勝地(かつち)ブログ

ご意見は下記に
✉ tsunehisa605@gmail.com

vol.187 「判断」

2017年03月22日 22時18分54秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


政治家の「判断」について思うこと。

自ら精一杯考えて良かれと思い「判断」したことであっても、後になって思惑と違う展開となり、結果、失策になることも、そりゃあります。無きにこしたことはありませんが。
政治家としての責任の取り方が問われ、同時に何が原因であったのか、そして二度と繰り返さないための新たな手法をしっかりと説明、実行してもらわねばなりません。

一度は「判断」したが、その「判断」を覆すことはどうか。可能ですが、これも無きにこしたことはありません。任せていいのか頼りなさを感じるのはマックスになる。
「判断」資料が十分ではなかったのか、誤った資料であったのか、法体制や契約書などに反していたのか、はたまた全体不勉強であったのかなどが問われてきますが、これら理由は曖昧模糊でハッキリされないことが多いのでは。

一度決めた「判断」を変えるといった場合には往々にして、人間の性というのか、自分にとって損か得かということが大きなウェイトを占めるのだと思う。これはなにも政治家だけではありませんが。
ただ政治家が自身の損得を目論んで「判断」を変えていくと、是々非々の「理」の政治は無くなり「情」の政治になっていくのだろうな。「情」の政治は水面下の人間関係が影響するので良かったと思う人が半分、面白くない人が半分。納得のいく説明、情報公開はまず期待しない方がいいのだろうな。

されど、選挙で選ばれた政治家による最終「判断」です。
自己決定自己責任を果たしてもらうことを前提にして現状よりもより良くなる為の「判断」であるハズなので、先ずは受け入れ、しっかり住民監視していくことが議会制民主主義と理解しています。


*誤変換及び文章の瑕疵は後ほど推敲します。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする