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一日中、パソコン前に座りっぱなし。
避難所での集団生活をするうえでの、生活ルール素案を練り上げたいのですが、要所要所でつまずいて、悩ましい。
その一つは
被災後の避難所では、とりあえず命が助かったという嬉しい感情が仲間同士で共有され、被災パラダイスとして被災者同士助け合う、いわゆる居心地の良いやりとりや行動が伴うということを学びました。
その時間は3日間程度。
その後は現実の我が身の悲惨に意識が戻り、その将来不安から避難者同士でのトラブルが絶え間なく起こる事例があると。
その場合の生活ルールをどう作りあげるのか。
不安、イライラから喫煙や飲酒に陥る人もいるだろう、ルールを作っても守らない人がいるかもしれない、いや、いるだろう。
ルールを守らなければのペナルティは果たして何処まできつくできるのか。被災者であることには変わりはない、だから、気持ち安定・リラックスにはある程度の喫煙・飲酒が許されてもいいのではと考えたりもする。アンタはルール破り、だから出て行け、と切り捨てることはできないのでは。
喫煙、飲酒のルールはどう書き表す。一応、やっつけましたけど。
話変わって
今日の来訪者さんとの会話
ダブル選挙が終わった後だからのことですが、なんか、コレから何かが始まるワクワク感が周りの人の口の端から聞こえてこないよな、と。選挙結果が話題にものぼらない日々。
私の分析は
それぞれの候補者の政策が有権者にほとんど伝わらなかったのが要因。
ポスティングされた政策集を読み解くにはなかなかの深い知識がいる、発する言葉がすべて。そのディベートの機会がなかった。
若い人たちをはじめとして、コロナ禍のなかでも衣食住ほとんど許容できる範囲で享受できている。近未来に対する差し迫った危機感など、ほぼ持ち合わせていない。経済と社会の価値観は現状維持なのである。
そこに、改革だとか交代だとかいわれても、現状ほとんど不自由なく生活できているのに、政策集と選挙カーで現状をダメ押しされてもピンと来ないし、反感、放っといて欲しいの感覚。お任せ民主主義とも言えないか。
論戦が出来なかった今回は、どなたであろうと現役有利の戦いになったのではないか。
外野席からはそう見えた。