ミソハギ(禊萩)である。
本などには水辺にはえる植物とある。
でも、民家の庭先に植えているのをよく見かけるので、湿地でなくても大丈夫なようだ。
その代わり、草丈は水場に近い所の方が高い気がするが。
旧暦のお盆の頃に咲くので、「盆花」という別名も持つ。
今日も朝のうちは薄曇り。
すっきりと青空が広がりはしなかったけれど、ひとまず晴れて穏やかな一日であった。
小諸に出かける前に、義妹に連絡するように言っていたのだが、義父は忘れていたよう。
昨日の晩「明日、線香をあげにお邪魔する」との電話連絡が。
義父の話が出たので、ぼちぼち駅に着いた頃かな、と応えたら、え?と。
これで、義父は電話をするのを忘れていたと分かった。
義妹は、以前から今回の小諸行きを反対していた。
それで電話をしなかったわけではなかろうが、すっかり呆れられてしまった次第。
11時近くに子供たちを連れて義妹がやってきた。
小1息子は娘と二人で仏間にこもって何やらお遊び(あとで覗いたらオセロをしていた)。
中3娘はソファに座って、親がする受験話や高校話を聞いていた。
内心、何を思って聞いていたのかは不明だけど、楽しい話ではなかったろうなあ。
お昼近くまで話し込んでしまったのは、そういう受験生を持つ親の情報交換もあったから。
帰宅後に昼食をとり、それから国道6号線北上の旅に4人で出かけた。
6号線、原発事故以降、通行止めが続いていたが、自動車のみ15日から通行可能になった。
ただ、帰還困難区域は、停車も国道から脇道に逸れることも禁止。
それでも、迂回せずに南相馬から北に行けるようになっただけでもありがたい話。
ただ、帰還困難区域の放射線値は半端なく高い。
1回の通行で1.2μSの被爆になるとの話。
いつもは同行を渋る息子も、被爆しに行くかい?との誘いにのってきた。
いや、親の立場からすれば、被爆量は少ないに越したことはないのだが、感覚が一般家庭と違うので。
息子も分かったもので、その誘いが6号北上だとピンときたようだ。
震災以降、全く通行できないでいたので、様子が見たいと同行することにした。
車内には線量計を置いて、6号線を北上。
今まで通行止めだったポイントには警察官。
そこを過ぎたら、脇道や店舗への入口などは全てバリケードがこさえられ、信号は黄色点滅。
パトカーとも何台すれ違ったことか。
線量計は区域内に入ってからは数値がどんどんはね上がっていったが、それでも除染したとのこと。
もう、人なんか住める状況にないのははっきりしているわね。
津波の痕も随所に残り、未だに潰れた車などが放置されている場所も多かった。
建物も壊れたまんまだ。
お彼岸ということもあってか、津波で亡くなった人の為に、花を供えている人も多く見られた。
南相馬の道の駅まで行って、そこからまた6号を南下。
富岡から高速道路にのって帰ってきた。
高速道にのる前に立寄ったのは常磐線の夜ノ森駅。
駅近くの高架橋から写真を撮った。
こちらは北(夜ノ森駅方向)を撮ったもの。
こっちは逆に南に向かって撮ったもの。
どちらもすっかり草に覆われて、線路が見えなくなっている部分も多い。
線路は錆びているし、砂利が崩れている所も。
以前、通行止めになっていた常磐道を見た時も草に覆われつつあった。
人が介入しなくなると、まずは植物がその場を占拠していくのは何処も同じなようだ。
津波で線路自体が流された区間もあるので、常磐線が復旧するのはかなり先の話になるだろう。
が、正直、早いとこ線路を治して、仙台まで行けるようにしてほしいわ。
いわきに戻ってくると、沿岸の復旧の度合いの差に愕然とする。
向こうはまだ津波の跡地すら放置されている個所も多いが、こちらはその辺はほとんど終了。
今は防波堤工事が急ピッチで進んでいる。
避難区域になったかならないかで、これだけの差が生じているわけだ。
いずれにしても、もうしばらくは6号線を北上することはなかろう。
状況は分かったし、ゴーストタウン化している町を見るのは気持ちのいいものではないし。
何か起これば、このような悲惨な状況に陥る現実があるのに、原発再稼働を望む自治体の気が知れない。
「うちは大丈夫」
心のどこかでそう思っているのだろうな。
勿論、福島だってそう思っていたのにこんな騒動になったのである。
人間の作るものに完全はないし、100%安全もない。