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いきなりですが、
高齢者はなぜ切れやすいのか、というテーマのブログです。
それは前頭葉の機能低下だといわれています。
前頭葉は、判断、計画、抑制といった司令を下す働きをするようです。
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加齢に伴い低下していくなら、仕方ないかなとも諦めて思ったり。
今日のテレビニュースでも高齢者のブレーキ踏み間違い事故が流れてましたが、前頭葉の機能低下からか。
では、ほんとうに高齢者にはもはや希望はないのか。
希望はあるらしい。それは有酸素運動。
ウォーキングを続けると前頭葉の活動量も増加し、記憶力と言語学習が改善した報告も。
筋トレでは効果無いらしい。
私、夜ウォーキングで4500歩程度の距離を速歩きしてるので、良い方向に行ってるかもしれん。
中央公論12月号に、日本では高齢者を「お荷物」と考えているのかもしれないという記事掲載がありました。
道徳ジレンマの質問を20代の200名に行ったようで
「走行中のトロッコが制御不能になり、そのままでは5人が引き殺されるが、あなたが線路の分岐を切り替えれば、1人の見知らぬ◯歳の人を犠牲にするだけで済む」
◯歳には、70歳、20歳、障がいのある20歳、5歳のいずれかを選ぶ。
回答は、70歳が40%、他は20〜30%だったという。
偏見の研究が進む米国では、高齢者と障害者はともに親密さを感じるが、能力は低い「温情的な偏見」対象と考えられている。
日本では、仕事しないがお金を持って闊歩しているので、能力が低くて親しみを感じない「軽蔑的な偏見」の対象なのかもしれない、と分析されてます。
たしかに、その一面もあるが、社会から疎んじられれば抑制能力低下と相まって怒りやすくなることもある。
また、米国で同じようにトロッコの質問をするとどうなるだろう、同じような傾向の回答になるのではないか。そこは納得できないところです。
老人クラブ運営に関わり、
そういう場面に出くわしたとき、私は一歩引いて俯瞰することに努めてます。
何故そこまで起こるのだろう? 何が気に食わないのだろう? その怒りの発端となった言動と怒りの本人のバックヤードとの相関関係みたいなことを想起すると、怒りの要因が見えてくることもあります。
結論めいたことをいうと、怒りの言動を取り巻く「自分と人との比較」、コレで怒っているのかなと思うと宥めようもあるというもの。
話戻って、12月号「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」によれば、各国とも高齢者の人と直接会って話す機会が激減。あきらかにコロナ禍の影響で独居高齢者がさらに孤立に追いやられている。
人間はきわめて社会的な生物で人と直接合わないのは本来の生活様式ではない。会食は一人の食事よりおいしく感じるが、孤食でも鏡を置くだけで美味しく感じられることが研究で明らかになっている。
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鏡の自分が他者になるほど人は「他者との関わりを欲している」。
社会が高齢者を包摂し、共生していく状況を熟成する必要があると12月号は結んでいます。
「鏡」に加えて意識しながらの「独り喋り」、結構楽しそうで良いかも知れない。