カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

526.びわ湖から江戸へ ― 銀の空の木

2012年06月20日 | Weblog
先月から足の具合が良くなかった。「なかった」と過去形にしたいところだが… 

残念ながら現在進行形を維持している。歩く事に「多少難あり」だが、車の運転には何ら問題はない。それで歩かない分、大いに車を走らせた。

あっちの山へ、こっちの川へ、憂さ晴らしのようにドライブした。マロンもいい迷惑だったに違いない。パドルを持つのは大いに力が入るのだが、カヤックを運べないので、結局どこも漕げない日々が続いた。 根性で漕いでやる、と行った川を目の前にして、足の痛さに断念した日からそう時は経っていないのだが、もう何年も漕いでいないような気がした。

これ以上我慢するのは精神保健上絶対に良い事はない! 漕ぎたい! しかし、また日置川の二の舞になるかもしれないとの思いが脳裏をかすめる…   しかし…

           まぁ、いいっか。 その時考えよう

と前向きな人生を歩む事を決めた。 てな訳で、以前から行きたいと思っていた水辺へ行く事とした。しかし決めた後でも、

あぁ、歩けるかなぁ… と考えながら宿の予約を入れ、 うぅん、迷惑かけるかなぁ… と思いながら新幹線の切符を買い、 えぇ、途中で動けなくなったらどうしよう… とちょっと不安になり、 無謀ではないだろうか、と躊躇し…  しかし…

           まぁ、いいや。 行っちまえ!

トイレに行くにも激痛が走る事があるというのに、東京まで行くなんて。こんなにも私をカヤックに駆り立てるものは一体何なのか、自分でもよくわからない。 

           情熱なのか、意地なのか
           東京だからなのか、「 空の木 」 だからなのか

しかし人は、時として、得体の知れない衝動に動かされて生きているのだと思う。その衝動の時が今なのだろう。 余談だが、「 全ての事に時がある 」 このフレーズを検索してこのブログにおいでになる方が時々いる。

今回は自分自身のためこの言葉 「 全ての事に時がある 」を 使おう。今がその時、「 カヤックをする時 」 なんだ。
と、荷物をかばんに詰めた。帰りにはこのかばんに私の木のコレクション 「 空の木 」 が入っていることだろう。

そんなこんなで2泊の東京への決死行? とあいなった。どこへ行ったかって? それは…

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朝、東京のとある水辺で、

お久しぶりです 「 熊野からです! 」 さん。 相変わらずお元気そうですね。あなたのご活躍はいろんな所で目にしています。 お世話になります。 

以前、熊野から長い長い海の旅をした時に、途中の海で漁師の 「 どっから来たぁ! 」 の荒げた声に皆緊張した時、すかさず 「 熊野からです! 」 と言ったのがこの人だった。 その一言で漁師の声が優しくなった。 この人だったからなのか、「 熊野から 」 に威光があったからなのか…。 

しかし私の中ではその時の光景がいつまでも心に残っている。 小さな漁船と、もっと小さなカヤックと、どちらも海の男の心意気が1本の線上に乗った気がした。 そんな人だ。

           おっと、話が横道にそれたか。

海に程近いこの辺りには小さな川と言うか、水路・運河がたくさんある。そんな岸から出艇する。 重い物が持てず、当然カヤックが運べない。

           すみません、 よろしく

しかし、乗ってしまえばこっちのもの!  久しぶりに持つパドルの感触が嬉しい。



梅雨の雨を心配していたのだが、時折小雨がぱらつく程度でツーリングには何ら問題ない。 艇もパドルも使い慣れているものとは違うので、初めのうちはちょっと親戚のおばさんのうちへお呼ばれに行った時の気分で漕ぎ出す。  

さて、今日のお目当てとは…

静かな水路を行くと、 あ、見えてきた!

  

雨上がりの薄い雲の中にぼんやりと見えてきたのはスカイツリー。 小雨が降っていた時には展望台の辺りに雲がかかり、それもまた 「 雲上にそびえる巨塔 」 の趣があった。

うれしがって撮っていると、「まだ早いですよ、これからですよ」と声がかかる。 石積みの岸、矢板が巡らされている岸、コンクリートの岸。 いろいろな岸を進む。水路の交差点にこんな標識があった。



船が通る事を前提にした標識。もともと運河・水路は船が通って当たり前なのだろうが、この当たり前の事が妙に嬉しかった。 それだけこの土地と水とのかかわりが深いのだろう。そのかかわりの水路を、今日は遊びカヤックで使わせてもらう。感謝しなくては。



水路には時々工事用の作業船がいる。高く伸ばしたクレーン。あのツリーを作る時にはどんなクレーンが伸びたのだろう。ツリーの幾何学模様が次第に大きくなるにつれクレーンの波も模様が小さくなる。



雨はすっかり上がり、風のない運河にツリーの姿が写る。途中他のカヤックに出会ったが、私たちの進路を塞ぐ物はなく、時折岸を行く人に挨拶し、意外にも橋が多い事に驚きながら進む。

のんびりとしたカヤックは、足の具合を気にしていた私にはちょうど良いリハビリ漕ぎとなった。そしてのんびり漕いでもこんなに近くなる。



 
  青く抜ける空に浮かぶスカイツリーは見事でしょう

  でも、シルバーのメタリックな塔は
  シルクスクリーンの背景の中で、
  一際その繊細さを誇示してます 


  銀色に光るその塔は
  何か宗教施設のような威厳をさえ感じます









    
観光客が多いと「見る」より「見られる」ことが大となる。岸のギャラリーに手を振るのは悪くはないが、パンダのように物珍しげに見られたり写真を撮られるのは、好きではない。 幸いな事にこの日は賑わってはいない。ツリーの真下まで漕ぎ進む。

時々カヤックを写真に撮る人がいるが、黙ってパチパチ撮る人もいれば、撮っても良いですか、と聞く人もいる。 携帯・スマホからでも自在に撮れる昨今、「一億総カメラマン」時代。そんな時だからこそ、他人を撮るにもマナーとかルールとか、規範が必要となるだろう。

ある時、何日か前に行ったツアーの様子をその時参加していたある人が自分のブログや You Tube に出していたのを、たまたま見つけた。その中に私もはっきりと映っていた。別に悪い事をしてたのではないが、自分の知らない所で自分の映像や写真が公開されるのは、私は好まない。 

ツアーに参加してそこのHPに出るのは参加するほうも了解しているのでそれは良いとして、個人的に撮ったものを、相手の顔や個人を特定できる何かを出すなら一言断ってから公開するのがマナーでありルールではないかと思うのだが…。 

      まぁ、他人はそれほど私の存在を気にしてはいない事は確かだが。


 

 そんなこんなの他人の姿  いや、スカイツリーの姿 

 もう、どんなにそっくり返っても
 1枚の写真に収めることはできません

 高い! 










バベルの塔は人間の知恵と技術を人のおごりとして世界を言語で分断させるものとなったが、この電波塔は人間の知恵と技術を科学の賛歌として人々の言語を集約させるためにここに建つ。 

          いつまでもそうであって欲しいと願う…

今日はここで終わりではない。 更に水路の旅は続く。 小さな橋の下にこんな物があった。



太い丸太が両岸に何本かあるがどれも水面近くが黒く漕げ、根元は朽ちている。 これは橋脚の跡だろうか。街の火事で燃えたのだろうか、雷が落ちたのだろうか、それとも…

           いや、ただ古くなり、朽ちた芯が黒くなっただけなのだろうか

名前も知らない小さな橋下の、傾いた杭に惹かれた。それにしても橋が多い。大阪を「八百八橋」と言うが、東京にもそんな言い方があるのだろうか。地図を精一杯拡大しても載っていない小さな橋がたくさんある。

そして決して「きれい」とは言えないだろう水の上にも「美しさ」がさくさん浮かんでいる。



カヤックはその色がきれいだ。 いつか、ぐるっとひまわりのように円く並んだカヤックを上から写真に撮ってみたいと思っている。それぞれのバウがそれぞれの未来に向かっていて…。



それと、まるで100m走のスタートラインに並ぶ選手のように横一直線に並んで漕ぐカヤック。パドルの高さも揃い、滴る水跡も同じに広がり…。 

そんな写真は私には撮れないが、その中に自艇を置いた姿を想像して楽しんでいる。

           そんなカヤック良い!
           
           誰かそんな写真、撮らないかなぁ

さて、想像の世界もお腹が膨れた辺りで現実に戻る。この先も静かな水路が続く。



あの建物の最上階から見る街はどんななんだろう。私は高い所は好きだが、私の街にこんなに高い建物はない。あの上から、下の水路を漕ぐカヤックに手を振っている自分がきっといるに違いない。そんな自分を探して漕ぐ。

のんびり漕いだカヤックも終わりが近づく。そんな所にあるこんな物。



水上に張り出した歩道のようだ。木でできた橋脚が、あの「流れ橋」を思い起こさせる。 3月に流れ橋を漕いだ時にはまだ修復工事中だったがもう完成したとのこと。

復活の橋、流れ橋。 私もこの日からまた水辺に復活できそうだ。 流れ橋、見に行こう…。

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上を見、下を見、いろいろな物を水面に写す水路を巡る旅が終わり、あとは街の居酒屋へ流れたことは言うべきもない。




           

2 コメント

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Unknown (Oe)
2012-06-21 19:09:26
スカイツリーの写真はたくさん眼にしますが、水上からのものは初めてです。東京はあまり行ったことがないのですが、この辺りは古来より埋め立てで陸地が出来たところですよね。そのせいもあってか、水路が多いのかな。
水鏡 (びわっこヨ)
2012-06-21 21:00:18
埋め立てもあるかもしれないけど荒川と旧中川・隅田川をつなぐバイパスとしてもあるかもです。ホントは知らないんです。

透明度抜群の清流は飲めるけど、水鏡にはならないですね。 くすんだ水は飲めないけど写る画がきれいです。 どっちもいいな。