に従って鉄筋コンクリート3階建ての大きな収蔵庫に入る。見学料は300円、誰もいなかったので受け皿にお金を置いて、2階へ上がる。
 展示されていた一切経の印刷物の見本や板木の見本も置かれていて、たったそれだけでも、これはなかなか凄いもんだと、素人ながらにも感心させられる。一切経というのは説明にもある通り、仏教の一切がっさいを 盛り込んだ、謂わば仏教の大百科辞典みたいなもんだ。そのためにこの一切経の分量というのがものすごく、約7000巻。版木にして約6万枚。これだけ途方もない数の版木を彫刻刀で掘ったというのだ。ちょっと信じられないような感じがする。
 江戸時代の当時は、仏教に帰依する人たちの意志というのも、それだけで強いものがあってのことだと思う。もちろん一人だけではなく、その弟子たちも含めて、17年もかけて彫られたと言うその事実に圧倒させられる。
 見本を見た後に倉庫の方へ行くと、大きな棚がずらりと並ぶ。その1段1段に数多くのは版木が重ねられている。収蔵庫の中は、この棚でぎっしりだ。これらの版木の大半が国の重要文化財に指定されている。
 3階へは上がらなかったが、今でも手刷りで印刷されていると言う。 今までに約2000部印刷されて、国内だけではなく外国へも送られているとのこと。
         
 宝蔵院と言うお寺そのものについては、境内も狭く、さほど見るところもないが、墓地の方に開山塔(1682)という府指定文化財がある。
 いずれにしろ、先人たちの凄まじいまでの意志によって製作された一切経の版木については十分に見る価値がある。大概の人は萬福寺の方へ行ってしまうが、このような巨大寺院の塔頭には見るべきところも多くあり、そちらにも目を向けるのもいいものだ。
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