「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

新鮮さはそれだけで人を惑わせる

2021年06月29日 | オーディオ談義

日頃読んでいただいている読者ならご承知の通り、スピーカーをとっかえひっかえしているオーディオ三昧の毎日だが、実際のところ当たりの確率といえば「1/10」くらいですかね。

言い換えると、「良くもない悪くもない」という「普通の音」が9割というわけ。

ブログでは毎回「素晴らしい音」が出たかのように記載しているがそれは当初だけで1~2週間じっくり聴き込むと何かしら欠点が鼻についてきて「普通の音」に成り下がってしまう。

これはスピーカーに限らず押しなべてオーディオ機器はそういうところがある。

いや、オーディオに限らず「人間世界」だってそう。自分だって欠点があるのにね~(笑)。


つまり、「新鮮さはそれだけで人を惑わせる」ということが言いたいわけだが、今回は珍しく1/10に該当する本格的な「当たり」が出たので報告させてもらおう。

つい先日のブログ「ジャズ愛好家から所望があったオーディオ機器」の中で、「075ツィーター」(JBL)と並んで、興味を持っていただいたのが「トライアクショム」(グッドマン)。



口径30センチの同軸3ウェイで、まず滅多にオークションでも見かけない古典派ユニットの逸品である。

実を言うと、我が家ではまだうまく鳴らし切れていないユニットである。どうしても中高音域が優って低音域がついてこない感じといえばいいのかな。

もっと音の重心を下げたいのだが、フルレンジ方式なので2台のアンプを使うわけにもいかないし~。

そこで、ジャズ愛好家からご所望があったことでもあり再び欲が出て今度はまったく違う視点からトライしてみる気になった。

以前「AXIOM80」(オリジナル)を容れていた「自作の箱」(板厚1.5cm)を活用しようという算段である。

それも思い切った手段で勝負してみた。



「トライアクショム」を300ヘルあたりでハイカット(コイル:6.8mH)し、その上に「175ドライバー」(JBL)を1500ヘルツあたりでローカット(オイルコンデンサー:12μF)するという荒療治である。

おそらく世界中でも類を見ない組み合わせだろう。

ん!?

「お前のポリシーだった200から4000ヘルツまではマグネットの違うユニットを混ぜ合わせない」というのはどうした?

さらには「金属のダイアフラム+ホーンでは弦楽器がうまく鳴らない」というのはどうした?

また「宗旨替え」かと怒鳴られそうだ。

ま、「非常事態の前ではそんな悠長なことは言ってられない」と申し上げておこう。

ほら、「論語」に「君子豹変す」という言葉があるでしょうが(笑)。

とにかくこれで信じられないほど「いい音」が出たんですよねえ。

「トライアクショム」のコーン紙がメチャ軽いため、低音がそれはもう小気味よく弾んでくるのには参った!

ポピュラー「オンリー・イェスタデイ」(カーペンターズ)の冒頭のバスドラムが「カツン、カツン」と理想的な弾み方で迫ってきた!

以前に聴かせてもらった福岡の「S」さん宅の「モニター・シルヴァー」(タンノイ)を彷彿とさせてくれるような透明感のある低音だ。

そして、「175ドライバー」の水も滴るようなヴァイオリンの響きにもウットリ。世の中には例外がいくらでもあるんですねえ(笑)。

ちなみに、「175」を駆動するアンプは、出力管が71系の「171(トリタン・フィラメント)シングル」アンプである。前段管は「A411」(バリウム昇華型フィラメント)。

古き良き時代の真空管は「フィラメント」に凝ってますよ~。



あのJBLの冷たい素っ気なさがみるみる影を潜めてクラシック向きの穏やかな暖かい音になるのがいかにも不思議。

それにしてもよくもこんな「ずぼら」なネットワークで鳴るもんだと感じ入った。

ハイカットが300ヘルツ(ー6db/oct)、ローカットが1500ヘルツということから、「300ヘルツの2倍=600ヘルツ」まで「ー6db」の減衰カーブ、そして「1500ヘルツの1/2=750ヘルツ」まで「-6db」の減衰カーブのお互いが丁度折よく馴染んだのだろう。

もちろん、2台のパワーアンプ側のボリューム調整が必要だが、あまりにも気に入ったサウンドが出たため、この1週間ほどこのスピーカーにかかりっきりで、ほかのスピーカーを聴く気がしない。

いや、今度こそ「ほんとの当たり」だってば~(笑)。



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二回目のワクチン接種

2021年06月28日 | 独り言

1回目のワクチン接種が1か月前の5月29日(土)だった。

2回目が一昨日の6月26日(土)だったので、午前中に同じクリニックで打ってもらった。

ワクチン接種については副作用の問題などもあって賛否両論だが、何しろ「上皇ご夫妻」でさえ受けておられるんですからねえ。日本最高レベルの医師団の判断だから尊重しない手はない。

さて、その副作用だが前日までに知人から2回目は「39度4分」の熱が出たなどと、脅されていたので「1回目は何も副作用がなかったのですが、2回目となると発熱とかあるみたいですね。前もって薬をいただけませんか?」と問診のときに言ってみた。

「それがですね、予防的な薬は処方できないようになってるんですよ。」と、医師。

「あッ、それなら現在わき腹の筋肉を傷めているので痛み止めと熱冷ましを兼ねた薬がありませんか」

「ハイ、ありますよ」というわけで「カロナール錠」という薬を処方してもらった。これでひと安心。

午後になって県外に居る娘から電話があって「お父さん、何ともなかった?」「ああ、今のところ大丈夫そうだ。全然普段と変わらんよ、問題は夜だな」

その心配した夜も別に発熱もなく平熱だったので、まあこれでいんでしょう。実は少しくらい反応があった方が効き目が実感できる気もするのだが・・(笑)。

ところが、翌27日(日)の昼食後から何だか倦怠感がしてきて身体が熱っぽい感じ。体温計で測ってみると「36度8分」だった。平熱がいつも36度前後なのでやや高めだが騒ぐほどのこともあるまいと「泰然自若」。

そういう中に地元の別府市の図書館から電話がかかってきた。

「貸し出し期限を過ぎた図書が5冊あります。そのうちの1冊に予約が入ってますので返却願います」

「ああっ、どうも済みませ~ん。今日は何時まで開いてますかね」「5時までです」「それまでには絶対伺います~」

というわけで、返却ついでに5冊借りてきた。



ミステリーを中心に新刊が4冊。残る1冊は既刊で「どこか古典派」(中村紘子著)。

中村紘子さんといえば才色兼備の国際的に活躍されたピアニストだったが、5年ほど前に「大腸がん」で亡くなられた。享年72歳とまだ若かったので痛々しい。

ブログで紹介できるような「音楽話」が書かれているといいのだが。



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名品を生む時代背景

2021年06月27日 | オーディオ談義

日常的にブログをやってると、後になって「しまった、あんなことを書かねばよかったのに」と、後悔することがときどきある。

たとえば、ずっと以前に登載した中に我が家の音を「空前絶後の音」なんて表現を使ってしまい、今となってみるとまさに赤面ものである。


部屋の広さが限られている家庭オーディオで「空前絶後の音なんてあってたまるか」。

とはいえ、何もプロの作家ではないんだし、読者もそれほどのハイレベルの表現を期待していないだろうし~、ま、いっか(笑)。

さて、ときどき投稿する「オークション情報」の中で、古典管や高名なトランスの価格高騰に触れたことをご記憶だろうか。

オーディオ人口が減少しているとはいえ、まだまだ熱心な層があるようで心強くなるが、なぜそういう優れた希少品を現代において再生産できないのだろうか。現代の科学技術をもってすれば不可能とも思えないのだが。

たとえば、いつぞやのこと「WE300Bシングルアンプ」の前段管を「71A」から「171」(1920年前後の製造:トリタンフィラメント)に取り換えて試聴したときにオーディオ仲間がつくづく述懐した。
      

「透明感、一音一音のクリヤーさ、音の粒立ち。素晴らしいですね。たかが前段管如きでこんなに音が変わるもんですか。どうして現代ではこういう真空管を作れないんでしょう?」

「まったくそうなんですよねえ」と、同感の至りだったが、
まず、黄金の1920年代とされる当時のアメリカを覗いてみよう。ネットから引用させてもらうと、

「第一次世界大戦の特需にアメリカは大いに沸いた。アメリカ経済は空前の大繁栄をとげ、戦前の債務国から世界最大の債権国に発展した。世界経済の中心はロンドンからニューヨークのウォール街に移った。大衆の生活は大量生産・大量消費の生活様式が確立する。

一般には<黄金の20年代>と呼ばれ自家用車やラジオ、洗濯機、冷蔵庫等の家電製品が普及した。1920年には女性への参政権が与えられるようになった。

ベーブルースによる野球人気やチャップリンの映画、黒人音楽のジャズなどのアメリカ的な文化が開花する礎となった。一方で1919年に制定された禁酒法によってアル・カポネなどのギャングが夜の帝王として街を支配するようになった。」
と、ある。


1929年になるとあの有名な「大恐慌」が起きるので「うたかたの夢」だったろうが、アメリカにとっては現代のようにテロや暴動の不安もないし「1920年代」が一番良き時代だったのかもしれない。

そして、当時の活況を呈した時代において家電製品のキーデバイスとなるのが真空管だった。

したがって、その需要に応じて雨後の竹の子のように製造メーカーが乱立し、激しく覇を競った事は想像に難くない。良質の製品はこういう厳しい競争の中から生まれていくのだろう。


そしていい製品を作るメーカーほど、採算に合わなくなって廃業、統合に追い込まれていく例が多いのが古今東西のオーディオ業界の悲しい現実である。

なお、当時の真空管を作る材料は今ほど規制が厳しくなかったので、現代では使用禁止となる「放射性物質」などが含まれたものを拘りなく使用できたらしい。いい製品が出来た理由としてこれも一因のようだ。

真空管のフィラメントをはじめ、トランスのコアにしろ結局はどういう「材料」を使っているかに行きつく。

そして大量生産に移行すると材料の品質を落としてコストを追求し、音質は劣化の一途をたどっていく。お決まりのコースである(笑)。


最後に、現在一番切望するのは「AXIOM80」(口径25cm)の現代版として口径30cmあたりで、何とか同じツクリで再生産できないものだろうか。

もし完成すると「音楽人口」と「オーディオ人口」が増加するとともに社会に豊かな潤いをもたらしてくれると思うのだが。

オーディオに理解のある「IT長者」あたりが道楽の積りでやってくれないかな~(笑)。



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ジャズ愛好家から所望があったオーディオ機器

2021年06月26日 | オーディオ談義

一昨日(24日)のブログ「生前予約が舞い込んだSPユニット」は「アクセス」が多くて久しぶりの快ヒットとなった。

ブログを15年以上続けているとマンネリ化が避けられないので、手を変え品を変えあれこれ目先を変えているが、自分の頭の訓練が一番の目的なので読者の「受け」なんて「二の次」にしても、それでもやはりいいことには違いない(笑)。

そこで調子に乗ってこの話題を引き継ぐとしよう。

実は、SPユニット「AXIOM80」のほかにも予約が舞い込んだ機器が二つある。

ある熱烈なジャズ愛好家の方から申し込みを受けたのがJBLの「075」ツィーターとグッドマンの「トライアクショム」だ。

さすがに「オーディオの大家」だけあって目の付け所が鋭い!(笑)

両者ともまず「オークション」では滅多に見かけることがない機器である。

まず「075」ツィーターから紹介しよう。



本体の中身はありふれた「075」(8Ω)だが、包み込む形での金属のホーンが凝っていて、ステンレスの削り出しなので重量がメチャ重い。
何しろ手間がかかっているしお値段も高かった。

「AXIOM80」(オリジナル)相当額だったが、そんなことはどうでもいいが(笑)、音がとにかく素晴らしい。

「075」特有の粗けずりの響きが、まるで借りてきた猫のようにおとなしくなって、浸透力のある上品な高音へ豹変する。

「シンバル」を聴くにはもってこいのツィーターである。

使い出してから20年ぐらいなるだろうか。

当時お付き合いのあったオーディオ愛好家から「能率が110dbと高いので低出力の真空管アンプでもカバーできるし、とても使いやすいツィーターですよ。」とのことだったが、そのとおりだった。

「ツィーター」には随分凝った時期があって、いつぞやのブログで紹介したとおりいろいろ買いそろえた。


低音対策ほどには大がかりにはならないし、お金がかからないので助かる(笑)。

ちなみに、本格的に家庭で音楽を楽しもうと思ったら低音域から高音域まで一切手を抜けないわけだが、分かりやすいように「音響」を「色彩」にたとえてみよう。

音響の場合、低音域は波長(波の高点と高点との距離)が長く、一方、高音域は波長が短いのは周知のとおりだが、色彩だって「可視光線」のもとで波長の概念を当てはめてみると、長い順に<赤~オレンジ~緑~青~紫>の順番になる。

ちなみに赤外線は波長が長すぎて、そして紫外線は波長が短すぎて目には見えない。

そういうわけで、こじつけると低音域は赤色のイメージとなり、中音域は緑色、高音域は紫色のイメージとなる。

「低音域 → 赤色・オレンジ色 → 暖かい」 VS 「中高音域 → 青色や紫色 → クール」という印象を受けるし、オーディオも低音域が豊かだと暖かい気分になり、高音域が優った音はクールな気分になるのもそれだ。中音域が張り出すと緑色に該当するので何となく安心感がある。

そして自分はといえば「クール志向」なので、とにもかくにも高音域がすっきり伸びてくれないと音楽を聴けない性分だ。もちろん低音も大事だけど高音ほどではない積り~。

最後に、所望があった残るもう一つの機器「トライアクショム」については長くなるので稿を改めるとしよう。



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「昔は良かった」症候群~ヴァイオリニスト編~

2021年06月25日 | 音楽談義

人生も晩年になると好きな作曲家がくっきりと色分けされてくる。

バッハはとかく「線香臭い」し、ベートーヴェンの作品はどこか「押しつけがましい」ところがある。他の作曲家たちも推して知るべし(笑)。

というわけで、モーツァルト以外の作品は敬遠する一方だが、それでもやはり例外があってどうしても聴きたくなる作品がある。

それはベートーヴェンの「大公トリオ」(OP.97)!



収録は1958年、演奏者は「ダヴィド・オイストラフ」(ヴァイオリン)、「レフ・オボーリン」(ピアノ)、「スヴャトラフ・クヌセヴィッキー」(チェロ)
          
モーツァルトの音楽はまず「美」の方が先に立つが、べートーべンの音楽は人間の魂を根元から揺さぶってくるようなところがある。この盤はそういう表現にピッタリである。

そして「田園」と同じく押しつけがましいところがない。


大公トリオはあの第7交響曲の少し前にあたる1811年に楽聖が敬愛する守護者ルドルフ大公に献呈した作品で、人気・内容ともにピアノ三重奏曲の最高傑作の一つとして君臨している。

作曲者本人にとっても大変な自信作だったようで初演では自らが演奏し(公開の場では最後となった)、ピアノ・トリオとしては限界を極めた作品として以後このジャンルの作曲は手がけていない。あのピアノ単独の表現の限界を極めた最後のピアノソナタOp111と似たような立場の作品である。

有名な曲なのでそれこそいろんなグループが演奏を手がけているが、じぶんが一番好きなのはオイストラフ・トリオである。ずっと以前からレコード盤として愛聴していたのだがCDの時代となり24bitのリマスタリングとして新たに発売されたので早速購入した。

ピアノ・トリオの場合どうしてもピアノの音量や響きの豊かさが目立ち過ぎて他の二つの弦楽器を圧倒する傾向にあるが、この盤は音楽的な重心がヴァイオリンにあり、トリオの間に交わされる押したり引いたりする楽器同士の呼吸がピッタリ合っているところが気に入っている。

ずっと昔、敬愛していたオーディオ評論家の瀬川冬樹氏(故人)が大公トリオを鑑賞中に感激のあまりウーンと頭を抱えて座りこまれたという記事を見た記憶があるがおそらく第3楽章(アンダンテ・カンタービレ)のところではないだろうか。

ベートーベンのアンダンテは定評があるが、この第3楽章になると、いつも心が洗われる思いがする。ベートーベンの言う「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」とはこのことを指すのだろう。

この盤は宝物だが、どんな名曲でも耳に慣れてしまうと曲趣が薄れるのであえて滅多に聴かないようにしている。

なお、ヴァイオリン演奏のオイストラフは「20世紀のバイオリン演奏史は究極のところオイストラフとハイフェッツによって代表される」(ヴァイオリニスト33:渡辺和彦著、河出書房新社)といわれるほどの名手である。

たしかにオイストラフに慣れ親しむと、もう他のヴァイオリニストでは満足出来なくなるケースが多く、その魅力についてはとても語り尽くせない。

「オイストラフの演奏はどの演奏も破綻が無く確実に90点以上」(同書)といわれているが、コンクールでそのオイストラフを打ち負かして優勝したのが飛行機事故で急逝した「ジネット・ヌヴー」である。

昔のヴァイオリニストたちは凄かった!

まあ「昔は良かった症候群」かもしれないが(笑)。



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「生前予約」が舞い込んだSPユニット

2021年06月24日 | オーディオ談義

つい先日のブログ記事「父の日、雑感」で触れた「オーディオ機器の後始末」について。

没後のことは基本的には「野となれ、山となれ」だが、「欲しい機器があれば早い者勝ちですよ」と記載していたところすぐに「生前予約」が舞い込んだ(笑)。

やっぱりというか「AXIOM80」(オリジナル版)がそれで、改めて圧倒的な人気の高さを確認した。

マンションオーディオ向きの手ごろな大きさなのも一因かもしれない~。

近年のオークションを見ていると「オートグラフ」などの大型スピーカーは軒並み討死で価格が一向に伸びない。何しろデカすぎる(笑)。

いずれにしろ、AXIOM80については数々の伝説に彩られており「このユニットを手に入れたら人生が狂う」とまで称された逸品である。

一説によると「潜水艦のソナー探知」用に開発されたともいわれるほど、音声信号に対する反応が鋭敏で繊細である。そもそもユニットのツクリがまるっきり違うので他のスピーカーの及ぶところではない。

「人生が狂う」のは、おそらく二つの意味があると思っている。

一つは、あまりの音の良さに酔い痴れて家業がおろそかになる。

もう一つは、もっといい音が出るんじゃないかとの欲望が脳裡にくっついて離れてくれない。

我が家でも20年近くあれこれ苦労しているがいまだに道半ばの思いである。

相性のいい真空管アンプの選択が必須だし、そしてユニット本体を容れる箱・・。

アンプはどうにでもなりそうだが、問題はやっぱり箱の選択に落ち着いてしまう。

このところ、つくづく思うのは、薄い板(1.2~1.5cm)を使って大きな箱を作ってみたい。

寸法はせめて縦が2m、横が1.5m、奥行きが1mくらい。これより一回り大きくても何ら差支えない。もちろんARU(背圧調整器)付きである。

これだと、課題の中低音域の「ふっくら感」が出てくれそうな感じがする。やってみなくちゃ分からんが・・・。

材料代ともなると「ホームセンター」で買えばせいぜい2万円以内で収まるだろうし、ヤル気になれば作業の方も塗装も入れて4~5日もあれば十分だが、何しろ置き場所がねえ(笑)。

こうなるとウェストミンスター(改)が大いに邪魔になる・・。あちら立てれば、こちら立たず~。

やっぱり「夢」に終わってしまうのかなあ(笑)。



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クラリネットの誘惑

2021年06月23日 | 音楽談義

その昔、「ジャック・ランスロ」というクラリネット奏者がいた。

新聞の三面記事の下の方にちょっとした死亡欄があって次のような記事を切り抜いて保存している。

ジャック・ランスロさん(仏のクラリネット奏者)
7日、心不全で死去、88歳。

フルート奏者の故ジャン・ピエール・ランパル氏と並び、フランスの管楽器界を代表する存在だった。浜中浩一、横川晴児両氏をはじめ、日本でも多くの後進を育成。楽器の改良にも貢献した。


享年88歳とはなかなかの長寿を全うしたことになる。世界に誇る日本人男性の平均寿命でさえ81歳なんだから。

「管楽器奏者は肺活量がモノをいうので若い頃からその辺を鍛えていたのが長生きの原因ではないか」というのが自分の憶測。


名著「西方の音」(五味康祐著)に、フランス人に管楽器の名手が多いのはフランス語の発音(唇や舌の使い方)が管楽器の演奏にマッチしていて幼児の頃から訓練されているからなんて記載があったのをふと思い出した。

そういえばポピュラー音楽のジャンルに入るが、トランペット奏者の「ジャン・クロード・ボレリー」もフランス人。

さて、ランスロといえばモーツァルトの「クラリネット協奏曲」(K622)が有名で、これは同じフランス出身のフルート奏者ランパルの「フルートとハープのための協奏曲」(K299)とカップリングになっているCD盤がある。

                        
             
ただし演奏曲目としては「フルートと・・・」の方が有名で、これは昔から極め付きの名曲、名演(ランパル~ハープのラスキーヌ~パイヤール指揮)とされていて、モーツァルト・ファンでこのCDを持っていない人はモグリであると断言しても差し支えないほど。

作品の方は旅先での母親の死という悲運に見舞われたパリ時代(二度目)の22歳のときのもので、ある貴族とその娘さんが共演するための曲目として作曲を依頼されたもので典雅で叙情的な旋律、とりわけ第二楽章は筆舌に尽くしがたいほどの美しい調べ。

さて、肝心のランスロによるクラリネット協奏曲の方だがこれもいい演奏だとは思うが、ひと昔前はレオポルト・ウラッハ(ウィーン)の演奏したものが極上とされていた。しかし、惜しいことに録音年次が古くてこれはモノラル録音。

両方の演奏ともにずっと以前に購入して既に聴いてそれなりの感想を持ってはいるのだが、その頃とは随分とオーディオ装置も変わったことだしと久しぶりに聴き比べてみた。

クラリネットは柔らかく甘美な響きを持ち、聴き手をほのぼのとした気分に誘い込みながら自然と森の情景の詩人にしてしまう不思議な楽器である。

                        

            

左が「クラリネット協奏曲、右が「クラリネット五重奏曲」。

やはり当時聴いたときと同じ印象で音質(録音)は劣るものの晩年のモーツァルトの内面的な渋さ、あのオペラ「魔笛」にも共通した「うら淋しさ」と「透明感」を求めるとなるとウラッハに一日の長があるように思う。

特に第二楽章のアダージョの深く精神的な味わいは「モーツァルトが死の近いことを予感しつつ作曲した辞世の歌」とされているが、いたずらに感傷に流されることなくふくよかでゆったりとしたクラリネットの音色が自然に拡がっていくのはウラッハならではの枯淡の境地。

ウラッハ以後のクラリネット奏者では、ランスロも含めてプリンツ、ライスター、シュミードルなどの名手がいるが個人的にはちょっと物足りない。

近年ではどういうアーティストがいるんだろうかと思って手持ちの「ウィーンフィル・ベルリンフィル最新パーフェクトガイド」(音楽の友社刊)をひも解いてみると、
現在はウィーン・フィルの首席が当年とって34歳の気鋭ダニエル・オッテンザマーで、ブルリンフィルではヴェンツェル・フックスだ。

両者とも、新たにCDを購入するほどのこともないと思うので「NHKの音楽館」(Eテレ)や早朝の「BSプレミアム」が頼りだけど、おそらく登板は望み薄でしょうね(笑)。



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オーディオで一番楽しいのは

2021年06月22日 | オーディオ談義

鬱陶しい梅雨時の気分を追い払いたいとの出来心で取り掛かった「JBL」ユニットの導入だったが、意外な展開をみせてようやく「ジ・エンド」へ。

振り返ってみよう。

JBLのおかげで「低音域担当」からめでたく「フルレンジ」へ昇格となったのがワーフェデールの「スーパー10」(口径25センチ)。

うまく既成のエンクロージャーに収まった。



当初から、どこといって不満の無いサウンドであらゆる音楽ソースをこなす万能選手、「これは参ったなあ!」とばかり、丸1日心ゆくまで楽しんだが、そのうちやっぱりいつものように欲が出てきた。

本格的な低音は無理としても、もっと中低音域に「ふっくら感」があるといいんだけどねえ・・。

原因ははっきりしている。

画像をご覧の通り、SPボックスの板厚が4cmもあって響き(木の共鳴音)があまり良くない。

そもそもイギリス系のユニットはエンクロージャーの響きをうまく活用するように作られている。

たとえば、ずっと以前のブログ「スピーカーボックスによる板厚の違い」は今でも過去ブログでたびたび登場するほどの人気記事だが、AXIOM80について2台の箱で実験したことがある。


左側が自作の箱(板厚1.5cm)、右側が前述の「板厚4cm」の箱だが、圧倒的に自作の箱の方の響きが良かった。

居合わせた仲間も納得だったが、板厚による音の違いはメチャ大きい。我が家がSPボックスの自作に拘る所以である。

というわけで、「AXIOM80」(オリジナル)が入っている自作のボックスにもし「スーパー10」を入れたらどういう音が出るんだろう・・・。

いったん思いつくともう止まらない(笑)。



思い切って、我が家の至宝「AXIOM80」を取り外して(いつでもすぐに復帰できるようにしている)、「スーパー10」を取り付けた。

ワクワクしながら耳を傾けてみると、「AXIOM80よりも上かもしれないね、このサウンドは!」

自己陶酔は「はしたない」のでこの辺で止めておこう(笑)。

オーディオで一番楽しいのは間違いなく「スピーカー弄り」に尽きますね。なぜなら根本的なサウンドの変化が期待できるから。

繰り返すようだが、定評のあるアンプを使っても思い通りのサウンドが出ないときのスピーカー側の原因は「ユニット」と「箱」の責任が半分づつあると思えるほど「箱」の役割は大きい。特に「板厚」!

言い換えると、箱を改造あるいは自作しないと思い通りのサウンドは手に入らないというのが今回の実験、いや50年近い経験を通じて得られた我が家の教訓です。

とはいえ「どうしても自分の気に入った音で好きな音楽を聴きたい」という熱意に裏打ちされた旺盛な「チャレンジ精神」が必要ですよ!

それに手間の方が滅相もないほどかかるので明らかに「素(す)隠居」向きですね、これは。

ちなみに「隠居」にも二種類あって「楽隠居」(お金持ち)と「素隠居」(貧乏人)とがありますから念のため~(笑)。



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「父の日」雑感

2021年06月20日 | 独り言

今日は6月の第3日曜日(20日)。

周知のとおり「父の日」だが、県外に居る一人娘から昨日プレゼントが届いた。

一昨年(2019年)は「晴雨兼用の日傘」、そして昨年は「クールタオル」だったが、
今年は何を送ってくれるのかと思っていたら「マンゴー」だった。



健康でさえいてくれたらそれが何よりの贈り物だが、やはりうれしい。

見解の相違で時折り言い争いをすることもあるのだが「フン、偉そうに言うけど俺がいないとお前はそもそもこの世に存在してないんだからな」が決め台詞になっていつも一件落着~。

すべて「上から目線」でいけるのは娘だけである(笑)。

唯一の不満はオーディオにまったく興味がないこと。

したがって、時折り脳裡に浮かぶのが没後のオーディオ機器の後始末。

さて、どうしたものか・・。まあ、基本的には「野となれ、山となれ」ですかなあ。

まあ、大袈裟に騒ぐほど大した機器も無いし(笑)。

ここで、ふと思い出したのがオーディオの先達だった「五味康祐」さんの名著「西方の音」に書いてあった話。

名器や名盤ともなると、所有者が亡くなるのを周囲の愛好家がじっと息を殺して待つというのがあった。亡くなったときにすぐに駆け付けて、かっぱらってくるそうだ。

まことに物騒な話だが、名品というものはそれほどの執念をもって代々育まれていくというのがオチだった。

さしずめ、我が家で少しぐらい該当する機器といえば、

「AXIOM80」の「オリジナル版」と「復刻版」、入力トランスとインターステージトランスに凝ったものを使っている「WE300Bシングルアンプ」(銅板シャーシ)、奥の深い低音を出してくれるエンクロージャー「ウェストミンスター」(改)、そして「エルガー プラス」(英国dCS)くらいかな。他には貴重かつ希少な古典管が少々。

おっと「PP5/400=PX25」(英国マツダ:最初期版)を忘れるところだった。

いずれにしてもブログの搭載が2週間以上途絶えたときがチャンスです。死線をさまようような重病でヤル気を失くしているか、あるいは「くたばった」ときですからね。

もし狙っている方がいるとすればすぐにメールください。早い者勝ちです。

娘にもよ~く言い聞かせておきますからね(笑)。



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一転、二転、三転の「迷走劇」~中編~

2021年06月19日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

鬱陶しい梅雨時の気分を一掃したいという軽い「のり」から始まったシステム弄りだが、これが思いもかけない方向へ。

経緯を追ってみよう。

まずは、せっかく取り付けたJBLシステムから「弦楽器をこなせるサウンド」を何としても出さなければという願いを込めてアンプの候補を3台選択した。



左側から「KT88プッシュプル」、「PX25シングル」、「WE300Bシングル」。

KT88は細身の「D123」を想像以上に豊かな音で鳴らしてくれたが、プリアンプとの相性次第で音が荒れ気味になるのが難点。

PX25はさすがに落ち着いた音を出してくれた。前段管をいろいろ試してみたがベストだったのは、比較的「μ」(ミュー=増幅度)の高い「3A/110B」(STC)で、弦楽器を品良く鳴らしてくれた。

WE300Bは優等生そのもので端正な音の一言に尽きる。しかし、あまりに無難過ぎてマニアとしてはあまり面白くない(笑)。

というわけで、「PX25」アンプに決定して鳴らし込んでいるうちに、どうもしっくりこない。段々と不満が溜まってきた。

音がやたらに前に出てくるのだ。「D123」のコーン紙のカーブが浅いせいかな。こういう音はジャズにはもってこいなんだけど・・・。

クラシックは左右両方のスピーカーの後方にステージ(舞台)が(感覚的に)出来上がらないと聴けない音楽である。少なくとも我が家では・・。

やはりJBLのコーン型ユニットでは無理そう・・。

あっさり見切りをつけた。これが第一の転進。

「D123」を有効活用するとなると低音域専用に使うしかないが、目を付けたのが「スーパー10+AXIOM80」のコンビだ。



この下側のユニットを「D123」(100ヘルツ以下を担当)に変更しようという算段である。

さあ、バッフルを取り外して「穴の口径を30センチ用」に拡大する難工事の始まり~。

お金は無いけど時間ならたっぷりある(笑)。

ようやく半日がかりで完成した。



下側の「D123」(JBL)は、コイルによってハイカット(100ヘルツ)している。つまり100ヘルツ以下の低音域が受け持ち範囲。

とはいえ、アンプのボリュームを上げ過ぎると中高音域に被ってきてサウンドが団子状態になるし、下げ過ぎると量感が物足りなくなるのでバランス感覚が重要。

むしろ、少し低音域が足りないくらいが丁度いい塩梅に。

これで「第二の転進」が一段落。

となると、弾き出されたワーフェデールの「スーパー10」(口径25センチ)をどこに持って行こうか。この重量級の赤帯マグネットを有したユニットを「フルレンジ」としてぜひ有効活用したい。



となると、もう「D123」が入っていた箱しかない。

これが「第三の転進」。

そして、想像以上の展開が待ち受けていた。

以下、続く。



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一転、二転、三転の「迷走劇」~前編~

2021年06月18日 | オーディオ談義

たしか昨年(2020年)の「梅雨どき」も同じようなことをブログに登載した覚えがある。

つまり、雨や曇りが続く梅雨時は気分が鬱陶しくなるので、せめてオーディオくらいは「爽やかな音」が欲しくなる。

「爽やかな音=JBL」というわけで、いつものようにSPユニットの交換作業に入ったが、これがのちのち大騒動になって「一転、二転、三転の迷走劇」になろうとは、その時はまったく知る由もなかった(笑)。

我が家には5系統のスピーカーがあるが、考えてみるとすべてイギリス製である。自然とそうなった。

決して「
振るい付きたくなるような音」を出すわけでもなく、一ひねりも二ひねりもしていて、なかなかすんなりと割り切れない音だけどどこか惹き付けられるものがある。これは言葉ではうまく説明できない。

その点、JBLの音はプラス面からいえば、いかにもアメリカ人気質みたいにアッケラカンとして単純明快、気分的に明るくなるが、その一方マイナス面から言うと「思慮深さが無い」音ともいえるが、たまにはこういう音もいい。

グッドマンの「トライアクショム」からの交換は15分ほどで済んだ。



さて、入れ替えたシステムはご覧の通り「2ウェイ方式」で、「D123」(口径30cm)+「175ドライバー」の組み合わせ。

「200~4000ヘルツ」までの比較的敏感な帯域ではマグネットの違うユニットを混ぜ合わさないというのが、我が家のほんのささやかなポリシーである。なぜならクロスオーバー付近で音が濁るから~。

その点タンノイはクロス1000ヘルツだから、はなから失格だが(笑)、それはさておき今回もそれを踏襲して「~4000ヘルツ」までは「D123」を専念させ、5000ヘルツ以上は「175」と役割分担をさせた。

ただし、ネットワークは従来にない手法を試してみた。



「~4000ヘルツ」まではパイオニアの機器を使ってハイカット(ー12db/oct)する、「5000ヘルツ~」はウェスタン製のブラックタイプのコンデンサーを使ってローカット(-6db/oct)。

次の課題は「D123」用と「175用」のアンプの選択だが、「175」は「6098=6AR6」シングルで決まり。

問題は「D123」用のアンプの選択だ。



以下、続く。

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楽譜で音楽を聴く?

2021年06月16日 | 音楽談義

それほど好きな作家でもないのだが、いつも気になるのが「村上春樹」さん。

たいへんな「音楽通」なので、このブログでも音楽の話題となると度々登場していただく。


今回は「村上春樹インタビュー集」~夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです~が面白かった。1997年から2011年にかけて、19本のインタビューが紹介されている。

               

つい読み耽ってしまったが、185頁に音楽ファンにとっては実に興味のある問答が収録されている。

「20世紀の偉大な文学作品の後にまだ書くべきテーマがあるでしょうか?文学にはもはや書くべきテーマも、言うべきものごともない、という意見に同意されますか?」と、一人の外国の愛読者が発する「底意地の悪い」問いに対して村上さんはこう答えている。

「バッハとモーツァルトとベートーヴェンを持ったあとで、我々がそれ以上音楽を作曲する意味があったのか?彼らの時代以降、彼らの創り出した音楽を超えた音楽があっただろうか?それは大いなる疑問であり、ある意味では正当な疑問です。そこにはいろんな解答があることでしょう。」

卓見だと思います、さすが!(笑)

(ふと「人生はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン以外の作品を聴くにはあまりにも短すぎる」という言葉を思い出した。)

さらに続くが、長くなるので要約すると


「音楽を作曲したり物語を書いたりするのは”意味があるからやる、ないからしない”という種類のことではありません。選択の余地がなく、何があろうと人がやむにやまれずやってしまうことなのです。」とある。

文学的には、村上さんが理想とする書いてみたい小説の筆頭は「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)だ。

村上さん曰く「世の中には2種類の人間がいます。カラマーゾフの兄弟を読んだことがある人とない人です。」

それほどの小説であり、物語に必要なすべての要素が詰まっているが、以降、これ以上の文学作品は出現していない。

そのことを念頭に置いて回答しているわけだが、興味を引かれるのは音楽的な話。


「バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの3人組に対して、はたして他の作曲家の存在意義とは?」

これはクラシック音楽における永遠のテーマではないだろうか。

ほかにも「ブラームス、ワーグナー、マーラー、ブルックナーなどが居るぞ」と、いくら声高に叫んでみても結局のところ前記「三人組」の後世に及ぼした影響力と重量感にはまったく抗しようがないのも、なんだか虚しくなる事実である。


本書には、もうひとつ音楽に関して興味あることがあった。(312頁)

村上さんは映画が好きで青春時代に台本(シナリオ)を読み耽ったそうだが、それが嵩じてそのうち自分なりの映画を空想の中で組み立てていくクセがついてしまった。

それは、近代音楽の雄であるアーノルド・シェーンベルクが「音楽というのは楽譜で観念として読むものだ。実際の音は邪魔だ。」と、言っていることと、ちょっと似ているとのこと。

「実際の音は邪魔だ」とは実にユニークな言葉。


「楽譜を読みながら音楽を頭の中で想像する」ことが出来れば実にいいことに違いない。第一、それほど広くもない部屋の中で我が物顔で大きなスペースを占めているオーディオ・システムをすっかり駆逐できるのが何よりもいいし、金銭的にも大いに助かる(笑)。

文学は「行間を読む」、つまり文字という記号で行間の意味を伝える仕組みになっているが、音楽だって音符という記号で情感を伝える仕組みだから似たようなものかもしれない。

したがって、楽譜が読める音楽家がオーディオ・システムにとかく無関心なのもその辺に理由があるのかもしれないし、人間が勝手に描くイマジネーションほど華麗なものはないので、頭の中で鳴り響く音楽はきっと素晴らしいものに違いない。

これからはオーディオを排除しないまでも、できるだけ頭の中で創造しながら聴くことにしようとも思ったが、自分のような即物的な人間にはやっぱり無理そうですね
(笑)。



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プリアンプの名器「マランツ7」

2021年06月15日 | オーディオ談義

古今東西の数あるオーディオ機器のうちでデザインと性能がマッチした逸品となると極めて絞られてくるが、その中でも屈指とされているのが「マランツ7」である。

もしその存在を知らない方がいるとすれば、その方は(オーディオ界では)もぐりといっていいでしょう(笑)。

「ソウル・B・マランツ」氏(アメリカ)が個人用として使っていたプリアンプを製品化したのが「マランツ7」。

ご本人は兼デザイナーだったとかで、その機器の佇まいは今でもいっさい古びておらず「美の極致」といってもいいくらいだし、無論、音の方も外見に負けず劣らずとの評。自分はまだオリジナルの音を聴いたことがない。



日本のオーディオメーカーにも多大の影響を与えており、物まねしたブランドを上げるときりがないほどだ(笑)。

我が家でもたしか15年ほど前だったかせめて「復刻版」でもと、購入してみたもののとうとう使いこなせないまま友人に譲った記憶がある。

今でも愛用されている方が多くて、東京にはオリジナル部品に拘った専門店があると聞いている。お値段もそれ相応に高根の花だ。

ただし、何しろ70年ほど前の古い製品なのでコンデンサー類の経年劣化が一番の心配点。

その点、オーディオ仲間のNさん(大分市)はうまく切り抜けられているご様子なので紹介させていただこう。

つい先日のこと、不要になった「オーディオ機器」をまとめて「オークションに出品お願いします」と、訪れたところ見慣れないプリアンプを使われている。

「あれっ、このプリアンプどうしたんですか?」



「いやあ、外側のケースはラックスなんだけど中身はそっくり入れ替えてマランツ7を忠実に再現しています。」

え~っ「そんな器用なことが出来るんですか」と、心の底から驚いた。Nさんの愛用されているプリアンプは別にあるので、試作機なのだろう。

Nさんの凄腕は今に始まったことではないが改めて感心した。

追い打ちをかけるように「古いコンデンサー類は一新してます。マランツ7の社員だったホブランド氏が立ち上げた高級ブランド”ホブランド”が開発したコンデンサーを使ってます。」



パソコン画面を撮ったものだが、黄色い部品が該当のホブランド製だ。

このホブランド製のコンデンサーを使った「マランツ7」がオークションに出品されているが、スタート価格は「140万円」なり!

ことオーディオに関しては、どんな美辞麗句に修飾されていようと、そしてどんな部品を使われていようと実際に音を聴いてみないと信用しないことにしているが、このサウンドばかりはウソ偽りなく素晴らしかった!

非の打ち所がないプリアンプとはこういうアンプを指すのだろう。

それに、将来はマランツ7のジャンク品を手にいれてケースだけ入れ替える手もある。

もっと若かったら、そして3台のプリアンプが無かったら絶対に購入するんだけどなあ。



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正解がない世界

2021年06月14日 | 独り言

「筋書きの無いドラマ」の代表格だと思っているプロ野球だが、この頃は中継を見ていると何だかまどろっこしくて退屈になってきた。

年寄りになるとむやみに気忙しくなって、手っ取り早さを求めるのがその原因だろうか(笑)。

そこで、プロ野球全試合のハイライトを1時間にコンパクトにまとめた「プロ野球ニュース」(CS放送)にピッタリと嵌っていて毎日欠かさず観ている。

そして、先日の「ヤクルト VS ソフトバンク」戦で登板した石川投手(ヤクルト)の投球に思わず惹き付けられた。

年齢は41歳、背格好や体格もその辺の普通のサラリーマン
と少しも変わらないし、それほどダイナミックなフォームでもない。

まるで中年の「おっさん」そのものだが、変化球を中心とした落ちる球に「ソフトバンク打線」が全く歯が立たず、強打の柳田選手をはじめキリキリ
舞いの情けなさ。

試合は村上選手の19号ホームランが決勝点となって「1対0」でヤクルトの勝利。

打てそうで打てない石川投手って面白いなあ~。

と思っていたらグッドタイミングで日経新聞のスポーツ欄にご本人のことが採り上げてあった。

「お世辞にも豪快さはないが勝てる投球をしてくれる」と、高津監督のコメントから始まる。

「今季はオープン戦で打たれ2軍スタートだった。調整方法から何から試行錯誤したという。

2軍戦で成績を残し1軍登板が回ってきた。だが、何が良くて復調したのか自分でもわからないという。


正直、何が正解か答えが無い。未だに何が正解か分からずにやっている。これからも模索しながらやっていくしかないと話す。

配球も同じで正解がない。コーナーに決めても打たれることがあるし、ど真ん中の打ち損じもある。理不尽だが、そこがまた面白い。

勝ったからではあろうが答えが無いと言ったときの顔は曇っていなかった。答えが無いということがたぶん石川をマウンドに立たせ続けているのだろう」

こういう話、大好きである(笑)。

所詮、人間が絡んでやることに「正解」なんてあってたまるものかといつも思うし、むしろ失敗を糧にしていく姿勢の方が大切だろう。

これはオーディオに対する研究にも相通じるものがあると思いませんかね(笑)。



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オークション情報~巧妙な作戦~

2021年06月13日 | オークション情報

出品者(売り手)側は「出来るだけ高く売りたい」、その一方買い手側は「できるだけ安く購入したい」、両者の思惑が激しく交錯するネットオークション。

つい最近のオークションで「巧みな作戦」を見かけた。



出品物はオークションですっかりお馴染みの「AXIOM80」(ボックス入り)である。

何しろ開始価格がふざけていた。「80万円」とある!

そんな無茶な~(笑)。

どんなに程度が極上でも箱付きでせいぜい40万円が相場といったところだろう。れっきとしたショップが売るのならともかく、相手の貌が皆目わからず保証が定かではないオークションなんだから。

相場よりも少し高いぐらいなら「可愛げ」もあるが、あまりにかけ離れていると出品者の強欲振りが推し量られて何だか「卑しさ」みたいなものが漂ってくる(笑)。

こんな金額では誰も相手にしないよなあ、それでも名器AXIOM80だから「ウォッチリスト」に入れてそれとなく注視していたところ、程なく売主側の姿勢が一転していきなり「1000円スタート」へ。

成る程、そういうことですか!

最初に圧倒的な高値で注目を引いておいて、周知が行き渡ったところで一転して低価格からスタートというわけ。

実に「巧妙な作戦」ですねえ(笑)。

結局、この品物は「30万円」で落札された。

まあ、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」といったところですか。

ついでにもう一つ。



レコードのMCカートリッジ用の昇圧トランスだ。近年、レコードファンが増えてこの種のトランスは引っ張りだこである。

出品者は中古専門の販売店で、例によって「1000円スタート」である。

実はなぜ注目したかというと、このトランス(「UTC」のパーマロイコア)は、我が家の「WE300Bシングル」アンプの入力トランスに使っている「HA-100X」と同じ型番だから。



売る気は無いんだけど自宅の敷地の相場がどのくらいになるか気になる心理と同じである(笑)。

そして、結局「
10万円」で落札と相成った。

高っ!

アンプ作成時にオークションで購入したときの当時の(およそ6年前くらい)価格は定かには覚えていないが、たしか5万円前後だったような気がする。

古典管の値上がりも激しいが、高名なトランスも負けず劣らずの様子で、これからも大切に使わないと二度と手に入らないだろうなあ(笑)。



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