2015年9月29日(火)
「宮司さん、拝殿上の懸魚(げぎょ)の彫り物にはどんな意味があるんですか」と私。
「あれは勝手に大工が彫ったんだ。何も意味はありませんよ」と、つっけんどんな宮司さん。
それを聞いて私は、日本の歴史、文化が根底から崩壊していると感じた次第でした。
定年退職するまで、どんな組織でどんな偉いと言われた立場に居られたのか・・。
その思い上がりが、定年後に縁あってその神社の神主となってもそのまま神社創建と先人の願いも知らずに
「俺は偉いんだ!」と言う態度。 恥ずかしい、みっともないと他人に思われていることも知らずに・・・。
「俺はここの神主だ!」と。
神社やお寺の懸魚や柱や梁の飾りには、キッチリと先人達の教えと願いが込められています。
この国の礎を築かれたモーセを瓢箪で、 イエス・キリストをハートで先人達は表現しています。
イエス様の陵墓には隣接してハートの丘も造営されていましたね。
瓢箪は宝珠の意味をも持たせていると思っています。
由緒ある社寺では必ず見つけることができます。