「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「今が良ければすべて良し」かな?

2019年09月30日 | 独り言

一昨日の土曜日(28日)は午前と午後にかけて2組のお客さんの来訪があった。

まずは午前中のお客さんから。

現在、福岡市在住の大学2年生(文学部)で、姪(姉の長女)の子供が来てくれた。仮に「S子ちゃん」としておこう。

8年前に94歳で亡くなった母の命日にちなんで「お墓参り」のついでにお母さんと一緒に別府に立ち寄ってくれた。

「おじちゃんのオーディオでぜひクラシック音楽を聴きたい」との事前情報があったので、俄然張り切った。

いずれそのうち「音楽とオーディオに実に熱心なおじちゃんだったねえ」としか、記憶に残らないんだから~(笑)。

とりあえず、前日にシステムを急遽グッドマンからJBLの「D123+075」に変更した。

なぜなら、グッドマン系のSPの良さを分かってもらうにはおそらく初心者では無理だろうし、加えて「短時間勝負」では不利だろうと推察した。

な~に、入れ替え作業はものの30分もあれば片が付く。

    

クロスオーバーを8000ヘルツにとって「D123」をハイカット(-12db/oct)し、075はマイカ・コンデンサーなどで適当にローカット(-6db/oct)して準備万端。

そして、いよいよ当日がやってきた。朝から天気になったり小雨になったりの不安定な天気だった。

「やあ、ずいぶん大きくなったねえ」、S子ちゃんはしばらく見ないうちに随分大人びて、光り輝き目が眩しくなるくらい(笑)。

最初の選曲は何といってもモーツァルトだ。入門曲として自信を持って推薦できるのは「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」。

   

しばらくしてから、そっと反応を伺ってみると目を瞑って聴いている!

なかなか素質がありそうだねえ。

クラシックは自己の内面に「静謐感」を持たないと聴けない音楽だが、目を瞑って聴く姿勢はたいへんよろしい(笑)。

第三楽章までみっちり聴いてもらってから今度は「四季」をかけてみた。

この曲にはそれこそいろんなヴァージョンがあるが、「イ・ムジチ合奏団」それも首席ヴァイオリンが「フェリックス・アーヨ」に限ると思っている。

最初に聴いた演奏の脳裡への「刷り込み現象」がいまだに続いているらしい。

「四季」は何しろ有名なので「S子ちゃん」はラジカセでときどき聴く機会があるそうだが「日頃、聞こえてこない音がいっぱい入ってる!」と目を丸くしていた。これでオーディオに興味を持ってくれたかな~(笑)。 

一区切りしてから、今度はスピーカーを「ウェストミンスター」(改)に移した。

試聴盤は「マクベス」(ヴェルディ)。何しろ大型システムの本領を発揮させるにはオペラに限ると思っている。

試聴後に「前のシステムはとても綺麗な音だったけど、これは凄い迫力でびっくりしました。こんな音で毎日音楽を聴けるなんて、おじちゃんは幸せですね」と言ってくれた。

「そうか、幸せねえ・・・」

まあ、振り返ってみると後悔の種はいろいろあって尽きないが「今が良ければすべて良し」とするかな・・(笑)。

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オーディオにおける「失敗の本質」~その1~

2019年09月29日 | オーディオ談義

先日のブログ「推敲という言葉の由来」(2019・9・12)で話題にした経営学者「野中郁次郎」氏の「私の履歴書」(日経新聞)掲載の件だが、ようやく名著「失敗の本質」に関わる待望のエピソードが記事に登場した。

                           

おそらく多数の読者におかれては、そんなことにいっさい興味が無く「ふん、それがどうした!」という姿勢だろうが、まあ聞いてほしい(笑)。

記事の一部を引用しよう。

「(アメリカから)日本に帰国し、日本企業のケーススタディを積み上げていく中で心に引っかかっている点があった。

取り上げるのは主に成功事例であり、それはそれで意義があるが、失敗の事例も研究対象にしなければ一面的になると考え始めた。

物語にはロマンスや冒険劇、喜劇も悲劇もある。成功物語と失敗物語は表裏の関係にあり、どちらの側面から本質をえぐり出せるかというと、実は失敗事例の方が面白いのではないか。

そう思って企業にアプローチしてみるものの、協力を得るのは難しい。自社を失敗事例として取り上げられるのを嫌がるのは当然の反応である、

しかも、企業が成功したのか、失敗したのかを見極めるには時間がかかる。企業は栄枯盛衰を繰り返し、今ここでは勝っているように見えるが、実は負けている場合もあるし、その逆も有り得る。

そんな話を富士電機製造の奥住高彦さんにすると、「企業の失敗事例を調べるのは難しいだろうが、日本軍の失敗の研究ならできるのじゃないか」という。思いも寄らない助言が返ってきた。

たしかに戦争は短期間で勝敗が決するので本質をつかみやすい。「日本はなぜ負けたのか」をきちんと整理しておきたいという研究への意欲が湧いた。

「戦争の研究をするのに役立つデータベースは防衛大学校にあるのではないか」ということで・・。以下~略~。

以上、これを契機として野中氏は防衛大学校へ教授として迎えられ、あの名著が誕生することとなる。

それはさておき、物事の本質は失敗事例に現れやすいとはよく聞く話である。

数年前だったか、このブログでも若干のオーディオの失敗事例を挙げたところ、読者からメールが届いて「どしどし失敗事例を紹介してください」。

そう言われてもねえ、年から年中失敗するわけにもいかないし(笑)~。

まあ、人間というのは他人の成功事例よりも失敗事例を喜ぶものと相場が決まっている。いや、悪い意味じゃなくてどうも失敗事例を聞いて「自分は同じ轍を踏むまい」と心がけるようなのである。

その一方、成功事例を聞いて自分もその通りにやろうとする人は少ないようだ。

なぜなら(成功事例の中では)多分に「運」に左右される要素も無視できないし、そもそも「人真似は嫌だ」という思いが強いのではなかろうか。

             

そのことを裏付ける例として、東大名誉教授の「畑村洋太郎」氏の「失敗学のすすめ」によると、講義中に学生たちが成功談にはあまり興味を示さないのに、失敗談となると途端に目を輝かせて熱心に聞きふけるという話が出てくるがまことに現金なものである。

それではいよいよ本題に入って、これにあやかりながら我がオーディオにおける「失敗談」を述べてみましょうかね。

これまで50年前後におけるオーディオ歴の中で、小さな失敗から大きな失敗までそれこそ数知れず「血(お金)と汗と涙」を繰り返し流してきたが、どれだけ「失敗の本質」に近づけるか未知数だけど、いちおうチャレンジしてみるとしよう。

成功談となると「たかが自分ごときが」と、引っ込み思案になるが、失敗談となると世間様に許してもらえる気がするがいかがでしょう(笑)。

以下、続く。

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水増しされた交響曲、そしてブログ

2019年09月28日 | 音楽談義

一昨日(26日)のことだった。

懇意にさせていただいているメル友の「I」さん(東海地方)から「このところブログが、ほぼ日刊になっていますね。読者として大歓迎です。」というメールをいただいた。

そう言っていただくと光栄です(笑)。

ブログを始めてからこの10月下旬で丸13年になるが、これまでだいたい2日に1回のペースだったので、こうして連日にわたって投稿するのは初めてのことである。

いったいなぜこんな「大安売り」をするのか?(笑)

実を言うと、ブログの投稿にやや疲れとマンネリ感を覚えてきたというのがホンネである。

1日休みを置くと次に投稿するのがつい億劫になってサボりたくなってくる、そこで連日投稿すればそういう気にならないかもしれないと自分を奮い立たせて追い込もうという魂胆だ。

9月初旬ぐらいからの日刊なので、まだ実験段階だが幸いにも今のところ「億劫感」が起きないようなのでまあ、いいかな。

ただし、量が増えただけ明らかに内容の質が落ちてきたことは否めない。もちろん、これまでも大した内容ではなかったが、ますます粗製濫造気味だあ~(笑)。

たとえば、以前は1回の投稿で済ませていたものを、どうでもいいようなことをぐだぐだと追加して内容を2回に分けて投稿し「水増し」していることに賢明な読者はきっとお気づきのことだろう。

「水増し」する能力ってたしかにあるなあ・・・。

ただし、どうでもいいようなことをグダグダと書くのは何も自分ばかりではないよ
うだが(笑)、「水増し」といえば
ついブルックナーの「交響曲」を思い出す。

音楽とオーディオの大先達だった「五味康介」さん(故人)はブルックナーの交響曲について「芳醇な美酒だけどやや水増し気味」といった趣旨のことをたしか記載されていたはずだ。

五味さんの著書はほとんど目を通しているので、探してみるとやっと見つけました!

   

22頁に載ってた。長くなるが引用させてもらおう。

小題は「明けても暮れてもブルックナー」

「今はそれほどでもないが、一時やたらとブルックナーのレコードが発売されFMの時間帯にも登場した。ちょっとしたブルックナー・ブームだった。なぜ、そうなのか?

アントン・ブルックナーの交響曲はたしかにいい音楽である。しかし、どうにも長すぎる。酒でいえばまことに芳醇であるが、量の多さが水増しされた感じに似ている。

これはブルックナーの家系が14世紀までさかのぼることのできる(むろんマーラー同様彼もユダヤ人だが)農民の出であることに関係がありそうだ。

つまり、のどかな田園の明け暮れ、生い立ち、音楽的にも地方の教会オルガニストとして出発したので~晩年までこれは変わらなかった。一時パリのノートルダム大聖堂のオルガン奏者だったこともある~都市の喧騒や苛立ちとは無縁な農夫の鈍重さ、ともいうべき気質に馴染んだためだろう。

それにしても、だからといって彼の膨大な交響曲ばかりが発売される理由にはなるまい。

理由は、うがった見方をすれば、ほかに売り出すレコードがなかったからだと私はみている。LPがステレオになって、クラシックでは当然ながらまずベートーヴェンやモーツァルト、大バッハの名曲が相次いで発売され、名のある指揮者やオーケストラは競ってこれらを録音した。

なかには極め付きと称される名盤もできた、そうなれば月々なにかを発売しなければならぬレコード会社は他に新分野を開拓せねば営業が成り立たず、そこでクラシック盤が一応出そろうと、あと、売れやすいワーグナーの楽劇からマーラーにいたり、ついにブルックナーに手を出した。出さざるを得なかった(一曲でレコード2,3枚買わされるのだから)と私は思う。

まあ、そのおかげで以前はあまり聴く機会もなかった彼の芳醇な曲を味わえたのだから文句はないが、でもやっぱり長いなあ。水増しされてるなあ。

それをまた丹念に抜粋もせず放送局は流している。なにかブルックナーさえ鳴らしとけば放送時間がうずまると担当者は横着に考えるからではないか、と僻みたいくらいで、要するにその程度の音楽にすぎない。明けても暮れてもブルックナーでは閉口である。」

以上のとおりだが、「水増し」という言葉から意外な方向に発展してしまい、おかげさまで今回のブログも随分「水増し」させてもらいました(笑)。

ちなみに、ブルックナーの極めつけの名曲と録音は周知のとおり指揮者チェリビダッケによる「第八番」(リスボン・ライブ盤)ですよね。

しかし、こうやって並べてみると、両者ともにゆったりとしたテンポといい「水増し気味」といい、似たような共通点があると思いませんか(笑)。

   

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人間は夜よりも朝の方が賢い

2019年09月27日 | オーディオ談義

オーディオを長年やっていると、どうしてこんなに大切なことをずっと放っていたんだろうという事件にときどき遭遇する。

そう、それは自分にとって大きな後悔を伴う「事件」としか言い様がないのだ(笑)。

経緯を説明しよう。

このところ同じグッドマンの「トライアクショム」(口径30センチ:同軸3ウェイ)にすっかり主役の座を奪われている「AXIOM80」(最初期版)。

ときどき、音楽ソースによっては中高音域に嫌な響きが乗ってくるのが敬遠する理由だ。

今回、久しぶりに鳴らしてみてもその傾向はいささかも改まっていない。何とか改善できないものか・・・。アンプ側(300Bシングル)に責任がないことはもはや確認済みである。

一晩おいて、翌朝(26日)の4時ごろ目覚めたときにふとアイデアが浮かんだ。

つい最近読んだ本に「人間は夜よりも朝の方が賢い」という一節があったが、体験上まったくその通りだと思う。ちなみにブログの作業はいつも朝ごはん前である。

そういえば、ずっと昔に「歴史は夜つくられる」というタイトルの映画があった。「恋は夜芽生える」ぐらいの意味だそうだが、ちょっと頭がぼんやりしているくらいが恋には丁度いいんだろう(笑)。

いずれにしても、さっそく作業に取り掛かった。目的はただ一つ「ARU」(背圧調整器)を弄ってみること。

   

これが2年半ほど前に「AXIOM80」専用として仲間に手伝ってもらい作った板厚「1.5cm」の自作ボックスである。

肝心の「ARU」は底板に取り付けてある。自己流のもので十分だと思っていたが、今となってはとても甘かったことになる(笑)。

楽屋裏を見せるようで恥ずかしいが、「百聞は一見に如かず」なので恥を忍んで公開しよう。これが底板である。

  

今回の作業は画像のように「目の詰まった金網」の両脇にビニール製のごみ袋を折りたたんで載せてみた。たったこれだけのこと。

なぜこんなことをしたかというと、オリジナルの「ARU」(グッドマン製)をご覧になって欲しい。

   

真ん中を開けて両脇にこれまたビニール製のカバーが取り付けてあるので、そっくり真似しただけである。(白い部分の2か所はボックス側に張り付けたティッシュである)

交互に両方のスピーカーに同じような処置をしたが、ものの10分も掛からなかったろう。

これでどのように音が変わるか、固唾を呑んで聴いてみると腰を抜かさんばかりに驚いた。

まるっきり嫌な響きが無くなったのである。しかもけっして低音の量が増えたわけではないのに、とてもバランスのいい音が出て聴感上いっさい低音不足を感じさせない。

試聴盤の「エンヤ」を聴きながら感激のあまり目頭が熱くなってしまった。

これが「AXIOM80」本来の「ふっくらとして気品と艶を兼ね備えた音」なのか。苦節10年以上、やっと出てくれたなあ・・・。

対策費としてゴミ袋が1枚1円としてたったの4円でこれなんだから、もう感無量です!最高で~す!

とはいえ、なぜこんな大事なことを早く気付かなかったのかと自分の頭を思い切り小突いてやった(笑)。

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村上春樹さんの「バイロイト日記」を読む

2019年09月26日 | 音楽談義

いつも新聞のセンセーショナルな見出し広告に釣られて読むものの、期待を裏切られてもう買わないぞと誓うのだが、ほとぼりが冷めるとつい手が出てしまう月刊誌「文藝春秋」。

   

ただし、今回の10月号はそれなりの意義があった。なぜなら作家の村上春樹さんが特別寄稿されていたからで、そのタイトルは次のとおり。

バイロイト日記「至るところにある妄想」~この夏、ドイツでワーグナーと向き合って考えたこと~

ワーグナーにはモーツァルトほどの興味はないが、それかといって絶対に無視できない存在だし、何せ村上さんの文章なのでこれは買わざるを得ない(笑)。

ワクワクしながら70頁ほどを一気に読ませていただいたが、期待に違わぬ内容だった。

おそらく生涯のうちにもはや行くこともないであろう「バイロイト音楽祭」の雰囲気にチョッピリ浸れた気分になっただけでもとてもありがたい。

読まれた方も多いと思うが、自分のために概要(抜粋)を記録しておくとしよう。

村上氏のご訪問時期は2019年7月下旬の暑い盛りのことで日記風に綴られている。

 ドイツの新聞社の依頼により、「実際にワーグナーのオペラを観劇して原稿を書いてくれ」という依頼がこの春に飛び込んできた。スケジュールの都合により一度は断ったものの、指揮者が「ティーレマン」と聞いて段々と心変わりしてしまった。

 劇場に着いてみると全体に漂っているのは間違いなくコンサヴァティブな雰囲気である。要するに見るからに裕福そうな身なりのドイツ人たちが国中からこの南ドイツの標高500mほどの山あいにある小都市に参集してくるわけだ。

おおかたは中高年ばかりで若い人たちには切符も高いし、敷居も高いのだろう。劇場には冷房装置が付いておらず(なにしろ基本的に140年前に建てられたままだから)扇子でもないとたまらない。

 劇場の客席は2000ほどだがぎっしり満員で、すし詰め状態。何しろ席が狭くて一度腰を下ろしたらもう外には出られない。

 大きな蓋を上から被せられたようなかっこうで客席からは見えなくなっているオーケストラ・ピット。その音がいったん板張りの壁にぶつかって跳ね返り、客席に響き戻ってくる。

 まるで地の底から音がわき上がってくるような、特別な響きがそこに生まれる。その音響を地上で受け止め、混然一体として混じり込む強力な歌唱と合唱。

 その混じり合いが、現実の世界とは成り立ちの異なるもう一つの新たな空間を、我々の眼前に鮮やかに浮かび上がらせる~世界の呪術的移動。

 個々の歌手の歌唱ももちろん素晴らしいのだが、聴衆の心にもっとも強く迫ってくるのは、何といってもこの得も言われぬ一体感だろう。

 音楽とドラマを対等に組み合わせようとしたワーグナーの世界観が、そこには見事に具現されている。

 あたかも音楽が意識下の世界にあり、ドラマが意識上の世界にあるかのように僕には感じられる。あるいはそう聴きとれる。そう、それこそがバイロイトの響きであり、バイロイトの音楽なのだ。

 僕は思うのだが、優れた芸術とは多くの奥深い疑問を我々に突き付けるテキストのことだ。そしてたいていの場合、そこには解答は用意されていない。解答は我々一人ひとりが自分の力で見つけていくしかない。

 おまけにそのテキストは~もしそれが優れたテキストであればだが~休みなく動き続け、形を変え続ける。そこには無限の可能性がある。時には間違った解答も出てくることもあるかもしれない。そこにはそんな危険性もある、しかし可能性とは危険性の同義語でもあるのだ。

 僕はそのような多くの奥深い疑問と、いくつかの僕なりの解答と、そして深く純粋な音楽的感動を手に、バイロイト駅からミュンヘン空港へ向かった。そしてまた日本へと。

以上のとおりだが、興味のある方はぜひ全文を読まれることをお薦めします。いつもの「村上ワールド」を堪能できますよ。

最後に、読後の取り留めのない感想を3点ほど挙げておくと、

 ドイツにはクラシック音楽が広く深く根付いている。それが民族の矜持となり一つの思想的な潮流となって、いろんな施策やモノづくりの根底にある哲学や姿勢に色濃く反映されている気がする。ちなみに今回のバイロイト音楽祭もメルケル首相が出席していたそうだ。

翻って日本にはそういうバックボーンがあるのだろうか。

    

(ローマ教皇に「フルトヴェングラー全集」を進呈するメルケル首相)

 バイロイト音楽祭に比べたら、ワーグナーの楽劇の再生を家庭のオーディオ・システムでいかに図ろうと、所詮は「五十歩百歩」ですかね(笑)。

 音楽とドラマで成り立つオペラだが、モーツァルトは音楽こそが主導権を握ってドラマを引っ張っていくべきだと主張している。その一方、ワーグナーの楽劇では両者を対等の世界として構築している。

いったいどちらがより「人の心」を打つのかと考えた時に、モーツァルト・ファンとワーグナー・ファンの分岐点がそこにあるような気がする。

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四大歌手による「四つの最後の歌」の聴き比べ~その2~

2019年09月25日 | 音楽談義

前々回からの続きです。

人生の終盤に差し掛かった時にこれほどふさわしい曲はないと思うのがソプラノ歌曲集「四つの最後の歌」(R・シュトラウス)だ。



「シュワルツコップ(ジョージ・セル指揮)、フラグスタート(フルトヴェングラー指揮)、バーバラ・ボニー(ピアノ伴奏)、ヤノヴィッツ(カラヤン指揮)」と四大歌手を揃えて、はたしてどの歌手が自分の心情にピッタリくるのだろうか。

鑑賞のポイントとしては、何も歌曲の専門家ではないし、こうした一流の歌手たちの歌い方の巧拙などに言及する資格はないしで、平たく言えば「繰り返して聴きたくなるかどうか」だけである。

なお、録音状態と直結する原盤レーベルは順に「EMI」「不明」「DECAA」「ドイツ・グラモフォン」となるが、これまで「DECCA」盤の録音でいっさい外れたことがないのは特筆すべきことだ。   

また、「四つの最後の歌」の中で出色は3番目の「眠りに就こうとして」と4番目の「夕映えの中で」なので、この二曲に絞って試聴した。

それでは、「未知のものをよく知ろうと思ったら出来るだけ細かく分解することから始めよう」という格言に沿って、3項目に分解してみた。

 「録音状況の良し悪し」

「ヤノヴィッツ」→「ボニー」→「シュワルツコップ」→「フラグスタート」の順となる。

意外にも「ドイツ・グラモフォン」の「ヤノヴィッツ」盤の音響空間が一番広くて透明感があった。さすがの「DECCA」(ボニー盤)も後塵を拝してしまうほどだった。

惜しいことに「フラグスタート」盤は1950年の録音なのでザーッというノイズがひどい。しかし、気になるのは最初のうちだけで聴き慣れるとさほどでもない。

ただし、「フルトトヴェングラーが狙ったサウンドはドイツの森のようなうっそうとして混然一体となったもの」(片山杜秀氏)なので、間違ってもレンジの広いJBLなどで聴くととんでもないことになる(笑)。

今回は比較的レンジの狭いグッドマンの「トライアクショム」で試聴して事なきを得た。

 「声質」

「フラグスタート」が一番気に入った。

ワーグナー歌手として一世を風靡したフラグスタートだけあって声質に厚みと幅と力感があり、それがどこまでも息長く続いていく感じが凄い。

これに比べてほかの3人の歌手はやや線が細いかなあ~。

 「伴奏」

ボニー盤は伴奏がピアノだけなので明らかに損をしている。やはり管弦楽の伴奏じゃないとこの曲の「死出の旅路」(イメージ)にふさわしい重厚な雰囲気が出てこない。

ヤノヴィッツ盤の指揮者カラヤンは毀誉褒貶あるものの、あるオペラ歌手によると「カラヤンの指揮が一番歌いやすい」と言ってたほどで伸び伸びと歌わせている印象がある。

フラグスタート盤の伴奏はフルトヴェングラー指揮なので、やはり独特の荘厳さが際立っていてもう出だしの雰囲気からして「決まり!」と言いたくなる。

 「総合」

あくまでも好みの順でいくと「フラグスタート」→「シュワルツコップ」→「ヤノヴィッツ」→「ボニー」

盤質のノイズは目立つけど「フラグスタート」盤には音楽の深さがちょっと別格のような気がして、繰り返し何度でも聴きたくなる。やはりこれをベスト盤に挙げざるを得ない。

シュワルツコップ盤とヤノヴィッツ盤は互角でどちらが先でも後でもよろし。

「四つの最後の歌」は有名な曲なのでほかにもいろんな歌手が歌っているのだろうが、これら4名の歌手と比べたらもはや「五十歩百歩」という気がする。

なお、「フラグスタート」盤は一般的ではないので、初めて聴こうという方には絶対にお薦めできません。おそらく「こんな音質の悪い盤を紹介しやがって」と恨まれること請け合いでしょう(笑)。

一般的には録音がいい「ヤノヴィッツ」盤が無難です。作家の「百田尚樹」さんが鑑賞されていたのもこの「ヤノヴィッツ」盤だった。

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大山鳴動して鼠一匹

2019年09月24日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

せっかく休暇中だった「AXIOM80」(復刻版)を表舞台に登場させたのはいいものの、自然な響きという長所とは裏腹に迫力に乏しいという短所が織り交ざって、簡単に決着がつかないところがいかにもオーディオらしいところだ。

奥が深くて、飽きない所以でもあると言いたいところだが、これは半分負け惜しみの捨て台詞(笑)。

ついでに、今回気が付いた実体験によると「フルレンジ」ユニットを低音域専用に使うのは問題ないが、中高音域専用に使うとやや歪み気味の音になるような気がしている。

フルレンジの場合、低音域への入力があってこそ中高音域が生きる設計になっているのかな?

この辺は多くの大先輩たちがご意見をお持ちだと思うがはたして。

いずれにしても満足度には合点がいかないが、折角だから当分の間これで聴いてみるとするかな・・。

ところで、ハイスピードに恵まれたAXIOM80を使うときに要注意なのは低音用のユニットとのバランスで、音のスピードの差が目立たないことが一番だが、駆け付けてくれた仲間によると「違和感はありませんよ~」とのことでひと安心。

次に、いよいよ相性のいいアンプの選択に移った。低音域と中高音域のユニットが両方とも「英国製」なので、まずは英国マツダの「PP5/400」シングルアンプで実験。

   

 
日頃からこのシステムはプリアン無しでDAコンバータ(dCS「エルガー・プラス」)からの直結で使っているのだが、前段管を「LS7」(GEC)にするとオーバーパワーの歪み気味になってあまりよろしくない。

そこで画像のとおり、「μ(みゅー)=増幅率」が一段と低い「GSX-112」(1930年代製)を使うと今度は相性が良くて豊かな情報量とともにしっくり落ち着いた音になった。

このところずっと待機中の球だったが、古典管の専門家から手に入れたもので「知る人ぞ知る」簡単に手に入らない希少な真空管だが、まったくどこで出番が回って来るかわからないのが真空管オーディオの妙味といったところかな(笑)。

とにかく今回の一連の実験では「トリタン・フィラメント」の魅力全開といったところで、この「GSX-112」の実力発揮が一番の収穫だった。

本命が決まってひと安心だが、丁度仲間も一緒にいることだしと今度は久しぶりに「6SN7」アンプを引っ張り出してみた。

    

我が家で一番コストがかかっていない真空管アンプである。ところが、予想に反してシンプルな回路が功を奏してか音声信号に対する応答性がメチャ早いのである。

「音のスピードはこれが一番です。パワー不足もそれほど感じませんよ」と、仲間がやたらに感心していた。

球の構成は前段管が「ECC35=6SL7」(ムラード)、出力管が「6SNGT」(シルヴァニアのクロームトップ)、整流管が「GZ32」(ムラード)、出力トランスが定評のある「TRIAD(トライアッド)」(アメリカ)といった具合。

出力はたかだか1ワット前後だと思うが「山椒は小粒でもピリリと辛い」を地で行くとはこういうアンプを指すのだろう。

あとは「音響空間を漂う音の余韻」みたいな魅力が加わってくれれば申し分なし。

これでやや消化不良気味に終わった今回の一連の騒動はお終いです。

結局「大山鳴動して鼠一匹」ですかね、どうもお騒がせいたしました(笑)。

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四大歌手による「4つの最後の歌」の聴き比べ~その1~

2019年09月23日 | 音楽談義

先日のブログ「ドナルド・キーンさんのオペラへの熱情に打たれて」(2019・9・14)の末尾で話題にしたソプラノ歌手の「キルステン・フラグスタート」の件について。

               

主に1940年代に活躍した歌手だから記憶にある方は少ないと思うが、
その十八番(おはこ)となるとワーグナーの楽劇に焦点が絞られる。

さらにはR・シュトラウスの歌曲でも存分に実力を発揮しているとのことで、ぜひ彼女で「四つの最後の歌」を聴いてみたいという思いが募ってきた。

彼女の代表曲とされるワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」(フルトヴェングラー指揮)の豊かな声量と柔らかで押しの強い声質に魅了されたのも背中を強力に後押しした。

    

この「四つの最後の歌」はR・シュトラウスが死を目前にしたときに(84歳)、偶然、死について書かれた詩集を手にしてたいへんな感銘を受け作曲したソプラノ歌曲集である。

現在「シュワルツコップ」盤と「バーバラ・ボニー」盤を持っているが、以前のブログにも記載したように稀代のクラシック愛好家で作家の「百田尚樹」さんによると「ヨーロッパ音楽が最後に行き着いた至高の名曲」とのことで、「人生を変えた名曲ベスト10」の中で堂々と第1位に輝く作品である。

たしかに自分もそう思う。聴き込めば聴き込むほどに胸を打たれる名曲中の名曲である。この曲目に感銘を受けない人はクラシックを愛する資格なしと、つい断言したくなってしまうほどだ(笑)。

いつまで音楽に親しめるかわからないが、「今わの際」になっても聴きたいと思う大切な曲目なので、「フラグスタート」盤をネットでいろいろ調べてみると、1950年にフルトヴェングラーの指揮のもとに録音した該当のCDがあった。

思わず注文のclickをしかかったが、「待てよ~、たしか107枚のCDを網羅したフルトヴェングラー全集に入ってないかなあ」。

   

この全集は3年ほど前に購入したものの、モーツァルト関連を主に聴いており他のCDはほぼ未開地に等しい。

さっそく調べてみると、ちゃんとありました!

CD「47番」に見事に収録されていたのでどうやら無駄遣いをしなくて済んだようだ(笑)。

その代わりでもないが、定評のある「グンドゥラ・ヤノヴィッツ」盤(カラヤン指揮)をアマゾンで注文してほどなく到着。

これで「キルステン・フラグスタート」「グンドゥラ・ヤノヴィッツ」「エリザベート・シュワルツコップ」「バーバラ・ボニー」と四大歌手のそろい踏みだ。

   

さあ、いよいよ聴き比べといこう。

以下、続く。

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あちら立てればこちらが立たぬ

2019年09月22日 | オーディオ談義

前々回からの続きになります。

さて、一般的にみて秋の足音が近づくとともにオーディオ愛好度が増加するようですよ。

たとえばオークションに出品を委託している仲間の話によると、真夏はオーディオ機器の相場がさっぱりだけど秋~冬になると目に見えて上がってくるそうです。

結局、音楽を聴く機会の増加と機器の相場が比例しているというわけで、我が家でもそろそろ不要になったオーディオ機器を処分しようかなと物色中です。

おっと、周知のとおり今年は10月から消費税率が上がりますね。今月中に欲しい大物機器があれば購入といきたいところですが、たとえばお値段が「10万円」だとすると「2千円」追加の計算になります。

「たいしたことない」あるいは「大きな痛手だ」、見解が分かれるところですね(笑)。

さて、久しぶりに実験用システムの「ウェストミンスター」(改)の大幅な模様替えをやってみたのは前々回に述べたとおりです。

期待の「AXIOM80」(復刻版)の登場です。

       

10分ほどで入れ替え作業が済むと、さっそくの音出し。オーディオで一番楽しい時間です(笑)。

すると低音域と中高音域の音量バランスが、ネットワークのボリュームの丁度1時(6分目)ぐらいの理想的な位置で収まったのには安心しました。かなりの余裕度です。

肝心の音の方ですが、もちろん「AXIOM80」だから悪かろうはずがないですが(笑)、明らかにコンプレッション・ドライバー「175」と違って音が柔らかくてより自然な響きに包まれるものの、肝心のオペラ「マクベス」あたりを再生すると、もうちょっと力感が欲しくなります。

  

オペラを聴くには畳みかけてくるような音の迫力が必須ですからね。

実に惜しい!

「あちら立てればこちらが立たぬ」、やっぱりオーディオはほんとに難しいです!(笑)。

以下、波乱含みの展開がこれからも続いていきますが、どうかお楽しみに~。

以下、続く。

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長寿の謎を解く

2019年09月21日 | 健康コーナー

つい先日のことランキングのバックナンバーを見ていたら12年前に投稿した「長寿の謎を解く」が上位に入っていた。

内容については投稿した本人がすっかり忘れていたくらいだから、読者におかれてはもう言わずもがなでしょう(笑)。

「健康で長生き」はどなたにとっても興味のあるテーマでしょうからご参考になれば幸いだとばかり、ちょっと今風に改変してみました。

それでは以下のとおり。

ときどき「人間の頭の良さっていったい何だろう」と思うことがある。

それは、学校の成績が良くて有名な大学に入ることなのか、一流企業に就職することなのか、お金持ちになることなのか・・・。

ところが、そんなことは別にして究極の頭の良さというのは、「健康で幸せに生きていく能力をいう」と書いてあるのを何かの本で見たことがある。

とても分かりやすくてシンプルですね!

いろんな考え方のワン・オブ・ゼムなのだろうが妙に納得させるものがある。

なぜなら、俗にいう「頭のいい人」たちが必ずしも健康で幸せな人生を送っているとは限らないことを私たちは経験的に知っていますからね。

ずっと以前のブログで「僧侶が長生きするワケ」を搭載したことがある。

ある大学が発表した職業別寿命一覧表によると「僧侶が長寿の第1位」になっている。その理由を芥川賞作家で僧侶の「玄侑宗久氏」は次のとおりに分析されている。

 僧侶の主な仕事であるお経、座禅、念仏などの効果によるもの

中公新書「ゾウの時間 ネズミの時間」によるとあらゆる動物は5億回の呼吸を終えると大体死ぬそうだが、僧侶の大事な日課であるお経、座禅などは呼吸数が非常に少なくてすむ。

 「動く仕事」と『動かない仕事」のバランスが良く取れている

 ストレスを引きずらない

怒り」「悲しみ」「憂い」「思い」、こうした感情を数多くの葬儀に出ることや座禅、瞑想体験等によって引きずらない能力に長けている。

 「楽しさ」「リラックス」を目指す思考法


これら4つの項目に「健康で幸せ」の概念がすべて集約されているように思うが、さらに健康については客観的な指標があって、それは「元気で長生き」することに尽きる。

企業や組織で働く、あるいは自営業でもいいが、一生懸命働いて偉くなって沢山のお金を貯めたとしても健康を損ねて早死にしては元も子もないと、自分なんぞはいつも思ってしまう。

つまり、名誉やお金よりも「健康」が一番大切。

結局、「健康対策に優るものはなし」と言いたいわけだが、その大切さはよく認識されているようで、テレビでも健康情報番組がよく放映されている。

先日NHK12チャンネルで放映された「長寿の謎を解く」は京都大学の家森名誉教授が食生活の視点から健康に及ぼす影響を実際に住民の検診結果によって証明していたので説得力があった。

対象地域は南米アンデス山脈のビルカバンバで’80年代は世界的な長寿村として有名だったが、2000年には総じて10年ほど短命となり長寿村が崩壊してしまった。

長寿で有名となったため、アメリカを中心に各国から移住者が殺到し、道路整備とともに観光地となって文明化したことが背景となっている。

1986年と2000年の住民の検診結果を比較すると血圧、肥満値、コレステロールが軒並み上昇しており、主食が「ユッカ(いも)+とうもろこし+チーズ」から「ラード(豚脂)+パン、外米」などへと多様化したこと、それと文明化に伴い農作業が減ったことを主因として上げられていた。

そのほか、アフリカのマサイ族、オーストラリアのアボリジニーなどの検診結果を踏まえて、結論として、人間の長寿とは案外もろく崩れ去るもので、長寿の謎とは「民族の遺伝子に合った食生活習慣」と締めくくっておられた。

生活習慣病とはよくいったもので、悪い生活習慣の積み重ねが病を引き起こすのだが、この番組から分ることは食生活の習慣が病気予防の鍵を握っていることだった。

ただし、良い食生活習慣を築くためには食欲の抑制(過食、偏食)、嗜好品であるタバコ、アルコールなどの適正摂取など日常生活を通じて常に強固な意志を伴うものが多い。

結局、最後は自分との闘いに尽きるようだが、総じていえることは「己の体質に合った生活習慣」が長寿の鍵を握っているといえそうだ。

ほんとに「食いしん坊と飲みしん坊」の自分にとっては身につまされる話です(笑)。

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野分(のわき)立つ→気分爽快→オーディオ改変

2019年09月20日 | オーディオ談義

秋の季語として「野分(のわき)立つ」という言葉があるが、毎朝のウォーキング時に爽やかな風が気持ちよく秋の気配を運んできてくれるようになった。

これまではわざわざ日陰を選んで歩いていたのに、ことさら気にしないようになってこういう時に季節の変わり目を肌身で実感する。

まことに気分爽快で、こういう時期は普段以上にヤル気が出てきてオーディオに変化を来たすことが多いことを経験上よく知っている(笑)。

  

我が家の実験用システム「ウェストミンスター」(改)だが、今のところさしたる不満はないものの、強いて挙げるとすればウーファー(ワーフェデールのスーパー12)とJBLの「175」(コンプレッション・ドライバー)との繋がり部分(800ヘルツ前後)が「ちょっと薄いかな?」という程度だ。

「175」は公称では「1000ヘルツから使用」ということになっているが、名器として知られる2ウェイ仕様の「ランサー101」(JBL)の場合、「175」が1200ヘルツから使用されていることも裏付けとしてある。

オーディオとは不思議なもので、いったん気になりだすとなかなか脳裡を去ってくれないところがあるのは愛好家ならもうお分かりですよね(笑)。

その点、同じJBLの「LE85」だと500ヘルツから使えて汎用性が高いのだが、実を言うとこれは数年前にオークションに放出している。

今となっては「シマッタ!」と臍を噛むばかりだが(笑)、いつも出品を依頼しているNさん(大分市)に連絡して「恐縮ですが随分前に出品していただいたLE85の落札価格はいくらでしたかね?」

「ハイ、たしか45千円前後だったと思いますが・・」

もう恥も外聞も無く、再度手に入れたいとオークションをチェックしたところ、程度もよくてお値段が手ごろのものがあったので入札して最後まで競り合ったところ、あえなく敗戦。

「せめて45千円以下で落札したい」という拘りが最後まで邪魔してしまった。つまりビンボー性ということですね(笑)。

こうなったら開き直り気味に思いもかけぬ行動に出るのが自分のいつものパターン。

「175」に代わって現在休暇中の「AXIOM80」(復刻版)を久しぶりに復活させてみようかな~。

実は、これまでも再々試してきたのだが、原因不明のままいつの間にか再び「175」に戻っているので、今度こそはっきり原因を突き止めてやろうという気もある。かなり執念深い人間なのである(笑)。

作業としては簡単で10分もあれば片が付く。ついでにネットワークも(中高音域の)ボリューム度に余裕があるテクニクスの「EAN-20N100」(クロスオーバー1200ヘルツ)に交換した。バナナプラグが使用できるように改造してもらっているのでとても便利だ。

   

   

なお、AXIOM80をネジでバッフルに取り付けるとどうしてもユニット全体にストレスがかかるので、こういうような低音が不要な使い方をするときは「裸」のままが一番だと思う。

とはいっても「逆相の音」の後ろからの回り込みがちょっと気になるが、まあ1200ヘルツ以上の周波数だから無視といきましょう。

胸をワクワクさせながら試聴してみたところ・・・。

以下続く。

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桜庭一樹さんの「文庫オールタイムベスト10」

2019年09月19日 | 読書コーナー

今朝(19日)4時頃に起きたときの室温は22度、湿度は70%と、すっかり秋の気配が漂ってきました。

さあ、いよいよ「読書の秋」の到来ですよ~。

作家の「桜庭一樹(さくらば かずき)」さんといえば、男性みたいな名前だがれっきとした女性(1971年~)である。

2008年に「私の男」で「直木賞」を受賞されている。

それはさておき、この度、彼女の読書遍歴を綴った「小説という毒を浴びる」を読む機会があって、ざっと目を通したところ少女時代からの読書量たるやものすごいもので、まったく度肝を抜かれてしまった。

読書の質はともかく量については自分もかなりのレベルと自負していたが、まったく足元にも及ばなかった。

   

プロの作家だから当然といえばそうなんだろうが、何だかミステリー好きのところなど読書の傾向が自分とよく似ているので最後まで飽きることなく読ませてもらった。

本書の中で「私の文庫オールタイムベスト10」が紹介してあったので記録しておくことにした。

✰ 「さむけ」(ロス・マクドナルド)ハヤカワ・ミステリ文庫

最初読んだときは後半まで退屈に感じてしまって、これじゃ「さむけ」じゃなくて「ねむけ」だよと思ったが、ラスト6頁でほんとうに恐ろしいことが起こり「こんな”さむけ”はこれまで感じたことない!」

✰ 「ジョン・ランブリエールの辞書」(ローレンス・ノーフォーク)創元推理文庫

壮大な大風呂敷の特大バロック小説で、上下巻出1000頁弱あるけれど爆笑しながらあっという間に読み終わりました。

✰ 「人間以上」(シオドア・スタージョン)ハヤカワ文庫SF

1940年代にアメリカで幻想SFの巨匠として活躍した「愛」と「孤独」の作家である。のっけから引き込まれてしまうこと請け合い。

✰ 「屋根裏部屋の花たち」(V・C・アンドリュース)扶桑社ミステリー

なんだこりゃーと思いつつ読み始めたらどうにも止まらないので、台風に直撃された週末などにお薦めです。

✰ 「聖母の舞台」(酒見賢一)ハルキ文庫

最初に読んでから10年は経っていると思うのだけれど、いまだに離れることができない・・・読書生涯で十本の指に入る怪作です。

✰ 「血族」(山口瞳)文春文庫

山口瞳が渾身の力を込めて書いた、自分の一族の過去を巡る物語。息子に「瞳」という不思議な名を付けた母。親戚一同が驚くほどの美貌を持っていた山口一族。彼らがなぜ美しかったのかが遂に解かれるシーンは鳥肌物!そうだったのかーー!

✰ 「されど修羅ゆく君は」(打海文三)徳間文庫

「春が匂った。せつないまでに春が匂い、ますます彼女の気分はふさいだ」という最初の一文から釘付けで軽妙な語り口で進む”うにゃうにゃハードボイルド”なストーリーから不思議なほど目が離せません。

気軽に読めるけれど読後感は奇妙なほど重たいのです。快作です。

✰ 「愛を乞うひと」(下田治美)角川文庫

40歳になった女性が娘とともに自分の過去を振り返り、修理できないまま生きてきたさまざまな事柄を一つ一つ確認しては心の引き出しにしまってゆく物語。

15年前に一人の女性によって書かれたこの小説の、ラストシーンにある静かな狂気から今日を予言するような現実の恐ろしさを感じます。

✰ 「楽園」(鈴木光司)新潮文庫

うっとりするほど壮大で力強いアジアン叙事詩!読んでる自分ごとキュキューと包まれるような、不思議な快感がありました。

✰ 「悪霊シリーズ」(小野不由美)講談社X文庫

ジャンルとしてはホラーだけど本格ミステリーの粒子みたいなのがびっしり詰まっていて、ミステリー好きにはどこもかしこもたまらん・・・。

わたしは冬場、風邪を引いて寝込んでいるときにこのシリーズか佐々木丸美のサーガを何日もかけて復習します。もう何回読み返したことか・・。

以上の10冊だが、1冊も読んだことがなかったのは悔しいというかありがたいというか。

まあ、何事につけ選択肢が増えるのはいいことで、図書館で比較的借りやすい「さむけ」「血族」あたりを手始めに読んでみようかな。

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光分配器と黄金ルート

2019年09月18日 | オーディオ談義

オーディオ愛好家の中で左右のスピーカーの間にテレビを(大型スクリーンでもいいが)設置されている方はどのくらいの割合なんだろうと思うことがときどきある。

言い換えるとオーディオシステムを「音楽を聴くためにだけある」派と「音楽やテレビ番組を幅広く聴く」派とに分けるとすればということだが、経験上これまで訪問させてもらった仲間たちの比率からいえば、5対1ぐらいに落ち着く。

つまり「音楽もテレビも両方聴く」派は圧倒的に少ない。

しかし、我が家では「両方聴く派」に属しており、紀行番組を含めたドキュメンタリー番組や興味のある時事問題はシステムの音で視聴している。

したがって、我が家では時間がいくらあっても足りないほど忙しい(笑)。

それはいいとして、ソニー製のテレビ(55インチ)はとても綺麗な画像で満足しているが、「光出力端子」(TOS端子)が1個しかないのが残念。

我が家では2台のDAコンバーターに沿って2系統のシステムを組んでいるので不便なことこの上ない。そこで、重い腰を上げてようやくネットで光分配器(電源付き)を購入した。

入力1、出力3分配という代物だが不安は分配に伴う音質の劣化だけだが、お値段がビンボー人の手が届く範囲だったので「ダメ元」で購入してみた。

現物が到着後にさっそく接続してみた。
   
   

光ケーブルが3本(入力1本、出力2本)要るが、既に「SAEC」製を持っていたのでOK。ちなみに、この分配器はたった1本の光ケーブルの1/3ほどのお値段だったので大助かり(笑)。

興味津々でテレビから音出ししたところ、音質の劣化は当然あるのだろうが、自分には差異が分からなかったので「ああ、よかった。購入して正解!」。こんなことなら早く買っておけばよかった。

これで、「ブルーレイ・レコーダー」→HDMIケーブル→「ソニー製のテレビ」→光ケーブル→分配器(2分配)→2本の光ケーブル→2台のDAコンバーターという「黄金ルート」が出来上がった。

なぜ「黄金ルート」かというと、この4月に購入したブルーレイ・レコーダーのHDDに取り込んだ「CDの音」がかなりいいのである。

DAコンバーター側で「192KHz」へとアップサンプリングしているせいもあるが、「CDトラポと聴き比べてもそれほどそん色がありませんよ」とは仲間の評である。

    

HDDに取り込んだ気に入った音楽を2系統のシステムのどちらでも簡単なクリック操作により聴けるようになったのだから便利なことこの上ない。

CDを聴くときの一連の動作が段々歳を取ってくると億劫になるのはおそらく自分だけではあるまい(笑)。

つまり、「ジャケットからCDを取り出す」→「CDトラポのトレイを開ける・載せる・閉じる」→「プレイボタンを押す」→「終わってジャケットに収める」といった一連の動作が、テレビ画面を観ながら頭出しは簡単そのものだし、リモコン・ボタンのクリック一つで実現可能だからたまらない!

デジタル機器(ブルーレイやDAコンバーターなど)の技術の日進月歩はメチャ凄くて、もう中級以下のCDトラポは不要かもしれませんね。

こういうことに気付かされるのも「音楽・テレビの共用派」だからこそだろう。

そういうわけで、現在のところ暇さえあれば我が家のめぼしいCDをすべてブルーレイレコーダーのHDDにぶち込んでいる真っ最中だ。

CD1枚当たり10分程度かかるので、もう毎日が忙しくて忙しくて・・(笑)

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脳を鍛えるには運動しかない

2019年09月17日 | 独り言

現在、我が家で日常生活のメインに位置づけしているのは「運動」(午前と午後の各1回)である。

まあ、意識して時間を割いている意味でという注釈付きだが「音楽&オーディオ」よりも上位なので意外に思う方がいらっしゃるかもしれない(笑)。

なぜこれほどまでに、まるで狂ったように運動を重視するのか、それを理論的に裏付けてくれる恰好の本がある。


                    

「薬石としての本たち」(2015。9.30、文芸春秋社刊)。

著者は「南木 佳士」(なぎ けいし)氏。医師にして、作家の二足草鞋で1989年「ダイヤモンド ダスト」で芥川賞を受賞された方である。

タイトルにある「薬石」とは聞き慣れない言葉なので、「広辞苑」の出番となった。

「石は石針のことで古代の医療器とあり、① 種々の薬及び治療法 ② 身のための益となるものごと」とある。

本書の内容を一言でいえば、身の回りの事柄と医療にまつわるエッセイである。

何か有益な情報があれば取り入れようと常にアンテナを張っているものの、今のメディアには売らんがための健康情報が氾濫しているので、正か邪か、あるいは、じぶんに合っているかどうかその見極めがたいへん難しい。

その点、本書はさすがにお医者さんが書いただけあって、なかなか頷かせるものがあった。そのうちでも著者がすっかりはまってしまい、とても有益だったという本が紹介してあった。

それが「脳を鍛えるには運動しかない」(J・レイティ:ハーバード大学医学部準教授ほか共著、NHK出版)。              

センセーショナルなタイトルに魅かれて解説箇所を熟読してみたが、なかなか面白そうなので要所を抜き書きしてみた。

運動すると気分がスッキリすることはだれでも知っている。けれども、なぜそうなるかわかっている人はほとんどいない。

ストレスが解消されるから、筋肉の緊張がやわらぐから、あるいは、脳内物質のエンドルフィンが増えるから・・・。たいていの人はそんなふうに考えている。

でも本当は、運動で爽快な気分になるのは、心臓から血液がさかんに送り出され、脳がベストの状態になるからなのだ。

わたしに言わせれば運動が脳にもたらすそのような効果は、体への効果よりはるかに重要で、魅力的だ。筋力や心肺機能を高めることは、むしろ運動の副次的効果にすぎない。

わたしはよく患者に運動をすることは、脳を育ててよい状態に保つためだと話している。現代の文化は心と体を別もののように扱っているが、わたしはそれをふたたび結び付けたいと思っている。

長らく私は、心と体の結びつきというテーマを夢中になって追及してきた人間である。」

以上のとおりだが、改めて人間は「脳ありきの動物」だということを再認識させられた。

そして、肝心の適度な運動の中身については次のとおり。

「最大心拍数の60~70%の運動は脳の血流を増し、それによってBDNF(脳由来神経栄養因子)をはじめとする物質がつくられるようになり、それらはあたかも植物における肥料のごとき働きを示し、脳内のニューロンの枝を増やしてあらたな神経回路を形成する。

また神経伝達物質であるセロトニンも脳の血流が増えればそれにつれて増えてくるので、運動習慣を身につけた者とそうでない者とではうつ病の再発率に決定的な差が出てくる。」

長年「うつ病」に苦しんできたという著者(南木氏)にこの言葉は、ひときわ福音だったようだ。

ちなみに最大心拍数とは「220-年齢」だが、適度な運動とはこの60~70%ということになる。

たとえば70歳だとすると、90~105の間の脈拍数で運動すればOK。

じぶんの場合、運動ジムでエアロバイク(50分間)を漕ぎながら心拍数をみるといつも90前後になるので、どうやら今のままのペースでいいようだ。

現在のささやかな願いはといえば持病を少しでも悪化させず、周囲に迷惑をかけないで済む時間をできるだけ長くできればこれ以上のものはない。

とかく運動不足に陥りやすい「音楽&オーディオ」ファンの皆様にとって日常的に意識して体を動かすことは喫緊の課題ですよと声を大にして叫んでおこう。まあ、釈迦に説法だろうが(笑)。

最後に本書の中で「薬石」として紹介してあった本を列挙してみた。

「脳と自然と日本」「手入れ文化と日本」(養老孟司)、「流れとよどみ 哲学断章」(大森荘蔵)、「マンネリズムのすすめ」(丘沢静也)

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「いい音」の決め手は「品格」でいこう

2019年09月15日 | オーディオ談義

     

1週間前のことだった。「アレっ、AXIOM80がありませんね!」と、部屋に入るなりオーディオ仲間が残念そうに呟いた。

「ええ、そうなんです。ときどきあの独特の神経質さが”鼻につく”ことがあってこのところ休養させています。そもそも(本格的な)低音が出ないスピーカーなんですが、それでもお好きなんですか?」と、わざと詰め寄ってみせた(笑)。

「いや、低音が出なくてもあの濡れたようなヴァイオリンの音色はちょっと捨て難いですよ」と、強く抗弁する仲間。

軌道修正を図るうえでも、やっぱり耳のいい仲間の応援はありがたいもんですな(笑)。

この日は、冒頭の画像のように久しぶりにAXIOM80から入れ替えた同じグッドマン製の「トライアクショム」(口径30センチ:同軸3ウェイ)とJBL「D123」(口径30センチ)の2ウェイを比較試聴していただいた。

試聴盤は名花シュワルツコップの「4つの最後の歌」(R・シュトラウス)。

    

稀代のクラシック通の作家「百田尚樹」さんの「人生を変えた名曲」のうち堂々と「ベスト1」に輝いた曲目である。

「ヨーロッパ音楽が最後に行き着いた至高の名曲」だそうで、「さすが百田さんだ」と思わず唸った。

けっして上から目線で言うのではなく、「クラシックを心から愛し、十分に聴き込んだ人にだけわかる良さがある」とだけ言っておこう。

さて、本題に戻って、この名曲をじっくりと両方のスピーカーで聴き比べた結果、軍配は「トライアクショム」に上がった。

「JBLもいいんですが、音の品格がまるで違いますね。まさに貴婦人が歌っている感じです」と、仲間。

ウ~ム、やっぱりそうですか・・・。

オーディオ・サウンドの最後の決め手は「音の品格」だといつも思っている。

「品格って何?」と問われても困るが、具体的に言葉では表現できない「佇まいのようなもの」としか言いようがない。まあ、雰囲気というか・・。

ほら、人間の品格についても言葉では具体的に言い表せない「人品骨柄卑しからぬ人」という抽象的な表現があるじゃないですか。

いずれにしても「恐るべし、トライアクショム!」

同軸3ウェイによる周波数レンジと音像定位が一体となった見事さは実際に聴いた人じゃないと分からないと思う。とりわけボーカルでは無類の強さを発揮するようで歌手の口元の開き具合が手に取るように分かるんだから~。いや、けっして大袈裟じゃなく・・(笑)。

2時間ほどあれやこれや聴いていただいたが、これが本日一番の収穫だった。

仲間が去ってから、”まんじり”ともせずにしばし沈思黙考に入った。

テーマは「AXIOM80の復活」と「トライアクショムの活用」について。

翌日は早朝からごそごそと動き回った。SPユニットの入れ替え作業である。ほんとに好きだねえ(笑)。

2時間ほどで済むはずの予定が、バッフルとユニットのネジ穴が合わないハプニングがあったりして、とうとう半日ほどかかった。

   

これで「AXIOM80」の復活、そしてJBLの「D123」から「トライアクショム」への入れ替えが成就した。年内ぐらいは「D123」を持たせるつもりだったが突然の計画変更でまことに申し訳ないと、心の中でそっと謝った(笑)。

そして、グッドマンの指定箱(オリジナルのARU付き)に入った「トライアクショム」がさらに真価を発揮したのは言うまでもないが、「1.5センチの薄板」に容れていたときよりも明らかにボンつきが減ったのには驚いた。

「薄板」の許容範囲となると、AXIOM80並の口径25センチくらいかな~。

なお、相性の良いアンプの実験では「6098/6AR6シングル」で決着。

    

これは「黄金の組み合わせ」かもですねえ、しばらくはこれで行くとしよう(笑)。  

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