「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音の魔術師!

2020年04月29日 | オーディオ談義

曲りなりにも変則型「3ウェイシステム」の「大・中・小」を完成させてからおよそ2週間あまりが経った。



この中で目下のところ一番耳を傾ける時間が多いのは「小」システムだが、過日オーディオ仲間に聴いてもらった結果では「大は(AXIOM80に比べて)やや弦楽器が粗いです、小は取り立てて優れたところがありませんのでオール4という感じです、中が一番いいです。音の抜けが抜群です。」

と、意外な講評だった。

「そうですか・・。いい音と好きな音は別だと思いますが、私が一番好きなのは小です。軽くて弾んでくる低音が実に心地よくて、こればかりはLE8T(JBL)の独壇場だと思いますよ。」と、いつもに似合わず粘ってみた(笑)。

とはいうものの、聴いているうちに工夫次第でもっと音が良くなるはずだという意欲がムクムクと頭をもたげてきた。

低音域はバッチリなので中高音域を何とかすればさらに良くなるはず~。

そこで「LE8T」にふさわしい「音のスピード」の持ち主となると、我が家では「AXIOM80」(復刻版)以外に考えられない。

しかも、この際だから併せて「チャンデバを使わないで済む」方法にもチャレンジしてみることにした。

まずは企画段階として手持ちの道具の確認から始めた。

<低音域のハイカット用コイル>



幸いにもムンドルフ(ドイツ製)のゼロ抵抗コイル「6.8mh(ミリヘンリー)」が遊んでいたのでこれを活用することにした。

「クロスオーバーネットワーク早見表」によれば「6.8mh」だと、「LE8T」は16Ω仕様なのでおよそ350ヘルツあたりでハイカット(-6db/oct)できる計算になる。まあ、いい線だろう。

画像の白いケーブルがSP側(LE8T)で、黒くて太いケーブルがアンプ側である。

次は、<「AXIOM80」のローカット用コンデンサー>



倉庫の奥深く直し込んでいた「業務用の大型コンデンサー・22μF(マイクロ・ファラッド)」の久しぶりの出番である。

「クロスオーバーネットワーク早見表」によると「AXIOM80」のインピーダンスは15Ωなのでおよそ「350ヘルツ」あたりでローカット(-6db/oct)できる計算になる。

コイルもコンデンサーも接続はSPケーブルのプラス側に挿入するだけでいいので実に簡単だ。少なくともチャンデバよりは音の鮮度が落ちなくて済みそうだ。

結局、2ウェイ方式によりクロスオーバー「350ヘルツ」でピッタリいけそうだが、こればかりは実際に鳴らしてみないと何とも言えない。

道具立ては一応目途がついたので既存のバッフルにAXIOM80を取り付けた。



駆動する真空管アンプは「LE8T(低音域用)=6098シングル」、「AXIOM80(中高音域用)=6A3シングル」の計2台となる。

「失敗するはずのない組み合わせ」だと自負しながらも、幾分かはハラハラしながら耳を澄ませてみると両者の繋がり部分(350ヘルツあたり)がちょっと薄味のような気がした。

そこでコンデンサー(12μF)を追加して「34μF」として「AXIOM80」の守備範囲の周波数を下げたところ丁度良いぐらいの厚みとなった。

「もうこのシステム一つあれば十分だな!」というのが正直な実感である。クラシックからジャズ、ボーカル、室内楽などありとあらゆるソースが自家薬籠中の物となる。

もしかして自分は「音の魔術師!」ではなかろうかとチョッピリ自惚れてしまった次第。いい歳をして~(笑)。

あまりにもうまくいったものだから、調子に乗って「このチャンデバを使わない方式で残りの二つのシステムも取り組もう」となったのはご愛嬌ですな。

以下、続く。

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読書コーナー~脳は何かと言い訳する~

2020年04月27日 | 読書コーナー



「脳はなにかと言い訳する」(祥伝社刊)
 
  

本書は脳にまつわる知識や考え方を述べた本、といえばいかにも堅苦しそうだが従来の「脳の本」には載っていないような新しい知見が紹介されている。興味を引いたものを2項目紹介してみよう。

なお、著者の池谷裕二氏は薬学博士で、現在東京大学大学院薬学系研究科・教授。

☆ 脳はなにかと錯覚する~ヒトも動物も、なぜか「赤色」が勝負強い~

2005年5月の「ネイチャー」誌に掲載された科学論文に英ダーラム大学の進化人類学者ヒル博士の研究成果として「赤い色は試合の勝率を上げる」という話題。

たとえば、ボクシングやレスリングなどの格闘競技では、選手のウェアやプロテクターに赤色と青色がランダムに割り当てられる。

ヒル博士がアテネ・オリンピックの格闘競技四種の試合結果を詳細に調査した結果、すべての競技について、赤の勝つ勝率が高いことが分かった。赤の平均勝率は55%というから、青よりも10%も高い勝率になる。実力が拮抗した選手同士の試合だけを選別して比較したところ、赤と青の勝率差はなんと20%にまで拡大した。

赤は燃えるような情熱を、青は憂鬱なメランコリーを暗示する傾向があるのは民族を越えて普遍的であると考えられている。

自然界においても赤色は血や炎に通じるものがあるようで、サルや鳥類、魚類でも一部の体色を赤色に変えることで攻撃性を増したり異性に強くアピールしたりする種がある。

ヒル博士は赤色が相手を無意識のうちに威嚇し、優位に立ちやすい状況を作るのではないかと推測している。

もしかしたら「真っ赤な顔」
で怒るというのもそれなりに意味のあることなのかもしれない(笑)。

☆ 脳はなにかと眠れない~睡眠は情報整理と記憶補強に最高の時間~

40年以上連れ添った妻だが今回の「コロナ禍」で意外な一面を見てしまった。

「私はコロナじゃないかしら」と、ほぼ1時間おきに体温を測るなど凄くナーバスになってしまい、とうとう神経が高ぶるあまり不眠症へ。

「科学的な知見(3密)をもとに冷静に対応すれば無暗に怖がることはないぞ、重症化するのはたったの2割ぐらいだし、男性が圧倒的に多いんだから」と、日常的に説得するのだが思い込んだが最後でなかなか聞く耳を持ってくれないのがつらい(笑)。これほど神経質とは思わなかった。

「眠られないのはほんとうにきついわねえ」と、こぼしている毎日だが、本書ではその睡眠について興味深いことが書いてあった。

2004年7月「ニューロサイエンス」誌に掲載されたチューリヒ大学のゴッツェリッヒ博士の論文は、睡眠による「記憶補強効果」を証明した。

ある連続した音の並びを被験者に覚えさせ、数時間後に音列をどれほど正確に覚えているかをテストしたところ、思い出す前に十分な睡眠を取った人は軒並み高得点をはじき出した。

ところが驚くことに、目を閉じてリラックスしていただけでも、睡眠とほぼ同じ効果が得られることが分かった。つまり学習促進に必要だったのは睡眠そのものではなく周囲の環境からの情報入力を断ち切ることだった。つまり脳には情報整理の猶予が与えられることが必要というわけ。

それには、ちょっとした「うたた寝」でもよいようで、忙しくて十分な睡眠が得られなくても、脳に独自の作業時間を与えることが出来れば、それで十分なのである。

これは、なかなか寝付けない人には朗報だろう。眠れなくともベッドで横になるだけで、脳にとっては睡眠と同じ効果があるのだから。

そう、眠れないことを何もストレスに感じる必要はない。ただし同博士によるとテレビを見ながらの休憩は効果がないとのこと。あくまで外界から情報を隔離する
ことが肝心。

以上のとおりだがこれは自分自身でも体験して思い当たる節がある。というのは、「寝つきはいい」もののときどき夜中にバッチリ目が覚めてしまい以降なかなか寝付けないことがあるが、眠れなくてもいいと開き直って目を瞑って横になっているだけでも随分と違う。

逆に途中で起き上がってゴソゴソやったりするのが一定期間続くと耳鳴りとかいろんな体調不良を覚えた経験がある。生体リズムが狂って自律神経(?)がおかしくなったのかもしれない。

好きな作家の一人、「吉村 昭」さん(1927~2006)の本に出てくる話だが、吉村さんは若い頃結核だった時期があり、それも手術を要するほどの重症患者で、長期間、日中でも絶対安静にしてじっと寝ていたそうだが「意識は覚醒したまま横になって体を休めておくというのも慣れてしまうとなかなかいいものだ」という記述があった。

自分に言わせると死んだ方がマシともいえるこういった退屈な時間をそう思えるほどの境地になるのはなかなかできることではないと思った。

吉村さんの作風には他の作家にはないゆったりとした時間の流れを常々感じていたのだが、若い頃にそういう体験が背景にあったのかと思わず合点したことだった。


これを読んで以来、途中覚醒してもあまり苦にしないようにしているが、逆にこの頃では外界の情報を遮断して冷静に考えるには1日のうちで最も適した思考の時間
ではないかと大切にするようになった。

眠れなくてあれほど焦っていた人間が今度は逆に不眠の時間を楽しむようになる、ほんとうに人間は気持ちの持ちようで随分と変わるものである。

とはいえ、やっぱり熟睡できるのが一番だが・・・。

これも結局、「自分の脳がなにかと言い訳をした」結果かもしれないですね!(笑)。


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今さら悠長なことを言ってられない

2020年04月25日 | オーディオ談義

目の前に沢山のご馳走が並んでいるとする。真っ先に大好きな食べ物から箸をつけるか、あるいは後々の楽しみのため大切に取っておいて最後の方で食べるか、世の中には二つのタイプがあるように思う。

オーディオにも似たようなことがあって、「音質のいい真空管を先に使うか、あるいはもったいなくて二番手のブランドの真空管を先に使うか」という難題がしばしば待ち受けている(笑)。

趣旨はちょっと違うが「後楽園」の名前の由来となった「先憂後楽」の精神と似てますね。

我が家の真空管アンプ「PX25シングル」にも同様のことがいえる。



現在、使っている出力管は中央2本の「PP5/400」(英国マツダ:初期版)で、これまで使ってきた「PX25」(英国:GEC)の親分筋にあたる球である。

先日、オーディオ仲間と話しているうちに「もう今さら悠長なことを言ってられませんよ。コロナ禍でいつ命を落とすかわかりませんからね。
貴重な真空管ほど、今のうちに精一杯使ったほうが得です。」で、意見の一致をみたのでさっそく「PX25」と入れ替えての出番となった。お値段の方は2倍弱ぐらい違うかな~。

とっておきの「PP5/400」を使うとなると、相応しいスピーカーは自ずと英国同士の「AXIOM80」となる。

ちなみに、このアンプの球の構成は前段管が「GSX-112」(1930年代製)、整流管は「WE-422A」(1958年製)と一流どころを総動員した。

丁度、命が尽きる1週間ほど前にすべての真空管の寿命が尽きるのがベストだが、そうは簡単に問屋が卸すまいて(笑)。

球を入れ換えた後の音質についてはもう「言わずもがな」で、省略~。

そして、我が家のアンプ群では「PP5/400シングル」と並んで双璧ともいえるのが「WE300Bシングル」だが、この出力管も交換の運びとなった。



このアンプの場合は銘管とされる「WE300B」(1960年代製)から、とても安価な「6A3」へと逆にレベルダウンしたのがとてもユニーク(笑)。

やや専門的な話になるが交換の経緯を述べてみよう。

つい最近、3ウェイシステムへの再編成を熱心に進めてきた結果、「大」「中」「小」と3系統が完成した。



いずれのシステムとも、スコーカーとなるユニットはフルレンジ用としてチャンデバを通さずに鳴らし、そして低音域は「250ヘルツ」でハイカット、高音域は「8000ヘルツ」でローカットするやり方で、当分の間踏襲するつもり。

そして、一番重要な帯域となる「スコーカー=フルレンジ」を駆動するのに使っているのが「WE300B」シングルアンプである。

ところがオーディオ愛好家なら既にお気づきのとおりスコーカーをフルレンジで鳴らすと低音域(250ヘルツ以下)と高音域(8000ヘルツ以上)とで、それぞれ別のユニットと再生帯域が重なってしまい、音が濁り気味になるのが難点といえば難点といえる。

したがって、その辺の重なり具合を出来るだけ薄めたいと思うのが人情というものだろう。

そこで「WE300B」に代わって出番となったのが出力管「6A3」だ。

「この300Bアンプはごく控えめな動作にしていますので6A3でも十分使えますよ」と、3年ほど前に古典管の専門家から譲り受けたものだが、音質的には中高音域についてはWE300Bとまったく引けを取らないものの、惜しいことに低音域がやや薄味でこれまでずっと予備役に編入していたのだが、今回の改変によりその「薄味の低音域」がシステムと見事にマッチングする運びとなった。

低音域が薄いハンディが逆にメリットになるのだから、これぞオーディオの醍醐味!

時と場合によって「欠点が長所となったり、あるいは長所が欠点になったりする」ので、柔軟な「頭の体操」にはもってこいですね。

特に我が家のオーディオの場合、「一寸先は闇」なのでなおさらのこと。まあ、ボケ防止には大いに役立ってくれることでしょうよ(笑)。

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昔の夢よもう一度

2020年04月23日 | 独り言

「新型コロナ騒動」によって世の中が様変わりしている。人が集まることで成り立っている現代社会が根本から否定されているのだから、そりゃそうですよね。

この騒動がどのくらい続くのか、一過性であることは間違いないがこれが契機となって社会のシステムがある程度見直されるんじゃないかと思っている。

先日、東京在住のオーディオ仲間と連絡をとったところ、このところテレワークでずっと家に閉じこもっ切りとのことで、めちゃストレスが溜まると仰っていた。一軒家なら「庭いじり」などで気が紛れるがマンションなら、さぞかしと同情させられる。

そして、今回の騒動でテレワークでもある程度仕事が続行可能であることが証明されれば、何も都心の一等地で高いオフィスの家賃を払うよりも田舎に事務所を構えてテレワークで仕事を進めた方がコスト的にも有利だろうとのこと。

そういう会社が増えていけば、日本が持つ積年の課題「大都市への一極集中の解消と地方の創生」が解決される糸口にもなる。

世界的企業の「日本電産」の永守会長は「日経新聞」(4月21日付)でこう言っている。

「コロナ終息後はまったく違った景色になる。テレワークをどんどん取り入れる劇的な変化が起きる。東京都内の会社に勤める人が山梨県に仕事部屋のある広い家を建てるようなケースが増えるだろう。

企業は通勤手当をなくす代わりに給与を上げるほか、サテライトオフィスを作るなど抜本的に環境を改善すべきだ」

「コロナ禍転じて福となる」、これからが見ものですね。

さて、音楽&オーディオという趣味は何度も言うように「コロナ騒動」にはもってこいのようで、人と会わずに独りで楽しめるのが何よりもいい。

つい先日、コロナ騒動が一因で不調に悩む家内のために「ラジオ」でもと、近くの大型電気店に出かけたところ顔見知りの「オーディオコーナー」専属の販売員さんがいた。

「景気はどうですか」と、お訊ねたところ「どうもコロナ騒動のせいでしょうか、オーディオ機器に関心のある人が増えましたよ」と目を輝かせていた。

たしかにオーディオと向き合う時間が増えると、とかくアラが目立ってきたり、飽いてきたりして何とかしたくなる人が出てきてもいっこうに不思議はない。

「昔の夢よもう一度」で、オーディオ隆盛の契機になればいいのだが、まあどうでしょうかね(笑)。

そして我が家の場合にはテレビを観る時間がメチャ増えてきてしまった。

いくら音楽が好きと言ってもオーディオシステムで一日中聴いていられるものでもない。第一、頭が疲れる(笑)。

そういうときは、肩の凝らないミステリー番組や昔の映画を観て癒しているが、接する時間が増えると画質などのアラが見えてくる。

地上波とBS放送は最新の「ブルーレイレコーダー」のチューナーなので画質がきれいだが、問題は「ひかりTV」(NTT系)だ。

光回線を利用したTVだが契約してから10年以上は経つ。専門チャンネル40局以上、10万曲以上の音楽聴き放題の契約を結んでいるが古いチューナーのせいか画質が暗くてどうも冴えない。

そこで、「カスタマーセンター」に連絡してチューナー(レンタル)の機種を確認したところ現在使用中のものは「ST-3200」でもう6年近く経っていた。

デジタル系機器は日進月歩なのでおよそ5年ぐらいで更新するのが妥当だと思っている。

よく伺ってみると最新のチューナーは「4K」にも対応した「ST-4500」というのがあったので交換してもらうことにした。気になるレンタル代金の方も月額200円程度の値上がりなので大したことはない。

さすがは「殿様商売」でならす通信業界の巨艦「NTT」様だ(笑)。

ついでにチューナーとテレビを繋ぐ「HDMI]コードも買い換えた。左側が旧で右側が新。

 

1週間後に新チューナーが到着。



パソコン並みともいえるややこしい所定の操作がなかなかうまくいかず、四苦八苦しながらもどうにか無事終えて画像を観ると、その美しさに愕然とした。

これまでと、あまりにも違い過ぎる!

おまけに「BS4K」の受信が可能だし、音楽の方もメチャ音質が良くなっていいことだらけ!

今回はまったく「新型コロナ騒動の余得」でしたね(笑)。

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「大」「中」「小」のそろい踏み

2020年04月21日 | オーディオ談義

たまたま一つの試みが巧くいくと、何でもかんでも同じ色に染めてしまうのが「我が家流」だ。一言でいえば、単純なんですね(笑)。

前々回のブログ「先入観は罪、固定観念は悪だ!」で述べたように、ウェストミンスターの「3ウェイ」の改変が功を奏したのでさらに歩を進めてみた。

ずっと以前のブログで「スコーカーは生かさず殺さず」と題して投稿したことを憶えておられるだろうか。

ところが、今や(スコーカーが)主役となるのだからまさに朝令暮改だが、さらにいっそのことスコーカー(スーパー10)はチャンデバを通さずに「フルレンジ」で鳴らし、低音域と高音域だけ「チャンデバ」を経由させるという変則3ウェイへの展開を図った。

つまり、プリアンプの2系統の出力を利用して、片方はフルレンジ用のアンプに接続し、片方はチャンデバに接続するというもの。

その狙いは「チャンデバ」や「コイル&コンデンサー」を通すと、確実に音の鮮度が落ちる、それをせめてスコーカーだけは防止しようという算段だったがこれもどうやらうまくいったようでルンルン気分。

まあ所詮は「自己肯定=自己満足」に過ぎないのだが(笑)。

というわけで、一気にほかのシステムにも拡大した。

次の画像を観ていただこう。



二つともクロスオーヴァーは「低音域=250ヘルツ以下」「中音域=フルレンジ」「高音域=8000ヘルツ以上」に設定。

まず左側の3ウェイの構成だが「ウーファー=JBL・D123」、「スコーカー=フルレンジ=グッドマン大型楕円形ユニット」、「ツィーター=ワーフェデール・スーパー3」の混成旅団。

この3ウェイはウェストミンスターに「スーパー10」が侵入したことによって、追い出された形になったグッドマンの「大型楕円形ユニット」の活用がハイライト。

まずは言うことなしのサウンドに変身ですぞ(笑)。

次に画像右側の3ウェイが、これまた粋なサウンドへ変身。

その構成は「ウーファー=JBLのLE8T」、「フルレンジ=グッドマンの小型楕円形ユニット」「ツィーター=ジェンセンのホーン型ユニット」。

これまであまり出番が無かった「LE8T」を思い切ってウーファー専用に起用したことがこの3ウェイのハイライト。

「クロス250ヘルツ以下」で鳴らす「LE8T」の「カツン、カツン」と軽くて小気味よく弾んでくる低音にはまったく痺れてしまった。

自分が理想としてきた低音はまさしくこれ!

ちなみに、この箱の中には「羽毛の吸音材」をがんじがらめに詰め込んでいるが、口径20センチの低音のスピード感を心ゆくまで堪能させる「LE8T」(初期版:16Ω)はやはり只者ではなかった。手放さなくて本当によかった(笑)。

以上、これで我が家の3ウェイシステムは「大」「中」「小」と、すべて「そろい踏み」したことになる。



ちなみに駆動するアンプはすべてのシステムとも不変で「低音域=2A3シングル」、「フルレンジ=WE300Bシングル」、「高音域=71Aシングル1号機」

そして、この中で個人的に一番好きなのは「小」である。

「大味」「中味」「小味」とくれば、やはり「小味」(「細やかで趣ある味」~広辞苑~)に尽きますよね(笑)。

ところが、19日(日曜日)に来てくれた仲間の評価はまるっきり違っていたのだからまことにオーディオって奴は面白い。

以下、続く。

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男性は女性よりなぜ早死に?

2020年04月19日 | 独り言

今や「第3次世界大戦」という言葉が飛び交うほどの「新型コロナ騒動」だが、伝染率は凄いものの80%程度は軽症に終わるとのこと。

初期症状としては「匂いや味がしなくなる、身体が鉛のように重たくなりだるくなる」そうで、一見大したことは無さそうだが、これが重症化すると一気に命の危険にさらされるようで、やはり怖い。しかも圧倒的に高齢の男性の方が重症化率が高いそうだ。

自分なんぞは持病もあるし、ウィルスに罹患するとイチコロですな(笑)。

まあ、その時はその時でこれまで目いっぱい「音楽&オーディオ」を楽しませてもらったのであまり後悔はないが、「まあ長生きするに越したことはないけど・・」というのが現在の心境。

それにしても、そもそも男性は女性に比べて短命だとされているが、いったいどうしてかな?

ちょっと分け入ってみよう。


    「本が好き」〔光文社月刊誌)    

本誌に「できそこないの男たち~Yの哀しみ~」(36頁)というのがある。著者の福岡伸一氏は青山学院大学理工学部(化学・生命科学科)教授。

2018年時点で日本人男性の平均寿命(生まれたばかりの男子の平均余命)は81.25歳であり、対して女性の平均寿命は87.32歳。ゼロ歳の時点ですでに6年もの差がある。

「女性の方が長生きできる!」この結果はすでに人口比に表れている。現在、日本では女性の方が300万人ほど多いが、今から50年たつとその差は460万人にまで拡大する。

男女数の差は年齢を経るほどに拡大する。80歳を超えると男性の数は女性の半分になる。100歳を超える男性の数は女性の5分の1以下にすぎない。中年以降、世界は女性のものになるのである。

どうして男性の方が短命であり、女性のほうが長生きできるのだろうか。

☆ 男の方が重労働をしているから

☆ 危険な仕事に就くことが多いから

☆ 虐げられているから

☆ 男の人生の方がストレスが大きいから

いずれももっともらしい理由だが、6年もの平均寿命の差を生み出す理由としては薄弱である。

著者が着目したのは上記の理由がいずれも環境的要因に限られていることで、むしろ生物学的な要因に原因があるのではと焦点を当ててさらに検証が進められていく。

その結果、世界中のありとあらゆる国で、ありとあらゆる民族や部族の中で、男性は女性よりも常に平均寿命が短い。そして、いつの時代でもどんな地域でも、あらゆる年齢層でも男の方が女よりも死にやすいというデータが示される。

結局、生物学的にみて男の方が弱い、それは無理に男を男たらしめたことの副作用とでもいうべきものなのだという結論が示される。

その証として、取り上げられるのが日本人の死因のトップであるガン。

ガンは結構ポピュラーといっていい病だがそれほど簡単にできるものではない。細胞がガン化し、際限ない増殖を開始し、そして転移し多数の場所で固体の秩序を破壊していくためには何段階もの「障壁」を乗り越える必要がある。

つまり多段階のステップとその都度障壁を乗り越えるような偶然が積み重なる必要があって、稀なことが複数回、連鎖的に発生しないとガンはガンにはなりえない。

それゆえに、確率という視点からみてガンの最大の支援者は時間であり、年齢とともにガンの発症率が増加するのは周知のとおり。

もうひとつ、ガンに至るまでに大きな障壁が横たわっている。それが個体に備わっている高度な防禦システム、免疫系である。

人間が持つ白血球のうちナチュラルキラー細胞が、がん細胞を排除する役割を担っているが、何らかの理由でこの防禦能力が低下するとガンが暴走し始める。

近年、明らかになってきた免疫系の注目すべき知見のひとつに、性ホルモンと免疫システムの密接な関係がある。

つまり、主要な男性ホルモンであるテストステロンが免疫システムに抑制的に働くという。

テストステロンの体内濃度が上昇すると、免疫細胞が抗体を産生する能力も、さらにはナチュラルキラー細胞など細胞性免疫の能力も低下する。これはガンのみならず「感染症」にも影響を及ぼす。

しかし、テストステロンこそは筋肉、骨格、体毛、あるいは脳に男性特有の男らしさをもたらすホルモンなのだ。

男性はその生涯のほとんどにわたってその全身を高濃度のテストステロンにさらされ続けている。これが男らしさの魅力の源だが、一方ではテストステロンが免疫系を傷つけ続けている可能性が大いにある。

何という「両刃の剣」の上を男は歩かされているのだろうか。

以上が「Yの哀しみ」の概略。

結局、「男性がなぜ女性よりも早死に?」の理由は「男性に生まれたばかりにYというありがたくない染色体を無理やり持たされ、男らしさを発揮した挙句に早死に」というのが結論だった。

とはいえ、何やかや言ってみても今度生まれ変わるときはやっぱり男性にと筆者は願っているが、皆さまはどう思われますかね?(笑)

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「先入観」は罪、「固定観念」は悪だ!

2020年04月17日 | オーディオ談義

前々回のブログ「現状に満足したままでは進歩なし」を読まれた「I」さん(東海地方)から「(ワーフェデールの)スーパー10が本丸のウェストミンスターへ乗り込みますか。(AXIOM80は「大奥」だと思っています)」とのメールが届いた。

日頃から「本丸と大奥」という問題意識は無かったが、そう言われてみると我が家ではいったいどちらが本丸なんだろう。

「本丸」が潰れると「枕を並べて討ち死に」だが、「大奥」が潰れても命には別状ない(笑)。

ウェストミンスターが本来の実力を発揮したときには「さすが本丸」と言いたいところだが、いまだに実現したことがないのがちょっと淋しい。このままだと、宝の持ち腐れになりそう。

人生の残り時間からすると急がねばと少々焦っているが、今回の騒動でかなり肉迫したような気がする~(笑)。

前置きはこのくらいにしてさっそく本題に入ろう。



先述したとおりスコーカーをグッドマンからワーフェデールの「スーパー10」(赤帯マグネット付き)に入れ替えて聴いてみたところ、音の勢いが迸るように溢れ出てきて腰を抜かさんばかりに驚いた。

いや、けっして大袈裟じゃなく~(笑)。

これならクラシックもジャズも十分いけると思うほどの大変身!

さっそく、11日(土)の午後に仲間のYさんに聴いてもらった。

「一皮剥けましたね。ベールが一枚も二枚も取れた感じです。このスーパー10はまるでホーン型のように音が飛んで来ますね」と大好評。

「そうなんです。強力な赤帯マグネット付きのユニットはコーン型でありながらホーン型の良さも併せ持つ優れものですよ。よく引き締まった音でスピードがメチャ早いです」と、つい調子に乗ってべらべらと。

人の誉め言葉を素直に受け止めるのが私の美点の一つです(笑)。

そして、ここから話が少々込み入ってくる。

「今のクロスオーバー(以下「クロス」)は何ヘルツですか?」の問いに対して「ハイ、700ヘルツと6000ヘルツですよ」

すると「700ヘルツを思い切って250ヘルツあたりに下げてみませんか、このスーパー10なら十分いけると思いますが」

想像だにしない提案にエッと驚いた。

周知のとおりこのウェストミンスターにはかってタンノイの同軸2ウェイユニットが入っていたが、クロスは「1000ヘルツ」であり、フロントのショートホーン、そしてバックロードホーンにしてもクロス1000ヘルツを前提に作られている。

その固定観念があって、せいぜい700ヘルツまでぐらいが許容範囲だろうと思っていたので、「250ヘルツ」の提案は思いもかけなかったというわけ。

Yさんの
持論はこうである。

「スピーカーはフルレンジが基本だと思います。それに最低音域と最高音域を少し付け足すという考え方です。したがって、3ウェイの場合はスコーカー(中音域)が主役になるのが自然です。

これまで至るところでクロス500ヘルツとか1000ヘルツのシステムを聴かせていただきましたが、どうしても音像に不自然さが伴います。それぞれのマグネットの違うユニットをクロス(交錯)させるにはできるだけ目立たない周波数に限ると思っています」

一つの考え方だが一理ありますね。

Yさんが我が家の3ウェイを聴かれても、いつも30分ほどで早々に切り上げて「AXIOM80を聴かせてください」と、所望されるのもそういう理由だったのか(笑)。

先人たちもこの辺りのクロスの設定にはずいぶん苦労されているようで、たとえば250ヘルツあたりから使えるドライバーとなると有名な「ウェスタンの555」あたりが思い浮かぶし、それがJBLの「375」だとせいぜい500ヘルツあたりが限界となる。

今回の場合は「スーパー10」がホーン並みの実力を持っているからこそのクロスの改変要望である。

チャンデバの場合、クロスを「750→250ヘルツ」にするのは簡単だ。低音域用のスイッチと中音域用のスイッチを2か所ひねってやればそれで済むがそれだけでは芸がない。

スコーカー(スーパー10)が主役に躍り出るとなれば、それなりに駆動するアンプの方も代えた方が効果的。

結局、Yさんの提案に乗ることにして「クロスを250ヘルツと8000ヘルツ」に設定し、3台のアンプの編成も代えた。

「~250ヘルツ」→「2A3シングル」、「250~8000ヘルツ」→「WE300Bシングル」、「8000ヘルツ~」→「71Aシングル1号機」

チャンデバのRCAコードの入れ替え、SPコードの入れ替えも済んで、いよいよ音出しだ。

二人してじっと耳を澄ませた。

「いいじゃないですか!音像にまったく不自然さがありません。まるでフルレンジが鳴っているみたいです。スーパー10の魅力全開ですね。これなら理想的な3ウェイだと思いますよ。」と、Yさん。

思いもかけない展開にただただ唖然とするばかり。たったの250ヘルツ以下を受け持たせるのにこの箱の図体では”もったいない”という気もするが、実際に聴いてみると、音の基本的な傾向を決める極めて重要な帯域であることが分かった。つまり、この箱は十分機能している!

ま、しばらくこのままで聴いてみるとしようかな。

まったく「オーディオって奴は、先入観は罪、固定観念は悪ですな!」~(笑)。

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読書コーナー~「耳トレ」~

2020年04月15日 | 読書コーナー

今年は暖冬だったのでしめしめと喜んでいたら、やはり自然は厳しかった。

ここ2日ほど真冬並みの寒気の到来に震え上がっている。九州なのに自宅から見える山には雪化粧が。



いまのご時世では風邪を引いても医療機関には”うかつ”に行けないし、もはや寄るべきものは個人の「免疫力」しかないので「適度な運動とリラックス」は必須ですね。


リラックスといえば我が家では「音楽&オーディオ」に尽きるわけだが、一般的な愛好家を含めて「耳が遠くなる」ことほど悲しいことはない。

自分などは、そうなるともう死んだ方がマシとさえ思うが、悲しい現実として
聴力は20歳ころをピークに徐々に低下しはじめていき、65歳以上の4人に1人、75歳以上の2人に1人は補聴器が必要な状態だ」と、ショッキングな書き出しで始まるのが「耳トレ!」である。

                      
 

大学教授で現役のお医者さんが書いたこの本には「耳の健康」に対する情報が満載で実に”ため”になる本だった。

以下、とりわけ興味を引いた点を自分のために忘れないように箇条書きスタイルで整理してみた。

なお、の部分は勝手な独り言なのでけっして鵜呑みにしないでくださいな(笑)。

☆ 難聴の大きな要因は「騒音」と「動脈硬化」

2007年10月、日本の国立長寿医療研究センターから「加齢と難聴には相関関係がない」というショッキングなニュースが発表された。主として難聴に関係していたのは「騒音」と「動脈硬化」の二つだという。

「騒音」の原因には「騒音職場」とともに「ヘッドフォン難聴」「イヤフォン難聴」が挙げられ、
一方の「動脈硬化」は言わずと知れたメタボリック・シンドロームである。

この二つは日常生活の中で十分予防が可能だが、比較的若い時期から一人ひとりが心がけていかない限り、近い将来「大難聴時代」がやってくることは必至だ。

☆ 日本語は世界一「難聴者」にやさしい言語

どの国の言語にもそれぞれ固有の周波数帯というものがあり、母国の言語を繰り返し聞いて育つうちにその周波数帯以外の音を言語として聞き取る脳の感受性が失われていく。

そのため生後11歳くらいまでには母国語を聞いたり発音する能力に特化した脳が出来上がる。

日本語で頻繁に使われる周波数帯は125~1500ヘルツだが、これが英語ともなると200~12000ヘルツとなって随分違う。日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。

したがって、英語民族は高齢になると早い段階で高い音が聞き取りにくくなって不自由を感じるが、日本人はすぐには不自由を感じない。その点で日本語は世界一難聴者にやさしい言語である。

 これは一人で二か国の言語を操るバイリンガルの「臨界期」が10歳前後と言われる所以でもある。

また、英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多いが、これで謎の一端が解けたような気がする。その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がってくる。


☆ 聴力の限界とは

音の高い・低いを表す単位がヘルツなら、音の強さや大きさ(=音圧レベル)は「デシベル(dB)」であらわす。
 

人間が耳で聞き取ることのできる周波数の範囲は「20~2万ヘルツ(空気中の1秒間の振動が20回~2万回)」の間とされているが、イルカやコウモリなどは耳の形や構造が違うのでこの範囲外の超音波でさえ簡単に聞き取れる。 

ただし人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。

 人間の耳は一人ひとりその形も構造も微妙に違うし、音を認知する脳の中味だって生まれつき違う。

したがって同じオーディオ装置の音を聴いたとしても各人によって受け止め方が千差万別というのが改めてよくわかるが、
音に光や色彩感覚があるように感じるのは超高音域のせいだったのだ!

☆ 音が脳に伝わるまでの流れ

耳から入った空気の振動は外耳道と呼ばれる耳の穴を通り、アナログ的に増幅されて鼓膜に伝わり、アブミ骨などの小さな骨に伝わってリンパ液のプールである蝸牛へ。そこで有毛細胞によって振動が電気信号に変換され、聴神経から脳に伝わる。これで耳の中の伝達経路はひとまず終了。

この電気信号が言語や感情と結びついた「意味のある音」として認識されるまでにはもう少し脳内での旅が続く。

電気信号が聴神経や脳幹を経て脳内に入ると、まず、大脳の中心部にある「視床」に送られる。ここは、脳内の情報伝達の玄関口となっている。視覚、聴覚、皮膚感覚などあらゆる感覚情報が必ず通る場所で、単純に音だけを聴いているつもりでも、様々な感覚情報とクロスオーバーしている。

また「視床」を通過すると音の伝達経路は「言語系ルート」と「感情系ルート」の二つに大きく分かれる。前者は最終的に「言語野」に到達するが、後者は大脳の一次聴覚野を通らず、いきなり「扁桃体」に直結していて「イヤな音」「うれしい音」というように音を直感的・情緒的に受け止める。

※ 音楽を聴くときにカーテンなどでスピーカーを隠してしまったり、あるいは目を瞑って聴いたりすると、機器の存在を意識しないでより一層音楽に集中できるのは経験上よく分かる。

さらに、直感的なイメージとして述べるとオーディオ愛好家が音楽を聴くときには心が揺り動かされて「感動」するので主として「感情系ルート」がはたらき、それ以外の普通の人たちが(音楽を)聴くときには主として「言語系ルート」が働いているように思うが果たしてどうだろうか・・・。

ほかにも本書には「音楽好きための難聴予防テクニック」など貴重な情報が満載で、末永く「音楽&オーディオ」を楽しみたいと思われる方は是非ご一読されることをお薦めしたい。
 
 
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現状に満足したままでは進歩なし

2020年04月13日 | オーディオ談義

期待のワーフェデールのユニット「スーパー10」(10インチ:口径25センチ)が我が家に到着してからおよそ1週間が経った。

毎日のように「ああでもない、こうでもない」と、まるで子供がおもちゃを弄り回すように遊んでいるが(笑)、二転三転するうちにようやく最終的な活用方法が見えてきたのでその経過を記録しておこう。

初めはご承知のように「平面バッフル」で鳴らしてみた。



しばらく聴いているうちにやっぱり低音域が物足りなくなって(笑)、今度は「AXIOM80」(以下「A80」)の箱の上に載せてみた。



その狙いは低音域(およそ150ヘルツ以下)を受け持つリチャードアレン(英国)のユニット(口径20センチ)と一緒に鳴らそうという算段だ。そのために、ご覧のとおり既存の「丸形バッフル」に付け変えた。

接続の方も「A80」に繋ぐバナナプラグを「スーパー10」に付け替えるだけだから実に簡単。

それぞれにユニットを2台のアンプで鳴らしてみると、う~ん、なかなかいけるじゃないか(笑)。

音像バランスもいいし一つの完成形システムとしても十分成り立つレベルだが、半日ほど耳を傾けているうちに「A80と比べると最高音域の伸びがいま一つかなあ」。

どんなユニットも「A80」と比べるのは酷というものだが、我が家の不動の「羅針盤」兼「お目付け役」として長年活用しているのだから良くても悪くても仕方がない。

さて、どう始末をつけようかと思案するうちに視線が自然とウェストミンスターへと向かった。

今のところまったく不満はないシステムだが「中音域」(700~6000ヘルツ)を担当するグッドマンの「大型楕円形ユニット」を入れ換えてみようかな。

「現状に満足したままでは進歩なし」というのが我がオーディオの不変のモットーである(笑)。

ちなみに、ここで江戸時代の浮世絵師「葛飾北斎」を引き合いに出すのはまことに恐れ多いが、翁は89歳のときに「天があと10年、いや5年でいいから命をくれたら本物の画工に成れたのに・・」と言い遺して息を引き取った。あれほどの画家だったのに最後まで自作に満足しなかったのだから凄いと思いませんか。

そういうわけでもないが(笑)、思い切って入れ替えた。



ついでに高音域用ユニットも「スーパー3」(緑色の自作バッフル付き)に入れ替えた。

さあ、大変(笑)。

これで、ウェストミンスターに纏わる3つのユニットはすべてワーフェデールの「赤帯付きマグネット付きユニット」に変身したのだ。

まず低音域はウェストミンスターに内蔵している「スーパー12」(補助バッフル付き:口径30センチ)。



ツィーターの「スーパー3」(口径10センチ)はこれ。



箱は「タンノイ」製だけど、3つのSPユニットはすべてワーフェデール製という、まず世界で唯一ともいえる「3ウェイシステム」である。

クロスオーヴァーは「700ヘルツ、6000ヘルツ」に設定して聴いてみた。

はてさて、どんな音が出てくることやらもうハラハラ・ドキドキである(笑)。

そして、事態は予想だにしない方向へと展開していく。

以下、続く。

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寸鉄人を刺す言葉

2020年04月11日 | 音楽談義

村上春樹さんといえば、今や世界的にも有名な作家(2006年フランツ・カフカ賞受賞)だが、実は知る人ぞ知るジャズ愛好家、オーディオ愛好家でもある。

なにしろ、作家になる前にはジャズ喫茶を経営していて、それこそ、朝から晩まで好きなジャズを聴いてじゅうぶん楽しんだとのこと。

オーディオにしてもJBLの愛好家で、お金はたんまりとある(想像だが)のに、費やす時間がもったいないという理由で旧型のユニットによる3ウェイシステムでアンプはたしかアキュフェーズだったと思う。

その村上氏が、音楽について書いた著作が
「意味がなければスイングはない」(文芸春秋)。
これはオーディオ専門誌「ステレオサウンド」2003年春号~2005年夏号に連載していたものを、まとめたもの。

                       

タイトルの「意味がなければスイングはない」はもちろん、デューク・エリントンの名曲「スイングがなければ意味はない」のもじりである。しかし、ただの言葉遊びではなく、このフレーズはジャズの真髄を表わす名文句として巷間に流布している。


「スイング」とは、どんな音楽にも通じるうねり
のようなもので、クラシック、ジャズ、ロックなどを問わず、優れた本物の音楽として成り立たせている「何か」のことであり、その何かを自分なりの言葉を使って追いつめてみた結果が本書になった。

読んでみて、この本は実に分りやすくて面白かった。作家が書いた音楽評論はどうしてこんなに共感できるのだろうか。

たとえば五味康祐氏の「西方の音」を嚆矢(こうし)として、小林秀雄氏の「モーツァルト」、石田依良氏の「アイ・ラブ・モーツァルト」、百田尚樹氏の「至高の音楽」そしてこの本である。

まず共通して感じることは、

1 語彙が豊富で表現力が的確

2 ストーリー並みの展開力がある

3 音楽体験の出発点と感じ方、語り口に一般的な読者と同じ匂いを感じる

といったところだろうか。

しかも内容がジャズばかりと思ったら、10の項目のうちクラシックの評論が3項目あった。

Ⅰ シューベルト「ピアノ・ソナタ第17番ニ長調」 ソフトな今日の混沌性

Ⅱ 「ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト」

Ⅲ 「日曜日の朝のフランシス・プーランク」

まず、Ⅰでは世評において目立たず、芳しくないシューベルトのピアノ・ソナタ群のうちでも最も地味なこのソナタがなぜか大好きとのことで、結局15名のピアニストのレコード盤、CD盤を収集したこと、そのうち、ユージン・イストミンというこれまたたいへんマイナーな名前のピアニストがお好きとのこと。

Ⅲの近代作曲家プーランクもお気に入りだそうだが、これもまたやはりマイナーと言わざるを得ない。

全体を通読して感じたことだが、村上氏はどうも既存の権威とか概念を否定しあるいはしばられない傾向がことさら強く、一方で目立たず、まったく評価されない、あるいは過小評価されている作曲家、演奏家、曲目に陽を当てるのが随分とお好み。

その流れで、著者独自のクラシック論が以下のとおり展開されている。(76頁~77頁)

「クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。それは、場合によっては世間の評価とは合致しないかもしれない。

でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。

シューベルトのニ長調ソナタは、その一例として、僕の大事な「個人的引き出し」になっており、おかげで超一流ではないイストミンのようなピアニストたちが紡ぎだす優れた音楽世界にめぐり会えることができた。それはほかの誰の体験でもない、僕の個人的体験
なのだ。

僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として世界を生きている
のだ。」

自分だけかもしれないが、村上さんには「寸鉄人を刺す」言葉が多いと思うが、さしずめこの言葉は最右翼だろう。

50年近く「音楽とオーディオ」に親しんできたものの、いまだ道遠しで随分と峰が高くて奥行きのある世界だと実感しているが、いたずらに権威や評判に振り回されず主体性を持つという面で十分考えさせられる本だった。

最後にピアニスト「ルービンシュタイン」の自伝からの逸話が記載されていたので紹介しよう。ルービンシュタインといえばコルトー、リパッティと並ぶショパンの弾き手として一世を風靡した往年の大ピアニストである。

結局、この逸話も、著者流のナチュラルの流れに位置し、赤裸々な人間像に共鳴したエピソードなのだろう。

ルービンシュタインがガイドに勧められるままに、スペインで訪れたとある高級娼家での話である。

「ドライすぎるシェリーと、夏の暑さと、もわっとした空気と、言葉がうまく通じないせいで私の性欲はどうしても盛り上がらなかった。

しかし、私の生来の虚栄心は、こんなに若いのにインポテントだと女たちに思われる(かもしれない)ことに耐えられなかった。

彼女たちを感心させるには、ここはひとつ音楽を持ち出すしかない。私はそこにあったピアノの蓋を開け、即席のコンサートを開いた。

スペインの音楽、「カルメン」の中の曲、ウィンナ・ワルツ、なんでもかんでも手あたり次第にばりばり弾きまくった。それは目ざましい成功を収めた。黙示録的な大勝利と呼んでもいいような気がするくらいだ。

女たちはいたく興奮し、群がって私を抱きしめ、熱烈にキスの雨を降らせた。宿の主人は、私の飲み代はただにする、好きな女と寝てよろしいといった。私はその申し出をもちろん丁重にお断りした。

しかし、ピアノにサインをしてくれという申し出は断れなかった。

私はいくらかの自負とともに、そこにサインを残した。心愉しい夏の午後の証人として、まだ同じ場所にそのピアノが置いてあればいいのだが」(同書149頁)。

このサイン入りピアノの実在を是非確認したいものだが、場所柄が場所柄だけに未来永劫にわたって「拝見した」という何方(どなた)かからのメッセージがとても届きそうにないのが残念!(笑)

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巡ってきた挽回のチャンス

2020年04月09日 | オーディオ談義

3週間ほど前の記事「好事魔多し」をご記憶だろうか。あまり人気のないオーディオ記事だが(笑)。

ざっと、かいつまむと「AXIOM80の2発体制から出発して低音域だけ受け持つユニット用のため希少なワーフェデールの口径25センチをオークションで落札したものの、惜しいことに片方のユニットから音が出ないために泣く泣く返却した」というお話。

その時のユニットがこれ。



人一倍強力ともいえる赤帯マグネット付きのユニットは、これまで(音質に)失望したことは一度もないので、今回の故障に心底からガッカリしたものの、早くも「挽回のチャンス」が巡ってきた。

天はその熱心さに免じて見放してくれなかったようだ(笑)。

何とこのタイプのさらに上級クラスがオークションに出品されたのである。





口径は同じ25センチだし、今回のものは同軸2ウェイになっているので、フルレンジとしても大いに期待が持てる逸品だ。

「よし、絶対に落札するぞ」と「腕を撫した」のは言うまでもない(笑)。

このクラスのユニットでは考えられる限りの高値を張って後は白川夜船、翌朝(6日)になって朝一でメールを開けると「貴方が落札者です」とのうれしい文字が躍っていたのでニッコリ。

しかし、どうやら強力なライバルが居たようで落札額が設定額ギリギリのレベルに達しており、無駄な抵抗(?)をしてくれたおかげで、前回の5割増し程度の落札額になっていた。

したがって、「うれしさも 中くらいなり おらが春」(一茶)(笑)。

さっそく代金を振り込み、出品者は岐阜県なので我が家への到着は8日(水)と踏んでいたところ、7日の夕方には到着したのでそのスピードに驚いた。

玄関先で受け取ったがそのズシリとした重さに思わず腰がよろけそうになったほど。

昼間のウォーキングでくたびれていたので「どういう風に活用するか」の企画どまりにして開梱は翌朝へと持ち越し。

その企画とは次の三通りになる。

1 AXIOM80の低音域に起用する

2 JBL「D123」を入れ換えて起用する

3 当面、平面バッフルに取りつける



1と2は、今のところ欲を言えばきりがないが音質に「さしたる不満」は無いので、なるべく代えたくないのがホンネ。まあ、交換は後々の楽しみに取っておくことにしよう。

となると残りは3になる。まあ、小手調べということで一番取り付けが簡単な方法を選んだ。



30分ほどで取り付け完了。

駆動したアンプはプリが「安井式」(12AU7をヴァルボのE80Cに交換)、パワーが「PX25シングル」

さあ、期待の音出しだ。箱に容れてないので低音を期待するのは無理だがおよそ「音の素性」は分かる。

何よりも前回の例があるので両チャンネルから音が出るかどうか一抹の不安を抱いていたがどうやら杞憂に終わりちゃんと音が出た。

一聴しただけで「やや硬い音だな」という気がしたが、どうも新品同様のユニットなのであまり鳴らし込んでないようで、当分の間鳴らし込みが必要だろう。

「音の素性」は文句なし。音の収束が早くて切れ味のいい音、「息を呑むほどの透明感」に心から満足しつつ、とりわけ高音域のレンジがよく伸びている。女性ボーカルはAXIOM80と競り合うほどの出来栄えかな。

これは「フルレンジ」として使わないともったいないとの感を深くした。

となると、JBL「D123」と交換するか、あるいは大きく飛躍して「ウェストミンスター」に収めて、フルレンジとして使う手もある。

夢は膨らむばかり~(笑)。

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クラシックの名曲全集

2020年04月07日 | 音楽談義

深夜のBS放送で「音楽のある風景」という番組を頻繁にやっている。

それこそクラシックからジャズ、ポップス、歌謡曲までいろんなCD全集の曲目のさわりの部分をピックアップして放映しており、宣伝に特化した番組(30分)といえる。

これまでにもつい釣られてしまい(笑)、「木村好夫のムードギター全集」や「魅惑のラテン音楽全集」などを購入している。



つい先日もクラシックの名曲ばかりを集めた「CD8枚組」の放映をやってた。題して「ヒーリング・クラシック・ザ・プレミアム」。

クラシックの楽しみはハーモニーと旋律を味わうことに尽きると思っているが、若い頃に聴き込んだ懐かしい曲目が多くて、ついほだされてしまった。

「さわりの部分だけ聴いてどうする、全体を通して聴いてこそ曲の良さが分かるのに」というご意見もあろうが、人生の残り時間が少なくなるにつれ「気短になる→手っ取り早さ」が優先してくるのは否定できない(笑)。

8枚だから毎朝の起き抜けに1枚づつ聴いても8日はかかるし、早朝から「清々しい気持ち」になれるのも悪くはあるまいと電話で注文し、三日ほどして到着した。



全体で105もの「名曲」が網羅されているが、はたしてどういう曲目が収録されているのか、一例として4番目のCDを血祭りにあげてみよう。



「タイスの冥想曲」、「歌劇カヴァレニア・ルスティカーナの間奏曲」、「パガニーニの主題による狂詩曲」、「私のお父さん」「クラリネット協奏曲2楽章」など、名曲がズラリ。

初心者向きの曲目ともいえるが、たまに聴くとついウットリしてしまう。

8枚のCDすべて手軽に聴けるように「ブルーレイ・レコーダー」に収録した。

というわけで本体の8枚は遊んでいる状態なので、ご興味のある方はお貸ししますよ、と言いたいところだが周知のとおり「音楽CD」は著作権という厄介な代物がついて回っている。

コピーしたCDを不特定多数にばらまくのはもちろん違法だが、「買ったCDを友人に貸すケース」に対してはどうなんだろうか?

ネットの記載は次のとおりだった。

「少数であればOKです。「友人」は、自分や家族のような「家庭内その他これに準ずる範囲」に含まれませんが、親しい友人数人程度であれば違法にはなりません。とはいえ10人や50人、さらにそれ以上など大人数になってくると話は変わってきます。」

とのことだが、どうやら仰々しく騒ぎ立てるものではないようで水面下の話に済ませておくのが「大人の知恵」というものだろうか(笑)。

そういうわけで、メル友さんのうちご希望の方はどうか気軽に私宛てメールしてくださいな。すぐに「所定の手続き」を取りますよ~。

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「こんな音楽、こんな音」のどこがいいんだろう?

2020年04月05日 | オーディオ談義

「ウヮ~ッ、汗臭い!」

午後の長い坂道ウォーキングから汗びっしょりで自宅に戻り、妻とすれ違ったときについ外方(そっぽ)を向かれてしまった

たかが汗の匂いなんかで、ガタガタ言うな!」と一喝してやりたいところだが、どこで陰湿な「復讐劇」が待っているか分からないのでぐっと我慢(笑)。

さて、この「匂い」というもの、たとえば閉め切った部屋の中で「嫌な匂い」を消臭剤や空気清浄機で半分まで減らしたとしても、私たちは「あぁ、半分の匂いになった」とは感じない。

「ほとんど変わってない」あるいは「やっぱり匂う」と感じてしまう。実は「半分になった」と感じるためには、「匂い」の90%を除去しなければならない。

「音」だってそう。

私たちはかすかな「虫の音」と「コンサートの大音量」を同じように聞く〔感じる)ことができる。もし人間が音量の絶対値を感じとることができるとすれば、「虫の音」は小さい音量なので感じ方も小さく、コンサートの大音量であれば感じ方も大きいことになるが、実際にはそうではない。

音の大小にかかわらず感じ方〔感覚)は同じで、小さい音も大きい音も同じように感じることが出来る。

たとえば10のエネルギーを持つ音があるとき、何倍にすれば人間は音の大きさ(感覚)が倍になったと感じるだろうか。

普通に考えると「倍だから、エネルギー量は20では?」と考えるが、人間の耳はそれほど鋭くはない。「2倍になった」と感じさせるには、実際には10倍の音の大きさにしなければならない。「10」の音が「100」になって、ようやく「2倍」と感じることができる。

こうした「匂い」や「音」などの五感、つまり「視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚」の感じ方には独自の法則があって、それは「足し算」ではなくて「掛け算」の世界で感じることが分かっている。

これが1860年に発表された
「ウェーバー=フェヒナーの法則」である。

「感覚の強さR
は刺激の強さSの対数に比例する」

これが「精神物理学」といわれる学問の発端となった画期的な法則である。

※ 「対数」とは、たとえば「2の3乗=8」のとき8の常用対数は3と表される。そう、誰もが学生時代に習ったあのややこしい(?)「log」の概念である。

「精神物理学」は心理学者ウェーバーが「感覚の世界を定量化できないか?」と考えたことから始まった。人の感覚というものはとても主観的なものだが、なにもかも「これは主観だ」と言っていては学問にならない。

こうしてウェーバーが目に見えない「人の気持ち」や「感覚」を定量化するために行った様々な研究をもとに物理学者フェヒナーが1860年に数式化に成功したものがこの法則だ。

つまり何が言いたいのかといえば私たち人間の感覚は、けっしていい加減なものではなく定量化できるということである。

以上、「面白くて眠れなくなる数学」(PHP)からの引用でした。もちろん自説ではないのでどうか信用してくださいね(笑)。

               

というわけで「オーディオ」が「聴覚」の分野に所属するのはいうまでもないが、残念なことに上記の法則ですべてが説明できるわけでもない。

それは単なる入り口に過ぎず、問題は音を聴いて「心地よく感じる感覚」がどこに由来するのかということに尽きる。

そこで
「オーディオ=音響物理学+精神物理学+感性」の登場になるが、この「感性」というものが個人ごとに千差万別なので定量化できないところにオーディオの究極の魔訶不思議が秘められている。

好きな音楽だって個人ごとに千差万別なので一致することはめったにないし、ましてやオーディオ・サウンドに至っては推して知るべし。


したがって、自分では「いい音楽でしょう、いい音でしょう」と自慢気に思っていても、他人にとっては「それほどでもないなあ」という「すれ違い」がしょっちゅう起こり、言葉や法則だけでは納得のいく説明ができないために世界中の至る所で悲喜劇が繰り返されることになる。

たとえば、オーディオ仲間との交流における離合集散などが典型的な事例で、親密な交流が不幸にも次第に疎遠になったりする原因の一つには、お互いの「いったいこんな音楽、こんな音のどこがいいんだろう」という感覚が契機になっているように思うのだが、はたして皆様のご意見はいかがでしょうか(笑)。

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「サランネット」=「見てくれ」=「余裕」

2020年04月03日 | オーディオ談義

つい先日、チャンデバを使ってオールJBLの「3ウェイシステム」を構築したのは既に述べたとおり。

いちいち解説しなくても次の画像で(その構成は)一目瞭然ですよね。このブログの読者なら
(笑)。



当初は”あっけらかん”として「屈託のない音」だと思えたし、周囲はイギリス系のユニットばかりなのでこういうネアカのシステムもあっていいと、割り切っていた積りだったが、そのうちいつもの「ネクラ志向=鬱的傾向」が顔を出してきてしまった(笑)。

漏れ聞いたところによると、あのクラシック好きの「瀬川冬樹」さん(オーディオ評論家:故人)でさえ「AXIOM80」からJBLのシステムに変更されたものの、亡くなられる直前には「AXIOM80を複数本まとめて鳴らしたい」と仰っていたそうで、その揺れ動く気持ちが何だかわかるような気がする。

我が家の場合はスコーカー(中音域担当)を入れ換えることでクラシックとジャズの二刀流で対応しようと「175ドライバー」から「コーン型」(ナショナル)へ変更したのはこれまた以前に記載したとおり。



そして、この機会にこの際いろいろと手持ちのスコーカーを試してみたくなった。いつものように段々と大がかりになってくるのが我が家のスタイルだ(笑)。

はて、どのくらい(スコーカーが)あったかなと寄せ集めてみたところ、上記の二つを除いて3つほどあった。気が付いてみるといずれもグッドマン(英国)製だった。



左から、1が丸型の10センチ口径ユニット(自作バッフル付き)、2がグッドマンには珍しいホーン型の「ミダックス」、そして3が小型楕円形ユニット。

バナナプラグなので入れ換えが苦にならず実に簡単。それぞれ試してみたところ次のような結果に落ち着いた。

まず1は音色はいいが規格が「700ヘルツ~」なので惜しくもアウト、ミダックスはウーファーの「D123」(JBL)と音色が合わずこれもアウト、そして小型楕円形ユニットはフルレンジなので応用範囲が広いし、ウーファーとの相性も良さそうで勇躍残留組へ。

となると、ツィーターも「075」からワーフェデールの「スーパー3」へ交換。



そして最終形がこれ。



低音域から高音域にかけて、まことにグッドバランスで我ながら惚れ惚れするような音になった。もうこれ1つで十分じゃなかろうかと思わせるほどでクロスオーバーは「500ヘルツと6000ヘルツ」で決まり。

ユニットが変わったのでそれぞれの持ち味を発揮させるために駆動する3台の真空管アンプにも影響が及んだ。

「~500ヘルツ」→「WE300B(1960年)シングル」、「500~6000ヘルツ」→「71Aシングル2号機」、「6000ヘルツ~」→「71Aシングル1号機」

結局、(我が家では)JBLのコーン型ユニットはせいぜい500ヘルツまでの使用がベストとの感を深くした。

ちなみに、お気づきの方もいるだろうがコロナ騒動の中で暇に任せてご覧のように3日掛かりでスピーカーをカバーする「サランネット」を作ってみた。

寸法を合わせて作った木の枠に網戸用のネット(黒)を2枚、ダブルで張り付けたところどうにか「様(さま)」になったようだ。

いささか「見てくれ」に気を配るようになったのも余裕の現れかな(笑)。

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ようやく開いた図書館

2020年04月01日 | 独り言

とうとう別府からも「新型肺炎」で二人の感染が確認された。

心配性の妻は30分おきに体温を測って一喜一憂し、ちょっと風邪気味のせいか37度の熱に「もしかしてコロナじゃないかしら」と、大騒ぎで真夜中に起きたりするので「いい加減にしろ!」と一喝してやった、と言いたいところだが、明日は我が身かも知れないのでそういうわけにもいかないし(笑)。

昨日(31日)、クリニックに行って「PCR検査」を受け「陰性」を確認してようやく一件落着。

目下の「新型肺炎」対策は家にずっと閉じこもり他人と出来るだけ接触しないことに尽きるようだが、「音楽&オーディオ」愛好家にとっては”うってつけの趣味”といえそうですね。まったく苦にならない(笑)。

ただ運動ジムが閉館になってから3週間余にもなるのには少々閉口している。

持病があるので食後の運動は欠かせないため、仕方なく近くの長い坂道を午前と午後の2回に分けて、40分ほどかけてせっせと登ったり降りたりしているが、器具を使ったストレッチが出来ないのが痛い。

そして図書館も3月5日からずっと休館中だったが、先週の27日(金)からようやく開いた。

さっそく出かけてみると、入り口でものものしく「在館時間は30分以内」「入館時の手の消毒」を求められたので、「ハイいいですよ」と館内へ。



いずれも新刊ばかりで目いっぱいの5冊を借りた。

このうち真っ先に手に取ったのは「難読語の由来」で、この手の本は「雑学好き」にとってはたまらない。

読み方の難しい言葉の語源から遡って、なぜそう読むのか、そして意味まで述べてあって日本語の奥深さを知るには絶好の本だった。

一例として、「玄人」(くろうと)という言葉を引用させてもらおう。(要旨)

「彼の油絵は玄人はだしだ」などという。対する言葉「素人」(しろうと)との関係で、非常に優れた技術を有する人とか、時には商売人とか、そんな意味の言葉といえる。

その語源については「役者評判記」の「黒吉」の黒を受けてとか、一芸に苦労した人だからとかもいわれるが、やはり素人(白人)に対立させたと見るのが穏やかだ。

したがって「黒人」と書いてもよいし、そう書かれることもあるが一般には「玄人」だ。

「玄」という漢字は「常用漢字表」も「ゲン」という音しか載せていない。その意味の一つは「玄妙」「幽玄」の「玄」で奥深いという意味だ。もう一つが黒いという意味で、これは「玄米」の「玄」に当たる。

したがって「玄人」は「くろひと」と読むのが普通で、それがウ音便化したものの、素人に引かれてかあるいは「蔵人」(くらうど)との区別を意識させるためにか、その「と」は濁音化しないままで定着したものといえよう。

「玄」の字で意味が見えないとされる単語が「玄関」だ。

玄妙な道に進み入る関門、ということなのだ。それが、禅寺の門や寺の書院の入り口や、武家の入り口などを言うようになって現在に至っている。」

以上のとおりだが、「玄関」という言葉にはとても奥深い意味が込められているわけで「玄妙=幽玄で微妙」な道への関門という意味から、肉体的かつ精神的な修行への入り口を思わせるところがあり、一般的な家庭ではおいそれとは使えない気がしてきた。

そういえばマンションなどの集合住宅の場合「玄関」よりも「エントランス」とか「入口ドア」とかの表現が使われているのもその一環だろうか(笑)。

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