プロ野球の名監督にして名選手だった野村克也氏。苦労人で努力家であった野村氏の言葉だからこそ「ズン」とくるものがあります。
「他人が下した評価こそ正しい」
まさに、今こそ私が噛みしめなければならない言葉である。「自分はすごく頑張っている」「こんなに大きな成果をあげた」と、心のどこかで思っていないか自問自答すれば答えは「Yes」である。だから「甘い」のである。
県議選まで、あと40日だ。心の隙と甘さが敗北につながる。
先日、とある労働界の大先輩からズバリ指摘された私の「甘さ」を「ノムラの教え」を読みながら噛みしめています。大先輩のありがたい言葉を必ず「力」にしていきます。
私自身に贈る言葉「他人が下した評価こそ正しい」。
[ 人間という生き物は、自己愛で生きている。誰しも自分がいちばんかわいい。したがって、自分に対する評価はどうしても甘くなりがちだ。「自分はすごくがんばっている」「こんなに大きな成果をあげた」と自分をほめてやりたくなる。
けれども、他人もそう思ってくれなければ、それはたんなる自己満足にしかならない。言い換えれば、人間の価値は他人が決めるのである。他人の評価こそが正しいのだ。
自分の評価が正しいと信じ込んでしまえば、自分を甘やかし、低いレベルでの妥協を生む。評価されない原因を「見る目がないあいつが悪い」と、自分ではなく他人に求めるようになる。それではひがみ根性だけが増大し、何の成長ももたらさない。
そうならないためには、評価は他人がするものだと肝に銘じるとともに、「自分はまだまだ」とつねに自戒することだ。そうすれば、おのずと他人の評価も上がるはずである。]
昨日は、県議会、あいさつまわり。
「他人が下した評価こそ正しい」
まさに、今こそ私が噛みしめなければならない言葉である。「自分はすごく頑張っている」「こんなに大きな成果をあげた」と、心のどこかで思っていないか自問自答すれば答えは「Yes」である。だから「甘い」のである。
県議選まで、あと40日だ。心の隙と甘さが敗北につながる。
先日、とある労働界の大先輩からズバリ指摘された私の「甘さ」を「ノムラの教え」を読みながら噛みしめています。大先輩のありがたい言葉を必ず「力」にしていきます。
私自身に贈る言葉「他人が下した評価こそ正しい」。
[ 人間という生き物は、自己愛で生きている。誰しも自分がいちばんかわいい。したがって、自分に対する評価はどうしても甘くなりがちだ。「自分はすごくがんばっている」「こんなに大きな成果をあげた」と自分をほめてやりたくなる。
けれども、他人もそう思ってくれなければ、それはたんなる自己満足にしかならない。言い換えれば、人間の価値は他人が決めるのである。他人の評価こそが正しいのだ。
自分の評価が正しいと信じ込んでしまえば、自分を甘やかし、低いレベルでの妥協を生む。評価されない原因を「見る目がないあいつが悪い」と、自分ではなく他人に求めるようになる。それではひがみ根性だけが増大し、何の成長ももたらさない。
そうならないためには、評価は他人がするものだと肝に銘じるとともに、「自分はまだまだ」とつねに自戒することだ。そうすれば、おのずと他人の評価も上がるはずである。]
昨日は、県議会、あいさつまわり。