「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

マーラーの音楽に想う

2020年03月30日 | 音楽談義
先日のこと、メル友の「I」さん(東海地方)から興味深い内容のメールが届いた。

「〇〇様にクラシックの話を持ち出すのは、ケンカを売っている(笑)ようなものですが、ご意見を聞かせていただけましたら幸いです。
 
当方、実は、マーラーが好きです。マーラーの交響曲を聴いていると、巨大な室内楽を聴いているような気分になります。なぜ室内楽のように聴こえるのか。よくわかりませんが、たぶん、指揮者なしで、奏者の間合いで演奏する方が合っているような気が・・・。
 
普段そんなふうに思っているところへ、先月NHKTVで、交響曲第4番室内楽版の放送がありました。演奏者はパリ管弦楽団&紀尾井シンフォニエッタ東京の10人編成です。室内楽版があったんだ!!
 
演奏は素晴らしかったです。初めは、やはりバイオリンとビオラはもう少し人数がほしいかなとも感じましたが、聴いているうちに「そんなことはない、これでいい」と納得できました。
 
その後、FMでも同じコンサートの放送がありました。音を比較してしまいました。どちらかと言えば、FMの方が好きな音ですね。今のTVやFMの放送は、マスターはデジタルとアナログどっちなんでしょうか。その後、DA、ADの変換はどのようになっているのでしょうか。知る術もないところですが。
 
ということで、マーラーの室内楽版についてどう思われますか。また、1番と4番はともかく、マーラーの交響曲はなぜあんなに長いのでしょう。長いことに必然性はあるのでしょうか。(音楽家の失業対策?失礼!)



このメールに対して次のように返信した。

マーラーの件ですが、過去に好きになったこともありますが以下はあくまでも「現時点」での個人的な意見として述べさせてもらいます。

マーラーは元々指揮者として大成した音楽家ですが、作曲の方はイマイチだと思ってます。ま、モーツァルトなどに比較すればの話ですが・・・。

大編成の曲目が多いのですが、それに意味があるのかなと思ってます。むしろ中身の薄さをカバーするためにコケオドシ的な要素もあるのではないかという気がします。ちょっと辛口ですが~。また、ときおり魅力的な旋律が流れてくるのですがどうも部分的で持続しません。

また長さの方もこれまた大編成と同じで必然性があまり感じられません。

したがって私には縁の薄い作曲家です。

ただ、「大地の歌」の最終楽章には
いつも胸を打たれます。マーラーはこれ一曲だけで十分だと思います。この件は10年前のブログ「大地の歌8枚の試聴盤」(2009.11.28)にも記載しています。

これに対して「I」さんから返信。

「ご回答ありがとうございました。早速「大地の歌」を聴きなおしました。(バーンスタイン・ウィーンフィル・キング・ディースカウ)
この曲は最終楽章だけでもひとつの作品として充分ですね。ということは、全楽章の作品としての在り方・必然性が薄いということにもなります。
 
今回、お話を伺って、なぜマーラーの交響曲を巨大な室内楽と感じてしまうのか、理由が少し見えてきました。

素晴らしい素材を内包している割には、交響曲としては構成に難がある(失礼!マーラーさん)ということでしょうか。

そこで、演奏家に素材を生かして欲しい・・・「室内楽」を聴きたい、となってしまうようです。
 
似たようなことを、チャイコフスキーにも感じます。また、パガニーニに対しては、誰もが思うことではないでしょうか。

もっとも、パガニーニの5番・6番の協奏曲のオーケストレーションは後世の作曲家の手によるもののようですが、あまり良くないですね。オーケストレーションには大変な才能が必要ということでしょう。
 
以下は、門外漢であるジャズファンの、世間知らずの戯言とお聞き流しいただきたいのですが、現代作曲家は、オリジナルの作曲もいいけれど、古典のアレンジをもっとしてみたらどうかと思います。
 
ジャズやポップス風ではなく、クラシック音楽の現代の技法を用いてです。新たな楽しみが生まれると思います。私が知らないだけで、音楽界では行われているのかも知れませんが。
 
今回はありがとうございました。クラシックには「曲」と「演奏」という2面があるのでまだ嗜好が分散していいのですが、ジャズでうかつにこのような嗜好をいうと、人間関係が悪くなりかねません。ジャズには演奏=演奏者しかありませんので。」

ジャズ愛好家の「I」さんからはいろいろと示唆をいただくことが多い。

たとえば、ジャズとクラシックの再生の違いについて、前者では「勢い」が重視され、後者は「ハーモニー」が重視されるので両者に対してオーディオ的には異なるアプローチが必要だと気付かされたのもその一つ。

たとえばジャズの再生は「何でもあり」のようでオーディオ的には欠点になるところが聴感上ではむしろ長所になったりして、「個性」という言葉で片付けられるのでとても便利。

それに引き換えクラシックとなると人間の耳は押しなべてハーモニーの違和感にはとても敏感に感じやすいので、家庭で十全に聴こうと思ったらまず泥沼の世界を覚悟しなければならない。

こんなことを書くとジャズ・ファンからバッシングを受けるかもしれませんね(笑)。

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「九死に一生!」、そして「怪我の功名」

2020年03月28日 | オーディオ談義

「とても陽気な音ですね。見かけ以上によく低音が出ていて驚きました。いかにもアメリカン・サウンドで細かいことを言わずにおおらかに楽しみましょうや、という感じでしょうか。」と、オーディオ仲間のYさん。



我が家の「にわか仕立て」の「JBL3ウェイシステム」を聴いてもらったときの第一声がこれだった。

「日頃からイギリス系の音ばかり聴いていると、たまにはこういう屈託のない音もいいでしょう。075(ステンレス削り出しホーン付き)で聴くシンバルは格別のものがありますよ」と自分。

ただし、Yさんは基本的に「金属のダイヤフラム+ホーン」(以下「ホーン」)の音がお嫌いのご様子で20分ほど聴くと、「早くAXIOM80の音を聴かせてください」と催促された(笑)。

ホーンがお嫌いな原因は「音の勢いがあるのはいいとしても、弦楽器などの微妙な”ざわざわとさざめくような音”の再生に不向き、言い換えると音が消えていくときの微かな余韻に乏しい」とはっきり仰る。

これはジャズにはいいけれどクラシックには明らかに弱点となるが、何も音楽は弦楽器ばかりではないし、管楽器の出番も多いのだから若干割り切る必要がありそうだ。



「AXIOM80を聴く前にちょっとこれを聴いてみてくれませんか」と、中音域(700ヘルツ~8000ヘルツ)を担当する「175ドライバー」を外してナショナルのコーン型スコーカーに入れ代えて聴いていただいたところ、「こちらの方が弦楽器の響きがきれいですね」。

JBLの3ウェイといっても、スコーカーを代えるだけで簡単に「クラシック向き」と「ジャズ向き」の二刀流が使えるので選択肢が広がるのはとてもありがたい。

というわけで、SPコードの簡単な差し換え作業が当面の課題となった。

ウェストミンスター(改)に使っている3台のアンプとSPユニットの差換え用と今回のスコーカーの差換え用として「SPターミナル」と「バナナプラグ」をネットで思い切って20個づつ購入した。



右側のバナナプラグにSPケーブルの「半田付け」をするのが計16個と一苦労だったが、どうにか無事終了。何しろお金と違って時間だけはたっぷりあるんだから~(笑)。

これで差し換えが非常に便利になり苦にならなくなったのはありがたいにしても、まさに「好事魔多し」でとんでもないミスを犯してしまった。

作業を終えて音出しをしたときに左側のスコーカーから音が出てこない!

おかしいなあと、まずはバナナプラグの半田付けのミスを疑ったが異常なし。次にアンプの真空管の故障を調べたがこれもどうやら異常なし。

そこでSPユニットの差込をよく確認すると,何と似たようなプラグとターミナル、そしてケーブルだもんだからスコーカーとツィーターの結線を間違えてしまっていた。

つまり、8000ヘルツ以上を担当する「075ツィーター」に「700ヘルツ以上」を担当するスコーカーの役目をさせたことになる。

仕様では「075ツィーターの守備範囲は3000ヘルツ以上~」になっているので、それを700ヘルツまで落とすなんて無茶苦茶で、よくもまあ075のボイスコイルが焼け切れなかったものだと、思わず背筋がゾッとした!

駆動するアンプの方が小出力の「71系」アンプだったから「九死に一生!」を得たのだろう。

それにしても改めてJBLのユニットの丈夫さに思いが至った。

この調子なら「175ドライバー」も公称「1000ヘルツ~」になっているが、「700ヘルツ~」から受け持たせても大丈夫かもしれないと変な自信を持ったのは「怪我の功名」かな(笑)。

さっそく実際に試してみたがまったく違和感なしで、今回の騒動については「転んでもただでは起きなかった」ことになりますかなあ(苦笑)。

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好きな音楽を最高の音で聴きたい!

2020年03月26日 | 音楽談義

こんなに「文化果つる田舎」に住んでいると(笑)、とかく情報や刺激不足に陥りやすいのでときどき都会の仲間に電話して渇きを癒しているがつい先日もいろいろと話をさせてもらった。

相手は仮にSさんとしておこう。

よくお話を伺ってみると、現在、最高級のパワーアンプの製作をその道の達人に依頼されている真っ最中だった。

一口に真空管アンプといってもいろいろあって、市販品から個人的に作ったものなど様々だ。

そのうち市販品はどんなに高級であろうと「儲け」という要素が必ず入ってくるので所詮はコストに妥協した産物になりがち。そこで、最高級品を目指すとなると必然的に一点物の注文品となる。

Sさんの場合ももちろん後者になるが、その部品集めが凄い。古今東西の有名どころのトランス類やコンデンサー、古典管などめったに手に入らないものばかりを収集中。そのブランド名を聞いただけでため息が出てしまった。

「部品の収集だけで、今のところどのくらいかかりましたか?」と、ぶしつけな質問をしたところ「およそ120万円ほどですかね・・。まだまだかかりそうです。とにかくお金に糸目は付けないので世界で最高級の部品で作ってくださいと言ってあります。これが人生最後のアンプになります。」

「部品も凄いし製作者も達人なのでおそらく世界一のアンプになることでしょうね・・」と自分。イヤ、けっしてヨイショではなく本心からそう思った(笑)。



現在、使っておられるのは「PX25」の親分筋にあたる「PP5/400」(英国マツダ)のシングルアンプだが、今回のアンプは同じ出力管を使ってさらにグレードアップしたアンプを目指しておられる。

その飽くなき探求に「凄い情熱ですねえ!」と感嘆しきりだったが、Sさんが仰るには「いや、ただ好きな音楽を最高の音で聴きたいだけです。ゴルフもやらないし、夜の酒場をうろつくこともないし、そんなことに比べれば安いもんですよ。」

「それもそうですねえ。」

「好きな音楽を最高の音で聴きたい」、この言葉を聞いて久しぶりにオーディオの血が騒いだ(笑)。

「音楽はどんな音でも楽しめるし、別にプアな音で聴いても一向に気にならない。何しろ飢え死にするわけでもないし」という人が圧倒的に多いと思うが、そういう人にとっては永遠にオーディオ愛好家の心理は分からないことだろう。

こんなに美しい音楽を聴けるのならお金をいくら次ぎこんでもいいと思うことが時々ある。

芸術に順番を付けるのは意味がないが、個人的には絵画などとは違って時間芸術としての「クラシック音楽」が最高の位置づけにあると思っているし、それを最高級の音で聴くとなると「鬼に金棒」ですね。

我が家も負けてはおられませんなあ(笑)。

日頃から、まあこのくらいでいいかとつい妥協しがちだが、突っ込むときはドバっと突っ込まないとねえ。とはいえ、闇夜に鉄砲というわけにもいかないし~。

パワーアンプとスピーカーはだいたいこのくらいで「打ち止めだろう」という気がしているので、後の物入りになりそうなのは「プリアンプ」、「DAコンバーター」と「SPの箱」ぐらいですかね。

このうちデジタル系機器は次から次に開発が進んで、高級品がアッという間に陳腐化してしまうのが相場なので、せめて5年間ぐらいは持たせようという観点でこれぞと思う製品を物色中だがなかなか見つからない。

5Gの躍進に伴い中国系のデジタル機器がずいぶん良くなっているという噂をよく聞くが、今回の「新型肺炎」騒動でどうなることやら。ここでも暗い影を落としている。

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オークション情報~栄枯盛衰~

2020年03月24日 | オークション情報

今や多くのオーディオ愛好家にとってなくてはならないものがネットオークションだろう。

若い頃に欲しくて欲しくてたまらなかった憧れの機器が、ごく身近な存在になり手が届く範囲にあるという喜びは何物にも代えがたいが、その一方で「落ちた偶像」のようにあまり落ちぶれた姿を見たくないという複雑な思いも先に立つ。

たとえていえば容色の衰えた女優をテレビで観るようなものかな(笑)。

つい「平家物語」の冒頭の一節が蘇る。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。」

今回は最近のオークションで気になった物件を3件ほどメモしておこう。



言わずと知れたタンノイのウェストミンスターだが、今どきどのくらいの値段で落札されるんだろうと野次馬根性でウォッチリストに入れていたところ、落札額は「50万7千円」だった。

ユニットのエッジが風化していたので要修理品だったがそれにしても安っ。今昔の感がありますなあ。

我が家で購入したのは今から30年ほど前になるが、購入することを妻に言いそびれてしまい実際に運び込む前夜になって告白、そして1週間ほど口を聞いてもらえなかった苦~い記憶がある(笑)。

今となっては少々「持て余し気味」という皮肉な結果に終わっているが、まあ、腐れ縁というところですかね。

図体が大きいし重たいしで都会のマンション向きではないことも人気が無い原因の一つだろう。

個人的にはオーディオで一番難しいのは「低音対策」だと思っているが、それこそいろんなアプローチがあるものの、箱の力(バックロードホーン)を利用したものとしてはこれが最右翼でしょう。

小さな箱からは絶対に出ない低音を味わえるが、歳を取るにつれ「こじんまりとした音」に傾いていくのはいったいどうしたことか(笑)。

二件目は「3A/109Aプリアンプ」。

  

一般的にプリアンプに使う真空管は「12AX7」や「12AU7」など俗にいう「ミニチュア管」が多いが、これはれっきとした「STC」(英国)のST管を使っているので、大いに興味を惹かれた。

トランスの大きさと相俟って、いかにも豊かな音が出そうな感じがする。

「STC」の球は音質的にも定評があるし寿命が長いので、この「3A/109A」もスペア管は不要だろうし、もし安価に推移するなら「買いだ」と興味深く注視していたところ、みるみる入札価格が上昇してあっという間に手が届く範囲ではなくなった。

結局、落札価格は「151、009円」とプリアンプにしてはメチャ高っ! 落札者の慧眼(?)には恐れ入ります。

その反動で、オーディオ仲間に「STCの3A/109Bを2本持ってるので、これでプリアンプを作れませんかね」とお願いしたところ「電源トランスなどがマッチングした中古の適当なプリアンプを購入して改造すれば何とかなるかもねえ」との回答だった。

気長に待つことにしよう(笑)。

3件目は「AXIOM80」。



かなり希少なユニットなのに、常に途切れることなくオークションに出品されているのはいったいどういうわけか?。

いったん手に入れたものの、とても神経質で鳴らし方が難しいので手放す方が多いような気がする。

このユニットと付き合うには「根気との勝負」に尽きますね。このくらいオーディオを勉強させてくれるユニットはないと思う。

たとえば、ユニットの後ろ側に放出される逆相の音の処理の仕方に伴う「箱のツクリ」方、相性のいいアンプの選択、コード類から電源対策などありとあらゆる知識と行動を総動員しないとうまく鳴ってくれないし、我が家だって未だに進行形の状態で山の頂さえも見えてこない状況にある。

おそらく命尽きるまで果てしない模索が続くことだろうと覚悟を決めている。

余談はさておき、程度の良さそうなこの復刻版の「AXIOM80」はどのくらいの価格で落ちるんだろうと見守っていたところ、結果は「242,000円」なり。

高くつくかどうかはひとえに落札者の「汗と涙」にかかっているが、はたして・・(笑)。

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二転三転!

2020年03月22日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

1か月近く「AXIOM80の2発入り」騒動が続いたが、ようやく一段落したところで何だか違う傾向の音が聴きたくなったのはオーディオ愛好家の性(さが)というものだろうか(笑)。

というわけで久しぶりにJBLサウンドの登場である。

世間では圧倒的にジャズ向きとされているが、うまく料理すればクラシックでも十分いけることをちゃんと知ってるよ~(笑)。



JBLのコーン型ユニットをグッドマン用とされる「ARU」(背圧調整器)付きの箱に容れているが結構しっくりきますよ~(笑)。

最初はおとなしくネットワーク(クロスオーバー1200ヘルツ)を使ってJBL「D123」(口径30センチ)と「175ドライバー」の2ウェイで聴いてみた。

極めて明快なサウンドで、もうこれで十分だと思ったがいつものように聴いているうちに段々と欲が出てきてしまった。最高音域の周波数がもっと欲しいなあ。

そこで、直し込んでいた「075ツィーター」の登場と相成った。



となると、ネットワーク方式では間に合わなくなったので3ウェイ「チャンデバ」の出番だ。いつものパターンで段々と込み入ってくるのが我が家のスタイル(笑)。

アンプ3台、SPケーブル3本とも丸ごとウェストミンスター(改)に使用中のものからそっくり移転した。社会では3月末が近くなると人事異動がつきものだが、我が家の異動では「内示」という面倒くさい手間を省いているのが特徴だ(笑)。

3つのSPユニットと組み合わせる3台のアンプの組み合わせは改めて次のとおり。

低音域:「D123ユニット=PX25アンプ」、中音域:「175ドライバー=71Aアンプ1号機、高音域:「075ツィーター=71Aアンプ2号機」

ときに「尖った音」を出すJBLのホーン型ドライバーを羽毛のように柔らかく鳴らす秘策(?)は、小出力で素直な「71系アンプ」を使うに限ると秘かに思っている。



左が71系アンプの1号機で右が2号機。真空管の構成を忘れないようにメモしておこう。

前者の前段管は「AC/HL」(英国マツダ)、出力管は「71A」(レイセオン)、整流管は「OK-X213」(メッシュプレート)。

後者の前段管は「A-411」(ヴァルボ:バリウム昇華型フィラメント)、出力管は「71A」(レイセオン)、整流管は「380」(カニンガム)と、けっして自慢するわけではないが(笑)、いずれも古典管の希少管ばかりで、両者ともインターステージトランスを内蔵している。

これらのアンプを使うとまるでJBLが借りてきた猫のように従順になり、柔らかな響きになってクラシックがすんなり聴けるようになるのだから不思議!

「AXIOM80よりもこっちの方が好みかもねえ」と、しばし陶酔のひと時を味わった。

肝心のチャンデバのクロスオーバーだが「1000ヘルツと8000ヘルツ」にしていたところ、半日ほど聴き耽ってからコーン型ユニットの「D123」を1000ヘルツまで持たせると、ちょっと間延びした音になりがちだなあとやや気になりだした。

そこでクロスオーバーを「700ヘルツ」にしてみようかな。

となると「175ドライバー」は危険な綱渡りになるので代わりのユニットとして浮上したのが、ナショナルのスコーカー専用ユニット「EAS-12PM10」。



口径12センチで200ヘルツから使える優れものだが「ネットワーク方式」のときはサッパリだったものの、チャンデバ方式で専用アンプ(71A・1号機)をあてがってやると水を得た魚のように豹変した。

チャンデバのクロスオーバーを改めて「700ヘルツと6000ヘルツ」に設定して耳を澄ますと、各ユニットとの繋がりもごく自然でこれは素晴らしい!



クラシック、ジャズを問わず、非の打ちどころがないサウンドというのはこういう音を指すのではあるまいか、と思えるほどの出来栄えで結果的には「二転三転」したけれどもう心の底から満足~。

今のところは・・だが(笑)。

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二つの「世界的レベル」

2020年03月20日 | 音楽談義

仏教に「解脱」(げだつ)という言葉がある。

広辞苑によると「束縛から離脱して自由になること。現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達すること。また、到達されるべき究極の境地。涅槃(ねはん)」とある。

ベートーヴェンの後期の作品を聴いていると、「最後に到達した境地がこれに近いのではあるまいか」なんて勝手に思ったりしている。

まあ具体的に曲目を絞り込むとすればピアノ・ソナタでは30番~32番、弦楽四重奏曲では14番と15番、そして交響曲では第6番と第9番といったところかな。

これらの作品にはベートーヴェンが最晩年に到達した哲学的な心境が横溢し、極めて内省的な性格、深い思索と達観の世界、秘めたる高い精神的な感動といったところが大きな特徴で、最初の一音を聴いただけで思わず”居住まいを正したくなる”ところが明らかに前期、中期あたりの作品とは違う。まあ一段と高く聳え立つ山のようなものでしょう。

そして、これら後期の作品の中でも自分が一番深く傾倒しているのがピアノ・ソナタ32番(OP.111)の第二楽章。ベートーヴェン最後のソナタとしてピアノ単独による表現では限界を極めたとされる作品である。

この曲には音楽評論家「小林利之」氏の名解説がある。

「深い心からの祈りにも通ずる美しい主題に始まる第二楽章の変奏が第三変奏でリズミックに緊張する力強いクライマックスに盛り上がり、やがて潮の引くように静まって、主題の回想にはいり、感銘深いエンディングに入っていくあたりの美しさはいったい何にたとえればよいか。

「ワルトシュタイン」などが素晴らしく美しくて親しみ深いと言っても、まだこれだけの感銘深い静穏の美しさにくらぶべくもないことを知らされるのです。

この曲を聴きながら折にふれ自問自答するのが「クラシックファンのうち、このソナタを好きになるような人とは一体どういう人なんだろう?」。

つまり無意識のうちに「自分捜し」をしているわけだが、少なくとも「何の悩みもないネアカ人間で万事に積極果敢なタイプ」は好きになれない曲目だと断言していい気がする。

いや、「好きになる資格がない」と言い換えた方がいいかもしれない。ついハードボイルド小説にある
「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」という言葉を思い出す(笑)。

さて、現在この曲目のCD盤は全部で12枚所持している。

バックハウス、内田光子、アラウ、グールド、ミケランジェリ、リヒテル、ケンプ、ブレンデル、コヴァセヴィッチ、ギュラー、ゼルキン、デムスと多彩に富む。

沢山持っていても何も自慢にはならないがこの曲目への愛情のひとつの証にはなる。

「日本広し」といえども「32番」をこれほど愛し、そして多く所持している人間はそうそうはおるまいと内心ひそかに自負してきたわけだが、そのプライド(?)が木っ端微塵に砕け散ってしまうときがついにやってきた。

何とこの「32番」について
「205枚ものCD盤(当然レコード盤も含む?)を試聴しその結果を掲載しているホーム・ページ(以下「HP」)があった」


ウーン、参った!

自分をはるかに上回る205枚もの盤を聴きとおして記事にしている「HP」はおそらく空前絶後、日本はおろか世界でも皆無だろう。

世の中にはスゴイ人がいるものである、と同時に自分以上にこの32番にトコトン入れ込む方がこの世にいらっしゃると知って何だか心の底からうれしくなってしまった。

「リンクご自由に」とあったのでご本人にお断りなしに紹介させてもらう。

このHPの表題は
「Piano Sonata No.32 op.111」

表題に続くご本人のコメントには「あくまでも素人の私の独断と偏見の言いっ放しです。なにとぞご容赦ください。感想は主に第二楽章について」と随分控え目な表現があり、なかなか柔軟な方のようである。

そして、それぞれの演奏者の評価が5段階に分けられジャケットの写真と寸評が記載されている。

その結果といえば次のとおり。(2020年3月18日現在)

☆☆☆☆☆(五つ星)
24枚  ☆☆☆☆☆(四つ星半)57枚  ☆☆☆☆(四つ星)36枚  ☆☆☆✰(三つ星半)63枚  ☆☆✰(3つ星)18枚 ✰✰(二つ星)7枚 計205枚

「繊細さと柔軟さを併せ持つ表情豊かな演奏が好き」とコメントにあるのでそういう観点からの評価だと思うが残念なことに自分とは好みが合わないようで、たとえば何度聴いても退屈感を覚えるギュラーの演奏には「五つ星」が付けられている。

自分の評価の基準は何よりもスウィング感とリズム感を重視、極端に言えばジャズみたいなノリが好みで、この曲目に限っては思い入れたっぷりのゆったりとした演奏スタイルはあまり好きではない。

      

あえて演奏者を挙げるとすればバックハウスが好みで、
”深遠な内容”と、分かりきっているのにことさら深刻に演奏されると追い討ちをかけるみたいで”くどい”というのがその理由。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番が大好きな方でまだこの「HP」をご覧になっていない方は随分と参考になること請け合い、一度アクセスされても損はないと思いますよ。

最後に、さりげなく自己PRをさせてもらおう。

このブログではモーツァルトのオペラ「魔笛」について50セット近い試聴記を掲載している。2時間半にも及ぶこの長大なオペラをこれだけ聴き込んだHPもおそらく「世界的レベル」ではないかと秘かに自負している。

オーディオも負けず劣らず、気宇壮大に「世界的レベル」を目指している積りだがはたして・・(笑)。

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禍福は糾える縄の如し

2020年03月18日 | オーディオ談義

前回からの続きです。

大いに期待して落札したワーフェデール(英国)「スーパー10」の不調に伴い泣く泣く返品したのは既に記述したとおり。



その後16日(月)に銀行口座で「返金確認」させてもらった。落札時の条件は「ノークレーム、ノーリターン」だから知らん顔されても仕方がなかったがとても物わかりのいい出品者(山形県)でよかった。

とはいえ、貴重かつ希少な赤帯マグネットのユニットだっただけに、そのまま落札して1本だけ修理に出す方法もあったわけで、はたしてどちらが良かったかは神のみぞ知る。

まさに「禍福は糾える縄の如し」かな(笑)。

いずれにしても、「スーパー10」の代わりに取り付けたリチャードアレン(英国)の「ニュー・ゴールデン8」(口径20センチ:以下「G8」)が巧く鳴ってくれれば言うことなしだがはたして。

とりあえず鳴らしてみたが、あまり違和感は感じられなかったので「これは行けそう」という好感触を得た。

そこで興に乗って低音域の周波数をハイカットするコイル(ムンドルフ)を「8.2+6.8=15mh(ミリヘンリー)」から「8.2mh」にしてみた。

「G8」のインピーダンスは8Ωなので「15mh」のときはおよそ80ヘルツになり、「8.2mh」のときは150ヘルツあたり(-6db/oct)でのハイカットになる。

これで聴いてみると、低音域の量感がぐっと増えて「おお、なかなかいいじゃない!」と、思わず頬が緩んだ(笑)。

さっそく15日(日)にオーディオ仲間に来てもらって試聴してもらった。オーディオは複数の耳で聴いてもらえばもらうほど上質になるというのが我が家のポリシーだ。

すると、「これで十分だと思いますが、アンプ1台に15Ωと8Ωの負荷を持たせるのはちょっと辛いような気がします。プリアンプ側には2系統の出力端子があるんですから、いっそのこと2台のアンプでそれぞれのユニットを鳴らしてみてはどうですか」

「成る程、そういう手もありますね。プリアンプの2系統の出力端子を同時に使うと、ややパワー感が落ちるような気もしますが一応やってみましょう」

結果的にこれはたいへんな名案だった。いろんな組み合わせがぐっと広がったのである。具体的には次のとおり。

1 「AXIOM80」(以下「A80」)に「WE300B」アンプを当て、「G8」には「6098」アンプをあてて同時に鳴らし、混合ダブルスにして約150ヘルツ以下を補強する。

2 「A80」をフルレンジ単独で聴きたいときは「6098」アンプをオフにする。

3 「G8」をフルレンジ単独で聴きたいときは「WE300B」アンプをオフにし、同時にコイルを外してSPターミナルで直結する。実に簡単な作業で済む。

4 SPの結線を変えるだけで二つのアンプと二つのユニットのたすき掛け試聴が簡単に出来る。

これで順次1,2,3、4と聴いていったがそれぞれに良いところがあっていずれも甲乙つけ難し。とりわけ3は想像以上に良くて口径20センチのユニットの小気味よいサウンドにほとほと感心した。

次に、一段落してから「A80」の復刻版が入ったボックスを聴いてもらった。



この箱はもともと「AXIOM301」(口径30センチ)が入っていたものを改造したものだが、そのせいか箱の厚さが4センチもあって「A80」にはどうやら不適のようでやや響きが硬くなる。

「A80の初期版が1台あればもう要らないんじゃないですか」と、仲間。

それもそうですねえ・・・。

翌日、「A80」の復刻版を外して、まったく違うタイプのユニットを取り付けた。このブログの読者ならどういうユニットか、およそ想像がつくことでしょうよ(笑)。

以下、続く。

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好事魔多し

2020年03月16日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

「AXIOM80」(以下「A80])の2発システムから、「復刻版」を外して、その代わりのユニットとして落札したワーフェデールの「スーパー10」(口径25センチ:赤帯マグネット付き)がようやく我が家に到着した。

ズシリと重たくていかにも上質のマグネットであることを実感した。スピーカーはマグネット次第で、ほぼ音質が決まることは周知のとおりですよね。

システムに取り付ける前にちゃんと音が出るかどうかさっそく試してみた。裸のユニットのままアンプに結線して音出し。

ところが片方のユニットから音が出ない!

慌てたねえ。テスターで測っても導通が無いのを確認したので、出品者にさっそく電話した。

「ああ、それは端子が錆びついているせいだと思います。ちょっと磨いていただければ良くなると思います。どうしてもダメなときは着払いで送り返してください。落札代金と送料を振り込みます」と良心的な返事にひとまずほっとした。

そこで軽めのサンドペーパーで端子の付近を軽く磨くこと3分余り。しかし、それでも音が出ない。期待が大きかっただけにもうガックリ!

これほどの貴重かつ希少なユニットに出会うことはめったにないが、泣く泣く返送することにした。まったく「好事魔多し」とはこのことか。

そこで仕方なく方向転換へ。

手持ちの中で代わりのユニットを容れるとなると、リチャードアレンの「ニュー・ゴールデン・8」(口径20センチ)ぐらいかな。

口径20センチならA80の素早いスピード感に対応できるかもと淡い期待を抱いた。

当然、寸法が合わないので補助バッフルを使って取り付けた。



さあ、これではたしてうまく鳴ってくれるかどうか・・・。

これから一波乱も二波乱もあるが長くなるので今回はこの辺で。

以下、続く。

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美人は得をするか「顔」学入門

2020年03月15日 | 独り言

「顔」のことを話題にする資格はサラサラないが(笑)、「人は見た目が9割」という表題の本があるように単に両親からもらっただけの「顔」のために人生の「幸せ度」が大きく左右されるのはなんとも納得がいかない話だと、昔からずっと思ってきた。

たとえば自己の努力とはまったく関係ない「生まれつきの顔」のせいで就職時の面接や恋愛などで
何がしかの影響を及ぼすのは争えない事実なのでまことにつらいところ。

そもそも「顔」とは人間にとってどういう意味とか位置づけを持っているのだろうか。

「美人は得をするか”顔”学入門」(2010・9)集英社新書)は、そういう疑問に社会的、科学的な見地からアプローチした文字通り「”顔”学」そのものの本だった。

           

著者の「山口真美」さんは現在、中央大学教授で「日本顔学会」の理事。「日本顔学会」なんてあることを初めて聞いたが巷には眼や耳鼻咽喉の学会があるだろうから、とても大切な顔の学会があってもいいのかも
(笑)。

そして、本書を読んで顔に対するこれまでの認識をすっかり改まってしまった。

結論から言えば
「この社会で生きていく上で顔の美醜はそれほど問題ではない、表情の豊かさこそがはるかに重要です。」
と、いうわけ。

そこで、「表情の豊かさ」とは何か、というわけで本書の読みどころは後半にあった。

「第4章 第一印象は顔が決め手か」と「終章 顔を巡る、もう一つのお話~自分の顔を考える~」に著者の主張は集約されている。

表題の「美人は得をするか」の回答らしきものもこの第4章で出てくる。

読解力不足のせいもあって「隔靴掻痒」の感を免れないだろうが、せめてポイントと思しきものを抜粋しておこう。

☆ 顔の進化

目、鼻、口と言った感覚器官が集中する場所が顔と定義すれば、そもそも顔は、口から進化したといわれている。

口はエネルギーを摂取する器官であるから、身体の前にあると便利。そのため口のある方向が生物の進行方向になった。

顔はたくさんの脂肪と筋肉がからまるようにして出来上がっている。筋肉には二つの役割があって、それは表情を作ることと、食べ物を噛み砕くことにある。

☆ 表情こそが、その人の顔である

表情をあらわす顔は様々な筋肉で出来ている。長年の生活の積み重ねによって顔への筋肉のつき方は変わり、さらに歳を取れば、それが明確な皺となってあらわれる。

顔の筋肉は、その人がどんなものを食べ、どんな表情で人生を過ごしてきたかをあらわす証のようなもの。

つまり人相は柔軟に変えられるものであって、もって生まれた骨格による人相だけでその運命が決まるわけではない。

「年をとったら自分の顔に責任を持ちなさい」。


☆ よい顔、悪い顔

顔の社会的な役割とは、まず、その人が誰であるかを知るための必要な看板として、次にその人が今、どんな感情を抱えているかの情報を提供するためにある。

取り分け感情的な情報の提供は社会の中ではとても重要なメッセージ。

「よい顔」とはこの大切なメッセージを表現できる顔であり、悪い顔はその逆。

入社試験や入学試験で面接があるのは、姿かたちや表情からこうした社会的な処世術が出来ているかどうかを試している。

以上のとおりだが、一般論として若い頃は能面のような静的美人に惹かれ、歳を取るにつれけっして美人じゃないけれど「表情豊かな女性」が好ましく思うのは自分だけだろうか。

なお、表題の
「美人は得をするか」の回答だが、それほど単純なものではない。そもそも美人の定義がひとくくりにできないのが難点。

もし、美人が標準的な造作の美しい顔だとすると、それは美しいだけに終わってしまい、いずれ飽きられ、忘れ去られてしまう。

したがって、その人の持つ個性的な魅力〔表情)こそが人の記憶にずっと残っていくものだが、魅力とは人それぞれで受け止め方が違ってくるので、結局、スパッとした答えは出されていない。

最後に、謎かけをひとつ。

「防犯カメラの機能の向上で整形外科医が繁盛すると解く」 
そのこころは

先日のNHKテレビで東京で開催されたセキュリティ・システムの展示会が報道されていた。

たくさんの防犯グッズが紹介される中で取り分け印象に残ったのが「防犯カメラ」にコンピュータと連動させて人の顔と氏名を記憶させるシステムが 完成したこと。

たとえば、カメラが該当人物を部屋の入り口で認識すると「○○さん、いらっしゃいませ」と声を出して案内するシステム。

たった一つの表情でも記憶させておくと、三次元の映像で解析して”うつむき顔”でも”横顔”でも認識するというから驚く。

それが、本書によるとさらに進化していて「指名手配」の顔写真を全国の防犯カメラに連動させ、コンピュータによって自動的に犯人を割り出すというSFまがいの便利なシステムが研究途上にあるという。

したがって将来はあらゆる主要なポイントに防犯カメラを置いておくだけで「指名手配犯」が次々にキャッチされることに。

おそらく将来は全国的に警察官の配置も様変わりすることだろう。何せこちらが捕まえに行かなくても、相手から「飛んで火に入る夏の虫」

そうなると、指名手配犯も用心して「顔」の整形をするために整形外科医に行くというわけ。

ただし、本書によると人間の顔で一番重要なのは「目、鼻、口の配置〔間隔)」で、この整形をするとなると莫大な費用がかかってしまうそうだ。

結局、生まれ変わるのが一番手っ取り早いようだ(笑)。

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下手の考え休むに似たり

2020年03月13日 | オーディオ談義

「AXIOM80」(以下「A80」)の「2発入り」を「ああでもない、こうでもない」と大いに楽しませてもらいながら、およそ1か月が経った。

その間に気付いたことが二つ。

一つ目は「感覚の世界」は周知のとおり「√」(ルート)で表されるので、ユニットが2本になった場合のエネルギー感は「√2」(≒1.41・・)倍になるから、何も倍増するわけではないことを改めて体感したこと。

二つ目は聴いているうちに段々と「たったの150ヘルツ以下だけを受け持たせるのにA80(復刻版)を使うなんてもったいないなあ」と、いつものビンボー性が鎌首をもたげてきたこと(笑)。

つまり150ヘルツ以下ぐらいなら他のユニットを使ってもいいんじゃないのというわけ。

するとタイミングよくオークションで格好の獲物が見つかった!



ビンテージ品のワーフェデール「スーパー10」である。赤帯マグネット付きとくれば、まことに「A80」(初期版)にふさわしい相手である。しかも口径25センチだからバッフルに開けた口径にもピタリと収まるはず。

「ぜひ落としたいなあ・・」、それほどの競争もないままに常識的な価格で落札できたのは実にありがたかった。ヴィンテージのSPユニットは人気が無いようで大いに助かる。

すぐに「簡単決済」で処理して後は到着を待つばかり。

さて、その間に引退を強いられた「A80」の復刻版をどう料理しようかなと、しばし沈思黙考。「下手の考え休むに似たり」だが(笑)。

結局、別の箱に容れている同じグッドマンの「トライアクショム」(口径30センチ:同軸3ウェイ)に潔くこの際身を引いてもらうことにした。

両者とも中高音域の色艶は遜色ないが、中低音域の透明感ともなるとどうしても「A80」の「エッジレス」の優位性がものをいう。音離れがいいのでスピーカーの存在を意識させず生の音に近づいてくれる。こればかりはA80を使用している人だけに分かる世界ですよね。

12日(木)は朝の起き抜けから、かかりっきりで移転作業に熱中した。

手順は次のとおり。

1 箱から「トライアクショム」を取り外す

2 同様に「A80」2発入りの箱から復刻版を取り外す

3 1の箱に寸法に合わせたバッフルを見つけて復刻版を取り付ける。

以上のうち、3が一番手間がかかった。予備のバッフルがあることはあったが、不幸にも「復刻版」の寸法が合わない中途半端な大きさの穴が開いていた。

何とか、うまく取り付けられないものかと無い知恵を絞ったすえ、4か所のネジ穴の補助として小さな木片を使ってどうにかこうにか半日がかりで仕上げた。

「百聞は一見に如かず」でご覧のとおり。



いつものとおりでは面白くないので、今回は外側からマウントしてみた。幾分かは箱の容積が増えて音質に貢献してくれることだろう。

さあ、これで試聴に移った。いくら復刻版とはいえ「A80」だから上質のサウンドが聴けるはず。

ちなみに、自分の拙い経験で言わせてもらうとA80の初期版と復刻版の違いは主に「音の重心」にあり、好き嫌いは別にして「正しい音」になると、「音の重心」が下がる。

たとえば有名な300B真空管だがブランドは数あれどオリジナルのWE製ともなると中国製などに比べて音の重心が明らかに下がる。

同様に、A80の復刻版も初期版に比べてやや音の重心が上がり気味になるが、ほとんど気にならず許容範囲に収まるのはご愛嬌。

そして、DACを「エルガープラス」(dCS)、プリアンプをマランツ7型、パワーアンプを「6098シングル」に固定して以前から気になっていたSPケーブルのテストをやってみた。

はたしてどのSPケーブルが「A80」と相性がいいのか。

以前の四国の「S」さんのメールの中に
「A80への結線は太いケーブルよりは細いものが合いました Westernの16GA」とあったのがずっと頭の片隅にあったので・・(笑)。



左から「銅の単線」、上が「銀の単線」、下が「ウェスタンの単線」、そして右がPADの「コロッサス」(1ペア分:3m)と計4種類。

SPケーブルのテストは簡単で、我が家の場合は左チャンネルを固定し、右チャンネルを順次変えていって同時に鳴らしていけばたちどころに優劣が判明する。

今回は「銀の単線」を基準にして「左チャンネル」に固定し、右チャンネルで他のケーブルを差し換えて試聴していった。

予想ではおそらく「銀の単線」がトップだろうと予測していたところ、どうしてどうして「ウェスタンの単線」が一番良かった。透明感、高音域の艶など文句なし。さすが伝統の力!

その一方、一番高価な「PAD」は悪くはなかったが、こんなに大仰で場所をとる代物をわざわざ使うほどのメリットは感じられなかった。したがってアッサリお蔵入り(笑)。

そして、一番安価な「銅の単線」も大善戦して「銀の単線」とあまり変わらなかったのも意外。

ことごとく予想が外れたので自分の耳が怪しいのかもしれないし、周辺機器との相性も当然のごとく無視できない。日を代えてもう一度トライしてみようかな(笑)。

最後に、「A80」とウェスタン製の単線の相性がいいことが分かったのでDACからプリアンプへのRCAケーブル、プリアンプからパワーアンプへのRCAケーブルもそれぞれウェスタンの単線を使ったものに取り代えた。

古い年代に製造されたオーディオ機器は周辺機器も当時の時代に統一した方がいいような気がしてきた・・・。

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「ギャンブラー・モーツァルト」を読んで

2020年03月12日 | 音楽談義

「人間の生涯は“真面目さ”と“遊び”から成る。この二つのバランスの取り方を知っている者こそが、最も賢明なる者、最も幸運な者と呼ばれるにふさわしい。」(ゲーテ)

いきなりこういう文章で始まるのが、図書館から借りてきた「ギャンブラー・モーツァルト」~遊びの世紀に生きた天才~(2013.7.25、ギュンター・バウアー著)。

ちなみに、自分のように「遊び」の方が大きな比重を占めている人間は、とても賢明とはいえないが、幸運な人生だったとは思っている(笑)。

                 

さて、本書は431頁にわたって細かい文字がビッシリ詰まっており、よほどのモーツァルト・ファンじゃないととても読む気が起こらないに違いない。ザット、ひと通り目を通したがこれはこれでたいへんな労作だと思った。

本書のテーマは「ゲーテが語ったような意味でモーツァルトははたして幸運な人間であったのだろうか、生涯を賢く生きたのだろうか。別の言い方をすれば“音楽への真面目さ”と“遊び”の魔力との間でうまくバランスをとることが出来たのだろうか」に尽きる。

結論から言えば、モーツァルトは35年という短い生涯(1756~1791)において600以上にもわたる膨大な曲を作ったにもかかわらず、あらゆる遊びを楽しんでいたことが分かった。きっと人生を大いに楽しんだに違いない。

たとえば、遊びの種類を挙げるだけでも第一章「射的」、第二章「カードゲーム」、以下「ビリヤードと九柱戯」 「パーティゲーム」 「言葉遊び」 「お祭り、舞踏会、仮装パーティ」 「富くじ」と実に多種多様なものが(章ごとに)詳しく紹介されている。

「楽想は奔流のように現れて、頭の中で一気に完成します。すべてのものが皆一緒になって聞えるのです。まるで一幅の美しい絵を見ているみたいです。後で作曲する段になると、脳髄という袋の中からこれらを取り出してくるだけです。」(小林秀雄著「モーツァルト」)

モーツァルトの音楽がロジック的に解明できない原因を、驚くべき率直さとシンプルさでもって(モーツァルトの手紙の一節)語られているが、こういう天性の才能に恵まれた音楽家だからこそ時間に余裕ができて沢山の遊びを楽しめたに違いない。

つまり、「仕事の処理能力が高い者ほど遊びも楽しめる」と解釈できる(笑)。

モーツァルトは手紙魔だったらしく、(当時は唯一の通信手段だったので当然だが)、父や妻、姉、友人たちに宛てた膨大な手紙が「モーツァルト書簡集」として残されており、これからの引用が本書の全編にわたって多様に駆使されていて、読んでいくうちに自然にモーツァルトの人間像が浮かび上がってくる。

映画「アマデウス」にも描かれていたようにモーツァルトは通常の市井の人間と何ら変わりなかったが、あまりにもありふれた人間像とあの神々しいほどの輝きを放つ作品との落差がとても印象的だ。

さて、本書の中で頻繁に登場するのは教育魔だった父親(レオポルド)だが、姉のナンネル(二人姉弟)も負けず劣らずの頻度で登場する。幼い頃に彼女と一緒に興じた“遊び”はモーツァルトの生涯に大きな影響を与えた。

そのナンネルを主人公にした映画が光テレビで放映されたので録画して、このほど観賞してみた。「ナンネル・モーツァルト~哀しみの旅路~」

                    

2010年のフランス映画で、折角ここで取り上げたのだから「絶賛!」といきたいところだが個人的には「?」だった。

「弟モーツァルトに劣らないほどの才能に恵まれたナンネルだったが、女性に生まれたばかりに作曲を許されず、ソロ活動もできなかった。時代に恵まれなかった歴史上のヒロインに光を当ててみた。」というのが趣旨なのだろうが、どうもピンとこなかった。女性が観ればまた別の感想があるのだろう。

最後に、最愛の姉ナンネルの結婚に当たり、彼女に宛てたモーツァルトの天真爛漫な手紙を同書の中から紹介しておこう。(298頁)

「それではウィーンからザルツブルグへ、1000回の祝福を送りましょう。お二人が私たちよりも幸せに暮らすことが出来ますように。お、お、おっと、詩でいっぱいの頭の中の引き出しから、ちょっとした文句が出てきましたよ。ではご静聴。

結婚したら沢山のことが分かります。これまで半分謎だったことも経験すればわかるのです。エヴァがその昔カインを産むためにしなければならなかったこと。しかし姉さん、この結婚のお務めをあなたは喜んで果たすでしょう。ぼくを信じて、少しも辛くはないのですから。

でも物事には表と裏が、結婚だって同じこと、楽しみもあれば苦労もある。彼が険しい顔をしていても、心当たりがないならば、勝手に不機嫌になっているだけ。男の気まぐれと思えば良し。そして彼に言いましょう。“旦那様、昼間はあなたのお好きなように。でも夜は私のものよ”」~あなたの誠実な弟 W.A.モーツァルト~

いやはや・・・(笑)。

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物言わぬは腹ふくるるわざなり

2020年03月10日 | 独り言

このところ我が家そっちのけで、四国在住の「AXIOM80」(以下、「A80」)の愛好家「S」さんの「バックロードホーン」の箱が気になって仕方がない。



我が家のオーディオの終生のテーマの一つとして「いかにしてA80をうまく鳴らすか」を追い求めているので至極当然の話ではある。

ご厚意により「精緻な設計図」を送っていただいたが、まず気になるのが箱の「板厚」なので率直にお訊ねしてみたところ、次の返信メールが届いた。

「21ミリのシナ合板 今でしたらフィンランドの合板を使っていたかも知れません

引っ越し屋さんの苦労も考えもせず 

先日 吾が家の   Marantz 8 のヒューズが切れる事態

数日前にも同じ症状があり 対症療法で何とかなっていたのですが 緊急入院

〇〇様が来られる当日でなかったことが幸いと 何とか納得しています

20年以上健康診断をサボった結果

このヒトが退院したら御試聴ください 

好事魔多し

人間万事塞翁が馬 

昔の人は この状況を言語化するコトバをちゃんと残しておいてくれています

気持ちを言語化して昇華すること これができることが如何に重要か

できないがための不幸と悲惨  

「祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない。」シオランの言葉 

出典「完本 文語文」 山本夏彦 文春文庫 ISBN 16-735216-8 P127  

とりあえず 今のところは 去年の冬に作ったサブシステムで楽しみます

JBLのメトロゴン(風)

パソコンでらじるらじるを聴くために作ったもの

妻もスマホにつないで楽しんでおります

アンプ(デジタル)内蔵 外機のヘッドフォン端子から入力

これでもバックロードホーン形式

ステレオでは離れて聴くと音がダンゴになりますが 

30センチでは格別 
モノラルは最高で 古い録音はこれに限ります

電蓄をラジカセサイズにした感じ

最近は小さく作ることが楽しくなっています 

去年の冬に あるグループ展に出品いたしまして

スマホを繋いで聴けるようにしておりました

係の人から後で聞いたのですが

会場に来た男子高校生が自分のスマホをつないで

机に頬杖をついて長いこと聞き入っていたそうです

自分が欲しいもの 作りたいもの が

誰かの琴線に触れる ありがたいことです

 

 

 

 



以上に対して次のように返信した。

随分器用ですねえ!!「AXIOM80」だけではなくJBLのメトロゴン風とは、恐れ入りました。どうやら同類項のようで安心しました(笑)。

「気持ちを言語化して昇華する」、仰る通りだと思います。人に悩みを打ち明けると解決策が得られなくても精神的にスッキリするのもその一環でしょうか。

自分も引退以降、曲がりなりにもブログを続けてきて考えていることをどうにかこうにか言語化していますが、心理的にずいぶん救われている感じがしています。

今から700年前の古典「徒然草」(兼好法師:鎌倉時代)の序段にも「物言わぬは腹ふくるるわざなり」という言葉がありますしね。

マランツ8Bの修理とメンテの件、気が重たいでしょうが「ピンチはチャンス」、もっと良くなるかもしれませんよ!1か月ほどかかるようですが、修理が完了次第お伺いさせてください。」

最後に、高校時代の同窓生カメラマン「T」君が撮影した「羽根を広げたメジロと梅の花」です。



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鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス

2020年03月08日 | オーディオ談義

とうとう大分県でも「新型肺炎患者」が発生。大分市の繁華街の飲み屋の女性(30代:接客業)とのことで、心当たりがありそうな人はたいへんだ(笑)。

その女性は市内の運動ジムにも通ってたとのことで、「別府も危ないから、もう運動ジムには行かない方がいいわよ」と、家内からきつくお達しがあったが、既に木曜日から閉館だし図書館だって隣町も含めてすべて休館中。

なお、この話には後日談があって、その後山口県で陽性と判定された男性が1週間ほど前に大分県に出張し、夜にこのラウンジに訪れていたことが判明した。「濃厚接触」の可能性が出てきた・・(笑)。

そして今やテレビは「新型肺炎」報道一色で、解説者などが厚労省の対応のまずさを含めて言いたい放題だが、はたして医学的に見て正確な発言かどうかもよく分からないし、何ら発言の責任を取れない連中が好き勝手なことばかり言ってと首を傾げたくなる。

こうなると「言論の自由」も考えものですね。誰にでも「メディアリテラシー」が求められる好例でしょう。

とにかく、矢のように四国に飛んで行きたいので(笑)、一刻も早くこの騒動が収まって欲しい。

閑話休題


中学校時代の社会科「歴史」の教科書の注釈にこういう記載があったことをよく覚えている。

「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」(織田信長)

「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」(豊臣秀吉)

「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス」(徳川家康)

以上、戦国時代の「天下人」3人の性格を如実にあらわした句としてよく知られているが、これを例によってオーディオ愛好家に当てはめてみよう。

まず1は新しくオーディオ機器を購入してはみたものの、好みに合わなかった場合はすぐにオークションに出品したり、下取りに出して処理してしまう気短なタイプ。

2は使ってみたものの意に添わないので、原形の改造さえも厭わずに工夫して何とか好みの音に仕上げようとする粘り強いタイプ。自分はこのタイプに属する。

3は多少気にくわなくてもメーカーのオリジナル性を尊重し、じっくり時間をかけて機器の方に自分を合わせていこうとする辛抱強いタイプ。

オーディオ愛好家はすべてこの3つのタイプに分類されると思っている。


そして、これはあくまでも当方の推測だが、1と2の割合は少ないと思う。

およそ20%ずつ、つまり5人に1人くらいが該当し、3のタイプが一番多くて60%つまり5人に3人はこのタイプに該当するといっても大きな間違いは無いような気がする。

それほどメーカーのオリジナル性を尊重するタイプが多いし、それが当たり前だろう。

ましてやイギリスの名門「タンノイ」の「ウェストミンスター」を弄り散らして改造するなんてと、当方のブログを見て「眉を顰める」向きがかなりいらっしゃるに違いない。

何しろオリジナルの同軸2ウェイユニットは代えてしまうし、内部構造だって大幅に変更している。



現に、当方の仲間内でも「私はメーカーのオリジナル性を尊重した音を楽しみたいんです」とストレートに口に出す方がいらっしゃる。

そういうわけで、さも改造したことを得々と吹聴しているように見えるかもしれないが、現実はかなり”後ろめたい思い”をしているというのがホンネですぞ(笑)。

内実はそういうところだが、いったいどうしてこんなことになったのだろうかと時々考えるときがある。

もちろん、肝心の音の方は自分好みの音に仕上がっているので後悔は一切していないものの、原因の一つとして挙げられるのは自分が「見てくれ」をあまり気にしないことにあるような気がしている。

たとえばメーカーのオリジナル機器は、まずお客さんから目にかけてもらうのが先決なので性能よりもむしろ「デザイン=見てくれ」の方に力点を置いたものが多いような気がして仕方がない。

つまり「お金のかけどころが違うんじゃないの」からくるメーカー不信が根底にある。(たとえば一例を挙げると箱の中に収納されていて外見からまったく見えない「ネットワーク」の部品のお粗末さなんか好例だ。)

自分だって美しいものを見るのは、つい先日のブログ「美を求める心」に記載したとおり「人後に落ちない」つもりだが、オーディオとなると「視覚」とは違って「聴覚」の世界なので「見てくれ」なんて付録みたいなものだというのが本心である。

つまり音さえ気に入っていれば見かけにはこだわらない。

そういうわけで、ブログにもときどき拘りなく、マニアックで粗っぽい画像を掲載しているが、どなたかのブログで「とてもクラシックを聴く雰囲気ではない」と酷評されたことが棘となって今でも鋭く心を突き刺している(笑)。

雰囲気も大切なことは分かるが・・。

やはり最後は徳川家康が永続的な天下を取ったように「鳴くまで待とうホトトギス」が王道かもしれませんね。

最後に高校時代の同窓生カメラマン「T」君が撮影した「梅の花と飛行機」です。シャッターチャンスの妙味でしょうか。



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巡り巡って原点回帰

2020年03月06日 | オーディオ談義

関東のSさんのアドバイスを受けて、SPユニット「AXIOM80」(以下「A80」)の2発入りシステムにチャレンジしてからおよそ3週間あまりが経った。

毎日のように「ああでもない、こうでもない」と弄り回しているが、「これ以上面白い遊びがあったら誰か教えてくれ!」と言いたくなるほど楽しくて仕方がない。

せっかくの機会なので、これまでトライしてきた方法を順を追って記録しておこう。何しろこの歳になるとすぐに忘れてしまい、性懲りもなく同じ失敗を何度も繰り返すので困っている(笑)。

 1台のアンプでA80の初期版をフルレンジで鳴らし、復刻版を500ヘルツあたり以下で補強する

 チャンデバを活用し、クロスオーバーを250ヘルツ、8000ヘルツにして3ウェイ体制にする。ツィーターはデッカの「リボン型」を動員した。

 2を踏襲しつつ、125ヘルツ以下を復刻版の代わりに「AXIOM150マークⅡ」に持たせる。同時にアンプをTRアンプにする。

 思い切ってチャンデバを外し、プリアンプの2系統の出力端子を利用して2台のアンプを使い、A80の初期版と復刻版をフルレンジとして同時に鳴らす

いずれも、当初は合格だと思っても2~3日かけていろんな音楽ソースを聴き込んでいくと何かしら不満が溜まってくるのはいつものとおり(笑)。

そうこうするうちに、つい先日のブログで紹介させていただいた四国にお住いの「S」さんのコメント「A80の低音を簡単に諦めてはいかん!」や仲間の意見を参考に5の対策に行き着いた。

 1と4を兼ね合わせた形でプリアンプの2系統出力を利用して2台のアンプを使う。

具体的にはまず「初期版」をフルレンジで鳴らす。

そして「復刻版」の方は周波数「150ヘルツ」(-6db/oct)あたりでハイカットする。

その道具はムンドルフ(ドイツ)のゼロ抵抗コイル「8.2+6.8=15mH(ミリヘンリー)」(直列接続)を使い、A80の公称インピーダンス15Ωを当てはめると、丁度周波数150ヘルツあたりとなる。



付随して、使用するアンプになるが勝負のポイントになるプリアンプの選択には大いに迷った。

「クリスキットのマークⅥ」と「マランツ7型」の2台だが、後者は真空管に「ブライマー」(STC)の「12AX7」を3本使っているせいか「音の鮮度」が抜群。

その一方、クリスキットは「低音のブースト機能」が使えるので「豊かな低音」が得られる。

結局「豊かな低音」を取るか「音の鮮度」を取るかの二者択一になってしまったが仲間は「鮮度」の優先を主張し、自分はといえば「豊かな低音」に与して議論が大いに沸騰した(笑)。

結局、クリスキットの出力管「12AU7」(2本)のブランドを「RCA」(アメリカ)から「ムラード」(英国)に入れ替えたところ「切れ味」が出てきて一件落着。

プリアンプの出力管のブランド次第で全体の音質が左右される怖さを如実に味わった!

次に、パワーアンプだがA80のフルレンジ用「初期版」には「WE300Bシングル」を、「150」ヘルツ以下を受け持つ「復刻版」には「6098シングル」を使用した。



これで鳴らすことおよそ1週間あまり、ようやく愁眉を開いたつもりだったが昨日(5日)になって、アンプを1台に戻して鳴らしたところこっちの方がなんとなく良さそう(笑)。

結局、何のことはない細部は若干違うものの1の方法に「巡り巡って」原点回帰してしまった。2発に対する当初の期待感があまりにも大きすぎたことによる落差も一因かな。いろんな試行錯誤を経てようやく納得。

ちなみに、使用したアンプは「6098=6AR6」シングル(画像左側)で、5極管を3極管接続にすると、イギリスの名管「PX4」そっくりの音になるという触れ込みだったが心から同意!

周辺機器のグレードが上がれば上がるほど実力を発揮してくる感じ。

「クラロスタットボリューム」への交換など、最終仕上げをしていただいた「北国の博士」には足を向けて寝られません(笑)。

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「主客転倒」は拙い

2020年03月04日 | オーディオ談義

このブログの読者ならお気づきのことと思うが、オーディオ関連の記事があまりにも連続すると拙いので意識してときどきそれ以外の音楽記事や独り言を織り交ぜることにしている。

オーディオはあまりにも面白過ぎてたまらない趣味なので、どこまでも深みにハマってしまう傾向にあるが、本来の役目といえば音楽を聴く道具に過ぎないので「主客(かく)転倒は拙い」という意識がいつも頭の片隅で働く。

そこで、つい先日の記事「クラシックの核心を読んで」もその一環で意識して盛り込んだところ、さっそく読者から反響があって、

本日の御記事、いい本を紹介していただいてありがとうございます。吉田さんの番組が終了して寂しい思いをしておりましたら片山さんのおかげでNHKに金を払う意味を見いだせました。このような本があったとはと、早速アマゾンで注文してしまいました。」

「ハイ、お役に立てたとしたら望外の喜びです」と、返信メール。こういうメールをいただくとほんとうにヤル気が出てきます(笑)。

そして、別の読者からはピアニスト「グレン・グールド」が「いかにもピアノらしい残響の豊かな、つまりよく鳴るピアノは好みじゃない」に関連して、過去記事「音の響きについて」では「趣旨が反対のことを述べておられましたね」というご指摘があった。

当方がすっかり忘れている記事だったが、読者の方がよく覚えておられるなんてとびっくりした。これだから、うかつなことは書けないと肝に銘じた(笑)。

内実を述べてみよう。その記事の要点となっていたのは「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介だった。

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。
 

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。
 

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

とまあ、以上のような記事だったが、この伝でいけばグールドの演奏は響きの少ないデジタル音が合っていることになって、いささかの矛盾が生じることになるが、まあ、最後は「程度の問題」ということにしておきましょうや~(笑)。

最後に、高校時代の同窓生カメラマン「T」君が撮った「羽ばたくメジロと梅の花」です。



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