東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

日本人と中国人の“誠実さ”の違い(林建良 台湾独立建国聯盟・日本本部委員長)

2022-11-03 | 台湾情勢

■日本精神とは武士道精神と大和魂

日本精神は大きく武士道精神と大和魂の二つに分けられます。この二つの精神には更に誠実であることと自然と調和することの二つの核があります。

この二つの核のいずれも中国文化にはありません。李登輝が「誠実」と「自然」という言葉が好きなのは、これが日本文化の核心だからです。

日本人以外にも誠実を美徳としている人はいます。「虚」を重んじる中国でも、誠実さについては評価しますが、自分でやるのは難しい。

誠実さを保つことは日本人にとってはそれほど困難ではないかもしれませんが、ほかの国では必ずしもそうではありません。日本人はほかの国の人よりも自然体で誠実なのです。

例えば、アメリカなど西洋の国には、「誠実さは最善の策である(Honesty is the best policy)」という言葉があります。「最善の策だからこうしなさい」という言葉の裏には、「それは大変難しいことだ」という意味があるのです。

最善の策が簡単であれば、誰でもその道を選ぶでしょう。

ですが、「この道の方が最善だよ。こうしなさい」というふうに強調しなければいけないほど、実際には難しいのです。

初代アメリカ大統領:ジョージ・ワシントンの有名な話があります。実はこれは創作された話なのですが、ワシントンが小さい時にお父さんの大好きな桜の木を切ってしまったという有名な話があります。お父さんが帰ってきて「誰が切ったんだ?」と聞くと、ジョージ少年が「僕がやった」と言います。

「僕がやった」と正直に言うこの勇気を持つのがかなり難しい部分なのです。誠実に対処するには相当の勇気が必要だからこそ、西洋ではあえて「誠実にやりなさい」と強調しているのです。

■突然の総統就任と国会改革

実は、李登輝本人も著書の中で、「一番困難な仕事こそ、誠実に対処しなければいけない」と言っています。李登輝がどんな例を出したかというと、1988年に総統だった蔣経国が急死し、副総統だった李登輝が総統になった時のことです。

憲法の規定によって図らずも総統に就任した李登輝でしたが、蔣経国の残存任期である1988年1月〜1990年5月の2年4か月間を務め上げた後、今度は自分で選挙に立候補しなくてはなりませんでした。

当時の台湾の総統選挙は、今のように国民の投票による直接選挙ではなく、国民代表の投票による間接選挙でした。国民代表というのは国会議員のことですが、台湾国民に選ばれた人たちではありません。

その大半は1947年12月25日に中国大陸で選ばれたまま改選もされずに議員の椅子に居座っていた人たちで、台湾人からは万年議員と呼ばれていました。

そんな状況の中、紆余曲折を経て、李登輝は1990年3月の総統選挙で国民代表の票を獲得し、当選しました。当選した李登輝が真っ先に着手したのは、台湾の民主化と政治改革でした。台湾の政治改革で一番大切なことは、「台湾は台湾であり中国は中国である。台湾と中国は関係がない」という方向性を示すことでした。

そのため彼が最初に取り組んだのは、憲法改正でした。憲法改正は、当時の台湾にとって非常に大きな意味がありました。

1949年、毛沢東率いる中国共産党との戦いに負けて台湾に逃げ込んだ蔣介石は、共産党との内戦を理由に、憲法を実質的に凍結し、憲法の上に動員戡乱時期臨時条款というものをつけたのです。動員戡乱とは、「今、全国で動乱が起こっている。だから全員動員して反乱者を一掃しろ」という意味です。この臨時条項が憲法の上に乗っかっていることにより、総統は絶大な権力を持っていました。

一方、「我々中華民国は全中国を代表する」ということで、中国大陸で選出された国民代表は改選されないままです。

今は内乱状態のため中国に戻って選挙ができないからと、1947年に選ばれた人がずっと国会議員をやっているのです。この動員戡乱時期臨時条款を外すためには、国民大会で憲法を修正する必要があります。同時に、この臨時条項を外されると国民代表は正当性を失い、今度は自分も辞めなければいけなくなります。これは非常に大きな仕事です。

李登輝に言わせると、憲法の修正を国民代表に頼むことは、「まさに彼らに対して自分の墓穴を掘ってくださいと頼むようなもの」でした。しかし、彼はこれを正攻法でやってのけたのです。

当時、国民代表は全部で565名いました。李登輝はその一人一人の自宅を訪ね、「今はこういう状態だから、どうか引退して欲しい。その代わり潤沢な退職金を用意するから、この退職金で悠々と晩年を過ごして下さい」と説得しました。

当然この565名全員がすんなりと「ああ、分かりました。いいですよ」と言うはずはなく、門前払いされることもありました。それでも、粘り強く一人一人を説得したのです。

李登輝がやったことはただ一つ、「こうしなければ国民は納得しない」と誠実に説明することでした。

1991年、憲法改正案が通り、国民代表は全員辞職しました。李登輝は後に当時を振り返って、「誠実にお願いすれば、いずれ説得できる」と言いました。逆を言えば、誠実さがなければ説得することは不可能だということです。

人間というのは嘘をつくのは平気でも、嘘をつかれるのは気分の悪いものです。誠実になることは簡単ではありませんが、最終的にはやはり誠実に対処するしかないのです。難しい仕事ほど誠実さが必要なのです。

■中国が李登輝を憎む本当の理由

2020年7月30日、李登輝が亡くなった際には、世界各国のビッグニュースになって、当時の安倍総理など世界各国の要人が台湾に哀悼の意を表しました。しかし、1国だけ例外がありました。それが中国です。

アメリカが哀悼の意を表すると、中国政府は激しく抗議。そして中国のネットには、見るに堪えない李登輝に対する罵詈雑言が溢れかえりました。なぜ中国や中国人はそれほどまでに李登輝を恨んでいるのでしょうか?


(次回に続く)


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1 コメント

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Unknown (saito)
2022-11-04 08:43:28
最近、林建良先生のメルマガが送られてきていることに気づき、はじめて読ませていただきました。
「日本精神は武士道精神と大和魂であり、誠実であることと自然と調和することの二つの核があることが日本文化の特徴」という先生の見解には「なるほど。しかしそれは昔のこと。これは終戦を境に忘れ去られてきた精神文化」が正直なところです。恐らく日本の教育から「日本人の誇り」が徹底的に排除されてきた結果であり、当然の帰結だろうと感じています。しかし一方で、日本人の精神性は2000年以上育まれてきた「血」のようなものであるかもしれず(確信が持てておりません)、今後安部首相が言った戦後レジュームを脱却して日本人が覚醒すればいつかは取り戻せるのではないか、とも考えています。そうでなければ日本人はいずれ中国の「日本省」のような地域になり消滅してしまうのではないか、とも。
台湾人実業家であった蔡焜燦氏の著書「台湾人と日本精神」を読んで驚いたのは、台湾にはかつての日本精神がいまも正しく生きているのかもしれないということでした。李登輝さんや蔡焜燦さんをはじめとするいわゆる日本語族はすでに消滅しているのでしょうがその末裔が今も生きておられることを考えると、日本人として羨ましくさえ思えます。飛躍に過ぎるかもしれませんが、台湾と日本はもう一度結婚すべきだろうとも思っています。日本精神(リップンチェンシン)が生きているならこんなに精神性が似た国は一緒になるべきです。
いまやモンスターとなった中国ですが、いずれ衰退し国連のP5による体制も崩壊するでしょうから、日本が世界で光り輝く国になるには「近くて遠い国」台湾との連携や一体化は絶対に必要なことでしょう。

オレンジの悪魔こと橘高校吹奏楽部のコメントもyoutubeで見せていただきましたが、彼らのパフォーマンスに驚き、感動し涙を流す人が多いものの、私にはどこかしっくりこないものがあり、何だろうと考えるに橘高校の存在があまりにも無国籍な印象に仕上げられていることだと感じました。台湾国旗、パラオ国旗が目立つ中でついに日本国旗は見られませんでした。日本側、特に日本外務省からの要請があったのかもしれませんが、当然あるべき日の丸の旗がそこにないことは中国への配慮なんだろうと感じました。USAでのローズパレードには「TACHIBANA」の横断幕の横に日の丸が掲げられていましたので、台湾での扱いは意図的な演出なんだろうと思います。

いま日本は保守派の星であった安倍晋三さんの暗殺により「政治の漂流」が始まっているように思います。歴史観や世界観、大局観無き政治家、マスコミ、財界人、官僚が勝手な言説をふりまき深刻なミスリードが行われています。台湾との関係深化などは中国の圧力下で遅々として動いていかない事でしょう。そんなことしている間に台湾は消滅してしまうのではないか。私には大いなる危機感ですが、台湾を同胞と考えないマスコミは日本にとっての「台湾有事」の意味を報じない。

台湾に関する私の考え方をまとめる意味で書き込みさせていただきました。

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