東日本大震災から4年。4年前のあの時は高校の先輩とOB、知人のあいさつまわりをし、遅い昼食を高崎市内のスパゲティー屋さんでいただいていた。半端ではない大きな揺れが長く続いて、外に飛び出したのだった。
後援会事務所は直後に閉めて高崎市役所を訪ね災害の情報収集を行いながら、ものすごい津波が東北地方沿岸部を襲っている映像をテレビで呆然と見ていた。
しかし、その時は福島第一原発(イチエフ)が日本を潰してしまうかのような危機的状況に陥ろうとしていることは全く想像できなかった。
翌朝の12日くらいからイチエフが危機的状況にあることが明らかになり、ついにイチエフが爆発し日本中が放射能汚染される危機となった。
私の市民運動の師の1人だった故高木仁三郎さんの「原発という技術は、人間が制御不能なもの」という言葉が頭をよぎった。
あれから4年、福島第一原発の恐るべき現実は何も変わっていない。それどころか依然として事故の原因は全く明らかになっていないのに、原発再稼働や再生エネルギー推進の国の方針は後退し続けている。
3.11以降は、私は理想主義者ではなく現実主義者たらんとしてきた。福島第一原発事故の放射能は「完全にコントロールされていない」ことこそが現実である。この放射能の現実を直視すれば、脱原発こそが現実であることが一目瞭然である。
脱原発は人類と世界に向けた責任である。私もその責任があるこそ、脱原発のために行動していきたい。
昨日は県議会、あいさつまわり。
後援会事務所は直後に閉めて高崎市役所を訪ね災害の情報収集を行いながら、ものすごい津波が東北地方沿岸部を襲っている映像をテレビで呆然と見ていた。
しかし、その時は福島第一原発(イチエフ)が日本を潰してしまうかのような危機的状況に陥ろうとしていることは全く想像できなかった。
翌朝の12日くらいからイチエフが危機的状況にあることが明らかになり、ついにイチエフが爆発し日本中が放射能汚染される危機となった。
私の市民運動の師の1人だった故高木仁三郎さんの「原発という技術は、人間が制御不能なもの」という言葉が頭をよぎった。
あれから4年、福島第一原発の恐るべき現実は何も変わっていない。それどころか依然として事故の原因は全く明らかになっていないのに、原発再稼働や再生エネルギー推進の国の方針は後退し続けている。
3.11以降は、私は理想主義者ではなく現実主義者たらんとしてきた。福島第一原発事故の放射能は「完全にコントロールされていない」ことこそが現実である。この放射能の現実を直視すれば、脱原発こそが現実であることが一目瞭然である。
脱原発は人類と世界に向けた責任である。私もその責任があるこそ、脱原発のために行動していきたい。
昨日は県議会、あいさつまわり。