切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

切れ切れ爺さん、大腸癌内視鏡検査に行く

2017-08-07 23:18:09 | 日記

今日は大腸の内視鏡検査に行ってきた。去年に続いて2回目だ。ことの発端は去年の市の特定健診で、大腸検査で引っかかり精密検査が必要とのことで、普段通っている総合病院で予約を取り、内視鏡検査を受けることになった。初めてということもあり、何しろ大腸癌の検査で引っかかったと言うのが、場合によっては大変なことになるのではないか、と不安もあった。そして予約した日、検査を受けて、結果は小さな良性のポリープが1個あっただけで、大丈夫とのことであった。1年後また検査を、と言うことで終えた。
まぁ良性とはいえども、ポリープがあったのは事実だ。これが大きく成長して、いつしか大腸癌になるのではないかと言う不安がどうしてもつきまとう。こうして1年が過ぎた。
今年も市の特定健診の時期がやってきて、血液検査や前立腺癌検査は普通に受けられるのでそのまま受けた。こちらのほうはまぁまぁの結果だった。大腸癌検査については特定健診では受けずに、直接昨年受けた総合病院で実施することにした。

手順は以下の通り
まず消化器内科を予約し受診する。そこで事情を話して、大腸癌内視鏡検査の予約を取る。その時にいくつかの書類と説明、そして強力な下剤と大腸洗浄薬をもらう。説明のプリントには検査の2日ほど前から時系列に沿って、すべきことが書かれている。食事の内容、薬の服用、洗浄薬の服用の仕方等を口頭で説明も受けた。

検査の2日ほど前から消化の良いものを食べる。野菜や肉類、脂っ濃いものなどは不可。パンもメロンパンが推薦。昼食はうどんと言うことにした。ネギは入れない。かけうどんになる。こうして大腸の中に食べ物のカスが残らないようなものを食べることになる。だから味噌汁の中の海苔類や、同じくおむすびの海苔も剥がして食べなければならない。自分の場合は晩御飯はお粥にした。

そして前日。同様に朝は消化の良い何も入っていない普通のメロンパンとバナナとヨーグルト。お昼は丸亀製麺に行ってかけうどん。晩御飯はお茶漬け。
夜の9時になって強力な下剤を水に溶かして飲む。マグネシウム系の下剤でかなり効き目がある。寝る前からお腹がぐるぐる鳴り始めたが我慢してそのまま睡眠。

検査当日。朝7時前に目が覚めてそのままトイレ直行。ほとんど下痢便に近いような状態で大量の便が出る。さすがすごい効き目だ。たまたま台風接近でかなりの雨が降っていたので、ウォーキングは中止とした。当然朝食は無し。
午前9時になると大腸の洗浄薬を飲み始める。洗浄薬を水で薄めて飲むのだが、1回で160ミリリットル。これを15分かけてゆっくり飲む。これを3回繰り返す。4回目からは同じ量を10分かけて飲む。これを続けながら最後、2時間半後の11時半に全て飲み終える。もちろんこの間に便意を何度も覚えるので、その都度洗浄液を出しにトイレに行く。行くたびに洗浄液がどんどん薄くなっていき、最後はほとんど無色透明になってくる。この状態で初めて内視鏡検査が可能となる。

12時半病院へ行く。検査室に入って着替える。上は寝間着のようなもの。下は肛門部分に穴の開いた紙製のパンツ。内視鏡室に入る。ベッド上に横たわり、専門の技師がカメラを肛門に突っ込む。横たわった目の前にはモニターがあって、カメラからの映像がリアルタイムで見ることができる。
直腸に入り、S字結腸を通過して大腸内に入ると、想像以上にきれいなピンク色をした大腸壁が見える。こうして少しずつ内視鏡カメラが大腸の中を奥へ進んでいく。当然曲がり角が何カ所もあるのでその都度、お腹の中に違和感がある。人によってはこれを痛みとして感じて、耐えられずに麻酔をした後検査を受けるケースもあるようだ。
モニター見てると、素人でも正常な大腸壁ということがわかる。やがて大腸の終点に到着。ここからゆっくりとバックしていく。その途中で大腸壁の異常がないかどうかを確認していく。少し気になるような部分があると、一度戻って再確認し、場合によっては静止画撮影をしている。

バックしながら1年前に見つかっていた良性のポリープの場所に来た。モニターに白色の小さな膨らみがはっきり見える。これがわずか2ミリのポリープだと言う。モニターには大きく見えていたので、2ミリと聞いて意外だった。良性なのでこのまま放っておいても大丈夫と言うことだったが、一応念のために組織を取って分析するという。内視鏡の管の中につまみが挿入されていくのがわかる。そして先端からつまみが登場した。ピンポイントでポリープをつかんで軽く引っ張ると、なんとポリープそのものが全部取れてしまった。呆気ないものだった。この後さらにゆっくりバックしながら肛門から出て行った。
他に異常は無し。ポリープも取れてしまったので、これで終了ということになる。念のために組織検査をするので、2週間後に結果を聞きに行く。と言うわけで、無事、大腸癌内視鏡検査は滞りなく終了した。所要時間約15分から20分位。自分の場合には、特に内視鏡が当たって痛いとかいう事はなかった。

まぁこれで一安心と言うことで、心を落ち着けてゆっくりと眠れると言うことになった次第。
ただし2週間後には胃癌の内視鏡検査を行う。これは初めてだ。去年まではバリウムを飲んでいたが、バリウムではかなり大きい癌でないと見つかりにくいという。医者自身がバリウムを飲まないとあうから、逆に言えばあまり信頼感のないものだと言うことになる。という訳で一度胃カメラを飲んでおくことにした。

以上、何かの参考になれば。
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8月6日 原子爆弾が広島に投下された日

2017-08-07 00:24:37 | 社会

今日は8月6日。
 言うまでもなく広島に原子爆弾が投下され、一瞬で10数万人が亡くなり、その後の死者も含め20万人以上の犠牲者が出たその日。8時からの平和式典についてはNHKが中継していたようだが、自分はちょうどウォーキング中だった。昼間用事があったので、夕方から新聞の番組欄やネットで様々な情報を見てみたが、色々と複雑な気分になった。

テレビのニュースでは、平和祈念式典を放送していたが、多数の参加者が整然と並び黙祷をしたり、子供達の平和宣言、また広島市長による平和宣言の場面が流されていた。安倍総理も参加していて言葉を述べていたが、部分的な紹介のみだったので、この後ネットで少し詳しく情報を集めてみた。
 ニュースで流された範囲内では例年通りの落ち着いた式典ではあったが、ネット記事などでは必ずしもそうではなかった様々な出来事が紹介されていた。紹介と言うよりは、かなり感情的な気持ちも含めたある種、主張のようなものが数々流されていた。平和を祈念すると言う点ではどのような情報でもほぼ共通はしているものの、その主張の方向性が大きく2つに分かれる。1つは絶対的な核廃絶の意見。いま1つは日本という国がアメリカの核の傘の下にあるという現実から逃れられないという意見。このことから更に一部の政治家による核兵器保有の発言も含めて、問題は核廃絶と言うよりは、いかに現実的な問題に対症療法的な対策を考えるべきかと言う様々なアプローチの意見が混在している状況がある。おまけにそれらの意見にはかなりヒステリックな、冷静さを欠いた一方的な放言のようなものも数多く見られる。こうゆう状況というのは、国民の意思が分断されて対立していることになり、為政者から見るならば大歓迎といったところだろう。
中国や北朝鮮という核武力を背景に威圧的な姿勢を鮮明にしてきている現実的な恐怖がすぐ近くにあるだけに、将来的には日本の再軍備の、そして核保有への筋道が描けるのではないかという保守層の夢が、夢にとどまらないようになってきている危機的な未来の姿が見えるような気がする。

なかなか自分でも結論の見えにくい問題だが、もちろん理念としての絶対平和と言うものは考え方として持っているつもりだ。核廃絶が現実のものとなり得ない状況の背景には、第二次大戦中からの大国による核開発と核武装の歴史の流れがある。一旦持ったものは他の誰かが持っている限り絶対に手放すことなんてありえないだろう。オバマ大統領が核廃絶を訴えてノーベル平和賞を受賞したとは言うものの、以後何か進展したかと言えば、逆に悪化の方向に向かっているというのが実際のところだろう。個々人の中の核廃絶の思いは、国家と言う一部権力者たちの思惑と判断によってかき消され、相変わらず人類滅亡の危険性を持つ核兵器が存在し続けるのだろうし、おそらく拡散もし続けるのだろうと思う。ほんまに厄介な問題だ。

 自分は何度も広島を訪れている。平和公園や資料館にも行っている。個人的に行ったケース、或いは現役当時、組合派遣という形で「原水爆禁止世界大会」そのものに参加したこともある。また仕事が中学校の教員だったので、何度も修学旅行で引率している。更に社会科の教員であったためか、必然的に平和学習の担当となって、担当学年の平和学習指導案や資料作り、そして担任としての平和授業そのものも行ってきた。社会科という教科の中では地理でも歴史でも公民でも、必ず平和に関わる問題は出てくるし、その都度自分なりに力を込めて授業をしてきたつもりでいる。そういった意味では退職してから何年経っても自分が関わってきた問題には未だに関心は高い。また色々な情報を見ていると、平和学習に関わる現場にもかなりな危機感を持つ。
 学校現場ではかつてはこの8月6日には、全校登校日を設けて平和学習を行っていた。しかし自分自身が現役時代の頃から既に「もうそんなんええやんけ」という声が現場からも出始めていた。同じ職場の同僚からそういう声が出ること自体に驚くとともに、激しい怒りもこみ上げてきたことを覚えている。 そういった声と同調するかのように、直接的には言われないものの管理職からも夏休みの在り方のなかで、あえてこの日に全校登校日が必要なのかどうか、というような主旨の発言も出始めてきていた。おそらく各地域の教育局、更にはその上の府レベルの教育委員会からの圧力的なものもあったんだろうと思う。
 原爆や平和といった問題を扱うと、どうしても核を持っている国々に対する批判は出るものだし、日本という国の核に対する政府の姿勢が問われるような内容も扱わざるを得ない。国是と言われる「非核三原則」を取り上げるものの、その実態は当時既に有名無実化していて、アメリカの基地がある日本には核兵器が持ち込まれているのが常識である、と様々な報道で明らかにされていた。こういう事を取り上げると、政治的なレベルの問題にも踏み込んで行くことになる。中学生といえどもそういった部分を隠した形で平和学習などありえない。ただ単に広島に長崎に原子爆弾が投下され、無残な結果を生じさせた。また戦後もずっと人々の苦しみが続いている、というだけで収まる問題ではない。必ず歴史的な出来事にはどのような流れの中で、また何故そうなったのか、と言う理由に踏み込んだ理解が欠かせない。そのような性格から平和学習に対して嫌悪感を持つ人々がいるというのも一方の事実だ。それが偏向教育などという一方的な主張と一体化して、議会で攻撃され、教育委員会への苦情などという形で否定的に捕らえられ、平和教育の姿そのものが変質させられて行く様な動きを当時から感じていた。
 今現在8月6日、或いは9日に全校登校日を設けて平和学習をやっている学校はごく少数派になっていると思う。ネットニュースによれば広島県でさえ、全校登校日の平和学習が今年はなくなったと報じていた。理由は教育委員会の都合などという意味不明なことしか書かれていなかったが、日本全体の流れとして、登校日どころか、平和学習そのものも現実に否定的な方向に矮小化されていっている。これらの問題の背景には、ブログのような短い文章の中ではとても語り尽くせないほどの大きな動きがあると思っているが、いずれにしろ様々な平和に関する言葉や活動が形骸化されていっている現実があるようだ。
 ネット記事では、祈念式典の会場の近くで右翼の街宣車が集結し、大音量でが鳴り立てていたと同時に、平和活動家たちも大きな音を立てて騒いでいた旨のことが、映像とともに流されていた。その記事に対する様々なコメントを読んでいると、ほとんどが騒いでいる連中は平和運動に名を借りた安倍首相批判や平和とは関係のないところで、広島の犠牲者を冒涜しているなどと、罵っている意見が大半を占めていた。こういったものは、その現場で起こっていた事態を、どの場面をどのように切り取って発信するかによって、読むものの見るものの印象を大きく左右する。書かれている事のどこまでが真実かどうかは知りようがないけれども、このように発信されたものが大きく拡散していき、本来の平和を目指す様々な運動が、将来的には萎縮してしまう様な役割を果たすことになるのではないかと思ってしまう。
 だらだらと思うことを並べてきたが、実際に感じたことをそのまま言っただけで、それ以上のものでもないが、広島市長の平和宣言の言葉と安倍首相の言葉の中に、かなり引っかかるものがそれぞれあった。そのまま聞き流してしまうとそれで終わりだが、「核兵器禁止条約」の件について、もう少し言いようがなかったのかと思わざるを得ない。



 長くなるのでここまでにしておくが、安倍首相の発言の一部と広島市長の平和宣言文を参考までに以下に載せておく。


 安倍首相の平和祈念式のあいさつの一部
「真に『核兵器のない世界』を実現するには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要だ。非核三原則を堅持し、双方に働き掛けを行うことを通じて、国際社会を主導していく。」

 松井一実市長「平和宣言」の全文
 「皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光(せんこう)がピカーッと走り、凄(すさ)まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝(は)がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪(ゆが)めてしまいました。
 このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨(むご)たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。
 それ故、皆さんには是非(ぜひ)とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲(しの)ぶと、今でも耐えられない気持ちになります」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難(ありがた)さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか」と私たちに問い掛けます。
 また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい」と語っています。
 皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。
 為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。
 市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。
 今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。
 その広島が会長都市となって世界の7400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。
 今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122カ国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取り組みを更に前進させなければなりません。
 特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
 私たちは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。」

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