「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

長岡鉄男さんが残した名言

2020年05月31日 | オーディオ談義

先日のこと、全国「五大紙」の一つ「日本経済新聞」第一面のコラム「春秋」に次のような記事が記載されていた。

<手段が目的化することを趣味というー。オーディオ評論家の長岡鉄男さんが残した名言だ。世の中には音響・映像マニアと呼ばれる人々が一定数生息する。

彼らに「いい音や画質を楽しむのならライブや映画館に行けば?」と問いかけるのはご法度である。

好事家にとって芸術とはアンプやプロジェクターなど好みの機器の組み合わせで成立するものなのだ。情熱が高じるとスピーカーを自作したり音響のために部屋を改造したりする。家族にとってかなり迷惑な存在だ。でも最近はネットで配信される音楽や映像をスマホなどで気軽に楽しむ習慣がすっかり定着した。~以下略~>

以上のとおりだが、例の「コロナ禍」のせいか、このところ外を出歩かないで家庭の中で楽しめる趣味が見直されているようで、オーディオに対してもなかなか好意的な見方のようだ。

それにしても「長岡鉄男」さんのご登場とは懐かしい。たしかに、手段が目的化したものが趣味とすれば、「音楽」(目的)と「オーディオ」(手段)ほどピッタリと当てはまるものは無いですよね(笑)。

その長岡さんだがずっと以前に「脈々と受け継がれる長岡教」とのタイトルで投稿したことがある。

なんといっても我が家のシステムにいつも鉄槌を下されるオーディオ仲間のYさんのシステムに色濃くその残滓が投影されているのだから忘れることはない。

折角なので、再掲しておこう。

つい先日のブログ「大画面の迫力」の中で紹介させてもらったオーディオ仲間のYさん宅のシステム。

           

構成はエソテリックのCDトランスポート、TADのDAコンバーター、プリアンプは無しでマークレヴィンソンのパワーアンプ(モノ×2台)に直結。ちなみに前段機器は大型のバッテリー電源による駆動だ。

スピーカーもとても凝っている。5ウェイ方式で、スーパーウーファー、ウーファー(2発)、中音域は片チャンネル9個の小型ユニット、ツィーター、スーパーツィーターという構成。

以上のように、そんじょそこらにはない独特の5ウェイシステムを紹介したところ、すぐに敏感に反応されたのがメル友の「I」さん(東海地方)だった。その「I」さんから次のようなお問い合わせがあった。

「将来機会がありましたら、またYさん邸の取材をしていただけませんか。知りたいポイントがいくつかありますので。(本当に、機会があればで結構です)  

1 ご使用のユニット名
 
2 クロスオーバー周波数
 
3 ミッドの小口径ユニット9本のつなぎ方

「了解しました。お安い御用です。次回にYさんがお見えになったときに確認しておきましょう。」

その機会がすぐにやってきたので、Yさんにお訊ねしたところ、「分かりやすいように紙に書きましょう。」と、すぐにしたためてくれた。

             

これをパチリとやって添付ファイルで「I」さんに送信したところ、すぐに次のような返信メールが届いた。

「おこがましい言い方ですが、よく考えられた構成ですね。ワンアンプでどのように鳴らすのか私には見当もつきませんでした。総合インピーダンス2.7Ωでもマーク・レビンソンなら大丈夫でしょうね。
 
ネットワークのLが一個だけで、鮮度が凄く高いだろうなと感じます。エンクロージャも上流機器も高級で、間違いなくいい音がしているでしょうね。

もし九州に行けたとして、聴きたい音が一つ増えました。
 
Yさんは高級機をお使いですが、故長岡鉄男さんの影響も少し感じました・・・ちがうかな・・・。じつは当方、評論家の方では、長岡鉄男さんの影響を最も強く受けています。
 
今回は本当にありがとうございました。Yさんによろしくお伝えください。」

これに対して次のように返信。

「仰る通りです。Yさんはかって長岡教の信者だった方です。音の変化がとても大きいSPいじりが45年にも及ぶベテランです。この5ウェイシステムの設計思想はミッドの9個のユニットがメインとなっておりコイルもコンデンサーも使わずにダイレクトにつなぐ、それに低音と高音を加えるものです。「I」様の4ウェイシステムと設計思想がまったく同じですね!

それでは失礼します。Yさんに感謝の言葉を伝えておきます。」

さて、「長岡鉄男さん(1926~2000年)て誰?」という方も多いかもしれない。手っ取り早くネットから引用すると、

「東京都出身。初めは放送・コント作家であったが、1959年(昭和34年)頃からオーディオ評論家として活動。作家ならではの筆力とユーモアあふれる文章でメーカーに媚びない辛口の批評を書くことによって人気を博した。

コストパフォーマンスを重視した廉価製品の評価、自作スピーカーの工作記事およびソフト紹介(主に外盤)でも知られ、生涯に600種類もの自作スピーカーの設計を発表、生涯に保有したレコード、CD、LDの数は総計5万枚に及ぶ。

晩年には究極のホームシアタールームを実現するため、埼玉県越谷市の自宅に「方舟(はこぶね)」と自称する建物を建てて話題となった。レコード評論家としても有名であった。趣味はアンティークカメラの蒐集。」

歴戦のオーディオ愛好家で「長岡鉄男」さんを知らない人はモグリといっていいかもしれないほど当時は有名だった。

                                    

「出来るだけ少ない投資額でいい音を出す」のがポリシーでオーディオ界に「コストパフォーマンス」という意識を深く浸透させた方である。

もちろん、「藝術を鑑賞するのにコストパフォーマンスという言葉はふさわしくない」と、反対派も多かったが、最後までその姿勢がブレることはなかった。

自分にとってはちょっと肌合いが違う評論家だったので信奉とまではいかなかったが、そのポリシーには大いに共感を覚えていた。

そもそも、高額の投資によって「いい音」が出たとしてもあまりうれしい気持ちがしないのは自分だけだろうか(笑)。

それにしても、長岡さんが亡くなられてからもう17年も経つがいまだに脈々と受け継がれる「長岡教」の影響力に今さらながら感心した。

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不思議な現象

2020年05月29日 | オーディオ談義

まことに「不思議な現象」が続いている。

な~に、この拙いブログの話だが3か月前の過去記事がいまだに閲覧ランキングの上位に毎日のように食い込んでいるのだ!

大半の記事がまるで打ち上げ花火のようにあっという間に消え去っていくのに~。ブログを始めて14年間、こんなことはいまだかって無かった。

そのブログのタイトルは「仮想アースの効果」(2020年2月29日)。

そこまで読者の興味を惹き続けている理由っていったい何だろうという疑問が当然のように湧く。



これが我が家の「仮想アース」。

長崎在住のオーディオ愛好家のご厚意で作っていただいたものだが、「仮想アースっていったい何?」という方がおられるだろうから、簡にして要を得た当方宛のメールを紹介しておこう(再掲)。

「仮想アースの件でメールさせていただきました。アースラインノイズの吸収効果等があるそうです。オカルトかと思いましたが、廉価で手軽に試せることから、ステンレスタワシ数個で試作したところ、思いのほかの効果がありました。

ガラスケース等にステンレスタワシと銅板の電極を詰め込み、アース線などで機器のシャーシやアース端子に接続するだけです。

現在、DACのUSBアースとパワーアンプのSP端子(マイナス)に接続しています。

ウッドベースが「ボン・ボン」から「グオン・グオン」に、シンバルが「チン・チン」から「シャン・シャン」に化けました。稚拙な表現ですみません。

数千円程度でできますので、チャンデバのGND等に試されてはいかがでしょうか。また、真空管アンプで効果が確認できれば仮想アースの理解が進みます。

これらの一連の仮想アースは、安全アース(地球の地中)作用の代用ではございません。ただ、音質アップを狙った試行錯誤によるアイデア品です。  

測定値、理論などには全く行き届いておりません。純粋に、なぜか音が良くなる的な ”ユニーク発想品” です(それもお使い機材や環境により、必ずのお約束は出来ません)。

以上のとおりだが、最後の「(効果が)必ずのお約束は出来ません」に、むしろ信憑性が漂ってますね。この表現大いに気に入りました(笑)。

さて、仕上がり具合は満足の一言だったが、当時は3ウェイのチャンデバを使っており筐体にアース端子が出ていたのでこれ幸いとばかり繋いでいたが、現在はチャンデバ方式は一時休憩中。

そこで、こんな優れものを遊ばせておくのはもったいないので現在は真空管式のプリアンプに繋いでいる。

「どうやって繋げばいいんでしょうかね」と、オーディオ仲間に相談したところ、「ああ簡単ですよ」と教えてもらったのがこれ。



まず不要になったRCAプラグのコードをばらして外側の線を剥き、「仮想アース」から出したコードと結ぶ。

そのプラグをプリアンプの空いた入力端子に差し込む。



実に簡単で、現在プリアンプを2台常用しているので、片方のプリアンプにも同様に接続している。

さて、その効果だが仲間によると「あまり変わりませんねえ。他家では凄い効果だったのに・・」(笑)。

これは推測だが、我が家のオーディオ機器はすべて電源対策を施しており降圧トランスを利用した「200V → 100V」電源と「リチウムイオン電池」を利用しているが前者にはしっかりとアース対策を施している。



その効果だと思いたいところだが、断定はできない。

しかし、一般的な家庭用電源を使っていないことによる心理的効果は無視できないところですね(笑)。

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コロナ禍における素敵なプレゼント

2020年05月27日 | 独り言

全国的に「緊急事態宣言解除」となり、コロナ禍もようやく落ち着いてきましたね。これも国民一人一人の良識ある行動の賜物だと思います。

この別府市では図書館は開館したものの市営の運動ジムは6月末まで休館とのことで後一息の辛抱。

そして家内の「コロナ恐怖症」ともいえる不眠騒動もどうにか一段落しつつあるものの、心臓がドキドキして夜中に突然目が覚めたり、寝つきが悪かったりで完治にはまだまだ~。

食欲の減退とともに体重も3Kgぐらい落ちたようで、元から痩せ型だったのでもはや見る影もない
。唯一の取り柄(?)だった元気溌溂さもすっかり影をひそめてしまった。

以前のブログでそのことをチラッと触れていたところ、この度四国在住のSさんから次のコメントとともに素敵なプレゼントが届いた。

「例のコロナで あまびえ が流行していることをひと月ほど前に妻から教えてもらい少し前の日曜美術館でも取り上げられておりました 

元来 神社仏閣で売っているお守りのようなものは信じておりませんし

持ってもおりません 人からご厚意で頂きそうな時は断るのが一苦労です

 試しに作ってみたら意外と好評で 造形的にも面白いので暇なときに作っております 奥様の気持ちが少し楽になれば幸いです」

   

「あまびえ」とは初めて聞く言葉で当初は「アマエビ」と勘違いしてしまった(笑)。

何でも江戸時代の肥後(熊本)に出現した妖怪のことで、鳥に似たくちばしがあり、「病が流行ったら私の写し絵を人々に見せよ」と言い残して海へ消えたという言い伝えがあるそうです。

いわば「疫病退散の願いを込めたお人魚さん」で全国的にもブームになっているそうですよ。

家内に見せると「ワーっ、素敵!耳にイヤリングまで付いていて・・。とても細かくて緻密な細工に驚いたわ。くれぐれもお礼を言っておいてね」

Sさんは高校の美術の先生とのことだが、器用なこともさることながら美的センスに溢れた方である。自分と同じようにAXIOM80(初期版)の愛好家なので耳の方のセンスも抜群(笑)。

何しろプロ顔負けのSPボックスを自作される方である。以前のブログにも掲載させていただいたが次のとおり。



重量80kgに及ぶバックロードホーン型式の凝ったツクリで内部構造は次のとおり。



そして自作されたラジカセサイズの「ミニ・メトロゴン」がこれ。実際に聴けるようになっているのだから凄い。



さらにはSさんのご指導のもと、高校生たちが段ボールで作った実物大の「スーパーカブC100」。あまりの精巧さにホンダ本社から取材を受けたそうですよ。


丁度、23日(土)にお見えになったオーディオ仲間のYさんともこの件で大いに話が盛り上がったが、行き着くところは「早く四国に試聴に行きたいねえ」。

6月19日以降に県際間移動が晴れて解禁とのことで、後一息の辛抱です~。

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久しぶりの試聴会

2020年05月25日 | オーディオ談義

「お久しぶりです。お元気ですか?今日は13時ごろにいかがでしょうか。」

オーディオ仲間のYさんにこう連絡したのはこの23日(土)のことだった。

先月(4月)の29日以来およそ1か月ぶりの連絡だったが、「ハイ、いいですよ~」。

このところあまりシステムの変更をしていないのでつい連絡が途絶えてしまった。

ここでお断りしておきたいのだが、第三者に聴いていただくのは「いい音ですねえ」との賛辞なんかはまったく期待しておらず、逆に遠慮なく欠点を指摘してもらうために来ていただいている。

もちろん、オーディオは自分さえ満足していればそれで完結する世界だが、それでは「井の中の蛙」になって進歩が望めない。

その点、Yさんはフルート奏者なので日頃から「生の音」に鍛えられているせいか、とても鋭い耳をしておられいつも的確なご指摘をいただいてたいへん重宝している。

これは断言してもいいけれど、「原音再生」の観点からするとすべてのシステムは何らかの欠点を有しており、およそ完璧なシステムはこの世には存在しない。

他のオーディオ愛好家のブログなどを拝見すると、ときどき絶賛の嵐に遭遇したりするが「この人はちょっと耳がおかしいのとちゃうか」なんて思ったりする。

とはいえ、「外交辞令」かもしれず真に受けるのは禁物かも知れない。その辺は察してやらないとね(笑)。

その昔、あるオーディオ評論家の本を読んでいたら「他家のシステムを聴いてご本人の面前で音が悪いですねと言うのは、あなたの子供はバカですねと言うのと一緒だ」と書いてあった。

まあ、相当に親しくならないと腹蔵の無い意見は無理というのはたしかですね。

さて前置きはこのくらいにして試聴会の結果を後日のために記録しておこう。

はじめに聴いていただいたのは「ウェストミンスター」(改)である。チャンデバを使わないで、コイルとコンデンサーを駆使した変則3ウェイシステムである。

駆動するアンプは低音域に「PX25シングル」、中高音域に「6A3シングル」(銅板シャーシ)の2台。試聴盤は「ボレロ」(ラベル)。



「この前聴いたときよりもエージングが進んだせいか「スーパー10」(ワーフェデール:赤帯マグネット)の音がずいぶん柔らかくなりましたねえ。いいんじゃないですか」と、ポツリ。

新品同様のSPユニットはエージングに時間がかかり、聴く頻度にもよるが半年は覚悟しておかねばなるまい。鳴らせば鳴らすほど音がこなれてくるので楽しみだ。このシステムはさしたる指摘もなく無事通過。

次に聴いていただいたのがこれまた変則2ウェイシステム。



クロスオーバーを300ヘルツ前後にして「300ヘルツ以下」(-6db/oct)をJBL[D123」(口径30センチ)、「300ヘルツ以上」を「AXIOM80」(復刻版)にしている。

駆動するアンプは同じ2台のアンプ。

「さすがにAXIOM80ですねえ。スーパー10に比べると音の雰囲気の表現力が一枚上手です。どちらかのシステムを一つ選べと言われたら私はこちらを選びます。」

「そうですか、もうこれ一つあれば他は要らないと思いますか」

「いいえ、コントラバスの低音ぐらいならこれで十分いけますがオルガンの地を這ってくるような低音となるとウェストミンスターじゃないとダメです」

「成る程」(笑)。

最後に「LE8T+175ドライバー」の登場。2ウェイ方式でクロスオーヴァ―はおよそ900ヘルツ。



「JBL同士の組み合わせにしては何だかベールが1枚かかったような音ですね。どうもしっくりきません・・・。元のフルレンジに戻せますか」

「ええ、簡単ですよ。ハイカット用のコイルを外し、175用のアンプのスイッチをオフにするだけですから。アンプはPX25で鳴らしてみましょう」

「あっ、ベールが取れました。私はこちらの方がいいと思いますよ」

「そうですかねえ・・」と、未練気に佇む自分(笑)。

まさしく、白か黒ではなくて「灰色の選択」になるわけだが、しばらく相性のいいアンプに換えてみたり、ネットワークを工夫したりして粘ってみることにした。

何しろ簡単には諦めない性質(たち)でして
(笑)。

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ラベル作曲「高雅で感傷的なワルツ」

2020年05月23日 | 音楽談義

前々回のブログ「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」で紹介したラベル作曲の「優雅で感傷的なワルツ」。

よく調べてみると正式なタイトルは「高雅で感傷的なワルツ」だった。

「優雅」と「高雅」とどう違うんだと言いたくなるが、やはりニュアンスがちょっと違うみたいですよ。興味のある方は調べてみてください。

さて、世紀の大指揮者フルトヴェングラーがこよなく愛していたというこの曲目をぜひ聴いてみたくなったが、惜しいことに「フルトヴェングラー全集」(107枚)には収録されていない。

おぼろげな記憶とともに、たしか持っていたはずだがと探してみるとありました!



「ドビュッシー・ラベル全集」(全8枚組)の6枚目に収録されていた。トラック番号9~16で8節に分かれ全体で16分ほどの小曲。

指揮者はジャン・マルティノンで演奏はパリ管弦楽団。さほど有名な指揮者でもないし、なぜこの全集を購入したのか今となってはさっぱり思い出せないのが残念。

強いて挙げれば、ドビュッシー・ラベルともフランスの作曲家であり、それならば指揮者もフランス人がよかろうという程度かな。

この全集ではドビュッシーの曲目が4枚、ラベルが4枚という構成になっており、折角だからこの際ラベルをすべて聴くことにした。

収録されていた曲目は次のとおり。

<5枚目>
 ✰ ボレロ ✰ 海原の小舟 ✰ マ・メール・ロワ ✰ スペイン狂詩曲 

<6枚目>
✰ シエラザード(序曲) ✰ ラ・ヴァルス ✰ クープランの墓 ✰ 古風なメヌエット ✰ 亡き王女のためのパヴァーヌ ✰ 高雅で感傷的なワルツ

<7枚目>
✰ ダフニスとコロエ

<8枚目>
✰ 左手のためのピアノ協奏曲 ✰ ピアノ協奏曲

管弦楽が多いので、システムは「ウェストミンスター」(改)の出番となる。

低音域は「PX25シングル」、中高音域は「300B(6A3)シングル」と2台の真空管アンプで駆動。

低音が仰山出まっせえ(笑)。


ボレロ以外は親しみやすい旋律も特になかったが、よく聴いているうちに何だか「精巧に出来たジグソーパズル」を見ているような感じがしてきた。

一つ一つの複雑なピース(音符)が隙間なく埋められていく印象で無駄な音符が一つもなさそう。

明らかに日頃聴き慣れたドイツの作曲家たちとは作風が違うが、これはこれで悪くない。

気になったので作曲家「ラヴェル」をググってみた。



モーリス・ラヴェル(1875~1937)。

手短に表現すると、「オーケストレーションの天才」「管弦楽の魔術師」で、ドビュッシーと同じ印象派に属する(やや微妙な色分けがあるようだが)とある。印象派とは一言でいえば、気分や雰囲気を前面に押し出す音楽のこと。

フルトヴェングラーは演奏会のプログラムに入ってもいないのに、ベルリンフィルの楽団員にしょっちゅうこの曲目を演奏させていたのは先述したとおり。

その理由というのはラヴェルの音楽を愛していたからと言われているが、併せて「オーケストレーション」の妙味を通じて指揮者と楽団員との呼吸(いき)を合わせていたのでなかろうかなんて思ったりした。

戻ってラヴェルの音楽についての再度の印象だが、精緻なジグソーパズルを思わせるところは数学者の複雑な数式にも通じるところがあり、ラベルの風貌も何だか厳格な数学者を連想させる。

そういえばフランスは幾多の高名な数学者を輩出している。

ググってみると17世紀~20世紀前半で、画期的業績を残した世界的数学者を列挙すると、数では①フランスが圧勝、次は②ドイツと③イギリスとあった。

そのうちフランスの代表的な数学者としては「デカルト」(座標系)、「フェルマー」(最終定理)、「パスカル」(定理)、「フーリエ」(級数)、「ポアンカレ」(予想)など。

「数学は音の基礎」と言われているが、ラベルの精緻な音楽はそれを踏まえているのかもしれないですね。

これからドビュッシー、ラベルを集中的に聴いてみようかな。

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オーディオの推進力

2020年05月21日 | オーディオ談義

このところ、めっきりオーディオ関連の記事が少ないことにお気づきだろうか。

先日のブログに記載したように、白・黒以外の灰色という第三の「緩~い選択肢」を視野に入れ出してから随分と(サウンドに対して)寛容になった気がしている。

見方を変えると、「オーディオの推進力」にやや翳りが生じてきたともいえる。

我が家の場合、この推進力というのは次の3点に分類できる。

1 優れたサウンドを聴き分ける能力

これは音楽鑑賞力と表裏一体のものだが、肝心の聴力の方が「寄る年波」とともに下降傾向にある。とりわけ高音域の聴き取りにはあまり自信が持てない。

したがって市中の高級なオーディオ機器が段々と無縁の長物となりつつあるのははたして喜ぶべきか、悲しむべきか(笑)。

2 優れたオーディオ機器を選ぶ能力

「この機器はいい音が出そうだな」という感覚のことだが、この嗅覚はハッキリ言ってこれまで流してきた「血(投資額)と汗(手間)と涙(失敗体験)」の量に比例する。

この点、およそ50年間の悲しい(?)歴史を持っているので資格は十分あると思っているが、なにしろ先立つものが必要でしてねえ(笑)。

そこで、

3 熱意と財力

これは言い換えると「芸術鑑賞とコスト」という個人ごとの価値観に委ねられる。

若い頃はたとえ瞬間風速にしても「こんなにいい音で音楽を聴けるのならお金はいくら突っ込んでもいい!」という気になったものだが、この頃は機器のお値段と残された時間との兼ね合いを随分と意識するようになった。ちょっと淋しいですね(笑)。

以上、これらの諸事情が手伝ってここ3週間ばかりシステムの再編成に手を染めていないのがオーディオ記事が減った理由。

こういうことは我が家のオーディオ史上極めて珍しい(笑)。

ただし何もかも変化が無かったかと言えば嘘になる。

ほんのちょっとしたことなので登載するかどうかためらったのだが、久しぶりにオーディオの話題ということで俎上に載せてみよう。

それは「SPボックスの重し」についてである。

我が家の4系統システムのうちの一つ、「AXIOM80+リチャード・アレン」について。

2台の真空管アンプにより、アレンは低音専用として鳴らしているが、今のところまあまあ満足できる範囲に収まっている。

問題は自作の箱である。厚さ1.5cmの薄い板を使ってことさらに「箱の響き」を重視して製作したわけだが、市販のSPと違ってそこは素人づくりの悲しさで箱の強度と響きの関係がいまだに暗中模索である。

昨年(2019年)の4月には近くの竹林にある竹材を切ってきて箱の内部の4隅を補強したところ、とてもGOODな結果を得たが工作中に手が滑って右手親指をドリルで突き刺してしまい夜間の救急外来に駆け込んだ懐かしい思い出がある(笑)。

それ以来、素人作業を自粛していたがつい先日のこと、比較的軽量の箱に対して「重し」を置くと音がどう変化するんだろうと試してみた。

「重し」として使ったのは現在予備役編入中のJBLの「075ツィーター」である。ステンレスの削り出しホーンが付いているので重量は軽く見積もっても10kgぐらいはあるはず。

「百聞は一見に如かず」でご覧のとおり。



いろんな位置に置きながらテストしたところ、最もサウンドの響きが良かったのは天板の一番奥に置いたときだった。どうやら手前側にあるSPユニットとの重量バランスがうまくいったようだ。

ずっしりとした音の重量感が加わって大喜び。

タダで成就できたというのが何よりもありがたいですね(笑)。

最後に我が家の薔薇の花の紹介を。



品種は「ピエール・ド・ロンサール」(フランス)といって、初心者向きの育てやすい薔薇だそうです。

先日投稿したように玄関に向かって左側の赤いバラが枯れたと思ったら、今度は右側のロンサールが満開になってくれた。

家内によると、通りがかった人が「目の保養になるので散歩コースを変えました」と言ってくれたそうですよ。

ごく些細なことでも社会のお役に立てるとなるとうれしいものですね(笑)。

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「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」

2020年05月19日 | 音楽談義

前回のブログで当時長きにわたって帝王としてあれほど君臨したカラヤンなのに、フルトヴェングラーに比べると今やはるかに後塵を拝している所以もこの辺にありそうだ。」

と、記載していた
ところ、さっそく10年前の関連記事にアクセスされた読者がおられたことに驚いた。このブログは隅から隅までチェックされているようでまったく油断できない!(笑)

ブログを書くときに常に用心しているのが「過去記事の内容との矛盾」なので、内心ヒヤリとしたが一読したところどうやら破綻が無かったようでホッと一息。

カラヤンがなぜフルトヴェングラーに後れを取っているのか、その辺の疑問を持っておられる方が多いと思うので、改めて「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」を以下のとおり再掲させていだだこう。

20世紀の音楽界を代表する指揮者といえば、好き嫌いを越えて、まず「フルトヴェングラー」がきて、それからはちょっと迷うが「カラヤン」ではなかろうか。

もちろん「トスカニーニ」も外せないが、指揮棒だけではいい音楽は成り立たない。その点、前二者は常任指揮者として世界最高峰のベルリン・フィルハーモニーを長期間率いていたことに意味がある。

この二人、親子ほど年が違っているのに彼らの間に飛び交った火花の激しさは有名だ。

フルトヴェングラーはカラヤンを生涯にわたって徹底的に嫌悪し決して認めることはなかったが、結局カラヤンはフルトヴェングラーの没後にベルリンフィルの後継者に納まった。

懐古趣味というわけでもないが、この二人が残した録音も膨大かつ多岐にわたり影響力も大きいので数々の伝説に包まれたこの二人の実像を知っておくのも悪くはあるまいと思う。

背景には時代の流れによって現代では指揮者とオーケストラの関係がすっかり様変わりしてしまい、今後こういったカリスマ的な指揮者の出現はもはや不可能に近いという事情もある。

幸いにもフルトヴェングラーとカラヤン、両方の指揮者のもとで演奏した全盛時代のベルリン・フィルの樂団員の何人かがまだ健在だという。彼らこそがこの両巨匠を一番身近に、そして一番自然に体験した人々であることは疑う余地がない。

こういう趣旨のもと彼ら団員たちに丹念に取材を重ねてまとめあげられた本格的なインタビュー集が次の本。

「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」(2008.10.新潮選書)

                                 


著者の「川口(かわぐち)マーン恵美(えみ)」さんはシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科卒業、シュトゥットガルト在住。

本書にはクラシックを愛好する人には興味津々の内容がオンパレードだった。

それも両者の優劣論よりもむしろオーケストラの楽団員たちが何のこだわりもなく率直に吐いた音楽やオーケストラ論の方が面白かった。

取材の対象者(元団員)は11名、うちカラヤンの思い出だけは5名。いずれも若いときから聴衆に音楽を聴かせて「幸せ」を与えてきたハイな職業の持ち主ばかりだけに生き方、境遇ともに最高にハッピーな老人たちである。

☆ フルトヴェングラーへの賛美

存命中の楽団員全員からフルトヴェングラーへの賛美は未だに尽きることがない。


☆ カラヤン容認論と否定論

樂団員たちの間でも帝王カラヤンとの当時の距離関係によって評価がまちまちで一概に決め付けるわけにはいかない。

しかし、カラヤンの晩年が彼自身、そしてベルリン・フィルにとっても大きな不幸だったのは全員そろっての証言で疑いない。カラヤンはあまりに独裁者すぎて
「引きどき」
を誤ってしまったようだ。

以下、自分にとって記憶に残った発言をごく一部に過ぎないが挙げてみた。

○ 
ティンパニーは出番は少ないがオーケストラの中で極めて重要な楽器。大きな音の一撃で音楽の流れを決定的に支配する力を持っている。指揮者、コンサートマスター、ティンパニー、この三者間に信頼関係がなければ指揮者は怖くて演奏できない。(ティンパニー奏者フォーグラー氏)

※ 
カラヤンは以前ティンパニー奏者だったのでこの楽器の演奏に異常なほどにこだわった。

 ベルリンフィルの常任指揮者は樂団員たちの投票によって決められるが、後継者選びにあたり常に違ったタイプの指揮者を選んできた。

厳格で正確な指揮をする
ビューローから、次のニキシュはまるで反対の緩いラフな指揮。

そのあとに
フルトヴェングラーという哲学者が登場し、そして現実主義者のカラヤン

それに続くのが夢見る男
クラウディオ・アバド。彼の音楽は正確ではないかもしれないが本能やヒラメキがある。

そしてサイモン・ラトルの音楽にはおおらかで寛いだ人間的な温かさがある。(コントラバス奏者ヴァッツェル氏)

 フルトヴェングラーの後継者としてチェリビダッケが取り沙汰されたが、彼だけは楽団員の立場として「真っ平ごめん」だった。

それにベームもヨッフムも我々の目には二流としか映らなかった。後継者カラヤンは順当な選択だった。(コントラバス奏者ハルトマン氏)

○ カラヤンは素晴らしい業績を残したが亡くなってまだ20年も経たないのにもうすでに忘れられつつあるような気がする。

ところが、フルトヴェングラーは没後50年以上経つのに、未だに偉大で傑出している。

「フトヴェングラーかカラヤンか」という問いへの答えは何もアタマをひねらなくてもこれから自ずと決まっていくかもしれませんよ。
(コントラバス奏者ハルトマン氏)

 フルトヴェングラーはラヴェル(作曲家)を愛していた。大好きな「優雅で感傷的なワルツ」
を演奏会のプログラムでもないのにしょっちゅう自分のためだけに演奏させた。「スペイン狂詩曲」も好きだった。とにかくフルトヴェングラーのラヴェルは素晴らしかった。(チェロ奏者フィンケ氏)

以上のとおりだが、フルトヴェングラーとカラヤンの両方の指揮者のもとで演奏した団員たちはいずれも80代以上の高齢者ばかり。

「話を聞くなら、すぐに始めなければならない!」との著者の目論見はまったくの正解でカラヤン批判の急先鋒で本書の中でも最も精彩を放っていたテーリヒェン氏(ティンパニー奏者)が2回目のインタビュー後の2008年4月にあえなく他界。

2007年11月からほぼ10ヶ月をかけた取材のおかげで実に数々の貴重な証言が残されたことはほんとうに良かった。

実を言うと今でも「フルトヴェングラー全集」(107枚)を少なくとも毎日1枚は聴くことにしている。

録音はたしかに良くないが、「音質よりも音楽優先」という自戒の念を込めているのは言うまでもない(笑)。

         

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クリエイティブな演奏とは

2020年05月17日 | 音楽談義

月に2~3回の割合でメールをいただくジャズ愛好家の「I」さん(東海地方)から、このほど興味深い内容のメールが届いたので勝手ながら紹介させていただこう。

「突然ですが、私のジャズの好みについてちょっと聞いてください。
 
最近、上村芳郎さんという哲学の先生が書かれている「村のホームページ」というブログに巡り会いました。
 
興味深い記事が多くあり、「村の茶屋・音楽の聴こえる喫茶店」の項でジャズについて述べられています。久しぶりに共感できるジャズ話に会ったという反面、そうでない部分も多くありました。まあ当たり前のことではありますが。
 
”村”さんに刺激を受けました。
 
私の好きなアヴァンギャルドなジャズについてです。
ふつう、アヴァンギャルド・ジャズというとフリージャズと相似的にとらえることが多いと思います。

私の場合は、フリー系の演奏が好きということはありますが、フリーとは無関係なマイルスやビル・エバンス等の演奏の中にもアヴァンギャルドは感じます。
 
どんなコンセプトに限らず、クリエイティブに向き合った演奏を、私の言葉でアヴァンギャルドと言っています。

そうなんです!これからは「クリエイティブなジャズが好き」と言います。
 
私がクリエイティブだと思う演奏・・・モンクとドルフィーとアルバート・アイラーは生涯に亘ってクリエイティブだったと思います。

オーネット・コールマンは1965年までクリエイティブだったと思います。

マイルスは、ご本人の演奏がクリエイティブだったのは、ウエイン・ショーターが参加する前までだったと思います。

ビル・エバンスはスコット・ラファロがいた時が正にクリエイティブだったと思います。

その他、ブッカー・リトル、ポール・ブレイ、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダース・ジョージ・ラッセル・ジョージ・アダムス等々です・・・やはりフリーが多いかな(笑)
 
クリエイティブだと思わない演奏者

ホレス・シルバー、オスカー・ピーターソン、チック・コリア、キース・ジャレット、ハービー・ハンコック・・・ピアニストばかりだなあ(笑)
ソニー・ロリンズ、フレディ・ハバード、 その他フユージョン、クロスオーバーと言われる音楽をやる人達
 
なぜクリエイティブだと思わないかの理由ですが・・・。一口で言ってしまえば、いくら達者な演奏でも、「ハイ!一丁上がり!」を感じる演奏はご免です、ということです。
 
ジョン・コルトレーンは勉強中とさせてください。」

以上のとおりだが、演奏を聴きながらはたしてこれが「クリエイティブ」なのか、それとも「一丁上がり」なのか、この辺の「微妙な差」を感覚的に嗅ぎ分けるのが音楽愛好家の愛好家たる所以でしょうか。

もちろん個人的な嗜好になるので、ジャズ愛好家の中には「聞捨てならん!」といきり立つ方がいらっしゃるかもしれない(笑)。

これまで軽く100通以上のメールをいただいているので「I」さんの嗜好はおよそ把握している積りだが、「クリエイティブ」とはおそらく「創造的からもう一歩踏み込んだ
思索的な概念」のことではなかろうかと推察している。

上記の演奏家の中で心当たりがある曲目としては「ソニー・ロリンズ」の「サキソフォン・コロッサス」ですかね。タイトルからして「コロッサス=巨大な彫像」だから気負ってます。

クラシックファンながら、この演奏にはある種の爽快感を覚えていたのだが、「I」さんから言われてみるとたしかに自己陶酔気味の演奏者による「ハイ!一丁上がり!」の感がありますね。

言い換えると、いかにも「どうだ、参ったか!」と「大見えを切ってくる演奏」・・。

まあ、こればかりは個人の受け止め方次第なので良し悪しとは別の話だが、この「大見えを切ってくる」演奏でふと思い出したのが五味康祐氏の「指揮者カラヤン」への評価だ。



「昔のカラヤンは素晴らしかった、それに引き換え今はすっかり堕落した」と遠慮会釈なく酷評する当時の五味さんの言い分はこうだ。(157頁:要約)

「カラヤンがなぜ低俗かを説明しておく。芝居を例にとると、下手な役者に限ってストーリーの高揚したドラマティックな場面にくると大見えを切り、どうだとばかりに力演する。

つまり低級な演技である。優れた役者はそういう場面ではむしろ芝居を抑え、さりげなく演じるから”いぶし銀”のように演技は光り、ドラマの感動も深い。

交響曲も似たようなもので何楽章のどの辺が劇的かは予め分かっている。それを大根役者のように大見えを切られたのでは聴く方はシラけるばかり。何と低俗な演奏だろうと思う。

第九の極めどころは哀切幽玄の極致とも言うべき第三楽章のアダージョと終楽章の歓喜の合唱だが、そのどちらでもカラヤンはまことに低俗な見栄ばかり切ったからいやらしい演奏と私は言う。昔はそうではなかった。

昭和27年に出た「魔笛」「フィガロの結婚」のカラヤンは素晴らしかった。以下略~」

さあ、「自家薬籠中の物」とでも言うべき「魔笛」の登場ですよ~(笑)。

カラヤンは魔笛を3~4回録音しているが、たしかに一番出来がいいのは最初の「昭和27年版=1952年版」だと思う。



王子役の「アントン・デルモータ」(テノール)の熱演が白眉だが、総じて出演者たちが伸び伸びと歌っている印象を受ける。

五味さんの説に引っ張られるわけではないが、
どうやらデビュー早々のカラヤンの初々しくて「クリエイティブ」に徹した姿勢が良かったみたい。

芸術の分野において「権威と増長と大衆受け」が相関関係にあると、もう悲劇としか言いようがないが、その一例がこのカラヤンでしょうか。

当時長きにわたって帝王としてあれほど君臨したカラヤンなのに、「フルトヴェングラー」に比べると今やはるかに後塵を拝している所以もこの辺にありそうだ。

最後に、「クリエイティブ」な演奏についてネタを提供していただいた「I」さん、どうもありがとうございました。

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白か黒か、いや灰色だってあるよ

2020年05月15日 | オーディオ談義

欧米人に比べて日本人はジョークが下手とはよく聞く話である。

別に下手でもどうってことはないが、常にジョークを飛ばすほどの「心のゆとり」を持つことが大切で、英国では「ジョークは紳士のたしなみ」とされているほどだ。

たとえば「世界の首脳・ジョークとユーモア集」から一例を挙げると次のとおり。

                     

「欧米人はジョークでスピーチを始める。日本人は言い訳でスピーチを始める」と言われる。

英国のチャールズ皇太子が「世界で一番古い職業は・・・」といって一呼吸おき、聴衆が皇太子の口から「売春」という言葉が出るのかと息をのんだときに、「わが王室もその一つですが」と続けた話はそれをよく表している。

日本の皇室では、さすがにこのようなスピーチはお目にかかれないだろう。」

そして、もう一つ。

「自分の息子がどういう職業に向いているか知りたい男がいた。

ある日、聖書と一ドル紙幣とリンゴ1個を置いた部屋に息子を閉じ込めた。帰ってきたときに、息子が聖書を読んでいれば聖職者にしよう、リンゴを食べていれば農夫にしよう、一ドル紙幣をもてあそんでいれば銀行家にしようと決めていた。

帰ってみると、息子は聖書を尻の下に敷き、一ドル紙幣をポケットに入れ、リンゴはほとんど食べ尽くしていた。そこで親父は息子を「政治家」にすることにした。

アハハ、洋の東西を問わず「政治家」のイメージとはそんなものですかね。

ただ「ジョークは紳士のたしなみ」とはいえ、自分だってジョークを飛ばすのはそれほど得意でもないし、そもそも「お笑い番組」の類はいっさい観ない。

自然に笑みがこぼれてくるのなら素直に溶け込めるが、最初から意図的に笑いを取ろうとする”わざとらしさ”に対してつい拒絶反応が起きてしまう。

娘も「我が家ではどうしてお笑い番組を観ないの?」と不思議がっているほどで、ジョークとか「心のゆとり」に関してはあまり偉そうなことは言えない。

そういう中、「うまいジョーク」と「心のゆとり」の事例があるので紹介してみよう。

2016年のノーベル賞受賞者「大隅教授」が母校「福岡高校」に凱旋され、「創立百周年記念式典」における講演後の祝賀会で同窓会長による「開会の辞」がこれ。 

「大隅先生も朝早くからお疲れでしょう。先生がノーベル賞を受賞されるきっかけとなった酵母がいっぱいに入ったビールで早う乾杯しとうございますので手短に終わります。」(福中・福高同窓会「朝ぼらけ」通信より)

そして、ここからが本題に入るのだが、講演後に大隅教授に対して在校生による「質疑応答」の中で、「心のゆとり」に関して次の質問があった。

質問「先生が研究を続ける中で、くじけそうになったり、諦めたくなったりしたときに、どのようにして立ち直りましたか。」

回答「研究はほとんどが失敗で、思い通りにいかないことの連続です。実験と失敗の蓄積の上に次の一手を考えている日々です。

成功への期待を高めすぎず、失敗の連続で何をやったらいいのか分からなくなることすらも楽しめる心の余裕を持てるといいな、と思いながら私は乗り越えてきたと思っています。

高校で習うことには必ず答えがありますが、皆さんがこの先チャレンジすることには解答がありません。世の中のほとんどの事には正解が少ないことを知って、自分が正解を見つけ出そうという精神で世界を見てほしいと思います。」

というわけで、つまり何が言いたいのかといえば、世の中のほとんどの事は「正解がない=すっきり割り切れない」ということで、これはまさに「オーディオ」にピッタリじゃありませんかね!(笑)

もう50年近くオーディオをやってきているが、実はいまだに正解を見いだせないでいる。

ようやく「好きな音」を捕まえたと思ったらスルリと手中から逃げていく。

何しろ、まったく同じシステムなのに日によって聴こえ方が違うし、聴けば聴くほどにアラが見えてくるところがある。おそらく体調などが関係しているのだろうし、周辺の電源事情や音楽ソース自体の欠点だって無視できない。

したがって、まかり間違っても満点を取ろうなんて思わない方が賢いことは確かだ(笑)。

世の中は白か黒かばかりではなくて灰色だってあるんだから、むしろ安易に白か黒かをはっきりさせずに、灰色に留まり続ける「勇気」こそ「心のゆとり
」に繋がるのではなかろうかと開き直っている今日この頃。

これを敷衍すると、「自分が絶対に正しいとは思わない柔軟性」にも繋がってくる。

そういうわけで、これからも精神修養の一環として「正解のないオーディオ」を大いに楽しませてもらうとしましょうかね(笑)。

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ようやく開いた図書館

2020年05月13日 | 独り言

全国的にどうにか「下火」になりつつある「コロナ禍」だが、そろそろ図書館も開館してくれるかもしれないと電話してみた。

まず、地元の別府市の図書館だが「ハイ、今日(12日)から開館しています」。勢いを得て、隣町の図書館にも問い合わせたところ同じように「今日からです」。

さっそく、隣町から先に急行した。

入り口で「マスクの着用、手指の消毒、住所氏名電話番号の記載」を求められるなど、ものものしかったが、2か月近い休館だったので新刊書が溜まって”より取り見取り”だろうという当てが外れたのはご愛嬌(笑)。いつも通りの新刊書の量だった。



大好きなミステリー系が5冊で読み甲斐がありそうだ。

帰り際に地元の図書館へと足を伸ばした。



この中で興味深いのは「本屋を守れ」~読書とは国力~だ。

著者の「藤原正彦」氏は数学者(名誉教授)で過去に「国家の品格」というベストセラーがある。あの「新田次郎」氏と「藤原てい」氏(両者ともに作家)のご次男である。

表紙の裏に次のようなことが書いてあった。

「日本人の15歳の読解力はOECDの学習調達度調査で急落。月に1冊も本を読まない中高生や移動時間に新聞や文庫本を読まずスマホしか見ない大人たち。

町の本屋は減る一方。著者曰く、これらは国家全体に及ぶ”読書離れと教養の低下」にほかならない。めざすは”書店の復活”である。

”国語力なくして国力なし””町の書店がなぜ大切か””インターネットの情報で教養は身につかない””デジタルは記憶に残らない”

愛国の数学者が独自の直感と分析によって達した結論が日本人の常識になったとき、わが国は再び輝きを取り戻すだろう。」

以上、成る程と、つい釣られてざっと拾い読みしてみた。

まず、一番興味を惹かれた「デジタル本がなぜ記憶に残らないか」の要点だが、「本のタイトルが日常的に自然に目に入ってくるか否かの違い」が結論だった。

つまり、パソコンの内部に入れておくと、いちいち立ち上げるのが手間だし面倒くさいのでいつのまにか忘れてしまうというわけ。同感です(笑)。

これは音楽ソフトについて「レコードやCD」と「HDD」の関係に当てはまるかもですね。

次に、「英国紳士が絶対に使わない言葉」(122頁)が面白かった。

ちょっと長くなるが抜き書きしてみよう。

「アメリカと英国の両方で暮らした経験からいうと、英国人の目から見たトランプ氏はあたかも本を1冊も読みとおしたことがない人物のように映ります。アメリカ的なビジネスマンの典型で無教養な不動産成金。

第一の理由は彼のアメリカ的な言葉遣いにあります。たとえばアメリカ人は「得る」「手に入れる」というとき、何でも「get」を使いたがる。

しかし、英国紳士はできるだけこの言葉を避けようとします。なぜならエリート養成のパブリックスクールで「getは美しい英語ではない。君たちエリートが口にする言葉ではない」と厳しく教わったからです。代わりに「obtain」を使うようにといわれる。

ところがアメリカでは「obtain」という表現はすでに文語であり、現代会話ではほとんど使われていない。

同じ母国語として英語を使っても英米の間には大きな意識の差があります。

とくに英国紳士にとって不可欠なものは教養だからいくら大富豪になっても教養がないものは紳士階級に入れないという伝統があります。」

以上のとおりだが、これから新たなオーディオ機器を手に入れたときは「ゲット」という言葉を使わないようにしようと固く誓った次第(笑)。

言葉づかいもさることながら、「音楽サウンド」にしても英米の違いはとても大きい気がするが皆様はいかが思われますか?

最後に我が家の「薔薇の花」が満開になりました。

道すがら通りがかった方たちから「深紅の色艶といい、大きさといい見事な薔薇ですねえ」との声がよくかかるが、「ハイ、9年前に94歳で亡くなった母が植えていたものです。満開になるといつも在りし日を想い出します」と、ついしんみり。



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再びオペラ「魔笛」の登場

2020年05月11日 | オーディオ談義

これでも一応ブロガーの端くれを自認しているので、やはり投稿した記事のアクセス状況には無関心ではいられない。

多いに越したことはないので読者の反応が良ければさらに追い打ちを掛けて似たような話題を取り上げるし、反応が悪いときには(話題を)ガラリと変えてみたりする。

このところの傾向としては、以前はオーディオ関係の記事が着実にポイントを稼いでいたのだが、やや飽かれてきたようで音楽関係の記事の方がアクセスが多くなった。

とてもいい傾向ですね(笑)。

たとえば先日の「涙が追い付かない悲しさとは」で取り上げたオペラ「魔笛」(モーツァルト)についてだが、今年一番のアクセス数となったのは予想外だったし投稿以降もやたらに魔笛関連の過去記事へのアクセスが多くなった。

今こそ「追い打ち」をかける絶好のチャンス!(笑)

というわけで、以下のとおり「再び魔笛の登場」である。


このところ、オーディオの方もどうやら一段落してようやくオペラ「魔笛」をじっくり腰をすえて鑑賞する気になった。

とにかく”狂”と名がつくほどの40年来の「魔笛」ファンである。おそらく日本有数といっても過言ではあるまい。

指揮者と歌手の違う「魔笛」のイメージを追い求めて現在の手持ちCDが23セット、CDライブが11セット、そしてDVDが14セットで計48セットという有様。

何も沢山持っていることがいいとは限らず、そのことはよく分かっている積もりだが、何せ大切な身銭を切って購入するわけだからこの曲目に対する愛情のひとつの証にはなるだろう。

いつぞやの記事でベートーヴェンの名曲「ピアノ・ソナタ32番」について100枚以上の試聴盤を網羅したブログを紹介したことがあるが、それには及びもつかないものの、魔笛〔二幕)の場合はいずれも2~3枚セットで演奏時間も2時間半を越える大曲なので量的には匹敵するかと思う。

そもそも14年ほど前にこのブログを始めたのも全国の「魔笛」の愛好家と広く仲良しになって「魔笛倶楽部」(同好会)を設立しようというのが動機だった。

また、「魔笛」をもっと「いい音」で聴いて感動をより一層深めたいばかりにオーディオに深入りしたというのも当時の偽らざる心境だった。

そのうち、御多分に洩れず音楽を聴く手段に過ぎないオーデイオが何だか目的みたいになってしまったのはご愛嬌でして(笑)。

さて、「魔笛」を隅から隅まで熟知し、もう卒業したとも言えるこの時点で改めて聴くとなると、それこそ名盤目白押しだけれども自ずから絞られてくるところ。

それはコリン・デービス指揮(1984年録音:ドレスデン・シュターツカペレ)とウィリアム・クリスティ指揮(1996年録音:レザール・フロリサン)の2セット。

     

     

このCD盤の両者だがともにデジタル録音で、デービス盤は原盤が「オランダ・フィリップス」、クリスティ盤は「フランス・エラート」で、ともに優秀録音で知られたレーベルで互いに不足なし。

ただし同じデジタル録音でも12年の差があるので、録音環境の進歩が音質にどのくらい影響を与えているのだろうかという興味も尽きない。

まずデービス指揮の盤から。

一番聴きなれた「魔笛」なのではじめから違和感なくスッと入っていける。一言でいって、一切、奇を衒ったところがなく正統派の魔笛である。

主役級の5人も当時の一流の歌手で固めており、王子役(テノール)がペーター・シュライヤー、王女役(ソプラノ)がマーガレット・プライスというコンビも好み。

次に、クリスティ指揮の方は明らかに音響空間の透明度が高くて歌手や楽器の音色が自然体で彫も深くなる。やはり12年間の録音時期の差は明らかにあると思った。

歌手のほうはデービス盤に比べると総体的にちょっと見劣りするが、「夜の女王」役があのナタリー・デセイなので稀少盤という価値がある。

もし、「魔笛」でどの盤を購入したらよいかとアドバイスを求められたら、総合的にみて自分なら「クリスティ」盤を推薦する。

ところで、この魔笛が作曲されたのはモーツァルトが35歳の亡くなる年〔1791年)なので、晩年の作品に共通に見られるあの秋の青空のような澄み切った作風がうかがわれ、いわば彼の集大成ともいえるオペラなのだがどうも人気がいまひとつの感がしてしようがない。

こんな名曲なのに実に勿体ない気がする。

いろんな本の「モーツァルト」特集を見ても「モーツァルトの曲目アンケート」で上位に挙げてる人が少ない。

「馴染みにくい」の一言だろうが、一連のピアノ協奏曲が上位に食い込んでいるのにはちょっとガッカリ。

たしかにピアノ協奏曲は美しいメロディに満ち満ちており随分魅力的なことは認めるが、聴いている途中である程度決着がついてしまうたぐいの音楽である。そう、ショパンの音楽みたいに(笑)。

やはりモーツァルトはオペラを通じて親しめば親しむほど魅力が尽きない作曲家となっていく。

結局、「魔笛」であり、「ドン・ジョバンニ」であり「フィガロの結婚」である。

ある音楽雑誌に
「どうしようもないモーツァルト好きはオペラ・ファンに圧倒的に多い」とあったのには、まったく同感。

ただし、一度聴いたくらいでは縁遠くて親しみにくい曲であることは間違いない。

自分の経験では魔笛という音楽は正面から身構えて攻めるとスルリと逃げられてしまう印象が強い。

なにせ2時間30分の長大なオペラだから、よほどの人でない限り嫌いにはならないまでも退屈感を覚えるのが関の山。

「個人にとって本質的なものに出会うためには固有の道筋がある」(「音楽との対話」粟津則雄著、176頁)というのが音楽鑑賞の常道とは思うが、もしこれをきっかけに「魔笛」を一度聴いてみようかという人が、万一おられたとしたら留意して欲しいポイントを挙げておくと次のとおり。

(「要らん世話!」と怒られるかもしれないが。)

 名曲には違いないがやはり指揮者、歌手たちによって完成度が違う。何事も第一印象が大切なので慎重に盤を選択して一流の演奏〔※)から入って欲しい。

※ 「ハイティンク」、「サバリッシュ」、「クレンペラー」、「ベーム」〔1955年)、「カラヤン」(1952年)、「スイトナー」盤などが浮かぶ。

 はじめから全体を好きになろうとしない方がいい。どこか一箇所でも印象に残る旋律や、ある箇所の転調がもたらす感触などが気に入るとそれが糸口になって段々、全体が好きになるもの。

 なるべく始めは友人、知人から借りる、公共施設で聴く。これは金銭の負担がプレッシャーにならないという意味合いであり、お金が有り余っている人は別。(よろしかったらご相談に乗りますよ、自己紹介欄のメルアドまでどうぞ。)

といったところかな。

とにかく、クラシック全般にも言えることだが、魔笛に親しむコツはどんな形であれ何回も聴くに限る。

少々、くどいようだがこの作品がレパートリーに入るとすっかりモーツァルト観が変わり、何物にも代えられない「透明な音楽」の世界が広がる。

この音楽を知らずに一生を終えるのは、人生最高の宝物を失うことになりますよ!(笑) 

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古典管はぜひ「縦置き」にしよう

2020年05月09日 | 独り言

文明が発達したこの平和な世の中にまるで降ってわいたような今回の「コロナ禍」だった。目に見えないウィルスがこれほどの猛威を振るうとはだれにも予想できなかっただろう。

同じように世界的に蔓延した「スペイン風邪」が100年前というから、百年に一度の災厄ともいえる。

このところ、ようやく収束気味の傾向にあるが「ウィルスを完全に制圧するのは無理なので共存していこう」が、ノーベル賞受賞者の山中教授などの学識者によって提唱されているので長丁場になることは必至だし、これからの社会の仕組みにも大なり小なり影響を与えていきそうだ。

このほど「日経新聞」に「コロナ時代の仕事論」と題して「楠木 建」氏(一橋大学教授)が「絶対悲観主義の勧め」を投稿されていた。



スマホでご覧になっている人は無理だろうが、パソコンなら字が大きく見えて判読可能だと思うので内容の詳述は避けるが、要約すれば次のとおり。

「仕事哲学として物事が自分の思い通りにうまくいくという期待をなるべく持たないようにする。

<ま、うまくいかないだろうな・・・・、でもちょっとやってみるか>と構えておく。こういうマインドセットを絶対悲観主義と呼んでいる。」

これって、我が家のオーディオに対する対処方針と見事に符合しているんですよねえ(笑)。

いつもマインドセットのツマミを「悲観方向」に回しているので、たとえ失敗しても「ま、いっか」で済む。

このブログではいつもオーディオの成功事例ばかり載せているようだが、その背景には失敗事例が山ほど横たわっているのをご存知だろうか。

ほら、パチンコ好きが儲けたときのことしか話さないのと同じで、巧くいかなかった話はなるべくしたくないというのが人間心理というもの。

ほんとうは失敗事例の中にこそ、物事の本質に近づけることが多いのだろうが、やはり「一寸の虫」にも「五分の魂=プライド」というものがありましてねえ(笑)。

そこでタメになる失敗事例についてだが、オーディオの場合でいえばやはり「実害」を伴うものが最たるものだろう。

そこでふと思い出したのが8年も前のブログ。

「WE300B」真空管についての解説の中の一部を引用して終わりとさせていただこう。

WE300B真空管は、過去に軍事用の通信機器に使用されていたこともあり、国策としてアメリカ政府が多大の予算を割いて作らせていたという逸話がある。

なにせ「敵との交戦中に真空管が故障して通信ができませんでした」とあっては責任重大、何物にも代えがたい多くの貴重な人命が失われる可能性があるので、ツクリは精緻を極め、不良管の選別検査は厳格そのもので普通の民間の真空管とは耐久性のレベルがまったく違う。まあWE300Bに限らず総じて軍事用の製品はハイレベルといっていい。

それにしてもWE300Bは何という優雅な形をしているんだろう。明らかに工業製品の域を脱して、もはや美術品といっても差支えないほどの佇まい。それでいて音が抜群にいいんだから・・・。まったく、魂をすっかり吸い取られそうな魅力を放っている!

                   

ウェスタンの世界は真空管をはじめアンプ、スピーカーなど奥が深くて先達も多いし、とても自分ごときが語る資格はない。

以下、伝聞だがこのWE300Bにもピンからキリがあって、「最上の音」とされるのは「刻印」と称されるもので、ロゴが真空管のベースにわざわざ彫り込んであり、「幻の真空管」として先ず手に入れるのは至難の業。製造されたのは1940年代で、値段の方も目の玉が飛び出るほどでオークションでは程度が良いペアともなるとおよそ100万円近くする。

これはずっと昔のオーディオ専門誌「無線と実験」に書いてあった記事だが、あるマニアがこの「刻印」をアンプから外して冷たい床に置いた途端、ピシリと真空管のガラスにヒビが入って使いものにならなくなったという逸話が今でも脳裡に焼き付いている。

実にお気の毒~。おそらく自分ならショックのあまりしばらく寝込んでしまったに違いない。

以上のとおりだが、古典管を一時的に抜いたり、保管したり、あるいは送付するときはくれぐれも「縦置き」にすることを忘れないようにしましょうね!

ちなみに、これが我が家の保管状況です。



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昔の道具で出ています

2020年05月07日 | オーディオ談義

その昔、大ヒットした歌謡曲に「昔の名前で出ています」というタイトルがあった。

各地の酒場を渡り歩くホステスが忘れられない昔の男性の面影を求めて、「昔の名前で出ているのでどうか私に気が付いて」という趣旨の歌詞である。

我が家のオーディオもこのところ、昔購入した道具の出番がやたらに多くなった。

つまり「昔の道具で出ています」(笑)。

その活躍ぶりを2点ほど挙げてみよう。以下、やや専門的な内容になるので興味のない方は素通りしてくださいね。

✰ 古いオイルコンデンサー



JBLの「LE8T(口径20センチ)」(低音域)と「AXIOM80」(復刻版:中高音域)との組み合わせが巧くいったので「JBLとAXIOM80」は相性がいいとばかり、このほど「D123(口径30センチ)+AXIOM80」に挑戦してみた。

な~に、拙けりゃ元に戻すだけさ(笑)。



おお、これはなかなかいけるじゃないか!(笑)

きっちり締まった音の質感は「LE8T」側に優位性があり、音のスケール感ではこちらが上。

もし、どうしてもどちらかを選べと言われれば「LE8T」側に軍配を上げたくなるが、差はごく僅かだしわざわざ戻すほどのこともないのでしばらくこれで聴いてみることにした。

そして、このシステムでAXIOM80のローカット用に使ったのがずっと昔に購入したオイルコンデンサーだった。



ウェスタン(10μF)+サンガモ(10μF)+DUBILIER(12μF)を3個パラって「計32μF」にし、およそ300ヘルツあたりをローカット。

幸いにも低音域との繋がりに不自然感は無いようでまずはひと安心。

昔の道具が今頃になって急に出番が来るなんて、これだからうかつに小道具は処分できない(笑)。

次は、

✰ 「SOLO」の銅箔コイル

前述のように「AXIOM80」を失った「LE8T」だが、さてどう料理しようかと、一考した挙句に「我が家に一つぐらいはオールJBLの組み合わせがあってもいいだろう」に落ち着いた。

4系統のSPとも英国系の音ではつまんない(笑)。

そこで遊んでいた「175ドライバー」(小型蜂の巣ホーン付き)を「LE8T」の上に乗っけてみた。これら二つのユニットを2台の真空管アンプで鳴らそうという算段である。



「175」(8Ω)の基本的仕様は周知のとおりクロスオーヴァーが1000ヘルツになっているので、その数値に見合ったローカット用のコンデンサーが要るが、これには先日紹介したように「業務用の大型コンデンサー22μF」によりおよそ「900ヘルツ」あたりでカット(-6db/oct)出来てピッタリ。



問題は「LE8T」のためのハイカット用コイルである。昔購入した「銅箔コイル」(SOLO)があったはずだがと倉庫を探してみると片隅でようやく見つけた。



数値は「2.7mh(ミリヘンリー)」となっている。「クロスオーバーネットワーク早見表」によると、「LE8T」のインピーダンスは16Ωなので「950ヘルツ」あたりでハイカット(-6db/oct)出来る計算になる。

ハイカット値、ローカット値ともに理論上の話なので実際に聴いてみないと何とも言えないが目安としてはこれで十分だろう。

次に「175」を駆動するアンプだが、「108db」と非常に能率が高いので我が家では小出力の71系アンプの絶好の出番となる。



前段管は「A411」(独ヴァルボ:バリウム昇華型フィラメント)、出力管は「171」(トリタンフィラメント)、整流管は「OK-X213」(メッシュプレート)の組み合わせ。

持ち主が言うのは何だが、いずれも1940年代前後に製造されためったに手に入らない希少管ばかりですぞ(笑)。

この3本柱により、音の「トルク感+スピード感+静粛性の3拍子が揃ってますよ」と古典管の専門家から折り紙が付いたほど。

これで音出ししてみると、スピード感に溢れた見事な「JBLサウンド」に思わず鳥肌が立つほどだった(笑)。

これまで「175」を聴くときはいつも最高音域の不足を感じていたのだが、今回のようにコンデンサーでローカットしてやると、スッキリ爽やかでまったく「ツィーター」の必要性を感じないのがたいへんよろしい。

「叩けば叩くほどよくなる法華の太鼓」という言葉があるが、我が家の場合は試行錯誤の連続によって「弄れば弄るほどよくなるオーディオシステム」と言ってもよさそうだ。

まあ勝手に独りで悦に入っていれば「世話がない」ですがね(笑)。

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涙が追い付かない悲しさとは

2020年05月05日 | 音楽談義

寄る年波には勝てず、あちこちに故障個所が続出しているため月一度の病院通いが欠かせない。

つい先日も午前9時ごろに出かけたところ早々に混んでいたので仕方なく待合室の新聞を読んでいたら「毎日新聞」(朝刊)の一面の下の方に、近年のヨーロッパの極右政党の躍進に絡んでこういう記事があった。

「ドイツでのアンケートで最も偉大なドイツ人のトップに<モーツァルト>がなった時、在独オーストリア大使館から彼は自国のザルツブルク生まれだとのクレームがついた。ちなみにザルツブルクの近くにはブラウナウという町もある。

ドイツ人は言った。

<オーストリア人はモーツァルトには声を大にするが、ブラウナウ生まれのヒトラーについては沈黙する>」(片野優ほか著「こんなにちがう ヨーロッパ各国気質」)。

アハハと思わず笑ってしまった。

とても面白い記事だったので、自宅に戻ってググってみたところ同様の記事が見つかった。良かった!これでそっくりコピーしてブログのネタに出来る(笑)。

ちなみに、ザルツブルクはモーツァルトの生誕時(1756年)はドイツ諸邦のひとつだった。ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意味で、もともと「岩塩」の産地としても有名である。

ついでにモーツァルトのフルネームは「ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト」だが、ウォルフガングのウォルフ(ウルフ)は「狼」のことだし、ガングは「牙」を意味する。狩猟民族ならではの由来だと推察している。

それはさておき、一番興味を惹かれたのはもっとも偉大なドイツ人のトップに選ばれたのがモーツァルトだったということ。

勇敢な建国の英雄を選ぶでもなく、アインシュタインのように人類に貢献した科学者でもなく、ましてや偉大な政治家でもなく、芸術家を選ぶというドイツ民族の洗練されたセンスに感心した。

そして、その芸術家とはゲーテのような偉大な文学者でもなく画家のデューラーでもなく「音楽家」だったのだからさらに驚く。

これはいかにドイツ人が日常的に音楽に親しみ敬愛しているかの証左になるだろう。

また、その音楽家がバッハやベートーヴェンではなく、ましてやワーグナーでもなく「モーツァルト」だったことに大きな意義がある。

クラシック音楽の中でもモーツァルトの「天馬空を駆ける」ような作風は他の作曲家たちとはまったくかけ離れていて、別格の存在として位置づけられるものだ。


おそらくドイツ人はモーツァルト好きと同時に「世界を見渡しても古今東西、こういう偉大な芸術家はいないぞ」とばかりに「ドイツ民族の優秀性を誇る」気持ちがきっとあるに違いない。

さすがに古典音楽を「不埒な演奏」から護るために、わざわざ「ドイツ国家演奏家資格制度」を設けているだけのことはある。

このブログでもたびたび書かせてもらっているとおり「モーツァルト好き」に関しては「人後に落ちない」積りだし、「流れるような美しい旋律」には何度聴いてもウットリと魅了されるばかり。

日本社会で「モーツァルトが好き」なんて言うと、せいぜい「キザな奴」と受け止められるのが関の山だが、ドイツ社会では話の分かる人間だと快く受け容れてもらえそうだ(笑)。

世界のVIPが一堂に会する主要国サミットの雑談の席で「クラシック音楽」について語れることは、何よりの教養を物語るものだという趣旨のことを元首相の中曽根康弘さんが言ってたが、その点、安倍さんはどうかな?(笑)

ヨーロッパの雄「メルケル首相」(ドイツ)と対峙するときにクラシックの素養があればきっと話が弾みますよ~。

さて、最後に肝心のモーツァルトの音楽の底知れぬ魅力について具体的に触れておかないと片手落ちというものだろう。

自分ごときがどんなに口を酸っぱくして言ってみても説得力が皆無なので、ここでベストセラー作家の「百田尚樹」さんに登場していただこう。

                      

著書「至高の音楽」の中で、
「文学は音楽に適わない」と述懐されている方である。音楽家が言うのなら「我田引水」だが、文学者が言うのだからより一層信憑性が増す。

本書の中でモーツァルトの最高傑作「魔笛」(オペラ)について、こういう記述がある。

「ひどい台本にもかかわらず、モーツァルトの音楽は言葉を失うほどに素晴らしい。魔笛こそ彼の最高傑作という音楽評論家は少なくない。

モーツァルトは最晩年になると、音楽がどんどん澄みわたってきて、悲しみを突き抜けたような不思議な音の世界を描くようになるが、魔笛はまさしくそんな音楽である。

曲はどこまでも明るく、軽やかで、透明感に満ち、敢えて恥ずかしげもなく言えば、もはや天上の音楽と呼びたくなるほどである。」

さすがにプロの作家は違う。自分が思っていることを100%以上表現してくれる。

モーツァルトの作品は皆均しく素晴らしいが、「魔笛」はさらに群を抜いた存在だ。

「音楽がどんどん澄みわたってきて、悲しみを突き抜けたような不思議な音の世界」の境地に到達できると、あなたの音楽人生が一変すること請け合いです!



さあ、さっそく「魔笛」に耳を傾けて「涙が追い付かない悲しさ」を堪能しましょうよ。

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オークション情報~3台の300Bアンプ~

2020年05月03日 | オークション情報

今のところ真空管アンプを複数持っているので取り立てて購入するつもりはないものの、それでも万一「掘り出し物」があればと日頃からネットオークションを怠りなくチェックしている。

とりわけ「300Bアンプ」については、それなりに敬意を払って注視しているが、今回はたまたま同時期に出品された3台のアンプを俎上に載せてみよう。

以下はあくまでも個人的な意見なので、差し障りがある方はどうか軽く受け流してくださいね(笑)。

✰ AIR TIGHT ATM-300 Anniversary//30周年記念限定モデル



「AIR TIGHT」というブランドは使ったことがないが、すぐに故障するとか音が悪いとかの評判はこれまで一度も聞いたことがないのでおそらく堅実なメーカーさんなのだろう。

このアンプは2016年モデルで当時の販売価格は88万円、使用時間は1時間程度とのことでほぼ新品同様。

そして、肝心の落札価格はといえば「78万円」だった。

出力管が純正の「WE300B」ではないこと、前段管にミニチュア管を使っていることなどを照らし合わせると、はっきり申し上げてこのお値段なら購入しない。

プリアンプならいざ知らず、パワーアンプにミニチュア管を使っているといかにも貧相な音が出てきそうでイメージ的に拒否反応が起きてしまう(笑)。

✰ カンノ製作所 メインアンプ 300B-MN 2台



真空管アンプ愛好家の間で定評のある「カンノ」製の300Bアンプで、しかもモノラル形式の2台だし、出力管は純正のWE300B(1988年製)とくればどこまでお値段が上がるのかと期待(?)していたら落札額「895,000円」というカンノ製にしては常識的な価格に落ち着いた。

カンノ製のトランスは有名だしこれまでにもたびたび他家で聴かせてもらっているが、どうも相性が良くないようで「飛びつきたくなるほど欲しい」という気になったことは一度もない。

ごめんなさい、自分の耳が悪いんです(笑)。

それに今回のアンプは前段管に「6SN7」というミニチュア管に毛の生えたような球を使っていることにも賛同できなかった。芸が無いというのか、とてもWE300Bに相応しい球とは思えそうにないのがその理由。

このお値段であれば自分なら、さらさら購入する気にならない(笑)。

最後は、

✰ 新藤ラボラトリー SHINDO LABORATORY/Western Electric 300B SINGLE 真空管モノラルパワーアンプペア 



定評のある「新藤ラボ」のWE300Bシングルアンプ(モノ×2台)とくれば、おそらく100万円は軽いだろうと値踏みしていたところ、結果は「111万Ⅰ千円」という線に落ち着いた。

市販の数あるWE300Bアンプの中では頂点に位置するアンプだと思っているのでそれ以上行ってもおかしくはない。

球の構成は前段管に「WE310Aを2本」「出力管はWE300B」「整流管はシルヴァニアの274B」と、いかにも王道スタイル。

ただし、有識者によるとこの「310A」という球をうまく使いこなせる達人ともなると国内でもごく少数に限られるという話である。

また、出力トランスは定かではないが名門「TRIAD」という噂で、これだけ素材がそろえばさぞかし「いい音」が出ることだろう。

お値段相応かどうか、一度は聴いてみたいですね(笑)。

以上3台の「300Bアンプ」だったが、気になったのはいずれも「インターステージトランス」についての(オークションでの)言及が無かったこと。

「300Bアンプはインターステージトランスに何を使っているかで決まる」とさえ言われているのにこの有り様。

最後に、各アンプの高いか安いかの価値判断はそれぞれのご自由にお任せするとして、もしそのくらいの金額が準備できるのであれば自分なら使用する球やトランス類を指定して信頼のおける方に特注し、作ってもらうのが一番賢いやり方ではないかと思っている。

例えて言えば「建売住宅」と「注文住宅」の違いといえばいいのだろうか(笑)。

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